毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

授乳。この摩訶不思議な営み

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2週間ほど前、1歳6ヶ月にして息子の授乳(母乳育児)を終了した。とはいえ、純粋な栄養または水分としての母乳は、1歳を過ぎたころくらいからあまり必要ではなかったように思う。

 

以前電動搾乳機についてあまりにも熱すぎるレビューを書いたことがあることからもわかるように、私は母乳栄養というものを経験して、その営為に強く興味を持つようになった。思ったよりも奥が深いなと感じたし、それ自体が固有の人間にとって不思議な生物学的現象であり、また相互交流やアタッチメントといった発達心理学的な要素を超えた「空間」を形成するようななにか曖昧な(主観的でもあり間主観的でもあるような)ものであり、そして日々議論の紛糾する社会的な現象でもあると感じた。

 

私と私の子どもは、母乳栄養がかなりスムーズだったケースだ。だから、恨みつらみのようなものが少ない。かといって、ミルクより幸せ!母乳栄養サイコー!ともなっていない。ミルクを凄い勢いで吸い込む我が子もそれはそれで可愛かったし、混合栄養で母乳に足すミルクの量に悩んだりしたこともあるからだ。授乳の時間が世界で一番幸せだとも思っていない。むしろ非常に動物的だと感じたし、まるで豚や犬(彼らに対して私は悪意をもっていない)のようにごろんと横になったところに我が子がせっせと寄ってくるのが少し面白かった。現実は、耐えられない会陰縫合の痛みや腰椎ヘルニアの痛み、或いは寝不足から、体を起こしていられなかっただけなのだが。

 

そして母乳栄養に興味をもつに至った経緯と、それらを構成する要素について、現状における医学その他諸々の科学的知見と、個別具体のエッセイ的エピソードを交えて書いてみたい。

それらは分たれた状態で我々に提供されることの多い情報だからだ。私はそのどちらに自分の認識を分類することも好ましくない(適切でない)と思う。

 

できたら、この記事は「あまり母乳栄養について詳しくない人」のもとに届いて欲しいと思う。そのために書いているので。

 

 

 

出産前の私の知識

出産前、産むことに決めた産院では、バースプラン(産前産後や分娩に際して積極的に妊婦や家族が参画できるよう希望を表明するようなもの)の提出を求められる。その内容に基づいて、助産師によるヒアリングが行われていた。

 

曰く、立ち合い分娩を希望するか(そもそもCOVID-19蔓延期であったため、希望したところでできなかったが)や分娩した際に出生児とどんなことをしたいか(カンガルーケアなど)など。そんな中に、「母乳」「(母乳とミルクの)混合」「ミルク」という栄養方法の選択肢があった。

よくわからなかったが、とりあえず、「母乳が出るなら飲んでくれれば良いし、哺乳瓶からミルクも飲んでくれれば保育園に行けるだろう」という楽天的な考えから「混合」を選んだ。

 

その頃の私でも、母乳栄養によるメリットーーたとえば、新生児の腸炎のリスク減少や初乳を通した抗体移行などについては既知であったうえに、COVID-19蔓延期においてワクチンによる抗体ももちろん移行するとの由を期待していた。

 

その他のメリットやデメリットはあまり考えていなかったが、まあ、「夜中にミルクを作るにしてもどうせ手間はかかるのだから…」という気持ちがあった。なお、乳児や母体の睡眠と母乳-ミルクの関係については諸説あるようで、科学的に統一された(少なくともメタアナリシスに到達できるレベルの)見解はないようである。私の知識不足かもしれないが。

 

あとは、私が出産前から電動搾乳機を買い求めていたように、「何やら搾乳とは大変なことなのだ」「うまくやらないと乳腺炎になる」「乳頭トラブルになると痛くて辛い」などといった、いわばマイナス面の知識はある程度身構えていた。

 

さていよいよ出産である。

 

 

