毒素感傷文

大学生活とか、読書の感想とかその他とか

もっと気になる人のためのおすすめ10選(501-600の中から)

前回の100冊読破の完了時には「もっと気になる人のための~」を書かなかったようです。おすすめできるものがあまりなかったのか。

というわけで書き方を若干忘れてしまったのですが、10冊をご紹介して参りたいと思います。

 

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200件目の記事・ふつうの日記

書きたいこともないけどそわそわするので日記を書く。

 

 

梅雨は調子が悪い

毎年そうだが今年はいよいよ悪い。IBS過敏性腸症候群)を高校生くらいからもっているのだが年々悪化している。症状のコントロールは比較的容易なのだけど、梅雨やごく一時的な精神的負荷により本当に簡単に悪化する。具体的に言うとゼミの研究会の直前とか。毎回楽しんでいるけどマジで始まるまでお腹痛いです。

精神が落ち着くのでコーヒー飲むんだけどお腹にとっては余計に悪い。

食べても太らないのは多分こういう理由があるんだろうとおもう。嬉しくはない。

 

 

 

レッスンに行った

チェロをする(している)話

このブログに書くことはあまりないけど、実はチェロを弾いている。高校生のときに始めたから、およそ半生近くになるらしい。もっとも高校以降は特定の楽団には所属しておらずレッスンもおざなりなので、年数のわりにまったく弾けない。

ウィルス禍で遠方の先生を訪ねるのは気が引けてなかなかレッスンにも通えないので、腹を括って近所に別の先生を探すことにした。

 

 

先生とのマッチング

最近は便利なもので、ゼヒトモ【Zehitomo】| あなたの毎日に、プロからのアイディアを。というイカしたマッチングサービスがあるらしい。マッチングサービスは恋愛(等)にとどまらず様々な需要をもつ。

これを利用しておおよそ自分の希望や経験を入力すると、面倒を見てくれそうな先生が連絡を下さるという仕組みだ。自分側にもリストアップされる。

web上での動画を通じてのレッスンでも構わなかったが、結局対面での先生に辿り着いた。

 

実はこの先生は、私が知っていた人であった。知っていたといっても、場所とレッスンをしているという事実しか知らない。前の前の前の住居(近場で引越ししすぎ)の近所で、職場の近くだったので、外に貼り出している生徒募集の貼り紙が目に入ったことがあるのだ。しかも自分はそのチラシを持って帰ったこともある。

当時お世話にならなかったのは、まだ自前の楽器を買っていなかったこととか、楽器を始めた時からお世話になっている先生の元へ通っていたからという理由があった。

 

 

音楽界隈の特殊な話: 個人レッスンの文化

与太話の日記なので与太話をする。

 

個人レッスンとは若干特殊な世界だ(わたしは慣れてしまったのであまり何も感じないが)。

ヤ◯ハとかカワ◯のような大手の音楽教室が開催しているわけではない、個人レッスンというものがある。管楽器や打楽器もそうではあるのだが、弦楽器は特に「誰から教わったか」が強く表に出る世界だ(と思う)。たとえプロになっても、幼少期から師事した先生をずらりと書き連ねるのが一種の習わしとなっている。いわば「学校歴」の代替となるような代物でもある。

管楽器や打楽器は吹奏楽のような合奏から楽器を始める人口が多いためか、この傾向はアマチュアだと比較的薄い。とはいえ、「比較的」であって皆無ではない。特にクラシックになればなるほど、おそらくこの色合いは強まるだろう。

 

さて、この個人レッスンにおいて、「先生が変わる」というのはどういうものなのだろう。自分もはっきりとどこかで確認したことはないのだが、「巣立ち」というポジティブなイメージというよりは、「鞍替え」「謀叛」のようなどこか後ろめたいイメージがあった。もちろん、楽団への入団を機会とした変更などはよくあることとは思う。

しかし自分がチェロを始めるきっかけとなった先生はそういったことに非常に寛容な方で、まあ多分大丈夫だろうという予感があった。というわけで、楽器を始めてから15年目にして違う先生に師事することとなった。

 

 

レッスンへ

レッスン自体は今までに受けてきたものと同じで、楽器が弾けるようなそこそこのスペースがある場所(大体は先生のご自宅などである)に赴く。ちょこちょことお話をしながら楽器を用意して、調弦などをして弾ける準備ができたら適当に(?)指の練習などをして、それを聴いてもらうという形だ。

個人的に好きなのは、「先生が別室に準備のために退室しつつ聞くともなしに聞いていて、自分が弾いていたらどこからともなく帰ってきてコメントをくれる」という瞬間なのだが、ありがたいことに今回もその機会があった。

 

「随分長くまともに弾いていないので、フォームなどから見直したい」と言ったらまず楽器の構え方をみてくれた。私は直立(チェロは座って弾くので「直座」?)不動でがっつりと膝で楽器を固定するよう教わってきたが、それだと右手(弓を持つ手)の自由度が下がり十分に弓を使えないので、楽器ごとやや左に構えてしまうというものだった。不安定で非常に不安になるが、チェロは小柄な体格の日本人や女性にはやや大きな楽器であり、なおかつ体格が演奏スタイルに大きく影響するので、合理的な解決策ではある。

 

そういえば、15年前よりわたしは随分「合理的な」ものが好きになったと思う。

 

