毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

独身最後の記事を書き損ねた

ので、これが伴侶を得て最初の記事となる。

 

 

▼出来合いのおかずのような

これが愚痴でないと言えば嘘になる。

愚痴でもあり弱音でもあり、耄碌した記憶の焼き直しでもあり惚気でもある。最悪だ。だからこそ今書こう。

 

そもそも伴侶を得るということはどういうことなのか。婚姻という契約の形式を取らねばならぬのか。社会への体裁はこうでなくてはならないのか。

そういう議論はよそでやろう、今ここで自分は既存の社会規範に倣うことを選んだのだから。選ばない人は強い。抗う意思がなくてはその選択肢はそもそも現れもしない。私たちは選ぶことを選んだ。

 

しかし選ぶことを選んだあとも、さまざまな細かい選択の連続であった。

かつてここまで、恋人であった人たちと新たなる家族や自分の身の置き所について話したことがあっただろうか。まあ話すに至らなかったその他の人がいるからこそ今の伴侶がいるのだが。つまり選ぶところまで辿り着くにはそこまでの過程が必ずあるのだ。それは自分ではないどんな人にも。意識の俎上になかったとしても。

 

 

▼婚姻への合意の形成について思うこと一頻り

こういった薄っすらとした合意の形成は自分にはとても難しく感じる。住む場所、生きる糧(飯の種)、家族の有り様、それに対する考えを形成するまでにあったことやその判断に影響した要素。言葉になるものもならないものも、様々な感覚を持ち合い、すり合わせた。私はぶつかりたくなかった。ぶつかるのが怖かった。ぶつけて、相手を薙ぎ倒してしまうことも怖いし、言語化できないやわな部分を踏み躙られるのも嫌だった。それがいったい(なに)であるかも最早言葉にはできないのだが、とにかく、こうして家族になるということはその(なにか)をなんとか守った状態で家族という鍋の中に入ることに成功したということである。もっとも、成功したのは家族という新しい枠組みに入るという一点においてであり、この婚姻はまだ成功ではない。人生の終焉において初めて婚姻が成功であったというのだろう。そしてあるいはこの先破局に至ったとしても経緯によっては失敗とは言わないのかもしれない。

 

自分にとってのほかの他人と較べてもしようがないが、2人きりで会話をした最初から、この合意は形成されていたような気もする。でもそこで確信を持つほど自分は自信家ではないし野心家でもない。多分相手もそうだったろう。

こういうとき、会話は延々と続くジャブの応酬に近い。本音は出したり出さなかったり、建前に見せかけて振り返ってみれば大事なキーワードであったり、それを聞き逃したり取り違えたりする。

 

 

私は不思議に思う。目の前の、あるいはとなりの人間と、いったいどうして言葉の意味を共有できるだろうか。経験も学識も等しくなく、かつ、持っているからだも身を置いてきた場所もこれからいる場所も異なるのに、なぜ居を同じくし、同じ方向を向いて、家庭を持つことに踏み切れるのだろうか。

 

最早諦めに近いこのジャブは、いつしか場所を変えても経験を重ねても繰り返されるようになり、次第に日常に変化する。

ただ毎日を浮いたり沈んだり、働いたりご飯を食べたり食べなかったり眠れない夜を過ごしたりするだけで、伴侶になったりならなかったりする。自分の印象としてはそんな感じだ。明確になにかを担保すると言われたわけでも、ややこしい自分の性格や経歴を事細かに聞かれたわけでもなく、ただなんとなく、理解と誤解を重ねればそうなるのだ。としか言いようがない。

 

それは長く時を共にした友人に関してもいえることでもある(そんな人物がいたらの話だが)。異なる価値観や経験を有しているからこそ安心して胸襟を開くことができる。

 

 

 

▼生活の再編について

1年間ずっと、選択の連続だった。ひとりならば、健康に不安があれば辞めればよいだけと思ってがむしゃらに仕事ができたのに、急に弱ったりもした。業務・学問上の(ぬるいとはいえ)目標もあって自分を叱咤激励してきたのに、それが短期には叶わないと知り、目標と手段の変更を余儀なくされた(結果的にはそちらのほうが安パイだったとしても適応に時間がかかる)。

 

生活への戸惑い、人生への戸惑い、他者がどうしようもなく生活の中に組み込まれることへの違和感。自分でない他人が生活にあるのはここまで困難なことであったか、と思うほどだ。

 

先の人生を考えることは難しい。とくにゆとりをもって計画していない人間には再編は喫緊の課題となる。

少ないながらもこれまでのキャリアを考えこれからのキャリアを考える。キャリアを離れる期間と築く期間の分断に気づく(これが一番の負担である)。

住む区画を選び家を選び間取りから居住空間を考え持っていく家具や捨てる家具、新しく購入する家電家具を選ぶ。

家庭の事情を考慮しながら婚姻にまつわる行事の意思決定をする。

 

そういった事柄にヒーヒー言い、手を焼きつつ仕事しながら片手間に考えるのは大変だった。1年経ってもこの選択に慣れたとは到底思えない。仕事に慣れるのにも実質は3年くらい要したように、自分はきっとこの生活にも3年くらいかかって慣れていくのだろう。そのことを思うとうんざりするが、仕方ない。引き受けると決めたのもまた自分なのだ。婚姻への合意というのはそういうものだったのだ。

 

先々のことを日々ぼんやり考えながら雑事をしていると、10年前、先のことなど何一つ考えられなかったのを思い出す。ここにもよく書いているので改めて申し上げる必要性は感じないが、自分は意思決定がとにもかくにも下手で、悩んでいるうちに病気になり、療養に数年を要した。今でも食事や睡眠には難を抱えている。

それがひどかったのが10〜11年ほど前で、この1年はあのつらかった1年からちょうど10年ののちであった。しつこいようだが本当に先のことは何も考えられず、生計の途も就学の計画も立てられずただ毎日苦しんでいた日々からこの1年はまったく想像ができなかった。今でも毎日が新鮮な驚きの連続で、そしてこれだけ毎日驚いているとちょっと疲れる。

 

ちょっと疲れたのだが生活を休むわけにはいかないのもつらいところである。

 

想像はできなかったものの地続きではあり、頭も体も自分という殻を抜け出すことはできないので、昨日も今日も明日も、10年前も今も10年先も(特に問題なく生存していればの話だが)自分という精神は自分という器の中でこうしてもがいている。

100冊読破 5周目(71-80)

1.人間本性論 3 道徳について(デイヴィッド・ヒューム

人間本性論 第3巻: 道徳について

人間本性論 第3巻: 道徳について

 

理性によって道徳は定義できないことの説明からはじまって、いま正義は自然に決定されるものではなく人間の感情に左右されることについて説明されている。正義の人為性についてひとしきり、そのあとで法や経済への信頼性について(ここまで道徳の範疇に含めるのか)。国家への忠誠も限界があり、インセンティブ(そんな言葉は使っていないが)が必要ですよと訴える。

第3部のその他の徳と悪徳、むしろ狭義の道徳における徳と悪徳のいちばんのポイントなんだがようするにお気持ちじゃねえか感がとても強い(現代の機械論的・計算論的な認知神経科学・心理学と相性良さそうだ

なぜかというと行為の合理性は感情によって決定されるからで、帰結主義的な立場からはこれのほうが感情をよく説明するからだ ヒュームの情念論ではヒュームの道徳論は理解できないとわかった。情念論ぜんぜんわからなかった。

精神の有用な性質に徳があるのはその有用性ゆえであることは、大半の人々が進んで認めるであろう。この考え方は自然で、多くの機会に働くので、受け入れるのを躊躇する人はまれであろう。ところが、これがひとたび受け入れられるならば、共感の効力が必然的に認められなければならないのである。徳はある目的に対する手段と考えられる。目的に対する手段に価値がおかれるのは、目的に価値がおかれるかぎりでのみである。しかし、見知らぬ人たちの幸福がわれわれを動かすのは、共感のみによる。それゆえ、徳が社会にとって、あるいは徳を有する当人にとって有用である場合、その徳を検分することから生ずる称賛の心情を、われわれは、その〔共感という〕原理によるものとしなければならない。このような徳が、道徳のもっとも有力な部分をかたちづくるのである。ーディヴィッド・ヒューム

