毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破6周目(31-40)

1.よくわかる組織論(田尾雅夫)

よくわかる組織論 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる組織論 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

 組織「行動」ではなく、経営ではなく、「組織論」です。と、最初に但し書きしてあるのですが、組織の構造と特徴に詳しい本です。そういえば経営系の本でこれらしい本を総論として読むのはハッチの『組織論』以来ですね。

あのように組織文化に根付いたものではなく、企業組織や団体などのもつ特性と組織形成の仕組みについて章立てがあります。

組織行動の心理とかキャリア形成については、他の成書でいうと『経験から学ぶ人的資源管理』とかスーザン・コミベズ『リーダーシップの探求』でよいかも。ロビンス『組織行動のマネジメント』ももちろん。

 

2.逸脱と医療化ー悪から病へ(ピーター・コンラッド、W.シュナイダー)

逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

 

めっちゃ長いというか物理的に重い 重いけどこれは読む意味あったなあと深々と思います… 締めにいくにつれ、『医療』がもたらした無条件の正義という名の社会統制があるのはしみじみと感じます。そして診断名がつくことによりなんらかの逸脱を道徳的悪とされることから免れるというのも。それほど新しい本ではありませんが、ここに書かれているそれぞれの歴史、たとえば精神疾患・薬物依存・アルコール依存・小児の虐待と発達障害・同性愛・犯罪…におけるその定義と扱いの変遷は各論として興味を惹くものばかりです。社会運動が先行するものもあれば医療化が先行するものもあります。

現在でいえば保健行動全般とか、「反医療・治療・予防」の領域にこれが及んでいるのも感じます。自分自身は、医療に関するこの意識は目につく医療従事者より少ないと感じますが、むしろ「福祉化」に傾倒しているようです。医療の歴史において、『兆候(外から見える症状)』から『病因(内部の病理)』に焦点が変わったことによる個人の病いの外部化については、フーコー(未読なので概説に過ぎませんが)とかヴァイツゼッカー『病いと人』で読むことができます。T.S.エリオットもこの時期に相当するようです。精神疾患については、これも特殊な経緯を辿ったことから『狂気』というカテゴライズによってその歴史や社会的位置付けを知ることができます。各論としてそれぞれあるものを、それにまつわる社会運動や各国の比較(欧州と米中心ですが…)で振り返ることができるのはまことにお得だと思います。お得て。

 

3.君はいま夢を見ていないとどうしていえるのかー哲学的懐疑論の意義(バリー・ストラウド) 

君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか―哲学的懐疑論の意義 (現代哲学への招待Great Works)

君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか―哲学的懐疑論の意義 (現代哲学への招待Great Works)

 

面白かったんですけど内容難しくて完全に忘れました。意識に関する経験論と超越論的認識論みたいな話もでてきます。しかし超越論的認識論って完全に理論化に失敗していると思うのは私だけでしょうか。つまりカントの『純粋理性批判』なんですけど、あれを読めなかっただけですかね。前者の経験論とその懐疑に関してはヒュームの『人間本性論 知性について』が内容的に妥当であるように思われたのですが。現象学的な意識については全然わかりません(フッサールイデーン』とかなのかな、読んだことがない

センスデータ説とか勿論出てくるんやが経験とか世界に関する経験の内在性と外在性の話とかあとムーアがめっちゃ出てくるけどムーア全然知らんみたいな気持ちになりました(ムーアはどちらかといえば倫理の印象が強かった、分析哲学もやってるな)

面白いとは思うのですがややオススメはしづらい。前提になる図書が多すぎます。

 

4.生命記号論ー宇宙の意味と表象(ジェスパー・ホフマイヤー)

生命記号論―宇宙の意味と表象

生命記号論―宇宙の意味と表象

 

思いのほか面白かったです。宇宙の意味と表象かどうかはともかく、生物圏におけるコミュニケーション(細胞内・細胞間・対環境・身体対意識)を記号の解釈・伝達という視点から考えます。メルロ=ポンティっぽいなと思っていたらメルロ=ポンティの概念を援用した箇所がありました。前読んだ長沼毅という方の『生物圏の形而上学』より自分にはかなり腑に落ちる解釈だったと思います。

あーあと言語(複雑な記号)の獲得やそれによる意図の伝達が可能か、みたいな章もありました。動物と人間の差になる部分です。そこまで目新しいものはありませんでしたが。そこよりか、細胞間・細胞内コミュニケーションの話の方が自分は好きですね…

