とかなんとかいうタイトルつけておいて、ただのメンタル疾患もち看護師のらくらキャリア録。需要があるかどうかは知らん。
ちなみに元ネタはマルティン・ゼールの『幸福の形式に関する試論: 倫理学研究』です。
熱い風評被害ですみません、内容は関係ありません。
が、ちょっとだけ引用させてください。
ある人が善き生を生きた〔と言える〕のは、その人が意欲したもののいくつかを為すことができて、その人の願望が実現された場合だけでない——それは不幸で荒廃した生にも言うことができる——。
それだけでなく、その人に出来たものまた出来なかったもの、その人にとって実現したものまた思い通りにいかなかったものにおいて、それにもかかわらず(多くの抵抗またはその欠如に対抗して)自分自身のイメージに従って生きられた生の針路を保持することができた場合、さらに、その人が生の過程のうちにその人の生の本質的価値を見て取ることができ、その過程の中で、固有な種類の悦びではないとしてもあらゆる(エピソード的で一時的な)悦びや苦痛の他に、自己信頼と世界信頼を保持できた場合にも、その人は善き生を生きたと言えるのである。—マルティン・ゼール
- なぜこの記事を書こうと思ったか
- 略歴
- 臨床継続ルートor一時中断ルートしかない?
- 一時中断ルート、に見せかけてキャリアアップする
- できなかったこと
- 以上をふまえて転職活動してみた
- 常勤以外でやったこと
- のらくら生きるための幸福の定義
なぜこの記事を書こうと思ったか
急に思い出したかのように1年ごとのまとめを再開(?)しました。
実は常勤をしているあいだは年度が終わるごとに所感を書いておりまして、今でも見返すと(稚拙な部分も含めて)味わいがあります。
常勤を辞めてからは仕事に関して特段面白いことをしてきたわけではなかったのと、大学院の記事を書けばおおよそその年度ごとの説明ができたのが大きいです。
しかし過去を振り返ってみると自分は常に「ロールモデル」を求めており、臨床1本ではない生き方の人が、まして自分のように看護以外の分野への興味が高じた人間がどうやってそれを仕事に落とし込んでいくのかを求めてきました。
さらに加えて私はかれこれ15年、半生近くを精神疾患の患者として生きる人間でもあるので、ある患者(という属性をもつ医療従事者)として何か希望になることを目指しております。
この記事が直接誰かのためになるとは思えませんが、こういう生き方をしている人間もあるのだと参考程度に扱っていただければこれに勝る幸いはありません。
略歴
わたしの略歴やそれについての所感は私事の方面からと仕事(学業、研究)の方面からとで大体補填されるので過去記事を載せておきます。
記事がそれぞれ長いのでいつもの通り私の紆余曲折しかない経歴をまとめると、
- 高卒後2年ニートないしフリーター(療養のため)
- 3年制専門学校を1年留年しながら卒業
- 病棟で働きながら大学編入、卒業
- 退職後に非常勤で働きながら院進と不妊治療
- 妊娠出産しながら2年で修士修了
- 1年間育児しながら非常勤←今ココ
です。非常勤なので産休育休といったものはなかったのですが、現在いわゆる「育休」が終わる時期(多くの人が復職する産後1年ほどの時期)に差し掛かっております。
詳細については、各観点から書いたものがございますので、ご興味や類似点などにあわせてご参照ください。それぞれ長いです。
人間を作るということ2: 仕事・院生生活とのバランスについて - 毒素感傷文
不妊治療〜出産の点から見たのはこの記事。
【最終回まとめ】放送大学大学院修士全科生生活Vol.12 - 毒素感傷文
院生としての視点から書いたのはこちらの記事。
向いていない(と思う)仕事をすること -ある看護師の一例 - 毒素感傷文
病棟を辞めたときの。
非常勤は4年の間に3つ食い繋いでおりまして(それぞれ乗り換えるようにして転職しているので被り方がひどい)、最後の1つが現在も続いている教職です。そのうち辞めます(決意)。
暫く兼務が続く都合上、次の職も序盤は非常勤になる予定ですが、今の非常勤と同様に細く長く続けつつも先に繋がりそうです。これもまた何かの参考になればと思いこの記事に書き留めます。
臨床継続ルートor一時中断ルートしかない?
