毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

死について: 死と関わることはそれまでの生と関わるということである

一人称の死、二人称の死、三人称の死について。

過去のツイートなどを引用、一部改変したため少し考えが拙い(専門職者として適切なグリーフケアができていない・倫理的議論が未熟である)などの問題はありますが、ここでは個人として、少し考えをまとめておきます。

 

死は生に意味を与える無意味である。ーヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ『死』より

 

三人称の死

倫理の話は好きだが、生命倫理にそれほど執心できないのは、多分議論の争点が患者や患者家族や、自分や同胞たちのこころとときに一致しないからだと思う。

私は働き始めてから今までに、1ヶ月あたり1名以上の死を体験し続けている。実にシビアで、若い人も亡くなる。ベストサポーティブケアも、さらに前景にあるアドバンストケアプランニングもうまく介入しにくい分野である(この点については現状の診療報酬制度や地域医療の問題が絡むので深くは触れないでおく)。

 

数週間前まで元気に歩いていた人が、寝たきりになる。寝たきりどころか、ときには人工呼吸器と昇圧剤でやっと命を繋ぐ状態になる。人が死ぬときには、いや死に行く人が死ぬまでの生を生きるには、周囲の多大なるエネルギーを必要とする。自分たちの手は、声や体は、最早本人のためだけでなく、本人を労わりたくとも手の触れ方もわからない家族のためにある。それは『死んでいくのだ』という受け入れ期間のためでもある。

そしてその間にも、我々は医療機器の管理とその他医学的管理をし、体に直接触る。弱っていく人間のケアから逃げることはない。24時間を見つめているし、呼ばれれば行く。呼ばれなくても行く。けれどまだ、それは死の準備のためでもないし、ましていつ亡くなるかは本人も医療者自身も明確にはわからない(こともある)。

 

そして、「痛い」とか「つらい」とか「苦しい」とか、「そばにいて欲しい」とか「手を握ってくれ」とか「足をさすって欲しい」とか、ほんとうは、そんなことだけではなにも解決しないねがいのために、ただ隣にいることしかできない時間に対する諦念が、その人が亡くなった少し後にどっしりと疲れを伴ってやってくる。勿論使えるものはなんでも使って対応してもこうなる(ときもある)。ケアにあたっているその瞬間は、必死なので疲れを感じることはあまりない。あの人かわいそうだね、とかなんとかしてあげられないかな、とか周囲と認識を揃えて(もちろんそれが仕事なので)やるんだけども、ケアをするひとの喪の作業はあとからひとりでこっそり行われるのだなあと働き始めて知った。

 

生命倫理の問題が自分に馴染みないのは、それが『死』という点でしか語られないからかも知れない。死ぬということは、その瞬間まで生きているということだし、死ぬということは、死んだ後にそれを受け止める周囲の人間がいるということだ。それがすっぽ抜けているというか、語られないままだとムズムズする。わかって欲しいなどとは思わないが、助かる見込みのない人をどれだけ私たちが丁重に扱っているかは、実際に見ないとわからないと思う。そして同時に悲しみに暮れてもいる。家族ほどではないにせよ、毎日歩いて会話をしていて昼も夜も見守っていた人が目の前で死んでいくのだ。悲しくないわけがない。しかし、仕事なので、生きている人間を目の前にしている間に弱音は吐かない。

 

そういうジレンマを、生命倫理がひとつの項で論じて解決できるとは決して思わない。倫理が現場をわかっていないなどと腑抜けたことをいうつもりはないが、人の死(そしてそれまでの生)は時系列で、そしてもっと多角的に、EBMとNBMを駆使して語られるものであって欲しいと思ってしまう。まあこれは個人のジレンマでありただの希望なのでなにかの俎上に載せられるような代物ではない。たまに苦しくてたまらなくなるけど、でも毎日働くことはできる。不思議だ。

 

 

二人称の死

身近な人の「死」を、未だに自分はきちんと処理できる自信がない。

患者を失うというのは自分にとってひとつの仕事の「終わり」であり、ふつうの退院にしろ死亡退院にしろそれはさして変化あることではない。違うのは「死」という厳然たる関わりの終わりであることだ。

 

父方の祖父は15年前に亡くなって、もう声も話し方も思い出せない。ただ、笑い方と体の「感じ」は覚えている。歩き方も。つまり視覚情報や動的情報、触覚は失われないのに、声の情報だけがぽっかりと抜けるのだ。
だから患者と関わったとき、声だけは忘れないようにしている。
それもいつか忘れてしまうかもしれないけど、それはそれでいい。生きていても忘れたりはする。むしろ名前なんてしょっちゅう忘れている。

 

