毒素感傷文

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日記 / 君を乗せて

おもちゃのオルゴールが、ジブリの有名なあの曲を流してくる。たくさんの灯が懐かしいのは、そのどれかひとつに君がいるから。どれにもいるから困るんだよなあ。記憶の容量は限られているのに、絶対にすべてを覚えてはいられない。

いつか懐かしむなんてことはあってほしくない。いつでも全てをありありと思い出せたら、思い出なんてわざわざ引っ張り出さなくても済むのに。まあ実際にそんな状態になったらそれは多分夢と現実の区別がつかないようなものだから、だいぶと問題になるだろう。

 

 

 

貧血と裂傷の縫合部の痛みを抱え、泣き叫ぶ我が子を座って抱くこともままならない時期をなんとかやり過ごした。

今度は、どうしようもない腕と肩と首の痛みを無視しながら夜を明かすようになった。

 

1日1リットルにも満たない母乳だけを飲んで、小さな生き物は日に日に脂肪を蓄えて重くなる。合間に呑気を抜くために背中をさすっていると、まだその小ささに感嘆できる。

必死に乳首を探して食いつく。喉を鳴らして、息継ぎをしながら自らを栄養する原始的な生き物。大人顔負けの大きなあくびと、それからげっぷのあとの気分の良さそうな表情と、おまけの吐息。

 

この背中が、今は大きな頭部より余程広くなるであろうことを、急に増した太腿周りの肉付きを、毎日のように眺めて触れて確かめながら、大きくなって「しまう」のだと、罪悪感と共に思う。

 

 

 

眠らない、ほんの1時間や2時間(ときには数分!)で起きる深夜に、明け方に、時に苛つき苦しみ、そして時に思う。すぐにこんな時期は終わってしまう。すぐに解放され、そのときにはまた異なる苦しみに苛まれるだろうけど。

 

乳首が近づくと磁石を近づけられた方位磁針よろしく向きが定まり、ソワソワと忙しなく首を振って探す口を見ながら考える。

何度でも困らせて、何度でも私を明けない夜に閉じ込めて、ずっとこのままでいてほしいと。腕の中でだけ眠り、ベッドに寝かせるとすぐに起きて泣き出し、再び体温を要求して無理をさせてほしいと。

意外とこんな時期は長いかもしれないが、いずれ言葉を話すようになり、力が強くなる。今の、いくらかの哺乳動物よりもずっと単純な、純粋な興奮と反射で形成された期間はすぐに終わってしまうだろう。

 

それが筆舌に尽くし難く、ただ寂しい。そしてその思いをあまり抱えないほうが、いつか来るであろう子離れのために苦しまなくて済み、そして不健康な母子関係にならずに済むであろうことから、寂しさは常に罪悪感に包まれて胸の奥底に沈んでいる。

お包みの中で丸くなる赤ん坊のように。

 

 

かつて、止まらない涙と自ら傷つけ過ぎた体と共に横たわって怯えて過ごした夜を、今は母乳で口を汚した赤ん坊と共に過ごしている。

そんな風に時間をかけて、幾つもの夜を過ごして、苦しみながらも確実にこの「お包み」ごと手放すときがくる。

 

くだらない取り越し苦労で困る暇があったら赤ん坊の顔でも見ていればいいのだと思う。けれど見れば見るほど寂しくなるからこそこんな夜中に与太話をしているのだ。

 

夜はいつか明ける。ただし今晩はまだ君を膝に乗せて。