毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

修士出て良かったことと損していることみたいな解説

こんにちは。放送大学関連の記事を書くのはめちゃくちゃ久しぶりなのですが、卒後丸2年が経過して、そろそろ「お前2年もかけて修了したくせに今何やってんの?てか修士出る意味あったの?」みたいな心の中の外野の声が聞こえてきつつあります。ゆえに筆を執ります。

 

私生活での選択も交えるので参考になるかといわれると微妙ですが、実際の人生の選択なんて私生活とのバランスでやじろべえをするようなものでしょうから、「実際にやるとこうなるんだな」くらいに思っていただけましたら幸いです。

今回は私の性別が大きく影響した結果になっていますが、裏を返せばそれは反対の性別の振る舞いを規定するものでもあるので、その辺りも少し触れられればと思います。

ではいきましょう。

 

 

 

修士課程修了後の仕事について

すみません、修士課程修了直前に出産したのであまりアテになりません。

 

初っ端からこんなで本当に申し訳ない。けれども私の分野(看護)は社会人修士が当たり前、むしろ多数派の世界なので、こうして家庭をもったり新しい構成員が増えたりといったライフステージの変遷を同時に経験される方も多いでしょう。そして女性の多い分野ならでは、そこにガッツリ身体的負担が伴ってロクな社会復帰をするにはどうやってもいくらかの無理が生ずることもあろうかと思いますので、実際に選び得た選択肢と進んだ道を途中まで書ければ良いなと思います。

 

 

 

やれたこと

1.TA(大学の助手)に戻る

これが修士卒後3ヶ月、産後4ヶ月でした。常勤ではないために可能だったことですが、よくもまあそんなことをやったなあという感じです。

そのあとも1年強続けたので、産前(修士課程中)から通算すると2年ほどになりました。

 

  • 選んだポイント

ここでわざわざ頑張ってまでTAを選ばない方も多いとは思いますが、私は出身こそ看護の分野でありながら工学・情報学寄りの研究室を出ました。広く言えば健康科学ですが、修士号は「学術」であっていまいち何をしたかもパッと見わかるものではありませんし、看護のアカデミアと繋がりを持つにはインパクトの薄い領域です。ゆえに直接「自分の経歴が役にたつかどうか」を検証するにはTAをやってみるのが一番でした。

結果としては、常勤の病棟臨床4年と修士課程で要件は満たせたのと、先につながる話も見えた(後述の理由で叶いませんでしたが)ので大きく外した選択ではなかったと思っています。

 

 

 

2.臨床に戻る(訪問看護

元々卒後は院進/アカデミア就職/臨床出戻りあたりで悩んでいましたが、結局とりあえずは臨床経験の続きを確保するということで新たなフィールドに来ることになりました。これが産後1年ちょっとのときで、今やっと歴1年が経とうとしているところです。残念ながら(?)これまた私生活が立て込んでいる都合上、1年で産休育休に突入することになってしまいますがそこは仕方のないことと割り切っています。そもそもが子持ちのパートとして就職しているので職責も業務負担も重くはなく(どうやら必ずしも楽ではない部類の職場のようですが)、臨床経験が少なくて心許ない大学院生の修了後としては安心して経験を積める場所かもしれません。

 

  • 選んだポイント

上述の通り臨床経験の少なさからですが、病棟に戻らなかったのは純粋に病棟が大して好きではなかったのと、おそらく残り少ないであろう臨床経験を別の領域で満たしたかったことが影響しました。

元々自分の研究領域や興味の範囲が病院という組織にこだわらず、広域の医療圏での活動全般であったためにこちらも悪くはなく、迷う価値のあった選択肢だと思っています。

 

  • ちょっと焦ったいこと

が、もちろん真の目的であるところのアカデミアとは無縁の場所なので、雌伏の時期といいますか「子育て+α」くらいにしか専念できないもどかしさもなくはありません。

これは私の頭が若干おかしいのかもしれませんが、元々臨床で働きながらややずれた分野の学部を卒業して院進してきたので、「ながら作業」みたいな方針が自分の中で当たり前のように立っています。ゆえに、「子育てと臨床」のような相性の良い(説明のききやすい)ことをしているとなんだか面白みに欠ける気がして足がムズムズしてくる感じです。我がことながら、こいつ大丈夫なのか?とか言いたくなりますが事実なので仕方ありません。

 

選ばなかったこと

以下、1はTAをやっている最中に転職サイトに登録しておいたら個人的なメッセージがきた職種、2は転職サイトから自分で申し込んで内定が出たもの、3は修士後取った資格と修士卒の経歴加味して興味を持たれた(が、私の方の事情により話を先に進めなかった)もの。

 

1.企業就職(CRO、医療機器の営業、同業者向けのweb記事執筆・教材開発)

ありがちなパターンの企業就職ですが、別に看護師の臨床歴のみから転職しても構わないと思います。ただ、向こうから話が来る、特に3つめの「教材開発」が来たのは学歴あってこそかなと思いました。ちなみに外資系で本社は東京、リモート勤務可能みたいな条件でした(転職後だったので返事しておらず)。

 

2.別分野の教職

TAから常勤へのキャリアアップを打診されてお断りした結果、純粋にTAの口が先細りになりつつある時期に探したもの。

教職系で何か面白いものはないかと探して見つかったのが、医療事務系や美容系専門学校の保健分野の非常勤講師というやつでした。まあTAと大差ないといわれるとそうなのですが、結局内定までいただいたので、修士卒でなければどうであったかなと、思う求人でした。

あまり将来に続く職歴ではないかもしれませんが、看護師の臨床歴のみだと説得力を持たせにくい分野ではあるなと感じます。

因みに美容の国試、保健領域では皮膚の解剖生理が出てきますが結構難しいですしいい問題が出ています。学生さんは点数を落とすところだそうですが…(看護師にとってもそれなりに難しいと感じる問題でした)

 

 

3.別業種での病院就職

面談まで話を進めたわけではない上に修士卒+卒後にとった医療系の資格も加味してのものなのでどうかとは思いますが、臨床経験のみの看護師とは別ルートという意味では書く意義があろうかと思います。

 

ひとつは診療情報管理士そのもの、もうひとつは病院の事務部署(医療事務ではなくデータ分析系の部門)でした。こちらも臨床経験のみですと声はかからない(というか必要なスキルを証明できない・ポテンシャルが伝わらない)ため、修士卒は役に立ったかなというところです。転職後であったために選びませんでしたが、在宅の臨床経験をとるか異業種の経験をとるかの2択であれば個人的にいちばん迷った職種です。

 

 

 

4.職業以外でやれたこと

TAから転職して非常勤をやり始めて数ヶ月のころ、研究活動も再開してデータ分析をして国内での学会発表まではやりました。

1歳児を育児しながらだったので些か大変ではありましたが、「(妊娠出産・)育児しながら非常勤と修士課程」というルートよりは確実に楽であったと思います。なんだかんだでdutyの座学はもうありませんし、進捗管理も自分のペースでできますし、期限は学会のものだけであって卒業(修了)のかかったものではありませんし。

なお、モチベーションは低めでしたが、とある助成金の締切を妊娠出産育児により引き延ばしまくっていたのでいい加減研究をまとめなければならなかったという負のインセンティブがありました。

 

スケジュールとしては週4の9:00-16:30で働いて残りの1日や平日夜間、土日のどこかを使ってちびちびと進めていった形です。子どもの夜泣きもおさまってきたころだったので自分の生活リズム(夜型)を活かすことができました。特にすごく無理をして睡眠時間を削った覚えもないので、「できる範囲で」という感じです。不完全燃焼感は否めませんが、完全燃焼して育児や仕事に影響が出ると元も子もないので隙間プロジェクトでした。

 

 

 

やれる可能性があったができなかったこと

1.教員常勤

要するに大学での正規の勤務ですが、これはTA先から正式に話がきたものの子育てのスケジュール調整ができずにお断りしたものです。過去に色々なところで書いてきましたが、看護の世界は未だに修士卒でも臨床経験があればバンバン臨床系の講座の教職があります。というか大体それくらいが前提です。

私の場合はどうしても長時間家を離れることができないので選べませんでしたが、子どもが小さかったりという特殊な事情がなければ修士卒後すぐにこの選択をできる方もいらっしゃると思います。

 

この話のミソは「修士(学術)」でも臨床経験があれば十分要件を満たすということで、看護学系の研究室への院進とそれ以外で迷っている方へのちょっとした情報提供になれば幸いです。

 

2.院進(博士課程)

結局未だにできていないんですがァァァァァ……こればかりは妊娠出産をそれなりに短いスパンで詰め込んだ自分の家庭の選択なのでどうしようもありません。第一子のときもそれなりにデータが溜まり、修士卒のめどが立ってからの妊娠出産だったので2年で出られましたが、ぶっちゃけ乳幼児の育児は仕事よりも先が読めず、また仕事よりも周囲の振る舞いを強く制限します。

周囲には乳幼児を育児しながら修士課程に院進された過去をお持ちの方もいらっしゃいましたが、人生でいちばん辛かったと仰っていたところをみるに、「今まで経験したことのない(予測のつかない)負担」は同時期に1つまでにしておいた方が無難だなという印象です。

もちろんさまざまな人生とそれに伴う計画があろうかと思いますのでご一考程度に。

 