身近な人に戻ろう。

 

「死」というものが比較的突然もたらされるものではない場合、存在はひっそりと隠遁するようになり、次第に活力を失い、家族のエネルギーによって生きるようになる(対象が生命である場合はこれは医療福祉職の手からも成る)。これが死へと向かっていながらも未だに死んではいないときの生である。この生の時間に、おそらく整理をつけ、しかしながら疲弊するため、「死」の訪れによってその重荷をおろすことになる。これは身近な人でも仕事でも大差あることではなかったりする。
その人の人生を背負っていたのを、永遠に休むのである。
自分の中のその人の記憶が更新されることがなくなる、これが便宜上の(生物学的な)死であると思っている。

 

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」を思い出すと、そこでは、強制収容所で働く男たちが家族について夢想している。絶望の中でわずかながら身近な人を想うとき、その「現在の」「実際の」生には言及されていない。家族も強制収容所にいるかもしれず、感染症の高いリスクと飢餓や低体温のリスクにさらされている。それでも「存在」が、彼らの心の中でわずかに希望を持たせるのである。

 

死と関わることはすなわちそれまでの生と関わるということである。


身近な人間だとこれを一瞬忘れてしまうが、この点に関しては三人称であろうが二人称であろうが変わらない点である。一人称のときにはこれが適用できないため、考えを変える必要があるだろう。

 

最後に少し、好きな引用をしておきたい。

 

人が出かけていくのは、そこに行くように駆り立てられるからだ。人は、他者が、彼または彼女が、ひとりきりで死んでいくことのないように出かけていくのである。敏感さとやさしさと共に動かされる人の手の動きのすべてが、他者を感受する力によって、その人に向けられた命令を感知する。人は、他者のために、そして他者と共に、苦しまずにはいられない。他者が連れ去られてしまったときに感じる悲しみ、いかなる薬も慰めも効かなくなったときに感じる悲しみは、人は悲しまずにはいられないということを知っている悲しみなのである。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より

同居生活2週間の記とか結婚式準備にまつわるあれこれ

情報案内記事ではないのでほぼ日記です。すまん。あと忙しくてこの2週間の記憶がないので忘備録を兼ねています。

 

お品書きはこんな感じです。ちなみに1番頑張って書いたのは結婚式準備編です。伝われ!

  • 同居にまつわるあれこれ
  • 家計管理・スケジュール管理(生活リズム)について
  • 結婚式の準備
  • 転居後起こったトラブル編

同居にまつわるあれこれ

1.転居準備~転居後までのスケジュールについて

結婚相談カウンターとかに行くとつっこまれるのだけど、諸々の都合上、転居が先になったのです。が、結果的に現在はやりとりがしやすいのでこれはこれで楽だなあと思っています。恋愛指南系となると同居をお勧めしない記事よく見かけるけど、共同生活を営む者としての心得がわかるのは悪くない。もっとも私の場合は元の家もほとんど同居みたいな近さだったので、あまり関係はなかったのですが。

①荷物の搬入(とか、処分とか)

2人の家から同時に引っ越したので、結構大変でした(引き払い日時は余裕もって設定した)。あと2人で引っ越すとちょっと安くなります。

事前に引っ越し先の間取りを想定しても窓の位置などを考えると無理がどうしても生ずるので、可能な限り不要な家電(重複するもの・持っていかないもの)を明確にしておいてすぐに購入したいものもピックアップしておいたので比較的スムーズではあったのですが。

あとは、同日か否かに関わらず「新しい大型家電」は結局何も買いませんでした。勿論思惑あってのことなんですが、仕事に明け暮れている人間が1名から2名に増えたところでさして家電の必要容量ってそう大きく変わらないんですよね。大型家電を購入するとなると選ぶところから搬入・設置までしないといけないので、挙式や旅行などと同時にこれができる人(世の中にはいらっしゃるらしい)は無尽蔵の体力でもあるのか?!と思いました。

②時期、日程

スケジュールが変えられない私の仕事に合わせて伴侶に休みをとってもらいました(固定枠以外は裁量権のある仕事なので)。夜勤明けの次の日に転居、その次の日も休みだったのでなんとかなりました。土日休みの方でもまあなんとからないことはないですが、ものが多かったり上記のように搬入物が多いと大変かもしれません。

③転居後の動き

荷物は最低限の荷解きをして、最低限の家電が稼働したら住所変更や新居に必要なもの(カーテン、電灯類)を購入しに旅立ちました。で、その日の夜には設置するまでなんとか済ませたんですがやっぱり結構な労働量になるので疲れました。へとへとだぜ。