産直後〜退院、新生児期の終了まで

授乳婦と児の基本的なスケジュール

母乳栄養というのは子と一体になって営まれるものである。そのスケジュールも、時間も、その中での過ごし方もすべて固有のものであるらしい。

子の欲しがるタイミング、1回に吸う時間、それに対して分泌される母乳の量、次に乳腺が張ってくる(張るまでに飲んでも出てこない)のはいつか、張りすぎて耐えられなくなるまでは何時間か、などが母児によって少しずつ異なり、母乳育児の確立を左右する。教科書にいくら書いていても、実際に行うと「聞いていたのと違う」となるのはこのためである。

 

①1日の中での授乳回数

「授乳回数」というカウントの仕方は、まず「左右(どちらかだけで寝てしまうこともあるが)を数分~数十分かけて吸わせる」ことが1回である。チューッと1~2分で吸ってくれるわけではない。

母乳が出るのには時間がかかるので、子が吸い付いてから何回か吸啜する。すると、射乳反射が起きて、「吸ったタイミングに合わせて」いくらか出てくる。子はそれを嚥下し、また口と舌を動かして吸啜すると、それに合わせて次が出てくる。この繰り返しを、新生児は片側10分前後ずつ行う。母乳が出るようになるまでは、5分ごとに抱き替えてみて、2往復くらい行う。トータル20分だ。これが終了したら今度は実際の空腹を補うためにミルクを与える。数分かけてミルクを飲む。これで「授乳1回」である。数十分かかる。

私の場合は、退院後から生後1か月になるくらいまで1日に10回以上授乳をしていた日もあった。多分ほとんど眠っていない。たまに連続睡眠時間が5-6時間になることもあるが、そうなってくると今度は自分の乳腺が張って限界になるのである。よくできたシステムだ。

 

②授乳間隔

教科書的には、新生児くらいだと3時間に1回母乳を飲む。しかし、先の「授乳回数」でのスケジュールでみたように、「1回の授乳」には数十分かかる。「授乳間隔」というのは、実は直近の授乳の「終了時間」から、次の授乳の「開始時間」までの間のことではない。直近の授乳の「開始時間」から次の授乳の「開始時間」なのだ。

つまり、「3時間ごと」の授乳は決して「3時間休憩できる」ではない。数十分かけて授乳をし、退院後であれば追加のミルクの作成と冷まし、投与、片付けまで全部かけて1時間近くかかる。授乳間隔がきっちり3時間だったとしても、休憩時間はあと2時間しかない。さらに、実際には授乳の間はずっと寝ているわけではない。排泄もするし、起きて泣き続け、もっと欲しがることもある。ミルクを一度にたくさん飲んでしまうと吐いてしまうかもしれないので、1度に20ml、まだ足りなければ次は20ml、と足す。そうこうしている間に次の授乳間隔がすぐやってきてしまうのだ。

 

③授乳量

先に述べたように、新生児のあいだは日ごとに飲む量が増える。貪欲な我が子はどんどん飲むし、母乳だけでは足りないようで、母乳をさんざっぱら飲んだあとにミルクをぐびぐび飲んでいた。こんなに飲ませて大丈夫か、と思うくらい飲んだ。

母乳育児というのは、乳児用のメーターで測るか搾乳をしない限りは分泌量がわからない。また、搾乳よりか直接飲ませるほうが効率が良いらしく、乳腺炎の予防のためにも直接吸わせて満遍なく角度を変えるほうが良いようだ。

というわけで、乳児用のメーターを持っていなかった私は自分がどれくらいの量を子に飲ませているのかよくわからなかった。新生児はいちいち「お腹空いた」や「これでもういい」とは言ってくれないので、足りているのかどうかがわからず、不安になる人もいるらしい。私自身は不安になるほどではなかったが、とにかく泣くし追加のミルクもよく飲むので「じゃあ必要量は結局どれくらいなんだ」と疑問に思っていた。もちろん昼夜問わずに追加のミルクも作らなければならないので、私自身の毎日の睡眠時間も新生児同様に非常に細切れだった。