因みに私の計画その①だと修士修了間際に出産、そのまま4年制博士課程院進というものがありましたが、これは様々な事情があったとはいえ「体力的に絶対無理だった」と今なら言えると思います。働かなければギリいけるのかもしれませんが、未認可保育所を確保する都合や父母の育休以外にも第三者の育児サポートが確実に見込めなければ成立しません。させてきた方がいらっしゃれば是非経験談をお寄せください。私が参考にさせていただきます。

 

 

 

損しているところ

損、と書くと微妙ですが、現状「院進したところで稼得が増えた」という因果関係は一切ありません。というか減っています。

私のようなパターンで院進しない場合は、病棟勤務を継続して結婚・妊娠出産育休→時短復帰のコースが一般的です。なので、このコースとあえて並列するのであれば、通信制大学のため「常勤のまま院進する」が収入を減らさないためのポイントだと思われます。

 

損しない人が取る選択

純粋に経済的なメリットのために院進する方にお勧めできるルートは、

  1. 専門職大学院→企業就職
  2. 大学院上位資格→病院就職(特殊ポジション)
  3. 大学院→常勤教職

のルートが一般的かと思われます。が、3に関しては看護師であれば最初のうちは以前よりマイナスになる可能性もありますので収入にこだわる方は1or2の方がおすすめだとは思います。

逆に、一時的な収入の多寡に強いこだわりなく、「生き方(働き方)に幅を持たせたい」「新天地で働きたい」みたいな方は私と同じルートでいくのも十分おすすめはできます。収入の多寡は病棟勤務と比較すると多少は巻き返せます(時間はかかりますが)。

 

そして、上述の通り夜勤やオンコール、当直込みの勤務と育児を両立されながら修了された医療職の同期(男性)もいらっしゃいましたが、命を削るようなスケジュールに対して得られるものは

  • 収入が減らないこと
  • 卒後の自由度(先述のように常勤で教職に転職するなど)
  • (病院附属でない大学の場合は)研究フィールド

でしょうか。

 

逆に足枷になるものは、

  • 普段の仕事をしろ圧
  • 上司・同僚への根回しが必要
  • 健康

…あたりです。結局仕事は仕事で研究と切り離して時間通りに働かなければならないことが多いので、さらに残業もありうるとなると両立は本当に大変です。職場からも家庭からも肯定と承諾と応援を必要とします。非常勤だとこの辺りは自分で調節できるので、楽ではあります。私の場合はまだまだ生涯年収でいうと明らかに落としている方なので、家庭の不良債権としてデカい顔をしています(学費研究費私生活費は自己資金だが生活費は家に入れておらず、家庭に貢献していないとか)。

 

私生活がめまぐるしいフェーズの方ですと、院進にあたり常勤をとるべきか非常勤をとるべきかは家庭によって(性別に語らせたくはないですが、やはり女性に出産の負担は偏りその間の経済負担は男性に偏るので)様々異なってくるかと思います。ご参考になりましたら幸いです。

 

 

 

おわりに

わざと「損している」と下げて書いてみましたが、一見「損している」ように見えるところも、今後の働き方や院進後の経過によって「意外と得してます」「金銭的な価値以外にこんな自由ができました」などと言えるようになればいいなと思いつつ書きました。

まあ、「自由が欲しい」という漠然とした期待よりは、「どうせ縛られるなら自分を縛る足枷の種類を自ら選びたい」くらいの方が変なやりがいなどを求めずドライにやっていけるような気はします。

 

ひとさまの悩みを増やすだけの記事かも知れませんが、年ごとの定点観測として無理やり残すとこんな感じでした。それではごきげんよう

100冊読破 7週目(81-90)

1.ルポ 貧困大国アメリカ(堤未果

結構昔の本なので、今どうなってんのかなとは思います。今も貧困エリアだと給食の内容がめちゃくちゃお粗末みたいなのは聞いたことあるんですが。

そう思うとやっぱ日本の給食すごい恵まれてますね…

あとは社会インフラ削るとどんなことが起こったよ、みたいな反省と、貧困層がいかにして軍隊にリクルートされていくかというプロセスが端的に書かれていてわかりやすいです。

軍に入れば大学に行く資金を担保してくれるとか、なんだか日本でもそのうち起こりそうな話ですけれどね。

 

 

 

2.敗者が変えた世界史(上: ハンニバルからクレオパトラジャンヌ・ダルク)(ジャン=クリストフ・ビュイッソン エマニュエル・エシュト)

ハンニバルの敗戦のあとの転地転戦面白かったです。あとアステカの滅亡で王様がまあまあ愚かな選択をし続けてしまったというくだりも、「凡人が国を背負うこと」の重みがよくわかる一例といいますか。下巻は未読です。

 

 

 

3.「きめ方」の論理——社会的決定理論への正体(佐伯胖

ずっと前からKindle積読していた本。多分合意形成理論読書会くらいからです。アローの不可能性定理から、そのほか意思決定理論の紹介と厚生経済学と正義論のまとめ。

数弱は各理論にある程度背景知識ないと詰みます。私も例によって例の如く詰んだわけですが、背景になる議論や展開を知っているので読まんでも知ってたなみたいなのがちらほら。

もちろん丁寧に解説はされていますが、式読んであーなるほどこういう優先順位ねと納得するのを各章やり通してたらこれ1冊で大学の講義2単位分くらいになりそうです。

元の本は30年前に作られたそうで、褪せない名著。索引がちゃんとついていていいなと思いました。文庫には珍しいですが、ちくま学芸ならふつうかも。

 

 

 

4.サルトル実存主義とは何か』(海老坂武)

サルトルの思想をなぞると共に、どういう社会状況や個人的な生活の中でそれを書いていたのかといった背景の解説も同じくらい紙幅が割かれていたのが理解のためによかったのではないかと思います。

教科書よりももっととっつきやすいのが魅力ですね。

 

 

5.ハイデガー 世界内存在を生きる(高井ゆと里)

実存主義」と呼ばれる思想の礎をつくった(本人が名づけたわけではないのがミソ)といわれているハイデガーの解説本。

難解な『存在と時間』の解釈は微に入り細に入り学術的立場があろうかと思いますが、本書はあくまで哲学そのものを専門として学習する人ではなくむしろそのような思想に興味をもつ一般人向けに開かれています。

初読ではそれでもまだ難しく感じるかもしれませんが、後半にいくにつれ解釈が「ひと」についてに寄っていくのでむしろ身近に感じられると思います。

 

 

 

6.「やりがいのある仕事」という幻想(森博嗣

相変わらずこの「身も蓋もない」感じがめっちゃ好き。森博嗣の新書はこれだからやめられねえ。

日銭を稼ぐための仕事に変に入れ上げて燃え尽きんなよ、っていう隠れたメッセージもあって良いなと思います。新年度も始まりましたし是非新社会人の皆様に。

 

 

 

7.ケアの倫理(森村修)

ケアの倫理

ケアの倫理

Amazon

欲しいものリストからいただいていた積ん読

 

身近なところから学ぶケアの倫理、という感じです。最初の方は具体例、「悲しむ」とはどういうことか?みたいなケースワークから始まります。学生向けだけど、倫理全般知らない!でも医療や福祉関連で学ぶ必要があって…という方にとってはかなり手にとっていただきやすい本かも。初版が古いので時事ネタはやや色褪せていますが、内容は褪せることはないので十分今でも入門書として通じると思います。

コールバーグに対するギリガンの反論も丁寧ですし、ケアの倫理が抱える理論的問題点にも触れられています。

最終的に、「ケアする人のセルフケアという倫理」にも触れられていたのが個人的にはとてもよかったです。

 

 

8.アーバン・スタディーズ――都市論の臨界点(田中純他)

7年くらい積ん読していた本。多分ジャケ買いというかタイトル買い。そもそも1990年代の雑誌を古本でわざわざ買った過去の自分、いったいなんなんだ。これに関しては都市論というより深掘りしすぎて記号論とかそういう話が出てきてぶっちゃけあんまり面白くないです(その時代の人が小難しいことを考えて投稿していたという事実は面白い)。

 

9. 東京新論(内田隆三他)

タイトル買い積ん読シリーズ2。こちらは東京にテーマを絞ってます。森山大道の写真が良い。

 

10.10+1 都市プロジェクト・スタディ中谷礼仁

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これも上2冊と同様の積ん読だけれど、7年も経ってからまさか今住んでいる場所の街並みや都市計画を論じた箇所があると思わなんだ。

個人的にはつくば学園都市の事情と特殊性が面白かったです。それでも20年前の特集なので、今はどうなっていることでしょうね。答え合わせができますが内情は知らず。

 

おわりに

前回からまた4ヶ月以上が経過しました。長くかかりました。

前回から今回までにあったことといえば、第二子を妊娠したことで、つわりを乗り越えて今は6ヶ月の半ばです。あとは学会発表をしたくらいか。あ、4月1日の記事ですが嘘ではありません。

 

次の10冊が終わると700冊で、すでに前回の100冊区切りから4年近くが経過しているわけですが、その間に1人目の妊娠出産と2人目の妊娠を迎えて院進と修了を挟んだことを思うと人生のイベントがてんこ盛りだったことがよくわかります。

未だに満足のいく学術的成果などは出せていないのですが、その裏でまたひっそり読書の蓄えは弛まず続けていけたら良いなと思ってはいます。思っているだけですがね。

 