翌日くらいに足りなくなったものを自分ひとりで集めにいき(伴侶は仕事)、荷解きを進めたり。この時点でまだ自炊ができる状況にはなかったので、近所にコンビニがない場所に引っ越す人は準備物は念入りに。知らない土地にいく場合も下調べいりそうですね(転居前に勿論するでしょうが、昼と夜や土日と平日の違いなどあると思うので)。

 

2.同居のメリット、デメリット

一般的なものはその辺のネット記事に大量に溢れているので今更書く必要もないのですが、一人暮らしに慣れた身同士の同居ってやはり不安があるもので、事前に張っていた予防線やそれでも回避できなかったこと(あまりないけど)を少しばかり。

メリット① 家に人がいると荷物の受け取りや業者の手配が便利

これは生活リズム・仕事のリズムがバラバラな人間ならではですが、仕事が忙しくて独居だと、荷物の手配が手間だったり何度も持ち帰りを強いてしまったりします。自分たちの場合は在宅・非在宅の大まかなスケジュールとその理由をカレンダーアプリで共有しておきました。お互いに仕事に明け暮れていてもまあなんとかなりました。

というか家庭管理のためにslackを導入したら便利すぎて、冷蔵庫の中身から結婚式場の手配状況、家計管理までアプリにまとまりました。

メリット② 喋る人間がいる

何を言っているんだお前はという感じですが、たとえ具体的に愚痴など言わなくても「疲れた~」と言うだけで「お疲れ~」と(感情がこもっていなくても)軽くやりとりができるというのは人間にとって大切なコミュニケーションなのだなと改めて思いました。自分の場合はこんな仕事をしていても自身がめちゃくちゃマイペースなので(伴侶もそうですが)、顔を合わせていがみ合うくらいならひとりでいいやという思考に陥りがちです。落ち込んだり疲れているときにそうとわかってもらえるだけでもたいへんな安心感があるものだなあと思うなどしました。

同居のデメリット① 慣れない、睡眠を確保できない

当たり前のことなんですが、他人と継続的に起居するなんてかなり久しぶりなわけで、まして互いに仕事のある身となると休息は一大事です。勿論生活リズムがほぼ同じになる家庭はそれはそれで良いことも悪いこともありましょうが、我が家の場合は私にも相手にも夜勤や出張などでかなり頻繁に家が空くことになるので、最低限一人で眠る時間もそれなりに確保できています。これがなかったら、一人を愛する人類はどうなってしまうんだ...!と若干の恐怖さえあります。好き好んで同居しているのに、それがストレスになるとやはり悲しいものがありますからね。

 

家計管理・スケジュール管理(生活リズム)について

自分たちの場合は私がかなり適当・伴侶が類まれなお金大好き人間(管理も貯蓄も)なこともあり、こういった管理関係は相手にほぼ一任しています。専業主婦の奥さんだと家計管理を任されたりというケースも多いようですが、自分としては「得意な方(好きな方)がやったらいいのでは...」という感想です。そして投資や将来に向けての貯蓄など様々な経路での支出・収入がある家庭にとっても、反対に2人で倹約したい家庭にとっても大事な問題なんだろうなあとしみじみ感じます。

1.家計管理方法(共有方法)

上にも書きましたが総支出ではなく共有部分の支出を計算するために、現在はslackアプリを使って支出を共有しています。水道光熱費ネット家賃などのみではなく、食費(冷蔵庫投入分)や2人で行った外食、日用品や共同で使う家具家電類もここ。明朗会計。支出は名目上応能負担ということになっていますがまだ請求がきません(先月の会計はさすがにまだ余剰の購入物が多く安定していない)。あと、お互いの総収入もないしょです。いや報告してもいいんですが(口頭では大体伝えている)、「余計な」支出、「不明瞭な」支出という価値判断をしてしまう問題についてはこれでお互いに持たずに済むのです。趣味は趣味で持っておきたいですし。

2.スケジュール管理(生活リズム)

日々の生活が毎日・時間単位で異なるので、Googleカレンダーの時間指定で「相手のために動けない時間」を共有しています。つまり仕事もプライベートも、「動けないですアピール」は全部ここ。私の仕事も伴侶の仕事も非常に不規則で、また伴侶の場合には移動も多いのでお互いどこで何をしているかさっぱりわからないということになりがちです。勿論、隠された部分があってよいのですが、そもそも安否確認のときに居場所すらわからないと困るので。同居前はお互い仕事しているのか在宅なのかもわからない生活で、自宅同士の直線距離が5mほどしかないにも関わらず1か月近く顔を合わせないこともしばしばでしたがこの問題はあっさりと解消されました。

 

