毒素感傷文

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GRが壊れてGRを売ってGRを買った話

カメラの話なのに写真は一枚も出てきません。

 

この記事の要約:

GRⅢxを買った。以上。

 

この記事の前提知識:

GRシリーズはRICOHが出している、いわゆる「高級コンデジ」の一種である。

GRシリーズには特徴がある。

①とても軽い(バッテリー込み300g未満)

単焦点の広角レンズ

他にも色々あるとは思うが他の高性能コンデジと較べて重要な部分はこのくらいだろう。

特に②が珍しく、およそコンデジならば求められる性能(ズーム)を擲って画の美しさを獲得した。

 

私とGRの話:

私は6年半前、何を思ったかこのカメラをファーストカメラにした(借り物のPENTAX Q10なども参考にはなったが)。のちにいただきものでα6000というカメラも手に入れたが、軸足はほぼGRだ。

 

ことのはじまり

長年使っていたGRⅡが壊れた。たしか2年ほど前である。

GRⅡが壊れたら当然GRⅢになるものと思っていた。息をするようにGRⅢを買った。

が、何か違った。GRⅡに慣れ親しみ過ぎたのか、やや使いづらさを感じる。原因は判然としなかったが、特にマクロモードにするとその違和感がはっきりした。撮影距離があまりに短い。確かにボケは非常に美しいが、ぶっちゃけそこまでボケてくれなくていい。

これは単に撮り方の違いであってGRⅢが悪いわけではない。GRⅡに慣れ過ぎて、GRⅡの感覚でGRⅢを扱おうとすると無理だったというだけの話だ。綺麗なボケならα6000とSIGMAのレンズが担ってくれるという認識だった。

 

うっかりGRⅢを売り飛ばしてしまった

使わないカメラに用はない。のではなく、純粋にカメラを持ち歩く機会が減った。これはα6000も同様で、育児をしながら写真を撮るのは難しい(ように思われた)。ましてGRが活躍するような広角の遠景を撮ることも少なくなり、なんというか気持ちが萎えてしまった。

たまたま家に送られてきた高価買取のハガキに釣られて、GRⅢを売ってしまった。「いらない」というよりは、このまま死蔵させるのが勿体なかったからだ。道具は使われてこそ道具の真価を発揮するのであって、それは一分一秒でも長い方がいいと思っている。使われないものは仕舞われておくべきではない。

 

Panasonic LX100 mark 2を買ったが、届かなかった

新しいカメラを買い求めた。

・比較的軽く

・レンズが明るく

・結構広角で

つまりGRとαの中間をいくカメラであれば1台持ち歩くのではなかろうかと思い、購入を決めた。実際にはLX100m2は私にとってはややオーバースペックであり、そしてそのスペックは要らないからもっと軽くなってくれと思うような機材だった。

 

さらに、LX100m2は届かない。

部品が欠品しているようで(恐らく世情の不安定などが影響している)、7月上旬といわれていたものが8月になると連絡がきた。

GRⅢを売った時、どうせそこまでの間も大して写真は撮らなかったし、これから先しばらくも撮らないだろうと思っていた。が、LX100m2も個人的にはきっと何か足りないカメラになるだろうという予感がしていた。何より重い(400gでもGRより重いものは私にとってはすべて重い)。

 

というわけで、歯牙にもかけていなかったGRⅢxをふと思い出して検索した。

それまでのGRシリーズとGRⅢxは絶対的に違うものがある。画角だ。

画角の広さこそがGRのニクいところ(誉めてる)であったというのに、Ⅲxではそれを犠牲にしてより近距離のスナップを強みにしているようだ。

 

広角でないGRなどGRではない。

自分もそう思っていた時期がありました。ごめんなさい。撤回します。

GRⅢxはマクロの撮影距離がGRⅡとかなり近く、使用感が全体的にGRⅡに似ている。GRⅡに求めたような、都市や建築物を撮る際の画角が必要なければGRⅢxは十分に今の私が必要とする機能を満たしていた。

 

 

GRⅢxを購入した

というわけで、明けても暮れても届かないLX100m2を見捨てて(注文キャンセルして)GRⅢxを購入した。GRⅢxを頭に思い浮かべて10分後には注文ボタンをクリックし、翌日の昼には手元に届いていた。

 

諸々の設定や動作を確認してマクロ撮影してみると、凡そGRⅡと同じ手ごたえが得られた。画角の狭さに関してはα6000につけていたSIGMA DC DN F1.4 30mmというレンズがほぼ同様であり、物足りなさは今のところ感じていない(室内と屋外で数枚しか撮影していないのでなんともいえない)。

 

けれども何か満足するところがあれば持ち歩くようになり、持ち歩くようになれば振り回す(撮る)ものである。

かくして私の3回目のGR人生が幕を開けた。

 

ちなみにGRⅢのことをディスりまくっているがこれはGRⅢが至らないカメラであるというわけではない。GRⅢをファーストカメラに、あるいはほかのカメラをメインとして使用しGRⅢをサブとして用いる分にはまったく不足はない。むしろGRⅢに慣れ親しむことによってGRⅢにしか撮れない画を撮るようになるはずだ。

私がGRⅡにあまりに慣れ過ぎていて、そしてGRⅡひとつを手にして写真を撮ってきた人は案外GRⅢxでも互換性があるというだけの話だ。

 

結局「使いたい」という欲求が浮かばなければ、そして撮らなければ写真は生まれない。当たり前のことだが、道具に不足があると感じたらそれはほんの少しであっても「使いたい」という欲求を殺いでしまう。

 

GRⅢを売りに行ったとき、スタッフの方から「僕が言うのもなんですが、もったいないですよ」と言われた。その通り、GRⅢは良いカメラなのである。ただしそれは、「他の誰かにとって、私よりもっと」いいカメラなのである。

 

たかが一台カメラを買うだけなのに2000字以上ブログを書けるのは我ながらどうかしていると思うが、GRⅢをやめてGRⅢxを買うときの意思決定はこんな感じというしょうもないアピールである。

 

 

では皆様めいめいによきGR人生を。GRはいいぞ。

 

 

 

 

 

 

追伸:

LX100m2をご使用の方は使用感や作例を是非お知らせください。