毒素感傷文

大学生活とか、読書の感想とかその他とか

放送大学大学院修士全科生生活Vol.5

研究生活記事を書くのが久々になってしまいました。前回記事よりは進捗があったし、そろそろ良いかなと思い筆をとりました。進捗がないと書いてはいけないかのような強迫観念があります...

こういうの、院生としてはよくないような気がしますね。進捗ないならないでそのことも含めて書けるのがいちばんいいのだと思っています、ブログは好きなように更新するものなのでまあそれでもいいのですが。

 

そういえば先週、来年度入学の修士全科生の面接があったようです。お疲れさまでした。

そして今回の記事は何かと書くことが多く、ちょっと長い記事になりそうです。思いつくままに書いてしまうゆえ、いつも読みづらくてすみません。

 

学会に演題を出す

あと1週間ほどで予稿の締め切りなんですが(なので急いで仕上げたのですが)、春から今までにやってきたことをちゃんとアカデミックな場所に出す機会がありそうです。いきなりですね。いきなりでした。いきなり話が落ちてきてびっくりしました(マジで)。

自分で学会を見つけてきたわけではなく、今回は(いやいつもだが)指導教員におんぶにだっこで「ここに出したら?」と教えていただき、過去の演題を見つつ、「まあ多分許されるやろ...」とぶち上げる意志が固まりました。

デビュー戦が非医療系の学会になるのはなんとも数奇なものですが、折角機会をいただいたので頑張ります。時間内に適切なペース配分をして喋るというのがものすごく苦手なのでちょっとは練習しないといけません...。

あとは聴者が恐らくほとんど非医療系の方なので、自分がどんな風に説明したらよいのかというのは頭をひねらなくてはならないような気がします。半面、文脈を共有していない相手にどのように説明するかというよい訓練になるので、有意義でもあると感じています。

 

初めて予稿なるものを作っていて思ったことは、

  • 字数制限がかなりシビア
  • 細かい書式の指定が自前のソフトでできないと面倒
  • 指定フォントが好きだとテンションが上がる

などでした。使用しているのがMS Officeの学生アカウント(完全無料+制限のあるオンライン編集)なので機能に制約が多いです。些末なことながら作業環境については事前にどこまで必要なのかを考えておいた方が良いかもしれないなと思いました。

 

文献管理ソフトをようやく決めた

春から今までずっとうまいこと使えていなかったのですが、結局ZoteroEvernoteに落ち着きました。Evernoteはリンクとメモ用にだけ使っていまして(なので最近あったEvernote改悪にもあまり影響を受けていません)、学会に使うような文献の参考・引用リストはZoteroに入れている状態です。自動で情報抜き取ってくれるの非常に便利ですね...引用の書式もそれぞれの分野によくあるスタイルを取り揃えてあって、自動でコピペできます。自分は家の外で電子媒体で文献を読むことがないので、今のところこれで十分そうです。

Mendeleyも実は入れてはいたのですが、PC本体に保存したpdf等が雑多なので全部読み込んでしまって動作が非常に遅いです(多分なんとかする方法はあるのでしょうけど自分はZoteroのUIの方が好き)。

外でも読み書きできたらいいなとは思いますが、今は特に外出へのハードルが高いのでしばらく困ることはないと思われます。

 

奨励金を申請する?

外部の一般財団が出している奨励金に応募しようかなあと考えています。昨年度も実は勧められてはいたのですが、研究計画書まともに書けず、まだ指導教員とろくに連絡もとっていなかったので(そして推薦者2名が必要なので)書けずにおりました。

実際に応募するかどうかまでは決定していないのですが、応募自体はまだ先のことなので学会に出したぞという実績を引っ提げて書けたら嬉しいです。ちなみに期間は1年です(なので修士1年からの応募はしづらかった)。

 

ゼミには必ず出ろ

これは自戒というか、自分が「出てよかったー!!」と思っているからこその記載です。できる限りゼミは出た方が良いです。

何を当たり前のことを言っているのか、と思いますが、放送大はそもそも社会人学生が多いですし、不規則勤務の方だとゼミと日程が合わなくなってしまう場合もあります。ゼミの開催形式も研究室によって本当にそれぞれ異なるので一概に強制するわけではありませんが、一般論としてこれはある程度通用すると思います。

社会人学生でなくとも、院生の中には研究の進捗が悪くなる(理由はもちろんケースごとに異なるでしょうけども)と、なかなか報告できなくなりゼミにこなくなってしまうケースがあると聞きます。本当にどの分野でも、どの研究室からもときどき聞こえてくる話です。

自分の研究室は昨今の情勢上、入学時以来一貫してWeb開催です。が、前回体調を崩しており進捗状況も大してよくなく、出ようかどうか真剣に悩みました。しかしながら他に普段研究の進み具合を報告する相手もおらず、内容に指摘をしてもらえる機会もないので、定期的に外部への報告をできる環境というのは本当に貴重だと感じます。結局ちょっと無理をして出ましたが、無理して出た分だけ得るものがありました。

ゆえに表題のような心象を抱くに至りまして、他人に強制するわけではありませんが、ゼミには出た方がいいです(初歩的)。

 

余談ではありますが、M2の方の修論の締め切りが今月でした。そして修論が出せなさそうな方が数か月前からゼミにぼちぼち出られなくなってしまっていたので、なんといいますか...勤務の関係もあるでしょうが、思うところはあります。

放送大は恐らく規定年限で卒業することのない院生がかなり多い大学院かと思います。しかしながら規定年限を超えても修論を出せるというケースはやはり年限内の方よりもかなり減ってしまうと聞いております。折角きたのだから、なんとか2年間で終わるためにも、どんなに進捗状況がよくなくともゼミには出た方がry

 

与太話でした。

 

本は遠慮せず借りろ

これもなかば自分への戒めですが、もっと早く図書館を活用しておけばよかったなあと思っております。

現在、放送大図書館でより多くの専門書にアクセスするには2通りの方法があります。

①所属している学習センター(都道府県別に設置されている施設)に本部から図書を送ってもらう

こちらは送料負担なしで、全ての履修形態(全科・選科・科目履修の別なし)で利用可能です。しかしながら学習センターまでは取りにいかねばならないので、学習センターが遠い方やたくさん借りたい方にはあまり適していないかもしれません。

 

②本部図書館から直接自宅に配送(送料は自己負担)

こちらは以前まで修士・博士の全科履修生と学部の卒業研究履修生のみの利用でしたが、昨今の情勢を鑑み、在籍しているすべての学生が利用できるようになりました。正直めちゃくちゃ便利です。学部生は10冊/1か月、卒研履修の学部生と修士のすべての形態での学生が20冊/1か月借りられます(他に予約を入れている人がいなければ2週間まで延長可)。

取寄せ概要 放送大学附属図書館

放送大の蔵書は本部図書館(千葉)から貸出可能なもので大体30万冊で、そこそこの都市圏にお住まいであれば公共図書館や地域の大学図書館の方が蔵書数も多いかもしれませんが、アクセスが悪い or 利用制限がある等であれば放送大のサービスは助け船になると思います。

金にものを言わせてガンガン借りましょう。

ちなみに、20冊ガッツリ、ハードカバー(平均で300-400pくらい?)を借りて片道送料1500円くらいです。ひと月3000円で20冊選り取り見取りとなるならば十分に価値があると思います。ただ、中身を読めないゆえにこうした手段に出ざるを得ないだけなので、「借りてみたけど自分にはさほど必要なかった」という場合には、他の方のためにも早めに返してあげるのがよいですね...(自分もそうしております)。

 