 

 

吸啜刺激とホルモン分泌

産直後は母乳育児の開始において恐らくもっとも重要な時期である。出生後24時間以内に児の吸啜刺激が加わることでぐんとその後の出が良くなるようだ。

 

なお、一般的な知識だと、吸啜刺激は射乳反射を起こすオキシトシンなるホルモンを分泌する。このオキシトシンは下垂体後葉から分泌されており、射乳と同時に子宮収縮を促す。つまり産直後に児の吸啜刺激が加わることは子宮復古の観点からも重要なのである。

医療系でなければあまりご存知ない方もいらっしゃるかと思うが、分娩そのものに数百ml(個人差はかなり大きく、私は1000ml以上の多量出血となった)の出血を伴う。さらにその後も、胎盤という血流豊富な臓器を引き剥がした子宮からは1ヶ月ほどかけて出血が続く。この子宮復古がなんらかの理由でうまくいかないと、弛緩出血といってこれまたとんでもない量(〜数千mlに及ぶこともあるようだ)の出血を引き起こすこともある。医療に携わっていても、救急でもないのにここまでの多量出血を扱うのが日常茶飯事なのは産科が筆頭だと思う。

 

閑話休題

乳汁産生に必要なプロラクチンなるホルモンは構造上ドーパミンと似ており、プロラクチンの分泌によりドーパミンが抑制されてしまい、なんとも形容し難い不快感(不快性射乳反射、D-MER; dysphoric milk ejection reflex と呼ぶらしい)や気分の落ち込みなどを生じさせることがあるらしい。この現象も母乳育児を難しくさせるひとつの理由だろう。あまりメジャーには知られていないのか、私は産後に初めてこの現象を耳にしたような気がする。いや産前から知っていたかな。少なくとも個人のエピソードレベルでしか知らなかった。

 

幸運なことに私にはそれが起こらなかったし、様々な理由で出生後短期間GCU(growth care unit; NICUに入るほど重篤ではないが常時観察が必要な新生児〜乳児をケアする場所)にいる我が子に会いにいく理由は授乳がメインとなった。とりあえず我が子のコットの側に座り、抱かせてもらい(初日は点滴をしたりしていたのでひとりでは抱き上げることも難しかった)、左右5分ほど吸わせてみる。初日はなんにも出ない。なんにも出ないただの乳首を、新生児は一生懸命吸う。やれやれとお互い諦めたところで、ミルクをもらう。10mlか20mlくらいだったと思うが、それを飲ませるとごくごく飲む。以上で授乳は終わりだ。

産後すぐの体で、3時間ごとに訪れる授乳スケジュールのうち通えるタイミングは昼夜問わずGCUに歩いて行った。

その他産直後の不快な身体症状で眠ることもままならなかったので、じゃあまあ、世話でもするかという気持ちだったのを覚えている。

 

産後2、3日経つと、5mlとか10mlとか、まあそれくらいの母乳が出始める。もっともこれはよく出ている方らしかった。あまりにも私が眠らないので、助産師に勧められて搾乳機を使った。搾乳機を使うと実際の母乳の量がわかるが、そうでない場合は授乳前後の新生児を秤に載せる。10gや20gなんてほとんど誤差なんではないかと思うが、測れているらしい。産後数日はこれを頼りに、直接の母乳を授乳したあとのミルクをどれくらい足すかなどを決める。10mlとか20mlとか飲ませていたような気がする。大体1回量は、出生後1週間くらいまで日数×10mlくらいだったか。もう忘れてしまった。我が子はかなりぐびぐびと飲む方だった。

 

児の特性について

母乳栄養は受益者側(?)である児の意向や特性が非常に大きく影響する。この周辺も、個人差があるようだということはある程度事前知識があったものの、実際にどうなるのかはよくわかっていなかった。

