毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

幸福の内実に関して知らん: 社会人生活はちねんめ日記

とかなんとかいうタイトルつけておいて、ただのメンタル疾患もち看護師のらくらキャリア録。需要があるかどうかは知らん。

 

ちなみに元ネタはマルティン・ゼールの『幸福の形式に関する試論: 倫理学研究』です。

熱い風評被害ですみません、内容は関係ありません。

が、ちょっとだけ引用させてください。

ある人が善き生を生きた〔と言える〕のは、その人が意欲したもののいくつかを為すことができて、その人の願望が実現された場合だけでない——それは不幸で荒廃した生にも言うことができる——。

それだけでなく、その人に出来たものまた出来なかったもの、その人にとって実現したものまた思い通りにいかなかったものにおいて、それにもかかわらず(多くの抵抗またはその欠如に対抗して)自分自身のイメージに従って生きられた生の針路を保持することができた場合、さらに、その人が生の過程のうちにその人の生の本質的価値を見て取ることができ、その過程の中で、固有な種類の悦びではないとしてもあらゆる(エピソード的で一時的な)悦びや苦痛の他に、自己信頼と世界信頼を保持できた場合にも、その人は善き生を生きたと言えるのである。—マルティン・ゼール

 

 

 

なぜこの記事を書こうと思ったか

急に思い出したかのように1年ごとのまとめを再開(?)しました。

実は常勤をしているあいだは年度が終わるごとに所感を書いておりまして、今でも見返すと(稚拙な部分も含めて)味わいがあります。

常勤を辞めてからは仕事に関して特段面白いことをしてきたわけではなかったのと、大学院の記事を書けばおおよそその年度ごとの説明ができたのが大きいです。

しかし過去を振り返ってみると自分は常に「ロールモデル」を求めており、臨床1本ではない生き方の人が、まして自分のように看護以外の分野への興味が高じた人間がどうやってそれを仕事に落とし込んでいくのかを求めてきました。

さらに加えて私はかれこれ15年、半生近くを精神疾患の患者として生きる人間でもあるので、ある患者(という属性をもつ医療従事者)として何か希望になることを目指しております。

この記事が直接誰かのためになるとは思えませんが、こういう生き方をしている人間もあるのだと参考程度に扱っていただければこれに勝る幸いはありません。

 

 

 

略歴

わたしの略歴やそれについての所感は私事の方面からと仕事(学業、研究)の方面からとで大体補填されるので過去記事を載せておきます。

記事がそれぞれ長いのでいつもの通り私の紆余曲折しかない経歴をまとめると、

  1. 高卒後2年ニートないしフリーター(療養のため)
  2. 3年制専門学校を1年留年しながら卒業
  3. 病棟で働きながら大学編入、卒業
  4. 退職後に非常勤で働きながら院進と不妊治療
  5. 妊娠出産しながら2年で修士修了
  6. 1年間育児しながら非常勤←今ココ

です。非常勤なので産休育休といったものはなかったのですが、現在いわゆる「育休」が終わる時期(多くの人が復職する産後1年ほどの時期)に差し掛かっております。

 

詳細については、各観点から書いたものがございますので、ご興味や類似点などにあわせてご参照ください。それぞれ長いです。

人間を作るということ2: 仕事・院生生活とのバランスについて - 毒素感傷文

不妊治療〜出産の点から見たのはこの記事。

 

【最終回まとめ】放送大学大学院修士全科生生活Vol.12 - 毒素感傷文

院生としての視点から書いたのはこちらの記事。

 

向いていない(と思う)仕事をすること -ある看護師の一例 - 毒素感傷文

病棟を辞めたときの。

 

非常勤は4年の間に3つ食い繋いでおりまして(それぞれ乗り換えるようにして転職しているので被り方がひどい)、最後の1つが現在も続いている教職です。そのうち辞めます(決意)。

暫く兼務が続く都合上、次の職も序盤は非常勤になる予定ですが、今の非常勤と同様に細く長く続けつつも先に繋がりそうです。これもまた何かの参考になればと思いこの記事に書き留めます。

 

 

臨床継続ルートor一時中断ルートしかない?

以上大変に長い序の口となりましたが、今回下記のような記事を発見しました。この記事を読んだのが、久々に自分の仕事についての記事を書きたいと思ったきっかけです。平たくいうと男性研究者(大学教員)による子育てと仕事の両立がいかに困難かというエッセイです。

研究者でなくとも、男性でなくとも読みごたえがある話です。未読の方は是非ご覧ください。

 

男性育休・育児のロング・アンド・ワインディング・ロード<研究者、生活を語る on the web> | 研究者、生活を語る on the web | web岩波

 

ここで出てくるのは研究者の子育てですが、私がしているのは看護師の子育て(という範疇になる)でしょう。

一般的にいう臨床のひとの産休育休、復帰のルートや結婚・妊娠を機にした退職→子育てが落ち着いてからの復職を辿らなかったので、私の例が誰かの参考にでもなればと思い書いています。

 

先ず、先に挙げたごく一般的な二大ルートの特徴を説明しますと、産休育休→子どもが小さい間は時短またはフルタイム日勤で復帰、というのが非常によくあるパターンです。夜勤がないため給与は減りますが、看護師というものは本当に(少し前の)現代女性の人生を反映した制度設計になっておりまして、小さい子どもを「基本的に自分ひとりで」世話をする前提で働けるシステムになっています。

 

ここで「父親は何をしているんだ?」と疑問が生じるわけですがそこは各ご家庭事情で、父親が子育てにどれくらい参加しようとも「最低限ひとりで」やりくりできるラインがあります。昨今言われる共働きの苦悩は「比較的」発生しにくいシステムでもあるのです。これはある種の負の遺産でもありますが、看護師という職業が9割がた女性で構成されている以上「産休育休・時短勤務を許容・推奨しないと成立しない」組織であることに起因します。

 

そして2つめのルートは、多忙な臨床の常勤から一旦完全に退いてしまうという方法です。結婚・妊娠・出産などを機に離職する人間は看護師問わず多数おられることと思いますが、体力仕事である看護師に関してはこの葛藤が大きくなりがちです。

そして私自身も傍目にはこちらに見えると思います。

結婚を機に(というわけではないのですが)退職し、院進しながら妊娠・出産したという流れです。このあたりからが「傍目に見ると」大変に馬力と強い意思のある人間に見える由縁かと思われます。実際は軟弱者です。

 

 

一時中断ルート、に見せかけてキャリアアップする

というわけで前述の一時中断ですが、挫折と同時に仕込みをしました。

 

  1. 臨床非常勤の間に院進する
  2. 院進の間に非常勤で教職歴をつける
  3. 院進の間に妊娠・出産する(???)
  4. 院の科目の取り方

 

の4本立てです。

 

1.臨床非常勤の間に院進する

この文字列だけ考慮しますと、対照的に常勤のまま院進される猛者がもおられることがまず頭に浮かびます。医療系修士課程は臨床の常勤を前提にしたカリキュラムを組んでいる大学院も多いです。

 

が、自分の場合は研究テーマ・研究室が非臨床寄りだったのもあり、準備が必要でした。常勤の間に院進・修了される方ももちろんおられるのですが、テーマや手法・データ・研究室選びによっては規定年限で修了できなくなる可能性があります。看護は仕事しながら院進・修了する方の多い分野ですから、規定年限通りに修了しないことは大して問題ないのですが、そうすると今度は中だるみしてしまってやる気を失ってしまうリスクがあります。

 

また、後述するように妊娠や出産といったライフイベントが差し込まれる可能性も高い年代で、かつ女性である以上は否が応にも身体的負担が大きくなります。そして院生生活は必然的に後回しになり、さらに修了が難しくなるのです。

 

臨床だけでももちろんキャリアや金銭的には問題がない(なんなら院進も生涯賃金を高めるとは限らない)ため、モチベーションを維持しづらいのは負の特徴かもしれません。

しかし常勤を辞めるのであればもちろん臨床のキャリアは一旦途絶しますし、そのため給与収入も減少します。そういった事象を避けるのであれば常勤のまま院進される選択があるのもよくわかりますね。

 

2.院進の間に非常勤で教職歴をつける

これも後付けですが、院生+臨床非常勤のかたわら、いわゆるTA(Teaching Assist)というものをしておりました。この職を見つけたのは完全なる偶然からですが、看護に限らず他の分野であっても院生がアカデミア関連のバイトをするのはごく一般的なことです。他分野と違うのは、看護の場合はTAをやるにあたり実務経験が必要なことでしょうか。

このTA、教育の現場の空気に教員サイドから触れるだけでなく、履歴書にも書けて場合によりアカデミアのコネクションを作れたり実情を訊けたりするので自分としては非常に助かりました。

それから、これは看護TAあるあるの特殊ケースのような気がしますが、野生のプロ紛れています。他の方の事情なので詳細は伏せるとして、私のような単なる院生ではなくて他大学で講師をしていた(る)人の転勤までのつなぎであったり、キャリアに疲れた人(臨床歴何十年、講師歴あり引退後)の息抜きであったり、様々なポジションの方とざっくばらんに話せたのがある種常勤の先生方との会話よりも得るものが大きかったかもしれません。

 

こういう話は対面での学会や看護系の研究室に所属するだけで達成できるような気もしますが、折しも私が院生になったタイミングでCOVID-19が国内で流行しはじめたので、非常勤ながら仕事上で情報が得られるのは貴重な機会でした。

また、詳細は後述しますが教職常勤の話も頂けたので、働く場所によっては「インターンに行く」ような気持ちでいられるのも魅力かもしれません。

 

3.院進の間に妊娠・出産する

たまたまこのタイミングになっただけですが、M2で妊娠し、修論の口頭発表後に出産しました。つわりなども重なったため、最早修論が早いか出産が早いかという人生をかけたチキンレースをする羽目になりましたが、結果としては修了が確定してから出産することができました。これは計画して計画通りに運ぶようなものではありませんので、たとえば修士課程のデータ収集中に妊娠出産などがかぶった場合は必然的に在学延長になっていたと思います。

 

ライフイベントに関しては狙えるものではないのですが、「通信制の大学院を選ぶ」ことのメリットはここにもあると思います。特に放送大は、看護に限らずあらゆる年代のあらゆる社会状況の学生に対応してきた実績があるので、研究室もそういったことに寛容(というかそれが当たり前という雰囲気)です。

 

修士課程に関しては他の大学院を見たわけでもないので、選べばもちろん他の大学にもそうした制度はあると思います。問題は「それを見越して選択するかどうか」ですので、「2年で絶対出る、人生計画はまだストップしておく」とかもありだと思います。

私の場合は、「絶対に2年で出る(出られるものを揃えておく)」、「場合によっては大きな人生計画の変更を受け入れる」というスタイルで院進しました。

 

 

 

4.院の科目の取り方

放送大の大学院についてはさまざまな記事を書いてきましたので割愛しますが、大学院の履修必須科目の中には生活健康科学の範囲のものが含まれています。

その中で、看護師にとってやや特殊なスキルとなる「特定行為」なるシステムの基礎部分となる科目があり、放送大はこの基礎部分を提供しています。

私の場合は研究のかたわらになるので結局6科目中4科目しか履修していませんが、「看護学研究科」のない放送大でも臨床に近い(臨床のキャリアアップに繋がる)座学はありますよ、という話です。

 

看護師の行う特定行為についてはこちら。要するに「今までは医師が行ってきた医行為のうちシステマティックかつルーチンになりつつある一部分だけを、研修を受けた看護師に移譲する」という感じです。

認定看護師を持っていると有利とか有利でないとか(特定行為の一部は認定看護師を持っていないと履修できない?)色々あるようなんですが、私は認定看護師は持っていない(し、取る気もない)のでちょっとよくわかりません。すみません。

看護師の特定行為研修制度ポータルサイト

 

これは余談ですが、「看護師がよくやるもの」第一位(?)であろう「静脈注射(点滴ルート確保)」がきちんと法制化されたのは2002年です。

実際にはやらねば業務が回らないのでそれまで暗黙のうちに行われていたのですが、基本的に看護師は侵襲行為(医行為)を行うことができません。それをタスクシフトのため明示した最初が、2002年だったわけですね。結構最近じゃないですか?