情念論のなかで尊敬と自惚れに結構な幅を割いて説明したのは2部の政治的な部分に踏み込むためとこの徳を説明するためだったかなと思うんだが(つまりヒュームの情念論は知性に関する第1冊と全然接続していないと自分は感じた)、功利主義と完全にコミットしない理由は「そのときに限る」の効果である。「人間社会がそうである限りにおいて」という前提があり、また2部で経済や法・統治への信頼と保証が共有されていることを再三確認した理由はここにあると思う。道徳(倫理)は決して普遍的なことではないことを確認した。ここにおいて自分は功利主義から導かれる動物倫理はひとつ成立しなさを感じる。ヒュームはあくまで共感の合理性、社会的役割と効果については述べたけれども、効用がありとあらゆる生命に適用されるとは述べていない。この辺りが狭義の功利主義とは相反する部分だろうか。

 

2.コンビニ人間村田沙耶香

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

家族に渡されて読んだがあまり好きな部類ではなかった。笑える、という評価をそこかしこでみたが、べつに笑えもしなかった。シニカルであるかと言われると多少そうだが、そういう見方で読みたくもなかった。まじめに読んでしまったのかもしれない。

コンビニの配列や客さばきが「わかる」ときの表現はとても好きだが。

 

3.カフェパウゼで法学をー対話で見つける〈学び方〉(横田明美

カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

 

面白かったです。

行政法の研究者であるぱうぜセンセ(横田明美氏・千葉大学大学院准教授)が法学の学部生に向けて学部での過ごし方、法学の考え方、さまざまな課題への向き合い方を紹介するためにめちゃくちゃわかりやすく書いた本。ブログがきっかけだそうな。分野外の人でも読めるようにしてあります。

学部→法科大学院修論提出→博士課程、という当時少なかったキャリアを歩んだ理由やそのメリットとデメリットについても触れられている。そしてまあ何より本領であるところの法学部での過ごし方なんですけど、学部全般に通じるところはよくあるかと思います。レポートの書き方とか。最後の方になると実務家と研究者の棲み分けや協働の仕方がでてきます、この辺りはむしろ学部生というより社会人の方が読んでいて楽しいのではないでしょうか。

ぱうぜセンセは大事なことをいいます。「若手研究者を増やすにはどうしたらいいですかね?」ー「尊大な言い方かもしれませんが、先生たち法学研究者が楽しそうにしている姿を見せることではないでしょうか」

「学校を出ても知識を求め続ける姿勢が大切だよ」

私が好きなのは、

「実務家志望だから研究を知らなくていいわけではないんだよ」

ですかね。それらは双方向に助け合う発想なので。

あともうひとつ、とても参考になるのは

「学部の知識は静的だけど実務になると動的なんだよ」

ということですか。これは自分の分野は嫌という程実感しました。静的な知識があってこそ動的な知識に繋がるので、勿論静的な知識の積み上げがあってこそですがね。私は法学の考え方に興味があったので手に取りましたが、他の学部生や他分野の方にもじゅうぶんたのしんでいただける本かと思います。

 

4.医療倫理(トニー・ホープ

医療倫理 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

医療倫理 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

 

わたしは自発的原則的安楽死が原則として不正であるという見解を否定する。それは、この議論が論理を転倒させているからである。人を殺すことを不正なものとするのは、死ぬことの害悪であり、その逆ではない。道徳的原則に従った結果として苦しむことになる場合、われわれはその道徳的原則を注意深く検討して、それをあまりに融通の効かない仕方で用いていないかと問うべきである。自発的積極的安楽死が不正だと主張するとき、われわれがしているのはまさにこれである。他人の苦しみの犠牲の上に道徳的純潔感を求めるのは、倒錯している。ートニー・ホープ

著者は精神科医師であり医療倫理の教員を務める方。議論は倫理"原則"からはじまるのではなく、倫理原則との対比の事例からはじまる。臨床で実際に存在したジレンマから判例までを例示し、そこでの結果と、そこに至る意見・思考のみちがどのように分岐していたかを列挙・解説する。先の引用は安楽死の章(つまり冒頭)の結論なのですが、ほかに不妊治療や人工中絶・精神科疾患の患者を拘束(して治療)することの是非など、「結果」と「プロセス」に内在する道徳的判断の志向性が解説されます。たしかにわかりやすい。そして実際に即していて、かつ医療や法に与しすぎない。

あくまで倫理の議論なので、実臨床はこうはいかなかったりもします。「どう考えるか」「"本来なら"どうあるべきか」が示されているのはとてもよい。あとはまあ道徳というのは感情に従っているのが実によくわかりますね…(論理的に正しいものが必ずしも倫理的に正しいわけではないことがよくわかる

 

医療倫理のみならず応用倫理の検討としても使えそうなよい入門書であると思います。

 

5.チーズとうじ虫―16世紀の一粉挽屋の世界像(カルロ・ギンズブルグ)

チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

 

16世紀の抑圧された環境における市井の人の、ある特殊なテキスト解釈…というより、宗教的解釈を少し変えたうえで世界の構成をとらえ直す、という感じに近いか。市井の人の言論が残っていない時世での解釈は、異端審問によって残されるというのなんとも皮肉だなあと思います。

 

6.フッサールを学ぶ人のために(新田義弘)

フッサールを学ぶ人のために

フッサールを学ぶ人のために

 

わからん…わからん…といっていたが本気でついていけなかったのは2章くらいのもので、あとは大体楽しく読んだというか刺激されて楽しかった。フッサール現象学そのものの解説、来歴と著作の説明は1.2章にとどまっている。3章からは同時代の思想家や学問の最先端についての説明になり、それらの学者とフッサールの思想の関係になる。「算術の哲学」に代表される初期のフッサール心理主義発達心理学に代表される生理的な心理学)に基づいているが、ブレンターノに影響を受け対象と意識の関係に目をむける。初期のもうひとつの大成である「論理学研究」ではフレーゲとの比較がなされているものの自分はまだフレーゲの著作は完全に未読なので書かれている内容は鵜呑みにするしかない。2章、発生的現象学がまさにフッサール独自の現象学(「イデーン」の解釈)に費やされているのだけどもこれも難しい…

時間意識についてらベルクソンとの対比があり、キネステーゼ(運動感覚)はメルロ=ポンティの「知覚の現象学」に大いに影響を与えた部分があるのでたいぶ比較がしやすいのだけども、フッサールの勘所の捉えにくさが「イデーン」の中に全部詰まっているような気がする…。面白いのは4章で、システム理論と現象学の比較やレヴィナスによるフッサール批判、デリダによるフッサール解釈などその少し後世のフッサール読解と批判がどのようになされたか説明があるところ。フッサールフッサール本人の著作を読んでも心が折れることがわかったのでこういうところから入りたい。

それでは、超越論的主観性の根源的複数性を否定する独我論とは、いったい、どのような状態に導くのであろうか。超越論的独我論は、そのような立場をとった帰結として、最初に規定したあの世界の客観性を否定することになるはずである。世界がわれわれにとっての世界であり、他者によっても共に経験されうるものであるということ、すなわち、わたしと同時にしかも別の視点から同一の世界を経験できるということ、さらには、わたしが経験していないときにも、わたしが死んだ後にも、世界が他者によって経験可能であるということ、これらのことを否定する。それは経験的観念論の立場であろう。経験論的観念論者の世界には、ことによると経験の対象としての他者は存在するかもしれない。しかし、そのような他者は世界と同様に彼の精神の構成物であり、この限りで、彼の死滅によって世界と共に消滅するものという意味しかもちえないであろう。これに対して、超越論的主観性の根源的複数性が認められるならば、わたしを含むあらゆる生物が死に絶えた世界を想定したとしても、その世界を意識している匿名的遂行者としての他者は、依然として機能しうるものという意味をもっている。したがって、そのような想定のもとでも、世界はこの匿名的な主観性に対して客観的なものとして存在し続けるといえるのである。ー飯野由美子

 

7.心はどこにあるのか(ダニエル・デネット

心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫)

心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫)

 
心はどこにあるのか (サイエンス・マスターズ)

心はどこにあるのか (サイエンス・マスターズ)

 

デネットを読むにあたりほぼ最適な入門書といってもよいのでは(ほかの本はけっこう新しいめの心理学・生物学・医学の知識を必要としたりする

言語的な内容を多分に含む。中高生といっても中学生だとさすがに苦しむだろうし、「ソフィーの世界」くらい時間はかかるかも知れん。逆に言えば時間はかかるが内容は理解できるということだ

