毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

メモ: 発達障害といわれて

「ですよね、納得です」と返した。

 

 

精神科を転院する

精神疾患を発症してから、恐らく最も長くお世話になったクリニックを転院した。医師と相性が悪かったとかではなく(そんなクリニックに6年半も通うことはできない)、転居のためだ。

 

少し不安だった。精神科医療を信頼しているが、やはり向き不向きというか相性みたいなものはある。もっとも前のクリニックも、担当医を信頼してサクサクと自分のことを整理して伝えられるようになるまでには数年を要した。その間に通院をドロップアウトしたこともあった。

 

初診で、机の上に封を開かれた紹介状は2、3行しか書かれていなかったように見えたが気のせいだろうか。2枚目があったということにしておくか。

通常精神科の紹介状は、身体科に較べるとそこそこ長いものだ。あえて先入観を持たないためにあまり読み込まないといっていた精神科医も居たような気がするが(中井久夫氏か?)、そもそも情報を与えないというのはなんというかちょっと不誠実なのではないか。まあいいか。

ちなみにこんな悪口を書くのは元の担当医を貶したいからではなくて、それくらい淡白でかえってとっつきやすい医師だったからだ。Googleのクチコミでは頗る不評だったが(大変よくわかるところが笑える)、病歴も長くある種安定していて自分のことはそれなりにはっきり訴えられる自分にとってはかなり楽だった。人の話を半分聞いていないくらい(に見える、失礼ですみません)人の方が楽だったりするのだ。

 

 

 

問診。それから、精神科の薬とは

というわけで、入念に生育歴・発症からの経過などを訊かれ、そして訊かれるまま素直に答えた。

私の診断名は今のところ双極性障害ということになっているが、それは自分の体と症状に最適な内服薬を探すためのものであり(内服薬には適応というものがあるので適応となる診断名がないと処方することができない)、根本原因は別にあるという気は正直していた。ただ、振り返れば何回か軽躁のようなエピソードはあって、それは自分が「調子がいい」「本当はこれくらい頑張れるのだ」みたいなつもりでいるだけだったのかもしれない。事実、内服も途絶えた状態で1年もすると調子が悪くなり、また別の内服薬を試す羽目になっていた。

 

あらゆる内服薬にいえることだが、精神科の内服薬にもなにかと副作用がある。それに加えて、なんとなく調子がよい感じが続いていたり、内服を中断したことによる離脱症状が大してなかったりすると、辞めたままになってしまいがちになる。コンプライアンスの悪い患者の典型例である。こんな人間が、ステロイド含めた免疫抑制剤などの内服指導をしていたのは笑ってしまう話だが、なまじ少し知識があると自分のことを自分で管理できると過信してしまうのかもしれない。

この記事をお読みの皆様の中に精神科の薬を内服している方がおられたら、ゆめゆめこのような轍を踏んで欲しくないので、内服薬がつらいときは受診の時に是非相談していただきたい。薬を変えることもできるし、副作用を抑える薬も世の中にはたくさんある。

 

ちなみに現在は無事私にもそれなりに体に合う薬が見つかり、年単位で内服を継続することができている。

 

 

 

それっぽいエピソードたち

閑話休題が長くなってしまった。

 

そして小一時間の問診の途中、「ああ、発達特性のことを訊かれているな」と感じつつ、自分自身も自分のことを知りたいと思っていたのでそこそこ積極的に説明した。意外と忘れてしまっていることも多く、家に帰ってから「そういえばもっと幼少期からエピソードはあったな」などと思い出した。

 

とはいえ大体のことに答えた時点で、「アスペルガー(現在は自閉症スペクトラム障害)でしょうねえ」と言われた。まあそうでしょうねえ。私もそう思います。

実は今まで精神科でそのことを相談したことはないし、診断を受けたこともない。ただ、ネットで転がっているAQ(自閉症スペクトラム指数)の質問紙の劣化版みたいなものをやると大体高得点を叩き出して引っかかり、まあそんなものだろうと思ってはいた。

 

ベースにこれがあって、日常生活や社会生活がストレスになって双極性障害を発症したとしてもまったく不思議ではないと思うし、ほとんどそれは避けられないことだったろうとも思っている。私が発症したのは10年以上前のことで、当時は広い臨床での発達障害の診断や治療はまだまだ黎明期だったように思う(とはいえ専門外来などはあった気がするが)。

 

 

 

幼稚園だか、小学校1・2年生くらいの通知簿には、「集団行動が苦手なようです」と書かれていたことがよく記憶に残っている。小さい頃から物を数えるのが好きで、外出して暇になるとなんらかの物体の数を数えていた。また、物心ついて以降には既に易怒性があった(これが嫌で、中学生くらいから易怒性をコントロールするための自傷をやり始めて挙句うつになった)。小学生の後半には特定の音が大嫌いになり、その音は今でも苦手だ。最近になっても、近所の紙工場から聞こえる金属音だけが異様に苦手だったりもした。伴侶との同居が始まっても、1人部屋がないとなんとなく不安で落ち着かず、結局その家は2年を待たずに転居した。