以上大変に長い序の口となりましたが、今回下記のような記事を発見しました。この記事を読んだのが、久々に自分の仕事についての記事を書きたいと思ったきっかけです。平たくいうと男性研究者(大学教員)による子育てと仕事の両立がいかに困難かというエッセイです。
研究者でなくとも、男性でなくとも読みごたえがある話です。未読の方は是非ご覧ください。
男性育休・育児のロング・アンド・ワインディング・ロード<研究者、生活を語る on the web> | 研究者、生活を語る on the web | web岩波
ここで出てくるのは研究者の子育てですが、私がしているのは看護師の子育て(という範疇になる)でしょう。
一般的にいう臨床のひとの産休育休、復帰のルートや結婚・妊娠を機にした退職→子育てが落ち着いてからの復職を辿らなかったので、私の例が誰かの参考にでもなればと思い書いています。
先ず、先に挙げたごく一般的な二大ルートの特徴を説明しますと、産休育休→子どもが小さい間は時短またはフルタイム日勤で復帰、というのが非常によくあるパターンです。夜勤がないため給与は減りますが、看護師というものは本当に(少し前の)現代女性の人生を反映した制度設計になっておりまして、小さい子どもを「基本的に自分ひとりで」世話をする前提で働けるシステムになっています。
ここで「父親は何をしているんだ?」と疑問が生じるわけですがそこは各ご家庭事情で、父親が子育てにどれくらい参加しようとも「最低限ひとりで」やりくりできるラインがあります。昨今言われる共働きの苦悩は「比較的」発生しにくいシステムでもあるのです。これはある種の負の遺産でもありますが、看護師という職業が9割がた女性で構成されている以上「産休育休・時短勤務を許容・推奨しないと成立しない」組織であることに起因します。
そして2つめのルートは、多忙な臨床の常勤から一旦完全に退いてしまうという方法です。結婚・妊娠・出産などを機に離職する人間は看護師問わず多数おられることと思いますが、体力仕事である看護師に関してはこの葛藤が大きくなりがちです。
そして私自身も傍目にはこちらに見えると思います。
結婚を機に(というわけではないのですが)退職し、院進しながら妊娠・出産したという流れです。このあたりからが「傍目に見ると」大変に馬力と強い意思のある人間に見える由縁かと思われます。実際は軟弱者です。
一時中断ルート、に見せかけてキャリアアップする
というわけで前述の一時中断ですが、挫折と同時に仕込みをしました。
- 臨床非常勤の間に院進する
- 院進の間に非常勤で教職歴をつける
- 院進の間に妊娠・出産する(???)
- 院の科目の取り方
の4本立てです。
1.臨床非常勤の間に院進する
この文字列だけ考慮しますと、対照的に常勤のまま院進される猛者がもおられることがまず頭に浮かびます。医療系修士課程は臨床の常勤を前提にしたカリキュラムを組んでいる大学院も多いです。
が、自分の場合は研究テーマ・研究室が非臨床寄りだったのもあり、準備が必要でした。常勤の間に院進・修了される方ももちろんおられるのですが、テーマや手法・データ・研究室選びによっては規定年限で修了できなくなる可能性があります。看護は仕事しながら院進・修了する方の多い分野ですから、規定年限通りに修了しないことは大して問題ないのですが、そうすると今度は中だるみしてしまってやる気を失ってしまうリスクがあります。
また、後述するように妊娠や出産といったライフイベントが差し込まれる可能性も高い年代で、かつ女性である以上は否が応にも身体的負担が大きくなります。そして院生生活は必然的に後回しになり、さらに修了が難しくなるのです。
臨床だけでももちろんキャリアや金銭的には問題がない(なんなら院進も生涯賃金を高めるとは限らない)ため、モチベーションを維持しづらいのは負の特徴かもしれません。
しかし常勤を辞めるのであればもちろん臨床のキャリアは一旦途絶しますし、そのため給与収入も減少します。そういった事象を避けるのであれば常勤のまま院進される選択があるのもよくわかりますね。
2.院進の間に非常勤で教職歴をつける
これも後付けですが、院生+臨床非常勤のかたわら、いわゆるTA(Teaching Assist)というものをしておりました。この職を見つけたのは完全なる偶然からですが、看護に限らず他の分野であっても院生がアカデミア関連のバイトをするのはごく一般的なことです。他分野と違うのは、看護の場合はTAをやるにあたり実務経験が必要なことでしょうか。
このTA、教育の現場の空気に教員サイドから触れるだけでなく、履歴書にも書けて場合によりアカデミアのコネクションを作れたり実情を訊けたりするので自分としては非常に助かりました。
それから、これは看護TAあるあるの特殊ケースのような気がしますが、野生のプロ紛れています。他の方の事情なので詳細は伏せるとして、私のような単なる院生ではなくて他大学で講師をしていた(る)人の転勤までのつなぎであったり、キャリアに疲れた人(臨床歴何十年、講師歴あり引退後)の息抜きであったり、様々なポジションの方とざっくばらんに話せたのがある種常勤の先生方との会話よりも得るものが大きかったかもしれません。