小指を曲げる話

弓の持ち方も左指の使い方も、なんだかんだで何年経っても課題は多いもので、以前お世話になっていた先生のところでも困るたびに見てもらっていたのだが、今回は左指の小指の第二関節を曲げることになった。何を言っているのかわからないが説明しよう。

弦楽器というものは、当然弦を張ってある(何言ってんだこいつ)。楽器が大きくなればなるほど張力が大きくなり弦は太くなるうえに、張られている高さ(指板から駒までの距離)がでる。つまり強い力で押さえる必要がある。

対して、音階は絶対に場所を変えてくれないので、当然小指などは遠い位置を触ることになる。無理をする癖がついていて、指を伸ばしていたのだが、伸ばしたら伸ばしたで今度は別の問題が出る。移弦(先ほどまで弾いていた弦から違う弦に移るとき)にノイズが入るため、それを嫌って無意識に音が途切れるのだ。これがよろしくない。

自分が好きなのはバッハの無伴奏チェロ組曲というチェロ奏者にとってのバイブルのような一連の曲なのだけども、丁寧な運弓を要求する曲なので、誤魔化しが利かない。折角楽器をやっているからには丁寧に仕上げたいし、とまた取り組むことになった。

 

死ぬまでに第6番まで完成するんだろうか。するといいな。

 

 

あと、レッスンの帰りに、以前行きつけだった居酒屋の様子を見に行った。ちゃんと開いていたし、政府に反駁して酒類を提供したりはしていなかった。反骨精神が有り余っている店主なのでやりかねないと思っていたが、地域柄取り締まりも活発なのだそうだ。

変わらない味で迎えてくれたが、飲食でしか貢献できないのはなんとも悲しいものだと思う。

 

クラウドファンディングはご本人がやらなさそうなので、賽銭箱とかそういうの、設置していただけないだろうか。(???)

 

 

チェロの話終わり

楽器の話ばかりになってしまった。楽器の話しかすることがないというのはある。院生生活は別の記事にしているし、読書は読書だし。

 

「考えていること」を日記にしたためるのが随分と苦手になった。おおよそTwitterに書きすぎであることは認める。

 

たまには落ち着いて長い文章を書くべき、とも思う。

 

この前まで参加していた「トラウマケア研究会」の話でも書けたらよいのだが、いかんせんやる気が足りない。また今度書きます(と言って逃げ回る)。

600冊読了記/100冊の中からオススメ10選(501-600の中から)

100冊読破、6周目を終えました。前回の記事はいったいいつだったのかと参照したところ、読了日が2019/2/23となっておりました。2年以上かかったのは100冊読破を開始した2016/4以来初めてです(というか年々遅くなっている)。読む本の内容がだんだん高度になってきたのもありますが、大学院に進学したことで「通読・読了」できる本が相対的に減少した、というのがいちばん大きな理由であるように思われます。

自分の分野の専門書等はこの「読破」のカウントには入れないことにしているので(若干定義があいまいだったりしますが...)。

 

と、いうわけで、前回の記事を書いたときにはまだ病棟勤務の学部生だったのが、いまや非常勤の院生になってしまいました。次にこのシリーズの記事を書けるのはいつになることやら、という感じですね。では本編に参りたいと思います。

 

実際に読んだ直後の感想も引用で併記します。たまたまではあるのですが、今回は研究倫理の話がそこここに出てくることになりました。院生っぽい(?)

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放送大学大学院修士全科生生活Vol.8

こんにちは。M2になって最初の院生生活記事です。

放送大学に関連する記事は月に1度弱くらいのペースで書いている気がするのですが、「生活」タイトルの記事は結局1記事/2か月くらいだったみたいですね。

 

さて、新しく院生になってもいうほどの進捗がなかったのでブログを更新できずにいたのですが、そろそろ書けることが出てきました。

 

1.ここ1-2か月の進捗

助成金採択

前回記事でちょっとだけ書いていたのですが、申請した助成金に通りました。少額ではあるのですが、30万円の研究費をもらえます。何に使おうかな(いや申請時点で一応書いてはいるんですが)。

研究費は「研究費そのもの」というよりは「第三者機関に採択された事実」というのが嬉しいですね。これまでに出したことのある申請書類などについては、院試の計画書くらいのものです。なので、自分が社会的意義や方法論的な部分について言及したものを(まあ採択の難易度はよくわからないとはいえ)誰かに評価されるのは嬉しいことです。

 

②共同研究

色々なことが動き始めました。もっと早く動けよという話ではあるのですが、そこそこに大きなデータを扱う研究となると他の場所の方からの協力が不可欠です。なにより病院データ、特にセンシティブなデータを扱うにあたっては倫理審査も厳しいですし、それなりに妥当な理由が必要です。時間もかかるので、修論に間に合うかどうかもわからず、個人的には危険因子だったので前回のテーマ(暫定での修論テーマ)に安全を確保しておいて腰を据えて取り組みたかったのもあります。腰を据えすぎていたせいで、今頃動いております...。

 

③博士課程について

行きたい研究室の教授に面談していただけることになりました(放送大ではありません)。研究室のカリキュラムにおける相談会があったのでWebで参加してみたのですが、実際には参加者が2名しかおらず、既に事前にちょっとだけお話しできています。

まだどうなるかはわからず、その大学の科目履修生やら研究生、または他大学の研究生といった形で所属する可能性はありなんともいえませんが、そのような準備を進めているところです。

しかしこうやって考えていると、「放送大学修士課程学生」としてブログを書けるのはあと1年もないのですね。感慨深いというか、やや寂しいものがあります。さすがに寂しさを理由にM3をやるつもりはないのでしっかり修論を書きますが...

