毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

放送大学大学院修士全科生生活Vol.2

こんにちは。1か月に1つ記事って多すぎちゃうんかと思うんですが、今回は進捗報告というより、自分の今の研究生活と展望についての日記を書いていきます。Twitterで放送大の大学院全科履修志望者をちらほら見かけるので、需要があるのではないかという勝手な想像による自己開示です。稚拙なのであまり書かずにきたのですが、こういうことも誰かの役に立てば幸いです。

 

4月からの環境がとてもよい

修士全科生になってまだ2か月です。折しも世間は大変な中ですが、自分は仕事自体にも大きく変化はなく、また私生活にも大した変化はありません。もともと引きこもりなので、緊急事態宣言下でもほとんど影響を受けませんでした。

外食や喫茶店での勉強を自由にできなくなったことは相当なダメージだったはずですが、偶然ながら引っ越しをしたため、机に向かう環境が大きく改善されました。メリットの方が多いかもしれません。引っ越しをしたことで街の喧騒からも距離を置くことができるようになり、睡眠リズムも体調も若干上向いています。

 

自分の修士生活を前回よりもう少しかいつまみますと、週に3回午後診のみでクリニックに勤めています。フルタイム換算1.5日/週にも満たないくらいです。

普通の通学型大学院生(ストレート院生さんとか)と同じくらい(むしろ軽いかもしれない)の負荷の就労でしょうか。そんな生活のVol.1はこちらです。

streptococcus.hatenablog.com

 

人生設計(と院生生活)は結構ズレているという話

自分は看護師で、1年ちょっと前までフルタイムの病棟勤務(新卒から4年間・内科)をしておりました。院進にあたり、色々身辺状況が変わる可能性が高かったので、転職といっても新たに高負荷の環境に行くことができず、今の非常勤をしています。

しかし、臨床から大きく離れるのはかなりの痛手でした。クリニックが臨床と乖離しているとはもちろん言いませんが、看護師としての役割があるかと言われると非常に少ないのが悔しいところです。自分がこんなに仕事を気に入っていたとは想像もしていませんでした(本当に)。

転職を考慮する段階では訪問看護や施設看護についても意識していましたし、特に身体的な負荷を考えると後者の常勤ないし非常勤はよい選択肢だったのですが、結局選びませんでした。この話は以前から時々しているのですが、過去は変えられませんし、現状そこそこうまく辻褄があっているのでまあいいやと前向きにとらえています。

 

そして臨床の負荷がない影響で、研究テーマは(自分にとって)新奇性の高いものを選べていると勝手に思っています。もちろん研究としても新奇性の高いものにしなければ世に出せませんが...。

 

一般的な放送大学の大学院生として参考になりにくいのはこの辺りかもしれません。放送大院生は社会人入学がほとんどで、フルタイムの勤務者も珍しくありません(むしろそちらの方が多いかもしれません)。これは臨床心理士プログラムを除いた場合で、心理系はやや事情が異なる可能性があります。

自分と同じ研究室に所属している方も、仕事の延長で出てきた疑問を仕事とそう遠くない範囲内で調査・分析し、修論にまとめあげるという方法を選択されていることが多いようです。自分の場合はそういったフィールドがないので、臨床的にはさほど深みのないデータから結果を出さねばならず、不慣れな手法に手をつけるという意味でハードルが高いです。そして孤独です。

それから、自分の研究室に看護師は自分ひとりしかおりません。指導教員も医療分野外の方です。ですが、医療系の職種の方が多く在籍されており、病棟勤務時には得られなかった視点も得られてそれはそれで充実した環境にいると感じています。

 

臨床家による研究に対して思っていること

ごく個人的な印象ですが、先行文献を探すと、調査方法が限られているように感じることがしばしばあります。これは臨床にいながら研究する際にはある種不可抗力で、例えば「お金のかかる機械を使う研究」とか「時間(または人手)を要する研究」は難しいとか、そういう背景事情にも起因しています。

が、放送大院生でいえば、学部や院で該当する授業をとれば調査の方法が多岐にわたっていることはよくわかるはずです。明らかにしたいことに対してその手法が本当に最適なのか(またはその手法を用いることで明らかにしたいことは本当に明らかになるのか)ということを吟味し、計画して取り掛かるまでの時間がとても大切であることが身に染みてわかります。いわゆる、「計画8割実行2割」みたいなものでしょうか。これは自分が院に来るまでに周辺分野の成書にあたっていたために思うことかもしれません。職業研究者の発言からもよく聞かれることではあります。

