毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破7周目(1-10)

1.おしゃべりなポライトネス――会話の中の共話・話題交換・笑い・メタファー(笹川洋子)

ポライトネス理論に興味があってそれ関連の本を読み始めました。談話分析の本です。題材になっているのは主に外国人日本語話者と日本語母語話者のやりとりで、会話のイニシアチブをどちらが握るか(または譲るか)、笑いのタイミングや会話のかぶせ方をどのタイミングでいれるのか、みたいな曖昧な非言語コミュニケーションが記述されるのが面白かったです。文化圏によって、言葉のかぶせ方に気を遣う(むしろ言葉をかぶせるくらいの方が話題に興味があると思われるかどうかとか)などの違いがあるのもあまり知らなかったので読んでみてよかったとは思います。具体的にこの本だけが教科書的に参考になるかとかいうと別ですが、導入としてはいいのかもしれません。

 

2.組織エスノグラフィー(金井壽宏 佐藤郁哉 ギデオン・クンダ ジョン・ヴァン-マーネン)

4名のエスノグラファーがそれぞれの研究対象としてきたものや研究に至るまでの来歴などについて各々に書いている本。研究対象も様々で、劇団・暴走族(?!)・工場・企業などなど。そこ研究対象になるんや...という新鮮な驚きもありますし、あくまでストレンジャーとして組織に向き合いつつも組織の構成員の信頼を獲得することの難しさなんかも書かれていて面白いと思います。組織エスノグラフィーで面白い本といえば、スディール・ヴェンカテッシュ著『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』が挙げられると思うのですが、そちらも良書です。

 

3.インド 姿を消す娘たちを探して(ギーター・アラヴァムダン)

著者の綿密なフィールドワークにより得られたえげつない搾取構造の描写。想像を上回るキツさだったというか方向が違いました。身売りの話かと思っていたら、母体の人体収奪の話です。出生前診断により中絶させられるのです。

「ダウリー(花嫁の実家が嫁入り時に持たせる金品家財道具)」がどんどん家庭の負担になるのを忌避して、女児を出生すると新生児殺しをしていたのが診断技術の向上により生み分け(出世以前診断で女児とわかれば中絶する・させる)に変わったという話。昔は貧困の家庭がメインだったと思われていたのが、実は中〜上流階級でも恒常的に行われていて(出生前診断や人工中絶は高額なため)、統計的にどんな親の要素が子を中絶にはたらかせるかというと「母親が受けた教育水準」ではなくて、「母親の仕事の有無」だったのが興味深かったです。母親を罰しても当然母親自身が家庭の抑圧の被害者であるうえに価値観を刷り込まれているので女児殺しはなくならず、かといって教育水準の向上でも違法な中絶の取り締まりでも解決せず、「複合的な問題は解決しにくい」という一節がよくわかります。女児の減少は既に次世代まで影響している。

女性が貴重になると女性の価値が上がってダウリーが軽減されるとか違法な中絶がなくなるとかはなく、むしろ望まない一妻多夫のような、和姦やら辺境の土地の部族からの人身売買なんかが常態化して全然女性の地位は向上しないという話。女児出生数の歪みを指摘したのはかのアマルティア・センだったと。結局、女性やその家族にただ子殺しをしないよう教育するだけでは何も問題は解決せず、いわゆる「手に職」で自分自身を金で取引させない経済的自立を身につけ、婚後も他人に自分の体を使わせないという自己の価値の認識が必要だという話でした。まあそうですよね…

生命倫理(医療倫理・看護倫理)で訳本を読むと、異文化の人間がこうした中絶を望む母親にどう関わればよいかというジレンマを抱くという記述に時折出くわすので興味があって読んだのですが、なんというか一家庭の問題で片付かないんですよね。何より家庭が地域に密着しているゆえに差別を避けられない。「自分の体が自分だけのものである」って実は結構難しい問題だなと思います。規範的に語られるリプロダクティブヘルス/ライツの問題について、自分は個人主義(母体の意志尊重)的な考え方をしていたんですけど、これほんとに自由意志なのかなっていうのは疑問です。でもこれも押し付けがましい話ですしね。

