毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破7周目(31-40)

1.墜落遺体 御巣鷹山日航機123便(飯塚訓)

山崎豊子沈まぬ太陽』を読んだことがないのにまた御巣鷹山の航空機事故の手記を読んでしまった(なぜなのか)。本書は、1985年に起きた、(単機で)世界最多の死者数となった航空機事故での身元特定に携わった警察官による手記です。

現場の状況の委細がここまで克明に記憶されているのはなんというか凄まじいの一言に尽きます。あまりに忙しくて、かつ睡眠不足や疲労で記憶がなくなりそうなくらいだけど、後から時系列の仕事の記録や他の人とのやりとりなどで思い出すんだろうか。それとも細部まで忘れないものなんだろうか。

感情面のことも多く描かれているものの、携わった人々の仕事ぶりや実際の状況が詳らかにわかりやすく淡々と記載されている部分は職業柄もあるのかと思います。遺体の判別や分類法、記載法などふつう生きている人間を相手にしている職業とそうでない職業で差があるのも感じました。あとは「人間ひとりとして判定する主体」が心臓のある位置を含む胸部、というのが途中から意外に思えます。確かに航空機事故だと安全ベルト装着するし、下半身離断などは離断遺体としてとりあえず整理されると(他の部分と照合されてのちに一体になることはある)。

勿論混乱を防ぐためには普段の基準による整理がいちばん早くて正確なんだけども、つい「頭(それなりに顔と呼べるもの)があったら一体(ひとり)って数えたくなりそう」と思ったりしました。そういう問題ではないのだけど、なんか超急性期の外傷評価(胸部→腹部→頭部→四肢)みたいですね。

あとこれは自身の職業柄細かいことなのだけども、本文中では当時の呼称なので「看護婦」なのがあとがきでは「看護師」になっているところにささやかな気遣いを感じます。編集に言われるのかもしれませんが。

 

2.最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか(ジェームズ・チャイルズ

良い本だけど訳が読みにくい、そして訳も読みにくいけど訳以上に構成が分かりにくすぎ。ひとつの事件の話をしているうちに類似事例を2-3例引っ張ってくるせいで今なんの話してんの?になりがちでした。内容は普通に良い、というか面白いです。興味深いという意味で。

ガワンデ『あなたはなぜチェックリストを使わないのか?』、ノーマン『誰のためのデザイン?』がヒューマンエラーをシステム面・ハード面から改善する話であったのに対して本書が解説するのは重大事故のメカニズムで、人がどのようにフェイルセーフをすり抜けるのかなど事例ごとに解説します。

原発、自動車、航空機、石油の掘削リグ、スペースシャトル、建築物等で起こったヒューマンエラー(と、それを重大事故に繋げるようなものの仕組み)がわかるので別業界の安全管理が垣間見えて面白いです。医療事故は(比較して)規模が小さいので今回は出てきません。時間的プレッシャー、人間関係や権威の圧力、蛮勇を奮いたがるパーソナリティ(による意図的な規則の無視)、正常性バイアスあたりが人間要素で、システム要素は「そもそも何が起こっているかモニタリングでしか知ることができないほどデカい」というのがありました。原発が最たる例ですね…

安全に動いている間はそもそも何が危険であるのかわからず、ある特定の条件で計器が狂った場合に別の事象を意味してしまうとかどうやったら防げんねん感がありますが、そこで人間要素に還すといつか失敗するのでやっぱりハード面いじるしかないですねという気分になりました。

 

3.大阪アースダイバー(中沢新一

これ5年前くらいに知り合いからいただいた本をようやく読みました。『京都と近代』っていう都市計画メインの本読んだあと、軽い書き口だけどこれ好きなんじゃないですかって言われて。そのあとずっと積読してたんですが、今たまたま大阪にいるので、地名にも地形にも縁があってすごく面白いなと思いながら読みました。

本題の東西-南北軸には個人的にはぴんとこなかったんですが、それぞれの時代と町固有の歴史(町名に至るまで詳細に)について綿密に調べたあとの話なのは優れたところだと思います。東京にこの都市の感覚はない、というのも元々肌で感じていたことなので、そこは納得できました。

元々私は東京の都市圏が好きで、駅名(くらい)ごとにまったく違う文化が醸成されているところとか、絶えず代謝されているところとか(それの功罪はともかく)、そういうのが大阪にはあまりないしつまるところちょっと面白くないと思っていましたが、それは縦の歴史が堆積しているからだなあと本書は教えてくれました。大阪の町は複雑ですが京都ほど有名でも雄弁でもなく、なんとなくごちゃついていて東京のようなエリア区分は少しだけあって、という理解でいたので、これで大阪の街歩きが捗ると良いなと思っています。まああんまり歩ける予定はないんですが。