卒業後のことについて

半年ほど前に書いた記事の最後のほうにも書いたのですが、「修士のあと」について(というか来年度以降について)ちょっと目途が立ちました。立ちましたというか、立たないということがわかりました(ここで頓死)。

streptococcus.hatenablog.com

今年度が終わるくらいまでは今のクリニックの非常勤を続けますが、その後また転居をすることになりそうです。前回の転職は職場選びも含めて色々不可抗力な部分があり、正直直近の1年半は職業上本当にやりがいのない生活をしておりました...。

今回はそこそこ真面目に今後のことを見据えつつ時間をかけて職場を探せそうなので、現状も見据えて転職(就職)活動をしていきたいと思っております。

上記のVol.2記事にも書いたのですが、ダイレクト教職はちょっと厳しいうえにまだ来年度はM2なので修論という難敵が控えており、臨床の常勤はハードルが高いなあと悩んでいますが、まあなんとかなるやろと気楽に構えています(そんなで装備で大丈夫か?)(大丈夫だ、問題ない

転職エージェントに早速新天地への求人を問い合わせたところ、既に修士課程に所属していることもあって前回転職時よりは随分いい条件の求人を出してもらえました。経歴は大事です...(落涙)

 

 

 

今後も引き続き修士課程記事を書くとともに、就職活動についても付記していけたらと思います。医療職なのであくまで専門職についてのものですが、ほんの少しでもどなたかの参考になれば幸いです。

100冊読破6周目(61-70)

1.看護実践の倫理(サラ・T・フライ)

看護実践の倫理―倫理的意思決定のためのガイド

看護実践の倫理―倫理的意思決定のためのガイド

 

ピーター・シンガー『実践の倫理』を探すと大体一緒に出てくるのがこれです。

第一版が出てから多くの人に読まれてきた看護倫理の教科書のような本です。事例が豊富。

 

2.病院倫理委員会と倫理コンサルテーション(ミカ・ヘスター)

病院倫理委員会と倫理コンサルテーション

病院倫理委員会と倫理コンサルテーション

 

こちらも倫理実践の教科書ですが、米国を中心に勃興した臨床倫理コンサルテーションに特に詳しい本です。ちなみに米国だと医学系研究倫理についてはベルモント・レポート方式がとられることが多いようです。要するに中央管理です。質を担保し、被験者の権利を守れなかった暗い歴史を参照して作られたもののようです(黒人に対する梅毒研究などが過去の事例として相当します)。

本書は病院倫理委員会を築くにあたって制度をどうすべきか、メンバーをどうすべきか、等々詳しく述べられています。ケースごとの倫理的なディスカッションから地域の課題まで述べられており、手元に欲しいです(突然の願望)。

 

3.ケアの社会倫理学―医療・看護・介護・教育をつなぐ(川本剛史)

ケアの専門性というよりは、ケアそのもののもつ倫理的特性という感じで、倫理理論というよりは社会学的な要素が強いです。寄稿でできていて各章の著者のバックグラウンドも様々なので、それが良さでもあり悪さでもあるかもと思いました(特に哲学系をバックグラウンドにした章は若干何を言っているのかわからない)。この本を入り口にして医療倫理・臨床倫理やケアの倫理(のさらに根源的・理論的なもの)に進むことはできると思われるので、。生命倫理とか医療(臨床)倫理とかいわれてもピンとこないとか、理論が苦手(とっつきにくい?)と感じる人にはよいかもしれません。しかしこの本を読みたいと言われたら、別の本をご紹介する気がします...(ミルトン・メイヤロフ『ケアの本質』とか丹木博一『いのちの生成とケアリング: ケアのケアを考える』とか)

 

4.臨床看護のディレンマ Ⅰ(マーティン・ベンジャミン, ジョイ・カーティス)

 医療経済について読みたかったのですが4章にちょろっと書いてあっただけでした... これに関しても他の本で代用はききそう。手に取りやすいボリュームなので、医療倫理や資源配分の倫理に興味があって事例をベースにした方がとっつきやすいという医療従事者にはお勧めできるかもしれません。もしくは、倫理方面から医療の問題にアプローチしたいときにどんな事例があるのかを知るときに。若干事例が古いですが、国際的な倫理に関しては恐らく今も通用するケースがあるかと思われます。国際保健に関してはこれまでに具体的に触れている文献があまりなかったので、本書は貴重かもしれません。

 

5.精神現象学(G.W.F.ヘーゲル

精神現象学

精神現象学

 

完全に明確な内容を備えたものだけが、同時に、顕教的であり、概念的であり、学習されて万人の所有物となることができる。学問が理解可能な形をとった時、万人向きの、だれでも同じようにあゆめる学問への道ができたといえるので、理解したうえでさらに理性的な知へ至ろうとするのが、学問に足を踏みいれた意識の当然の要求となる。(まえがき)

精神現象学、存在はずっと知っていて随分昔から読みたいと思っていたのですがこれもハードルが非常に高く、手に取ることができずにおりました。

実はヘーゲルとは随分長い仲でして(?)、看護学校時代の卒業研究に用いた看護理論が弁証法に基づいており、敵対的矛盾の解決ないし非敵対矛盾の調和を目指すというものだったのですね。

そして自分は何も知らなかったのですが弁証法について詳しく説明なされるのは『大論理学』のほうなんですね.............?(タイトル見れば考えつくだろうとか言ってはいけない)。『精神現象学』も「現象学」と名前が入っているのでフッサール現象学などと何やら関係があるのかなと思いましたが決してそうではなく、「精神」という現象に関する学であると。むしろこちらのほうが現象という言葉は素朴に用いられており理解しやすいですね。

 

難解であることで知られる本書でもあり、読んでみたいといいつつ読みあぐねた部分ばかりで引用の転記ばかりになってしまうことをお許しください。

なお、精神現象学ガチ勢からは加藤尚武氏による入門書と当該箇所を照らし合わせながら読むのがいいよと教えていただきました。いずれにしても図書館での貸借となると思われるので、いつかチャレンジしたいです(いつになるんだ?)

...意識にとっては、すぎさった時代のゆたかな生活が記憶に残っている。だから、新しく登場した携帯には、内容の展開と分化が欠けているように感じられるし、明確な輪郭をもってたがいを区別し、ゆるぎない関係のうちに全体を秩序立てる形式の展開となると、なおいっそうかけているように感じられる。この展開なくしては、学問が広く理解されることはなく、少数の個人に秘伝された財産という以上には出られないように思える。「秘伝された財産」だというのは、学問がさしあたり内面的な概念のうちにしか存在しないからであり、「少数の個人に」というのは、その登場が広がりをもたなければ、学問は個人のものとなってしまうからである。完全に明確な内容を備えたものだけが、同時に、顕教的であり、概念的であり、学習されて万人の所有物となることができる。学問が理解可能な形をとったとき、万人むきの、だれでも同じようにあゆめる学問への道ができたといえるので、理解した上でさらに理性的な知へ至ろうとするのが、学問に足を踏みいれた意識の当然の要求となる。理解とは思考の働きであり、純粋な自我の活動なのだから。理解されたものとは、よくわかっているもののことであり、学問的知と非学問的意識とが共有するもののことであって、それを手がかりに非学問的意識はまっすぐ学問の世界へと入っていけるのである。

(中略)

だから、学問は自己意識の世界と学問を統一しなければならず、もっと的確にいえば、自己意識の世界が学問に包摂されることを示さねばならない。それ以前の、現実性を欠く学問は、潜在的な内容や、内にこもったままの目的しかもたず、活動する精神ではなく鈍重な精神にすぎない。潜在的な学問は外に出てきて顕在的にならねばならないが、その過程は学問と自己意識が統一される過程にほかならないのである。

