毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

パート主婦半年経過の疲れた記

苦しいことについてあえて書こうと思った。

何より自分のためにだが、自分が苦しみ抜くことで誰かの支えとなればこれに勝る幸いはない。

 

以前に、こんな記事を書いた。

streptococcus.hatenablog.com

 

ここからさらに3か月が経って、自分の状況ではなく、抱えている心象について記録しておきたいと思う。どうせこんな苦しみも喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうことが目に見えている。

 

先のことが不透明である苦しみ

自分の将来を自分で決められないのは、つらく苦しいことである。

 

冷静に整理すればするほどばかばかしいことかもしれない。

自分は既に以前の仕事を退いており、また進学するとて場所を問わない方法を選択している。

この選択について、ストレスも葛藤も非常に大きかった。そしてそれは、時間が経ったからといって去ることがなかった。

 

自分の住む場所も満足に自分で選択することができない。仕事も当然制約を受けており、なおかつ条件をようやっと呑んだあとで当たり前のように家庭の事情が変更される。先の記事にもあるが、自分は適応が非常に遅い。ころころと条件を変えられるたびに慌てふためかなければならない(必ずしもその用がないとしても)。

 

鬱屈して何度も何度も家族に確認してしまう、事前に説明するなり予測するなりどうにかならなかったのかとせっついてしまう。

そうしたところでなんの解決も得られないことがわかっているので、さらに言語化することを厭うようになる。精神状態は悪化の一途を辿った。いや、言語化を拒否したので、悪化を自覚することもままならないでいる。

長年精神を患っていると、変えられない自分の気質や認知の歪み(直すべきものかと言われればそうでもないので、歪みと称するのが適切かどうかはわからないが)を手に取るようにはっきりと感じることがある。今がそれだ。

 

だからあえて書き記したいと思っている。

 

まるでできていないことについて

前回の記事には、できていること、進行している具体的なことばかり書いた。

まるで自分を鼓舞するように。いまは残念ながら、そんな気力は微塵も残っていない。

だから、保てなくて苦しいことやできなくなってしまったことも並べておきたい。

 

家事ができない

それなりに満足にできていた家事ができなくなった。もともと調子のいい日だけ、という前提で動いていたが、慢性的な不調によりそれもできなくなった。

だからといって家族に責められたり、何か指摘されたりすることはまったくない。これは前職であったときにも同じである。

しかし、3か月前にできていたことがじわじわとできなくなるのは、正直こたえる。

まして以前には過酷な労働の対価として少しばかり家事が犠牲になることはままあることであり、それには自分をなにか肯定するような要素もあった。仕事があるから仕方ない、とありとあらゆることを外注したり、好きなように家を飛び出て本を読み耽ったりすることで心を癒すことそのものが自分への寛容として機能していた。実際に癒えていたというほどかどうかは今でもよくわからないが、少なくとも苦しすぎる現実から少しばかり目を逸らすことができた。

 

今ではしっかりと、毎日のように目に入る。

 

食事、睡眠が不調になる

自分の場合はこれがもっともわかりやすい不調の合図である。

食べていないわけではないし眠っていないわけでもない。

眠くはなるし、お腹も空く。でも十分ではない。

ではどこを妥協点とするかは、少し考えたい。基本となる体調にも左右されると思う。

 

どこか罪悪感のようなものがあって、調子が悪くなればなるほど、気晴らしに外へ出るということができなくなる。たとえ出たとしても、集中できないとか楽しくないとかいった理由ですぐ家に帰ってきてしまう。悪いことではないのだが、以前はできたことができなくなることのひとつだ。

 

4月から数えて、体重の10%程度が減った。

元に戻そうと思うが、なかなか戻らないものだ。

 

あらゆることに過敏になる、疲れてできなくなることが増える

物音、ちょっとした外の喧騒、家族の振る舞い、等々、調子のいいときには気にもならないようなことが気にかかる。

せめて気がまぎれればいいが、それも集中力が続かない。

読書も、勉強も、その他もっていた趣味も、うまく楽しめなくなっていた。

 

これは疲れているときの話で、時が経てばまた解決する。

疲労を解消し、自己治癒的な耐久力が戻れば自力で解決可能である。反対をとれば、この問題の解決は自分にしかできない。

 

長年自分自身と付き合ってきたので、自覚するとせざるとにかかわらずこういう状態を実感している人は自分以外にも少なからずいるのではないだろうかという気がする。

 

 

 

解決について

 

落ち込んでいるときに書いたので、今見直してもとても調子が悪そうだ。

 

そんなときもある。

もちろん今の疲れもいつかは終わる。

 

だが、いつまでも小さな薄いしみが消えないように、憂鬱の影も自分が弱るたびにやってくる。それがとてもとても疲れてしまうときがある、という話。