それから、「倫理は道徳を攻撃する道具になる」、よい概念でした。触れずにおくのかと思いきや、環境倫理・動物倫理に対する記号圏からの(記号圏を含む)認識で締めくくられていた。自然と文明の二元論に落とし込まず、それぞれのやりとりに用いられる広義のコミュニケーション・情報(記号)に着目せよと。

 

5.因果論の超克ー自由の成立に向けて(高山守)

因果論の超克―自由の成立にむけて

因果論の超克―自由の成立にむけて

 

因果論の話を初めて読みました。確か、いつものフィッシュ『知覚の哲学入門』読書会でこの話が出てきたのだと思います。双子地球のあたりで。

マッキーのINUS条件(Insufficient but Necessary part of Unnecessary but Sufficient set of conditions)、これ大事と思いながら他のことは大体理解できずに読みました(いやラッセルとかカントのかつて読み飛ばしてしまってきた因果論をわかりやすくおさらいできるのありがたかったが) 。

哲学における因果関係は時間的な経過や「理由」までを射程に入れていて、今まで物理や科学全般で当然のように学んできたことについて「因果関係がある」と証明することの難しさを改めて感じた次第です。ラプラスの悪魔が笑ってるぜ。

 

6.言語と精神(ノーム・チョムスキー

言語と精神 (KAWADEルネサンス)

言語と精神 (KAWADEルネサンス)

 

序盤は1950年までのざっくりとした言語学のおさらい、中盤は普遍文法の定義・構造と思い至った(言い方が悪いな)言語の「発生」の過程について。文法の形態素の表層構造・深層構造の話はこれまでの統語論の本にも出てきたんですけど音韻論(特にこの本では、文章になったときのアクセントや発音の変化の規則や循環方式について)と文法の表層構造についてのところは世界思想社の『生成文法を学ぶ人のために』ではそこまで関連づけられてはいなかったですし、私自身理解が追いついていなかったので、文法に興味があったらそしてもっと英語がすらすら読めたら、文と非文や置き換えの規則にもついていけたんだろうなと思います…正直自分にはごくぼんやりとしか理解できませんでした。残念です。本書は1960年代に行われた講義を基にして1967年に邦訳初版が出たものだそうです(これは第3版)。

ちなみに原著第3版はpdfが無料公開されています。

https://www.ugr.es/~fmanjon/Language%20and%20Mind.pdf

初版の時期を考慮すると、まだ自然言語処理の分野では「翻訳」「人間の言語による命令を実行するプログラム」(ELIZA, SHRDLUがこれにあたりますかね)が困難にぶち当たっている時期なので仮説の域に過ぎないとしています。

今でこそ深層構造の段階での意味・解釈について応用されていますが、当時かなり挑戦的であったことは伺えました。ただ心理学の行動主義や構造主義言語学について「大量の資料を集めただけで、その内容を説明したことにはならない」と述べているわりに普遍文法ってまだ証明されていない部分もたくさんあるしそこまで言い切れることではないのでは…と思ってしまいました… いや後出しでこんなことを言うのは不適切だとは思われますが…。最終章(2004年に付け足された7章)には言語について文化人類学や心理学が言語学に対してさらに多くの知見を与えていることが書かれています。しかしながら、意図や普遍文法を生み出す過程については未だ不明な部分が多いとして締めくくられます。自然言語処理やりたい人、どこまで追いかけたらいいの。

 

7.自己と他者の社会学(井上俊、船津衛他)

自己と他者の社会学 (有斐閣アルマ)

自己と他者の社会学 (有斐閣アルマ)

 

自己の解釈ー他者との関係に的を絞って、社会学の中でどのように扱われているかの概略が見える本です。重々しくなくて気軽に読めます、が、特にコミュニケーションについては発展が目覚ましいのでところどころ古いと感じる場面もあります。2005年発刊なので、2019年とは特にSNSの社会的機能が全然違う。基本的には理論または質的調査に拠る解釈なので、量的なものとしては扱いにくいと思います。

しかしながら、学術というよりも、自分がよく表現する「迂遠なコミュニケーション」は大体この辺に詰まっているな...と思います...または間接的なコミュニケーション。心理学でこの辺りを説明するのとはまた異なる文脈です。また、『演じる私』と『「異質な他者」とのかかわり』の章は、現在ではむしろさらに先鋭化しているように感じられます。特に後者。自らと接点がない(と感じられる)他者を扱うとき、人は「差別していない」といいながら本人たちと会話することなく先入観をもち、判断し、介入を決めてしまう。

息抜きによい本であったと感じます。

 

8.功利主義とは何か(ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク)

功利主義とは何か

功利主義とは何か

 