能動的な趣味は維持できていないけれど、読書が維持できていればまあ大体自分は生きていけるのだなとしみじみ実感しています。次は出産までに10冊読めたら御の字ですが、自宅の積読はどれもヘビーなものばかり残っていて消化できる気がしません。ぼちぼちやっていくしかないのでしょう。

*1:10+1 No.7/ LIXIL出版

*2:10+1 No.7/ LIXIL出版

*3:10+1 No.7/ LIXIL出版

*4:10+1 No.12/ LIXIL出版

*5:10+1 No.12/ LIXIL出版

*6:10+1 No.12/ LIXIL出版

*7:10+1 No.30/ LIXIL出版

*8:10+1 No.30/ LIXIL出版

*9:10+1 No.30/ LIXIL出版

才能のなさについて

ブログのネタを捻り出そうとしたら天からの声(フォロワーからのリプライ)が聞こえたので書く。

 

 

仕事のセンスがない話

特にお題を設けたわけでもないが、この春から私はまた臨床に戻った。臨床といっても病院勤務ではなく在宅…我々の臨床でいう「在宅」は在宅ワークではなく、「在宅看護」のことである。自分の家ではなくお宅訪問である。

 

結局向いてないとかそういうの

私の所属組織は新卒を採用していない(多分)。全員既卒で、数年〜長ければ数十年かの臨床経験のあとに門を叩く。

 

わかってはいるのだが、私は病院に所属していた頃からあまり「看護師」という職業に馴染みがない。疎外されているわけではないが、疎外感がある。いわゆる「企投」を頑張るわけだがーーつまりまあ、類似の概念として「コミットメント」とかいえばわかりやすいーーどうにも身動きが取りにくいというか、なんというか、まあ「向いていなさ」を感じるわけだ。

 

もちろん仕事が嫌なわけでもないし、手を抜いているわけでもない。嫌なわけではない、というのは、患者のもとに出向いて、ケアを施し、会話の中に自分の血肉を織り込むことが「嫌では」ないということだ。嫌ではないが、向いていないので、何かしらを繕わなければならない。

直裁にいえば、ド正論で薙ぎ倒したくなる(これは患者だろうが同業者だろうが構わない)場面で口をつぐみ、受容的にあるいは支持的に関わったりするときに、「きっと職業的には適切なのだろうが私ではないな」と感じる。

 

そうして様々な取り繕いが生じると、やっぱり「センス」みたいなもののなさが見えてくる。私がやってきたのは、学んだことの実践であって、自らの内側から自動的に湧くようなものではない。わざわざとってつけたものなので、職業のペルソナをつけている。それは対患者だけではなく、対同業者(もちろん上司にも後輩にも)で顕著かも知れない。

 

そして同業者に対してそうしているとき、私は「嘘をついて騙している」かのように感じる。後ろめたさもあるかもしれないし、理解され得ないことへの苦しみのようなものもあるかもしれない。

 

じゃあ何なら向いてるんだよ

おこがましい話だが、研究はある程度向いていた。どの程度かというと相当に低いレベルで、他の分野の院生や研究者とは比べ物にならない。私の領域の、実践に向いている人たちと比較した場合にだ。研究の領域だと「翻訳を介さずに言葉が通じる」と感じる。

もちろん私の所属研究室は看護だけが対象ではない(むしろ私が異色である)から、あらゆる前提知識を共有しているわけではないけど、「当たり前」が同じで、言葉の意味の認識が同じだから、他人とのコミュニケーションに割く脳のコストが少ないように思う。情報のロスも少ない。

 

まあ、相手に伝わらないように言う私が悪いのはそうなのだが。

 

とはいえ、年の功もあり私も実践領域の感覚的なところも多少はわかるようになった。わかるようになったが、ただそれだけであって、何か創造的に物事を進めるのはハードルが高い。

 

 

向いていない人が向いていない人のために

向いていない人間に役割ってあるのか?

あるのか?というか、役割を作るとしたらどうしたらいいのか?みたいなことを考えた。

考えた結果、私は実践領域の人が言語化せずにそのまま暗黙知から暗黙知へ伝授するエッセンスをわざわざ翻訳する術を身につけつつあるように思う。

別に難しいことではないのだが、忙しい実践者たちは初学者や別分野の人に自分たちのエッセンスをわざわざ言語化するコストを惜しむ傾向にある(ように思う、ときがある)。

 

向いていなさを突き詰めた結果、自分が技術として獲得したそれらを、方法論として記述することは確かに悪くないニッチのようだと思うに至った。

だからといって即座に何かできるかといわれるとそういうわけでもないが、「向いていなさ」は卓越した技術の持ち主がいる世界では意外と使える。なにせ初学者は山ほどいるし、向いていなさを上手く使ってニッチに切り込む人が相対的に少ないからだ。

相変わらず居心地は悪いかもしれないが、「居心地の悪さ」「向いてなさ」の摩擦によるエネルギーは使いようによっては役に立つ(と、思いたい)。

 

 

「向いてない」の逃げ道的用法

確かに、「向いていなかった」を「逃げ」ととらえる向きもある。というか、どちらかというとそういう負の側面から捉えられがちだ。私もわざわざ、たとえば面接なんかでそんなことを言う機会はない。それこそ臨床の人相手に面と向かって言ったことはない。

「仕事がでなくてすみませんねえ、ほんと、一生懸命やりますんで、えへへ」と言いながら実際それなりに一生懸命やればなんとかなってしまうからだ。自分にも負荷はかかるだろうが、それはペルソナに対してかかっているのであって、中の自分はただただ「向いてなさ」それ自体の軋轢のみを感じている。ゆえに、職業的適性とは関係なく、「やって」いさえすればなんとかなる。

生存者バイアスだ。捕まえろ!

 

 

育児とかもそうかも

私はおそらく乳幼児の育児もあまり向いていないと思う。見ているのは楽しいし、愛情も湧くが、親としてどうかと言われるとよくわからない。最終評価は将来子ども自身が下してくれるだろう。

一般的な育児、例えば発達段階に適切な遊びを考えたり、声の掛け方を選んだり、毎日の過ごし方を考えたり、そもそも0歳児のときから早々に預けて働いたりといったことのあらゆる面から「あんまり向いていない」感が滲み出ているのである。仕事と比べて超楽しいかと言われると、与えられた役割なので全うしているし、思ったよりかなり楽しいが、やはり「向いていなさ」を感じながら同業者(ママ)に対して「向いてなくてすみませんねえ」みたいな気持ちがある。すみませんねえ、ほんとに。

 

向いているかそうでないかではなくて

やるかやらないか、だ、という話を数年前(かなり前なのだが)に自分はしており、まあ今でもそう思う。逃げるかどうかを決めるのは自分だし、腹を括ってやる、やるなら何年間どのレベルまでやる、とかそういうリミットを決めるのも自分だ。ダラダラやるのももちろん自由だ。継続は力なりで、ダラダラと先を決めずに続けることで得られるものもそれなりにあると思う。思い切って「向いている」と思う方向に進んだからといって、向き不向きと「やっていける」環境が実際に一致するかは不確定だからだ。

たまに、「大学院に行って失敗した」のようなブログエントリなどを見かけるが、向いている・いないの問題もさることながら、「やりたくない」のにやっていくことはできないだろうと思うことがしばしばある。

 

センスのなさをカバーするには

  • どこまでやるかを決めておく
  • 何のスキルでセンスをカバーするか考える
  • 上記を準備・実行する
  • やる

以上だ。それで成功するとはひと言も言っていないが、センスのない人間はニッチでこうやって生きている。

最近思うところあるが、どんなに忙しくても、「向いているところ」にひとつでも軸足があれば「向いていないところ」との軋轢からくるストレスは意外にも分散される。たとえ「向いている」タスクを減らした方が時間的には助かるとしても、精神的に「向いていること」を削がれた状態というのはかなりのストレスがかかり、自己効力感も減り、その結果やっていけなくなる。

 

向いていないことをやっていくために、向いていることも細々やる。

時間がたっぷりある人は両方ガッツリ取り組めば良いが、時間も余裕もない人はコッソリ取り組み、種を蒔き、自分でそれを回収するしかない。

 

 

締まりがなくなってきたので、アダム・スミスの『道徳感情論』から好きな一節を借りて終わりたい。

 

聡明な人は、称賛されても自分がそれにふさわしくないとわかっていたらまず喜ばないけれども、称賛に値すると自分が思うことをしているときには、たとえ誰からも称賛されないとよく知っていても、しばしば大きな喜びを感じる。

是認されるべきでないことに世間の是認を得るのは、聡明な人にとってはけっして重要な目標とはなり得ない。現に是認される価値があることに是認を得るのは、ときに小さな目標にはなるかもしれない。

一方、是認に値するものになることは、つねに最も重要な目標となるはずである。

 

 

そんなに高尚な目標ではないのだが、「向いていること」が(広くいえば)世にとって是認に値するものになることは未だに拙い野望である。

100冊読破 7周目(71-80)

1.踊る物理学者たち(ゲーリー・ズーカフ)

「踊る」ってなんなんだ、と思っていたらdanceではなくてtaoの方だったみたいな話。

物理(学者)の歴史を紐解いていく本なので、学説が変わるときのエピソードなんかが好きな人は好きかもしれない。実験装置がどんな規模で何を測定していて、どういうノイズがあったのが何が原因で除去されて…という研究解説もたくさん入っているのでそういうのが好きな人は好きかもしれません。