 

修論の雛型と国内倫理系学会発表の準備

国際誌への投稿やら国際カンファレンスでの発表を指導教員から唆され…もとい、勧められていたのですが、後者に関しては単純に語学の問題があり、前者に関してはちょっとした思惑があって国内学会を考えています。以前学会発表したのは情報学・工学系の学会だったので、もう少し人文系の方法論を取り入れた結果を発表して論文にしようと思っています。

ほんでこれを基にして修論の大枠を作ってしまって、ここからの半年は中身を埋める作業・院試準備等々に充てられたらと思います。M1のときが信じられないような爆速前進をしているような気もしますが、M1のときはいろんな不安やら心身の不調があって全然動けずにいました。やっと前に進んでいるような気がしますが、昨年までむしろ動かなさ過ぎたせいで「無能な自分がこんなに進んで大丈夫か?」みたいな気持ちでいっぱいです(小並感)。

あと今頃になって思い出しましたが、M1のときはまだ学部生で結構な量の単位をとりにいったり、大学院の科目をとったりしていました。そりゃ他のこともできんわけだ。

 

⑤国内倫理系学会への所属

n回目の「まだしてなかったんかい」ですが、ええそうです、まだしていなかったんです。人文系の学会だと時折あることかと思うのですが、学会員からの推薦ないし関連分野の研究業績がないと入れてもらえない学会はしばしばあります。現在の研究室が看護でも倫理でもないためになかなか敷居が高かったのですが、前回の学会発表の内容と現在の自分の状況についてメールで相談しましたら、特に問題なく学会員になれました。

 

 

2.環境の変化

①臨床の非常勤

vol.6にも触れたのですが、年明け前後くらいからデイサービスに転職して、認知症の方をはじめとする高齢者介護の現場に看護師として携わっています。前職(耳鼻科クリニック外来)と較べて体力的な負担は非常に大きくなったと思いますが、元々体を動かすのは嫌いではないですし、何よりクリニックよりはやりがいがあるので気分的に非常に楽です。自分の分野は、臨床と関わる点を持たずに研究をすることのできない分野でもあるので、研究ばかりになって臨床の視点を忘れてしまわないような繋留のひとつとして仕事を楽しんでいます。

 

②非臨床の非常勤(大学助手)

前回ブログ記事のときにはそもそもかけらもなかった話なのですが、3月半ばになんとなくアカデミアの求人サイトを見ていたら看護の大学助手の公募がまだあることに気づいて、なんとなく応募しました。受かってしまいました。いや決して悪いことではないのですが、今まで縁もゆかりもないところへのアカデミアの繋がりは持ったことがなかったので、正直驚いています。実際に週1回大学に出向き、学部生の方の演習補助をしています。楽しいですが、自分の実力で足るかどうかが不安です...勉強せねば......。看護師のくせに「看護学」というものはさほど得意ではなく、むしろ机上の勉強(解剖生理だの社会保障だの)の方が得意なので、演習補助は非常によい勉強の機会になります。

学生さんに色々悪影響があってはいかんのでTwitterではつぶやかないようにしますが、世界的に大変な状況の中看護師になろうとしてくれていることは心から応援していますし、私にできる範囲で惜しみなく知識を供出しようと思っています。まあ、「あんまりその範囲大きくないんじゃない?」って言われると死んでしまうんですが....

常勤の先生方は、教授から助教の先生まで皆さん本当に素晴らしい方々で、日々工夫されているのを見ています。自分自身も学生のときはこんな風に「あいつらどうしたらええんや...」と教員を悩ませていたであろうなと思います(当時はそんなことを気に掛ける心の余裕は1ミリもありませんでしたが)。

自分は本当に私生活から研究室から非常勤先まで、常に人的環境に恵まれています。ええことや。

 

3.診療情報管理士について

更なる進学以外にまだあまり具体的なことを考えられていないのですが、在籍できるとしたら、学際分野のなんらかのプロジェクトに関わる可能性が高いです(むしろそうなってくれ)。

そんなときに提供できる(主張できる)ものが臨床の知識だけ、というのはやや心許ないので、医療情報関連の資格を取得することにしました。色々考えはしたのですが、看護師の場合は1年の専門分野のe-learning受講で受験資格が得られる「診療情報管理士」を検討しています。

馬なのでね、目先の短期的な目標を与えられると頑張れるんですね....。

 

そういえば今学期からは学部の授業も院の授業もとっていないので、ちょっと手持ち無沙汰になるのでした。もちろん院試(または研究生としての研究室所属)の準備などあれこれしなくてはならないことはあるのですが、なんだかんだで「学部の授業的なもの」を続けるのは好きですし、基礎的なことを身に着けるにはもってこいかもしれません。

 

 

 

というわけで、やっと色々書くことができた!と思ったら色々書くことがありすぎました。結構動いていたのですね(他人事かい)。

来月もこんな調子でもそもそと動いていきます。有言実行頑張る...頑張って自分...(?)