 

4.子どもが夢中になる絵本の読み聞かせ方(景山聖子)

絵本って馴染みのない文化だったなと思い手に取りました。

主に「家庭での読み聞かせ」というより読み聞かせボランティアや幼稚園教諭、保育士としての活動を想定したものであるようでしたが、家庭人としても得られるエッセンスがありました。

曰く、ツッコミを入れながら読んでもいい(書かれたことだけ読まなくても良い)ことなどがあり、若干嬉しかったです。どうにも文字だけ素直に聞かせるのが苦手で、つい独り言を入れながら読んでしまうので。

これは余談ですが、私は黙読派(かつ、脳内で音読しない派)なので絵本の読み聞かせはあまり得意ではありません。比較的たくさん本を読む人の中にも、絵本の読み聞かせが得意な人とそうでない人がいるだろうなと思わされました。

 

5.絵本の選び方(エイ出版社

絵本、あんまり良いの知らないな…と思い手に取りました。

自分がその昔に読んだ絵本も入っていて、ベストセラーは本当に長年読まれ続けるのだなあと感慨深い気持ちになりました。作者のバックグラウンドがちょこちょこと書かれているのも興味深く読みました。絵本作家って意外にも遅咲きの方が多いというか、まったく別の人生経験から出発されている方がおられるようです。

 

6.人生論ノート 他二編(三木清

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも他の幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者が斃れてもなお幸福である。
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真に詩人でないごとく、単に内面的であるような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うがごとくおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。ー『幸福について』
我々の怒りの多くは気分的である。気分的なものは生理的なものに結びついている。従って怒りを鎮めるには生理的な手段に訴えるのがよい。一般に生理は道徳に深い関係がある。昔の人はそのことをよく知っており、知ってよく実行したが、今ではその智慧は次第に乏しくなっている。生理学のない倫理学は、肉体をもたぬ人間と同様、抽象的である。その生理学は一つの技術としては体操でなければならない。体操は人体の運動に対する正しい判断の支配であり、それによって精神の無秩序も整えられることができる。情念の動くままにまかされようとしている身体に対して適当な体操を心得ていることは情念を支配するに肝要なことである。ー『怒りについて』
現代の教養の欠陥は、教養というものが娯楽の形式において求められることに基いている。専門は「生活」であって、教養は専門とは別のものであり、このものは結局娯楽であると思われているのである。

自身の中学生の時期(だよね?)のことを「哲学者の名前と著作の表題を覚えて、各哲学者はしかじかと言っているといえればひとかどだと思っていた(大意)」みたいなくだりがあってヒェーッとなりました(自分がそうなっていないなどとは微塵も言えないわけで)。哲学をすることそれそのものの意義ではなく哲学書読んでますといえば知らない人にとっては智慧のある者だと思ってもらえる、そういう威を借ることに哲学を使うな(というか使っていたという反省)というのももうなんか第四肋間にアイスピック入れてくる感ありますね。痛いィ!ちなみに左の第四肋間刺すと心臓に綺麗に当たります(心臓は肺に囲まれているので実際に当てるのは結構難しいと思います)。

 

 

7.頭のいい子が育つパパの習慣(清水克彦)

旦那に喧嘩を売るか~と思って読みました(失礼すぎる)。PHP文庫なのでまあこれが限界かとも思いつつ、「母親の」育児にばかり着眼したものが多いのに対して父親の振る舞いに言及したものがあるのは面白いなと思います。けれども、今や父親がステレオタイプな父親役割をするわけではないので、場合に応じて母親がこの役割を果たしたりするだろうなと。柔軟に読めば面白いとは思います。私の書評を好んで読むような方にはあまりお勧めしません。

途中で何箇所か著者が統計の因果を逆に読んでて笑いました。父親が勉強をすることが子どもに効果的らしいので、是非とも統計の初歩を学んでいただきたい(嫌味すぎる)。

 

8.超訳ニーチェの言葉(フリ-ドリヒ・ヴィルヘルム・ニ-チェ ディスカヴァー・トゥエンティワン

本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。最悪の読者とは、略奪を繰り返す兵士のような連中のことだ。つまり彼らは、何かめぼしいものはないかと探す泥棒のような眼で本のあちらこちらを適当に読み散らし、やがて本の中から自分につごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。そして、彼らが盗んだもののみ(彼らがなんとか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。No.182『本を読んでも』ー『さまざまな意見と箴言