こうした学問ないし知の生成過程を述べるのが「精神現象学」である。——まえがき

...とはいえ、一個人の心のおきてが他の個人の掟とぶつかりあうなかで、共同体秩序は万人の心の掟であることが示されてもいる。個人の掟をしりぞけて共同体の掟が守られるのは、共同体の掟が、無意識の、空虚な、生命のかよわぬ必然性ではなく、その土台として共同体精神がしっかりと存在するからであって、そこに生きる個人は現実に共同体精神を体得し、明確に意識してもいるのである。人びとは、共同体秩序が内面の掟に合わないと文句をいい、共同体秩序に心の思いをぶつけたとしても、実際は、共同体秩序こそ自分たちの本領だとして心からそれに執着し、この秩序を奪われたり、みずから秩序の外に出ていったりすると、生活の支えの一切を失ってしまうのだ。まさしくその点に公共秩序の現実性と力がひそむのだから、公共秩序なるものは、万人によって生命をあたえられた自己同一の安定した存在であり、個人はその秩序を形にあらわしたものである。——ところが、この秩序がまた錯乱状態にあるのだ。

共同体秩序が万人の心の掟であり、すべての個人が直接この共同体の一員であるという点からすると、秩序の現実性をなすのは、自立して存在する個人の現実性、ないし、心の現実性でしかない。となると、自分の心の掟を打ちたてようとする意識は、自分の掟と矛盾するような、これまた個としての掟を心にいだく他人とぶつかって、その抵抗を受けることになるが、抵抗する他人は他人で、自分の掟を打ちたて、一般に認めさせようと考えている。したがって、現存の共同体は万人の万人に対する抵抗と闘争の場にほかならず、各人は自分の志を広く実現しようとはするものの、いつも同じ抵抗に出会って、他人との抗争のうちでともども破滅に追いやられ、志を遂げることはない。公共の秩序と見えるものは、実は全社会的な反目の状態であって、各人はできるものはなんでもひっさらない、他の個人に正義を行使するかによそおって、自分の正義を確立しようとするが、他人との抗争のなかでどの正義も消えていくのだ。それが「世のならい」と呼ばれるもので、一見おだやかに時が推移していくかに見えるものの、共同体精神は各人の思いこみのうちにしかなく、実態は、個々人の志が実現したかと思うとこわされていくという、その場かぎりの力のたわむれである。——B.理性的な自己意識の自己実現/b.心の掟とうぬぼれの狂気

こうして、意識は思考と存在との直接の統一——抽象的な神と事故との直接の統一——を、さしあたり抽象的に言明し、最初の光の紙をもう少し純化して、延長と存在の統一として(延長というほうが光というよりも純粋思考の単一性に近づくことになるから)言明し、かくて、思考のうちに曙光の紙を再び呼びさますことになるが、そうなると同時に、精神はこの抽象的で自己を欠いた実体的統一にたいしてこの存在を主張することになる。が、精神はそこにとどまらず、教養において個を外化し、もって個を現実に投げいれ、あらゆる存在のうちに個を浸透させて、実用性の思想に到達するのであって、絶対の自由のなかで現実買いが自分の意志だととらえたとき、自分の内奥にある思考を明るみに出して、世界の本質は自我=自我にあると言明するのである。(Ⅷ.絶対知)

 

さまざまな内容は、一つ一つがばらばらにあるのではなく、たがいに関係するなかで明確な輪郭をあたえられ、たえず自分自身を克服するような否定の運動を続ける。だから、必然性や差異も、自由な存在と同様、自己の運動としてあらわれる。そして、存在がそのまま思考であるようなこの事故の形式のもとで、内容は概念となる。かくて、概念を獲得した精神は、概念という生きたエーテルのなかで存在の運動を展開するので、それがすなわち「学問」である。(Ⅷ.絶対知)

内容に関してはあとから足し書きするかもしれませんが、未だに消化不良なのでこのまま置いておきます。

章が後ろに進めば進むほど難しくなってしまい、宗教の章とか目が滑って滑って、日本語を読み終わっても内容はまったく読み終わっていないような状態でした。と、訳者の苦労もものすごく伝わってくるあとがきがあったので引用しておきます。

あとがき

さて、訳しおえたばかりでなにかをいうとなると、やはり、翻訳の苦労話からはじめねばなるまい。

悪戦苦闘は重々承知の上だったが、実際にペンを握って日本語にする作業にとりかかってみると、その大変さは予想をうわまわった。『精神現象学』のドイツ語原文は、ただ読みすすむというだけでも、難文、悪文、拙文、不文、その他、なんとでも悪口をいいたくなるような代物だが、いざ翻訳しようとそれに立ち向かっても、おいそれと日本語になってはくれない。...こちらに元気がなければ仕事にむかう気にはなれなかったし、元気があっても、仕事に精を出しすぎると、きまって体の節々が痛んでくるようであった。

 

 

6.話し手の意味の心理性と公共性: コミュニケーションの哲学へ(三木那由多)

随分以前に、著者の方が柏端達也氏『コミュニケーションの哲学入門』についての書評を書かれていたことから本書を知りました(本書が出版されたのはこの書評よりも後のことですが)。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/226626/1/cap_9_33.pdf

それまでコミュニケーションについては認知科学方面からのポピュラーサイエンス+αくらいのアプローチしか知らず、言語系はどっちかというとまだ統語規則とか意味(この場合は「意図」か)のことくらいの知識しかなかったと思うんですが『コミュニケーションの哲学入門』とこの書評は意図の共有(共同利用可能性とか言うべきか?)についてもっと知りたいと思わせてくれました。

本書を実際に読むようになるまではだいぶ時間がかかったのですが、それまでにコミュニケーションに関する言語学のとっつきやすい本を何冊か読んでおりました。本書の内容に近いものとしては、人間の実際のコミュニケーションにおけるポライトネスがどのように運用されているか、というものでした(『インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践』『スナックの言語学』あたり)。本書における意味の「公共性」は、特にこのポライトネス/インポライトネスに影響すると思われます。

グライスについてはほぼ「会話の公理」くらいしか覚えていないうえに他に出てくる論者(シファーとかハーマンとか)知らないのでその辺の理解はまったく至らないままで、今後なにかに出会うたびに本書と照らし合わせてみる必要がありそうです。

関連書を下記に示します(以前の書評で書いたことがありますが)。

インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践

インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践

  • 発売日: 2016/03/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
スナックの言語学: 距離感の調節

スナックの言語学: 距離感の調節

 

 

7.おいしい昆虫記(佐伯 真二郎)

おいしい昆虫記 (Natsume-sha Science)

おいしい昆虫記 (Natsume-sha Science)

  • 作者:佐伯 真二郎
  • 発売日: 2020/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

出版がわかった時からずっと楽しみにしていました。数年間フォローしているTwitterアカウントの方が書かれた本です。めっちゃ虫食べます。虫を食べるに至った経緯(というか昆虫食を広めたいと渇望するに至った経緯)から、現在のご活動であるラオスでの農村部の栄養改善プロジェクトまでが書かれています。なぜそんなことになったのか不思議でならなかったのですが(それゆえに買ったのですが)なるほどと思いました。昆虫学が貢献できることは昆虫そのものに関する学術的内容とその成果に関するものだけでないと。

昆虫、植物、なんにでもいえることかもしれませんが人為的な影響(慣習的な地場産業とか国策とか)を無理に取り除いたり強権的に押し付けるのは先進国の傲りであって協調路線が必要だしその土地その国その人たちに見合ったやり方があるよというのが強調されています。国際協力って難しいんだな、とかいう小並感しかでてきませんでした(すみません)。あとこれは余談なんですが、「セミアイス」って見た目もヤバいしこれなかなか食べられんやろ…とTwitter画像では思っていたんですがカリッと揚げるとナッツのような香ばしさがあるのだとか。いけるかもしれん(?)