100冊読破6周目(81-90)

1.人種神話を解体する2 科学と社会の知(坂野徹・竹沢泰子)

人種神話を解体する2 科学と社会の知

人種神話を解体する2 科学と社会の知

  • 発売日: 2016/11/28
  • メディア: 単行本
 

社会学(特に貧困・厚生についての疫学)の教授と経済学(こちらも開発経済学等応用分野)の教授の共著です。集団における遺伝学的影響を環境と比較して考察していきますが、実に誠実な本でした。なぜか最近、ポピュラーサイエンス系の本で、差別を助長・肯定する(人種、ジェンダー、経済格差など)記述をしばしば見かけるような気がするのですが、そのような言説に真っ向から反論していきます。

特に個人的に面白いと感じたのは「遺伝」という現象を歴史的にどのように扱ってきたかとか、どのような分野で研究されてきたのかという話もきちんとしたうえで各論に入るところです(そういうプロジェクトの中で書かれた本なので当たり前といえばそうなのですが)。

遺伝の生物学的な知識は他の教科書などでも得られると思いますが、本書では歴史的背景や産業における取り扱い・生命倫理の問題など、人文系ならではの視点も入っているのがよいです。

 

 2.触楽入門 はじめて世界に触れるときのように(仲谷正史)

触楽入門

触楽入門

 

以前触覚に関する科学の本で読んだのはリンデン『触れることの科学』だったと思うのですが、あちらが神経科学だったのに較べてこちらは工学より(著者ご自身は認知科学の人らしいです)で、認知科学の成果を生活のなかに再現するという試みが色々書かれています。かつて落合陽一氏がろう者のために作った、その場の音を再現して振動と光を出すボール「サウンドハグ」があったと思うんですが、ああいう感じの製作物がたくさんでてきます。触覚で再現される感覚って思ったより遥かに種類が多くて複雑で、かつ他の感覚と密接な繋がりがあるんだなあと面白く読みました。

具体例でいうと、額に振動発生器をつけて視界を再現するのを以前なにかで見たことがあるような気がするのですが、あれはAuxDecoというなかなかふざけた名前らしいです…ふざけた名前なのに機能がすごい(こういうダジャレ的なやつ好きな人、研究界隈多い気がしません?)。

 

 

 3.世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを現実から遠ざけたのか(ドナルド・ホフマン)

思ったより哲学の話が出てきました。知覚の哲学、錯覚(認知科学)とか。物理の話は正直よくわかりませんでした…物理的に世界の認識がどうなっていると理解すべきかみたいな話にもっていくんですが、もっていくまでの前提知識が無さすぎて。最終的には「主観的な世界認識を科学で扱う」ことについて論じていて、自分は絶対的な物理主義とか唯物論的消去みたいな考え方に違和感があったのでそういうところはかなり納得できましたし、なにより「探究する意義」みたいなのを感じます。本書は、宗教や信念については唾棄すべきとする強い立場もとりません。

宗教や信念のような変え難いものについても科学の対象にする、むしろ歴史的な変遷や解釈の問題でなくて「宗教を信じる脳」みたいな話にもっていくのは、科学の方法としてもっとも誠実で積極的なやり方だと思っているので切り口がよかったです。

とはいえ総合した話よりむしろ導入が面白くて、冒頭のほうで出ていた視覚科学と印象の話はちょっと親しみをもつのにいい話題だと思います。白目がきれいなほうが性的に魅力的だとか虹彩の輪郭がはっきりしている方が魅力的だという結果は心理学領域で研究成果があるらしくて、輪郭つきカラコンって意味あったんだな…となぜか深く納得してしまいました。

 

4.脳の中の倫理―脳倫理学序説(マイケル・ガザニガ)

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

 

今の神経科学の発展を考えると本書はすでに結構古いんですが、著者は神経科学の大家です。分離脳(てんかん脳梁離断術受けた人)の研究が有名(と自分は思っている)のですが、分離脳に限らずポピュラーサイエンスレベルでも邦訳がいくつかある方です。

主題としては、脳は道徳的判断をどうやってしているのか?とか、医療技術の倫理に対してどうやって(政策的に)対応していくべきなのか?という話なんですが、なんか微妙にどれも素朴というかへーこんなこと考えてるんだ…という感じでした。米国の生命倫理は生命の発生・終焉に対する認識が結構保守的(若干宗教観が絡む)ので、日本の国内の話とはまたちょっと感覚が違うかもしれません。

 

5.ケアの複雑性―看護を再考する(シオバン・ネルソン スザンヌ・ゴードン)

「ケアの複雑性」という言葉から想像するような(私だけかもしれませんが)フワっとしたものではなく、各論点において非常に実証的で示唆に富む内容でした。

原著が書かれたのは2000年代初頭で今とはまた環境も違うものであると思われますが、およそ本質的なことについては現在でも大差はないでしょう。

特に看護倫理においてなぜ「徳(美徳でもいいが)」が重視されてきたのか、それ自体が「卑賎の職業」を「貞節・忠実のある人間が就く職業」であるようにと変換せしめたナイチンゲールの時代の努力によるものであることを指摘していたのが面白いです。歴史的に知らなかったわけではないのですが、「施しをする人間(宗教的に穢れがない)」から「業として施しをする人間」という職業的規範の変遷の中で、規律と規範に誠実な人間であることを証明するために美徳の喧伝が必要であったことがわかります。自分では想像の及ばぬ領域でした。