進化言語学とメタの知覚を心の哲学に組み込む試み。

 

8.イスラーム建築の世界史(深見奈緒子

イスラーム建築の世界史 (岩波セミナーブックス S11)

イスラーム建築の世界史 (岩波セミナーブックス S11)

 

イスラームから見た『世界史』」(タミム・アンサーリー)という挑戦的な本を読んだことがあるのだが、むしろこちらの方が宗教や歴史からある種解放されて建築という視点から文化や歴史の要素を読み解くことができる本だった気がしてくる。恥ずかしながら自分はさほど建築に詳しくなければ世界史も高校生でつまむ程度にやっただけだからイスラム圏のことはそう詳しく知っているわけではない。ヨーロッパから見るとかつての侵略者だし現在は紛争と政情不安定のイメージが強い。でもイスラム圏の指す範囲の広大さは少し知っている。国境以上に信教の敷衍による文化交流の要素がとても多い。西はスペイン・ポルトガル、西アフリカでマリから東はインドネシアまで幅広く、また信者数も多いことからその信仰の象徴となるモスク他建築物が土着の建築様式・時代の流行と溶け合っているのはおもしろい。夢枕獏シナン」はオスマン帝国時代の建築家の話なんですが、途中にヨーロッパの建築家との交流がでてきたりしたんですよね あとアヤ・ソフィアで衝撃を受けて、偶像に頼らず信仰を身を以って行うことについて考えを巡らすシーンもあるんですがたしかに建築空間そのものが宗教の観念と一体化している。

 

9.人間の将来とバイオエシックス(ユルゲン・ハーバーマス

人間の将来とバイオエシックス (叢書・ウニベルシタス)

人間の将来とバイオエシックス (叢書・ウニベルシタス)

 

他者への依存があるからこそ、他の人によって傷つくという事態が説明できるのである。人格は、自己のアイデンティティの展開と、全一性の維持のために一番必要としている関係においてこそ、最も守られておらず、傷つきやすいのだーユルゲン・ハーバーマス

訳者あとがきでうなずき過ぎて首もげた(キルケゴールいきなり引き合いにだされてズッこける

デリダの死を悼んで、という言葉が日付の冒頭に書き加えられていた。

 

関係性のうえに表現され、社会的に個人が位置付けられてこそ生命がDNA配列を超えて社会的個人と認証されるという考えらしい いかにもハーバーマスらしい。

 

10.「志向姿勢」の哲学ー人は人の心を読めるのか?(ダニエル・デネット

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

 

デネットの本の初邦訳だそうです(知らずに読みました)。

志向姿勢の哲学はあくまでデネットの論理を詳説するための書籍であり、特に知覚の哲学(の中の特に信念獲得説)など思考に関する議論(何が人間的で何がそうでないか?)に応えるものとなっています。だまし行為や欲求における人間の思考のエンジン・フレーミングについては行動主義心理学(またはより広い範囲において単なる行動主義とする)と通俗(素朴)心理学を比較したうえでそれらの上位にサブパーソナル心理学を説明し、態度の読みが機能していることに序盤が費やされます。

デネット本人の論理は他者との比較によって展開されるから見えづらいですがこういうので引用されていてなるほどと思いました

 

多義的な振舞の解釈における振舞抽象化戦略

http://www.ii.is.kit.ac.jp/hai2011/proceedings/HAI2009/pdf/2a-1.pdf

 

日常心理学と科学的心理学

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/28/2/28_2_67/_pdf

 

5章「信念を超えて」が本書におけるひとつの終着点で、手段的な言葉と志向性をもつ言葉についての議論を概説したあとに命題態度(様相実在論とか出てきて難しい)と文態度、概念態度(ここまでくるとカーネマンとトヴェルスキーの名前が出てきます、ちょっとわかりやすくなる)の仕組みとその内容を各人がどのように説明するかと何が採用されるべきかが話されます。問いの立て方を問われる章ですし、その後に機械に可能なこととそうでないこと・なにを心と見立てるかといった議論にも進みます。ただどちゃくそ重たいしわかりづらいです、20世紀前半の分析哲学全般の知識が必要…

あと当然のように言語学の用語が出てくるので最低限統語論と意味論の比較は頭に入ったうえでどうぞみたいな初見殺しでした。それのうえに文態度と命題態度の比較や他者の批判に応えるのでそれはそうなんですが前提の要求が高い。それに加えて書籍そのものは1980年代のものを1990年代に翻訳されているし計算機に関する理論も古いものを引用しているのでいまいち参考にならない(既に最新版を読むべき)場面がちょこちょこありました。1960-70年代に考えられてきたことのまとめと批判として読んだ方がいいのかもしれない(細かいところに拘泥しているとまったく先に進めない。今ちょうど読書会でフィッシュの「知覚の哲学入門」の中の4.信念獲得説 をやっていたので「信念を超えて」の項はきっちり読もうと思って読んだわけなんですが信念獲得説どころではなかったです(疲弊した

結婚準備編(〜3ヶ月前)

http://streptococcus.hatenablog.com/entry/2018/07/10/211651

新居編とかはこちら。

 

さて今回は実際に結婚前にやったことをまとめます。前回とちょっとだけ内容かぶりますが。式を定める前に転居したので実は式から起算すると時系列が逆なのですが、とりあえず時系列に沿っていきます。式をXデーとして◯ヶ月前表記です。

 

まず5月初め〜中ごろに家を決定しました。6月末に転居することまで決定したので、この辺りから書いていきます。

 

0.家の選定(7ヶ月前)

暮らしやすさ、引っ越してから住むつもりの期間(ここはライフプランやキャリアにもよると思います)も含めて価格、間取り、周辺環境や職場へのアクセスなど考えていかねばならず結構悩みました。立地の良いところに住むことは確定していたので、優先事項を整理して条件に当てはまる物件を見て回って決定した記憶があります。なお、全然終の住処ではありません。

 

1.伴侶→我が家への顔合わせ(7ヶ月前)

さすがに挨拶もなしに同居はまずかろう、と急いで我が家族に集まってもらい顔合わせ。当日わたしが少し遅刻するとかいうひどい有様でした。ホテルの中のレストラン(といってよいのか)でした。

 

2.私→伴侶家族(父母別)への顔合わせ(7-6ヶ月前)

これも上記と同様の手順で。緊張した。

事情によりご尊父ご母堂へは別々にお会いしにいったので日程調整が結構大変でした。あとここには書けない椿事もあったのですが伏せておきます。

 

3.引っ越し(6ヶ月前)

引っ越しは別記事で書いたので割愛。

 

4.式場選定(5ヶ月前)

これも別記事に。

 

5.両家顔合わせ(父母別・4ヶ月前)

片方は職場近くへ出向いて、片方は奈良にあるホテルのメインダイニングへ。なかなかいいところを選んでしまったのでかえってしゃっちょこばる羽目になりましたが、それはそれでよい建築物も見ることができたのでよかったです

 

6.衣装合わせ、式場打ち合わせ(4-3ヶ月前)

さてこの辺りからが忙しいのです。

衣装屋さんに行きふわふわした雰囲気に包まれながら衣装選び。当日は神前式なので、ひとまずは白無垢と紋付袴を選びました。衣装屋さんそのものは、式場からパッケージされたものを選んでいるので探す手間はほぼ皆無。週末に前撮り用ドレスを選びに行きます。

 

式場打ち合わせでは当日の流れをなんとなく作っていきます。予算で出した希望をもとに、実際にやるとどうなるかを考えて、違和感があれば付け足しや削除。あとはこの時に参列者が決まっていれば招待状の依頼もできます(やりました)。その他、参列者の衣装貸し出しや着付け、宿泊等の手配も大体の要望をこのときに。

 

7.指輪決定(4-3ヶ月前)

指輪もなんとか決めなきゃいけないな〜と思いながら4ヶ月前まできてしまいました。

事前に調べたのは、指輪の価格相場やどんなデザインが好みか、などです。好みのデザインがありそうなブランドをいくつかピックアップして比較しました。…というのは嘘で(いくらか本当ですが)、伴侶がまったく選定に乗り出してくれないので私が式場相談のときからカタログを集めたりして検討材料を拾ってまいりました。私の伴侶がしたのは見に行くブランドを決定することとその根拠を考えることです。

 

因みに当日見に行って、1時間ほどで決定〜購入まで至りました。即断即決。

 