結婚式の準備

引っ越しと家計・スケジュール管理まではまあ今までしてきたことの延長なのでそこまで困ったことはなかったのですが、結婚式に関してはやったことがないので(そりゃそうだ)、先達の話を参考に進めていきました。因みにゼ〇シィ雑誌なども参考にはしたのですが、それは「挙式・披露宴」に多大なる夢を持ち、なんなら命を懸けている諸氏のためのものであり、我々にはほぼ無縁のものであるといった印象を持ちましたた。そしてそれは今後準備するにあたって様々な場面でぶちあたっていくメジャーな価値観です。

1.挙式・披露宴やそれまでの段取りに対する意識

「筋を通す」ということがどこまでを指すのかは人によって本当に異なります。それは参列者含めそうなので、籍を入れるのは紙切れ一枚でも、挙式にあたっては「祝う(祝ってくれる)人の意識」がかなり影響するなあという印象です。それでも実際に段取りをして招待するのは自分たちなので、主催者であるということはつくづく骨が折れることであるなあと日々感じております。

転居までにあった話は長いので省きますが、お互いの両親に顔合わせまでが済み、両家顔合わせについては現在保留中です。もっと格式ばったことをするのであればプロポーズとか結納とかが間に挟まっているはずなのですが、そういう面倒なことは可能な限りスルーしたいという両者の意向により極力スルーされています。

2.式そのものについて

家族・親族との関係の複雑性や配慮の難しさもあり、また職場の人間などからは無縁でいたいという思惑もあるため挙式・親族会食のみのかなりシンプルなものになりましたが、準備や手配は手間があるもんやなあという印象です(今のところ出向いての情報収集はすべて私が行っています)。

あと自分が個人的に困ったのは「予算の組み方」です。が、これはスケジュール上したいこと・できることと同時に組んでいく方がやりやすいことにあとから気が付きました。

3.実際の動き・判断材料

では挙式・親族会食といってもどんな要素が必要でどんな要素は不要であるか、といった希望はもちろん2名の希望のすり合わせが必要です。私は自分の希望がいまいちはっきりしていなかったので(やりたくない・不要なことははっきりわかる)、伴侶から「それはいらないのでは?」と言われると結構グサッとくる交渉場面もありました。ここで夢や理想があると喧嘩になってしまうのでしょうが、なんでも理想を叶えるのが結婚式でもなければ嫌々付き合ってもらうものが結婚式でもない、という点を最優先しているために決断は比較的スムーズだったかと思います。

というわけで判断材料について。

①場所・時期

親族が集まりやすく、また自分たちも準備のためにアクセスしやすい場所。神式の挙式をしたかったので、京都市内で探しました。そして会食の場所への移動の負担がない場所。時期については伴侶の仕事の繁忙期を避け、また招待者の仕事の都合を加味した日程で開催可能な場所を選ぶとすぐに絞ることができました。

②予算の組み方・式場見学

結婚式、予算の計算の仕方が難しいので「で、総額いくら?」ということになりがちです。相談カウンターで前もって挙式のイメージや家族の事情を伝えておくと、いくつかの会場をピックアップしてくれるのでそこから現実的なところを見学に行きました。

ちなみに、式場巡りについては私以外の方はカップルで来られていることが多かったですが、個人的に「多忙な人にはお勧めできないな」という印象です。我々の場合はスケジュールがまったく合わないものの意志決定や意向が明確なので、私がひとりで見学~見積もりまで出してもらい、持ち帰って2人で検討するという方法を選択しました。

つまり、ゼ〇シィなどで一般的かつ会場でコンシェルジュがサポートするのは「理想」に向けて具体的な手段を提示していくという方法であり、我々はその真逆、日程や参列者の事情を元に組み立てていき、減った選択肢の中から最良を選ぶ・オプションをつけるという方法です。

③具体的な要素

・挙式そのものの費用(神社の場合なら初穂料もここに)

・衣装(新郎・新婦)、ヘアメイク(綿帽子や角隠しが入ると金額大きく変わる)

・食事(参加者数によって変動)

・前撮り・当日の写真(アルバム作成やデータ渡しを含む)

...あたりが我々の場合の費用変動要素だったでしょうか、ちなみにゼ〇シィを参考にすると恐ろしい金額がはじき出されていましたが概ねあれは披露宴によるものです。あと、謎の余興を入れれば入れるほど高額になります。ちなみに神社から人力車で夫婦が移動するという茶番演出も含まれており、私は隠しネタとしてたいへん楽しみにしていたのですが即日伴侶に却下されました。ちくしょう。

