毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

誕生日 / 不安しかない、でも生きている

タイトルにすべて詰めた。もう本文もこれでいいくらいにすべてであるのだが、それでは何も残らないので少しは言い訳を書かねばならない。

 

先日、私は齢30となった。何度噛みしめても重い数字であるように思う。思うものの、29歳までの昨日(誕生日は日付で一昨日だが)と30歳になり続いていく日々はシームレスで、なんの断絶もない。

思えば26歳になったときも、27、28、29、いずれの年も重く感じたし、年相応になるべきだという強いプレッシャーを感じていた。凡そはいい意味で。だから30になってもそれは特別に強いものではない。毎年のように降りかかってきたのだ。

 

振り返って特別なことがあるとするならば、それは10年以上前の私が、「30になるころにはどうにもならなくなっており、自殺するしかないのではないか」とぼんやり思っていたくらいだ。ここを少し書き、25歳からの5年間を軽く振り返り、そしてこの先5年ほどの展望(そんなものは具体的にはなにもないが)を描ければよいかと思う。

 

 

 

10年以上前の地獄とそこからの経過について

精神疾患と略歴

私は17歳の誕生日を迎える前に学校に通えなくなり、のちに精神疾患と診断された。自殺未遂をしたり、1ヶ月弱入院するなどの急性期も経験したが、入学した高校をなんとか卒業するまで漕ぎつけた。

その後は療養をしながらも少しずつアルバイトなどで自己流の社会復帰を試み、2年の空白を経て看護学校(3年制の専門学校)に入学した。実習期間中に体調を崩したため留年して再度静養し、4年かけて卒業した。

それゆえ勤務開始は24歳、普通の学部卒+院卒か、6年制学部の卒業と同等の年代であった。その後は病棟に4年間勤務し、結婚・転職を経て現在は非常勤をしながら大学院生の身分である。

 

簡単に触れたものの、10代後半はさながら地獄だった。今ではなぜそこまで苦しんだのかと思うほど遠い記憶となっているものの、断片的な情報でさえ暗澹たる気分になる。喉元を過ぎてもうわからなくなっているが、暗中模索どころか暗闇の中で一条の光さえ見えないような状態だった。自分は死んだほうがいい、でも死ぬのにも迷惑がかかるためどうしたらよいのかわからないといった有様だ。何より、そう考えることしかできないのが申し訳なく、通常の人生というものが見えなくなってからは何とかして自分をこの世から消す方法を考えていた。罪悪感で夜も眠れず食事も喉を通らず、1年くらいはまともに食事が摂れなかった。自分のような穀潰しが人並みに食事をしてはいけないとどこかで思っていたような気がする。

 

さて、こんなことを書き連ねると1万字を優に超えてしまうのでこの話はこれくらいにしておこう。看護学校になんとなく入ったことも、馴染めないまま卒業したこともまあ適当に飛ばそう。ご興味がおありの方にはそちらの記事をご覧いただきたい。

結局私は精神疾患を今でも引きずりながら生きている。服薬はずっと必要であり、これからもなくなることは恐らくないだろう。無理をしてやめる必要もないのでなおのことである。

 

 

 

25歳からの5年間

働き始めたとき、約5年、目安として30歳になるまで、自分は絶対にがむしゃらにやろうと決めていた。もちろん持続可能な形で。しかし、失った人生を取り戻すために何が何でもやりたかった。誰かや世間との比較ではなく、何よりも過去の自分自身に打ち克ちたかった。過去の自分は敵ではないが、反省が詰まっていた。

 

無目的ではなかったものの、方法としての具体的なものは最初から決まっていたわけではない。ただ、5年臨床をやったら大学院に進学しようとなんとなく決めていた。結局、臨床で働きながら通信制の大学を卒業し、多少想定とは異なるものの望む通りになった(した)。

 

もちろん自分だけの力ではないし、運が良かっただけだと思う。特に、巡り合わせというか機会には本当に恵まれた。伴侶もそうだし、学術的な興味をもつに至る広範な読書の経験もそれに続く教養科目の履修も、自分のような変人に寛容な職場も、すべてが自分を援けてくれた。

 

それから、この5年には副次的な目標があった。

それは、精神疾患を抱える身としてどんな形でもいいので誰かの希望になりたいということだった。それゆえにこの記事も書かれている。

 

現在では、10年以上前のことを具体的に書くことは少ない。そのあたりの経験はあまり人の役に立つと思えないし、自分の中での咀嚼も既に粗方済んでいるため書くことに意味はないと思われるからだ。必要であればいつでも提供するが、直接誰かのためになるものではない。

ただ、時折こうして書かないと自分はいつのまにかスーパーマン(スーパーウーマンでもなんでも良いが)になってしまう。つまり、最初からなんでもできていたような人間に置き換えられてしまうのだ(自分勝手な想像かもしれないが)。機会に恵まれたゆえに参考にならないのでは、当初の目的が達成されない。

私と似たようなところで困っている誰かが地道にやりたいことを考え、取り組み、ときに環境や方法が適切でないと思えば立ち止まり、必要な場所まで引き返す、そういうときに指標にできるように経験の蓄積があればいいと思う。

過去の自分は随分遠いが、必ず地続きではある。どこを振り返ってみても前後の繋がりは途絶えることがない。きっと精神疾患などない人生だったとしてもそうなのだろうけど、自分はそうでない人生を歩まなかったし歩めなかった。多分何回人生をやり直しても同じところで発症すると思う(ので、たとえやり直せるとしても絶対にやり直したくない)。

 

 

 

これからの5年間(など)は、

誰かに見せる背中はあるんだろうか、と考えている。

20代後半の自分はえらく悩んでいた。私生活はともかく、キャリア上の不安が非常に大きかった。追うべき背中もなく、また完治の存在しない疾患を抱えて研究を遂行することも臨床とのバランスもなにもかも孤独に思えたし、今も孤独で不安である。というか、不安しかない。研究が地道に進んでも、常に拭えない不安に後ろから尾けられている(別に被害妄想ではない)。

 

私自身が他人の背中を探すにあたり、ここからの5年10年はおそらくさらに大変だ。家庭生活なども含めてまた反動があり、目標は修正を強いられるのだと思う。

それでも、誰かに見せられるような希望の面がどこかにあって欲しいし、それは肩肘張ったものでなくてもいい。まあ、見栄っ張りなので大体肩肘張るだろうけども。

 

穏やかな健康と、自分のためだけではない希望のためにまた頑張るのだと思うし、それは多分生涯やめられないし、やめるつもりはない。

30歳でまだ死ぬつもりがないのは今のところ自分にとって奇跡であるし、死なないのは誰かに見せるためであるというなんとも低俗な目標のためであるのだけど、これがあればこの先数年はやっていけると思う。

 

というわけで適当に頑張る。適当に。