 

4.エセー 2(モンテーニュ

お子様には、争うのにふさわしい相手を見いだしたときにのみ議論を戦わすように、また、その場合でも、用いうる限りのすべての表現を使わずに、もっとも役に立つものだけを使うように教えていただきたい。論理の選択と選別にはとくにやかましく注意を払い、適正を、したがって簡潔を愛するように教えていただきたい。

 

もしも私の論旨が支離滅裂であるならば、そして、推論が空虚で間違っているのに、自分でも気がつかず、あるいはそれを指摘されても気がつくことができないとすれば、それは私の責任である。なぜなら、過失はときとしてわれわれの目を逃れることがあるが、判断の病気は他人から過失を指摘されても、それを認めることができない点にあるからである。知識と真理は、判断がなくともわれわれの中に宿ることができるし、判断もまた、知識と真理がなくともそこに宿ることができる。いや、無知の自覚こそは判断のもっとも美しい、もっとも確かな証左の一つであると思う。

 

私もできれば物事のもっとも完全な知識を得たいとは思うが、あんなに高い代価を払ってまで買いたいとは思わない。私の意図は、余生を楽しく暮らすことで、苦労して暮らすことではない。そのために頭を悩まそうと思うほどのものは何もない。学問だってどんなに値打があるにしても、やはり同じことである。私が書物に求めるものは、そこから正しい娯楽によって快楽を得たいということだけである。勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく生きることを教える学問を求めるからにほかならない。

私の馬が汗を流して向かうべき目標はこれだ。

モンテーニュ先生「(日々のことをなんでも書き留めておけば後で読み返すことができるということについて)私はこれをおろそかにした自分を馬鹿だと思う。」自虐ネタがすごい。

エセー第2巻です(全6巻)。ちみちみ読んでいますが、人生観や教育観を膨大な書物の中からエッセンスを得て書き記していて面白いです。ほんとに誰かのブログを読んでいるような感じ。気軽に読めますし、昨今の自己啓発本を読むよりよほどためになります。比べるのは失礼かもしれませんが、『エセー』の正しい使い方のような気もします。

 

5.病気のひとのこころ: 医療のなかでの心理学(松井三枝)

心理学の観点から病む人について書いた本。2018年発刊と意外と新しくて、統合失調症患者の認知機能に対する行動療法などあまり耳慣れないものにも触れられています。精神疾患に対する心理士さんのアプローチはあまり知らないままだったので勉強になりました。

 

6.合意形成の倫理学(現代社会の倫理を考える 第 16巻)(加藤尚武

勉強会で触れた本。触れた章は一部でしたが、通読したくて入手したので結局最初から最後まで読みました。倫理理論を基盤にしつつ合意形成の各ジャンルについて概説しますが、この本のあとに猪原健弘『合意形成学』というもっと具体的事例に富む本を読んでしまったので完全に副読本的扱いになっています。「合意形成ってそもそもなんぞや」という導入としてはいいかもしれませんが、ここで難しいと思って詰まってしまうには惜しいような気も。

 

7.ハイデガー入門(細川亮一)

書き方が若干説教くさい(慣れたらそんなことはない)ので面食らいましたが、教科書でちらっと触れたくらいにしか(あとはその他の哲学者の著作からしか)触れたことがなかったのでハイデガーについてもう少し知りたいと思っていました。本人の著作は難解で知られているので是非入門をと思ったら、例によって例の如く「この本は著作そのものの解説ではないから...」というタイプのやつでした(それでいいのだと思います)。ハイデガー解釈本じゃなくて本人のやつ読め、わからないことをわかった気になって満足するな、ハイデガー読んだらハイデガー以外のも読め(ハイデガープラトンアリストテレスも使ってるんだぞ!)、ハイデガー存在論を他のものの解釈に使え、と理解したけどそういう意味で面白かったと思います。

 

入門といいつつめちゃくちゃ難しかったんですが、「健康食品」のくだりは特に個人的には重要な問題ですし、『存在と時間』読んでみたいなと思わされました。存在と時間そのものに答えが書いてあるのかは知らんけど。