 

また、なぜ看護師が自分自身の医学的知識や技術を前に出さないのか、心理的なケアを強調するのか、組織・市民はそれを礼賛してきたか(そしてその弊害はなにか)という指摘もよいものです。ベナーの新人から達人までの5段階について当時の潮流や徳倫理と絡めたうえでメスを入れたのも大変興味深かったです。「他のあらゆる環境が整ったうえではじめてできる実践のことを達人と呼んでいないかどうか」については自分も気になるところでした。

 

最終に近い章では型通りの実証研究による相関を指摘したのみでは患者のリスクマネジメントと看護師の人数・能力を指摘したとはいえないことについても言及しており、看護学を研究する人間と病棟スタッフの間の裂隙に注意を向けています。

 

6.知識経済をジェンダー化する: 労働組織・規制・福祉国家(S.ウェルビー他)

日本・ドイツ・イギリス・アメリカにおける女性の経済・労働環境(女性といいつつ労働者に共通する事項は勿論多いです)と福祉制度についてまとまって書かれた本です。労働法規だけでなく政策とその結果、企業や市井のミクロな動向も事例としてピックアップされていて面白い本だと思います。

「知識経済」という言葉自体は以前からあったようなのですが寡聞にして自分は定義を知らず(要するにホワイトカラーのことかと思っていましたがもう少し踏み込んでいる)、この辺がいいとっかかりになっていました。「女性の就労率が高い」とかいうデータの裏にも、実は「IT系といいながら専門職じゃなくてコール対応してる」とかいう結果があったりして面白い(興味深い)。日本とドイツの福祉制度が似ているという話は別の教科書(放送大の『社会福祉の国際比較』?)読んだときにも書かれていたんだけども日本の福祉は企業の制度と折り合ってできているので、意外と米国とかでうまくいかなかった労働へのインセンティブがうまくいっていたりするらしい(実例紹介は1例)と。また、出産~育児のあいだにキャリアが途切れることのないようにというはからいで作られた「マミートラック」という選択もむしろ今は「見えない天井」の強化としてはたらいていたり、フレックス制度使ってみても上司と部下のコアタイムのずれがあるせいで人事に評価されないとかいう悲しい話もありました。ここまでくるとジェンダー関係なくないか?と思いますが、ジェンダーを入り口にして色々な社会的弱者とディーセントワークについて切り込んでいく感じです。それから業種別にみていったときの国際比較で、ケアワーカー(特に無資格でもできるタイプ)の労働が企業を通さずに個人間で融通されるっていうのが不思議でした。日本だと家事労働とか育児とか、「親族間・無償」か「企業媒体・有償」くらいしか選択肢がない気がします。これは「中の人」だからこそわかることなのかもしれませんが、なんらかの施設勤めのケアワーカーと個人宅訪問型のケアワーカーでは知識の共有の仕方や価値に若干の差があるらしくて、実感(というか「予感」?)はあったけど数字で差が出るもんなんだとわかるくだりがありました。

誰にお勧めというわけでもありませんが、社会学社会福祉、労働関連の制度に興味がある方には興味を持っていただけるのではないかと思います。学術書なのでそこそこ高額ですしボリュームもたいそうなのですが。新書でこういうものがあるといいですね…

 

7.音楽と脳科学:音楽の脳内過程の理解をめざして(S.ケルシュ

非常に難しいというか難易度は高いですが、興味のある人は多そうな内容です。聴覚をはじめ、神経科学に音楽がどう関わっているかをまとめた本です。

博論の焼き直しなので、著者の研究のみならずその領域の研究成果をまとめており、本文を数行読むたびに参考文献が3つくらい出てきます(自分も全然追えてはいない)。著者は器楽・声楽で学位とったあとに認知心理領域の研究をしはじめたらしく、言語領域が音楽の分節や和音の理解にどのように関わっているかなど大変面白い切り口で研究が進められています。とくに音楽と心理学にまつわる書籍(ないし文献)を探すと大体音楽領域の人は曖昧(失礼)で神経科学領域の人は「音楽」のように複雑な事象までは取り扱わない(実験計画が複雑だし測定が難しいので結果得にくい)イメージがあるんだけど、そこをやりくりしています。

最初は外界の音の認知に関する話、つまり耳鼻科的な解剖の話からはじまって音韻の逸脱をどういう風に知覚してどこで処理しているかみたいな話をして、「音楽の統語論」の話に辿り着きます。和音とフレーズの双方に逸脱を感じる反応があり、フレーズの場合には和音のみとはまた別の規則があると。

余談ですがそのむかし自分は音楽療法に興味がありました。当時みた本は心理療法寄りで、ここまで神経系の観察とか実験の成果は出ていなかった(というよりまとまっていなかった)ので「なんか曖昧なんだな」と思っておりました。この本の内容が治療法として成果を出すに至るかはともかく、生理的機能はここまでわかったんだなあとなんだか感慨深いです。

①知覚に興味がある人(認知科学ないし哲学)、②音楽(の効能)に興味がある人(やっている人?)、が大分類かなと思います。しかしなんの知識もなしに読むのは無理な気も…(なんらかの関連分野の知識は欲しい)。