ブラックホールを見つけた男』のドロドロしていない版という感じです(どういう表現なのか)。

 

 

2.漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う(高橋大輔

テレビ局のディレクターがあまりの鳥島への興味のために仕事辞めて鳥島調査に行く話。

後にも出てくるけど、鳥類学者でさえ無人島の生態系保全のためになかなか立ち入れない島がある中、一般人がここまでつてを作っていくのは本当に大変だったろうなと思う(大変だったという記載がある)。

 

この本の話、NHKでドキュメンタリーを組まれていたとのことで興味を持って買ったのだけど、「テレビ局で特集を組まれる」というのがそもそも著者の本望でもあったのでそこはある種の達成なのかなあとか思いました。ネタバレを言ってしまうと、調査困難となり途中終了となってしまうのですが、それでもこの無人島の歴史学的なところを繙いたのはこの人の功績ではないでしょうか。

私は僻地や無人島、無人村(廃村)の歴史が好きなので燃えました。

 

3.沈黙の春レイチェル・カーソン

かの有名な、除草剤の害を糾弾した著書。中学生の英語の教科書かなんかに載っていたのが最初だと思います(概要ですが)。

環境活動家のようなことをしていたのかとてっきり勘違いをしていましたが、彼女はあくまで化学物質の使用と生態系の変化、人体への害を淡々と指摘したに過ぎないというのがよくわかる著作です。

あと、この本を読むまでまったく知らなかったのですが、この方詩人なんですよね。科学者と詩人ってなんとなく相性が悪そうなんですが両立可能なのか、とちょっと面白く感じました。『センスオブワンダー』以外にも有名な著作があるそうです。読んでない。

 

4.喘息百話(久保祐)

この本の中に地味に私の元主治医(というほどでもないですが診療を受けたことがあります)が出てきてびっくりしました。

昔の喘息治療、吸入ステロイドやβアゴニストの併用が主流になるまでは本当に大発作でたくさん人が亡くなるような疾患だったのですが、本書の著者もそういった中で成長され、そして医師になられたあとに発刊されたものです。

喘息の歴史と共に個人史が知れて、ある種の患者体験記でもある良い本でした。喘息に興味のある方は是非(?)

 

 

 

5.「サイレントスプリング」再訪(G.J.マルコ)

沈黙の春関係がもうひとつあったので読んでみました。10年くらい後の、『沈黙の春』の社会での受け止めとその変容を書いた話。あとは科学的な部分の検証とかですね。

 

 

 

6.連合赤軍あさま山荘」事件(佐々淳行

突然のあさま山荘事件

wikipediaには結構詳しく事件の経緯(とそれまでの逃避行や仲間内の殺人事件など)がまとまっているのですが、警察内部の話は少ないので、この手記は主観ながら「当時の警察組織」の内容がわかって面白かったです。

てかキャリア官僚ってこんな前線に出てたんだな(異例だとは思いますが)。

 

 

 

7.世界屠畜紀行(内澤旬子

この本はとてもよかったです。

先に書いておくと、この本はあくまで主観による観察であって研究ではありません。

ゆえに、著者の意見やそのときの感情、それに伴う感想など主観的情報がとても多いです。私が普段読む本からすると相当な雑音であり、結構読むのが大変でした。でも今回はそこも含めて良かったと思います。

著者が手ずから集めた資料、インタビュー、どれもとても貴重なものだし、もしかすると研究という関わり方ではインフォーマントに嫌厭されてしまって得られなかった情報もたくさんあるかもしれないと思わされる記述です。それくらい仔細でした。

この本1冊刊行するのに一体何千時間使ったんだろうというくらい中身が濃いです。屠畜に関する文化と、そこに対する差別感情(差別がない場合はその仕事に対する受け止め方)の調査だけども屠畜に関する制度や、作業場がどこに置かれるのか、伝統的な方法と現代的な方法にどこまで差があるかなど複数の国の文化について触れられています。あと絵が細かい。

すげーのひとことです。

 

8.鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。(川上和人)

こっちも面白かったです!先に挙げた『漂流の島』とは異なりこちらはプロ(?)の鳥類学者によるもの。

「研究者とはいかなる生態か」みたいな話も含まれているので、研究に馴染みのない方にこそ読み甲斐のある本だと思います。いわゆる一般向け学術本のさらにライトなやつです。種類としては前野ウルド浩太郎氏の『バッタを倒しにアフリカへ』がかなり近い部類です。

 

本書は鳥の生態保全から島嶼の鳥の分布の歴史などから調査方法、著者のスケジューリングまで様々な「研究活動」全般に目を向けたものなのですが、一般人向けなのもあって?とにかく書き口が軽妙です。調査出かけたくねえとか耳に蛾が入ってサイアクとか調査結果発表し忘れてたら別のグループに発表されてしまったとか(これは軽妙ではない…)。

今回の100冊のうち10選に入れられる気がします。

 

9.死体格差 解剖台の上の「声なき声」より(西尾元)

法医学教室の教授の手記。

私も記憶に残っているのですが、高齢の母と2人暮らしの娘(といっても中年)が車に轢かれ骨盤骨折したあとも自宅で寝たきりで過ごし、失血で亡くなったという事例が出てきます。結果として背景にあったのは本人のアルコール依存であり、轢かれたのは禁止されている酒を買いに行くための外出だったから、というなんとも後味の悪い話なのですが。

 

上記のようなケースを含め、背景に貧困や複雑な家族背景を有する事例があることを訴えたくて書かれた本なのだそうです。

病理解剖は盛んですが、司法解剖となるとなかなか扱っている教室も少ないので貴重な手記だと思います。

 

 

10.医者 井戸を掘るーアフガン旱魃との闘い(中村哲

アメリカによるアフガニスタンへの報復戦争の裏側で医療支援を行っていた医師の記録。ちなみにこの方、本当に八面六臂のご活躍をされていますが、2019年に過激派の凶弾で斃れられています。なんとも苦しい結末です。

 

アフガニスタンでの医療を行うにあたり、そもそも清潔な水の供給どころか農業用水生活用水あらゆるものが枯渇する旱魃に見舞われることが予想され、それどころではないと水源確保に奔走された記録です。

短い感想しか書けませんが、一読の価値があります。

 

 

10冊読了記

今回の10冊を読むのに5ヶ月。約半年近く要したと思うと「随分時間がなくなったなあ」と感慨深いものがありました。

育児に加えて転職し、さらに研究活動をぬるっと再開したからというのもありますが、いい本に出会えたと思います。

またぼちぼち読んでいきたいですが、年度内に700冊には至らない気がします。無念。

授乳。この摩訶不思議な営み

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2週間ほど前、1歳6ヶ月にして息子の授乳(母乳育児)を終了した。とはいえ、純粋な栄養または水分としての母乳は、1歳を過ぎたころくらいからあまり必要ではなかったように思う。

 

以前電動搾乳機についてあまりにも熱すぎるレビューを書いたことがあることからもわかるように、私は母乳栄養というものを経験して、その営為に強く興味を持つようになった。思ったよりも奥が深いなと感じたし、それ自体が固有の人間にとって不思議な生物学的現象であり、また相互交流やアタッチメントといった発達心理学的な要素を超えた「空間」を形成するようななにか曖昧な(主観的でもあり間主観的でもあるような)ものであり、そして日々議論の紛糾する社会的な現象でもあると感じた。

 

私と私の子どもは、母乳栄養がかなりスムーズだったケースだ。だから、恨みつらみのようなものが少ない。かといって、ミルクより幸せ!母乳栄養サイコー!ともなっていない。ミルクを凄い勢いで吸い込む我が子もそれはそれで可愛かったし、混合栄養で母乳に足すミルクの量に悩んだりしたこともあるからだ。授乳の時間が世界で一番幸せだとも思っていない。むしろ非常に動物的だと感じたし、まるで豚や犬(彼らに対して私は悪意をもっていない)のようにごろんと横になったところに我が子がせっせと寄ってくるのが少し面白かった。現実は、耐えられない会陰縫合の痛みや腰椎ヘルニアの痛み、或いは寝不足から、体を起こしていられなかっただけなのだが。

 

そして母乳栄養に興味をもつに至った経緯と、それらを構成する要素について、現状における医学その他諸々の科学的知見と、個別具体のエッセイ的エピソードを交えて書いてみたい。

それらは分たれた状態で我々に提供されることの多い情報だからだ。私はそのどちらに自分の認識を分類することも好ましくない(適切でない)と思う。

 

できたら、この記事は「あまり母乳栄養について詳しくない人」のもとに届いて欲しいと思う。そのために書いているので。

 

 

 

出産前の私の知識

出産前、産むことに決めた産院では、バースプラン(産前産後や分娩に際して積極的に妊婦や家族が参画できるよう希望を表明するようなもの)の提出を求められる。その内容に基づいて、助産師によるヒアリングが行われていた。

 

曰く、立ち合い分娩を希望するか(そもそもCOVID-19蔓延期であったため、希望したところでできなかったが)や分娩した際に出生児とどんなことをしたいか(カンガルーケアなど)など。そんな中に、「母乳」「(母乳とミルクの)混合」「ミルク」という栄養方法の選択肢があった。

よくわからなかったが、とりあえず、「母乳が出るなら飲んでくれれば良いし、哺乳瓶からミルクも飲んでくれれば保育園に行けるだろう」という楽天的な考えから「混合」を選んだ。