まだやっていないことリスト

入籍

だらだらしている場合ではない。免許・パスポートの書き換えやらが発生するので面倒です。

旅行先確保(宿など)

これもそのうちやらねばいいところがなくなってしまう…。

 

結婚式(関連)のやることやらないことリスト

結婚・挙式というイベントは選択の連続です。

女性の希望が優先される場面が多いようですが、基本的には親族や伴侶の意見や同意があってのことですから、大掛かりであればあるほど他人の意見やスタンダードを取り入れていかねばならなくなるなあといった印象があります。

なので、前回記事の時も少し書きましたが、「取捨選択」めっちゃ大事です。なにが自分たちにとっての優先事項なのかを決めておけば、伴侶がいないときでも伴侶の意見を汲むことができます。

 

では、実際にやったことやらなかったことについて。

1.親族関連

×結納 ◯顔合わせ

互いの親族に紹介のない状態だったので、顔合わせが必要でした。お互いに既知であれば結納までやることもあるかもしれませんが。

このあたりは結婚が決定していればいつしてもよいことなので、いつでもよいかとは思います。時間が必要であればお早めに。

 

◯お祝い返し

予想外にお祝いがたくさんあったので、やる必要が出てきました。まだプランがないので思案中です。

 

2.式場関連

式場探しにあたって大体必要だった意思決定諸々。

◯神前式 ×人前式 ×教会式 in京都

2人とも寺社仏閣が好きで、京都奈良に縁が深いからというのもあり神前式にしたのですがあとは洋服が似合わないからというのも…。

海外挙式、リゾート挙式にしないというのも前提にありました(面倒くさいから)

 

◯前撮り ×ロケーション撮影

ちょっと悩んではいたのですが、式場のパッケージが便利だったのでそれにしました。

 

◯家族会食 ×披露宴

家族関係が複雑なのと、披露宴やると随分大掛かりで大変なのと諸々職場への義理が発生するのが嫌でこうなりました。この辺りの意見のすり合わせは大事ですね…

 

3.その他

◯結婚指輪 ×婚約指輪

アリになったので考えなくてはならなくなった。まあ指輪なしとかも普通にあり得るので。婚約指輪がなかったのはプロポーズとかいう儀式がなかったからです(同居、婚姻への意思確認という感じでした)

 

◯入籍 ×プロポーズ

籍入れるかどうかもそりゃあ判断いりますよね。むしろウチは危うく入籍だけになるところだったのですが、我が父の鶴の一声で全部やることになりました。まあ私もやりたくはあったのですが、実際やると結構手間だし面倒なので挙式や披露宴をなしにするとか、2人だけの挙式とかもありやなあと思います。昔と違って家族観も随分複雑ですしね。

 

◯新婚旅行

これも当初はなしの予定だったのですが、むしろ今行かずにいつ行くねん、親族に気兼ねなくできるのって旅行くらいちゃうんか?と伴侶に問うてみたところ国内温泉旅館とかなら行きたいとのことでしたので、ぼちぼち探しております。

 

そんなわけで今回はここまでです。

〜当日編はやるかもしれないしやらないかもしれません。でもいつか書きそうです。

100冊読破 5周目(61-70)

1.メルロ=ポンティ―可逆性(鷲田清一

メルロ=ポンティ (現代思想の冒険者たちSelect)

メルロ=ポンティ (現代思想の冒険者たちSelect)

 

メルロ=ポンティの哲学はケアにまつわる人ならわかることがたくさんあると思うし、それでいてあらゆる面で応用分野というわけでもなくあくまで哲学の流れに基づいて認知的・知覚的なことを説明してくれるので非常に馴染みがよい。そういう意味では鷲田清一氏本人の言説は雑味が多い。

また、鷲田氏は本文のなかで「他の哲学者については語ることがあるが、自分がもっとも研究してきたメルロ=ポンティについて語れることは少ない」とも述べている。その人生について残っている資料は少ないそうだが、幼少期から青年期までの思想の関わり・激動の時代における立ち位置なども序盤で紹介されている。

 

フッサール現象学を学んだとはあるが、現象学的ではない(どちらかといえば実存主義にも近い)その概念の展開も改めて学び直しとしてよいと思う。フッサールは今後読む予定があるので、比較して楽しんでみたくもある。

 

2.アメリカ大都市の死と生(ジェイン・ジェイコブズ

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 

ニューヨークのある区画に住んでいた人間が、当時の大規模な都市開発を辛辣に批判した文章。

 

これに関してはちょうど映画が上映されていたので観てきました。

本書の中には著作権の関係上、図面が含まれていないので、映画で使われた映像や図が大変助けになります。

ヤン・ゲール「人間の街」、エドワード・ホール「かくれた次元」などがこれを参照している理由がよくわかります。2年前に読んでおくべきだったかもしれないと思うが、今読めばむしろ安易に迎合せず批判的な視点で読めてそれはそれでよかったかもしれない。前半部分は些か冗長でありますが。あくまで「市井のひと」による本として、ここまで後世に学術的にも価値あるものとして残るのなかなかないでしょう。本人はジャーナリストであり、アカデミアにいることを嫌った人だったようです。実際招聘なとの話もお断りしたそうな。

結構読みづらいのですが、なぜ読みにくいかというと彼女がそもそも論述のために本書を書いていないからで、全部で22から成る都市への言及は当時行われた都市計画に対する批判と、都市の構成要素の記述でてきているから。読むには疲れるが、喋りを聴くにはいい文章だと思います。


3.ヘーゲル現代社会(寄川条路)

ヘーゲルと現代社会

ヘーゲルと現代社会

 

チャールズ・テイラーによる「ヘーゲルと近代社会」のもじりかしらと思いますが、この著者による「ヘーゲル現代思想」の続編でもある解釈本です。説明ではない。同著者の入門本があるのですがそちらは読んだことないです。

面白かったのは4-5章。4章は悲劇「アンチゴーヌ」をテーマに、神学における女性の権利と人倫における権利、また罪ではあるが処罰にはならないことについて、処罰を加えた場合の社会的影響を論じる。これちょっと面白いなおもいましたね、即応用は難しいところがありますけど。そして5章は今話題のマルクス・ガブリエルのヘーゲル批判とその根拠を解説したうえで、むしろガブリエル氏の論の展開がヘーゲルの哲学体系に準じているところを指摘する。勿論全部ではないけれども。新実在論、思弁的実在論もうちょっとやっていきたいので足がかりとしてよかったかなと思います


4.生物圏の形而上学ー宇宙・ヒト・微生物ー(長沼毅)

生物圏の形而上学 ―宇宙・ヒト・微生物―

生物圏の形而上学 ―宇宙・ヒト・微生物―

 

あとがきにもあったが、一般人向けの本と学術書のあいだを目指した本。多分Twitterで仲良くしていただいている方に1年ほど前にオススメされたのである。確かに読みやすい。高校生程度の生物の知識があれば読める。一部の人類学、環境、微生物、生理学とかの知識があるとなお良い。形而上学とあるものの、日々バリバリの形而上学を読んでは心折れている身としては本書はむしろ仮説形成(アブダクション)の話だと思った。極限環境微生物についてはニック・レーン「生命・エネルギー・進化」を読んでいるとそんなに目新しいものはない。霊長類の歴史も通説になってきたなと思うところをわかりやすく書かれている。自分が知らなかったのは、「微生物はなぜ小さいか?」ということ。9章の最小サイズの微生物の系統を発見して、あまりに小さいゆえにRNAの欠損があるよみたいな話が出てきます 全然知らなかったです。オススメ本です。


5.フッサール〜心は世界にどうつながっているのか(門脇俊介

フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

 

フッサールを理解するためにフッサールを読むのは超遠回りということを明確に実感した…。

論理学研究の内容についてかなりページを割いて説明されていたんだが、フッサールが意味論的にかなり重要なポジションにいるのこれでやっと理解した感じだしフレーゲとの対比で書かれているのもなるほどといった感じだ。メルロ=ポンティと全然違うことない?と思うのは、メルロ=ポンティが今で言う行動主義的な心理学から志向性を観察しているのに対してフッサールは言語の意味からその発露をたどっている感じがした、比べるようなものでもないのだと思うがアプローチが全然違う。

とはいえフッサールが論理学研究を提出したのはフロイト全盛期(フロイトが「日常の精神病理学」を出したのと同じ年)なので、心理学的な部分に関しては見方が違って当然かもしれない。

 

6.「待つ」ということ(鷲田清一

「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)