④式場見学でのちょっと愚痴、自分の考え

式場は基本的に「夢・理想」といった形のないものを形にするところです。形にするとはすなわちお金にするということです。商売です。このあたりに手際のよさやサポート力をみた場合自分はサービスの質の高さに感動しますし、そうでなかった場合に明らかにやる気がなくなるということが今回の一件でよくわかりました。

特に、項目の最初の方に書きましたが、「結婚式」に対して抱いている価値観、優先事項はしっかり持っておきたいです。でないと、世間の価値観を反映した式場関係者の価値観に左右されることになってしまいます。もちろんこちらがしっかりと重要な点や避けたい点を言明すれば向こうも聞いてくれるので、そのうえで提示してくれたプランを吟味すればよいのです。

我々の場合は、「式までの準備を一任できること(我々には時間がないので)」と、「親族に快適に過ごしてもらうこと」がかなり優先度の高い項目でした。けれども神式にしたいとか、食事はいいものを出したいといった理想はもちろんないわけではないので、限られた選択肢の中でよいものを作ろうという意向がここできちんと明確になったのは式場の担当者様のお陰なので、よい方に巡り会ったと(自分が勝手に)思っています。最高の式にしような。

4.まだやっていないこと

指輪がねえ!!以上です。

 

転居後のトラブルまとめ

その1:トイレの水が流れっぱなし

転居当日に気が付きまして、即日直してもらえました。

その2:洗濯機に給水されない

色々試したもののどこが悪いかわからず、メーカーにきてもらったらなんど水道のナットが緩んでいました。製品じゃなくて家のせい。

その3:ガスの開栓ができない

ガス漏れ検知器が台所リフォームのときになぜかサヨナラされていたらしい、これも家のせい。当日だったか翌日だったかきてもらって取りつけしました。

その4:ネットのプロバイダの選択ミス

ネット回線が貧弱。私が選んだわけでもなければ、私程度の活動であればこの程度で満足なのですが...

その4:業者が開幕逆ギレしている

引っ越し手配をした事務-作業員間の連絡不足やエアコンの設置業者のお兄さんがなぜか超不機嫌などなどといった不安なことが色々ありました。仕事以外で他人の不機嫌に付き合いたくないぜ。

その5:引っ越した2日後に(私の)祖母が亡くなった

これはトラブルとかそういった問題ではないのですが、引っ越し疲れのところに他人と同居というストレス要素が既に乗っかっていて、さらに仕事を忌引きして葬儀の準備をするのがめっちゃ大変でした。

 

おわりに

ここまで長らくお付き合いいただきありがとうございました。

あまりに忙しかったのと、同居するとどうしても自分の時間に自由に過ごすことが難しいので、日々の考えをまとめる意味もこめて書いてみました。そんな背景ゆえにやや愚痴っぽいことも多くなってしまいましたが、生活は総合すると安定しており、また一人暮らしだったころに較べて随分伴侶との会話の機会も増えてたいへん満足です。もちろん色んなご家庭があり、様々な苦労や幸せがそこここにあろうかと思いますが、ひとつの例として何らかの参考に(なかなかなるものではありませんが)なることができましたら幸甚です。

 

では最後にひとこと。

 

結婚はいいぞ(迫真(まだしてへんやろ

100冊読破 5周目(31-40)

1.ヴォルテールを学ぶ人のために(植田祐次

ヴォルテールを学ぶ人のために

ヴォルテールを学ぶ人のために

 

ヴォルテールの文章は何やら美しいらしいということを知った。当時の士族の子は何かとあればヴォルテールを読めと言われたそうです。ちなみに他の、哲学者についての「学ぶ人のために」シリーズと違って本人についての物語形式になっていて、最後の章は名言集みたいになっています。

己が畑を耕せという言葉を肝に銘じるなど。

しかし「最善は善の敵であってはならない」が一体どこからの引用なのか、この本には書かれていませんでした(どこからなのか。

 

 

2.Any:建築と哲学をめぐるセッション(磯崎新

Any:建築と哲学をめぐるセッション―1991~2008

Any:建築と哲学をめぐるセッション―1991~2008

 

対談編なんですがなんというかデリダ招かれてるしなんだこれは的な本でした。しかし建築の観念的なところは全然好きじゃないぞこれは。

各場所で開かれたカンファレンスの収録集なのですが、デリダ脱構築の概念がやはり誤解されていてちょっと悔しかったです(ご本人もセッションの中でそう仰っていた)。ル・コルビュジェ後の建築についてやレム・コールハースの企てなどなど各建造物が土地にもたらした作用についてなんですが、対談形式なのもあってちょっと本人たちが何に納得しているのかわからない点が多々あります。

 