1冊にスマートにまとまっていていいな、と思いました。現代の功利主義の基本的な考え方と実践(実用)をふまえて書かれています。なにもかもに適用できるかと言われるとまったくそうではないけれど、「合理的であるためには部分的に自己抹消的になる」っていうのはよくよく感ずるところのある考え方です(功利主義が効用を最大化するためには、ある面において極端な合理性を排除する必要があるというやつ)。

シンガーの『実践の倫理』は事前に読んでいましたが、正直例の中では「は?」と疑問が出ることも多かったです(特に医療倫理の面では、「必ずこういう選択をするだろう」「葛藤が生まれるだろう」などという根拠なき決めつけが多い)。「〜である」と「〜すべし」のリンクが自明でなさすぎじゃない?と思っていたんですが、こちらではそれは場合により切り離されて扱われています。整合性があり受け入れやすいかと。

個人的に気に入った個所は、局所的にみればロールズだって選好的な功利主義と真逆のことは言ってないという部分ですね…実際にそうであると感じています。全体主義的だからダメみたいなのはつい言いそうになりますけれども、適用する言説に対して少なくともこういう結果を導くから(そしてそれが全体主義と言われるものであることがあるというだけ)ダメ、という説明が可能なはず。今回の A very short introduction はその辺がちゃんとあってよかったです。おすすめできるかと思います。

 

9.道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ(フランソワ・ジュリアン)

道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ (講談社学術文庫)

道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ (講談社学術文庫)

 

1年くらい前に、人にお勧めされてまだ読めていなかったものです。読んだ。

孟子とかあー性善説の人やろ?としか思っていなかったんですが、性とか徳とか天の概念が思ったよりずっと複雑で面白かったです。キリスト教に根付いた(カント的な)徳は権力と分かたれたものですが孟子はそうではなく徳と得(力で得るもの)はおなじものと捉えていると対比します。必ずしもうまくいってはいないのかも知れないし論拠が弱い部分もあるのですが、根をキリスト教的な部分に求めない「徳の衝動」のような考え方は面白いなと思いました。

 

10.ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2(伊藤絵美

哲学界隈を通じて知り合った方がスキーマ療法の自助グループ主催をされていて、興味があったのでお借りしました。

中のケースが、えげつなくつらいエピソードが出てくるんですよね…よく生きてこられたなあ、と言いたくなるくらいの人生を送ってこられながら、こんなままで生きたくないとカウンセリングルームに来られたのが最初のようです。自分を助けようという欲求を持てることがまず素晴らしいことである、と本の中でも述べられています。

生きづらさの問題を解決したいと思うとき、すでに自分は自分に対して治療的になろうとしている(スキーマ療法の定義を使うなら『ヘルシーな大人モード』)。

自分にこれを当てはめてみると、苦しみをスキーマとの対話へと昇華すること、(『ヘルシーな大人』を育てる・拡充する)ことは生きていく中で手探りでやっていたようです。あらゆる生きづらさに対してスキーマ療法でなんとかなる、とは思わないし(いずれにせよ心理面接を要するものは非常に時間がかかるのでそれそのものに気合いがいる)、何より自分がその他の心理面接の技法に詳しくないのでなんとも言えないけど、「今、ここから自分を組み直したい人」向けなんだろうなと思った次第です。高齢者や重病を抱える人向きではないと思う。

処理しがたい経験をもったゆえに(それがどんなものでも)、認知に何かしらの強いバイアスがかかって以降の生活に困るような場合、「生活が安定していて時間があれば」できるのかなという感じがしました。少なくとも、衣食住の安心がなかったり、今現在暴力を振るわれていたり、精神疾患の急性期だとかで受けられるようなものではありません(結構侵襲性が高いし、その分実施にも高い技術力を要すると感じました)。そもそも、実施できる人が日本にはほとんどいないという話も伺いましたが。

自分が去年放送大学で受けた授業の中で、こういうケースが挙げられていたのが『地域福祉の理論と実践』だったんですが、暴力により母子ともに歪んだコーピングをせざるを得なかったというエピソードを思い出しました。時間をかけて、それでも「こうなりたい」という気持ちを中心に援助が進む心理療法です。

 

雑記

前回から3か月ほど経過していました。この間に、放送大学の大学院の入試を受けてきました。体調を崩したりストレスが多かったりと散々な秋を過ごしてしまい、もう空気が随分と冷たくなってきています。

今も放送大学に所属しているので、普通の授業の試験準備やチェロの発表会に向けた練習などに追われているので、読書が後回しになってしまって切ないです。

いろんな知識を自分の中に溜めていくのがつくづく好きなのであろうと思います。

 

ではまた、そう遠からずこのシリーズを書けますように。