毒素感傷文

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結婚して半年の記

まだ籍を入れてからは半年に至らないが、同居からは1年近く経過しているので、良しとしよう。

 

自分は人に生活を合わせるのが苦手だ。

 

いきなり負の側面から書いてしまうことに若干の抵抗はある。結婚生活は総じて幸福だが、自分自身の特性から逃れることはできない。結婚して2週間経ったとき、舞い上がっていたかと言われればさほどでもなかった気がするが、当時抱えていた不安は結局その後も影響を及ぼした。想定以上にいいこともあった。今からそのことを書く。

 

 

他人と暮らすこと、生きることの負の側面について

他人の気配がすることへの負担

わかってはいたが、プライバシーというものが1Kで生活していたときよりとても少なくなってしまった。必ず家に人が帰ってくることに慣れなかった。自分は神経質な性格であることは自負していたが、物音や人の移動があるだけでもそちらに気がいってしまう。おかげでゆっくり眠れない・集中して勉強できないなど、負の影響がなかったわけではない。

 

生活リズムが違うことによる体への負担

自分は当時夜勤や12時間の勤務を含むとても不規則な仕事をしていたので、食事の時間・寝るタイミング・睡眠時間も毎日まちまちだった。そして、コントロールは比較的良好とはいえ、精神疾患のためにかれこれ10年以上食事と睡眠には困難を抱えていた。

伴侶も伴侶で仕事は多忙であり、帰宅時間はまちまちだった。

 

まず、生活リズムのずれが睡眠に影響した。

当時、最大2~2.5時間程度、入眠と起床時刻にずれがあった。

にも拘わらず、同じ部屋で狭い布団で寝ていたのは(後から改善したことを考えると)非常に不適切な選択だったようだ。住む場所の広さが許すなら、寂しいが、こういったパートナーをもつ人はベッドくらい分けるのが適切かもしれない。

睡眠に困難を抱える人間が生活リズムの異なる人間と生活することが甚だ困難を伴うことはよくよく学んだ。生活リズムが不規則な仕事に就いてからはずっと一人暮らしだったので、頭ではわかっていてもどれだけ体に負担になるかわかっていなかった。

もちろん眠れないし、朝もつらい。立ち仕事で体をよく使うので、朝に弱い自分にはたいそうな負担になった。

 

家事の負担についての精神的な負担

もともとひとり分の家事もろくにできないほどハードな仕事をしていたので、1.5人分ほどの家事をしなければならなくなったことがさらに生活に負担を与えた。

それは強制されたものではなかったが、自らの家事だけを(たとえば食事・洗濯など)自分の分だけすることは難しいので、結果として伴侶の分もやった。本当に疲れてできないときに責められることも家事を求められることも決してなかったけれど、日々の疲れというものは恐ろしいもので、ただでさえ仕事に負担を感じているところに家事がのしかかると心が狭くなってしまう。そんな自分にさえ腹が立った。

自分が感情労働をしているためか、帰宅時に疲れ切ってしまい虚脱していることもあったし、日々の怒りが爆発してしまうこともあった。

これは私が一方的にぶつけていたもので、つまり相手に感情をぶつけてしまうことによって自分が傷つくという性質のものだ。伴侶が怒りや苛立ちを私に対してぶつけないでくれることは、本当にありがたかった。

 

住む場所、仕事、ライフプランの変更を余儀なくされる

長期的な展望としては、まずキャリアプランが大きく変わってしまった。

自分がひとりのときは、遠い未来のことまで思い描かなければ「いま」の自分を奮い立たせることができなかった。糊口をしのぐというのは難しいもので、自分にはどうにも向いていないと思いながらも働いてきた身には、急に「今の仕事を(いつかは)やめる」「将来の設計を変える」というほぼ強制的な選択肢が降ってきたことはよかれあしかれ影響が大きかった。こういうことに直面するひとは、このご時世多いのだろうなと思う。

何度も何度も納得するまで伴侶と話し合ったし、具体的な問題点も解決策も出した。頭では合理的な選択ができたと思っても、気持ちがついていかないことはどうしてもあった。

伴侶の転勤があればついていくし(これは私が望んだことでもあるが)、そうなると転勤した地で職を得るのは少し時間がかかる。もしかしたら乳幼児を抱えているかもしれない。生活が一変してしまうことへの不安は今もなくならない。

 

ホームズの社会適応評価尺度(SRRS)において、「結婚」を50としたとき、「伴侶との死別」は100に位置づけられる。それほどに「結婚」は普遍的なストレスであることを、結婚してみて身をもって理解した。

 

 

他人と暮らすこと、生きることの正の側面について

わるいことを先に書いたのは、いいことのほうが多かったからだ。

でも、いいことは具体的でないことばかりで書きづらい。不満についてのほうが饒舌で、幸せなほうが寡黙になるとは皮肉なことである。

 