3.文化・階級・卓越化(トニー・ベネット

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

  • 作者: トニーベネット,マイクサヴィジ,エリザベスシルヴァ,アランワード,モデストガヨ=カル,Tony Bennett,Mike Savage,Elizabeth Silva,Alan Warde,Modesto Gayo‐Cal,磯直樹,香川めい,森田次朗,知念渉,相澤真一
  • 出版社/メーカー: 青弓社
  • 発売日: 2017/10/26
  • メディア: 単行本
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1960年代フランスにてブルデューの「ディスタンクシオン」においてなされたような調査を、2000年代イギリスにおいて再度実施されたもの。手法は似通っていますが、特にジェンダーエスニシティについてさらにつっこんだ調査がなされていて、音楽などの嗜好もその文化圏まで調べられています。

日本版「ディスタンクシオン」は「差異と欲望」だと自分は思っているのだけど、ことエスニシティについては日本は(ほぼ単一民族で世代が構成されるゆえに)調査の土壌として不十分かもしれないなあと思うなどしました。ディスタンクシオンはたしかに良書ですが時代を読み解くものとしては現代より少し遠いので、現代の格差社会(多分な経済格差を含む)の調査方法としては見方が少し古い部分もあり、「文化・階級・卓越化」がこれに代わってくれるのではないかと思います。よいです。

 

4.ドゥルーズー解けない問いを生きる(檜垣立哉

ドゥルーズ―解けない問いを生きる (シリーズ・哲学のエッセンス)
 

この「哲学のエッセンス」シリーズが気に入ったので、ライプニッツに続いて借りてきました。ポストモダニズムの説明として言葉ばかりが拝借されがちなドゥルーズ(多くの場合は共著者であるフェリックス・ガタリと共に語られる)の、哲学の基盤となるものについて100ページ程度にまとめられています。本書の解説においてはドゥルーズの本懐であるところのスピノザベルクソンドゥルーズの流れを強く意識させて書かれています(嬉しい限りです)。あとドゥルーズのテクストを難しく感じさせる理由がカントにあるというところをようやく理解しました。カントは叩き台。

 

5.階級社会 現代日本の格差を問う(橋本健二

階級社会 (講談社選書メチエ)

階級社会 (講談社選書メチエ)

 

 こちらは前出「文化・階級・卓越化」と異なりさっと短くまとまった本です。「日本のメリトクラシー」とかもいい本だと思うのですが、どちらかといえば格差の原理にスポットライトをあてた感じです。社会科学というより理論よりといえばそうかも。この本、同じ著者による新版があるらしく、そちらを読んだ方が良いのかもしれません。

 

6.都市と野生の思考(山極寿一 鷲田清一

学長(片方は総長)同士なのでどうしても大学の話になるのかと思いきや、大体のことが京都というまちのことを巡る話なので面白いです。人類学と哲学、とくに山極教授と鷲田教授ご自身の専門の領域はある意味(意味的な側面において)近いこともあり、繰り広げられる対話は面白いです。

 

7.脳の中の天使(V.S.ラマチャンドラン)

脳のなかの天使

脳のなかの天使

 

「センス」ってなにかなあと10代のころから考えてきて、あれも違うこれも違うと感じていたけどラマチャンドラン「脳の中の天使」はちょっとした答えになった。いや、それまでにもよそからたくさんの小さな答えを授けられてはいたのだろうけど。

著者のラマチャンドラン氏は神経内科の医師であり、また研究者でもある。本書の冒頭で提示される、「研究というものに実験装置が加わると、その装置をいかにして使うかといったことに固執してしまい原始的な反射を用いたり手ずからおこなう実験が軽視されたり扱われなくなってしまう」という危惧は結構身につまされるものがありました。いえ、特になにか具体例があるわけではないのですが。

神経美学の話になるとこれが結構面白くて、ラマチャンドラン氏のお名前にもあるようにルーツであるところのインドの仏像のうつくしさの要素についての話がでてきます。これが後半に入ったくらいなので、前半はほとんど神経科学の話です。具象と抽象の谷についてや、デフォルメのありかたについても書かれています。美術系の本でなくてこういった認知科学から捉えられた美学(芸術・音楽の知覚について)の論は多くないので、読んでいて嬉しいです。

 

8.刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら(ミキータ・ブロットマン)

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

 

良い本でした、面白く読みました。

いささか著者が感情的(情緒的)すぎますが、それを隠さないこともまた良い。特に、生徒が別のクラスでシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を演じていると知った時の屈辱に一瞬煮えるシーンとか、臨場的です。教える者の苦痛というものがよく伝わってきます。「私が差し出せるのは文学だけだ。」でこの本は締めくくられています。その経過は、お読みいただければもちろんすぐにでもわかるのですが、概ね読む前から予想がつく人もいることでしょう。教育は啓蒙ではないし、まして読書会というとのは教育ですらない。本編の中でチャールズがいったように、「いっとき現実を忘れるための」場です。これと併せてスディール・ヴェンカテッシュの「社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた」を読んでいただくと、塀の中と塀の外の世界や、逆説的に「自由から守られる」ことについて考えることができますね。