 

母乳がどれくらい出るかを決めるのは子がどれくらい頑張って飲もうとするかである。吸啜という行為は、産まれたばかりの赤ちゃんにとってかなり疲れそうに見える。顎の筋肉をずっと動かしている。途中で疲れて寝てしまったりもする。「あまり飲んでくれない」などというのは、決して母親の甘えなどではなく、単に「疲れたから眠い」「もっと簡単に出てきてお腹がいっぱいになるミルクが欲しい」などの様々な理由により母乳が退けられることによるものでもあるらしい。

 

我が子は幸いにして非常に貪欲で、とにかく口に入るものならなんでも良かったし、飲み終わって満足したのがわかりやすい子どもだった。追加をたくさん欲しがるので、「もう出んからミルク飲んでくれや」となるシーンは何度もあったが。

 

子どもの吸いたいままに任せると、母乳というのはどんどん作られていく。それに伴い乳腺も非常にダイナミックに発達する。いわゆる「胸が石みたいに硬くなる」のはこのタイミングで、実際に私も経験した。乳汁来潮というのが正式名称のようだ。

入院中、「頻回授乳」という言葉を助産師の方からよく言われた。欲しがるときに欲しがるだけ与えるという方法で、その子に固有の授乳タイミング・量に母体が呼応できるようになるらしい。

なお、「空腹になったらその分だけ与える」という方法はミルクを規定量与えるよりも母乳栄養の方がやりやすい、というのは事実のようだ。

やや香ばしいタイトルだが、こちらの書籍が部分的に参考になった。

 

 

授乳にまつわる不快なできごと

退院する頃、つまり産後4-5日には左右セットで20ml/回くらい搾れていたような気がする。ちなみにこのくらいの時期から、産後数ヶ月(人によって差がある)くらいは「片方吸われていると吸啜刺激でもう片方も分泌して服がドボドボに濡れる」とか、「最早誰も乳を構っていないのに過剰に産生された分がドバドバ出てしまい気づいたら服が生臭くなる」などの現象が起きる。これはそこそこ困らされた。乳汁というのは結構生臭くて、時間が経つと牛乳を吸わせたボロ雑巾のような臭いになる。産後の乳腺の張りというのは凄まじいものがあって、最早授乳用に購入したゆるい下着ですら締めつけによる痛みを感じるので、タオルなどを当てて過ごした。そうするとそのタオルがものの2-3時間で上記のような臭いボロ雑巾になる。昼夜問わずよくわからない理由で泣き喚く乳児の授乳やオムツ交換や沐浴をしながら、こんなボロ雑巾に構わないといけないというのはまあそこそこの苦痛ではあった。無論、睡眠不足や産後の諸々の痛みを加味すると、「最悪。思い出したくもないわ」くらいの感想になるのだが、母乳栄養に限って言えばそこまで物凄い苦痛というわけではない。我が子は吸啜そのものもかなり上手だったようで、軟膏によるケアは必要だったがものの、乳頭の皮膚トラブルなどもあまり起こらなかった。

 

こうして、最初の1ヶ月ほどのあいだに母体と子どもは母乳栄養の基礎を確立するらしい。このころは、1-3時間ごとに授乳し、直接吸わせたあとにまだお腹を空かせているようであれば時々20-40ml程度追加でミルクを飲ませていた。つまり哺乳瓶との併用であり、いわゆる「混合」である。哺乳瓶と実際の乳首はやはり吸啜の方法が少し異なるようで、これに違和感を覚えてどちらかを拒否する子どもも多いようだ。これが第2だか3だかくらいの壁である。もちろん貪欲な我が子は飲めるものならなんでもよかったので、飲んだ。

 