 

8.調査されるという迷惑(宮本 常一, 安渓 遊地)

これもまた随分前に読もうと思って、冊数制限のため泣く泣く本棚に戻した経緯があった本です...やっと読めました。社会調査というか人類学・民俗学的なところの研究倫理の本でした。ボリュームとしては薄いのですが、内容は非常に厚いです。

都市社会学系で、パークの「ズボンの尻を汚せ」という言葉があるけれども、尻を汚すだけではいかんということですね(そりゃまあ自明ですが)。

自分が最近読んだ医療の研究倫理系のものだと、被災地での調査が特にこれに近いものがありました。心身だけでなく経済的にも社会的にもダメージを負った直後に、直接自分のため(または家族やコミュニティのため)にならない質問に答えなければならないのがどれほどの労力を伴うものか。しかしこれも互恵関係があるとそれはそれで難しいもので、今度は「よくしてくれるからお返しをしなければ」という無理が発生したりするんですよね(医療の場での話です)。この本の中ではどちらかというと、盗品・盗作や研究成果の非還元などの問題が取り上げられていました。

「種をまくことは誰にでもできる。大変なのは草取りと収穫。そして一番難しいのは、耕されて荒れた土をもとに戻すこと。」

これは、著者である安渓氏が調査で関わったある人が漏らした言葉であるそうです。

 

9.精神障害者をどう裁くか(岩波 明) 

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

 

司法精神医学が日本ではあまり行き渡っていないよということで諸々の構造と問題点を指摘した本。新書なので軽い読み物程度の気持ちで手にとれますが、興味深い話題です。まず精神疾患のある者の犯罪率が健常人と較べて多いのか否か。総数でみると精神疾患があるから多いということにはならないのだけど、重罪(殺人など)となると総数の10-15%を占めており、多いと言わざるをえない。

けれどもここにからくりがあって、軽犯罪者であっても提訴し有罪判決を得るために正常な判断力をもっているとされてしまうケースがあるとのこと。この話は本の中でも後で出てくるんですが、「責任能力」などについての歴史的理解が日本のみならず諸国でどうであったか(どうにも情状酌量としての意味での免罪がずいぶん昔からあったらしい)などの話は初耳でした。精神疾患の分類基準や大まかな経過や日本の医療制度の変遷(とその暗い過去)については医療従事者であれば大体どこかで少しは触れてきた話題かなと思うのですが、医療従事者でなければそこも楽しめる(?)と思います。

「厳罰化ではなく適切な治療を」というハームリダクションについてはコンラッド『逸脱と医療化』でより詳しいですが、法の判断と医学の判断の違いに関しては話題かあがっていなかったと思うので薄いわりに目新しい内容が多かったです。

 

10.専門知は、もういらないのか――無知礼賛と民主主義(トム・ニコルズ)

どこかで見かけたときに読みたいなと思っていたのですが、人が引用しているのを見てさらに読みたくなった本です(実際に手に取るまでに2年くらい要した気がする)。著者自身はロシア政治の専門家であり、内容としても政策に影響する背景となるような反知性主義についての記述がなされます。専門分野の解説ではなく、専門分野をもつ人々に対して何が起こっているかを説明するものですので、専門分野が直接話に出てくることはありません。

私も医療従事者として諸々思うところがある(反ワクチンやインチキ免疫療法とか)のですが、本書はダニング=クルーガー効果を中心として、実際に高等教育機関や市中で何が起こっているかを解説してくれます。特に高等教育機関については日本にもかなり当てはまるところがあろうと思います(教育の商品化、感情の過剰な礼賛等々)。また、前述の心理的効果により、自分が素人として僅かに見知ったことがその道の専門家と互角に渡り合える知識であると思い込むこと(政治などの社会的なものはさらに顕著)で、さらに自分の意見が尊重されるべきと感情に訴えるという現象は国内でもしばしば見受けられますね。

 

後半からは公共哲学に近い(というかこないだまで『公共哲学』そのもの授業受けていた...)内容で、民主主義の没落とテクノクラシーの台頭(後者が前者を引き起こしたのではなく前者が後者を加速させた)については、今だからこそ読みたい話です(これいつでも言いそう)。

著者は、市民による専門知への攻撃に対して新聞記事を書いた際、さまざまな分野の専門家から「自分たちも同じ目に遭っている」という報告を受け筆をとったとのことでした。なので、内容はトップダウンの政治に関わるものというより市民の科学リテラシーとその低下(の表れ)に重きが置かれています。トップダウン方式の政治支配に抵抗するわりにボトムアップできるような知識の下地がないので、ただただ健全な民主主義が崩壊していくという。あと、専門家内部での知識の検討に関する章は研究不正や検証についても触れられていて、『心理学の七つの大罪』にちょっと近かったかもしれません。良い本でした。100冊の中の10冊のお勧めにいれられると思います。

放送大学大学院修士全科生生活Vol.4

なつやすみでした。まあ私は見ての通り通信の学生ですのでAlways夏休みなのですが....。

 

前期の試験について、この情勢の中で放送大学はいち早くWeb受験を公表しており、この点に関してはさすが我らが放送大であるなあと感心しました。

思ったよりも急ピッチで進む(進めなければならない?)研究(の卵の)生活と、大量にとった修士課程の座学の科目を天秤にかけておりましたが、皮肉なことにこのWeb受験によって前者にウェイトをかけられるようになりました。

試験は学部のものと併せて12科目受けたのでそれだけでも疲れるくらいだったのですが、赴いての通常試験であれば事前の叩き込みは比にならないほど必要だったので、ある意味救われておりました。自分のようにほとんど仕事に重きをおいていない学生であれば大丈夫でしょうけれど、フルタイムワークしつつ研究生活をしつつ座学の単位を取るというのは恐らくかなり厳しいであろうという予感があります。もちろん、仕事のハードさや研究に求めるクオリティによっても若干左右はされますが。

 

さて、今回は修士生活としての生活というよりは次のためにとった授業の列挙に終始しそうです。しゅうしをかけたダジャレではありません、許してください。

 

大学院科目

人的資源管理('18)臨床推論('16)だけをとりました。

後者はオンライン科目です。大学院の卒業のための必要単位は前期で一応すべて取り終えたのですが、人的資源管理は元々興味があったのでずっととろうと思っていました。

 

学部科目

金融と社会(’20)

データベース(’17)

財政と現代の経済社会(’19)

開発経済学:アジアの農村から(’20)

経営学概論(’18)

 

あれ?いっぱい取ってんちゃう?

そうです、いっぱいとってしまったのです...

前期で諸々単位をとれたので、選科履修生は予定通り今年度で一度終わろうと思っています。院の卒業要件も無事満たしたため、学部で気になっていた授業はあれこれとっておこうと思ったのですが... 20年度開設であまり知らなかった科目に色々気になるものが増えていたので......(そうやってまた自分の首を絞める)

 

研究生活について

解析の下準備に非常に長く時間がかかってしまい、実際の進捗はほんのちょびっと、という2か月程度を過ごしました。相変わらずWeb会議で月に1回の研究会があり、そこになんとか間に合わせるようにして試験的な解析結果を出しているという感じです。

そろそろ下準備が終わったのでこうして記事にも書けるのですが、2か月間進捗がないというのはマジでしんどかったです。世の院生の方々がつらくなる気持ちが少しわかったような気がします...。楽しくない作業ですので、集中力がもったとしても1日あたり1-3時間程度が限度でした。生産年齢であれば仕事をしながら院生をやることの方が多い(であろうと思われる)放送大に在籍していながら自分はアルバイト程度の仕事しかしていないので、「ろくな仕事をしていないのに進捗が出ない」というプレッシャーは相当のものでした。もちろん今そこから解放されたかというとそんなほどでもないのですが、楽しくやれるというのがいかに大事なことなのかと痛切に感じております。

座学で色々学ぶのも「楽しさ」が大きな動機になりますが、研究となるとなおのこと(というかケタ違いに)楽しさというか興味深さ・面白さが優位にならないと精神的にキツいなあという感じがあります。

 

あと、前処理が終わらない間はずっとそのほかの趣味を無意識に禁じているところがあってそれもつらかったです。いやこんなことは求められていないのですが... そして好きなように本を借りるようになって随分軽減しました....