なんでも相談できる相手がいる

自分はあまり人に相談しないたちで、なおかつ愚痴も弱音も人に言うのがとても苦手だった。しかも交友関係がとても狭く、また職業への馴染みもさほどは感じられず、同僚と感情を共有することも難しかった。

半面、伴侶は(もちろん話がしやすいことも結婚には影響しているので)とても話しやすい。感情的になったりしないし、伴侶としての私を常に尊重して気を遣ってくれた。その配慮に慣れないこともあったが、私が葛藤や不安を言語化することを決して拒否しなかった。

 

家が広くなった

何を言っているんだと思われるかもしれないが、ワンルームや1Kという狭い間取りは生活空間の機能を分けることができない。家が広くなり、生活機能を分けることがくらしをよくすることに気が付いた。

キッチン・ダイニング・書斎(勉強する場所)・寝室が機能別になっていることはそれぞれの質を高めた。もちろん間仕切りがなくてもいい。

ワンルームだと、ダイニングと勉強する場所がほとんど同じだったり、ダイニングがベッドのすぐ隣になったりしてしまう。一人暮らしにしては自分はよく調理をするほうだったので、ワンルームの時期はかなりつらかった。1Kで一人暮らしをはじめたときにはキッチンの問題は改善されたが、勉強場所としての1Kはまだまだ集中しづらかった。読書や勉強(といっても教科書を読む程度)は、外の喫茶店で細切れに行うことが多かった。

 

それが、居住空間が分かれれば思ってもみない変化があった。

ダイニングでは伴侶がいれば話ができるし、ご飯を食べられる(当たり前だが)。食事を決まった場所でできるのは、食事そのものが楽しくなるきっかけになった。ひとりでもそもそと食べるのとは格が違った。

睡眠に関しては上述の問題を抱えてはいたものの、帰って寝るだけの生活からずいぶん変わった。もちろんこれに関しては、家で集中して仕事や勉強のできる伴侶の影響を受けたところも大きい。ある点で非常に尊敬できる人間と生活することは、自分自身の生活を見直すことにつながる。

 

スキンシップがあり、精神的に安定する

定量的な評価が難しいが、伴侶がそばにいることのひとつにスキンシップによるメリットが大きかった。もともとかなり情緒的に不安定で、抑うつ傾向にあり、将来への希望をもつ(これ自体にはストレスも伴ったが)ことには困難を抱えていた。

けれど、ほぼ毎日帰ってきて望んで一緒に起居する人間がいることは、何より精神の満足と安寧につながった。具体的に不安を言葉にできないときでも、離れずそばにだれかいてくれることにどれだけ感謝したかわからない。

 

社会的・経済的に安定する

これは外から見えるメリットでもあるのだが、外から見て「伴侶がいる」ことは、何かと便利だ。

ジェンダーによる嫌な思いをする人は男女とも多いとは思うが、幸いにして自分はさほどのストレスはなかった。姻族の付き合いは伴侶が極力遠ざけてくれたし、女性ばかりの職場で結婚そのもののストレスに理解を示してくれる先輩に恵まれた。自分は過去に家族を心配ばかりさせてきていたので、安心させることもできた。

もちろん経済の安定ばかりを求めて結婚したわけではないが、心身に無理をさせて働いていたのもまた事実なので、仕事を続けることも辞めることも私の一存に任せてくれた伴侶には頭が上がらない。経済的な優越を笠に着て、伴侶に仕事上や家事のうえでの強制をする小さな人間は多いものである。

もちろん仕事が変わることによるストレスも上記に述べたように大きなものだったが、その代わりに自分のやりたい勉強に没頭することを応援してもらえるのもありがたいことである。これは結婚そのものがもたらすものではないが、伴侶がいなかったら考えられなかったことだ。

 

しまりのない結論

これはただの日記なので結論なんてあったものではないのだが、半年(といっても同居1年くらいだが)経つといろいろなことがわかるものである。し、いろいろなことが変わるものである。

住む場所も、名前も、仕事も変わった。もう自分が自分を特徴づけるものは何もないくらいだ。免許証からパスポートから何から何まで変えた。

けれど、今も趣味や勉強したいことは特に変わらず続けている。そして、たったひとりで続けるより、見守ってくれる人がいるのは心強い。

 

生活の変化が怖かったけれど、その一部に、伴侶を頼ることへの不安があったのだろうと思う。経済的にも社会的にも依存せざるを得ない構造を作ることが、家庭における自分の発言権を失うことになるんじゃないかとか、今後のキャリアを大きく損なうことになるのではないかとか、どうしても気にせざるを得なかった。同居し始めたときにはぼんやりとしか見えなかった不安が、可視化して、そして今は少し軽減した。

 

今後に関しても問題は山積していて、顕在しているものもあればまだはっきりしないものもある。

ただ今いえることは、それらが乗り越えられそうだから結婚したということだ。

 

以上が面倒くさい惚気である。