 

その頃の私でも、母乳栄養によるメリットーーたとえば、新生児の腸炎のリスク減少や初乳を通した抗体移行などについては既知であったうえに、COVID-19蔓延期においてワクチンによる抗体ももちろん移行するとの由を期待していた。

 

その他のメリットやデメリットはあまり考えていなかったが、まあ、「夜中にミルクを作るにしてもどうせ手間はかかるのだから…」という気持ちがあった。なお、乳児や母体の睡眠と母乳-ミルクの関係については諸説あるようで、科学的に統一された(少なくともメタアナリシスに到達できるレベルの)見解はないようである。私の知識不足かもしれないが。

 

あとは、私が出産前から電動搾乳機を買い求めていたように、「何やら搾乳とは大変なことなのだ」「うまくやらないと乳腺炎になる」「乳頭トラブルになると痛くて辛い」などといった、いわばマイナス面の知識はある程度身構えていた。

 

さていよいよ出産である。

 

 

産直後〜退院、新生児期の終了まで

授乳婦と児の基本的なスケジュール

母乳栄養というのは子と一体になって営まれるものである。そのスケジュールも、時間も、その中での過ごし方もすべて固有のものであるらしい。

子の欲しがるタイミング、1回に吸う時間、それに対して分泌される母乳の量、次に乳腺が張ってくる(張るまでに飲んでも出てこない)のはいつか、張りすぎて耐えられなくなるまでは何時間か、などが母児によって少しずつ異なり、母乳育児の確立を左右する。教科書にいくら書いていても、実際に行うと「聞いていたのと違う」となるのはこのためである。

 

①1日の中での授乳回数

「授乳回数」というカウントの仕方は、まず「左右(どちらかだけで寝てしまうこともあるが)を数分~数十分かけて吸わせる」ことが1回である。チューッと1~2分で吸ってくれるわけではない。

母乳が出るのには時間がかかるので、子が吸い付いてから何回か吸啜する。すると、射乳反射が起きて、「吸ったタイミングに合わせて」いくらか出てくる。子はそれを嚥下し、また口と舌を動かして吸啜すると、それに合わせて次が出てくる。この繰り返しを、新生児は片側10分前後ずつ行う。母乳が出るようになるまでは、5分ごとに抱き替えてみて、2往復くらい行う。トータル20分だ。これが終了したら今度は実際の空腹を補うためにミルクを与える。数分かけてミルクを飲む。これで「授乳1回」である。数十分かかる。

私の場合は、退院後から生後1か月になるくらいまで1日に10回以上授乳をしていた日もあった。多分ほとんど眠っていない。たまに連続睡眠時間が5-6時間になることもあるが、そうなってくると今度は自分の乳腺が張って限界になるのである。よくできたシステムだ。

 

②授乳間隔

教科書的には、新生児くらいだと3時間に1回母乳を飲む。しかし、先の「授乳回数」でのスケジュールでみたように、「1回の授乳」には数十分かかる。「授乳間隔」というのは、実は直近の授乳の「終了時間」から、次の授乳の「開始時間」までの間のことではない。直近の授乳の「開始時間」から次の授乳の「開始時間」なのだ。

つまり、「3時間ごと」の授乳は決して「3時間休憩できる」ではない。数十分かけて授乳をし、退院後であれば追加のミルクの作成と冷まし、投与、片付けまで全部かけて1時間近くかかる。授乳間隔がきっちり3時間だったとしても、休憩時間はあと2時間しかない。さらに、実際には授乳の間はずっと寝ているわけではない。排泄もするし、起きて泣き続け、もっと欲しがることもある。ミルクを一度にたくさん飲んでしまうと吐いてしまうかもしれないので、1度に20ml、まだ足りなければ次は20ml、と足す。そうこうしている間に次の授乳間隔がすぐやってきてしまうのだ。

 

③授乳量

先に述べたように、新生児のあいだは日ごとに飲む量が増える。貪欲な我が子はどんどん飲むし、母乳だけでは足りないようで、母乳をさんざっぱら飲んだあとにミルクをぐびぐび飲んでいた。こんなに飲ませて大丈夫か、と思うくらい飲んだ。

母乳育児というのは、乳児用のメーターで測るか搾乳をしない限りは分泌量がわからない。また、搾乳よりか直接飲ませるほうが効率が良いらしく、乳腺炎の予防のためにも直接吸わせて満遍なく角度を変えるほうが良いようだ。

というわけで、乳児用のメーターを持っていなかった私は自分がどれくらいの量を子に飲ませているのかよくわからなかった。新生児はいちいち「お腹空いた」や「これでもういい」とは言ってくれないので、足りているのかどうかがわからず、不安になる人もいるらしい。私自身は不安になるほどではなかったが、とにかく泣くし追加のミルクもよく飲むので「じゃあ必要量は結局どれくらいなんだ」と疑問に思っていた。もちろん昼夜問わずに追加のミルクも作らなければならないので、私自身の毎日の睡眠時間も新生児同様に非常に細切れだった。

 

 

吸啜刺激とホルモン分泌

産直後は母乳育児の開始において恐らくもっとも重要な時期である。出生後24時間以内に児の吸啜刺激が加わることでぐんとその後の出が良くなるようだ。

 

なお、一般的な知識だと、吸啜刺激は射乳反射を起こすオキシトシンなるホルモンを分泌する。このオキシトシンは下垂体後葉から分泌されており、射乳と同時に子宮収縮を促す。つまり産直後に児の吸啜刺激が加わることは子宮復古の観点からも重要なのである。

医療系でなければあまりご存知ない方もいらっしゃるかと思うが、分娩そのものに数百ml(個人差はかなり大きく、私は1000ml以上の多量出血となった)の出血を伴う。さらにその後も、胎盤という血流豊富な臓器を引き剥がした子宮からは1ヶ月ほどかけて出血が続く。この子宮復古がなんらかの理由でうまくいかないと、弛緩出血といってこれまたとんでもない量(〜数千mlに及ぶこともあるようだ)の出血を引き起こすこともある。医療に携わっていても、救急でもないのにここまでの多量出血を扱うのが日常茶飯事なのは産科が筆頭だと思う。

 

閑話休題

乳汁産生に必要なプロラクチンなるホルモンは構造上ドーパミンと似ており、プロラクチンの分泌によりドーパミンが抑制されてしまい、なんとも形容し難い不快感(不快性射乳反射、D-MER; dysphoric milk ejection reflex と呼ぶらしい)や気分の落ち込みなどを生じさせることがあるらしい。この現象も母乳育児を難しくさせるひとつの理由だろう。あまりメジャーには知られていないのか、私は産後に初めてこの現象を耳にしたような気がする。いや産前から知っていたかな。少なくとも個人のエピソードレベルでしか知らなかった。

 

幸運なことに私にはそれが起こらなかったし、様々な理由で出生後短期間GCU(growth care unit; NICUに入るほど重篤ではないが常時観察が必要な新生児〜乳児をケアする場所)にいる我が子に会いにいく理由は授乳がメインとなった。とりあえず我が子のコットの側に座り、抱かせてもらい(初日は点滴をしたりしていたのでひとりでは抱き上げることも難しかった)、左右5分ほど吸わせてみる。初日はなんにも出ない。なんにも出ないただの乳首を、新生児は一生懸命吸う。やれやれとお互い諦めたところで、ミルクをもらう。10mlか20mlくらいだったと思うが、それを飲ませるとごくごく飲む。以上で授乳は終わりだ。

産後すぐの体で、3時間ごとに訪れる授乳スケジュールのうち通えるタイミングは昼夜問わずGCUに歩いて行った。

その他産直後の不快な身体症状で眠ることもままならなかったので、じゃあまあ、世話でもするかという気持ちだったのを覚えている。

 

産後2、3日経つと、5mlとか10mlとか、まあそれくらいの母乳が出始める。もっともこれはよく出ている方らしかった。あまりにも私が眠らないので、助産師に勧められて搾乳機を使った。搾乳機を使うと実際の母乳の量がわかるが、そうでない場合は授乳前後の新生児を秤に載せる。10gや20gなんてほとんど誤差なんではないかと思うが、測れているらしい。産後数日はこれを頼りに、直接の母乳を授乳したあとのミルクをどれくらい足すかなどを決める。10mlとか20mlとか飲ませていたような気がする。大体1回量は、出生後1週間くらいまで日数×10mlくらいだったか。もう忘れてしまった。我が子はかなりぐびぐびと飲む方だった。

 

児の特性について

母乳栄養は受益者側(?)である児の意向や特性が非常に大きく影響する。この周辺も、個人差があるようだということはある程度事前知識があったものの、実際にどうなるのかはよくわかっていなかった。

 

母乳がどれくらい出るかを決めるのは子がどれくらい頑張って飲もうとするかである。吸啜という行為は、産まれたばかりの赤ちゃんにとってかなり疲れそうに見える。顎の筋肉をずっと動かしている。途中で疲れて寝てしまったりもする。「あまり飲んでくれない」などというのは、決して母親の甘えなどではなく、単に「疲れたから眠い」「もっと簡単に出てきてお腹がいっぱいになるミルクが欲しい」などの様々な理由により母乳が退けられることによるものでもあるらしい。

 