 

というわけで次に書くとき(書くのかどうかわかりませんが)にはもう少しいい精神状態で書けたらいいなと思っております。ではでは。

100冊読破6周目(51-60)

前回の記事から半年が経過してしまいました。

大学院入ってから教科書読んだり論文読んだりばっかりだったので、いわゆる「読書」というものになかなか取り組めずにおりました。随分昔に読んだ本の記憶を彼方から引っ張ってきて感想を書きます。

 

1.臨死介助をめぐる刑法上の諸問題(神山敏雄)

臨死介助をめぐる刑法上の諸問題

臨死介助をめぐる刑法上の諸問題

  • 作者:神山敏雄
  • 発売日: 2019/10/30
  • メディア: 単行本
 

安楽死(というより終末期における治療の差し控え)に関するドイツの判例と、それを根拠づける刑法解釈の本。医療倫理やるにあたって実際の判例がなんでそんなふうになるのかとかよくわからないことがたびたびあったので、参考になるかと思い手に取りました。結果的にかなりいい本に巡り合えたのではないかと思います。特に医療福祉の関連法規に関して、裁判になるような事例の元になる条文やその適用方法を知らないので勉強になりました。社会福祉の法的根拠とかはちらっとやったんですが。ドイツにおいても、生命維持装置の中止等に関して「不作為の作為」が成立するか否かみたいな問題があるようで、この辺は大体日本の現行法も同じか?と思ったんですが前提に自殺幇助の不処罰があるかどうかで違いそうです。トニー・ホープ『医療倫理』では積極的安楽死と消極的安楽死の倫理的境界はないものとして退けられていたのですが、刑法上は結構大きな差なのかなとも思います(というかそうなのでしょうけど)。功利主義の話をするときによく出てくるトロッコ問題でときどき出てくる答えとして、不作為による多数の殺害と作為による少数の殺害ではむしろ後者が忌避されるみたいな傾向はこういう背景があるなあとも思います。道徳的観念が先なのか立法が先なのかは卵と鶏の関係のような気がしますが、相互補強的な関係にありそうだなとも思います。自分の葛藤のベースになりそうなケーススタディが多くて楽しめました。

 

2.モノたちの宇宙: 思弁的実在論とは何か(スティーヴン・シャヴィロ)

モノたちの宇宙: 思弁的実在論とは何か
 

現象学(や相関主義)が人間中心主義に陥っている、人間を扱うときはそれでいいんだけど思考とか知覚全体を扱うとき(志向性を考慮するというとこれもやや語弊があるのだが)には不便でよくないという話。現象学に限界を感じるのはこの辺かもしれませんが、思弁的実在論はジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論』みたいな細胞のコミュニケーションを想定して面白いので好きです。それを無機物・無生物にまで延長したような感じに思いましたが物自体に思惟があるわけではないと書かれていたようないないようななんかそのあたりは難しく理解が及びませんでした...哲学の論述として優れているのかどうかはわからん(著者本人が、そこそこトガったことを書きましたと言っていた気がする)。

 

3.入門・倫理学(赤林 朗・児玉 聡)

入門・倫理学

入門・倫理学

  • 発売日: 2018/01/30
  • メディア: 単行本
 

ずっと読みたいと思っていたものを読み終わりました。他の教科書的な本を数冊読んでいたからか、復習+αみたいな感じで読みました。が、相変わらずメタ倫理学の各論よくわからないんですよね…完璧に理解しておく必要があるようには思わないんですけど、章の最後にあるように、応用倫理の各分野でもメタ的な議論は必要になってくるだろうし、どういう捉え方があるか(そしてどれくらい成熟しているか)は知っておきたいなあと思います。慶應出版会の『倫理学案内』と付き合わせて読みますと、あちらはメタ倫理学→規範倫理各論→応用倫理各論みたいな感じだったように思います。『入門・倫理学』は、医療者向けの倫理教育として作られた『入門・医療倫理』から更に発展的(つまり倫理の理論寄り)内容としてまとめられています。その分具体例は省かれますが、もし具体例の参照があったほうがよければ『医療倫理』を読めば事足りると思います。最後の章で政治哲学・公共哲学を簡潔にまとめられているのもよいです。

 

4.テアイテトス(プラトン

テアイテトス (光文社古典新訳文庫)

テアイテトス (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:プラトン
  • 発売日: 2019/01/08
  • メディア: 文庫
 

「知っているとはどういうことか」についてのソクラテスとテアイテトスの対話。知の助産術の原点としてはここなのだろうか...

若干違和感あるなと思ったのは知識なるものの排中律(「何かを知っていることと知らないこと」のような)をごく自然に道徳にも当てはめていく部分で、知識・判断・道徳が(何かの連鎖的な流れにより)直結しているのであれば自明ということになるのだろうかと考えたりしました。結局(結局?)第三部まで至って別に「知とはなにか」に答えがあるわけではなく、各論を通して得られる疑問と暫定的な答え(とそれに対する反論)でどんどん疑問を深めていくような感じです。時々現代における分析的な「知覚の哲学」にも近いような問答が出てきて、現代から入った自分としては「遡ってはこんなところに行きつくのか...」という思いでした。

 

 5.6.7.入門・医療倫理(赤林朗)

入門・医療倫理I 〔改訂版〕

入門・医療倫理I 〔改訂版〕

  • 発売日: 2017/02/18
  • メディア: 単行本
 
入門・医療倫理III: 公衆衛生倫理

入門・医療倫理III: 公衆衛生倫理

  • 発売日: 2015/12/01
  • メディア: 単行本
 

必要性に駆られて読んだ本ではありますが、医療職の倫理入門として非常に適切な3冊であると思います。前出の『入門・倫理学』よりももっと医療倫理の具体例に近く、理論の解説を手短にしたのちに実践への応用について多くの紙面を割かれていて教科書としてももってこいであると思います(これを教科書にすると実にハードな授業になりそうですが)。

規範倫理がメインですけれども、理論の外観も最低限知ることができますし、もっと知りたいという場合には読書案内と参考文献をもとにして別の文献に繋がるよいシリーズであると思います。昨今の事情を反映しているともいえる公衆衛生倫理の3巻であれば、医療の当事者でなくとも手に取って悪くないものであると思います。が、あくまで教科書的解説がメインなのでポピュラー・サイエンスよりはずっと本格的なものであることに注意が必要でしょう。

 

8.経済学と倫理学アマルティア・セン

130ページ未満の短い本文ながら読むのに結構時間かかりました。厚生経済学における倫理(ここでいう倫理は主に功利主義帰結主義の構図を脱却するもの)の必要性についての話。実証主義的経済学に与える厚生経済学の示唆について、特に公共哲学分野でよく引用される「ケイパビリティ(潜在能力)」論については強くは出てこず、「単視点の効用の測定はある点では有用であるものの本来の個人の豊かさを表す指標として適切ではないのではないか?」という指摘。この辺はケイパビリティが背景になっていて、選択肢や機会を奪われた人間は少ない幸福で満足するというもの。この辺、数年前に騒がれた(今もそうかな)低所得で満足することを強いるリベラリストネオリベラリズムであってますかね)たちに対する批判となると思います。あと人間開発指数のベースとなったのがケイパビリティの概念であることを知りませんでした。人に勧められるかっていうとぶっちゃけキツいですが、哲学の素地がある人が読むには適しているんじゃないかなとちっと思いました 近現代の倫理・公共哲学(コミュニケーションの哲学の域にもちょっと言及していた)も拾っていて、アッ規範倫理だけじゃない人やったんか....と認識を改めました。

 

9.個体発生は進化をくりかえすのか(倉谷滋)