1ヶ月前後〜離乳食開始まで; 「完母」とその後の「哺乳瓶拒否」

その後は、若干思っていなかった方向に進んだ。

母乳分泌が完全に追いついたので、もうミルクがほとんど必要なくなった。いわゆる「完母(完全母乳の略)」である。

1回の授乳で子は100ml~時に200ml前後も飲む。それを1日に6~9回くらい繰り返していただろうか、時期によりやや違いはあるがそんな日が続いた。

 

ときに私は生後3か月くらいに、産前まで勤務していた非常勤先への復帰を考えだした。体は本調子ではなかったが、公募があったので大体9か月になる頃くらいに復帰できる頃合いに合うと踏んで応募した。

ら、予想外に生後3か月の終わりくらいから週に1回だけの出勤が降ってきた。つまり保育園だ。直接授乳ではなく、急に哺乳瓶から飲んでもらわなければならなくなった。

そのころ、哺乳瓶はほとんどまったく使っていなかった。哺乳瓶の感覚を忘れてもらわないためには、搾乳して哺乳瓶から投与すればいいだけなのだが、こちらとしてもとにかく乳腺の張りとの勝負である。直接授乳に勝る時間的量的効率はなかった。

気付けば保育園に預けるまでに1か月から2か月ほど哺乳瓶をほとんどまったく使わない日が続いていた。そうすると今度は哺乳瓶からまったく飲まなくなってしまっていた。困った。

 

あとからわかったのだが、このころは新生児向けの哺乳瓶からの哺乳ではまったく出がよくなかったようで、「なんだこの辛気臭い授乳は!」といったことで哺乳瓶を拒否していたらしい。お腹を空かせて泣く我が子の口に無理やり哺乳瓶を突っ込み、抵抗を諦めて5mlや10ml飲んでくれれば儲けものだが、あとは泣く泣く冷凍の搾母乳を捨てるというしち面倒くさい手順を踏む期間が2-3週間続いたと思う。

あまりなんの拒否もなくスムーズに哺乳瓶も母乳も受け入れていた我が子だったので、ああ母乳拒否や哺乳瓶拒否で悩む親というのはこういう気持ちなのだなあとしみじみ思った。

そして、試行錯誤の結果3か月児用のMサイズ哺乳瓶乳首を購入するとすべてが驚くほどきれいに解決した。そこまでやってやっと先述の原因であることが判明したのである。頼むから口で言ってほしい、「こんな辛気くせーメシやってられっか、デカいのを寄こせ」と。

 

 

保育園と仕事、搾乳と乳腺炎

上述のトラブルを乗り越えて息子はスムーズに保育園に行きだした。

私はというと、週1-2ながらも出勤の日はほぼ12時間近く家を空けて我が子と離れる。我が子は哺乳瓶のミルクか搾母乳さえあれば気楽に過ごしているが、こうなると今度は私の乳腺が乳腺炎の危機に陥る。

生後4か月からこの苦闘がはじまるが、大体生後1年近くくらいになるまでは、授乳間隔が6時間も空くとかなり限界に近くなる。乳腺炎のリスクがひたひたと忍び寄ってくるのを感じる。授乳をしたことのない人には、たとえ同性であってもなかなか伝わらないと思う。

 

乳腺炎に至るまでに、主に乳房の緊満感(カチカチになってひどいときは下着の形にあわせて固まる)、特に腫脹のひどい乳腺のしこりが常に残り、熱感ももつ。これが続くと、うっ滞性乳腺炎と呼ばれる状態を引き起こす。40℃前後の熱が出る人もいる。乳腺というのは外部に開口部をもつ外分泌器官であるため、皮膚の常在菌を常に巻き込んでおり、乳汁が出せない状態が続くと今度は化膿性乳腺炎に移行する。こうなると抗生剤の内服や点滴のみならず、ときに外科的に切開して排出する必要に駆られることもある。