資料 新たな看護のあり方に関する検討会中間まとめ

 

できなかったこと

まるでなんでもやってきたかのような書き方をしておりますが、それは当然後から振り返って書いているからで、その時々の壁にぶち当たってできなかったことはいくつもありました。わかりやすい例を挙げますと、

 

1.ストレート博士課程院進

これはタイミングの点で不可能でした。修士を出ることはできる予定で、研究室を変えて院進する予定をしておりましたが、つわりの中修論書きつつ院試を受けて産後すぐ院進というのがどうしてもできませんでした。産後の経過が思ったより良くなかったのもありますし、自分の周囲(家族含め)から産後の支援が得られる見込みがなかったのも大きいです。

 

無理をして院進しようとしたのは単に行きたい研究室の教授がこの年度の入学でないと退官されてしまうからという理由に他ならなかったのですが、まあできなかったらそれはそれでと今は開き直っています。というか、開き直るしかないのです。

これに関しては特に絶望感は持っていなくて、私は研究をし続けられればそれで構わないので、生き残れる場所を探してまたうろつくだけです。

 

2.教職常勤

こちらも昨年度に声をかけてもらいましたが、やはり家族の支援などの都合上乳幼児の育児とのバランスが取れずお断りすることになりました。

院進・教職ともに、私と同じ(乳児の月齢と看護師としてのキャリア)条件で選び取る方はおられると思うのですが、そこに加わる変数として

  1. 伴侶の協力
  2. 実家・義実家の協力(近さ)
  3. 時間(フレックスや時短)・距離(通勤や保育園)

の条件が非常に効いてくるなあと実感しました。他の条件が同じでも、こうした周囲の条件によって制約がかかることは多いにあります。話には聞いてきましたが、なるほど、という感想です。

 

以上をふまえて転職活動してみた

というわけで、常勤歴と非常勤歴がイーブンになりつつある中転職活動に勤しむため転職エージェントに登録してみました。

というか、家庭の事情に対して気分が萎えた結果嫌気が差して求人を覗いていたところ面白そうなものがあったので打診しようとしたらミスって転職サイトに繋がってしまったという経緯だったのですが、結果として満足のいく求人を持ってきていただけました。

 

学歴と職歴を重ねつつ転職サイトを何回か利用しての感想ですが、やはり「学部卒」「病棟常勤」くらいの経歴の間はあまり突飛な(面白い)求人はもらえませんでした。基本的に臨床で、病棟ですか?在宅(訪看)ですか?施設ですか?クリニックですか?くらいの選択肢しかありません。

 

院卒して教職歴がつくと多少の説得力があるのか、転職エージェントも何かしらの反応を返します。が、院卒に関しては臨床系でない以上正直言って「根性がある」くらいの証明にしかならないような気がします。

あと、大学の教職の求人は基本的に公募としてしか出てこないので転職エージェントはもちろん関係ありません。私もたまたま見つけました。毎回行き当たりばったりで職を選んでいることがよくわかりますね。

 

また、今回の臨床系の転職に思いの外効いたのが、先述4「特定行為」の基礎(共通)科目でした。採用それ自体にも影響を与えたとは思いますが、まあ為にはなるかなくらいの軽い気持ちで取っていた科目が実際の資格取得を推奨されるレベルにまで影響を及ぼすとは考えていませんでした。いや考えていなくはなかったからこそ科目を取ってはいたんですが、実際に使う時が来ると思っていませんでした。

 

他の求人として「医療職以外の専門学校での講師」なる面白案件ももらい、内定をいただきましたがこちらは残念ながら辞退することとなりました。こちらに関しても院卒や教職歴がなければ恐らく紹介自体がなかったかと思いますので、「人に何かを説明する」とか「レディネスに合わせた教え方をする」みたいな特技(?)や好みがある方にはこうした分野もあるよ、と言えるくらいでしょうか。

 

 

 

常勤以外でやったこと

基本的に病棟で常勤をしていると、「特定分野の常勤」としてのスキルが加算され、年数相当の信用が得られますよね。◯年看護師として働くことができて、病棟のチームで働けるだけの裁量があって、気力体力がある(ここ重要)と。

あとは臨床系の資格は様々ありますが、こちらは私より紹介に優れたサイトがあるでしょうから割愛します。何より私はひとつも取りませんでしたので。

 

その代わりに私がこれまでに取得した資格その他を取得順に列挙すると、

  1. 学士(教養)
  2. 認定心理士
  3. 学士(看護)
  4. 修士(学術)
  5. 診療情報管理士

でした。臨床スキルを何ひとつ説明しない。

また、認定心理士は日本心理学会認定資格、診療情報管理士は日本病院会認定資格であり、それぞれ国家資格ではありません。

 

のらくら生きるための幸福の定義

常勤を辞めてからは試行錯誤の連続でしたが、常勤の最中からも自分は常に「自分自身の効用を最大化すること」に執心してきました。自分が健康に活用できていることそれ自体が自分の快であり満足であり幸福の一部です。

それは自分の人生に履歴書以上に大きな空白と停滞があることで「何かを取り戻さなければ」と思うネガティブな気持ちからであり、裏を返せば、社会において「他の誰かではなく自分自身が」やって意義のあることをやりたいという思いからでした。

 

そして実際にそれに(辺縁からでも)取り組むようになるとさらに仕事以外の私生活が否が応でも絡むようになり、「最適なバランス」を常に求められるようになりました。「今後なにがしたいか」の布石のために、常に一歩一歩を探りながら進まなければならない状態です。が、結局はその時その時で先の方向を考えながら選んできたものにストーリーが着いてこればなんとかなるのかな、というところまで来ています。

 

大したことのない石を置くときにでも、何か理由を考えておいた方が道を見失わずに済むように思います。というか、道に迷っていたとしても、「他人から見て道に迷っていないように見える」のが大事なのかもしれません。多分、就活でよく言われるやつですね。

 

生の持続の中でできる限り豊かな願望実現として理解された全体的な幸福は、個人的な生構想Lebens-konzeptionenの立案を共に含んでいる。というのも、生の経過の中で多少とも実現されるのは個別の願望ではなくて、願望の組み合わせだからである。

合理的に相互一致でき、そのうえ非-幻想的な性格を持つ願望だけが善き生の時間を導きうる。こうして目的論的な考察から、善き生は一定数の目標の達成を目指してそれらの目標を追求することのうちに見出される、と結論づけられる。

善き生は、願望実現の途上で有意味な生構想のうちに予示されるような仕方で演じられるのである。—マルティン・ゼール『幸福の形式に関する試論』

 

ここ数年は年度替わりに何かが変わることが大してなかったのですが、長く書いてみると、8年もかけて単にまた入り口に立っただけのような気もします。

 

とはいえ退屈はしないので私の幸福としてはこれで良いのかもしれません。退屈することが何より苦痛なので。

100冊読破7周目(51-60)

1.母親になって後悔してる(オルナ・ドーナト)

streptococcus.hatenablog.com

他のブログ記事にも書きましたが、センセーショナルなタイトル(とそれについて回る複雑な書評)に釣られてほしいものリストに入れました。ありがたいことにご恵贈いただいたので手に取った次第です。

内容は別記事に書き記したので割愛するとして、「おすすめ10選」に入れるかどうか悩むところです。なかなか万人におすすめとはいかないのかもしれません。

 

2.3.〆切本

 

様々な文豪その他が独白し、自己嫌悪に陥り、「こうなったら書けるのにィ…」みたいな話をしています。昭和の文壇が多くの対象になっているので、当時の娯楽が雑誌・新聞であったことがよくわかる内容でもあります。現在はテレビやYoutube、ネットに取って代わられたような娯楽を背負っている側面もあったわけです。それに反発する「純文学」もありますが、そうした純文学は一朝一夕にはできないのであくまで大衆文学として「売文屋」に身を落とす...という構図があるのがわかって興味深いですね。

編集の待機に怯える。言い訳の電話をする。言い訳がきかなくなる。さらにはホテルに缶詰めになる。缶詰めにされたホテルから逃げる。

本業のみならずTLのオタクたちの同人活動とかにも多大に刺さるものがありそう(刺すな)。

昭和だけの話でもないので、途中に現在東大教授の松尾先生のお遊び研究『なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか』も〆切本2の方に掲載されています。pdfでも無料で読めるので是非お楽しみください。真面目な形式なのかと思いきや中身が完全にネタなので、論文という形式に慣れない方にもお楽しみいただけるかと思います。ちなみに私はこの数式を検証する能力がないので、妥当かどうかどなたか教えてください。


なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか(松尾豊)

http://ymatsuo.com/papers/neru.pdf

 

以下サマリーです。

研究者はいつも締め切りに追われている。余裕をもって早くやらないといけないのは分かっている。毎回反省するのに、今回もまたぎりぎりになる。なぜできないのか?我々はあほなのだろうか?本論文では、研究者の創造的なタスクにとって、締め切りが重要な要素となっていることを、リソース配分のモデルを使って説明する。まず、効率的なタスク遂行と精神的なゆとりのために必要なネルー値を提案した後、リソース配分のモデルの説明を行なう。評価実験について説明し、今後の課題を述べる。

 

 

 

4.禁書三昧(城一郎)

「発禁本≠猥雑本」なので、政治思想を含んだために「危険」と判断されて回収されたなどの理由の本がたくさんでてきます。代表的なものが小林多喜二の『蟹工船』などでしょうか。

この本自体が読もうと思ってもなかなか手に入らないので、『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』とかが類似かなと思います。Amazonだと取り扱いがないので書影が出ませんが、この本の装丁、和紙に凹印刷なうえに本人のサインがありました。どうやら表紙の和紙の色も統一ではないようです。すげえ。

後から古書検索などしましたところ、そもそも200冊程度しか発刊されなかったもののようです。稀覯本かい。

著者が蒐集した発禁本が10年ほど前に大学で展示されたことがあるようで、コンセプトや概要、資料的価値などについてこちらで知ることができます。

http://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition/gallery/44/44_pdf/pamph_44.pdf

 

あと面白かったのは、「電話で『本を譲ってください』とか『卒論に使いたいのですが』みたいな相談が安易にくるので勘弁して欲しい、自分で集めろ」みたいなくだりでした。40年前でも今と同じような問題があるんですね。

 

 

 

5.猟銃・闘牛(井上靖

井上靖初めて読みました。国語の教科書に載っているような純文学を読むのはいつ以来なんだ…

実はこの本が目にとまったのは、つい先日まで読んでいた『〆切本』の中で著者の井上靖が〆切破りの常習犯だと編集者から名指しされていたからなんです。因果すぎる。ちなみに当の井上靖本人の手になる〆切の話もありましたが、本人は全然悪びれてなくてめちゃくちゃ笑いました。いや俺は早く書けないしそういうタイプの人間じゃないしさあ…みたいな。

そして本編に入りますが『猟銃』、『闘牛』、『比良のシャクナゲ』どれも良かったです。『闘牛』が芥川賞受賞作とのことだったのですが、ごく個人的な感想としては『猟銃』が良かったです。いずれにしてもぐいぐい読ませる文章でした。主人公の男ども、みんなわりと後悔してなさそうだし、してたとしても自己愛っぽそう〜というのが皮肉った感想です。

自己愛が悪いとかではなくて、後悔や反省の様式が最初からそうというか、良くも悪くも「他人に入れ込む」みたいなのが存在しなくて、「何が悪かったんや?」みたいなのを考えたところで多分「いや、これしかしようがなかったんだ」と結論づけそうというか。『比良の〜』については絶対反省しない。こういう人時々いますよね。

読んだことのある人にとってはこの3篇に「反省」や「後悔」なんて言葉は似合わなくない?と思われそうなんですが、客観的には明らかにまあ反省とか後悔とかちょっとくらいしそうな状況なんですよね。でも多分しない、そこがいいみたいな。反省も後悔もしないタイプの自己憐憫

 

 

 

6.大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル(森博嗣

大学教員としての森博嗣全然知らなかったけど面白いなと思いました。この人にまつわるエピソード本当に超人っぽくて面白く、しかも職業作家になろうと思ってなったというのも知らなくてびっくりしました。助教でずっとやっていけたら面白かったのに...という諦念がそこかしこに見受けられます。

内容に対しての意見が是か非かはともかく、大学に携わる人間であれば読んでみて面白いと思います。

また、本人が高等教育に対して持っているモチベーションが個人的には非常に共感できるものでした。

教育というのは、先生が生徒に力を見せるものなんです。人間は、歳をとれば衰えます。子供たちは、衰えた力が見たいのではないのです。第一線で活躍している力が見たいのです。また、コミュニケーションの成立条件としても、やはり、学生と教員の年齢は近い方が有利だと思います。