 

多分この文章を、高校の時に読んだことがある。全部ではないけど、現代文の評論としてか。ただ今にしてみれば結構粗雑な文章が続くところもあって、「メルロ=ポンティ」とかと比べるとおざなりである。目が肥えてしまった。

 

7.明日の田園都市(エペネザー・ハワード)

新訳 明日の田園都市

新訳 明日の田園都市

 

100年前のイギリスの都市計画と都市経済の本。当時のイギリスの世相とか公衆衛生を反映している。今参考になるかと言われるとそのまま参考にはならないのだが、考え方の一助にはなると思う。過密をきらって都市郊外を効果的に構築する方法としての「田園都市」なのだけど、そこは置いといてもいい。

都市の歳入の確保と歳出については、多分いま日本の地方(地方都市ではなく地方都市周縁)で自治体単位でなく経済活動が生まれる範囲内でも使える考え方だろうなあと思うんですよ。新しく構築するんじゃなくて既存のものの流用の仕方という意味でですけど。この本を2年前から読みたいと思っていて、先般映画まで観たジェイン・ジェイコブズ「ニューヨーク アメリカ大都市の死と生」で盛大に批判(批難)されていたためにかえって読む気が強まったほどなのですが、彼女にそこまで悪し様に言われるような内容ではないと思います。訳者もそう書いていましたが。

何が問題であるかというと、本書の中では過密がすべての悪であり、それを解消すれば経済も治安も公衆衛生も軒並み(過密状態よりは)改善するように書かれていることです。そもそもスラムは解体すればよいというものでも、地価が安定すれば解消するものでもないということは明白です。小規模(2-3万人)の都市の経済的・福祉的メリットを述べるのが本書の目的なのですが、たしかにこの公衆衛生や治安の問題はそう簡単ではないので(往時に較べればマシかもしれなくても)ちょっとなあと思うところはありました。あと移住というか新設に伴う破壊のダメージも論じられていません。もちろんジェイコブズのいうこともかなり不適切なところはあり、また本書の目的を完全に理解していないなと思うところはあります。この計画の評価をするには、実際にレッチワースの都市「外」との関係や、構築前後の環境を時系列で考える必要があるでしょう。

 

8.タタール人の砂漠(ディーノ・ブッツァーティ

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

なるほど、人生。という感じの本。久々の小説です。

この本もまたTwitterで教えていただいて読んだのですが、時代の流れと、時代に飲み込まれるひとりの人と。

 

9.無限論の教室(野矢茂樹

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

 

ああやっぱりすごいです面白いです。

数字に(数学の概念に?)興味を持ち始めたらさらに面白いです、線とはなにか、有限と可能無限と実無限の話でこんなに盛り上がれるとは…とも思いましたし、最初のアキレスと亀のくだりからゆっくり無限論についての議題に引き込むあたり(あとモデルとなった先生がちょいちょい笑いを挟んでくる)、物語のように無限の事情を読むことができて楽しいのです。

これ、万人にお勧めしていいかはともかく万人にお勧めしたいです(結局するんかい

 

10.飲酒の生理学ー大虎のメカニズム(梅田悦生)

飲酒の生理学―大虎のメカニズム (ポピュラーサイエンス)

飲酒の生理学―大虎のメカニズム (ポピュラーサイエンス)

 

「ポピュラーサイエンス」と銘打っているだけあってポピュラーサイエンスでした。そして20年前の本なので確かに古い知識も多い…C肝治療がインターフェロンしかないあたりとか。あとはまあ栄養・生化学を扱う全般に言えることかもしれませんが疫学的なことに関しては交絡因子が多いために今では否定されたこともまるまる書かれていたりはしました。まあ飲酒の生理だけあって、酒場で話半分にな…らない程度です。医療職がしたり顏でいうと笑われちゃうやつです。

このシリーズ、かなりの量があるようですがタイトルだけでだいぶ怪しいのがたくさんあったので(飲酒の生理学も勿論怪しい)、なるほどなという感じです。

100冊読破 5周目 (51-60)

1.経営組織論(鈴木竜太)

経営組織論 (はじめての経営学)

経営組織論 (はじめての経営学)

 

 

トップバッターなのに全然記憶にない。前回お出しした「人的資源管理」の方がよいと思うし、網羅的教科書としてはハッチの組織論のほうがずっと優れているので読み物としての価値くらいかなと思います…

 

2.3.エチカ上・下(バールーフ・デ・スピノザ

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

 
エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

 

私はここに誤謬とは何であるかを示す手始めとして、次のことを注意したい。それは、精神の表象はそれ自体において見れば何の誤謬も含んでいないということ、言いかえれば精神は物を表象するからといってただちに誤りを犯しているのではなく、ただ精神が自己に現在するものとして表象する事物についてその存在を排除する観念を欠いていると見られる限りにおいてのみ誤りを犯しているのであるということである。

 

観念とは、精神が思惟する物であるがゆえに形成する精神の概念のことと解する。

【説明】私は知覚というよりもむしろ概念という。その理由は知覚という言葉は精神が対象から働きを受けることを示すように見えるが、概念はこれに反して精神の能動を表現するように見えるからである。

 

人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れているのは、物の認識に基づくよりも偏見に基づいていることがわかる。ーバールーフ・デ・スピノザ「エチカ」第4部 人間の隷属あるいは感情の力について

 

2年間ずっと積んでいたがようやく読み終えた。2年前といえば初めての読書会のためにこの本を購入し、そして日程があわないまま読書会自体も絶えてしまい、自分は聴講でさえ1度しかやらないままこの本を読めずにいたのだった。ごく僅かの理解と、そして少しの比較ができる。デカルトを読んでいたときにも思ったことだが、ここで言われる「神」は「真理」と置き換えるとほぼ正当な意味として受け取ることができる、いまいち神という語彙がしっくりこない。もともとの宗教観を時代背景とともに共有していないので、正しくはなかろうが真理として捉えたほうがうまくいく。(特に第1部は神の解体に焦点がある)

 

エチカはその名の通り倫理学なのだが、感情のシステムに言及する第3部は第3部そのものにおいてはデカルトの情念論と似たものを感じる。けれども第4部について意識の座なるデカルトの「松果腺」に対して、スピノザは一元論的立場をとる。感情に善悪の判断を与えるのは、神に物理的のみならず道徳的完全性を賦与するために読めてしまうんだがスピノザのいう神ちょっとよくわかりません(それはこの本のすべてを理解できなかったというのと同義である)。が、知性そのものに道徳的に善という属性を与えたのは功績なんだろう…という。ラッセルの「幸福論」読んだときにも思ったことですが、道徳の議論にあれこれ持ち込みすぎなようにも思うし道徳のあらゆるパターンを考えるのはほぼ不可能に近いと思うのでこういうタイプの倫理全体的によくわからん、もっと先代の倫理にあたるべきか。

 

4.新編 普通をだれも教えてくれない(鷲田清一

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

 

新聞や雑誌への寄稿集。些か穿ちすぎではないかといくらか思う文脈もあるところが鷲田氏らしいが、もっともっともっと肩に力の入った文章の方が私は好きだ。言いっ放しはきらいだ。

高校(より前か?)の頃から読んできたのでこの人のエッセイは読み慣れない。せめて評論に値する形式にしてほしい。多分価値観が剥き出しなのが肌に合わんのだな。エッセイですね。エチカがしんどかったので肩の力を抜こうとしたら抜き過ぎました。

 

5.ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

 

「リハビリの夜(未読)」の著者である熊谷氏の対談本。絶対この方どこかで…と思ったら、佐々木正人著「知の生態学的転回2: 技術」の中にこの方の「依存の分散」や「介助される身体の応答」の記述がありました。著者ご本人が脳性まひでありながら小児科医をされている。当事者としても研究者としても、身体と自我の関係性・自己の身体と他者の関係性・自我と社会の関係性など自分にとって示唆に富んだ文章を残してくれています。書籍としては「知の生態学的転回」の方がよくできているかなと思いますし内容も一部かぶるので、2冊とも読む必要はないかなと思いますがこちらの本の方がとっかかりとしては楽です。

 

6.医療につける薬:内田樹鷲田清一に聞く(岩田健太郎

息抜きその2。絶対気にくわないだろうなと思って読んだんけど意外といい本だった(と思ってしまった)。別に自分そのものにとってありがたい話も新規に必要な話もなかったのだけど、このタイトルでこの3名であることで、非医療職の人が手にとってくれないかなあとかいう邪な考えが脳裏を過った。