個体発生は進化をくりかえすのか (新装版 岩波科学ライブラリー)

個体発生は進化をくりかえすのか (新装版 岩波科学ライブラリー)

  • 作者:倉谷 滋
  • 発売日: 2005/07/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

面白かった。100ページちょっとしかないし軽い気持ちで手に取れます。

鰓弓から耳が発生しているのは知っていたけど咽頭弓から甲状腺とか胸腺が発生しているのは初めて知った。初期胚は様々なのにファイロタイプで一旦似通ってまた細部の機能分化を遂げていくというの、非常にアナログというか、文字通り肉眼でそのものの「かたち」も見ていかないとわからないことがあるのだなあと思って面白かったです。

 

10.現代思想の遭難者たち(いしいひさいち

これほぼ漫画なので読書リストに入れるか迷ったのですが、内容的に十分解説本として差し支えない内容であったと思ったので入れました。『現代思想冒険者たち』という哲学のシリーズがあるのですが、それぞれの書籍の最終ページ(カバー裏だったかもしれませんが)にその哲学者にまつわるエピソードや思想に関する小ネタが仕込んであって、それをまとめたものです。なぜかヴィトゲンシュタインの扱いがひどいです(逸話が多くてネタに事欠かないキャラクターだからかもしれませんが)。

主要概念をもじって使ったりもされるので、哲学全体の概説本を読んだ後にどんな著者のものを知りたいのか、どういう思想の系統が気になるのか、といったときにこれを読むことで楽しく導入できるのかもしれません。これだけでなんとかなるものではありませんが...

 

所感

今回もこの10冊を読むのにものすごく時間がかかったのですが、何よりまとめるのをサボっていたために投稿が随分遅れてしまいました。最初の1冊目の登録日が2020.2ということになっているので、また半年以上かかったみたいです。ブログの投稿日時をみていると、1年間に大体20-30冊程度を読んでいるようです。その10倍近く読んでいた日々が懐かしいです...あの頃の熱意はどこへ... いや今も熱意はあるんですが、他のことをしなければという強迫観念じみた考えからなかなか本に手をつけることができずにいました。現在はまた図書館から10冊単位で借りるようになって精神が安定してき(笑)、自分は本があったほうが他の諸々も捗るのだということを実感しております。

では次の10冊までごきげんよう

放送大学2020年度前期授業評

異例尽くめだった2020年度前期が終わりました。

 

試験方式について

放送大は対面式の試験を実施せず、またWeb上での試験監督も行われなかったため、各自で試験規則を遵守するという非常に自由度の高い状態で試験が実施されました。恐らく背景には、通信機器に不慣れな学生や双方向の通信環境を確保できない学生が多くいることや試験手続きの煩雑さからトラブルが多発することが予想されていたことがあるかと思います。たしか5月には既に対面で試験を行わないことが決まっていて、後知恵ではありますが英断であったと思います。

 

授業について

放送大以外の一般大学の場合は授業も不慣れなWeb環境で、教員・学生共に大変な思いをなさっていたことが自分にも伝わっておりました。元々放送形式の授業を行っている大学としてはこれが一般の形式なのですが、確かに出席確認や双方向の形式の授業を行うのは難しいですね。

自分の場合はこれに加えて大学院の研究会が加わっており、教員とも他院生ともWeb上でしか顔を合わせないまま研究が進んでおります。

 

前置きが長くなってしまいましたが、今期の授業について一言感想を書いていきたいと思います。

 

学部科目

自然と環境コース

入門線型代数('19)(再試)—A〇

前期、Dで落としてしまったのでもう1回頑張りました。

頑張りました、が、相変わらずベクトル固有値の計算とか行列式とか未だによくわかっていません............それはわかっているとは言えないのでは...............。

教科書が悪いわけではまったくなく、単に自分が時間をかける余裕がなかったのと理解が遅すぎるのと理解力がなさすぎるだけです。教科書的に難易度はA~Cまで区分けされていて、基礎レベル(定義や原理の説明)から発展レベル(証明とか)です。

数学が苦手な人はCはパラ読みでもいいから、Aをしっかり理解してくれと前書きにあります。

また、上位科目として『線型代数学』があるので、より深い内容はこちらでできるのかと思われます。

自分はこの教科書だけではまったく中に入っていけず、いつもの『数学ガールの秘密ノート』(結城 浩 著, SBクリエイティブ)の手を借りました。

こっちと教科書を行きつ戻りつして漸く計算方法などなどを理解していった感じです...

 

情報コース

データの分析と知識発見('16)(再試)—A

既に同名の後継科目のある科目ですが、再試験だったので受けました。この科目だけはほんとなんで落としたのかいまだにわからない(愚かなだけでは)。

記述統計と推測統計、データと手法の扱い方が載っているので、他の統計科目と併せてとても良い教科書だと思っています。ただ内容が内容だけに教科書1冊では収まりきらない部分が多く、わからなければキーワードを手掛かりにネットで検索したり他の教科書と比較しながら学んだ方がわかりやすいのかなぁ、とも思います。放送授業をまったく聞かずに教科書で学んだからかも知れませんが...

プログラム言語はRを使っているので、言語にそもそも触れたことのない人はちょっと面食らうかもしれません。自分は個人的にちょっとだけ触っていたのでなんとなくで乗り切ってしまいました(よくない)。

 

記号論理学('14)—A〇

ずっっっっと取りたいと思っていた記号論理学、ようやく取れました。嬉しいです。今まで試験時間が様々な科目とかぶってとれずにいたのです...

教科書を書かれているのは数学サイドと哲学サイドの先生1名ずつです。2/3くらいは恐らく結構古典的なもので、タブローによる妥当性検証ができるようになるまで。残り1/3くらいが、それを部分的に自然言語にあてはめた場合にどんな記述になるかなというスタイルです。

 

大学院科目

生活健康科学

アカデミック・スキルズ('20)—A〇

修士の全科生しか取れないオンライン科目ですが、論文を書くにあたり、論文を読む/書くということに関する基本的な解説を受けられる科目です。各回ごとに小テストがあります。

レポート課題は研究ゼミごとに異なるとのことです。

授業内容はEnago Learnとかに近いものがあるかも知れません。

 

ヘルスリサーチの方法論('19)―A〇

学部科目では『心理学研究法』『社会調査の基礎』等が近い科目ですが、これを保健分野で解説したものです。別に学部科目でもよいのでは?と思いましたが言ってはいけないのかもしれない。

統計的な方法も勿論用いられますが、保健分野はナラティブ・アプローチと呼ばれる個別の物語性・特殊性に着目した記述的な参与観察研究があります。

保健分野に特化した方法論の教科書なので、回り道をしたくないのであれば大学院に進学された方がこの科目を取るのだろうなあと思いますが、確実に他の科目も取ったほうがいいであろうなとは思います。

 

精神医学特論('16)—A〇

大体専門学校で学んだことへの付け足しというかほぼママでした。

特にコメントはありませんが、教科書はわかりやすいですし、臨床心理プログラムに属される方のコメントで「過不足なく網羅されている」とのことでした。確かに臨床心理を知るにあたり医学的なものの見方は欠かせませんし、これまでに保健分野の知識がない場合にはかなりよい科目であったと思います。

 

福祉政策の課題('18)—A〇

個人的にとても好きな科目でした。保健医療福祉の政策にとても興味があったので優先して取りましたが、想像以上によい学びを得られたと思います。

通信指導・試験も共に充実した課題が提示されて自分としてはレポートを書いていて一番嬉しかった科目です。試験が記述問題だったので、A〇とれて嬉しいなあと素朴に喜んでおります。

 

