毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

看護と看護学校についてあれこれを書きなぐる

暇だったんで知恵袋を延々と巡回してみたりして思ったんですけど、そして昔から思っていることなんですけど、ここ最近看護を取り巻く環境は劇的に変化しているのだなぁと思わざるを得ません。もちろん他の業界にもあることなのかも知れないけれど、私は看護のことしかわからないから、ここのことを書きますよ。

まずね、看護師って昔そんなにありがたーい仕事ではなかったですよね。
どっちかというと、えっ看護婦なんてやってるのーみたいな。3Kもいいところでしたよね。私はそう思って看護師になりました。でも入って周りの評価を得るに驚きました。看護師自身は看護師であることに非常に誇りを持っている人が多い(そして勘違いしている馬鹿も非常に多い)。し、最近は「頭いいとなれないんでしょー」みたいなことをぼんやり言う人もたくさんいます。ごめんなさい、馬鹿でもなれます。でも頭のいい人は、やっぱりいるところにはいますね。それが臨床経験から培われたものであったり、何らかの専門教育を受けた結果であったりってのは色々差はありますけど。

やっぱり世の不況の煽りはこんなところにまで及んでいるんだなぁと思いました。ひしひしと。

今、急速に大学(特に私学)で看護学科の設立が相次いでいて、世の潮流を感じざるを得ません。あ、それで生々しい話をしますね。この話がしたかったんです。

私立4大(初年度納入金200万x4)
私立専門(初年度納入金100万x3)
国公立4大(初年度納入金50~60万x4)
国公立専門(初年度納入金20~30万x3)←ちなみに私はここ。

どうです。この差。
ちなみに、大学と専門の資格上の差はまったくありません。
ただ、学歴が大学(看護学士)か専門(専門士)でちょい違います。月給が約1万円ほど違います。

1 まん えん !

1万円しか変わらないのにこの学費差!すげー!と、思いませんか。私は思いました。なんだこの格差、と。
私立4大看護に行く意味はいったいなんなんだ?!この仕事そんなに魅力的には思えない、と思ってしまって仕方ありません。
ちなみに薬学部も今は6年制なので私学だと大体年間200万円くらいとられます。給料は別にそんないうほど良くもないです。

余談ですが医師までいくと確かに給料はいいです(常勤の勤務医で800~1000万円くらい、当直バイトすればもっといく)。けど36時間勤務とかが当たり前だったりします。どう考えても割には合わない。

看護は確かに学問として近年発達した感じがあります、そしてこれから様々な用途に使えそうだなぁとも思います。医学と途を共にしつつ、よりQOLに重きを置いた学問として。
でもそれがどれくらい臨床に活かされるかというと、やっぱりまだまだだなーと思わざるを得ないんですよ。

私立看護4大に子供を通わせられるような(あるいは学費を奨学金で賄ってまで行くような)家庭の子ってのは、私は(比較的)育ちがいいんだなーと思ってしまいます。もちろん例外もありますよ。看護学を学ぶっていうのは楽しいもんです。きっと楽しいだろうなと、狭苦しい図書室にある看護理論を読んだり論文を読むにつけ思います。そしてたぶん私の10倍のお金に見合った学問を彼・彼女らのほとんどは特に気にもかけず浪費しているんだろうとも思ってます。わからん、10倍くらい吸収している人がおるんかもしれんけど。

対して公立専門学校てのは、昔ながらのヒモつき学生みたいな貧乏っ子がいっぱいいて、今のご時世ですとシングルマザーとかもざらにいます。シングルマザーのお子さんが学生だったり親の方が学生だったりいろいろですけど。
それが臨床でぐちゃっと一緒になって、なんだか格差みたいな温度差ができないだろうか?って気になるんですよね。別に良いのかも知れないし、普通の会社でも当たり前なのかも知れませんけど。
あまり、育ちが違うみたいな言い方はしたくないんですが、なんでかしら私はとてもアカデミックな人間に育ってしまいました。だから良い意味でも悪い意味でもとても目立ってしまうんです。特に実学重視の専門学校では余計に。いつも人の2倍3倍いらんことをしていて、やっとこさ実学においては人並みかそれ以下くらい。役に立たんことばかりしているんですよ。

でも多分、大学も学部レベルではそんなことはあまりせんだろうことがわかっています。何故なら看護学校を3年でこなすというのは本当に必要最低限の知識を叩き込むだけの時間しかないからです。たかだか1年増やしただけで何ができるというのか。なんもできてませんね。

