毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

パート主婦3か月経過のちょっとした記

激務から解放されて完全に虚無になった人の記録。

 

 

空っぽになったようでまったく空っぽになってくれなかった

私は適応が遅い。

あんなに大変だった病棟勤務が終わって、突然放り出された。いや、突然すべてを辞めてしまうと完全に呆けてしまうことが予想されたので、新しい仕事を探した。幸いすぐに見つかった。

諸々の事情であと1年少ししか働けない予定だったので条件は厳しかったが、転職サイトを使って近隣のクリニックに就職することができた。

 

本当は、地域医療の中でも施設や訪問看護での勤務ができたらよかったけどこればかりは仕方ない。のちに、もしかしたら1年がもっと長くなる可能性も出てきてこれに関してはいまだに葛藤がある。それも仕方のないことだけれど。

 

学業について

まだ前の職に就業している予定だったので、試験のスケジュール上少し変わった科目も取っている。法学、言語学のさわり、マーケティング、哲学を少々。

数学の単位を前期に取り逃してしまったので、それも詰め込んだら意外と忙しかった。

院試を受けるために計画書を書いているが、それも初めてのことなのでうまくいく保証はない。宙ぶらりんというのはつらいものだ。

 

仕事について

先述の通り、いきなり病棟勤務からクリニックに移るので少し不安があった。

呼吸器の管理からちょっとどころではない皮膚処置まで、ありとあらゆることが委ねられていて、気の抜けない日常がなくなった。どれだけ気を張り詰めて生活していたのかしみじみと実感する。

少なくとも今の仕事では人は死なない。少し味気はなくなったが、今までみていた科とまったく違う分野なので、学ぼうと思えば新しいことはいくらでもある。ただ、長年続ける自信はあまりない。だからこそ今のうちに経験したいと思ったのだが。

 

地域医療の一端を知ることができるのはラッキーだと思う。

もとよりそのつもりでクリニックを選んだのだが、意外にも大規模の病院に送られるような人も訪れる。以前はそういった鑑別のもとで選り抜かれた人々が、外来を通じて病棟にあがってくるのを待つ立場だった。今回は送る立場を知ることができる。それはそれでなかなか面白いことだ。

 

読書について

学業に本格的に専心するようになったこともあり、まったくできなくなってしまった。

興味はあるが時間がない。病棟で働いていたころは半ば現実逃避として取り組んでいたものが急に拭い去られてしまって、戸惑うばかりである。

 

今までできなかったこと、今できること

哲学若手研究者フォーラム

先日、このようなものに誘われて参加した。

東京までの遠征であったため、始発の新幹線に飛び乗って分野外の自分がお邪魔するのは気が引ける反面、とてもわくわくした。

趣味程度の哲学の本を読む程度であったのが、仕事の合間を縫って読書会に参加するようになり、ついにこんなところまで足を運べるようになった。小さな一歩ではあるものの、確実な一歩でもあった。

会場では同時間帯にいくつか口演があるので、好きなところに赴く。

自分は主に分析哲学を聴講したが、若手だけあって緊張しながら質疑応答に臨まれる発表者の方が多かったように思う。何より少し驚いたのは、鋭い質問が飛び交う中にも発表者の意志を代弁するような姿勢も見受けられたことである。哲学研究会では、相手を委縮させたり言い負かしてしまうような場面もあると風のうわさに聞いたことがあったので少しびくびくしていたが、決してそのような雰囲気は感じなかった(少なくとも私が聴講した中では)。

 

倫理学、メタ倫理(に近い?)分野の発表にもうかがうことができ、まことに充実した2日間を過ごすことができた。同伴してくれた友人に自分の分野と哲学の接続可能性についてつい話し込んでしまったりもした。こういう機会をもてることはまことにありがたいことである。

これから何につながるとはまだ言い難いものの、興味のある方向へ足を伸ばすのは以前はできなかったことだ。

 

プログラミングに手をつける

やりたいといい始めてから2年が経過していた。

その間に、前職の多忙な中でもできることとして、学部で統計の授業をとっていた。

それを少し生かしつつ、Pythonをやりはじめた。

自分の基礎はまったく(ほとんど?)ない。上記の統計の知識が少しと、マークアップ言語をはるか昔に書いていたのと(古のオタクはこういうスキルがある)、学部で計算機科学にまつわる科目を追加して少し取り始めた程度である。

 

幸いにして自宅の環境は完備されており、始めるには申し分ない条件がそろっていた。

ありがたいことに、Twitterでは沼に引きずりこんでくれる御仁が多数おられ、ちょっとわからないことをつぶやくと支援の手が伸びてくる。藁にも縋る思いでそれをつかんで、少しずつ進めている。思ったより楽しい。

こうしたことに踏み込むには、心と時間の余裕が必要だった。

前職の折にも半期ごとに9科目の授業を抱えていたので、時間そのものはあったのだがいかんせん心の余裕がなかったようである。

 

チェロの活動を再開する

これもなかなかできなかったことだ。以前にも1-3か月に1度程度楽器を引っ張り出してレッスンルームを借りていたが、勘を思い出すにも至らなかった。当然上達などするはずもない。数年にわたって同じ曲を弾き続けている(飽きないのもそれはそれで自分にしては珍しいが)。

運よく、自分が楽器を始めたころからお世話になっている教室で発表会が開催されるらしく、ソロとカルテットをあわせて数曲乗せてもらえることになった。

あれこれ詰め込みすぎである。

 

ところで、先日カルテットの初合わせに参加したところ、いきなり楽器が破損してしまった。おそらくそこまで大掛かりな修理ではないものの、今までの不精を楽器に叱られたような気分になった。すみません。

 

全然暇にならなかった

書き出してみるとそれなりに忙しかった。

時間に余裕があることだけは確かだが、気持ちはいつも急いていて、それでいて長期計画が多いためになかなかいい成果を出せないものが多い。

結構ストレスフルだったし、何より自己肯定感の低下がみられた。

仕方ないことであるが、激務の職業をやり遂げていることは自信を保つ援けになっていた。向いていないといいながらも、複雑なコミュニケーションと手厚いケアを施せることはありがたいことだったのだ。もちろんこれは職に就いている間も感じていたことだが。

 

これからどこへいこうか。

どこへいくかは決めているけど、きちんとたどり着ける自信はまだない。