面白い話がいっぱい出てくるのでメモしておきたいところはいくらでもあったんですが、音楽の社会的機能の部分で「ASDの子どもでも音楽によるコミュニケーションは良好にできる」みたいな部分があったり(言及した文献までは読めていない)、認知症にも言及がありました。いま自分は認知症患者に関わる機会が多いので、音楽が好まれるのは素直に不思議だったんですが、音楽による刺激は言語とはまた違うところの情報処理であったり快の感情であったりと「意味」を伴わない部分が多く、失見当識が進んでもそれなりに楽しめるのかなとか思ったりしました。手元に欲しいですがこれもお高い書籍です…

 

8.トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す(ジェニーナ・フィッシャー)

人に誘われて研究会に参加しています。うち2回分ほどはレジュメを作ったりもしましたが、臨床心理に関してはほぼ素人(というか専門学校時代の古い知識と精神医学系の基礎)しかありません。現代の心理臨床がどんな流派でどのような解釈とアプローチをとっているのかわかっていなかったのですが、解釈もアセスメントも介入もとても斬新だと感じます。ひとりだと多分読まなかったであろう本なのですが、研究会で色々やりとりしつつ進めていくと面白くて、誘ってもらえてよかったなあと思いながら今も楽しんでおります。

研究会が(この本の分は)終わったら、別の記事にまとめてもいいかもしれません。

 

9.10.国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(ダロン・アセモグル)

結構前に『官僚の世界史』という本を読んだのですが、合わせて読むと理解が深まるなあと思いました。

結論としては、収奪的な政治体制が創造的破壊を阻害しているから国が内部で貧しくなるという話です。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』とか『文明崩壊』が地理要素に見出したのに対してこちらは政治要素、特に官僚レベルの体制がどう動いたかで論じています。これの元になる、著者の手による計量経済学の膨大な実証研究を原著フリーで読めるらしいんですが、気力がありませんでした…。

 

おわりに

さて、今回の10冊もかなり時間がかかりました。前回の10冊の最終読了日からまる4ヶ月かかったようです…このままでは年間30冊しか読めない…!

自分の専門のことやら新しい仕事やらで趣味の読書も好きなものばかり読めなくて悲しいですが、だからこそあまりペースを落としてしまわず色々読み続けたいです。次の更新はいつになることやら。

放送大学大学院修士全科生1年目終了記

こんにちはこんばんは。早くも修士課程1年目が終わろうとしています。

年度の終わりに月まとめと同時に年度まとめもできたらよいなと思っていたのですが、ネタを思いついた(?)ので色々書いていこうと思います。

 

その前に、とてもよくまとまったスライドを目にしたのでシェアします。

NAIST奈良先端科学技術大学院大学)の情報系教室でのもののようですが、あらゆる分野に通ずるものであるかのように感じられるので、自分の分野(に近い)方にも読んでいただけたらと思います。

speakerdeck.com

ArXivとか耳慣れないツールがあるかもしれませんが、これは情報系の査読なし(自由に上げられる・オープンソースで一般の閲覧がある種のピアレビューになっている)論文公開サイトです。情報系に関する数理・工学あたりの手広い論文が集まっているイメージがあります(間違っていたらごめんなさい、私は情報系にそこまで精通していないのでこのサイトを使いこなせていません)。

 

このスライド中ではM進する予定の学部生~M1くらいで役立ちそうな、なおかつ実現可能なことが書かれており大変ためになります。この実現可能性が何より大切で、かつ有意義であると自分は感じています(できないことの情報を集めてもあまり意味がない)。

 

 

というわけでブログはもうここまででもいいような気がするのですが、以下に自分の現況(というか1年間にやってきたこと)と、その前提になっていたことについて書こうと思います。よく考えると書いたことがありませんでした。誰かの何かに(曖昧すぎ)なれば幸いです。

 

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放送大学学部生終了記事

こんにちは。放送大学学部課程を卒業(終了?)することにしました。

卒業というか、選科履修生の継続終了です。一応目的のすべてを達成したからなのですが、奇しくも4年間という一般的な学部課程に相当する年限在籍することになりました。
全科履修生の編入・卒業時に放送大のシステムを中心とした記事はひとつ書いたことがあるので、今回はざっと自分の身の回りのことを振り返った日記にしたいと思います。

 

 

背景環境の変化

この4年間で様々なことがありました。最初の2年間は学部課程に全科履修生として編入しておりましたが、同時にフルタイム病棟常勤をしていたので、試験日程はもちろんのこと科目履修もかなり詰まったスケジュールでこなしていました。
後の2年間についてはクリニックの外来やデイサービスで非常勤をしながら院進するための準備をし、最後の1年(今年度)は放送大の修士全科生として院生をやっています。

できたら昨年度に修士課程に入学できていたらよかったのですが、家庭の事情により急遽退職したり、研究テーマの練り直しが必要だったり、そもそも院進先を放送大にすることで様々な調整が必要になったため、致し方のないこととして捉えています。

 

4年間でやったこと

1.学士の取得(教養)