看護って、私立4大に行かせるほど成熟した学問なんだろうか?という疑問がふと過るんですよ。
そしてここで出した看護とは、たぶん昔ながらの汚い力仕事としての表現なんだろうな、という気もします。そのうち、看護専門学校なんてどんどん潰れて、4大がメインになるのかも知れない。そうなったら、崇高な学問としての側面が持て囃されるようになって、本来の臨床での汚い仕事を含む肉体労働としての看護はどこにいっちまうんだろう、って時々思うんですよ。

そして今更ながら、性に合うか合わんかでいえば専門学校って組織は私にはちょっと合わんかった。合わんかったけど、大学行ったってやっぱりそんなに合わんかったと思いますし、そもそも看護を志す素直で純粋な気持ちを抱いてきた人たちと私は何かがずれているんでしょう。
でも金が欲しいだけ、金のため、というのも違う。なぜなら私は生きていければ金なんてそんなに必要ないからです。なんならこの長年の精神科通院歴を使って障害者総合支援法だのなんだのの力を借りればもっと楽な生き方はいくらでもあるだろうと思われるから。
けど何故かこんな非日常(と言われている)妙ちきりんな界隈に来てしまった。何か間違ったとしか思えないけど仕方ないのでやれるところまでやろうと思って数年が経った。こんな感じです。

だから、学歴コンプとかそういうの(無い、というのは嘘になるのかも知れませんが)だけではなく、なんだか知識であったり知恵であったりそういうものにずっと飢えています。教わりたいけど、教わり方がわからないんですよ。これ以上の独学は趣味だなぁ、と思いながらいつもやってます。そしてそれはかなり疲れるんです。楽に、そして楽しみながらこの先を築いていきたいとよく思うのです。多分私はただ働くということをずっと続けるのは無理です。人間ができていないのでそういう継続に対する根性が足らんのです。だからきっといつか方向をそれなりに定めなければならないときが必ずやってくる。その時に備えて、自分の希望を明らかにしておかなければなぁという思いがあったりなかったりなかったりなかったり。大体ないじゃないか。





愚痴に始まってこんなところまできましたが、今日たまたま手に取った本に私の思うことが書いてあったのでちょっと安心しました。
看護学の博士課程におる人で、こないだ学生の研究大会の特別講演にいらしてた方の本だったんですが、ぱらぱらめくっていると「臨床経験のある看護師が市議会レベルの政治に携わった方がよいのではないか」と。

まぁこれにはもちろん色々障害があると思います。
けど大学の教授やってる看護師とか見ていると、もうそれ政策に反映すればええやんみたいなことがめちゃくちゃある。もうあんたがやったらえーやんそれ、みたいなの。ちなみに衆院参院までいくと医師や看護師がちらほらいるんですが、国会まで行くとそれぞれの意見が反映されにくいしせっかくの地域ニーズを拾う立場が使えないじゃないかみたいなことまで書いてありました。なるほどなーと思った。

「社会に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ孤独に暮らせ。」

ってのは私の大好きな攻殻機動隊の少佐のセリフです。

これを臨床を含めて看護学生・看護師を眺めていると、大体の人が耳と目を閉じているように思います。無知なことに対して積極的に不満を述べない謙虚な姿勢である一方で、そのままじゃきっといつまでも看護の地位も向上しなければ医療の質も保証できんなという気がしてきます。とかく医療者は政治に疎いです。もちろん私も。

ならば自分を変えろという話ですが、自分を変えた結果社会を変えるまでになるような人が出てきたらいいのにな、と思うのが最近です。そんな人がいたら絶対応援します。

ちなみにここまでつらつらと看護看護とうっせーなとお思いの方もおられるかも知れませんが、介護はもっと大変です。ブラックもいいとこです。私は看護の地位を上げたいというか、介護の地位を上げたいなーといつも思ってます。
看護師は白衣の天使とかいう異名がありますが、臨床に行けばあれらが白衣の悪魔であることは自明です。もちろん私も悪魔です。
むしろ、今の賃金の低さや待遇の悪さを思えば介護こそ天使でもなきゃやってられんお仕事なんですよ。友人がひとり介護してますが、本当に敬服に値します。いつも本当にありがとう。



色々論理的に破綻しているところはたくさんあるしまだ書こうと思えば書けるんやけどまた今度にします。
私はどこから来てどこへ行こうとしているのかいまだに自分でもよくわかりません。
とりあえず真面目に、自分の目の前のことだけ、素直に取り組まなきゃなぁといつも思います。
上ばっかり見てると足元救われるぞ。


でも下ばっかり見ててもなんもいいことないんだよぉ!!!ばいばい!