我が子は幸いにして非常に貪欲で、とにかく口に入るものならなんでも良かったし、飲み終わって満足したのがわかりやすい子どもだった。追加をたくさん欲しがるので、「もう出んからミルク飲んでくれや」となるシーンは何度もあったが。

 

子どもの吸いたいままに任せると、母乳というのはどんどん作られていく。それに伴い乳腺も非常にダイナミックに発達する。いわゆる「胸が石みたいに硬くなる」のはこのタイミングで、実際に私も経験した。乳汁来潮というのが正式名称のようだ。

入院中、「頻回授乳」という言葉を助産師の方からよく言われた。欲しがるときに欲しがるだけ与えるという方法で、その子に固有の授乳タイミング・量に母体が呼応できるようになるらしい。

なお、「空腹になったらその分だけ与える」という方法はミルクを規定量与えるよりも母乳栄養の方がやりやすい、というのは事実のようだ。

やや香ばしいタイトルだが、こちらの書籍が部分的に参考になった。

 

 

授乳にまつわる不快なできごと

退院する頃、つまり産後4-5日には左右セットで20ml/回くらい搾れていたような気がする。ちなみにこのくらいの時期から、産後数ヶ月(人によって差がある)くらいは「片方吸われていると吸啜刺激でもう片方も分泌して服がドボドボに濡れる」とか、「最早誰も乳を構っていないのに過剰に産生された分がドバドバ出てしまい気づいたら服が生臭くなる」などの現象が起きる。これはそこそこ困らされた。乳汁というのは結構生臭くて、時間が経つと牛乳を吸わせたボロ雑巾のような臭いになる。産後の乳腺の張りというのは凄まじいものがあって、最早授乳用に購入したゆるい下着ですら締めつけによる痛みを感じるので、タオルなどを当てて過ごした。そうするとそのタオルがものの2-3時間で上記のような臭いボロ雑巾になる。昼夜問わずよくわからない理由で泣き喚く乳児の授乳やオムツ交換や沐浴をしながら、こんなボロ雑巾に構わないといけないというのはまあそこそこの苦痛ではあった。無論、睡眠不足や産後の諸々の痛みを加味すると、「最悪。思い出したくもないわ」くらいの感想になるのだが、母乳栄養に限って言えばそこまで物凄い苦痛というわけではない。我が子は吸啜そのものもかなり上手だったようで、軟膏によるケアは必要だったがものの、乳頭の皮膚トラブルなどもあまり起こらなかった。

 

こうして、最初の1ヶ月ほどのあいだに母体と子どもは母乳栄養の基礎を確立するらしい。このころは、1-3時間ごとに授乳し、直接吸わせたあとにまだお腹を空かせているようであれば時々20-40ml程度追加でミルクを飲ませていた。つまり哺乳瓶との併用であり、いわゆる「混合」である。哺乳瓶と実際の乳首はやはり吸啜の方法が少し異なるようで、これに違和感を覚えてどちらかを拒否する子どもも多いようだ。これが第2だか3だかくらいの壁である。もちろん貪欲な我が子は飲めるものならなんでもよかったので、飲んだ。

 

1ヶ月前後〜離乳食開始まで; 「完母」とその後の「哺乳瓶拒否」

その後は、若干思っていなかった方向に進んだ。

母乳分泌が完全に追いついたので、もうミルクがほとんど必要なくなった。いわゆる「完母(完全母乳の略)」である。

1回の授乳で子は100ml~時に200ml前後も飲む。それを1日に6~9回くらい繰り返していただろうか、時期によりやや違いはあるがそんな日が続いた。

 

ときに私は生後3か月くらいに、産前まで勤務していた非常勤先への復帰を考えだした。体は本調子ではなかったが、公募があったので大体9か月になる頃くらいに復帰できる頃合いに合うと踏んで応募した。

ら、予想外に生後3か月の終わりくらいから週に1回だけの出勤が降ってきた。つまり保育園だ。直接授乳ではなく、急に哺乳瓶から飲んでもらわなければならなくなった。

そのころ、哺乳瓶はほとんどまったく使っていなかった。哺乳瓶の感覚を忘れてもらわないためには、搾乳して哺乳瓶から投与すればいいだけなのだが、こちらとしてもとにかく乳腺の張りとの勝負である。直接授乳に勝る時間的量的効率はなかった。

気付けば保育園に預けるまでに1か月から2か月ほど哺乳瓶をほとんどまったく使わない日が続いていた。そうすると今度は哺乳瓶からまったく飲まなくなってしまっていた。困った。

 

あとからわかったのだが、このころは新生児向けの哺乳瓶からの哺乳ではまったく出がよくなかったようで、「なんだこの辛気臭い授乳は!」といったことで哺乳瓶を拒否していたらしい。お腹を空かせて泣く我が子の口に無理やり哺乳瓶を突っ込み、抵抗を諦めて5mlや10ml飲んでくれれば儲けものだが、あとは泣く泣く冷凍の搾母乳を捨てるというしち面倒くさい手順を踏む期間が2-3週間続いたと思う。

あまりなんの拒否もなくスムーズに哺乳瓶も母乳も受け入れていた我が子だったので、ああ母乳拒否や哺乳瓶拒否で悩む親というのはこういう気持ちなのだなあとしみじみ思った。

そして、試行錯誤の結果3か月児用のMサイズ哺乳瓶乳首を購入するとすべてが驚くほどきれいに解決した。そこまでやってやっと先述の原因であることが判明したのである。頼むから口で言ってほしい、「こんな辛気くせーメシやってられっか、デカいのを寄こせ」と。

 

 

保育園と仕事、搾乳と乳腺炎

上述のトラブルを乗り越えて息子はスムーズに保育園に行きだした。

私はというと、週1-2ながらも出勤の日はほぼ12時間近く家を空けて我が子と離れる。我が子は哺乳瓶のミルクか搾母乳さえあれば気楽に過ごしているが、こうなると今度は私の乳腺が乳腺炎の危機に陥る。

生後4か月からこの苦闘がはじまるが、大体生後1年近くくらいになるまでは、授乳間隔が6時間も空くとかなり限界に近くなる。乳腺炎のリスクがひたひたと忍び寄ってくるのを感じる。授乳をしたことのない人には、たとえ同性であってもなかなか伝わらないと思う。

 

乳腺炎に至るまでに、主に乳房の緊満感(カチカチになってひどいときは下着の形にあわせて固まる)、特に腫脹のひどい乳腺のしこりが常に残り、熱感ももつ。これが続くと、うっ滞性乳腺炎と呼ばれる状態を引き起こす。40℃前後の熱が出る人もいる。乳腺というのは外部に開口部をもつ外分泌器官であるため、皮膚の常在菌を常に巻き込んでおり、乳汁が出せない状態が続くと今度は化膿性乳腺炎に移行する。こうなると抗生剤の内服や点滴のみならず、ときに外科的に切開して排出する必要に駆られることもある。

当時の私は最終授乳から4時間くらいで張りを感じ、6時間程度が限界で、8時間ほどになると上述の乳腺炎待ったなしの状態であった。

なので、子がいないときに搾乳機を持っていない=乳腺炎、が確定していた。勤務日は6~7時までに授乳をし、子は保育園に行き私は職場へ。職場で12時過ぎくらいから20分ほどかけて搾乳をして、保育園に迎えに行くのは18時くらいだった。

こうしてなんとか勤務と母乳栄養を両立させていたが、生後8~9か月くらいに1度乳腺炎を起こしてしまった。幸い対応は早くてなんとかなったが、37℃後半くらいの発熱と悪寒を感じた時点で「あ、だめだ」と職場にジャンピング土下座して中抜けし、保育園に手動搾乳機(息子)を迎えに行き、そのままで出産した病院の母乳外来に駆け込んだのは懐かしい。助産師さんの神がかりの手技により膿みかけた乳汁を吹き飛ばして、その後は抗生剤を内服しつつ頻繁に授乳をすることで事なきを得た。

 

なお、搾乳機を持ち歩いて冷凍搾母乳を大量生産するようになる話は先の「熱すぎる搾乳機レビュー」記事に詳しく書いたが、誰も得しない。

 

さて、こうした複雑なトラブルがあるので、母乳栄養をしている母親が乳児と離れてフルタイムの仕事をするのはかなり大変である。

それらを避けるために、0歳児をもちながら仕事復帰をする人のなかには、薬の内服で完全に母乳分泌をストップする、いわゆる「完ミ」を選択する方も多いと思われる。

 

私自身が乳児を育てるにあたって、そもそも栄養方法をこんなふうに選択し、また子のリズムと自分の体のリズムをすり合わせる必要があることは産前はまったくよくわかっていなかったと思う。し、失礼な話だが、男性の場合は「産後になってもよくわからない」人が多いのが現実であると思う。是非この記事で興味をもたれたら、母乳育児に関する科学的な知見を得たりしてみてほしい。なかなか面白い世界であるので。

 

 

 

長きにわたった授乳、そして卒乳

あまりに記事が長くなってきたので、さっさと卒乳の話をしたい。

卒乳、そう、このために私はこの記事を書いたのである。

 

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母親と児の最適な卒乳タイミングとは?