人間発達科学

教育文化の社会学('17)—A〇

教育社会学に興味があったのでとりました。特にコメントが出てこないのですが(今までに関連文献はそこそこたくさん読んできたので...)、教育に関する近代の歴史について解説が多かったのはよかったです。学部の科目『教育社会学概論('19)』より発展的な科目なのかなあと思いましたが特にそんなこともなかったです(若干残念)。

 

臨床心理学

心理・教育統計法特論('15)—A〇

因子分析について詳しいのがよかったかなあと思います。

学部の『社会統計学入門(現在は'18)』『データの分析と知識発見(現在は'20)』と大体範囲が被ります。

 

社会経営科学

公共政策('17)—A

難しそうだなあと思いつつとってみてよかった科目です。歴史と経済の観点を含みつつ政策の各分野を学ぶ科目です。「政治学」というよりは「政策史」の側面が強いかもしれません。

 

公共哲学('17)—C

なぜかわかりませんが今回一番気に入らなかった科目でした。

気に入らないと書いたのはこの科目が役に立たないとか的外れだとか言うわけではまったくなく、教科書としてはバランスが取れていて優れたものであると感じられたからです。特にロールズノージックの比較、アーレント政治学などは突っ込んで書かれていて、復習以上に学ぶところがありました。

しかし見ての通り評定が低いのは通信指導も同じで、Cであるうえに「解答が的外れ」とのご指摘でした。自分が問題文の意図を読み違えただけともいえると思いますし論の構築や理解が甘かったのであろうとは思われますが、出題文の意図を把握しかねるのがこうも固定の仕方だとなんかカチンときます(傲慢)。他の記述問題で問題文に対する応答が悪くないことは確認しているので、私の理解が甘いか出題者の意図を読みかねているのか出題者自身が欲しい答えに対して問題文の設定を斜め上にしているのかとか思ったんですが自分は最後の選択肢だと(勝手に)思っています(どこまでも傲慢)

いやまあ妥当なところで、自分が斜めに読んだだけなのでしょうけれども。公共哲学は自分が好きな分野のひとつなので、こうも読み違えたとなるとどこでやり直すべきなのかと考え込んでしまいます。(放送授業聴いてないのが悪いんじゃんとか言ってはいけない...)

何度も申しますが教科書はまったく悪くありません!!良書であると思います。

 

社会的協力論('20)—A

今回とった中では結構トリッキーに思う科目でした。社会協力、企業活動のみならずNPONGO、地域の自治組織の活動などの類型を解説・評価していきます。

ちなみに自分はこの教科書の先生のお話を実際に聞く機会がございました。それは院試の説明会だったのですが、話長いけど熱意がよく伝わってくる先生でした。話長いけど(2回も言うな)

 

都市社会構造論('18)—A

『都市と地域の社会学('18)』という学部の科目と同じ先生です、正直学部の科目とあまり差を感じなかったのですが...都市の理論的側面の解説が多いです。

 

自分にとっての総評、次回の計画

これでひとまず大学院の卒業に必要な履修教科を達成しました。もっと心理学系の単位を取ろうかとも思っていたのですが、試験時間の重複が多かったために興味が優先になり、社会経営科学の科目が約半数になるという「何目指してんねん」みたいな状態です。

 

心理学で取るとしたら、『現代社会心理学特論』とか『成人発達心理学特論』とかになるんでしょうか。ただ、正直シラバスを読んでいると今までに成書で学んできたことの焼き直しなので、履修したという何らかの証明のためだけにとるような感じになるんですよね。修論がどう転ぶかまだわからないので多分しばらくはとりません。

『人的資源管理』『経済政策』を今後取ろうかなあと思っています(また社会経営プログラムの科目ばっかりじゃん)。あとは生活健康プログラムのオンライン科目で、看護師の特定行為総合科目があるのでえっちらおっちらそれをやってもいいのですが...これも得るものがあるかと言われるとそこまで...悩ましい。余力次第ですが今回は見送るような気もします。

 

学部の科目は『データベース』だけです。これも自分がやっていることにそこそこ近いというか必要なのと、エキスパート『データサイエンス』の必修残り1科目なので次回入ります。

 

達成事項

放送大学エキスパート(科目群履修認証制度)

数学と社会 〇

とうとうやりました、入門微積と入門線型代数結局どっちも1回落としたしとても長かった...!!その2科目をやるためだけに2年かかりました(本当に)。他の科目は別の機会で着々と揃えていったので、必修のこの2科目が本当にしんどかったです。確かに解析のために必須

 

計算機科学の基礎 〇

これもデータ分析・線形代数記号論理学あたりをとったことで達成しました。

 

データサイエンス △

必修が他の科目とかぶってとれていなかったので、『データベース』を取ると達成です。

 

あと、9月に延期になっていた看護の学位審査があります(ちょっとした小論なんですが...)

 

修論以外にもなんらかの目標を見つけないと修論自身が進んでいかんなと思っている今日このごろです。ではまた。

放送大学大学院修士全科生生活Vol.3

あまり書くことがない、いや、書けることが少ない。

でも折角ひと月に1記事書いているので、進捗管理も含めてこのペースで続けていこうと思います。

 

体調が悪い

この1ヶ月は身体的な不調があり、床に臥していることが多かったです。大体毎年梅雨時は体調を崩すのですが、5月病ならぬ6月病的な側面があるのかもしれません。しかしメンタルはいつも悪いので多分関係ないはず(それもそれでどうかとは思う)。

 

作業上の進捗はあまりなかったのですが状況としては進んだことがあり、他大学の先生に連絡を取ることができました。自分は医療職ながら、今のところ医療そのものが専門の方に師事する機会が本当になく、苦慮しつつ自分のやりたいことを口頭で説明しました。もちろん直接の指導教員の先生に色々事前に打ち合わせしてもらって注釈もいれてもらいつつで完全におんぶに抱っこですが、研究概要がまだまだ夢見物語であっても「まあ修士1年のこの時期なんてそんなもんだよ」、と励まして(?)いただきました。

 

共同研究ともなるとオンライン上では済まなくなるでしょうし、時勢もあってどうなるかはわかりませんが、折角チャンスがあるので無駄にすることなく取り組めたらと思っています。

 

 

質的なことのとりまとめ

体調が悪いながらも相変わらず本を読むのは苦にならないので、倫理分野の基礎的な関連文献にあたっていました。倫理については完全に独学なので、可能な限り妥当な論をと思って基礎固めに取り組んでいます。技術的な育ちが悪いのはまあ見ての通りで心苦しくはあるのですが、何も考えずに突っ走るわけにもいかないので、これはこれでこういう期間なのだと前向きに捉えています。はやく手を動かせ。

 

あとは、研究手法に関する文献をもう少し掘り下げないといけないのですがいかんせんの心の中の優先度が低い(本音: やる気が出ない)ためなかなか進みません。やれ。

 

 

今月は試験ラッシュ

今月の定期試験をやりきると卒業に必要な単位をすべて取得することになりますが、学部の科目を合わせると12科目受験することになるのでつらいです。が、皮肉にもウイルス禍で試験のシステムが緩くなっているため、可能な限り修論に集中した状態で片手間に試験を受けることになりそうです…どうかと思いますが…

 

 

来月はもう少しよい記事を書きたいです。

メモ書きも大事なので今回はこれくらいで。

 

 

放送大学大学院修士全科生生活Vol.2

こんにちは。1か月に1つ記事って多すぎちゃうんかと思うんですが、今回は進捗報告というより、自分の今の研究生活と展望についての日記を書いていきます。Twitterで放送大の大学院全科履修志望者をちらほら見かけるので、需要があるのではないかという勝手な想像による自己開示です。稚拙なのであまり書かずにきたのですが、こういうことも誰かの役に立てば幸いです。

 

4月からの環境がとてもよい

修士全科生になってまだ2か月です。折しも世間は大変な中ですが、自分は仕事自体にも大きく変化はなく、また私生活にも大した変化はありません。もともと引きこもりなので、緊急事態宣言下でもほとんど影響を受けませんでした。