 

勿論、自分の考えが至らないところはいくらでもあります。いい調査方法に行き当たったとしても指導教員の専門分野と大幅にずれてしまうと指導を受けにくくなることがデメリットとなることもあるでしょうし、そもそも研究手法に習熟していない場合は実験(調査)と結果もやっぱりグダグダになってしまうであろうと思われるからです。このバランスをどのようにとって、2年間という期限と自分の能力とでどこでクオリティを決めるかが最終的な落としどころになりそうです。

 

自分がこれからやりたいこと

このように、現在は臨床から遠い場所でただ研究に邁進するという状況です。

修士の学生であるということは当然修士課程の終わりとそれ以降を見据えて行動しなければならないということですが、放送大の修士に来るにあたってこの辺りが気になる方もおられるのではないかと思い、長い蛇足を書いておきます。

「自分の頭の整理のため」がいちばんの理由ですが。

 

1.研究生活でぶちあたること

技法として自然言語処理を使おうと思っているため、今はそれに没頭しています。そして来年もそんな調子になると思います。参照するのは言語処理に特化した技術書ないし論文ばかりで、臨床なにそれ美味しいの?状態です。

こうなってくると若干自分のやりたいことを見失いそうになるのですが(というかまあまあの頻度で見失います)、自分が目指しているのはあくまでこの研究内容が「臨床に還元されること」です。還元とまでなるとかなり遠い道のりですし計画倒れする可能性も大きいですが、かといって言語処理分野でやっていきたいわけではありません(やっていける能力もまったくありません)。しかし触れている文献や業界が今はそちら方面ばかりなので、自分は無能なのにいったいなにをやっているんだろう.............と迷子になるんですね。

では他の、例えば情報学系の人がやればいいではないかといえば、意外とそうでもないような気がしています。言語処理学会や知能情報学会等参照しているととても面白いのですが、こと医療データの活用に関しては臨床側の視点が不可欠です。データの解釈にも着眼点にも、そしてどのデータが重要であるかにも臨床家が求められます。コンテキストの理解が専門に特化しすぎているためですね。

 

2.修士のあと

じゃあ修士の2年間で何をやるんだとか、それが終わったらどうするんだということを考えると(特に後者は)悩ましいところなんですが、恐らくフルに臨床に戻ることはないと思われます。

看護は臨床なくして存在しえない学問領域ですので、臨床にも軸足は欲しいですが、修士2年(しかも臨床と遠めの分野の)研究をしておきながらそれを活かさず臨床に戻るのは惜しいです。

アカデミアに関していえば、看護分野ですと修士終了後即教職という方も少なくはないようですが、そこも自分はちょっと及び腰です。「アレも嫌だコレも嫌だ」と言っているようで若干虚しいですが、修士が終わってももう暫くなんらかの形で研究をする必要が出てくるような気がしています。今教育の世界に足を踏み込んでも、誰かに教えられることがあるとは思えません。

しかも現状では、自分が食い込みたい倫理の分野はほとんど着手できていません。随分遠大な目標を立てたものだなと思っていますが、これは研究計画の時点で既に構想にあったことなので、修士の2年でどこまでやれるかでその先は変わってきそうです。できたらその研究と実務が繋がればとても嬉しいですが、明確な筋道はまったく見えていない状態です。

 

何のための学位?

見出しはD.A.ノーマン『誰のためのデザイン?』からパクりました。

「学位を何のためにとるのか?」ということは、放送大に限らず、臨床家に限らず、重大な動機となりうると思っています。研究生活はしばしば苦しいこともあろうと思われますが、それが自分にとって・組織にとって(まあこれはなくてもいいんですが)・当該分野にとってどういう価値があるものかを見失わずにいればなんとか乗り切れるんじゃないかなあと勝手に高を括っているのかもしれません。

今後頑張ってもう少し痛い目を見てきます。生暖かい目で見守っていただけましたら幸いです。

 

あと、たぶんまだいらっしゃらないのではないかと思うのですが、私が誰かわかってしまった方はこっそりお知らせください。