或る意味これは近年の「実務家教員」などといって天下り先になることを阻止する手段でもあると思います。50代で教授になってそこから教えるというんではもう遅いというわけです。なかなかにパンチの効いた言説で、特に私のような実践領域に身をおく人間としても身につまされるものがありました。説得力が違うんですよねえ...。

 

 

 

7.メディア・コントロール―—正義なき民主主義と国際社会(ノーム・チョムスキー

チョムスキーってそんな骨のある人だったのか...(今の今まで知らなかった)

メディアにも露出が多くて、過去の計算機科学と言語哲学の双方に多大なる貢献のある人だというくらいのことしか存じ上げないのですが、「私が何かものをいっても市民から批判がやってくるくらいで済むのは言論統制とは言わない」みたいな強硬姿勢めっちゃかっこいいですね。いや身の危険あると思うんですけどね......。

 

 

 

8.反〈絆〉論(中島義道

これも面白かったです。

現代社会の煩雑な互恵性に対して、主にカントを中心に「思いやり」の煩わしさと矛盾を説いた本。「街がうるさい」とか「眩しい」が「思いやり」による所産だとかは考えたことのなかった視点なのですが、確かに「行きすぎたサービス(による保身)」が本来の「思いやり」のもつ倫理的態度からしてどうなのみたいな観点がありますよね。意外と考えたことなかったな、と思います。「差別」がなぜいけないのかを語ることすら許さない昨今の風潮のなか読むと味わいのある一冊かもしれません。

 

 

 

9.赤ちゃんポストの真実(森本修代)

赤ちゃんポストの法的根拠と歴史、その運用についてのルポタージュ。ひとりの記者がこれほど長く密着して取材された例は他にないのではないでしょうか。

なお、私は「記者」という立ち位置がどうあるべきなのかよくわかりませんが、本書の著者は「ポスト批判派」です。「無条件(無責任)の推進ではない」というくらいのニュアンスもあれば、いち私立病院が本来役割を負うべきでないといった明白な否定のニュアンスを伴うときもあります。筆者の主観が全編に漂っていることをご承知のうえで読んだ方がいいかもしれません。

 

「命を救う」のひとり歩き(歩かされ?)と、「子の幸せ」のバックラッシュがどのように織りなされているかがよくわかります。先程、本書はやや偏った意見だと述べましたが、そこかしこに著者の反省も書かれています。そういう意味では、ルポタージュというよりエッセイの色合いが強いのかもしれません。著者の疑問ももっともで、そもそもひとり歩きそれ自体がメディアによってもたらされたもの、すなわち「身から出た鯖」であることも本人が認めています。

感動ポルノに仕立て上げられないようにするのは難しいです。

 

内密出産も赤ちゃんポストも報道では大きく出ますが、その背景にあるのは母子支援の拡充のと手段の多様化の必要性であり、妊娠出産と育児の責任を「母親」のみに負わせてきた社会の偏見であると改めて思わされた一冊でした。

 

 

 

10.たまひよ離乳食大百科—たまひよ大百科シリーズ(ベネッセコーポレーション

突然出てきた離乳食百科。

古めの本ですがバランスよく書かれていて良かったかなあと思います。ネットでいくらでも情報は出てくるんですが視認性がやや悪いのでまとまったものを読みたくて手に取りました。今は新しい版が出ていますのでそちらで良いと思います。

 

 

 

さいごに

この10冊はかなりスピーディに読みました。多くの本をちょっと変わった図書館で借りているのですが、いつも子どもを連れて訪れるので、司書の方から「いつ読んでるんですか?」と尋ねられます。いつ読んでるんでしょうね。自分でもよくわかりません。

2022(前後)本以外で買って良かったもの

自分はあまり物にこだわりのある方ではありません(と、思っています)。大体は自分の都合とメリットデメリットに合わせて商品を選ぶので、個人の(それも当該年度など区切られた期間の)レビューを参考にしたことがあまりなく、つまりこういった記事の意義を感じたことがあまりありませんでした(当然他人が書くこと自体を否定する気はありません)。

 

が、最近気がつきました。

違う。これは「おすすめ」などではなく、モノに対するなかば狂気じみた思い入れを書くもので、それを読む人は実際に製品を購入するかどうかは関係なく他人の狂気を見たいのだと(そんなことある?)

というわけで思い入れのある製品について、1年には若干おさまりませんが前後含めて気に入っているものについて記載していこうと思います。

 

 

1.ピジョン 電動鼻吸い器

いきなり誰も得しないやつきた

看護師が選ぶ電動吸引機◯選みたいなのがあれば出したいです。マジで。

ママアカ見ててもピジョンの電動吸引機を選んでいる人はあまりいらっしゃらなくて、1万円切っていて(リンク先では在庫がないために倍ほどの価格設定になっています)この扱いやすさなのになぜ?!みんなのブラウザからは隠蔽されているのか?!と思っておりました。因みに今(2023年2月現在)Amazonでは品切れしています。

 

選んだ理由

  • 自分で吸いたくない(感染管理の観点から/吸引圧の観点から)

手動タイプは吸引圧をかけるために親が口で吸わないといけないものがあります。途中にトラップがあってさすがにダイレクトに吸引物が口に来てしまうことはないはずですが、細菌等を防げる代物ではないらしくどう考えても感染管理的に怖いし不衛生です。何より手動なんて吸引狂信者としての矜持が許さない。もっと吸いたい。中央配管を寄越せ(爛々と輝く目)。

というわけで手動の選択肢は最初からありませんでした。

 

では電動で何を選択の基準にするか。

  • 洗浄する部分は食洗機でなんとかしたい(チューブ洗うのが嫌)
  • 吸引ボトルも面倒くさい

この2点です。在宅医療における吸引機もおそらくこれが通常ですが、基本的に電動吸引機には容量1L程度のボトルがついています。吸引圧をかけて吸ったものをチューブの中を通してボトルに回収しなければならないため、滑りを良くする必要があり、前後に水道水(病院だと滅菌蒸留水を使ったりしますが在宅でそこまでする必要はありません)で流します。結局これもボトルに回収されるため、ボトルはある程度のサイクルで廃棄が必要ですし、チューブも洗わなければなりません。面倒くさい。

 

という究極のズボラ希望によりピジョンの製品になりました。

 

ピジョンの製品の何がそんなに良いのか

ピジョンの吸引機は、吸引する際に鼻に直接あたるゴムの部分に小さいプラスチックのケース(?)がくっついていて、その中に吸引物が回収される仕組みです。ボトルタイプのように前後の水のフラッシュは必要ありません。ケースの中にトラップ部分があるため、吸引物がチューブの中に入ってしまう恐れは基本的にはありません(なくはないようですが、私は1年近く使ってきて今のところ一度もありません)。

なお、チューブに入ってしまった場合は他の電動吸引機と同様にして洗浄するだけで良いようです。食洗機だと中が洗えないのでいずれにしても面倒くさいですが。

それから、ボトルタイプに比べて相当にコンパクトです。私の手のひらでガッと掴んでちょっと間に合わないくらい(間に合わないのかよ)。ツルツル滑るのと精密機器なのでさすがに落としたくない。

ボトルタイプにももちろんスリムなものはあるのですが、本製品の場合はたとえ本体が斜めに向いていようと吸える安心感はあります。

 

デメリット

まあそんな(私的な)神様製品にもデメリットはあるだろう。というわけで、デメリットになり得る点も列挙します。

  • 家の外への持ち運びは不適

電動吸引機にも、充電または電池駆動でのハンディタイプのものがあります。こちらに較べると機動力(機動力???)は劣ります。ただし電池駆動の場合は吸引力が落ちることについては考慮する必要があると思います。

  • 連続・頻回な吸引は不適?

プラスチックのトラップ部分は食洗機で洗浄可能ですが、水滴がついたままで吸引するとチューブ内にまで吸引してしまう可能性があるようです。トラップ部分のみ買い足しなども可能ですが、無限に吸えるボトルに較べるとこの点は少し不便なのかもしれません。もっとも、私個人の見解としてはたとえ風邪であろうともそこまで頻回な吸引を続けるべきではないと思っているため、必要なタイミングで吸えれば問題ないレベルです。

 

 

 

2.電動搾乳機

もっと誰も得しないやつきた。

こちらは2022年に私が旧式を購入した直後に発売された新型モデルであるためややカタログスペックは異なります。掛け値なしによかった製品だと思います。

 

また育児用電動グッズかよと思われそうですがハイその通りです。そもそもこんな製品が育児に必要かどうか知っている人、実際に子育てしてみたことのある方以外は珍しいのではないでしょうか。そんな方のためにちょっとだけ紹介をさせてください。

 

出産・育児に際しては多くの準備が必要であり、そのたびに結構な出費があります。すべて新品でそろえた場合確実に6ケタの初期費用がかかります(メ○カリ・○モティーや知人友人からのおさがり・実家義実家の出資で補填する方が多いようです)。

また、レンタルも可能ですが、製品によりばらつきがあるもののおおよそ3~6か月も借りると新品購入のほうが安上がりになります。吸引狂信者である私は吸引機には恐らく長くお世話になるでしょうし、搾乳機についても3か月程度で費用を回収できるのであれば御の字という見解です。

 

このように、全体の初期費用の多さやレンタル製品の充実などから、多くの育児系まとめサイトや雑誌では「最初期には必要のないもの」としてほぼ筆頭に挙げているのが先述の「電動鼻吸い機」やこちらの「電動搾乳機」です。

理由としては、「手動で良い」がメインの理由です。手動の製品であればおおよそ1/3~1/10程度の費用で済ませることができるからであり、また退院直後からは必要ないであろう可能性があるからということが挙げられます。

が、完母(完全な母乳栄養)経験をした個人としては「退院直後には必要ない」はウソだと思っています。「退院直後こそ」電動で楽をする必要がありますし、母乳栄養と乳児のタイミングがリズムに乗るまでを助けるのが搾乳機の最も大きな役割だからです。

 

なので、私は多くの育児系のススメと真逆の選択をしました。

まず私は先に挙げたように「極力手を使いたくない」と思っています。産後はしんどいです(と思っていましたし、実際想像を超えるダメージでした)。そんな時期にわざわざ数千円のコストをカットするために手を煩わせることは、どう考えてもデメリットの方が勝るであろうという考えです。

また、私は甘い考えから「赤ちゃんが吸えば母乳は勝手に出る」と思っていました。この考え自体がかなり大きな誤りだったことがのちに判明しますが、私個人の場合は幸い食に貪欲なデカい子どもを出産することになりましたので、吸啜する→乳汁分泌が増えるというサイクルを早く確立することができました(これを「乳汁来潮」といい、産後2~3日に一気に乳腺が発達します)。

そうすると乳腺は乳児の哺乳量・タイミングに合わせて分泌が調整されるのですが、序盤はこのコントロールに難渋します。3時間ともたずに乳腺が腫脹するので、吸い出さないと即乳腺炎が待ち受けているという状態です。また、まだ乳頭の皮膚が吸啜に慣れていないため、どうしても皮膚がまけてしまい、ひどい場合には水疱ができたり亀裂になったりすることがあります。

これを手動で回避したいですか?3時間(ときに30分前後のこともあります)ごとの授乳をしているときに?部品の消毒を挟みながら???

無理です。命が惜しければやめておいた方がいい。

お勧めしません。

 

まるで電動搾乳機の回し者のようですが、私は帰宅後まともに起き上がっていられる状態でもなければ、Amaz○nでものを選んで考えて発注するような心身の余裕も一切ありませんでした。

結果的に、「なんとなくいるやろ」とポチっておいたピジョンの電動搾乳機に救われることになります。

 

電動搾乳機の選択肢

搾乳機で検索しますと、凡そ二大巨頭として出てくるのがメデラの製品とピジョンの製品です。

どちらも搾乳機として優秀な製品ですが、メデラの製品のほうが吸引圧の調整などで若干評判がよいようです。そんなメデラの製品を差し置いてピジョンを選択したのは、運搬が必要になる際の利便性です。これも結果論なのですが、非常に助かる結果になりました。

 

①宿泊を伴う外出

母乳栄養が軌道に乗ったのですが、思ったより軌道に乗ってしまい(もちろん望外に喜ばしいことです)、ほとんど完母(ミルクを挟まなくても乳児を完全に母乳で栄養できる状態)となりました。

そんな折、出産前から友人の結婚式が生後4か月ほどのタイミングで控えており、乳児を伴わずに1泊2日で外出することになりました。完母の人間にとってこれがネックであるということを想定していたため、製品の多少の差であれば運搬の手軽さのメリットが上回るであろうと考えました。

 

②復職

生後半年を過ぎるまで復職するつもりがなかったのですが、想定外に3か月の終わりから出勤が生じました。

当時の自分は5-6時間もすると乳腺の張りが限界になる状態で、その時間を超える外出であれば確実に1回は直接授乳または搾乳が必要でした。

 

製品・使用法比較

ではなぜメデラを選ばなかったのか?