最初の2年で終わりましたが、無事に「心理と教育」コースを卒業しました。科目内容の選択基準は日本心理学会の認定心理士の要件を満たすこと(後述)、学位授与機構の学位審査(看護学、後述)を満たすこと、それから放送大学エキスパート(科目群履修認証制度、後述)の好きな科目群から選ぶことでした。
4年の間に合計120単位ほどを取得したようですが、記憶の範囲内では10単位分ほどを除いて結局ほぼすべてが上記のいずれかの要件を満たすものでした。しかしながら、これもいつも言っているのですが放送大エキスパート非常に優秀な科目構成になっていてで、興味のある科目をつなげて行くとその分野が効率よく履修できるようになっているんですよ。嬉しいことです。

 

2.認定心理士

これも最初の2年でほとんど単位を修得しました。面接授業のみ受ける日程が合わずにずれこんだと思います。

もともとは認定心理士をとるために入学したのもありましたが、そもそも認定心理士を欲しかったのは臨床心理に興味があったわけではなく、認知科学系のポピュラーサイエンスの本を読んで興味をもったからでした。なので未だに認定心理士のためにとった授業が臨床心理的に活きているわけではありません...(統計関連科目はどの分野でもフル活躍しますが)。強いていえば、もともと危機管理と認知科学の関連に興味があったのでそれをそのまま学士(看護)の取得のための学修レポートに使いました。

 

3.学士(看護):学位授与機構審査中

もう2次審査の受験から半年近く経つんですが、某ウィルスの影響でどうやら審査が遅れているようです。とりあえず1次のレポートと単位審査は満たしたようでした。
学位授与機構のシステムと放送大のシステムがわかりづらいですが、今までに自分が卒業した学校(大学でもよい)+放送大で追加科目取得で学位授与機構に取得単位の審査を申請する資格を得ます。これに加えて学修成果レポート(要するに卒論の代わりになるようなポジションの成果物)を作成することで認定審査のための試験に臨むことができます。

 

4.放送大学エキスパート(科目群履修制度)

他の記事でも言及していますが、「教養学部心理と教育コース卒業」という文字列はあまり何かを説明しないな、と感じていました。認定心理士もとりましたがとれるのでとっただけで、興味が臨床心理系なのか認知心理系なのかもわかりません。

よって、それらを説明するため(と、最低限の学識について証明するため)に科目群履修認証制度を使おうかと思いまして。使う機会はあまりありませんが。(...)

 

結局、途中から目標を追加したものも含めて5つほど取りました。最後の「データサイエンス」が設置されたのが遅めだったので科目履修が遅くなりましたが、4年のあいだ半年ずつの履修で切れ目なくそれぞれの要件となる授業をとっていた気がします。

ちなみにこの制度、科目が更新されると共に時々コースそのものの見直しが行われるので、「履修認証がなくなったコース」とかも存在します。というか、5つとったうち3つは廃止予定です。まあ学んだことが消えるわけでもなければ何かの資格でもないので、「まとまった何か」を学んだという説明としての機能には大して差しさわりないと思っています。

https://www.ouj.ac.jp/hp/gakubu/expert/assets/pdf/expert_2021_guide.pdf

1)人にやさしいメディアデザイン

...という科目群です。社会的意義としては下記のようなものを目指しているそうです。認知心理やUIの勉強をしたかったのでとりましたが、人気がなかったようで、2020/9時点で認証取得者は129名(公式より)だそうです。129名のうちの1人になったぞー(?)

なお、認定心理士の構成科目を認知心理寄りにすると、実はこのプランの要件をかなりたくさん満たすことができます。全科履修生の2年の間に認証申請したと思います。

メディアと人とを上手に結びつけるには、その設計や仕組みが人の行動や特性に基づいて人間の側から考えられていることが重要である。本プランは、メディアの扱い方と、その人間を中心にしたデザインに関する基礎知識を獲得し、有効に活用できるようになることを目指す。

 

2)現代社会の探究

これもプラン整理により消えてしまうものなのですが、社会学・経済学入門という感じの構成になっています。

現代の社会 ・ 経済の構造を理解し、独立した市民として社会に向き合う視点を確立するために、社会学及び経済学の基礎から高度な政策課題の分析までを学習する。

目標がややぼやっとしていますが、the 市民の教養という感じで自分は好きです。こちらも多分「メディアデザイン」と同じタイミングで申請しました。内容が内容だからか、こちらは600人超の認証取得者がおられるようです。

 

3)社会数学

かなり実際的というか、実用的ですしニュースの理解のためとかでも必要な科目構成なんじゃないかなあと思うんですが、必修科目(とらないとそもそも認証を受けられない必須要件となっている科目)が2科目あって、『入門微分積分』『入門線型代数』っていう大学数学初歩の初歩です。

ただ文系出身にはこれがキツくて心が折れそうになりました。別にエキスパート認証が欲しいがために頑張ったわけでもないのですが、知っていて損はしないし恐らく理系のことを多少なりともやる気があるのであれば知っておかなければならないという義務感から取り組みました。2018~2019年度くらいでぼちぼち科目を満たしていって、申請したのは2020年に入ってからだったと思います(線型代数が終わらなかった)。

 

計量社会学(思想・理論よりか実証主義系)で大学院に行きたいとか、手法として計量的なことをしたいのであればとるべき科目があるなあという印象です。微積線型代数に関しては、多分高校で数学をきちんとやっていれば特に困らないような内容だと思うんですが、自分はかなり不得手だったのでキツかったです。けどまあなんとかなります。公式での申請者も400名強と少なめです。