以前の育児本では、1歳になるまでには卒乳とか、いろんなことが言われていたらしい。現在は卒乳(母乳もミルクも)について厳格な定義はない。母乳栄養を続けている間の妊娠しづらさ(しないわけではない)などの背景もあるが、WHOは2歳になるまでの母乳栄養を推奨している。もっとも、これには途上国の水事情(ミルクを作るための衛生的な水がないので、母乳の方がよい)なども背景にはあると思われるが、とにかくこれまでの育児法よりも現在の社会的母乳事情は長期の授乳に寛容である。

 

とはいえ、「授乳の開始」に個別のストーリーと固有のリズムがあるのと同様、「卒乳」もやはり個別的なものである。

他人の卒乳関連エピソードやエッセイなどを読んでいると、すごく苦労しているものもあるし、「自然に欲しがらなくなった(0歳のあいだに!)」などのエピソードもあった。

私はといえば、0歳のあいだは好きに飲めばいいし、1歳のあいだもまあダメではないという姿勢だった。が、2歳になるまでには夜間授乳は辞めてほしい(哺乳瓶齲歯という特徴的な門歯のリスクが明確に上がるから)と考えており、離乳食が完了する時期からは母乳の栄養はメインのものではなくてあくまで「お楽しみ程度」というやつだと思っていた。

それは事実だったのだが、0歳の終了くらいから、如実に我が子の精神依存が強くなっていった。「与えられるので飲む」というより、精神の安寧のために母乳を欲しがるのである。これは起床時と帰宅後に特に強かった。夜間も母乳でないと納得しないことが多く、牛乳で置き換えようとしても拒否されることがしばしばあった。

そのうえ、私自身は上述の通り母乳の出がよかったので、当然乳腺炎リスクも高く、「じゃあいつ授乳をしなくてもよくなるのか?」というのが母子ともに見えてこない時期が半年近く続いた。

この間、授乳回数は2~4回/日とかなり減ってきていたし、私の乳腺も8時間間隔や12時間間隔にも耐えられるようになっていたが、最後の2回がゼロにならないという時期が数か月あった。我が子は随分と自我もサインも発達してきたし、母乳が欲しい、またはもらえるタイミングになるとわざわざ抱きかかえられる際に授乳しやすいポジションに座ろうとするし、椅子に私を座らせようとして椅子を叩き、「さあ早く」と催促することもあった。

 

そして迎えた卒乳の日

1年半を過ぎたころ、さすがにこれを終わりにしたいと思い、何度か授乳を誤魔化すようになった。些かの抵抗を受けたが、夜中に起きても牛乳を渡されるということが何度か続くと、子どもは少しずつ「夜は授乳をしてもらえないことが多い」と受け入れるようになった。実は、最後まで催促をしていたのは「帰宅直後の授乳」だった。保育園に行き、遊んで帰ったあとは親に甘えたい、安心したいという気持ちが強かったのかもしれない。習慣の力は大きい。

 

かくして、朝夕のいずれも授乳なしで過ごせることを確認してから、通院してもらっていた断乳用の内服薬を飲んだ。カバサール(カベルゴリン)という、ホルモン分泌抑制薬である。2.5mgを4錠、1度飲むとそれで終わりだ。なんとも不思議なものである。

 

長らく授乳をしていたので多少の乳腺トラブルを覚悟していたが、内服から4日ほど経ったタイミングで1度すっきりするまで搾乳をしたあとはもうまったく困らなかった。

これにて晴れて母子ともに卒乳である。

 

あまりに卒乳できず、どこかでタイトルだけ知っていた『おっぱい ばいばい』なる絵本を購入したりもしたが、何回読んであげて「ばいばい」のジェスチャーをしてみても、多分我が子はそんなに「ばいばい」を意識していなかったのではないかと思う。結局は言い聞かせたり納得したりよりも、習慣の変化の力の方が大きかった。我が子の場合は、だが。

 

現在は卒乳して2週間以上経ち、少なくとも椅子を叩いたり夜中に起きて母乳を欲しがることはほぼまったく無くなった。まれに、椅子に座って正面抱きをすると、胸元を覗き込んで「あれ?」という顔をしている。が、断られて寂しそうな顔をしたり泣いたりすることもないので、まあ本人なりに納得しているのだろうというところだ。

 

私たちの卒乳はあまり感動的なものではなかった。保育園の登園前に授乳をしたら、その日に風邪を引いて熱を出し、たまたま保育園を休むことになってしまった。私も仕事を休まざるを得なかったので、1日一緒に過ごし、夕方の授乳をせずに寝かせることができた。今しかないな、と思い内服して眠り、その朝の授乳が最後になった。

このころには、片乳あたり2-3分も飲めば満足するので、トータル5分あるかないかの最終授乳だった。しかも、私はもうやれやれと思いながら授乳をしていたので、別にわざわざ子の顔をじっくり見たりしないし、記念の写真も動画もなんにも残していない。

1年半も続けたわりにはなんの感慨もない卒乳である。

 

けれど、母乳育児そのものに苦労した人や、卒乳が子との絆を断たれるように感じるほどつらい人もいる。

私はそのすべてに「ものすごくたくさん」は困らなかった。だからこそ、当事者のわりには第三者のような目で自分自身の経験を振り返ることができるのかもしれない。

 

 

特に何の役にも立たないが、母乳栄養をはじめる人、終えた人、なにもしらない人、興味のある人たちにしょうもない読み物としてこの卒乳記録をお届けしたい。

 

卒乳おめでとう。お互いお疲れさまでした。

映画感想『子宮に沈める』(2013年)

緒方貴臣監督2013年最新作『子宮に沈める』映画公式サイト

 

重い腰をあげて、何年ぶりかわからないが映画の感想を書く。

 

毎度のことながらどこまでがネタバレなのかよくわからないので、ネタバレを踏みたくない人は読まないでほしい。

 

ただ、ネタバレ、といってもこの映画は多分ある一定の方向でとても有名だ。実話を元にしたフィクションである。

ふたつの虐待死事件を参照したものだ。

 

ひとつは2010年の『大阪二児虐待死事件』、もうひとつは2007年の『苫小牧幼児死体遺棄事件』のようである。メインのストーリーは前者にインスピレーションを受けたような印象だが、後者のエピソードがいくつか演出の中に盛り込まれている。

前者については、事件の概要がわかるwikipedia記事があるので適宜参照いただきたい。後者についてはリンク切れのニュース記事と、それを元手に書かれた個人ブログなどが出てくるばかりである。

 

いずれの事件にも共通なのは、「実母のネグレクト(数十日にわたる置き去り)」「幼児の餓死」「2人の幼児」という点だろうか。なお、苫小牧の事件では、長男(5歳)が冬の北海道にて1ヶ月以上の長期間を、食事のない空間で生き抜いている。当時のことをよく知るわけでもニュースを事細かに調べたわけでもないのでごく素朴な感想しか出てこないのだが、幼い弟の遺体のそばで過ごした1ヶ月というものを想像すると失神しそうになる。

 

ここで本編の概要はほぼネタバレなので、もう実在の事件に譲ってしまおう。

 

実在の事件と異なるのは、水商売をするまでの母親(主人公)が非常に「よき母」であることである。90分ほどの映画のうち、1/3ほどの時間はこの小さな幸福の時間を写している。

そしてこの幸福の時間が輝いて見えるからこそ、残りの時間がただただ沈痛で視聴者を苦しめるのだと思う。よくできた映画である。

 

ちなみに実在の事件がそうではなかったとは言えないが、母親自身が被虐待児や強姦被害者であるなどの特殊な事情があるようだ。ここは恐らく映画化するには難しいものがあるし、何より実在の事件をそのまま映像化することに監督の本意があるわけではなさそうだから、スキップするとしよう。

 

 

 

誰が、何を、「子宮に沈め」たのか

そもそも映画のタイトルには少し謎がある。本編を観終わったあとも不思議だった。

映像を観ただけの素朴な理解だと、主人公である母親が、我が子たちを(物理的に)沈めたのだと思ってしまう。

 

しかしなぜ「子宮に」なのだろう?

 

これも考察され尽くしているけれども、映画の全編がある室内「のみ」を撮影している。母親がひとりで守っている、安全な空間(≒子宮)という理解でよいのだろう。そしてこの場合、「沈められ」たのは、子どもたちだけではないようにも思われる。映画本編では母親本人もそこに沈んでしまっている。では「沈めた」のは誰なのか?という問いは、母親と直接間接に関わりを持った人に向けられ、そして「もしかすると観ているお前も"沈める側"になりうるぞ」という迂遠な警告メッセージのようにも思える。あるいは、「社会」という茫漠とした対象とすることで、視聴者がそれを批判するきっかけとして与えられた主体かもしれない。

 

…とかいう寝言を書けるほど、この映画を観るにあたりって私はあえて事前情報を摂取しまくった。稀代の胸糞映画として有名だったからである。

今でなら「ごく表面的な」感想だと言うかもしれないが、利己的な母親の放埒の果てに幼児が死んだという理解をしている人もたくさんいるようだ。それはそれで間違いではないかもしれない。「これは社会への警告メッセージだ」と言うのもなんだか大層な正義感だなと思ってしまうので。

 

以前(多分数年前)、この映画がなんらかの配信サービスで無料配信されていたのに、内容を知るのが怖くて飛ばし飛ばしにしか観られなかった。最後の10分、15分くらいしかしっかり観ていない(そしてそれも飛ばしながら観た)。

そのときには、私も上述の2種類の感想の間で揺れ動いていた。

が、自分自身が出産や育児を経験してみると身につまされるものがある。そして、「身につまされる」で済まない変化も実感した。恐らくこれは映画のみの描写で独特のシーンだ。