理由①価格

販売ページに行くとわかりますが、メデラのハンディ型製品はピジョンの倍くらいします。2万円近いです。スペックがさほど変わらないのに倍の値段を支払う理由があまり見出せませんでした(あるのかもしれませんが当時の自分には感じられなかった)。

ちなみに口コミを見てみるとピジョンのほうが全体的に吸引圧が強い傾向にあり、段階調節がやや大雑把なのですが、我が家に舞い降りた食欲の化身(息子)の吸引圧と較べるとピジョンと遜色なかったため、結果的にピジョン製品で良かったようです。

 

理由②重量・サイズ

メデラ(モーター部分220g・90×120×54mm)を見る限り、持ち歩きに関してピジョン(モーター部分160g・97×60×60mm)の方が優れています。上述の外出に際してこれは後々大きなメリットになりました。

 

小ネタ:母乳運搬のプロになってしまった話

先に母乳栄養周りについて、母親を取り巻く厳しい現状を説明しておきたいと思います。

過剰な母乳礼賛とそれに伴う母親の負担

未だに母乳栄養礼賛の傾向はプロ(助産師)にも周囲(実家や義実家、はては見知らぬ他人の余計なお世話)にも存在します。確かに母乳栄養には、慣れると楽な面もあります。ところが、出生した赤ちゃん自身と母親の体の反応に大きく左右されるため、軌道に乗せるためには相当難渋する方がおられるのも事実です。決して「ミルクに較べて楽」と言い切れないどころか、当然直接授乳は他の人には代わってもらえないため夜間の授乳がエンドレスに続きます。

 

たとえばひと晩代わってもらうことは可能ではありますが、そうなると今度は自分自身の乳腺炎のリスクを考え、搾乳や次の授乳のタイミングを調整しなければなりません。また、搾乳をするにしても実際の直接授乳の方がやはり効率はよく、飲み残しが少ないです。

さらに私のようにどこにでも搾乳機を持ち歩く狂信者ではない限り母子が離れることはすなわちその間授乳ができないということで、ますます現実的ではありません。母親の育児時間はほぼ24時間と同等になり、社会的に孤立しやすいというのも事実であるかと思われます。

 

復職に伴う母乳栄養継続の困難さ

復職して子供を保育園に預けるとなると、乳腺の状態を考慮しながら搾乳しなければなりません。実際に私もしていましたが、準備から片づけまでおおよそ20~30分、長ければ40分前後かかります。休憩時間のほとんどを費やさねばならないうえ、搾乳ができるような場所(電源をとれて隔離された空間)を確保できるような理解ある職場もそう多くないのではないかと思われます。

また、乳児が授乳に対して柔軟とは限りません。哺乳瓶でミルクを飲ませているあいだに、乳頭混乱といって直接の授乳を嫌がるようになってしまったり、反対に哺乳瓶拒否になってしまいミルク・搾母乳を飲んでくれないため保育園に預けられないなどといった事態が発生します。

このような煩雑なことを乗り越えてあえて母乳栄養を続けながら保育園に預けるメリットがさして多くないこともあり、復職に伴って母乳栄養を終了してミルクに移行される方も多いのが現状かと思われます。

 

母乳狂信者の実態

上記の現状を鑑みつつも、私の場合は「なんか出るようになったから飲ませておこう」といった軽い気持ちでほぼ完母を続けていました。外出の際にもどうせ搾乳機を持ち歩くので、「こんなに搾れるのにもったいないな」と搾乳した母乳を持ち帰っていました。

その際に洗脳された参考にしたサイトが、メデラの母乳栄養に関する情報提供サイトです。もちろん企業のサイトですから「是非うちの製品を買ってくれ」というアピールがそこかしこに見られますが、母乳栄養のメリットとその活用方法についてこれほど根拠を示しながらうまくまとめたサイトは他に見つかりませんでした。

デメリット、というか考慮すべき事項があるとすれば、メデラはスイスの会社なので日本国内の事情とは若干異なることや、母乳栄養推奨の根拠となっているWHOの指標が発展途上国の水・栄養事情などを反映している(≒衛生状態、飢餓、感染症、授乳時に出るホルモンによる多産の抑制など)といったことでしょうか。つまり、メデラのこのサイトを読んだからといってミルク育児であることに罪悪感を抱く必要はこれっぽっちもないということです。

このサイトの記事(リンクは職場復帰の関連記事ですが、その他に時期に合わせた情報が網羅されています)をほぼすべて舐めるように読みました。そら文字が書いてあったら読んでしまうやんけ。

www.medela.jp

メデラのサイトを読んだのにピジョンの製品買ったのかよと言われそうですが、ええそうです(すみません)。

 

このサイトのせいでお陰で搾母乳を持ち歩けることに気付いてしまった私は搾乳しては母乳を冷蔵・冷凍保管するようになり、結果的に電動搾乳機は現在でもフルに活躍しています。

母乳育児をしている母親にとっては「赤ちゃんもしくは搾乳機がないと乳腺炎で即死する(ない場合は直接手で搾乳するのですが、手が痛いですし結構技術が必要です)」という状況であり、電動搾乳機は個人的な「買ってよかったもの」第二位です(記事の項目は順不同です)。私が吸引狂信者でなければ第一位でもよかったくらいです。

 

特に誰にもおすすめできない項目でした。

 

 

 

3.nosh

nosh.jp

やっとまともな紹介ができるようになりました。

こちらは購入した単品ではなく、契約している宅配冷食のサービスです。

送料込みで一食あたり600~700円程度(継続利用によって600円弱まで安くなります)の弁当で、「塩分(一食あたり食塩換算2.5g未満)・カロリーが管理されていること」が自分としては最大の魅力でした。妊娠中は食料調達や調理が一苦労であること、惣菜にした場合同じような価格帯でも塩分や栄養バランス・カロリーが気になっていたことなどからこちらを選択しています。

宅配サービスはもちろん他にもあり、有名どころではヨシ○イや○ルシステム(こちらは関東のみですが)があります。が、こちらは調理が必要です。起き上がるのも座るのも苦痛な産後や育児中には冷食を温める程度がせいぜいで、白米さえあれば一食がなんとかなるこちらの製品には1年以上お世話になっています。

気になる味についてですが、...どうなんでしょう...?男性にとっては些か量が少ないなどの問題があるかもしれません。主食で調節していただく必要があるかもしれません。

 

あと手放しで褒めてもなんだか癪なのでマイナスの情報も載せておきます。

news.yahoo.co.jp

こちらは最近発覚して炎上したのですが、非論理的なうえに差別感情丸出しの経営層がいることが明らかになりました。企業倫理に手厳しい目を向けるならば他のサービスを利用してもいいかもしれません(ひどい)。

製品そのものの話ではありませんが、購買行動に影響する要因として「経営層の人間の質」を重視する(≒そういった姿勢を間接的に支持したことになる)ことがあってもよいと思っています。

 

disっておいてなんですが、noshは友達紹介(連絡先などは共有されません)で割引があるのでお試ししたい方はTwitterでお声掛けください(小声)。

 

 

 

4.ノートPC用モニターアーム

特に変哲のないノートPCアームですが、とりあえず「可動に問題がなかった」というだけで「買ってよかった」と思っています。基準がガバい。

説明が少ない。こういうのって何レビューすればいいんだ...?

 

 

 

5.ぴあり

www.teftef.org

自分のお気に入りのアクセサリーメーカーです。価格帯もさほど高くなく、品の良いアイテムが手に入ります。

ここの最大の特徴は耳に直接当たる部分がゴム製であることで、イヤリングとピアスのいいとこどりをしているから「ぴあり」という名前なのです。

ここの製品をいくつか持っていますが、チェーンを付け足したり外したりと用途によってカスタマイズもできるところが強みでしょうか。

 

 

 

6.ISSEY MIYAKE BAOBAO

www.cnn.co.jp

昨年、著名なファッションデザイナーの三宅一生が亡くなりました。

だから買ったというわけでは決してないのですが、これまた有名なシリーズに「BAOBAO」というものがあります。街中で見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。パチモンも多くありますが一目見ればそれとわかる、非常にシンプルでスタイリッシュなデザインです。

 

www.baobaoisseymiyake.com

三角形とそれを際立たせるめっちゃテラテラしたビニル樹脂の質感が特徴で、後者が理由で今まで購入を見送ってきたんですが、アッ普通にマットな人工皮革あるんだ...となり購入しました。巾着袋スタイルの小さいものですが、ビジネス用またはリュック以外のまともな鞄をもっていなかったので遊びに行くにはちょうどいいです。

BAOBAOの良さを殺してしまっているといわれるとぐうの音も出ませんが...。

 

 

 

7.RICOH GRⅢx

www.ricoh-imaging.co.jp

こちらは言わずもがなであるうえに以前ブログ記事を書いたのでそちらを掲載して割愛させてください。GRⅡを使い倒したうえ、街歩きをする機会が少し減った自分にとっては過不足ない製品です。近年スマートフォンのカメラ(というか内蔵ソフトの)性能が向上しているのに対して、「なぜあえてコンデジを持たなければならないのか」という疑問にじゅうぶん応えてくれる製品だと思っています。

 

streptococcus.hatenablog.com

 

 

 

8.診療情報管理士

jha-e.jp

は???資格??????????と言われそうですが資格も入れてみました。

ニッチな資格ですが、医療系の民間資格です。業務独占でも名称独占でもないのですが、このカリキュラムを網羅すると医療を取り巻く環境について「病院」とか「社会システム」といった観点から学ぶとともに基礎的な医学の知識も手に入るので、結構面白いと思います。

病院会の集金システムの側面を若干感じるので強くオススメするものではないのですが、難易度としても個人的にはちょうどよかったです。

診療情報管理士の主な就業場所は病床数が比較的多い(数百床程度?)病院かと思われます。名称独占ではないものの、医療事務としての作業ではなく診療情報管理に特化した業務に従事することで病院の加算(診療情報管理体制加算)がとれるからのようです(さらにニッチな情報)。

 

なんで私がこの資格を取ったかというと、なんとなくです看護師等の医療系国家資格があると通信教育1年で受験資格が得られるからです。もともと病院事務というか医療の管理・経営システムに興味があるので、そうした業務に携わる人が何を学ぶものなのか?という部分が気になっていました。ぶっちゃけこの資格をとっても私自身の直接の給与アップにはならないと思います。就職の幅はもしかしたら広がるのかもしれません(履歴書には十分書ける資格ですが)。いえ〜い岸田(首相)見てるゥ〜??(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎リスキリングゥ〜〜(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

 

病院での診療情報管理に従事するというよりは、「これだけまとまった知識をもっている」という証明になるという程度でしょうか。看護師という免許はあくまで臨床ではたらくための最低限の免許であって、医療に対する臨床以外の知識を説明するものではありません(もちろんほんとうに最低限のことは国家試験に出題されるのですが)。

 

 

 

9.象印 加湿器

自分の身の回りの呼吸器内科医がお勧めした加湿器です。

私がレビューしなくともいくらでもレビューサイトがあるためあえて深くお伝えはしませんが、カビが発生しにくい構造であるため加湿器による過敏性肺臓炎などの心配が少ないという理由です。

私自身が喘息持ちなのもありますが、乳児のいる家庭でフィルター式の加湿器を使うのに躊躇していたのでこちらを購入しました。

見た目が完全にポットとか水が一瞬でなくなるなどのデメリットはありますが加湿効果はバッチリなので信頼しています。1年前に買っておけばよかった。

 

 

 

10.ニトリ 温度調節式電気ケトル

www.nitori-net.jp

温度調節式のポットはもっと高いと思っていたのですが、思いのほか廉価だったため最近購入しました。1年前に買っておけばよかった(ミルク調整の都合上)。

40℃から100℃まで、5℃区切りで温度設定できます。他の製品を検索した際には70℃が最高温度の製品があり、ミルクの調製上70℃以下だと困る(ミルクは無菌ではないためサカザキ菌が存在しており、70℃以下の場合は殺菌できないとのこと)ため購入していませんでした。もうちょっとちゃんと探せばよかったなと反省しています。

 

 

 

というわけで1万字近くになった狂気の商品レビュー(主に最初の2つのせい)を終わります。

 

 

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母親になって後悔、してますか?