社会現象の理解や実践のために、数学の重要性はいよいよ増している。現代社会においては、あらゆる現象からデータが集められ分析されるが、正しい結論を導き、また導かれた結論の妥当性を判断することは容易ではない。本プランは、その基礎となる数学 ・ 統計科目及び社会系科目を学ぶことにより、その論理的理解の素養を身に付け、確かな数学力を持ち、社会科学を理解する人材を育成する。

 

4)計算機科学の基礎

現代社会は計算機なしでは成り立たないほど,計算機の重要性は増している。計算機やソフトウェアの基本的な仕組みを理解していることは,計算機自体やソフトウェア,サービスを開発するためだけでなく,職場や家庭においてソフトウェアやサービスを安全かつ効果的に活用し,仕事や生活の質の向上を図る上でも重要である。本プランは,その基礎となる計算機科学および数理系の科目を学ぶことにより,特定の応用分野によらず広く計算機に関わる問題に対応できる人材を育成する。

いい説明文ですね(?)。言語処理に元々興味があったのでそれがわかるような科目をとっていこうと思っていたのですが、ハード面からソフト面まで幅広く学べるよい科目構成だと思います。

繋がりとしては、メディアデザイン(ソフト)→計算機科学の基礎(ハード)みたいな感じのものがあります。が、メディアデザインがUIを目的としているのに対して計算機科学は中で動いているアルゴリズムだのデータ分析だのを目的としているので、これも文系には初手だと少しハードル高かったです。2-3年かけてゆっくり履修して、「社会数学」と一緒のタイミングに申請しました。というかこの2種類は構成科目がよく似ています。

申請者は250名弱だそうです。思ったより少ないですね、これもいい科目構成だと思うんですが。公式ですと、このプランを達成した後に基本情報技術者応用情報技術者を目指せばいいよ、という案内もついていますね。

 

5)データサイエンス

データの中に潜む有益な情報を見つけ出し、ビジネスに活かして新しい価値やサービスを創出したり、生活に取り入れて健康で豊かに生きることを支援したりする試みが始まっている。本プランはデータサイエンスの基本要素となる科目を学ぶことにより、数理的思考とデータ分析に基づいて様々な問題を解決できる人材を育成する。

計算機科学の基礎とほとんど変わらんやんと思ったんですが、そうなんですよね。そうなんです。

 「計算機科学の基礎」や「人にやさしいメディアデザイン」よりもさらにビジネスとマーケティングを意識した構成になっています。ぶっちゃけ上ふたつもってたらいらんちゃうかと思うような内容ですが、つい癖で手が出てしまいました。単に、必修になっている「データベース」と「数値の処理と数値解析」という2科目もなんとなく興味があったからというのは大きいです。いずれにしても言語処理をやるにあたって履修して損のない科目でしたし、むしろもっと深く学ぶべきであったと反省しています(なんもわかってない)。ただ、「数値の処理と数値解析」も高校以降に数学をほとんどやっていない人間には難しく感じられました。Twitter等で状況を調べると、まったく問題なく履修されている方もおられたので、

開設されたのが2018年度だったかで比較的新しいので2020/9時点では申請者が50名にも満たないのですが、恐らく今後増えていくのではないかなあと思っています。今回でやっと申請できることになりました。

 

6.大学院進学

院進にあたって1年間の準備期間を要したのは単に常勤を続けながら大学院の研究計画を詰めていけなかったからなんですが、その1年間に上記の学部科目エキスパートプランを通して情報学系の基礎の授業を受けていました。修士1年が終わる今になると、この1年で蓄えを作っておいてよかったなあという印象です。放送大は大学院も社会人学生ばかりですので、入学してから院の授業を取るのも大変ですし、学部ならなおのことです。

これを回避する方法として、大学院に全科履修として入学する前に科目・選科履修生として修得した単位も卒業単位に換算できるので大体はそれをお勧めされていますが、私の場合は大学院に進学してからも最初の半年はたしか9科目くらいの放送授業と学部の試験を抱えていたと思います。忙しかったです(白目)。

その分仕事が非常勤で疎なスケジュールなのでなんとかなりました。

 

7.学会発表

他の院生生活記事で書きましたが、昨年末に初めて学会に口演を出しました。指導教員のお陰に他ならないのですが、やる気が出ましたし、演題を出せてよかったです。医療系の人間が医療系に出すならいざしらず、別分野でこれができたのは自分としては大変嬉しいです(実益も鑑みれば、通常は自分の分野に出してこそかとは思うのですが...)。

 

このあと

段々学部生としての生活から遠ざかってきておりますが、4年間学び続けて、最終的に学部で修得した単位は4年制学部を1回卒業するのとほぼ同等程度になりました(4単位足りないですが他で学修レポート作成しているので許してください)。

仕事もしつつ家庭環境も変わりつつ、院にも入り、入学当初とは状況がかなり変化しました。

 

学部生はこれで一旦終了しますが、放送大には本当にお世話になりました。少なくともあと1年は院生としてお世話になるのですが、終わりが見えてきているのはやや寂しくもあります。

 

これからのことについては少し道を固めつつあるのですが、まだまだ公表できるような段階にないのでぼちぼち進めていきます。ここにもまたいつか、よい報告ができると嬉しいのですが。