 

9.不確かな医学(シッダールタ・ムカジー)

不確かな医学 (TEDブックス)

不確かな医学 (TEDブックス)

 

TEDの焼き直しです。シッダールタ・ムカジーは「病の皇帝」の著者なので気になって手に取りました、大体ベイズの話です。知っていたら読まなくていいとは思います

 

10.何のために「学ぶ」のか:〈中学生からの大学講義〉1 (外山滋比古

鷲田清一氏が著者一覧に載っていたので読みました。中学生向けなので(なので、というより単純に内容が浅い)他に読むべきものはそんなにないのですが、今福氏の「群島-世界論」はいつか読みたいなあと思っていたのでちょっと惹かれたのと、小林氏はさすがの「オススメ本」を出してきていてよかったです ゲド戦記なんですけれどもね。

100冊読破 5周目(21-30)

1.2.科学的発見の論理(カール・ポパー

科学的発見の論理 上

科学的発見の論理 上

 
科学的発見の論理 下

科学的発見の論理 下

 

科学は確実な、あるいは十分に確定された言明の体系ではない。究極の状態に向って絶えず前進していく体系でもない。われわれの科学は真知(エピステーメ)ではない。それは、真理に、あるいは確率といったそれの代替物にさえ、到達したとは決して主張することができない。

科学の前進は、時とともにますます多くの知覚的経験が累積するという事実によるものではない。また、われわれが諸感覚を絶えずよりよく利用しているという事実によるものでもない。いかにわれわれが精をだして集め整理したとしても生のままの感覚経験から科学を蒸留することはできない。大胆な着想、正当化されざる予期、および思弁的思考こそが、自然を解明するためのわれわれの唯一の道具なのである。そして、〔科学のゲームの〕賞を獲得させるために、われわれはそれらを危険にさらさなければならない。自分たちの着想を反駁の危険にさらそうとしない人たちは、科学のゲームには参加しないのである。ーカール・ポパー「科学的発見の論理」より10章験証 85.科学の行路

ポパーによる経験主義から反証可能性についての転換。記号論理学やりたいのでちょっと参考になるかなと思って読んでみたのですがまあ難しいこと(ボルツマンの熱力学とか高校にちらっと名前聴いて以来では)、物理と数学と情報科学の大まかな流れをしっていないと大変厳しいです。読んでいたら付箋がはってあって(図書館のものなので)、「わからない、しね」と書いてあり気持ちがよく伝わってきましたね...

 

3.韓非子(韓非)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

 

マキャヴェリズムとはかくあらんというばかりの君主論ですが、そもそも古代中国全部君主制やしなあとか思うんですよね 西洋との違いは法治国家になるのが比較的遅い点かと思います(法というより儒の教えの方が普及している)。韓非子が評価されるのは戦乱の世に法治の重要性を説いたことなんですね。世界史の授業でだいたい出てくるんですけど、信賞必罰と内憂を制することについて事例を引っ張ってくるというのが多い中、ひとつ、「臣下が注進するにどんな言い方をしてもよく思われないから言いづらい」みたいなのがあって、なんやこれ現代か…と思って笑いましたね

難言

臣非、言ふを難(はばか)るに非ざるなり。
言ふを難る所以の者、言、順比滑沢(じゅんひかつたく)、洋洋纚纚(ようようさいさい)然(た)れば、則ち華にして実ならずと以為(おも)はらる。敦祗恭厚(とんしきょうこう)、鯁固慎完(こうこしんかん)なれば、則ち拙にして倫ならずと以為はらる。多言繁称、類を連ね物を比ぶれば、則ち虚にして用無しと以為はらる。総微説約、径省にして飾らずんば、則ち劌(けい)にして弁ならずと以為はらる。意を激(もと)めて親近、人情を探知すれば、則ち譛(こ)へて譲らずと以為はらる。閎大広博、妙遠にして測られずんば、則ち夸(こ)にして用無しと以為はらる。纖計小談、以て数を言へば、則ち陋(ろう)と以為はらる。言ひて世に近く、辞、悖逆せずんば、則ち生を貪りて上に諛ふと以為はらる。言ひて俗に遠く、人間(じんかん)に詭譟(きそう)すれば、則ち誕と以為はらる。捷敏弁給、文采に繁ければ、則ち史と以為はらる。文学を殊釈(しゅせき)し、質信を以て言へば、則ち鄙(ひ)と以為はらる。時に詩書を称し、往古を道法すれば、則ち誦(しょう)と以為はらる。此れ臣非の言ふを難(はばか)りて重く患(うれ)ふる所以なり。