母親になって後悔、「していたとして」、「している」と言えるでしょうか?

 

本書、訳書が出版された時点で私は既に母親でした(出版が公表された時点で母親になることが確定していました)。ゆえにこのタイトルだけで強く惹かれましたし、その惹かれ方はどちらかというと反発に近いものでした。だからこそ、(本書の中の母親たちを否定するのではなく)自分自身に置き換えたうえで反論したいのであれば、必ず読む必要があると思っておりました。

 

折しもご恵贈でいただくこととなり読む運びとなりましたので、たくさん思いを込めつつ読んだこの本の概略と感想、そして今の自分の親としての簡素なまとめを綴りたいと思います。

 

本書の前提

この本、まずタイトルの時点で忌避感をもつ人がいらっしゃるのではないかと感じました(私がそうだっただけで、他の方は好意的に受け止められたかもしれませんが)。少なくとも本書を上梓した著者本人も、この概念を扱うには非常な反発に遭わなければならなかったと述べています。

よって話の前に、本書の大前提を示しておきます。

  1. 母親になって後悔しているということは、「具体的なひとりの子どもを持ったことに対して」のもの(子どもの生を否定するもの)ではない
  2. 「お前なんか産むんじゃなかった」という暴力的態度ではなく、むしろ慈愛や一般的に求められる「母親」業を卒なくこなしたうえでの思いである
  3. 「子どもを持たない」ことへの後悔とはまた別ものである
  4. 社会の抑圧が大きな影響をもっているとはいえ、それを取り除いたとしても緩和しきれない後悔がありうる

 

短い言葉にするのであればこのようなものでしょうか。

私は読みながら、これらの概念についての「父親への反転可能性」を常に考えていました。状況は異なれ同じ思いをもつ父親(または父親になる可能性のある人)はやはりいるだろうという考えがあったのです。しかし、それに関して、「社会に対してそれを言えるかどうか」には随分大きな差があるように個人的には思えます。

「父親に向いていない、子を持つべきではなかったかもしれない」。そういう風に父親が表明するのと、同じことを母親が表明するので、世間の風当たりが違うように思えたのです。もちろん同等なのかもしれませんが、そもそも父親役割というものは母親役割ほどには「人生すべてを」捧げよ、という類のものではない割合が高いように思われます。これも根拠のない、ただの主観に過ぎませんが。

もっとも、稼得の獲得を主とした役割に据えられて家庭の役割から「疎外される」という問題を抱える父親という存在を見逃してはなりませんが、こちらは本題から外れますので今回は割愛します。

 

本書の概要

本書は著者の博論含めた研究成果のまとめのようなものです。まずは世界の母親たちが置かれた状況(著者はイスラエルの方とのことでイスラエルの社会背景がよくわかります)、続いて芋づる式で求めたインフォーマントとの半構造化面接の結果と続きます。

 

社会背景

イスラエルはかなり強く多産を要求される社会であるそうで、子どもを持たない選択を表明している女性は「いずれ後悔する」、「一人前ではない」などといった「脅し文句」に日常的に曝されるとのことです。日本でも、弱まったとはいえこの傾向はあるように思われます。

また、「産まない」という選択は常に理由の説明を迫られる(そんな話をするほど親しくない間柄のひとから、否定的な態度で)のに対して、「産む」という選択は議論の俎上にも上がらないというのもほぼ世界中で共通の事項のように思われます。

 

インタビューから得られるもの

「子どものことは愛している」という前提

まず、子どもを産まなければ良かったということと母親になったことへの後悔は別ものであるという説明が丁寧になされます。前者は子どもの人生や人格を否定するものであり、それを恐れる母親はインフォーマントのうち多数を占めるようでした。そして、「子どもを産まなければ良かった、ではない」ということを言わなければ母親への後悔を口にしたり考えに及ぶこともできないという実情も垣間見えます。

子どもを産むことを要求される社会において、「母親への後悔」はそれほどまでに口を噤むことを要求される思いなのです。

 

母親役割の特殊性

「ママ、ママ」と呼ばれることにぞっとする。人生が終わるまで「誰かの母親」であることから逃れられない。場合により祖母になれば、祖母の役割を要求される。本当は祖母の役割を果たしたくないけれど、「孫を歓迎する祖母」の態度まで作ることになる。

いわば「自分を騙す」必要性とでもいいますか、ケアの役割を自然と要求されるというのは確かにあるなと自分でも感じます。それが得意不得意であるかに関わらず、過剰なまでに降ってきます。

 

もっと他にまとめておくべきことがあるような気もしますがあまりネタバレしても仕方ないので、ここからはある問題と絡めて自分の話をしていこうかと思います。

 

「産まない」という能動的選択の尊重、「産む」という能動的選択の意義

ちょうど私がこの本を読んでいた頃、印象的なツイートを見つけました。

りーらんど on Twitter: "4つの部門に分けて、私が子どもを産みたく理由を挙げました。中身が入り混じってて分かりにくいけど、26年間生きてきて感じていることです。 簡単にまとめると、 「私のお金も時間も体力も、ぜーんぶ夫婦で使いたい♡」です!笑 てか私の収入では、どんなに子ども欲しかったとしても絶対産まない。 https://t.co/W1j32FxCCk" / Twitter

本文の書き方はあまりに端的で、厭世的で、捨象されたものが多いように思います。よろしければ画像とツリーまで参照いただけましたら幸いです。

私は子どもをもった身として、この方は我儘や道徳的悪を背負っていることはなく、至極冷静で、賢明な方だと感じました。産まない選択というものは常に説明を求められるがゆえに、合理的で隙がないと感じます。反対に産む理由は、「可愛いから」とか「老後を支えて欲しいから」といった利己的かつ感情的理由に依る(本人がというより他人に推奨する際にそのように言われることがある)ことがあります。

 

さて元のツイートに戻りますが、では私はなぜ母親になったのか、どこまで悩んでいるか(悩んでいないか)考えてみようと思いました。

 

実は私は、「なぜ結婚するのか」「なぜ子どもをもつのか」ということについて、何人かの方から訊かれたことがあります。否定的な文脈ではなかったので言いやすかったというのはありますが、私のようなケースは珍しいと思います。以下の項目は元ツイートの項目に基づいて書いてみましたが、内容がかぶる(ゆえに答えもかぶる)ものが多いので省略しつつ書いてみます。

 

生活面

  • 収入が自分の分でいっぱい

→たまたまですが、自分は該当しません(しないから産んだ)。自分自身の生活に大して望むものがないというのも関係していると思います。見通しが甘いのかもしれませんが、この点はぶっちゃけ伴侶に頼り切り(そして非常に綿密な試算がある)ので問題にするのが難しかったです。

  • 人の世話なんてできない

→これもたまたまですが、私は人の世話をすることを仕事にしているので、あまりそれ自体が苦ではありません。強いて言えば、外で働けば給料になるものが家庭ではそうもいかないのは残念に思います。

  • 哺乳瓶の消毒、ミルクなど面倒

→たまたまですが以下略、完母で過ごしたのでこの苦労があまりありませんでした。あと仮にミルクでも伴侶は代わっていないと思うので大差がない。消毒は最近の研究結果としては不要のようです。ほとんどやっていません(食洗機頼み)。

  • 教育費医療費など

→教育費に関しては「どこまでを基準とするか」によると思います。幼稚園からインターナショナル、小学校から私立、果ては私立の医学部へ!などの選択なのか、特に問題なければ公立や国立になるかなどで幅の広い概念ですね。個人的な経験から、あまり制限が強いようなら子を持つことは(増やすことは)とどまるような気がしますが。

  • 泣き声が不安

→単純なストレスや寝不足の原因にはなりますが、泣いているということは生きているということなので序盤のSIDSなどへの恐怖に比べるとマシかもしれません。解決になりませんでした。

  • 妊娠授乳期のタブー

→酒好きなのに酒が飲めないのは確かに辛かったです。これもたまたまですがコロナで会食禁だったのもありあまり苦にはなりませんでした。生ものも確かに食べられませんでしたが、生卵食べないと死んでしまうわけでもなかったので、まあ産んだら食べるか〜くらいのものでした。現代日本においては制限はそこまで厳しくありません。

  • その他の制限

→美容に強い興味がないのもあり、大して気になりませんでした。ここも人によりますね。最近は妊婦でもそれなりに良い服はありますが、私は結局買い集めるのが面倒だったのでクソダサい服で過ごしてしまいました。産褥はそもそも歩ける体調ではなかったので必要ありませんでしたしね。

  • 体力、若さ、美しさなどの経年劣化以上の損失を避けたい

→むしろ「何もしなくても失われる」ことを思うと、子どもを得たうえで人の形は保っているのだからめっけもんでは?くらいの気持ちです。特に努力もせず体型が戻ったのもありますが。あと損失を嘆くような美貌がない。

  • コンプレックスを継がせたらかわいそう

→これに関しては現状全然私に似ていなくて安心していますが、それはそれでやはり美容面でコンプレックスを持たせそうではあります。ただしコンプレックスを持つかどうかって身近な親の態度もかなり影響すると思っているので、鋭意気をつけて参ります。

  • 障害の可能性に対するくじ引き感

→最初からくじを引かないという対策は確かにまっとうだけれど、後天的に疾患をもつ可能性については現在生きている人もなんら変わらないものなので新しく産まれるからといってそこまでこだわる必要性を感じない。完全に「健康」な人間は基本的に存在しない。

  • 子の条件、双胎かなど選べない

→選ぶようなものではないので構わない。ただ私の場合は特殊な条件で、双胎のリスクが上がる可能性があるゆえそれを選択しないというリスク管理は可能。

  • 子の自己肯定感、グレたときのこと

→子どもは自分の複製でもなく所有物でもないのである程度まで親は責任を負うが徐々に権限を委譲することが可能。グレること自体もある意味本人の権利なので。

  • 他人なら縁切れるのに実子は無理

→親子でも切ろうと思えば切れる。むしろ実家を離れる理由になったりする(そのために子をもうけるのは不健全だけど)。

  • 将来の介護や世話のあてにしたくない

→してほしくない。人の死に際はよく知っているので子どもには子どもの人生を全うしていただく。金が欲しければ給料払って来てもらうことはできるけど(子が望めば)。

  • 仕事、住所、パートナーなど

→そもそも年をとると仕事とか身動きしにくくなる(履歴書的な意味で)。パートナー変えるのも面倒くさい。仕事の制限は現状かなり強くあるからなんとも言えない。ただ、仕事バリバリ思い通りにやるのが現状より幸福だとも言えないのでそのために今を選ばないことはないと思う。

  • 抱っこやおんぶ

別にしなくてもベビーカーでウロウロしている。抱っこマンでないのもあるけど…

  • 荷物が多い

多くはなる。なるけどベビーカーが最早運搬車。

  • 公園や行事の付き添いで炎天下

→脱水には注意したい。日焼けはするけど、焼けなかったから嬉しいことも特にない。子どもを理由に美容をサボれるのはかなり気楽。ハハッ

 

アイデンティティ

→自分のことがかなりどうでも良いので子どもが自分をこの世に係留している。これで自殺では死なない/むしろ病気や事故で死んでも自分の生命に満足できるかもしれない。

  • 虐待してしまうかも

→そのために伴侶や社会福祉があるので、可能性に気づけるなら対応もまた可能であると思う。

  • 「あのことだけはしてほしくなかった」

→自分の原家族に対してもあるし、今の家族でも子ども産む前からある。産んだら確かに増えたけど、独身でもDINKsでも許せないことは結局生きている限りついて回る気もする。

  • ◯◯ちゃんのママ

→元々私は私が好きな人の前以外ではすべてを演じているので役がひとつ増えるだけ。あと「人生の主役」は別に役が増えても減っても煌びやかでもそうでなくてもそもそも変わらない。

  • ママ友やPTA

→現状いなくてもやっていけている。PTAはむしろ会長になって恐怖政治を敷かないように注意する必要はありそう(過激派)。

  • 子への理想がないから困る

→困っていいと思う。子は独立した個人であり、一緒に考えるのが親の仕事なので。

  • いつまでも心配しなければならないのが煩わしい

→自分のことばかり気にして生きるのが苦痛なので子どもを気にかけているくらいが個人的に健全。因みにこの問題は本題の書籍で取り上げられていた。

  • 子どもの習い事やお弁当

→あまり真面目にやる気がない(ベビーシッター・家事代行頻用すると思う)。実母は頑張っていたけれど、自分としてはそんなに頑張らなくて良かったと思うし自分のことを大切にして欲しいと思っていたので、私自身はそうすると思う。お弁当手作りは親の愛情ではない。

  • キラキラコーティング

→本書でも扱われていた。確かにある。それに乗せられて作るのは自分も伴侶も子どもも不幸になる可能性があるとは思う。

 

パートナー

全体的にわかるけど、そもそも元々情緒的な繋がりが希薄(仲が悪いとかではない)なので落ち着くべきところに落ち着いたと思う。元から子をもつことを前提にしたパートナーシップなのでそうでないなら結婚していない。子どもがいなければずっと仲が良いと思ったら大間違いだ!(これは我が家の話です)

  • 幼い子に金や手間暇かけていい記憶になるとは限らない

→世の中良い記憶や経験だけで構成されていないのでそれ自体は別に問題ではないのでは

  • 女の子だと旦那をとられる

→エディプスコンプレックスだ!(進研ゼミで見た!)

