とある研究会への参加体験記を書いていこうと思います。
主催の方にお声かけいただきまして、2021年2月~5月、全7回(欠席した回もありますが)に参加しました。備忘録としての記事です。
課題図書について
本書に取り組みにあたっての自分の姿勢についですが、まずあまりやる気がありませんでした。めちゃくちゃ失礼な姿勢なのですが、実はこれが後々結構重要な役割を果たしてくれました。
こちらが課題図書です。
実際に作られたレジュメと議事録です。
トラウマケア系研究会|発達障害者まりんのスキーマ療法体験記|note
現在では議事録を読むのにお金がかかりますが、個人の内的な経験や葛藤などセンシティブな情報を含んでおり、また研究会の内容的に安易に読んでほしくはないという主催の意向です。よろしければどうぞ。
参加の動機
研究会への参加にあたり、もともと自分は隣接他分野(看護)としてのコメンテーター的な参加を許容されていました。そのため、仕事や研究に差し支えない範囲でとそこそこ気軽に考えておりました。
それから、主催の方には以前に別の読書会でお世話になっており、それをきっかけとして読書会参加への心のハードルを下げることができたという経緯があります。そのため、主催の方の後方支援のひとつとしてのレジュメ作成程度であれば(自分が読んでまとめて理解を深めるというくらいで)できるだろうと、後々結構積極的に参加することになりました。
自分にとっての同書の位置付け
自分は心理専門職ではありません。学生のときに学んだ心理学やカウンセリングの知識は非常に古いもので、「否定しないで聞くこと」や幼少期の評価など、非常に古典的なものに限定されていました。
その後の学習は精神科疾患や治療に寄るので、心理療法における症状の捉え方や介入についてはまったく造詣がありません。なのでこの研究会内で同書を読むことで、「心理療法の現在」を知ることができ、心躍る体験でした。
心躍るというと言い過ぎのような気もしますがそうでもありません。通常ひとりで本を読んでいる自分には対話の相手が本そのものしかないのに対して、研究会では個人と個人のやりとりの聴者になることができるのが魅力です。参加できなかった回もありますが、可能な限り参加しました。
心理療法の魅力
同書はトラウマケアについての本なので、症状の捉え方や対処の方法、解決するときのクライアントの状態など精神疾患モデルとは異なるものがあります。
特に身体的アプローチを併用するものが取り上げられているため自分にとっては新鮮で、心理的介入のみのものより目新しいものがありました。
そしてそれ以上に、「病態モデル」というか、正常な心理的モデルも病的な状態のモデルも今まで考えてきた精神疾患モデルと根本的に異なる部分があり、そこが大変魅力的であったと思います。
「パーツアプローチ」として同書では扱われていますが、そもそも人格をひとつのものとして看做さず、いくつかの「パーツ」によって構成されていると仮定します。そして回復した状態においても、それらのパーツをひとつに統合されることはゴールとされません。「表向き(社会生活を営む)の自分」が、人生の各時期でトラウマ的体験に曝されて傷ついたままバラバラになってしまったパーツたちを包容し、自分自身で癒せるようになることが目標となっています。
この解釈はとても腑に落ちるものでした。トラウマ体験というまででなくても、「傷ついた自分」ている人は数多くおられるでしょう。むしろ、社会に生きる人間なら誰しも、「思ってもみない自分(のパーツ)」を抱えているものかもしれません(研究会内でも、こうした意見は各回で何度も色んな方から出てきました)。
自分のトラウマを覗き込む
何より面白かったのは、「自分をケアしたくない自分」の存在です。私自身が長年の精神疾患の当事者であることもあり、人生のさまざまな時期で思い出したくもないような体験をしてきました。解離してしまうほどではないものの、最早それらの体験をした自分を別人のもののように捉えていますし、そうしておいたほうが「今の自分」は楽に生きることができます。何より、昔の自分をわざわざ掘り起こすというのはかなり侵襲的な作業で、一般的なカウンセリングであっても(だからこそ?)むしろ余力のあるときでないと取り組めないようなものでした。過去の自分と向き合う或いは癒すということは、私含め、過去の自分を切り離して忘れることでなんとか生きてきたような人間にとっては辛く苦しい作業なのです。
そんなわけで、「過去の自分と切り離されることがなんだか不安」という気持ちと、「今更どうにかなるわけないから記憶を掘り起こしたくない」という気持ちの両方を抱えて研究会をやるのは正直難しいなと考えていました。
実際に研究会そのものには、別分野の専門職としての面がでるような参加の仕方をしました。
が、同書の内容としてはこの解釈モデルが自分にも、そして(たとえば)伴侶にも使えるということに気がつき、そこからはかなり楽しんで読めたと思います。私自身は比較的色々なことを自分で反芻して咀嚼するタイプなのでこのモデルでなくとも色々なセルフケアを試みてきましたが、特に伴侶に関しては言語化されない部分もあって理解に苦しむこともしばしばあったため、本書のような「言語化できない(されない)パーツの発見」のようなプロセスを経ることで他者の理解にも寄与すると感じました。
研究会で得たもの
そんなわけで、自分ひとりで読むことはなかったであろう同書を、むしろ通常自分がひとりで読むときより何倍もの時間をかけて読みました。
結果としてそうなって良かったと思っています。実践的にトラウマケアを他人に行うことも、自分に行うことも正直難しいと感じますが(前者は専門技能なので難しいのは当然ですし明確な契約に基づいて責任をもって行われるべきですが)、この「パーツモデル」を知っただけでも自分にとってはかなりの収穫でした。同書の中の様々なハードケースを通して、今後の自分に起こりうる情緒的な嵐を乗り越える武器(盾?)をひとつ手に入れたような感じです。そして、同じような感想を持たれた参加者の方もおられたのではないかと思っています。
今もいくつか別の(まったく種類の異なる)勉強会や読書会に出ていますが、それぞれに特色も方法も違ってかなり楽しいです。そんな中のひとつに同書を持ってくることができたのを、嬉しく思います。
というわけで、会の終了から随分時間が経ってしまいましたが拙い感想終わりです。
最後になりましたが、参加者の皆様、そして何より主催のまりんさん、本当にお疲れ様でした。