読書にかんして「他人の言葉を借りて自分の意見のように扱っていると自分で考える力を失うよ(育たないよ)」みたいなことはニーチェショーペンハウアー三木清モンテーニュあたりが言っていますね(これこそが「他人の言葉を借りる」弊害ではなかろうか???)。

この引用に関しては本書の中の『知について』の章の他のナンバーの話です。この本、ちょっと変わった図書館で借りたので借りた人々の肉筆コメントを読めるのですが、結構読まれているようで良いなあと思いました。それこそ「つごうのいいところのみ抜き出して」いることになるのかもしれないけども。

先に読んだ三木清の興味がショーペンハウアーから入りニーチェに向かったと知ってさもありなんと思いつつ読んだのでした。

 

 

9.ママと赤ちゃんのぐっすり本 「夜泣き・寝かしつけ・早朝起き」解決ガイド(愛波文)

我が子は夜泣きをあまりしなかったのですが(ほんの数回くらい?)より良い赤ちゃんの睡眠を求めて読みました。なかなか本の通りとはいきませんが、昼寝の回数や時間などおおよそこのくらいで良いかなと思えたのは大きかったです。

 

 

10.ルワンダ中央銀行総裁日記(服部正也)

面白かったです。これよくタイトル見かけるので一度読んでみたかったのですが(n冊ある心の積読のうちの1冊)、ここ1年ほどで再ブレイクしたきっかけは出版社の新入社員によるオススメだったそうで。確実にこの100冊の中のオススメ10選に入れられると思います。

ところで他の人の感想探してたら「まるで異世界召喚俺TSUEEE」って書いてあって笑いました。確かにそうだよな、いやそうなんだけど中央銀行総裁が自分で帳簿つけるところから始めるのマジで初期装備ゼロで能力値カンストのキャラクターっぽさがあります。「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響 - Togetter

 

日銀勤務歴20年、その他東南アジアなどで中央銀行業務援助の歴のある著者が、1960年代半ばIMFの要請でアフリカ内でも最貧困国であったルワンダ中央銀行総裁として財政再建をした際の手記。金融や経済の詳説がきちんとなされるので、その方面に暗い私には少し大変でしたが、著者による概説がなされているのである程度の方針(なんのためにやるのか/やっていたのか、それによりどんな効果がある/あったのかなど)がわかります。なので安心して読んでよいと思います。著者の一貫した姿勢として「ルワンダ国民による財政」に向けた援助に心を砕いたことが記されており、単なる技術指導ではなく、現地のニーズの調査のため大統領から市井のひとまで非常に広く人と話したとあります。そこには、建国当初から外国人顧問や外国人技術援助、外国人商人による寡占がなされ、本来ルワンダ国民のために国民自身の手で行われるべきことが行われていなかったという背景がありました。著者が行ったことはルワンダ国民(大臣レベルから民間人まで)が「外国人に唯々諾々と従うだけでなく、自分にもできる」という自信を持つことへの支援だったともいえます。同時に国内外への交渉術も長けており、様々なステークホルダーを懐柔しつつ問題をクリアする様はまさに「異世界転生」かも。

あと「外国人商人や外国人顧問はのさばっていたが、政治的腐敗はなかった」と簡単に書かれているところが他の経済的に困難な国と事情が異なる点だったかもなあと思います。事実、大統領のカイバンダ氏が国民の福祉を至上命題としていたことで援助の方針が決まっているので、こうでなければ違う結果になっていたのであろうなあとも思います。現地民の能力(教育の未熟ではなく生得的なもの)を無意識に低く見積もるな、金融政策のための政治ではなく政治のための金融政策をせよ、等々カッコイイ命題がいくつも出てきます。ある種のフィールドワーク的な部分を、ご本人は無自覚にやってこられたように思われます。

 

同じ熱量を感じたものとして、前野ウルド浩太郎著『バッタを倒しにアフリカへ』、カルロス・マグダレナ著『植物たちの救世主』などがあります。前者は新書やKindleも出ている結構有名な本なのでお手にとっていただきやすいかと思います。

 

おわりに

今回も読むのに時間がかかりましたがそれ以上に書くのに時間がかかりました。面倒くさがり過ぎた。

一ヶ月半ほどかけて読んだようです、これらの本を読んでいるときは意外と息子もベビーカーでよく眠ってくれたので、そんな時間を利用して読んでいました。今はもう寝てくれません(悲哀)。

 

軽めの本ばかりになってしまっていますが、ちょっとした図書館の都合です。また放送大の本など充実させていきたいものです。