当時の私は最終授乳から4時間くらいで張りを感じ、6時間程度が限界で、8時間ほどになると上述の乳腺炎待ったなしの状態であった。

なので、子がいないときに搾乳機を持っていない=乳腺炎、が確定していた。勤務日は6~7時までに授乳をし、子は保育園に行き私は職場へ。職場で12時過ぎくらいから20分ほどかけて搾乳をして、保育園に迎えに行くのは18時くらいだった。

こうしてなんとか勤務と母乳栄養を両立させていたが、生後8~9か月くらいに1度乳腺炎を起こしてしまった。幸い対応は早くてなんとかなったが、37℃後半くらいの発熱と悪寒を感じた時点で「あ、だめだ」と職場にジャンピング土下座して中抜けし、保育園に手動搾乳機(息子)を迎えに行き、そのままで出産した病院の母乳外来に駆け込んだのは懐かしい。助産師さんの神がかりの手技により膿みかけた乳汁を吹き飛ばして、その後は抗生剤を内服しつつ頻繁に授乳をすることで事なきを得た。

 

なお、搾乳機を持ち歩いて冷凍搾母乳を大量生産するようになる話は先の「熱すぎる搾乳機レビュー」記事に詳しく書いたが、誰も得しない。

 

さて、こうした複雑なトラブルがあるので、母乳栄養をしている母親が乳児と離れてフルタイムの仕事をするのはかなり大変である。

それらを避けるために、0歳児をもちながら仕事復帰をする人のなかには、薬の内服で完全に母乳分泌をストップする、いわゆる「完ミ」を選択する方も多いと思われる。

 

私自身が乳児を育てるにあたって、そもそも栄養方法をこんなふうに選択し、また子のリズムと自分の体のリズムをすり合わせる必要があることは産前はまったくよくわかっていなかったと思う。し、失礼な話だが、男性の場合は「産後になってもよくわからない」人が多いのが現実であると思う。是非この記事で興味をもたれたら、母乳育児に関する科学的な知見を得たりしてみてほしい。なかなか面白い世界であるので。

 

 

 

長きにわたった授乳、そして卒乳

あまりに記事が長くなってきたので、さっさと卒乳の話をしたい。

卒乳、そう、このために私はこの記事を書いたのである。

 

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母親と児の最適な卒乳タイミングとは?

以前の育児本では、1歳になるまでには卒乳とか、いろんなことが言われていたらしい。現在は卒乳(母乳もミルクも)について厳格な定義はない。母乳栄養を続けている間の妊娠しづらさ(しないわけではない)などの背景もあるが、WHOは2歳になるまでの母乳栄養を推奨している。もっとも、これには途上国の水事情(ミルクを作るための衛生的な水がないので、母乳の方がよい)なども背景にはあると思われるが、とにかくこれまでの育児法よりも現在の社会的母乳事情は長期の授乳に寛容である。

 

とはいえ、「授乳の開始」に個別のストーリーと固有のリズムがあるのと同様、「卒乳」もやはり個別的なものである。

他人の卒乳関連エピソードやエッセイなどを読んでいると、すごく苦労しているものもあるし、「自然に欲しがらなくなった(0歳のあいだに!)」などのエピソードもあった。

私はといえば、0歳のあいだは好きに飲めばいいし、1歳のあいだもまあダメではないという姿勢だった。が、2歳になるまでには夜間授乳は辞めてほしい(哺乳瓶齲歯という特徴的な門歯のリスクが明確に上がるから)と考えており、離乳食が完了する時期からは母乳の栄養はメインのものではなくてあくまで「お楽しみ程度」というやつだと思っていた。

それは事実だったのだが、0歳の終了くらいから、如実に我が子の精神依存が強くなっていった。「与えられるので飲む」というより、精神の安寧のために母乳を欲しがるのである。これは起床時と帰宅後に特に強かった。夜間も母乳でないと納得しないことが多く、牛乳で置き換えようとしても拒否されることがしばしばあった。