  • 子育ての失敗、離婚問題

→難しい話だけど、そもそも「育った成果物」たる子どもという考え方がまず失敗の原因のような気もする。離婚はともかく別居は子持ちでもかなり有効な解決策になるし、「子どものため」は結局自分のためにならないばかりか子どもに有害なので理由にはならない。

 

というわけで、現状では私の中では大きな悩みの種にはならなかったなという感じです。強いて予想外があったとしたら、「母親になったことへの満足感」とは裏腹に「父親のパートナーになったことの不全感」はあります。ただし、「産まなかったら(母親でなかったら)どうであったか」を考えた場合、私はそちらを選ぶことはないだろうという見解です。

 

子どもを持つという能動的選択への責任

https://twitter.com/5axi4w57hyvgr2b/status/1612347655149211648?s=46&t=-B6N6G6_Kj8LyExl-wBt2A

 

私は子どもを持つことは受動的動機ではやっていけないと感じています。他人がどうかはわかりませんが、少なくとも結婚という契約に際して交わした条件を満たさなかった好例が上記かなと思います。

ここまで考えなしの人間が実在するのかはともかく、こうしたパートナーを持ってしまう場合にはやはり子を成さない方が母親(になる可能性のある人)としては健全なのだろうと思います。「母親になりたくない」は、受け入れられて然るべき感情であることが上記のツイートへの反応から伺えました。子をもつもたないに関わらず、パートナーの誠実さを欠いてはいけないという事例のように見えますね。

 

 

父親になって後悔、してますか?

さて、上記のツイートとも絡みますが、「父親になって後悔してる」というテーマはあり得るだろうかと本書を読んでいてずっと考えていました。

確かに母親は神格化されていました。現在もその名残があり、神ではなくなったものの神棚に祀りあげられて「祈ったんだから賽銭程度でしゃかりきに無制限責任と共にはたらきな」という概念をぶつけられているのかもと思うこともままあります。父親が楽だとか、縛りがないとか比較したいわけではありませんが、母親は「最初から」母親のなり方を知っていて、父親はそうではないように扱われることがしばしばあるのを目にしてきました。

 

私は、Twitterで妊娠期間中からアカウントを作成して、100名前後の方(アクティブユーザーはもっと少ないですが)と経過を共にしています。そんな中で、育児の環境や自身の精神疾患からくる子どもへの世話の気持ちの欠如、精神疾患かどうかに関わらず母親になったことを失敗したという感覚を持つ人、キャリアの停滞と喪失を嘆く人、愛情を持てたことに感嘆する人、さまざまな人を目にしてきました。私自身もその中のひとりです。私はたまたま望外に(想像していたよりずっと深く)愛情を持ちましたし、自分が思っていたよりずっと育児に関する知識を取り入れていたことに気がつきました。それは「母親だから」妊娠期間から着々と与えられてきたものもありますし、自分から求めて得たものもあります。特にお産周りは、男性の場合はほんとうに自ら率先して求めなければ得られない知識ばかりだと感じました。

 

そう、「父親になりきれないこと」は大して断罪されないけれど、そもそも「父親になること」へのイメージもまた曖昧で、「父親のなり方」が社会において基本的に明示されていない印象があります。それは女性の母親役割と表裏一体ですが、母親役割を後悔するのと同様に、父親役割は「持ちたいと表明すること」が難しく、それゆえに後悔という感情に至るほどそもそも育児に携われないという背景があるようにも思えます。

希望の持ち方がわからないというのもそれはそれで痛切な問題であると感じますし、母親役割の苦痛と別個で、しかし同時に解決すべく動いても良いかもしれないと感じています。本書自身が示したのは母親についてだけで父親はほとんど家父長制ないし新自由主義的価値観の体現者としてしか登場しないのですが、父親のもつ問題ーー「父親になれないこと」の問題について、当事者から取り沙汰されても良いような、という思いを持ちました。

 

 

本書の感想からはかなり外れた内容になりましたが、「本を読んで生まれる感想」というものは本来このように自由なものであるようにも感じます。

 

本書は「母親になって大して後悔していない」私が、母親になって後悔している人たちを理解する一助にきっとなってくれたと信じたいです。なので私自身の慰撫ではなくて、「私の知り得ない苦痛を持つ人に知らずして苦痛を押し付けない」ための前情報のようなものかもしれません。どんな苦痛にしろ、「知らなかったものを知る」という営為に損も道徳的悪もあまり存在しないように思われるので。

 

良い本でした。他の人が読んでみて「良い」と思えるかどうかは保証しかねますが、私は今この時期に読んで良かったと思っています。

 

よく眠る我が子の隣から書いた、しまりのない文章でした。あとで誤字脱字ちゃんとチェックした方がいいと思います。

100冊読破7周目(41-50)

1.慟哭のハイチ(佐藤文則―現代史と庶民の生活)

2007年に出版されているのでその後のハイチ沖の地震のことはもちろん触れられていません。この前読んだ『ルワンダ中央銀行総裁日記』の中でルワンダが政治の腐敗のない国として触れられていたことを思うと、ハイチは腐敗のある国として(自分の中で)有名でした。ハイチの政治動乱とその中で生きる市井のひとびとの生活と街の様子、政治への期待と政権交代、動乱の様子が克明に描かれています。

 

2.UNBUILT(磯崎新

この本を読んだ直後に磯崎氏が亡くなられたことを知りました。

建築家として非常に著名な磯崎氏が、「採用されなかった建築計画」や「成立しない都市計画(理論)」などについて語る本です。他の人の評論の部分と対談の両方あるんですが、ぶっちゃけ最初の方の評論が意味不明です(私が悪いのかもしれない)。

 

3.脳(ブレイン)バンク(加藤忠文 ブレインバンク委員会)

面白かったです。新書でこのボリュームは買うしかない(?)

死後脳研究のための献脳とその蓄積に関する話で、脳の収集にまつわる苦労話(???)から最新の脳研究(精神疾患の生物学的側面の研究)についてわかりやすく書かれています。箇所によっては知識が必要ですが、精神疾患に興味のある医療従事者や一般の人でも(生物学・医学の基礎的知識があればなおのこと)楽しく読めると思います。あと「自殺」に限った生物学的解析ってできるんだなってちょっと驚きました(無知)。

 

4.洋酒を読む本(おおぜきあきら)

完全に同人誌でした。30年以上前の本なので今はまた状況も変わっていることと思いますが、「シーンに応じたお酒」ってありますよね。とはいえ「社交に使う」お酒は苦手だな… 特にウィスキーとかは。来歴が書いてあるのは面白かったです。

 

5.ノーブラZINE(かみのけモツレク

 

ブクログに登録がないタイプの読書(?)をしました。本ではありませんしその辺の本屋にも図書館にもないという点において希少さは何にも勝るような気がします。

作者はかみのけモツレク先輩@decoi0222です。

twitter.com

 余談ですが私の人生の中でこの先輩の手書き字は1、2を争うツボフォントです。

タイトルは今は一貫して『ノーブラZINE』です。以前から発刊(?)されていることは存じ上げていたのですが、私自身特に下着に強い不自由を感じていなかったためか手に取るまでに長く時間がかかりました。そして特に感じるところのなかった私にも下着について悩むときがきました、産褥期でした。

産前のサイズも確かに妊娠前に較べると変わるのですが、それはまあ大体想定の範囲内くらいです。問題は産後です。まず乳腺が肥大して痛みを伴うのでそもそも下着をつけていられる状態ではなく、しかも飲んでいる方と反対側から垂れてくる(下着でこれを押さえると痛い)のをタオルに吸わせたら人間の母乳ってかなり生臭いので、まともに起き上がれる体調でもないうえに寝不足で俯いての世話をひっきりなしにしている自分の周りに生乾きの雑巾みたいな臭いのタオルが常にあって地獄でした。そこまで酷いのはほんの1-2ヶ月なんですが、体感の長いこと。そしてそんな頃には案外無縁だった乳腺炎に先月なってしまって、外来に駆け込んで処置後に言われたのは、「授乳間隔を空けすぎないで下さい(←わかる)」「水分をしっかり摂って下さい(←わかる)」「サポート力のあるブラをしてください(←わかる…わかるがどうすれば)」ということでした。かくして私もこの1年半ほど、下着どうすんだこれ?みたいなことを考え続けたのでこのペーパーを手に取る権利があるように思われました。権利ってなんだ。でもなんか、興味本位では手に取りにくい感じってありませんか?ありませんか。

全然ペーパーの中身についての感想になっていませんが、このペーパー、読んでそれについてどうこう(もさることながら)するより自分が持っていた課題についても考える方が面白いように思えたのです。多分そうやって楽しむ人がいるからこそナンバーが重ねられてきたのだと思います。先輩はマジで昔から文才があって、淡々としている日々の中に入っているセルフツッコミの模様や出来事の叙述・解釈が実に面白いです。ブログを書かれているので、そちらで興味を持たれたらお買い求めいただくとよいかもしれません。

余談ですがなんとなく郵送の手間やなんやとそういうことを考えてしまうと自分で足を運ぶ方が良いような気がして、実店舗に買い求めに伺いました(肥後橋駅近く)。ベビーカーでオラオラと乗り込んで5秒で発見して2秒で会計して帰りました。以上です。

 

6.アウシュヴィッツの図書係(アントニオ・G・イトゥルベ)

ホロコーストにまつわる子どもの手記といえば圧倒的に有名な『アンネの日記』がありますが、こちらは実話を元にした物語。のちに『塗られた壁』なる作品の作者の妻となるひとが主人公です。たった8冊、見つかれば処刑の「図書館」についての話です。

収容所での人びとの役割、振る舞いなど克明に描かれています。『アンネの日記』が収容されるまでのひとの物語だとしたら、こちらは収容所で生き延びる物語なので、ある種双璧ともいえるのではないでしょうか。寡聞にして私はこの本を知らなかったのですが、実話をもとにしたフィクションの中では相当に精度の高い部類かと思います。100冊の中でもお勧めできる物語です。

 

そういえば、小説のスタイルをとった書物久々に読んだ気がする。と思ったけど直近には『百年の孤独』がありました。それ以前はもうわからないな…あ『チャンドス卿の手紙』でした。

 

7.別冊情況 カント没後200年特集(2004年)

復刻版情況第2回配本(全5冊セット): 第5~8巻・別冊1 | 情況編集委員会 |本 | 通販 | Amazon

絶版になってしまっているのでリンクが張れずこのようなことになってしまいました。カントの形而上学倫理学・公共哲学について、寄稿による3部構成となっています。

形而上学→マジでわからん、倫理学→やはり人間の理性信じられすぎでは、公共哲学→コスモポリタニズムの立場だったのを全然知らなかった、『永遠平和のために』の概説があってよかったです。

 

8.「史記」の人物学(守屋洋

群雄割拠の時代に各々の国の王に謁見して策を奏上するという仕組み、面白いですよね。そうして名を揚げた人びとの一面をコミカルに描いています。キャラクターが立っているといえばまあそうなのですが、あまり学べることがなかったのが無念です。

 

9.モードの迷宮(鷲田清一

若かりし日の鷲田氏の著作。本拠地(?)であるところのメルロ=ポンティロラン・バルトなど用いつつ服飾のコード化について論じています。「脱・性的」を極めた結果その僅かな余白(例えば着物のくるぶし、中世から近代までのクリノリンスカートとコルセットなど)がかえって「性的」コードとして機能してしまい、検閲の目が必要になるーーというくだりは現在もそうであるなあと思います。常にそこはいたちごっこですよね。