存在の意味は「存在が存在として理解される企投のWoraufhin」である。ここから理解の構造「或るものへ向けて」(auf etwas hin)或るものを或るものとして理解する」を読み取った。しかしこの構造はブロス・ヘンの説明に使われた健康的なものの例と同型である。或るもの(食品)を健康的なもの(健康食品)として語ることは、健康へと視を向け、それを視点としてその視点から食品を健康的なもの(健康を保つもの)として語ることである。健康は、語ることにおいて視が向かう視点、理解のWoraufhinである。これがブロス・ヘンのモデルであるとすれば、Woraufhinとしての意味は、ブロス・ヘンのヘン(一なるもの)である。

以上のことは重要なのでまとめておこう。ハイデガーの哲学的出発点をなしたのは、アリストテレス存在論の革新的なテーゼ「存在者は多様に語られる。しかし一へ向けて(ブロス・ヘン)」であった。このブロス・ヘンの発見が学としての存在論の理念を初めて可能とする。ここから「存在の多様な意義の一性とはいったい何か」というハイデガーの思惟の道を(それゆえ『存在と時間』をも)規定した問いが生まれる。『存在と時間』において哲学は学としての存在論であり、「存在者がその存在に関して多様に語られる」というテーゼが認められている。とすればブロス・ヘンへの問いが不可欠である。それが『存在と時間』の根本的な問い、存在の意味への問いであり、この一性は時間に求められる。それゆえ『存在と時間』の基本テーゼは次のように表現できる。

『存在者は多様に語られる、しかし時間へ向けて』。

結局肝心の存在論の部分とその時間性については放送大の教科書で読んだ以上には理解できなかったんですけどね。「世界-内-存在」がいわゆるマルクス的な疎外概念と対をなすものではない(ここでいう「世界」≠社会である)というのをあんまり理解していなかったなと思います。

 

8.音楽の肖像(堀内誠一 谷川俊太郎

なぜか父親から誕生日に手渡されたのを放置していたので読みました。

モーツァルトの腎臓が悪かったのを初めて知った。ちょいちょい作曲家のエピソードの中でもさほど有名でないものがまぎれていて面白かったですが、詩への造詣がないもので、あんまり良さは理解できませんでした。

 

9.哲学の道具箱(ジュリアン・バッジーニ ピーター・フォスル)

英米分析哲学系の入門としていいかもしれません。「論理学」入門、という感じでもありますね。もう少し範囲を広くして、分析哲学が扱っている話題やものの考え方について各分野ごとに書かれているので、「この分野興味あるかも」と思ったときに章末の文献案内に頼るのがよいのかもしれません。しかし場合により結構専門的なのが入ったり原著が入ったりするので読者層のハードルが高いです。帯に「議論のスキルを身につける」と書かれているんですが、この本そのもので身につくのは「哲学の」議論のスキルが身につくのであって現実の(たとえばビジネスシーンで)応用とかは厳しいのではないでしょうか...。が、「論理の使い方」みたいなもの(つまり印象や感情を除いた言語の操作)はよく書かれていると思います。それにしたってこの本でなくてもいいとは思う(繰り返して言いますが、分析哲学系の導入としては結構良いと思います)。

あと分析哲学分析哲学言っておりますが、その草分けになるデカルトとかカントの話もぼちぼちでてきます。どういう潮流で分析系の議論が始まったのかについて変遷がわかるのも魅力ではありますね。

 

10.原因、検査、治療からこころのサポートまで 最新 不妊治療がよくわかる本(辰巳賢一)

合意形成理論の勉強会で生殖医療の倫理についてもちょくちょく触れる機会が増えたので、読みやすそうなものを手に取ってみました。一般人向けなのと個人が書いたものなのとで網羅的ではないところもありますが、身体の負担がどの程度であるかとかどんな操作が必要なのかとかが結構曖昧だったので、非医療従事者にはよいかもしれません。ただ近年はネットでもそこそこ良質な情報が落ちているので、買うほどではないのかもしれない...