 

7.ケアの宛先(鷲田清一 徳永進

ケアの宛先

ケアの宛先

 

今度はわりと鷲田氏が聴く会でござった。医学書院の「しにゆく患者と、どう話すか」はがんに絞っていましたが、こちらは在宅医療でそんなに的を絞りません。あと対談なので議論が緻密ではない。ゆるゆるです。息抜き第3弾(どれだけ息抜きしたいのか)。

 

8.経済学の歴史(根井 雅弘)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

 

ケネーにはじまり、アダム・スミスリカード、J.S.ミル、マルクスメンガーワルラス、マーシャル、ケインズシュンペーター、スラッファ、ガルブレイスを辿って経済学の諸概念と学者個人の来歴・理念、重要概念と著作について説明してくれる本。経済学を概観する本が読みたいといったらフォロワー氏が教えてくださいました。これと放送大学「経済学入門」を行ったり来たりすると楽しい気がする。ビジネスマン向けの経済学の棚に行くとどうしても今やはりのマネタリスト向けっぽいやつが多いんですが、自分は福祉の経済とかミクロの経済もやりたいので色々読む必要があるのです。しかしまあ細かい理論的なとこほんまわからんちんなので現代経済学に徒手空拳で突っ込むことのないようにという程度です。社会科学的価値に関するコメントが各説に設けられているのは個人的にめっちゃありがたかったです。経済史はいいな。世界史には傍流も伏流もたくさんある。

 

9.知覚のなかの行為(アルヴァ・ノエ)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

 

ものを見ることは絵を描くことに似ているーアルヴァ・ノエ「知覚のなかの行為」

メルロ=ポンティの知覚の現象学を伝承したような身体性と知覚の関連を示す本、認知哲学というより認知心理学よりであまり認知神経科学唯物論には与しない。ただしクオリアのような心の哲学よりかなり実践的で、かつ特殊ケースには言及しない。これが感覚-運動的知識の成立を可能にしていると思う。本書でつよく打ち立てられるのは「エナクティブ・アプローチ」、ギブソン生態学的知覚論や先述のメルロ=ポンティを引き継いで人間の触覚-知覚関係を明らかにすることで知覚する世界の成立を提示する。因みに途中、センスデータ説は勿論きちんと潰していく。

とりあえず世界の成立が環境の安定と経験からのトップダウン処理と感覚のボトムアップで常に動態的にできているよっていうのはうれしい説明であると思うのですが自分は結局科学も哲学も理解はしていないので本書が心の哲学にどう参与できるかとかは考えてもよわよわです。

 

10.外国人看護・介護人材とサスティナビリティー持続可能な移民社会と言語政策(宮崎里司 他)

 

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

 

放送大の授業「移動と定住の社会学」が面白かったのでなんとなく手に取った本やったんですが予想以上に面白かった。

EPA経済連携協定)により看護師・介護士等ケアワーカーとしての資格取得を目的としたビザが発行されるようになり10年。外国人ケアワーカーに求められる日本語能力の困難さとそれぞれの事情や制度を取り巻いて起こる問題等。

中の人として思うことですが、医療・福祉の現場では言語的コミュニケーションが必要となる場合が非常に多いです。ケアの対象とのコミュニケーションはさることながら、協働者との打ち合わせ・申し送り・報告など短時間で意思疎通し決定まで導かなければならないなど言語的能力は高いものを求められます。

外国人として就労するだけでもかなりの困難があることは、「移動と定住の社会学」からも読み取れます(外国人技能実習制度等、単純労働を禁じていても結局受け入れ側が個人の時間当たりの労働力が欲しいだけの場合の軋轢など)。そこに加えて日本語で国家試験を受けることの困難さが加わります。資格を取ろうが取るまいが言語の壁は容赦なくありますが、そうした問題提起にとどまらず本書では個別のケースを比較してどの要素がプル・プッシュ要因となったか質的記述がみられます。また個人的に面白かったのは看護師の役割(日勤・リーダー・フリー)による言語的コミュニケーションの質の違いです。対象、内容、喋っている時間に振り分けてコミュニケーションの質を分析しますが、これはむしろ外国人労働者の受け入れにあたりというより本国の看護教育に還元できると思います。それほどまでに現場のコミュニケーションは煩雑ですしエラーの元になりやすいです。10年で受け入れ者は5000人に満たず、さまざまな事情から国内にケアワーカーとして止まるケースも少ない中、労働者として今後移民を受け入れざるを得ない場合の対応は確実にこちらも柔軟さを求められています。そして彼らを受け入れる準備ができるということは、ある程度組織の冗長性確保につながります。

政策の是非はともかく、世界で有数の長寿社会になったからにはどうあがいても国自体が介護のモデルケースとして(いい意味であろうと悪い意味であろうと)扱われていることは本書の中でも触れられています。この辺りは今後授業でぼちぼちとっていくつもりなんですが。あと個人的に「やらんかったんかいもったいない」と思ったのはEPA内での交換留学ですかね。日本がそもそもケアワーカー養成のための高等教育を整備しきれていないこともありますが、手探りだからこそ他国で学んだ人を自国に返すの大事だと思うんですけど…学生のうちにできることやって欲しいですし。

 

10.

放送大学2018年度前期授業評

毎回やっている(やることにした)放送大学の科目履修の感想と、来期以降の履修計画です。個人のメモ書き程度。

講師陣は敬称略でご紹介しています、すみません。

 

心理系科目

専門)錯覚の科学(’14)菊池聡 評定:A

認定心理士の要件で唯一残っていた科目をようやくとりました。

認知心理学とよく似た内容なので正直これを別建ての科目にする必要はあったのか...と思ってしまうんですが、視覚に特化して錯視のメカニズムはさらに詳しく書いてあったかと思います。較べると、認知心理学は心理全般なので社会心理学における認知みたいな内容まで含まれます。錯覚の科学のほうが、「騙す手法」の物理的な面まで説明がありました。関連書籍は大量に読んであったので特になにか特別な対策をしなくてもAでした。

 

情報系科目

前期はあまりとっていなかった情報科目が増えました。単純に興味があるのもありますし、エキスパートプランの中に欲しいものがいくつかあるのでそれと関連させて。

専門)ユーザ調査法('16)黒須正明高橋秀明 評定:C

UI・UX系の測定どうやってやるかとか結構この本詳しいです。認知心理の内容も多分に含んでいましたが、認知科学・工学に至る内容や産業と絡む問題も含んで紹介されていていい教材だったと思います...成績が悪いのは単なる勉強不足です。

専門)コンピュータと人間の接点(’18)黒須正明・暦本純一 評定:A

上記のユーザ調査法とかなり似ていますが、計算機と人間の処理の違いや特徴などに特化した科目です。導入としてはこちらのほうがやさしく、馴染みやすいかなあとは思います。

導入)デジタル情報と符号の理論(’13)加藤浩 評定:C

これが今回いちばん苦労した科目です、持ち込み可能だったんですけどめちゃくちゃしんどかった..高校のとき数列も怪しいし行列はまったく手つかず、微積分もやっていないので教科書を隅から隅まで読んで過去問といて試験やりました、確実に落ちたろうと思っていたけどなぜかひっかかって単位を得てしまった。

信号・符号の伝送に関する話で情報のエントロピーとか間に挟みつつ今はやりのブロックチェーン技術がどうやってできているかみたいなところまで知れます、楽しいですが数弱には大変厳しい科目でした。これで終わったとはいわせない。

総合)進化する情報社会(’15)児玉晴男・小牧省三 評定:A〇

ICTの仕組み(ネットワークシステムの構築、地域におけるインフラ整備)からはじまり企業・行政における利用の実際、応用分野への展望という感じのいかにも総合科目らしい科目です。試験は持ち込み可だったのでA〇でした。

社会と産業系科目

今期いちばん多くとったコース科目。これでエキスパートプラン「社会探究」がほとんど揃いました。

導入)社会調査の基礎(’15)北川由紀彦・山北輝裕 評定:A〇

心理でいうところの「心理学研究法」のような感じの科目です。フィールド調査の倫理や測定方法についてなどなど... このあたりは心理学研究法とかぶる部分もあり、統計は嫌というほどやっているので試験が簡単なのもありおそらく全問正解したと思います。