 

10.おおきな木(シェル・シルヴァスタイン

原題は”The Giving Tree”だそうです。

私自身が幼少期に気に入っていた絵本でしたが、自分で購入しました。なんだかこう、「無償の母性」感がやはり溢れていてそういう部分でウッとならなくもないですが、それ以上に「木の無力さ」が感じられたのは自分が大人になったからのような気がします。

あと、今まで知らなかったんですが翻訳が村上春樹ですね。

シルヴァスタインの絵本は『ぼくを探しに』も有名なので読んでみたいものです。

 

 

おわりに

今回の10冊は早かった、というか前回10冊の記事を延ばし過ぎていて今回が短かったと言うべきか。ライトな本(絵本や冊子も入れましたしね)が多いのもあるかもしれません。

リハビリをしている間に今年度が終わりそうです。早い。

100冊読破7周目(31-40)

1.墜落遺体 御巣鷹山日航機123便(飯塚訓)

山崎豊子沈まぬ太陽』を読んだことがないのにまた御巣鷹山の航空機事故の手記を読んでしまった(なぜなのか)。本書は、1985年に起きた、(単機で)世界最多の死者数となった航空機事故での身元特定に携わった警察官による手記です。

現場の状況の委細がここまで克明に記憶されているのはなんというか凄まじいの一言に尽きます。あまりに忙しくて、かつ睡眠不足や疲労で記憶がなくなりそうなくらいだけど、後から時系列の仕事の記録や他の人とのやりとりなどで思い出すんだろうか。それとも細部まで忘れないものなんだろうか。

感情面のことも多く描かれているものの、携わった人々の仕事ぶりや実際の状況が詳らかにわかりやすく淡々と記載されている部分は職業柄もあるのかと思います。遺体の判別や分類法、記載法などふつう生きている人間を相手にしている職業とそうでない職業で差があるのも感じました。あとは「人間ひとりとして判定する主体」が心臓のある位置を含む胸部、というのが途中から意外に思えます。確かに航空機事故だと安全ベルト装着するし、下半身離断などは離断遺体としてとりあえず整理されると(他の部分と照合されてのちに一体になることはある)。

勿論混乱を防ぐためには普段の基準による整理がいちばん早くて正確なんだけども、つい「頭(それなりに顔と呼べるもの)があったら一体(ひとり)って数えたくなりそう」と思ったりしました。そういう問題ではないのだけど、なんか超急性期の外傷評価(胸部→腹部→頭部→四肢)みたいですね。

あとこれは自身の職業柄細かいことなのだけども、本文中では当時の呼称なので「看護婦」なのがあとがきでは「看護師」になっているところにささやかな気遣いを感じます。編集に言われるのかもしれませんが。

 

2.最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか(ジェームズ・チャイルズ

良い本だけど訳が読みにくい、そして訳も読みにくいけど訳以上に構成が分かりにくすぎ。ひとつの事件の話をしているうちに類似事例を2-3例引っ張ってくるせいで今なんの話してんの?になりがちでした。内容は普通に良い、というか面白いです。興味深いという意味で。

ガワンデ『あなたはなぜチェックリストを使わないのか?』、ノーマン『誰のためのデザイン?』がヒューマンエラーをシステム面・ハード面から改善する話であったのに対して本書が解説するのは重大事故のメカニズムで、人がどのようにフェイルセーフをすり抜けるのかなど事例ごとに解説します。

原発、自動車、航空機、石油の掘削リグ、スペースシャトル、建築物等で起こったヒューマンエラー(と、それを重大事故に繋げるようなものの仕組み)がわかるので別業界の安全管理が垣間見えて面白いです。医療事故は(比較して)規模が小さいので今回は出てきません。時間的プレッシャー、人間関係や権威の圧力、蛮勇を奮いたがるパーソナリティ(による意図的な規則の無視)、正常性バイアスあたりが人間要素で、システム要素は「そもそも何が起こっているかモニタリングでしか知ることができないほどデカい」というのがありました。原発が最たる例ですね…

安全に動いている間はそもそも何が危険であるのかわからず、ある特定の条件で計器が狂った場合に別の事象を意味してしまうとかどうやったら防げんねん感がありますが、そこで人間要素に還すといつか失敗するのでやっぱりハード面いじるしかないですねという気分になりました。

 

3.大阪アースダイバー(中沢新一

これ5年前くらいに知り合いからいただいた本をようやく読みました。『京都と近代』っていう都市計画メインの本読んだあと、軽い書き口だけどこれ好きなんじゃないですかって言われて。そのあとずっと積読してたんですが、今たまたま大阪にいるので、地名にも地形にも縁があってすごく面白いなと思いながら読みました。

本題の東西-南北軸には個人的にはぴんとこなかったんですが、それぞれの時代と町固有の歴史(町名に至るまで詳細に)について綿密に調べたあとの話なのは優れたところだと思います。東京にこの都市の感覚はない、というのも元々肌で感じていたことなので、そこは納得できました。

元々私は東京の都市圏が好きで、駅名(くらい)ごとにまったく違う文化が醸成されているところとか、絶えず代謝されているところとか(それの功罪はともかく)、そういうのが大阪にはあまりないしつまるところちょっと面白くないと思っていましたが、それは縦の歴史が堆積しているからだなあと本書は教えてくれました。大阪の町は複雑ですが京都ほど有名でも雄弁でもなく、なんとなくごちゃついていて東京のようなエリア区分は少しだけあって、という理解でいたので、これで大阪の街歩きが捗ると良いなと思っています。まああんまり歩ける予定はないんですが。

 

4.子どもが夢中になる絵本の読み聞かせ方(景山聖子)

絵本って馴染みのない文化だったなと思い手に取りました。

主に「家庭での読み聞かせ」というより読み聞かせボランティアや幼稚園教諭、保育士としての活動を想定したものであるようでしたが、家庭人としても得られるエッセンスがありました。

曰く、ツッコミを入れながら読んでもいい(書かれたことだけ読まなくても良い)ことなどがあり、若干嬉しかったです。どうにも文字だけ素直に聞かせるのが苦手で、つい独り言を入れながら読んでしまうので。

これは余談ですが、私は黙読派(かつ、脳内で音読しない派)なので絵本の読み聞かせはあまり得意ではありません。比較的たくさん本を読む人の中にも、絵本の読み聞かせが得意な人とそうでない人がいるだろうなと思わされました。

 

5.絵本の選び方(エイ出版社

絵本、あんまり良いの知らないな…と思い手に取りました。

自分がその昔に読んだ絵本も入っていて、ベストセラーは本当に長年読まれ続けるのだなあと感慨深い気持ちになりました。作者のバックグラウンドがちょこちょこと書かれているのも興味深く読みました。絵本作家って意外にも遅咲きの方が多いというか、まったく別の人生経験から出発されている方がおられるようです。

 

6.人生論ノート 他二編(三木清

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも他の幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者が斃れてもなお幸福である。
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真に詩人でないごとく、単に内面的であるような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うがごとくおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。ー『幸福について』
我々の怒りの多くは気分的である。気分的なものは生理的なものに結びついている。従って怒りを鎮めるには生理的な手段に訴えるのがよい。一般に生理は道徳に深い関係がある。昔の人はそのことをよく知っており、知ってよく実行したが、今ではその智慧は次第に乏しくなっている。生理学のない倫理学は、肉体をもたぬ人間と同様、抽象的である。その生理学は一つの技術としては体操でなければならない。体操は人体の運動に対する正しい判断の支配であり、それによって精神の無秩序も整えられることができる。情念の動くままにまかされようとしている身体に対して適当な体操を心得ていることは情念を支配するに肝要なことである。ー『怒りについて』
現代の教養の欠陥は、教養というものが娯楽の形式において求められることに基いている。専門は「生活」であって、教養は専門とは別のものであり、このものは結局娯楽であると思われているのである。

自身の中学生の時期(だよね?)のことを「哲学者の名前と著作の表題を覚えて、各哲学者はしかじかと言っているといえればひとかどだと思っていた(大意)」みたいなくだりがあってヒェーッとなりました(自分がそうなっていないなどとは微塵も言えないわけで)。哲学をすることそれそのものの意義ではなく哲学書読んでますといえば知らない人にとっては智慧のある者だと思ってもらえる、そういう威を借ることに哲学を使うな(というか使っていたという反省)というのももうなんか第四肋間にアイスピック入れてくる感ありますね。痛いィ!ちなみに左の第四肋間刺すと心臓に綺麗に当たります(心臓は肺に囲まれているので実際に当てるのは結構難しいと思います)。

 

 

7.頭のいい子が育つパパの習慣(清水克彦)

旦那に喧嘩を売るか~と思って読みました(失礼すぎる)。PHP文庫なのでまあこれが限界かとも思いつつ、「母親の」育児にばかり着眼したものが多いのに対して父親の振る舞いに言及したものがあるのは面白いなと思います。けれども、今や父親がステレオタイプな父親役割をするわけではないので、場合に応じて母親がこの役割を果たしたりするだろうなと。柔軟に読めば面白いとは思います。私の書評を好んで読むような方にはあまりお勧めしません。

途中で何箇所か著者が統計の因果を逆に読んでて笑いました。父親が勉強をすることが子どもに効果的らしいので、是非とも統計の初歩を学んでいただきたい(嫌味すぎる)。

 

8.超訳ニーチェの言葉(フリ-ドリヒ・ヴィルヘルム・ニ-チェ ディスカヴァー・トゥエンティワン

本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。最悪の読者とは、略奪を繰り返す兵士のような連中のことだ。つまり彼らは、何かめぼしいものはないかと探す泥棒のような眼で本のあちらこちらを適当に読み散らし、やがて本の中から自分につごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。そして、彼らが盗んだもののみ(彼らがなんとか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。No.182『本を読んでも』ー『さまざまな意見と箴言

読書にかんして「他人の言葉を借りて自分の意見のように扱っていると自分で考える力を失うよ(育たないよ)」みたいなことはニーチェショーペンハウアー三木清モンテーニュあたりが言っていますね(これこそが「他人の言葉を借りる」弊害ではなかろうか???)。

この引用に関しては本書の中の『知について』の章の他のナンバーの話です。この本、ちょっと変わった図書館で借りたので借りた人々の肉筆コメントを読めるのですが、結構読まれているようで良いなあと思いました。それこそ「つごうのいいところのみ抜き出して」いることになるのかもしれないけども。

先に読んだ三木清の興味がショーペンハウアーから入りニーチェに向かったと知ってさもありなんと思いつつ読んだのでした。

 

 

9.ママと赤ちゃんのぐっすり本 「夜泣き・寝かしつけ・早朝起き」解決ガイド(愛波文)

我が子は夜泣きをあまりしなかったのですが(ほんの数回くらい?)より良い赤ちゃんの睡眠を求めて読みました。なかなか本の通りとはいきませんが、昼寝の回数や時間などおおよそこのくらいで良いかなと思えたのは大きかったです。

 

 

10.ルワンダ中央銀行総裁日記(服部正也)

面白かったです。これよくタイトル見かけるので一度読んでみたかったのですが(n冊ある心の積読のうちの1冊)、ここ1年ほどで再ブレイクしたきっかけは出版社の新入社員によるオススメだったそうで。確実にこの100冊の中のオススメ10選に入れられると思います。

ところで他の人の感想探してたら「まるで異世界召喚俺TSUEEE」って書いてあって笑いました。確かにそうだよな、いやそうなんだけど中央銀行総裁が自分で帳簿つけるところから始めるのマジで初期装備ゼロで能力値カンストのキャラクターっぽさがあります。「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響 - Togetter

 

日銀勤務歴20年、その他東南アジアなどで中央銀行業務援助の歴のある著者が、1960年代半ばIMFの要請でアフリカ内でも最貧困国であったルワンダ中央銀行総裁として財政再建をした際の手記。金融や経済の詳説がきちんとなされるので、その方面に暗い私には少し大変でしたが、著者による概説がなされているのである程度の方針(なんのためにやるのか/やっていたのか、それによりどんな効果がある/あったのかなど)がわかります。なので安心して読んでよいと思います。著者の一貫した姿勢として「ルワンダ国民による財政」に向けた援助に心を砕いたことが記されており、単なる技術指導ではなく、現地のニーズの調査のため大統領から市井のひとまで非常に広く人と話したとあります。そこには、建国当初から外国人顧問や外国人技術援助、外国人商人による寡占がなされ、本来ルワンダ国民のために国民自身の手で行われるべきことが行われていなかったという背景がありました。著者が行ったことはルワンダ国民(大臣レベルから民間人まで)が「外国人に唯々諾々と従うだけでなく、自分にもできる」という自信を持つことへの支援だったともいえます。同時に国内外への交渉術も長けており、様々なステークホルダーを懐柔しつつ問題をクリアする様はまさに「異世界転生」かも。