こういう話は対面での学会や看護系の研究室に所属するだけで達成できるような気もしますが、折しも私が院生になったタイミングでCOVID-19が国内で流行しはじめたので、非常勤ながら仕事上で情報が得られるのは貴重な機会でした。
また、詳細は後述しますが教職常勤の話も頂けたので、働く場所によっては「インターンに行く」ような気持ちでいられるのも魅力かもしれません。
3.院進の間に妊娠・出産する
たまたまこのタイミングになっただけですが、M2で妊娠し、修論の口頭発表後に出産しました。つわりなども重なったため、最早修論が早いか出産が早いかという人生をかけたチキンレースをする羽目になりましたが、結果としては修了が確定してから出産することができました。これは計画して計画通りに運ぶようなものではありませんので、たとえば修士課程のデータ収集中に妊娠出産などがかぶった場合は必然的に在学延長になっていたと思います。
ライフイベントに関しては狙えるものではないのですが、「通信制の大学院を選ぶ」ことのメリットはここにもあると思います。特に放送大は、看護に限らずあらゆる年代のあらゆる社会状況の学生に対応してきた実績があるので、研究室もそういったことに寛容(というかそれが当たり前という雰囲気)です。
修士課程に関しては他の大学院を見たわけでもないので、選べばもちろん他の大学にもそうした制度はあると思います。問題は「それを見越して選択するかどうか」ですので、「2年で絶対出る、人生計画はまだストップしておく」とかもありだと思います。
私の場合は、「絶対に2年で出る(出られるものを揃えておく)」、「場合によっては大きな人生計画の変更を受け入れる」というスタイルで院進しました。
4.院の科目の取り方
放送大の大学院についてはさまざまな記事を書いてきましたので割愛しますが、大学院の履修必須科目の中には生活健康科学の範囲のものが含まれています。
その中で、看護師にとってやや特殊なスキルとなる「特定行為」なるシステムの基礎部分となる科目があり、放送大はこの基礎部分を提供しています。
私の場合は研究のかたわらになるので結局6科目中4科目しか履修していませんが、「看護学研究科」のない放送大でも臨床に近い(臨床のキャリアアップに繋がる)座学はありますよ、という話です。
看護師の行う特定行為についてはこちら。要するに「今までは医師が行ってきた医行為のうちシステマティックかつルーチンになりつつある一部分だけを、研修を受けた看護師に移譲する」という感じです。
認定看護師を持っていると有利とか有利でないとか(特定行為の一部は認定看護師を持っていないと履修できない?)色々あるようなんですが、私は認定看護師は持っていない(し、取る気もない)のでちょっとよくわかりません。すみません。
これは余談ですが、「看護師がよくやるもの」第一位(?)であろう「静脈注射(点滴ルート確保)」がきちんと法制化されたのは2002年です。
実際にはやらねば業務が回らないのでそれまで暗黙のうちに行われていたのですが、基本的に看護師は侵襲行為(医行為)を行うことができません。それをタスクシフトのため明示した最初が、2002年だったわけですね。結構最近じゃないですか?
できなかったこと
まるでなんでもやってきたかのような書き方をしておりますが、それは当然後から振り返って書いているからで、その時々の壁にぶち当たってできなかったことはいくつもありました。わかりやすい例を挙げますと、
1.ストレート博士課程院進
これはタイミングの点で不可能でした。修士を出ることはできる予定で、研究室を変えて院進する予定をしておりましたが、つわりの中修論書きつつ院試を受けて産後すぐ院進というのがどうしてもできませんでした。産後の経過が思ったより良くなかったのもありますし、自分の周囲(家族含め)から産後の支援が得られる見込みがなかったのも大きいです。
無理をして院進しようとしたのは単に行きたい研究室の教授がこの年度の入学でないと退官されてしまうからという理由に他ならなかったのですが、まあできなかったらそれはそれでと今は開き直っています。というか、開き直るしかないのです。
これに関しては特に絶望感は持っていなくて、私は研究をし続けられればそれで構わないので、生き残れる場所を探してまたうろつくだけです。
2.教職常勤
こちらも昨年度に声をかけてもらいましたが、やはり家族の支援などの都合上乳幼児の育児とのバランスが取れずお断りすることになりました。
院進・教職ともに、私と同じ(乳児の月齢と看護師としてのキャリア)条件で選び取る方はおられると思うのですが、そこに加わる変数として
- 伴侶の協力
- 実家・義実家の協力(近さ)
- 時間(フレックスや時短)・距離(通勤や保育園)
の条件が非常に効いてくるなあと実感しました。他の条件が同じでも、こうした周囲の条件によって制約がかかることは多いにあります。話には聞いてきましたが、なるほど、という感想です。