導入)経済学入門(’13)西村理 評定:A〇

今期2番目に頑張った科目です。内容を理解したかという意味では1番頑張ったような気もします...持ち込み可の試験なんですが、過去問も難しいし教科書も入門ながらはじめて出会う内容も多くて難しいなあと思った覚えがあります。というか出題の仕方がちょっと難しいのもある。試験前せっせと頑張った甲斐があり評定はA〇でした。ちょっと嬉しいです。

導入)社会統計学入門(’12)林拓也 評定:A

前回の雪辱を果たしました...!持ち込み可なのに心理統計の勉強ばっかりしていて疎かになっていたため落としてしまったんですが(そして既に18年度の新しい授業がある)、試験日程が許したので受けました。無事にAでした(多分回帰分析の何かの計算を間違えた

専門)移動と定住の社会学(’16)北川由紀彦・丹野清人 評定:A〇

教科書を読んで今期いちばんよかったなあと思った科目がこちら。移動と定住、響きだけで選んだ面がなくもなかったのですが(あとエキスパートプランの必要条件だった)、移民政策の困難や外国人労働者の在り方についてはこの本で色々勉強になりました。移民だけでなく自国の労働力についても述べられていて教科書としてよくできていた印象です。

専門)都市と地域の社会学(’18)森岡淸志・北川由紀彦 評定:B

こっちは都市社会学です。ジンメルとかからはじまりシカゴ学派を経てほにゃほにゃ。本当はこちらほうが興味ある科目だったはずなのですが他の科目にかまけてあまり教科書読めていなかったので試験が難しかったです(そりゃそうだ

専門)産業とデザイン(’12)A〇

これも前回の雪辱を果たしたもの。評定A〇、何があったんやと思いますが特別な勉強はしませんでしたね...。ちなみに同名の科目はなくなってしまい、18年度からは「住まいの環境デザイン」というものが新設されています。

 

認定心理士について

再履修(社会統計学入門)も無事終え、新しい単元(錯覚の科学、ユーザ調査法)もとりました。あと面接科目「心理実験1」「臨床検査基礎実習」の2科目も受けて今回の半期は本当に結構忙しかったんだなあと思っております。しんどかったですがなんとかなりました。

これで、最低限の要件を満たすために必要なのは面接科目「心理実験2」のみです。日程の関係上受けられるかどうかはまだわからないのですが、放送大の卒業とこれをもって日本心理学会認定心理士となることができます。臨床心理士や公認心理師ではないので、業務に活かすことのできるものではありませんが、心理全般を広く学習したことを客観的に証明できるといった程度でしょうか。

 

来期とる科目

地域福祉の現状と課題(’18)

社会福祉の国際比較(’15)

社会福祉実践の理論と実際(’18)

社会保険のしくみと改革課題(’16)

家族と高齢社会の法(’17)

---このあたりまで全部福祉系

 

現代経済学(’13)

身近な統計(’18)

コンピュータとソフトウェア(’18)

入門微分積分(’16)

---こっちがエキスパートプラン用科目

 

何気に微積分入っているんですが自分はついていけるんでしょうか。がんばれ。

あと身近な統計は最初にとれよと言われそうですが試験のスケジュールにあわせて授業を取っていることもあり、ちょっと仕方ない部分もあります...

 

看護学の学士・放送大学修士課程について

来期の授業をこうすることで、看護学の学位取得がわりと目の前に迫ってきました。上記以外に指定の科目の中からあと2科目取得すると、学部卒業による教養の学位取得に加えて看護学の学位を学位授与機構に申請することが可能です。手続きがちょっと面倒で、これ以外に学習成果のレポートを提出しなければならないのですが、これ自体はなんとかなるかと思います。と、いうわけで来期が終わると卒業ですが、科目履修生として学部の他科目を履修しながら学位申請の準備をしつつ、放送大学修士課程全科履修生入学を考えております。コースはまだちょっと悩んでいますが...。ちなみに放送大は、学部は入試がありませんが修士課程は院試があります。来年夏。

 

エキスパートプラン

1.現代社会の探求 2.人にやさしいメディアのデザイン

残り「身近な統計」「現代経済学」のみで最短の取得可能。卒業時に申請できそうです。

3.計算機科学の基礎

来期の授業も含めて単位取得すると、あと5科目ほどで申請できます。「社会数学」と必要単位・受けたい授業がちょっとかぶっているのでとろうと思っています。

4.数学と社会

来期の授業をすべて単位取得した場合、「入門線型代数」を履修すると完成するプラン。数学ができるかは・・・わからん・・・・

5.データサイエンス(新設)

作られた時点で既に必要単位を半分ほど満たしているため、3の計算機科学の基礎とかぶる部分を履修してこちらも取得するのはアリです。別にプランを集めているわけではないのですが...こうも手広く学んでいると一体なにに興味があるのかブレてみえがちかなあと思いまして、名前のあるものを選んでいます。

100冊読破 5周目(41-50)

 1.なぜ世界は存在しないのか(マルクス・ガブリエル)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

私たちは世界像という観念を手放すことができますが、だからといって科学も手放さなければならないわけではありません。むしろ、すべてを説明しなければならないという要求から、科学を守らなければなりません。そのような要求に応じられるものなどないのです。

哲学なんぞに触れたこともございませんわという人でも多分読めるので手にとってみて欲しいと思うなどしました。特に科学と哲学、宗教と哲学、芸術と哲学については短いのにこれまでの来歴への批判と著者の見解がきっちり述べられていてよい。自分はダニエル・デネットリチャード・ドーキンスのような積極的(攻撃的)無神論が好きではないのですが、概ねここに書いてあるものと同じものです。また、科学に関してもメルロ=ポンティ「見えるものと見えざるもの」以上に慎重に捉えられていて嬉しいです。

 

2.徳について 1 意向の真剣さ(ヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ)

徳について〈1〉意向の真剣さ

徳について〈1〉意向の真剣さ

ある価値判断をするとき、判断される人間がただ単に目に見える形、手に触れうる形で行ったことだけではなく、それを行うためにしなければならなかったが、目に見えず手に触れることのできないものも考慮しなければならない。その人間がそこに到達するために辿らねばならなかった長い道、乗り越えなければならなかった障害、打ち勝たねばならなかった抵抗、その人間の動作が表象する、ときとして悲痛な犠牲だ。言い換えるならば、ただ単に到達している点だけではなく、どこから来るか、どこを通ったか、どのような懐疑、試練、幻滅の循環を経過したか考慮しなければならない。ーヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ「徳について Ⅰ 意向の真剣さ」

 

《感覚》器官が、局所的な反乱によって健康という至福な麻酔状態を破って苦しませる器官であるのとまったく同じように、《患者》は、苦しむことのできる者だ。享楽に耽る無頓着さは、相互に相殺しあった力の均衡にほかならず、まったく不協和音がなく、どの音も遊離せず突出しないコーラスであって、ーー気遣う意識が《安楽な存在》と呼ぶものだ。(中略)しかし、呼吸し、自由であり、若く、あるいは、健康であること以上に、《存在する》ことになんら直接の、積極的な、特殊な喜びを感じないのは言うまでもない。平和、自由、青春、健康、ーーこれが我々の不幸の四つの治療薬であり、回顧するとき、それぞれ幸福の四つの根幹だが、戦争、隷属、老い、病気によって奪われたときにのみ味わいがある。

 

楽観主義者は、試練で損なわれた自分の幸福を飽くことなく総計する。なにものにも意気込みを削がれることのないこの再生ないし再構成は、生体の形をとることがある。それを《順応する》と言う。この点では、我々は本当にゴム状の意識を持っている。抱負を狭め、自分の弱さに合った生活様態を採用しさえすれば、耐え凌げないものがあろうか。隔離され、籠もりきって、病院のベッドのうえで、音楽もなく、そして、愛もなく、この上なく哀れむべき不幸な人間は(運命の苦い皮肉ではないだろうか)結構幸福な自分を見いだし、不幸への自分自身の調整のうちに思いもよらなかった勇気を発見するが、この勇気は、絶望に対して免疫となった生きる人間のやむをえない生存能力にほかならない。

 