そのうえ、私自身は上述の通り母乳の出がよかったので、当然乳腺炎リスクも高く、「じゃあいつ授乳をしなくてもよくなるのか?」というのが母子ともに見えてこない時期が半年近く続いた。

この間、授乳回数は2~4回/日とかなり減ってきていたし、私の乳腺も8時間間隔や12時間間隔にも耐えられるようになっていたが、最後の2回がゼロにならないという時期が数か月あった。我が子は随分と自我もサインも発達してきたし、母乳が欲しい、またはもらえるタイミングになるとわざわざ抱きかかえられる際に授乳しやすいポジションに座ろうとするし、椅子に私を座らせようとして椅子を叩き、「さあ早く」と催促することもあった。

 

そして迎えた卒乳の日

1年半を過ぎたころ、さすがにこれを終わりにしたいと思い、何度か授乳を誤魔化すようになった。些かの抵抗を受けたが、夜中に起きても牛乳を渡されるということが何度か続くと、子どもは少しずつ「夜は授乳をしてもらえないことが多い」と受け入れるようになった。実は、最後まで催促をしていたのは「帰宅直後の授乳」だった。保育園に行き、遊んで帰ったあとは親に甘えたい、安心したいという気持ちが強かったのかもしれない。習慣の力は大きい。

 

かくして、朝夕のいずれも授乳なしで過ごせることを確認してから、通院してもらっていた断乳用の内服薬を飲んだ。カバサール(カベルゴリン)という、ホルモン分泌抑制薬である。2.5mgを4錠、1度飲むとそれで終わりだ。なんとも不思議なものである。

 

長らく授乳をしていたので多少の乳腺トラブルを覚悟していたが、内服から4日ほど経ったタイミングで1度すっきりするまで搾乳をしたあとはもうまったく困らなかった。

これにて晴れて母子ともに卒乳である。

 

あまりに卒乳できず、どこかでタイトルだけ知っていた『おっぱい ばいばい』なる絵本を購入したりもしたが、何回読んであげて「ばいばい」のジェスチャーをしてみても、多分我が子はそんなに「ばいばい」を意識していなかったのではないかと思う。結局は言い聞かせたり納得したりよりも、習慣の変化の力の方が大きかった。我が子の場合は、だが。

 

現在は卒乳して2週間以上経ち、少なくとも椅子を叩いたり夜中に起きて母乳を欲しがることはほぼまったく無くなった。まれに、椅子に座って正面抱きをすると、胸元を覗き込んで「あれ?」という顔をしている。が、断られて寂しそうな顔をしたり泣いたりすることもないので、まあ本人なりに納得しているのだろうというところだ。

 

私たちの卒乳はあまり感動的なものではなかった。保育園の登園前に授乳をしたら、その日に風邪を引いて熱を出し、たまたま保育園を休むことになってしまった。私も仕事を休まざるを得なかったので、1日一緒に過ごし、夕方の授乳をせずに寝かせることができた。今しかないな、と思い内服して眠り、その朝の授乳が最後になった。

このころには、片乳あたり2-3分も飲めば満足するので、トータル5分あるかないかの最終授乳だった。しかも、私はもうやれやれと思いながら授乳をしていたので、別にわざわざ子の顔をじっくり見たりしないし、記念の写真も動画もなんにも残していない。

1年半も続けたわりにはなんの感慨もない卒乳である。

 

けれど、母乳育児そのものに苦労した人や、卒乳が子との絆を断たれるように感じるほどつらい人もいる。

私はそのすべてに「ものすごくたくさん」は困らなかった。だからこそ、当事者のわりには第三者のような目で自分自身の経験を振り返ることができるのかもしれない。

 

 

特に何の役にも立たないが、母乳栄養をはじめる人、終えた人、なにもしらない人、興味のある人たちにしょうもない読み物としてこの卒乳記録をお届けしたい。

 

卒乳おめでとう。お互いお疲れさまでした。