以上をふまえて転職活動してみた
というわけで、常勤歴と非常勤歴がイーブンになりつつある中転職活動に勤しむため転職エージェントに登録してみました。
というか、家庭の事情に対して気分が萎えた結果嫌気が差して求人を覗いていたところ面白そうなものがあったので打診しようとしたらミスって転職サイトに繋がってしまったという経緯だったのですが、結果として満足のいく求人を持ってきていただけました。
学歴と職歴を重ねつつ転職サイトを何回か利用しての感想ですが、やはり「学部卒」「病棟常勤」くらいの経歴の間はあまり突飛な(面白い)求人はもらえませんでした。基本的に臨床で、病棟ですか?在宅(訪看)ですか?施設ですか?クリニックですか?くらいの選択肢しかありません。
院卒して教職歴がつくと多少の説得力があるのか、転職エージェントも何かしらの反応を返します。が、院卒に関しては臨床系でない以上正直言って「根性がある」くらいの証明にしかならないような気がします。
あと、大学の教職の求人は基本的に公募としてしか出てこないので転職エージェントはもちろん関係ありません。私もたまたま見つけました。毎回行き当たりばったりで職を選んでいることがよくわかりますね。
また、今回の臨床系の転職に思いの外効いたのが、先述4「特定行為」の基礎(共通)科目でした。採用それ自体にも影響を与えたとは思いますが、まあ為にはなるかなくらいの軽い気持ちで取っていた科目が実際の資格取得を推奨されるレベルにまで影響を及ぼすとは考えていませんでした。いや考えていなくはなかったからこそ科目を取ってはいたんですが、実際に使う時が来ると思っていませんでした。
他の求人として「医療職以外の専門学校での講師」なる面白案件ももらい、内定をいただきましたがこちらは残念ながら辞退することとなりました。こちらに関しても院卒や教職歴がなければ恐らく紹介自体がなかったかと思いますので、「人に何かを説明する」とか「レディネスに合わせた教え方をする」みたいな特技(?)や好みがある方にはこうした分野もあるよ、と言えるくらいでしょうか。
常勤以外でやったこと
基本的に病棟で常勤をしていると、「特定分野の常勤」としてのスキルが加算され、年数相当の信用が得られますよね。◯年看護師として働くことができて、病棟のチームで働けるだけの裁量があって、気力体力がある(ここ重要)と。
あとは臨床系の資格は様々ありますが、こちらは私より紹介に優れたサイトがあるでしょうから割愛します。何より私はひとつも取りませんでしたので。
その代わりに私がこれまでに取得した資格その他を取得順に列挙すると、
でした。臨床スキルを何ひとつ説明しない。
また、認定心理士は日本心理学会認定資格、診療情報管理士は日本病院会認定資格であり、それぞれ国家資格ではありません。
のらくら生きるための幸福の定義
常勤を辞めてからは試行錯誤の連続でしたが、常勤の最中からも自分は常に「自分自身の効用を最大化すること」に執心してきました。自分が健康に活用できていることそれ自体が自分の快であり満足であり幸福の一部です。
それは自分の人生に履歴書以上に大きな空白と停滞があることで「何かを取り戻さなければ」と思うネガティブな気持ちからであり、裏を返せば、社会において「他の誰かではなく自分自身が」やって意義のあることをやりたいという思いからでした。
そして実際にそれに(辺縁からでも)取り組むようになるとさらに仕事以外の私生活が否が応でも絡むようになり、「最適なバランス」を常に求められるようになりました。「今後なにがしたいか」の布石のために、常に一歩一歩を探りながら進まなければならない状態です。が、結局はその時その時で先の方向を考えながら選んできたものにストーリーが着いてこればなんとかなるのかな、というところまで来ています。
大したことのない石を置くときにでも、何か理由を考えておいた方が道を見失わずに済むように思います。というか、道に迷っていたとしても、「他人から見て道に迷っていないように見える」のが大事なのかもしれません。多分、就活でよく言われるやつですね。
生の持続の中でできる限り豊かな願望実現として理解された全体的な幸福は、個人的な生構想Lebens-konzeptionenの立案を共に含んでいる。というのも、生の経過の中で多少とも実現されるのは個別の願望ではなくて、願望の組み合わせだからである。
合理的に相互一致でき、そのうえ非-幻想的な性格を持つ願望だけが善き生の時間を導きうる。こうして目的論的な考察から、善き生は一定数の目標の達成を目指してそれらの目標を追求することのうちに見出される、と結論づけられる。
善き生は、願望実現の途上で有意味な生構想のうちに予示されるような仕方で演じられるのである。—マルティン・ゼール『幸福の形式に関する試論』
ここ数年は年度替わりに何かが変わることが大してなかったのですが、長く書いてみると、8年もかけて単にまた入り口に立っただけのような気もします。
とはいえ退屈はしないので私の幸福としてはこれで良いのかもしれません。退屈することが何より苦痛なので。