 

冗談は当然通じないし、正論で人を殴るのも大好きだ(控えるようにはしている)。人の発言の矛盾を指摘するのは大好きだし(なお自分の発言には矛盾がある)、相手がもう会話を終わらせようとしているときでももうちょっと言いたいことを言ったりする。最後については、わかっているけどやりたいのである。相手の優しさに甘える形だと思う。

 

仕事をし始めて気づいたが、細かいニュアンスをもつ指示は理解できない。明文化されたものは理解できる。

普通の仕事ならそこまで困らなかったのかもしれないが、私は看護師で、ことさらチームワークを求められる職場だったからこそよく自覚した。働けないほどではなかったし、よく教育してもらえたおかげで仕事は覚えて楽しかったが、周囲にはご迷惑をかけたことと思う。大学病院だったのもあり、変人には少し寛容だった。市中病院だと智にはたらいて角が立ち、いじめ抜かれる未来が見える(だからこそ大学病院に就職したのだが)。

 

反対によく言語化されたものは理解し、読書は速く、何もしなくても成績はほどほどによく(とはいえあまり努力したがらないのであくまでほどほどでしかない)、学生の時には「研究者向きだね」と大体いろんな立場の人から言われていた。コミュニケーションの不利はほとんどすべて知識と知識による先回りでカバーした。人の言うことがよくわからなくても、言いそうなことを数パターン考えておけばなんらかの規則性に従って判断することができる。間違うこともあるけど。

 

結局今は大学院で研究をしているわけだが、まあ確かにコミュニケーションひとつとってもストレスが少ないと感じる。介護施設で働いてみたとき、看護師ではない職種の人との接し方や彼らの文化を理解するのに非常に苦慮したように、私はそういう「会話上のニュアンス」「曖昧な指示」を理解するのが非常に苦手だ。私がストレスを感じる以上に、明らかに相手にストレスを与えていたような気もする。

 

 

翻って家庭のことになるとまったく反対で、実家では色々な(そもそも私が原因とならない場合でも)トラブルがあったがそのようなトラブルは自分の家庭では発生しない。

なぜなら自分の伴侶も自分と同等かそれ以上にASDの傾向があり(非常に豊富なエピソードと現在の傾向をビシビシ感じている)、コミュニケーションにほとんどストレスを感じないからだ。だからこそ今自分は精神的にとても安定していて、外のことに立ち向かうことができている。自分自身に立ち向かうにも気力体力が必要だし、何もかも疲れてしまってぐったりと横たわっているときには小言も言わずにそっとしておいてくれる。ただしここではっきりと言語化して頼まなければ、家事の肩代わりなどはしてもらえないのがいかにもそれらしい。けれど余分な情緒の消耗がないのは気楽なものである。これが気楽なのだと感じられるようになるまでには時間を要したが。

 

 

よいと思っていること

私は意外とポジティブだった。少なくともうつを発症したときよりはかなりポジティブに今回のことを受け止めた。反省すべき点も走馬灯のように(まだ死にたくない)頭の中をよぎったが、それ以上にこの特性による成功体験が積み重なっていた。

 

いわゆる「空気が読めない」特性は、個人的には「解釈違い」として受け止めてきた。もちろん結構な確率で読み違いをするので確認の必要があるものの、じっと話を聞くのは嫌ではないし、「感情的な反応をするのは得策ではない」と感じたらそのまま聞き続けることもできた。仕事上これが役に立つことはままあり、他の人には話せなかったことを話していただいたこともあれば、焦りや情緒的消耗を表に出さないことで安定した振る舞いをすることもできた(必ずしも安定しているわけではなかったが)。

 

深くのめり込む特性が研究向きであることはなんとなく理解するようになり、結果として多少は研究に携わる道に足を踏み入れた。これからやっていけるかどうかはともかく、武器がひとつ手に入ったような気分ではある。

 

何より、伴侶も似たような特性を持っているがゆえに、伴侶をいたずらに疲弊させる心配が少ない。ないわけではないのだが、むしろ私は自分の方が伴侶の発達特性に苦心していると思ってきたので、私自身にそれなりの傾向を見出されたことについては若干心外ではある。

 

 

 

そんなわけで、10余年を経て追加された診断名についてそこそこ前向きに受け止めたわけである。

あまりこの傾向への対策はないと思っているのだけど、「そうだと思って学べば工夫ができるから」と発達障害に関する本を読むことを勧められた。

実は今まで、精神疾患、特に自分に近そうな話をしている本を読むのは意図的に避けてきた。受け止める余裕がないように感じていたからである。

しかしここにきて名前が授けられて、ようやく「自分のこと」として受け止めていいのだという許しというかお墨付きを得たように思う。今まで私は当事者になることを自分自身に許していなかったので。

 

 

とりあえず本読もう。今決めていることはそれだけ。