外食や喫茶店での勉強を自由にできなくなったことは相当なダメージだったはずですが、偶然ながら引っ越しをしたため、机に向かう環境が大きく改善されました。メリットの方が多いかもしれません。引っ越しをしたことで街の喧騒からも距離を置くことができるようになり、睡眠リズムも体調も若干上向いています。

 

自分の修士生活を前回よりもう少しかいつまみますと、週に3回午後診のみでクリニックに勤めています。フルタイム換算1.5日/週にも満たないくらいです。

普通の通学型大学院生(ストレート院生さんとか)と同じくらい(むしろ軽いかもしれない)の負荷の就労でしょうか。そんな生活のVol.1はこちらです。

streptococcus.hatenablog.com

 

人生設計(と院生生活)は結構ズレているという話

自分は看護師で、1年ちょっと前までフルタイムの病棟勤務(新卒から4年間・内科)をしておりました。院進にあたり、色々身辺状況が変わる可能性が高かったので、転職といっても新たに高負荷の環境に行くことができず、今の非常勤をしています。

しかし、臨床から大きく離れるのはかなりの痛手でした。クリニックが臨床と乖離しているとはもちろん言いませんが、看護師としての役割があるかと言われると非常に少ないのが悔しいところです。自分がこんなに仕事を気に入っていたとは想像もしていませんでした(本当に)。

転職を考慮する段階では訪問看護や施設看護についても意識していましたし、特に身体的な負荷を考えると後者の常勤ないし非常勤はよい選択肢だったのですが、結局選びませんでした。この話は以前から時々しているのですが、過去は変えられませんし、現状そこそこうまく辻褄があっているのでまあいいやと前向きにとらえています。

 

そして臨床の負荷がない影響で、研究テーマは(自分にとって)新奇性の高いものを選べていると勝手に思っています。もちろん研究としても新奇性の高いものにしなければ世に出せませんが...。

 

一般的な放送大学の大学院生として参考になりにくいのはこの辺りかもしれません。放送大院生は社会人入学がほとんどで、フルタイムの勤務者も珍しくありません(むしろそちらの方が多いかもしれません)。これは臨床心理士プログラムを除いた場合で、心理系はやや事情が異なる可能性があります。

自分と同じ研究室に所属している方も、仕事の延長で出てきた疑問を仕事とそう遠くない範囲内で調査・分析し、修論にまとめあげるという方法を選択されていることが多いようです。自分の場合はそういったフィールドがないので、臨床的にはさほど深みのないデータから結果を出さねばならず、不慣れな手法に手をつけるという意味でハードルが高いです。そして孤独です。

それから、自分の研究室に看護師は自分ひとりしかおりません。指導教員も医療分野外の方です。ですが、医療系の職種の方が多く在籍されており、病棟勤務時には得られなかった視点も得られてそれはそれで充実した環境にいると感じています。

 

臨床家による研究に対して思っていること

ごく個人的な印象ですが、先行文献を探すと、調査方法が限られているように感じることがしばしばあります。これは臨床にいながら研究する際にはある種不可抗力で、例えば「お金のかかる機械を使う研究」とか「時間(または人手)を要する研究」は難しいとか、そういう背景事情にも起因しています。

が、放送大院生でいえば、学部や院で該当する授業をとれば調査の方法が多岐にわたっていることはよくわかるはずです。明らかにしたいことに対してその手法が本当に最適なのか(またはその手法を用いることで明らかにしたいことは本当に明らかになるのか)ということを吟味し、計画して取り掛かるまでの時間がとても大切であることが身に染みてわかります。いわゆる、「計画8割実行2割」みたいなものでしょうか。これは自分が院に来るまでに周辺分野の成書にあたっていたために思うことかもしれません。職業研究者の発言からもよく聞かれることではあります。

 

勿論、自分の考えが至らないところはいくらでもあります。いい調査方法に行き当たったとしても指導教員の専門分野と大幅にずれてしまうと指導を受けにくくなることがデメリットとなることもあるでしょうし、そもそも研究手法に習熟していない場合は実験(調査)と結果もやっぱりグダグダになってしまうであろうと思われるからです。このバランスをどのようにとって、2年間という期限と自分の能力とでどこでクオリティを決めるかが最終的な落としどころになりそうです。

 

自分がこれからやりたいこと

このように、現在は臨床から遠い場所でただ研究に邁進するという状況です。

修士の学生であるということは当然修士課程の終わりとそれ以降を見据えて行動しなければならないということですが、放送大の修士に来るにあたってこの辺りが気になる方もおられるのではないかと思い、長い蛇足を書いておきます。

「自分の頭の整理のため」がいちばんの理由ですが。

 

1.研究生活でぶちあたること

技法として自然言語処理を使おうと思っているため、今はそれに没頭しています。そして来年もそんな調子になると思います。参照するのは言語処理に特化した技術書ないし論文ばかりで、臨床なにそれ美味しいの?状態です。

こうなってくると若干自分のやりたいことを見失いそうになるのですが(というかまあまあの頻度で見失います)、自分が目指しているのはあくまでこの研究内容が「臨床に還元されること」です。還元とまでなるとかなり遠い道のりですし計画倒れする可能性も大きいですが、かといって言語処理分野でやっていきたいわけではありません(やっていける能力もまったくありません)。しかし触れている文献や業界が今はそちら方面ばかりなので、自分は無能なのにいったいなにをやっているんだろう.............と迷子になるんですね。

では他の、例えば情報学系の人がやればいいではないかといえば、意外とそうでもないような気がしています。言語処理学会や知能情報学会等参照しているととても面白いのですが、こと医療データの活用に関しては臨床側の視点が不可欠です。データの解釈にも着眼点にも、そしてどのデータが重要であるかにも臨床家が求められます。コンテキストの理解が専門に特化しすぎているためですね。

 

2.修士のあと

じゃあ修士の2年間で何をやるんだとか、それが終わったらどうするんだということを考えると(特に後者は)悩ましいところなんですが、恐らくフルに臨床に戻ることはないと思われます。

看護は臨床なくして存在しえない学問領域ですので、臨床にも軸足は欲しいですが、修士2年(しかも臨床と遠めの分野の)研究をしておきながらそれを活かさず臨床に戻るのは惜しいです。

アカデミアに関していえば、看護分野ですと修士終了後即教職という方も少なくはないようですが、そこも自分はちょっと及び腰です。「アレも嫌だコレも嫌だ」と言っているようで若干虚しいですが、修士が終わってももう暫くなんらかの形で研究をする必要が出てくるような気がしています。今教育の世界に足を踏み込んでも、誰かに教えられることがあるとは思えません。

しかも現状では、自分が食い込みたい倫理の分野はほとんど着手できていません。随分遠大な目標を立てたものだなと思っていますが、これは研究計画の時点で既に構想にあったことなので、修士の2年でどこまでやれるかでその先は変わってきそうです。できたらその研究と実務が繋がればとても嬉しいですが、明確な筋道はまったく見えていない状態です。

 

何のための学位?

見出しはD.A.ノーマン『誰のためのデザイン?』からパクりました。

「学位を何のためにとるのか?」ということは、放送大に限らず、臨床家に限らず、重大な動機となりうると思っています。研究生活はしばしば苦しいこともあろうと思われますが、それが自分にとって・組織にとって(まあこれはなくてもいいんですが)・当該分野にとってどういう価値があるものかを見失わずにいればなんとか乗り切れるんじゃないかなあと勝手に高を括っているのかもしれません。

今後頑張ってもう少し痛い目を見てきます。生暖かい目で見守っていただけましたら幸いです。

 

あと、たぶんまだいらっしゃらないのではないかと思うのですが、私が誰かわかってしまった方はこっそりお知らせください。