「考えながら行動し、行動しながら考える」とは、ベルクソンが好んで喚起した言葉で、ジャンケレヴィッチもこのベルクソンの言葉をしばしば援用し、これこそ叡智の定義だといっているが、また、ベルクソン は人の言うことではなく、することを見よとも言っている。ジャンケレヴィッチは、さらに"する"ことに人間の真の道徳的使命を発見した哲学者と言えるだろう。"する"のとは、ジャンケレヴィッチの倫理学の根幹をなすと言うことができる。たとえば、主知主義は、善なるものがあり、この善は良く、この善をしなければならないと言う。つまり、真理を考えるいかなる思惟がなくても真実である真理が存在し、他方、中立で無気力で基本的に受身な意識を想定する。しかし、ジャンケレヴィッチは、善はしなけらばならないなにか、したがって、まさにするべきなので、存在しないと理解しなければならない、と言う。人間は、しなけらばならないことがあることは知っているが、なにをしなければならないかは知らない。善は、事前に存在するものではなく、良くすることによって創造されるもの、つまり、善は、これをする意志なくしてはまったく実存しないという。徳に対するジャンケレヴィッチの姿勢の根底には、一貫して、このような意識のダイナミズムの確認がある。しかし、他方、ジャンケレヴィッチの人間観の根底には、死に宿命づけられた有限で半開の"不条理な"人間の生涯は"唯一回"であり"独自存在"であって、結局、事後に"存在した"といういわば完了形でしか表現できないという厳しい認識がある。ー仲澤紀雄(訳者あとがき)

 好きすぎて引用し過ぎました。すみません。

というかあとがきの引用があまりに秀逸でもうこれ以上いうべきことがない気がします。徳と愛、「徳について」では才覚や芸術への感覚などを含めた広い分野を扱っていましたが、こちらはどちらかというと徳倫理学的な本でありました。中身をしっかり読めているかと言われると全然です

 

3.ゲノムで社会の謎を解く―教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで(ダルトン・コンリー、ジェイソン・フレッチャー)

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで

 

社会学(特に貧困・厚生についての疫学)の教授と経済学(こちらも開発経済学等応用分野)の教授の共著です。集団における遺伝学的影響を環境と比較して考察していきます、あと証明できることの限界についても書かれており、ニコラス・ヴェイド著 「人類の厄介な遺産」のような片手落ちには止まらんぜという苦節が見えます。

医学・進化生物学あたりに詳しい方は既知の内容が多いかもしれません。

 

4.生成文法を学ぶ人のために(中井 悟)

生成文法を学ぶ人のために

生成文法を学ぶ人のために

 

生成文法の方法論について少し掻い摘んでといった具合で、あくまで導入ながら難しさは極力省いて「それによって何がしたいか」「何がわかるか」「意味論、語用論とどう接続するか、どこが違うか」を解説してくれる感じです。

生成文法の入門書とか詳しくないどころか入門するつもりもそんなにあるわけではないんですが、文法構造からどんなものを読み取っているかを逆行的に理解するの面白いなと思いました。

 

5.デリダ 脱–構築の創造力: メタポリアを裁ち起こす(中田光雄)

デリダ 脱?構築の創造力: メタポリアを裁ち起こす

デリダ 脱?構築の創造力: メタポリアを裁ち起こす

 

高橋氏の「デリダ」は生い立ちや経歴も含めたデリダの思想の基礎となる部分や誤解されやすい部分を詳らかにする本でしたが、こっちはデリダの持ち出す主要概念からさらに発展させるのと、多少遡ってどの哲学者のどの思想を援用しているかに言及します。最終章でアポリア(≒袋小路)の集簇としてのメタポリアがでてきたくだりは面白かったですが、デリダの解釈でなくてもよいのではと思ってしまったのも事実。

 

6.言語哲学を学ぶ人のために(野本 和幸)

言語哲学を学ぶ人のために

言語哲学を学ぶ人のために

 

生成文法とどっち先に読むべきか悩んでいたのだけど、先に生成文法読んでおいてよかった(少なくとも統語論がなにかくらいは知っているのでそこで蹟かなくて済む)。

読書会でちょうど分析哲学についての話をしていたんですが、デイヴィッドソン、ダメット、クワインあたりがちょくちょく出て来て解説されるのは有り難いです、が、意味論の最後の方まったくついていけなかった。言語学的な意味論というより可能世界意味論がわかりにくい。様相実在論は1冊だけ本読んで、その他物理・数学系の本をそれぞれ1冊ずつ読んでいたので復習がてら読めたんですけど、哲学入門おける意味論いまいちよく掴めていなかったのか本書が難しいのか本当に内容が難しいのか。もう少し各論的な本を読んでおいたほうがよかった気がします...

 


7.記号論入門─記号概念の歴史と分析─(ウンベルト・エコ)

記号論入門─記号概念の歴史と分析─ (教養諸学シリーズ)

記号論入門─記号概念の歴史と分析─ (教養諸学シリーズ)

 

記号論理学について割かれたページは意外と少なく、記号全体(サインそのもの)についての網羅的内容でした。「言語哲学を学ぶ人のために」と併せて読んでよい感じ。

 

8.幸福の形式に関する試論:倫理学研究(マルティン・ゼール)

幸福の形式に関する試論:倫理学研究 (叢書・ウニベルシタス)

幸福の形式に関する試論:倫理学研究 (叢書・ウニベルシタス)

 

ある人が善き生を生きた〔と言える〕のは、その人が意欲したもののいくつかを為すことができて、その人の願望が実現された場合だけでないーーそれは不幸で荒廃した生にも言うことができるーー。それだけでなく、その人に出来たものまた出来なかったもの、その人にとって実現したものまた思い通りにいかなかったものにおいて、それにもかかわらず(多くの抵抗またはその欠如に対抗して)自分自身のイメージに従って生きられた生の針路を保持することができた場合、さらに、その人が生の過程のうちにその人の生の本質的価値を見て取ることができ、その過程の中で、固有な種類の悦びではないとしてもあらゆる(エピソード的で一時的な)悦びや苦痛の他に、自己信頼と世界信頼を保持できた場合にも、その人は善き生を生きたと言えるのである。ーマルティン・ゼール

 

生の持続の中でできる限り豊かな願望実現として理解された全体的な幸福は、個人的な生構想Lebens-konzeptionenの立案を共に含んでいる。というのも、生の経過の中で多少とも実現されるのは個別の願望ではなくて、願望の組み合わせだからである。合理的に相互一致でき、そのうえ非-幻想的な性格を持つ願望だけが善き生の時間を導きうる。こうして目的論的な考察から、善き生は一定数の目標の達成を目指してそれらの目標を追求することのうちに見出される、と結論づけられる。善き生は、願望実現の途上で有意味な生構想のうちに予示されるような仕方で演じられるのである。

 

今回の100冊の中で万人には推せないものの道徳哲学のうちとくに感情とか個人の規範となる倫理ではなく社会福祉環境倫理、グローバリゼーションに対する倫理のありようとしてかなり理想に近い議論がされていたように思う(自分が公共の哲学の領域が好きだからだとは思う

第二研究が本題(幸福と道徳のコンフリクトについて)だけど、第三第四も普通に面白い、とくに第三研究は応用倫理学の範疇に属しており、生命倫理・動物倫理が道徳の名宛人として、ないし道徳のパートナーとして提出する課題を検討する。ハーバーマスの著書は「公共性の構造転換」くらいしか読んでないんですけどやっぱり読んでおいて損はしなかったというか興味の方向性ははコミュニケーションと互恵性についての問題に帰着するので、この本を第二の出発点にしたい感じです(第一はどこだ?

 

9.アダム・スミスの動態理論(星野彰男)

アダム・スミスの動態理論

アダム・スミスの動態理論

 

アダム・スミスの経済理論について、バックグラウンドにある哲学の理念を解説し、後年のリカードやの批判に耐えうる思想を紹介(紹介?)する。

・・・が、私はそもそもスミスの理論を教科書でちょっと読んだ+道徳感情論を読んだくらいで、彼が哲学の分野で誰から影響を受けどの理念を援用しているかとかそんなに知らないんですよ、完全に白目剥いて読むだけに終わってしまいました。

 

10.経験から学ぶ人的資源管理 新版(上林憲雄)

経験から学ぶ人的資源管理 新版 (有斐閣ブックス)

経験から学ぶ人的資源管理 新版 (有斐閣ブックス)

 

組織論についてはロビンスの「組織行動のマネジメント」やハッチ「組織論」がもっとよく説明していたと思いますが、労働側と雇用側の関係を示した上で特に企業における労働者・その周辺の法整備・給与や能力評価の考え方を読めて良い本でした。最初は間怠っこしい。あと1部は別に読まなくてもいい