我々はどこからきて、何者なのか、どこへいくのか。
1)やむをえず。
看護学校にきてしまったのは、やむをえずだった。
①うつだったから
高校生のとき、うつになってしまった。一応診断名をもらったりもしたけれど、まあ、あまり意味のないものかなあと思っている。
高校を卒業してから、私は2年間の空白を経て看護学校に入学し、なおかつ4年かけて卒業している(通常の年限は3年)。
社会はメンタルヘルスを変調した人に厳しい。
何故なら安定して働き続けられるかわからないし、対応も予測不能な面があるからだ。
高校生の時点でそうなってしまい、卒業したものの履歴書に空白のある自分がなんとか社会に復帰するには、精神障がい者として自立支援を受けるか、はたまたなんらかの職業を手にするかくらいしか思い浮かばなかった。
何しろ卒業するまでの1年は退院後もほとんど通学はできず、命からがら卒業したあともまる1年はまともに動くことができなかったから、当然その間勉強もしていないし、大学に進学するにしても受験に向けての勉強をするほどの体力がなかったんである。
②その後の社会生活の問題
まして大学に進学したとしても、その先には就職戦線が待ち受けている。そして一般社会での社会生活が待っている。果たしてどこまで取り組めるか、体力がもつのか、まったく先が見えない状態だった。20歳くらいのころ、自分がこの先まともに生きていけるだなんて微塵も希望が持てない状態だったのだ。
そういうとき、資格は強い。とりさえすれば、ひとまず人生の保険になる。
支えてくれた家族も退職するや否やという年齢だったので、これ以上心配させるわけにはいかなかった。
病み上がりながら、試用期間という意味での学生生活を経て社会復帰プログラムを自分に課す必要があった。
③お金の問題
高校は一応名目上進学を目的とした学校だったので、当然進学に向けて勉強をしていたし、家族もそのつもりでいてくれた。ただ、自分の人生を担保できるものはどこにもなく、取り立てて裕福な家庭でもないために未来の自分に負債を作ることは一切できなかった。今となってはそれなりの健康を実感できるけれど、当時の自分には本当に職につながる学問以外に手を出すほどの余裕がなかった。
そんなときに、『看護』というものはふらりと足元に降ってきた。
看護学校に進学するにあたっていくつかの問題には当然答えを用意していた。
『健康を損なっている自分が人の世話をできるか?』
→資格が与えられたのであれば認められたということ。それで構わないだろう。
『厳しいというが、耐えられるか?』
→向いていないかどうかではなく、やるかやらないかだ。自分にとっては背水の陣だったので、いくしかなかった。
とまあこのようにして進学したんですよね。
そしたら、案外勉強が面白かった。ここからが本題。長い前置きでした。
「何をおもしろいと思うか」にはバックグラウンドをいくつか提示していかなければならない気がするので、おいておきます。
2)バックグラウンド
看護を語るに個人の背景をなくして語れない気がする。
①創作活動について
物心ついてからというもの、創作活動からはずっと離れずにいた気がします。創造的な活動といってもいいのですが。
・ものを書く
小学校低学年から姉の影響で物語を書き始めました。それは中学生になって散文の形式となり、高校以降は日記というかたちで継続されています。今はもう、無から有を生み出すことはなくなってしまって悲しいことですが。語ることは本当に自分の中で息をするのと同じ行為になっています。
・音楽をやる
小学生の終わりに音楽室でトランペットに出会い、中学で吹奏楽部に入り、高校になってやんごとなき事情でチェロをはじめ、そのままチェロを細々と続けています。
中学生以降は音楽を通してしか、まともに人と繋がりを保っていないような気さえします。
・写真を撮る
これも中学生くらいのときに始めました。当時はネットに個人サイトをもっていたのですが、そのころの名残が発展して今も写真は撮り続けています。
そういった風に自分が扱う感覚に没頭するのが好きなため、多分業務するというその行為自体になんらか興味を見出すことができたのではないかな、と思うことはあります。そのあたりについて少し前に記事にしています。
②その他興味のある領域について
気になるなーと思うものの大部分は哲学、宗教からきています。
社会学、心理学なんかも興味がないわけではないのですが、職業的にも近い領域なのでという程度であり根源的な問題の解決を目指せるものではないような気がします。
宗教に何故興味があるのかについては、うつになったこともちょこっと関係しているような。
哲学については多分、小さい頃に読んだ『ソフィーの世界』が自我の形成に深く影響したからのような気がしています。或いは議論を好む家族のおかげか。
『なぜ?』を考えるのが当たり前だったので、哲学が基盤であることになんら疑問をいだいたことがないのですよ。それが当たり前だと思っている。疑問に思うことは当然だと思っている。何かを書くのと同様、問いをつくるのは息をするのと同じことなんです。
実存主義といわれる領域に興味が出るのもさもありなんというか、看護理論を調べているときたまたま名著といわれる本が引用で出てきたので元のを読んだのです。
そうしたら、自分が普段疑問に思っていたことの答えが書かれていた。つまり病む人のケアを考えるより前に、『患う』というのはどういうことなのかを考えるきっかけを与えてくれたのもまた哲学でした。
で、ケアするにあたっても実習中ずっとつまずき続けて、それはどういった考えで導き出されるのか?っていう思考形式の基盤になったのも結局は哲学をベースにした理論でした。
あとはまあ、文化人類学とか音楽理論とか個人的に気になるものはたくさんあるんですが趣味の範囲を出ていくかどうかはわかりません。
強いて言えば、斯様に異質な自分を認めるきっかけになった本はあります。
最終的には種の多様性が組織を強化するのだろうから、異質な自分が看護の世界にいてもええじゃないかという乱暴な結論。なにせ看護は『まともな人』が多いんです。ぶっとんだ考えの人ってあまり見ない。なぜなんでしょうね。
理論家にもM.レイニンガーみたいに文化人類学を基盤にした理論を展開した人もいて、納得できる内容だったので結局その分野はずっと気になり続けているのですけれど。
なんかいまいちうまくまとまりきりませんでしたが、看護師をやっている人間のベースというよりは、こんなことをしてきた人間がたまたま看護に行きついたというのをまとめてメモしておきたかっただけなんです。これからどこへいくのかはよくわからない。もっと書けることはあるのだけど、とりあえず形にしておきます。