あと「外国人商人や外国人顧問はのさばっていたが、政治的腐敗はなかった」と簡単に書かれているところが他の経済的に困難な国と事情が異なる点だったかもなあと思います。事実、大統領のカイバンダ氏が国民の福祉を至上命題としていたことで援助の方針が決まっているので、こうでなければ違う結果になっていたのであろうなあとも思います。現地民の能力(教育の未熟ではなく生得的なもの)を無意識に低く見積もるな、金融政策のための政治ではなく政治のための金融政策をせよ、等々カッコイイ命題がいくつも出てきます。ある種のフィールドワーク的な部分を、ご本人は無自覚にやってこられたように思われます。

 

同じ熱量を感じたものとして、前野ウルド浩太郎著『バッタを倒しにアフリカへ』、カルロス・マグダレナ著『植物たちの救世主』などがあります。前者は新書やKindleも出ている結構有名な本なのでお手にとっていただきやすいかと思います。

 

おわりに

今回も読むのに時間がかかりましたがそれ以上に書くのに時間がかかりました。面倒くさがり過ぎた。

一ヶ月半ほどかけて読んだようです、これらの本を読んでいるときは意外と息子もベビーカーでよく眠ってくれたので、そんな時間を利用して読んでいました。今はもう寝てくれません(悲哀)。

 

軽めの本ばかりになってしまっていますが、ちょっとした図書館の都合です。また放送大の本など充実させていきたいものです。

何かがズレている育児日記

それ自体をタイトルにする意味ある?(もう少しまともなタイトル書けよ)

 

 

産後の話(仕事など)

産後7ヶ月くらいから以前の仕事(非常勤なので週2日しかない)をやろうとしていたら、なんと3ヶ月の時点で声がかかった。

大学の補助業務なので肉体的な負荷は(看護職一般に較べれば)少ない方で、お陰で産休といわれる期間まで働けていたのだけど、産後も行くことになったのは嬉しかった。不安も大きかったが、トライして良かったと思う。

 

保育園

伴侶の職場の託児所を利用した。そうでなければ認可外とかになるのだろう。私の実家や義実家はそう近くにはない(遠くにもないが)のと、職場がそれなりの遠方であるためそもそも7時過ぎには出勤するというのに保育園以外を頼るのは現実的ではない。

 

生後3ヶ月で試し保育から週1で全日保育をはじめた。感染症や疲れ(によるSIDSなど)が不安で仕方なかったものの、それまで家で育児するだけだった生活に較べるとメンタル面にもその他の社会生活としてもかなり良かった。

園での散歩やイベントなどで生活の様子が伝わるのは非常に面白い。普段は家の様子をすべて自分が把握しているので、早くも親の知らない一面を獲得してくれるのは面白いものだ。子どもというのは産まれた瞬間に他者になるので、是非とも他者として人生を謳歌してほしい(?)

 

私の仕事については、場合により一部リモートなどができれば今後フルタイムになるかもしれないが、まだ皮算用である。

 

今までの育児以外の進捗

ほとんどない。というかできない。

資格勉強→診療情報管理士のweb講座を少し進めた。

研究関連→論文すら読めない(読んでないだけと言われればそう)。修論の手直し投稿とか別の研究とか。さる事情から、時間をかけても良さそうと判断したのでだらだらやる気でいる。

月1の研究会に顔を出すくらいが精一杯。

読書→あまり身にならない趣味程度なら読める。

 

産後の話② 身体面

他の人の話など聞くにつけ思うのは、自分は結構大変な部類の出産をしたということだ。

初産で約3800g、児頭37cm、出血量1000ml以上(Hbは7まで落ちた)。会陰裂傷Ⅲ度。

まあこういうケースはレアというほどのレアではないのだろうけど、せめてもう1日でもいいから入院させて欲しかった。一般的な帝王切開の経過が5泊6日入院なので。確かに帰れなくはないが、それは手厚い家族(実家、自分の家庭両方)によるケアと子どもの適切なハンドリングがあってのものであって、満身創痍のまま不眠不休の育児をほとんどひとりで(ないし伴侶への教育的関わりを目的としたふたりで)行うことを意味しない。産後2ヶ月ほどは自分がとんでもない不調であることを認識することもできないほど不調だった。

痛みと寝不足がなければ今はいい思い出(?)と言えなくもないが、当時一番自分の役に立ってくれたのは夫でも実母でもなくTwitterである。持つべきものはTwitter(悲しいことだが)。イー□ン・マスクに魂を売り渡している暇はないのである。

 

 

役割獲得について

母親業にはかなり慣れたと思う。というか役割獲得そのものには大して苦労していない。

そもそもが人のケアをする仕事だし、夜間の勤務をしてきたし、言葉の通じない・こちらの指示通りに動かない人間の相手をするのは慣れている。

どちらかといえば慣れていないのは同居人を父親にするための業務だったのではないかなと思う。いやそれも、素人を看護師にするための業務に従事していることを思えば大差はないのではないか……と思うけれど、明確なカリキュラムや目標のある大学教育と家庭生活はまったくの別物である。そりゃそうだ。というか、そもそも共同でやる業務をかたや指示側かたや指示受け側になるのも妙なものである。そうしたくてしているわけではなくて、そうしなければ業務が進まないためにそうなったのだが。なお現在はこのねじれは解消されつつある。

 

 

 

育児をするメリット

閑話休題、本題に入る。

 

メリットデメリットで育児を考量するのは誤りであるという指摘を受けるかもしれないが、育児は仕事のようなもので、転職をするメリットデメリットを考えない人間はあまりいないだろう。育児に参画する(=転職する)ときも同じようなもので、デメリットは目につきやすいしSNSで喧伝されるがメリットは言語化するのが難しい。

 

なお、子どもの笑顔がかわいいとかそういうありがちなものは勘案しないものとする。

あとは、次世代の再生産とかいうマクロ視点のものも除外する。あくまで主観のもの、そして身の回りの虫の目視点について考えたい。

 

制約を楽しむ

街を自由に歩くことはできなくなった。いきなりデメリットの話をするなと言ってはいけない

 

ベビーカーを押しているから、物理的制約がある。赤子がいつ泣くかわからないということから社会的な環境の制約もあるし、何より夜中に出歩くことなどできないので時間的制約もある。

が、好きなことが何一つできないかと言われるとそういうわけでもない。

 

そもそも、何かしら生き物を連れて歩くのは楽しいものである(語弊がある)。

犬や猫と比較するのは犬猫に失礼な話かも知れないが、自分と違う目でものを見ているなにかとコミュニケーションを取りながら散歩をするのは悪くないシチュエーションだと思う。言語的なコミュニケーションは難しいし、非言語であっても通じているかどうかはかなり怪しいが、そこもある種あまり重要ではないかもしれない。

 

子連れで歩くと都市計画の巧拙がよくわかる。何を対象とし何を排斥し何を包摂するのに成功または失敗しているのかがわかる。特に何をするでもなく滞留するのに適した空間が少ないことに気づくし、そうした空間があるときには何に恵まれているのかもわかる。

善悪の評価はするつもりはないが、都市のデザインは自分の体感として誰でも感想をもつことができる。(6-7年くらい前にこのような話をしたことがあるのをふと思い出した)。属性によって持つ感想がこうも瞬く間に一変するのは、大きな病いや障害を得たときか、育児の開始が代表的だと思う。

 

属性を楽しむ

これももしかすると私の特殊技能(?)なのかもしれないが、母親という役を急に被せられた感じで、周りは「大変な思いをしているお母さん」という扱いをしてくれるのでなにかと(例えば自分のアイデンティティなどと)まじめに向き合わなくて良くなる。

 

普通は逆のことで悩むのだろうが、私はシンプルなことが好きなので、看護職になって周囲から被せられた勝手なイメージと内実のズレに苦しみながらもどこか遊んでいた節がある。仕事をしているだけで社会には居場所があり立派なものとして(少なくとも仕事をしていないよりはかなり簡単に)社会的な所属の欲求を満たすことができる。育児もこれと同様で、逃れることのできない仕事であるのと同時に、逃れることのできない仕事に従事している(≒エッセンシャルワーカーのような)と見做してもらえる。看護師は立派な(その昔は3Kという評価だったが稼得が手堅いことに変わりはない)仕事だとか、母親は立派な仕事だとか、まあそういうものだ。ただ生きて悩むよりも適度に手を忙しくしておく方が脳の健康に良い(と思う)。

別に育児も仕事も楽ではないが、とはいえ何もしなかったとしてもそれ自体が苦痛なのである。何に時間を費やすべきか悩んだら、育児はかなり有意義なので、そこに身を投ずる覚悟があるならば悪くない選択だと思う。

 

自分は何者なのかとか、社会にどう関わるべきかとか、そういうふわふわしたことに悩まなくて良くなる。そこで悩まなくて良いということは、悩むための力を別のところに割くことができる。「何も悩まなくて良い」わけではないところがミソだ。

これに関しては結婚のときにも同じことを思った。結婚すると、もう恋愛のことで悩まなくて良いのである。世の中には純粋に恋愛的なものへの欲求から不倫をする人もいるが、進んで再度悩みたいなどというのは私からしてみれば不思議なものである。

 

 

人の目を楽しむ

これは性格の悪い話かも知れないが、社会的に少し弱い属性を得ると、その対象に向ける態度や実際の援助が適切かどうかがはっきりとわかる。こんな目で道すがら人を見る機会はあまりない。

 

今のところ私は育児中に大して嫌な思いをしたことがないのもこれに影響しているかもしれないが、直接危害を加えられない限りは多少の意地悪があってもおかしくはないと思っている。子連れだろうがそうでなかろうが世の中には意地悪な人間がいるものだからだ。

反対に、善意をもつ人間も通常はあまり見ることができなくとも、こちらが明らかに弱い属性だとはっきり見てとることができるようになる。自然と、ひと言二言とやりとりが生まれる。どのような見た目の人がどんなアクションないしリアクションをしてくるか常に目配せをしていると、育児中というのはそんな目で短時間に人の注意を評価できるだけの反応を道ゆく人から引き出せるものなのかと感心する。

もちろん腹が立つこともあれば感謝することもある(ありがたいことに今のところ圧倒的に後者の方が多い)。

 

 

メリットは数字にも文字にもならない

デメリットは数字にも文字にもなるのである。生涯所得の減少、キャリアの遅延、マクロでいえば男女格差、育児支援の所得制限などなど。

文字にすれば、育児をする人間への社会の冷たい眼差しや怨嗟の声、伴侶への愚痴、行き場のない育児の苦痛の表明とそれに対するバッシング。

 

メリットは大してない。大きなメリットはないが、メリットにもデメリットにもなりうるのが変化そのもので、その変化は育児ほどポジティブなエネルギーを持ったものは他にないような気がする。結婚などもそれに該当するだろうか。

 

私は産前、育児とはもっと苦行の連続であると思っていた。否定はしないし、仕事に比べて目に見えた評価もないし直接の成果物もないので(目の前の人間が自分の仕事の成果物とはあまり言いたくない)、苦行でなくはないのかもしれない。

つまり私は苦行を進んで行う修行僧のような楽しみを得てしまっている可能性があるが、そもそも修行僧は苦行を楽しみのために行っているわけではないので、つまりこれはメリットを享受しているということになる。少なくともデメリットではない。

 

 

 

多分人はこのことをあまり「育児のメリット」とは呼ばないのだと思う。むしろデメリットの類いに属すると言う人の方が多いような気がする。

が、私にとってはこういう思考のネタをわざわざ捻り出さなくても自動で提供してくれるコンテンツが育児なのであり、常に時間を奪ってくるアマプラのようなものなのである。アマプラ契約したことないけど。

 

 

 

特に脈絡はないし本筋などというものは存在しない(育児日記なので当然といえばそう)のでこれで筆を置く。育児と仕事のバランスなど、もう少しまともに書けることが増えたら書くかもしれない。書かないかもしれない。