 

観た人には、「かぎ針」でご理解いただけると思うが、その行為と環境のおぞましさではなくて、「悲しさ」が先に立った。

ダイニングで、2人の子どもを寄り添わせて、自分が編んだ大切なマフラーを巻いて、それを編んだ道具でまた殺す。そこで初めて、体の痛みもさることながら、耐え難い心の痛みと罪の重さに悲鳴をあげる。実際には悲鳴すらあげることができず、声を殺し、耐えて泣く。

そしてそのすべてが、「安全な」場所であるはずの「子宮」でおこなわれている。

 

多分この感覚は、全編通して観て、そして自分自身に出産や育児の経験がなければ(少なくとも私の場合は)持ちえなかった感情のように思う。

社会が母親を孤立させた結果、「社会が」「母親ごと」子宮に沈める、というメッセージがあるのだという解釈(というか監督の主意のようだ)もあるが、そもそも社会は子宮(母親が守っているもの)についてよくわかっておらず、その「解釈の余地」のようなものが映画の解釈を方々に許して(委ねて)いるような気がする。

万人に一意に解釈される動機も状況も存在しないとでもいうように、定点カメラの演出はただ出来事だけを淡々と報告する。

母親の心の中はその「子宮」の環境そのものとして描かれている。不安定で、小さな幸せに満ちており、そして押し潰されそうで、そのうち捨てられてしまう。母親の心が母親自身に捨てられているうえに、母親が理解をやめたものを他の誰も救いようがない。

 

 

『誰も知らない』と近いが、違う

似たような題材を扱った有名な映画で、『誰も知らない』がある。柳楽優弥を不動の役者とした、是枝監督の作品である。

こちらも実在の事件を扱った作品で、母親が失踪するとか、子どもがさらに幼い子どもの面倒をみるといった共通の描写がある。

が、『誰も知らない』では少年が外の世界との接点をもっていた(それがゆえにあの結末になった)のに対して、『子宮に沈める』はほんとうに誰も覚知し得ない、文字通り子宮の中ではじまって終わった話である。

母親の心情が凍えて死んでいき、子どもを遺棄し、そして帰宅した際の行動に幾らかの(あるいは最大の)罪悪感があり、その解釈のバリエーションが上から下まで様々なのがその証左であるように思う。母親自身でさえ、「なか」のことはよくわからない。片付けて、自分(と他人)を傷つけてみて初めて、ようやく自分の中に言語化されてこなかった「償い」の気持ちの大きさに気づき、そしてそのまま押し潰されてしまったように見える。

 

その一連の事象を、「社会への警告メッセージ」と受け取るには、個人的はそれ自体もなんだか表層的だと感じる。もちろんこの出来事が身近でなかった人にとっては、問題に気がつくきっかけになり、多大なる不快な感情と共に記憶に焼きつくのだと思う。それも製作者の狙いではあるだろう。

 

しかしそれを越えて、名実共に主人公に近い存在になってから観終えると、ただ不気味で恐怖でしかなかったあのシーンが彼女に残された人間らしい気持ちというか、何にもスポイルされない「贖罪」と「愛情」に見える。恐ろしいことだが主観という色眼鏡はこうも観る映画の性質を変えてしまうのかと自分でも驚いた。

そして情景に対するこの感情は、「共感」を許されていない。共感している状態かどうかを示唆する要素も、映画には描写されていないからだ。自分でも「共感」しているわけではないと思う。これは勝手な解釈であって、勝手な解釈の文脈上での勝手な同調、振り回されのような感覚である。

 

いずれにしても、観るのもつらい映画であることに変わりはないが、その後も映画の演出をいくつか再確認したくて都合3回ほど(通して観る暇はないので途切れ途切れに)観た。

たくさんの秀逸な映画レビューがあるのでそうした解釈は他に委ねたい。私が言及したかったのは、ほんの数秒のシーンの印象が「自分の子宮」の変化によって90°くらい変わったことだけである。

このことだけは、どうやら『子宮に沈める』の部屋の中のように、観察によってしか解釈も記述もできない出来事のようだ。理解も言語化もあまり許されておらず、記事を書いたくせに説明するのが難しい。

 

というわけで、そもそも書くことそれ自体が「撮影」であるという、定点カメラの報告であるところの感想記事を終える。

100冊読破7周目(61-70)

1.FACTFULNESS(Hans Rosling, Ola Rosling)

めちゃくちゃ珍しく(初めて?)原著を読みました。邦訳が出たとき少し有名になったのでご存じの方もおられるかと思います。

先進国で教育を受けた人たちの貧困に対する先入観、誤読ってめちゃ多いよね?ちゃんと見よ?という話。章ごとにまとめもあってとても読みやすいです。なんというか、入試に使われそうな文章でした(失礼)。

 

しかし、「最貧困国の衛生状況は19世紀後半の先進国と同じくらい」とかそういうの、「現代なんだからさあ…」みたいな気持ちにはなりますね。物差しをたくさん持つことは大切だと思うんですが、みんな現代に生きているので…と感じる箇所がありました。

 

 

2.村上春樹河合隼雄に会いにいく(村上春樹河合隼雄

なかなか面白かったです。対談録ですが、お互いの考えていることが上下に注釈で書かれていて、そのときどんなつもりで言ったのかとか、会話の流れで詳細は端折ったけどどんな背景があったかとか書かれています。

個人的には、村上春樹がつけていた注釈の「夫婦とは補い合うものではなくて鏡のようなもので、自分の欠点が見えること。相手が補ってくれるのではなく自分で向き合って埋めていかなければならない」みたい部分がすごく納得できて、好きでした。

 

 

3.アリストテレス入門(山口義久

アリストテレスの「◯◯主義者」と言われがちなところ実際どうなん?みたいなところを検証しつつ、各代表書籍と概念を紹介していく本。珍しく(?)「入門」と名のつく本の中でその名に相応しい内容だと思います。

図書館で借りたのですが、著者が寄贈された本だったようで、ご本人直筆のメッセージがあって衝撃を受けました。

 

4.櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。(村上龍

「俺に若者を語らせんなよ」というスタイルなのに若者の話を書いてくれる村上龍、わりと好き。

 

5.忘れられた日本人(宮本常一

この本をとある人が紹介していた数日後(翌日だったかも)、図書館で出会ったのですぐさま借りました。

農村・漁村の人びとの暮らしぶりやソーシャルネットワークについて詳らかに書かれていてとてもよかったです。

個人的には、村の決め事をするときに直接民主制が採用されているのに驚きました。なんでもない話に脱線したりしつつ、なんとか上手く納まるまでに数日を要することもしばしばだとか。現代ではとてもできないことですが、「田舎」の良し悪しでなくこうした文化を知ることは土地のルーツを知る意味で重要なプロセスだと感じます。何よりそうした寄り合いに参加できる宮本氏の根気強さ、人びとへの丁寧さがなければできなかった調査だと思いますし、ただただ敬服するばかりです。

 

6.誤植読本(高橋輝次

とんでもねえ誤植をした人たちの阿鼻叫喚の話。今と違って文字組みをしないといけない時代のものもあるので、大変だったろうなと…。あと個人的にすごいなと思ったのは、専門的知識のない印刷所の人がフランス語の綴りの間違いを指摘したという話です。職人の勘というやつでお気づきになったそうですが、そんなふうに働くか…と人間の脳の可能性に思いを馳せました。

 

7.すごい言い訳!二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石(中川越)

酔ってウザ絡みしてた中原中也が自分のことを「ひとりでカーニバルをやってた男」と表現していてめちゃくちゃウケてしまった。

 

8.医療再生は可能か(川渕孝一)

経済学側から見た話なので、医療者としては既知の話が多い。あと2000年代発刊なので情報が古いです。日本の医療制度のねじれの概観を知るには軽くて良いかも。

 

9.しんがりの思想 ー反リーダーシップ論ー(鷲田清一

ちょうど先に挙げた宮本常一の本を読んだところだったので、「先導する人」ではなく「結論を引き出す人」の重要性も浮かび上がったところでした。その能力のことを「リーダーシップ」と呼ぶ人は少ないですよね。

 

10.捏造される歴史(ロナルド・フリッツェ)

調査するのめちゃくちゃ面倒だっただろうな…と思うほどきっちりした本でした。

疑似科学批判の本は最近よく見るようになりましたが、擬似歴史を批判するのはかなり難しい。完全なるインチキではなく、まともそうな議論をチェリーピッキングしやすいからだとは思うのですが、話を広めた人の生い立ちや思想まで追っていて本当に執念の調査でした。著者本人が、「このテーマで書こうとしたことを後悔した」みたいなことを書いていて少し笑ってしまいました。

 

 

 

おわりに

10冊読むのにかなり時間がかかったのは、最初の1冊が原著だったからでした。リーディングの練習にちょうど良い題材、ボリューム、難易度でした。院試受ける人とか良いのではないでしょうか。

 

そして読書期間はまる4ヶ月くらいかかっていました。この間、私は転職をしたりしていたのですが、だんだん読書の時間を取るのが難しくなってきて切ないものがあります。それから、図書館の都合上あまりお硬い本を置いていないのですが、なんだかんだで自分は学術書の入門くらいのものが好きなのだなあとしみじみ思っています。学問に誠実かといわれるとそこまでではないのが痛いところではありますが、自宅の積読もひどいので適宜進めていこうと思っています。