故に度量正しと雖も、未だ必ずしも聴かれず、義理全しと雖も、未だ必ずしも用ひられず。大王、若し此を以て信ぜずんば、則ち小は以て毀訾誹謗(きしひぼう)を為し、大は患禍災害、死亡其の身に及ばむ。(中略)此数十人は、皆、世の仁賢忠良、道術有るの士なり。不幸にして悖乱闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者、何ぞや。則ち愚者説き難きなり。

故に君子、言ふを難るなり。且つ至言、耳に忤(さから)ひて心に倒す。賢聖に非ずんば能く聴くこと莫し。

願くは大王之を熟察せよ。

ー韓非

まあ要するに優秀な部下の話は聞きなさいってことなんですけど、声に出して読みたいくらい韻をよく踏んでいますね

 

4.5.ディスタンクシオン 社会的判断力批判ピエール・ブルデュー

ディスタンクシオン <1> -社会的判断力批判 ブルデューライブラリー

ディスタンクシオン <1> -社会的判断力批判 ブルデューライブラリー

 
ディスタンクシオン <2> -社会的判断力批判 ブルデューライブラリー

ディスタンクシオン <2> -社会的判断力批判 ブルデューライブラリー

 

文化とは、あらゆる社会的闘争目標〔賭金〕がそうであるように、人がゲーム〔賭け〕に参加してそのゲームに夢中になることを前提とし、かつそうなるように強いる闘争目標のひとつである。そして競走、競合、競争といったものは文化にたいする関心なしではありえないが、こうした関心はまたそれが生み出す競走や競争それ自体によって生み出されるのだ。ーピエール・ブルデュー

インタビューされているそれぞれの階層の人々の暮らしや価値観を細部までうがっていて面白かった。特に若い看護師の項(看護師は技術専門職などの中等クラス、文化的洗練度は差があったりなかったりと扱われる)は面白かったです。あと教育社会学の分野については特にそうだと思うのですが、統計的なデータをとっても「中の質を知らなければ意味がない」とは、まったく別の方の言でも見ましたし、本書の中でもブルデュー自身が述べていました。

 

6.神経経済学入門―不確実な状況下で脳はどう意思決定するのか(ポール・W・グリムシャー)

神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか

神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか

 

前半が結構なじみのない分野(計算論的神経科学が苦手で今まで結構避けてきた)の古典~近代の説明で始まるので読むのに苦労しました。行動科学というのは観察された事象の計測と推論なので、心理学は後者にあたるんですよね。前者は決定論的立場から、なにを志向しているのかを明らかにする。おなじみのベイズが出てきてからは話が早いのですが、感覚と運動の結合組織としての学習の話は教科書(「比較認知科学」「認知神経科学(今年から「生理心理学」になりますが)」)の延長で読めるので面白いです。行動経済学認知心理学の前夜をみている気持ちになります。もうちょっと関連書籍を読まないとわからない部分がたくさんあります

 

7.熱のない人間:治癒せざるものの治療のために(クレール・マラン)

熱のない人間: 治癒せざるものの治療のために (叢書・ウニベルシタス)

熱のない人間: 治癒せざるものの治療のために (叢書・ウニベルシタス)

 

治療は時に、治癒を断念し、それでもなお継続して、苦しむ人に寄り添い、その苦しみを和らげようとする勇気を必要とする。その時には、死の経験を受け入れ、〔人生の〕再開ではなく、その終わりを見すえながら治療しなければならない。

病者は一人ひとりが個別の人間であり、その人の病いも苦しみも、それぞれに固有の歩調で発展し、消失していく。文字通り生きている現象としての苦痛は、個別のリズムをもち、それは時計で計ることができない。苦しみの楽譜はアレグロで演奏することができないものである。

ジョルジュ・カンギレム「正常と病理」に基づいて書かれた本。ディディエ・アンジューやジャン・リュック=ナンシー、リクールやフーコー(後者2名については自分は本人の手による著作を読んだことがないが)の示してきた「治療」の侵襲性について過不足なく書かれていると思います。こうした記述は実は看護関連書籍にはよく書かれていますが、それが個人のナラティブに終わることが多く、それ以上の広がりを他者に与えることが少ないです。「身体知と言語」などがよい関連書籍として挙げられるでしょうか。あとは「知の生態学的転回」シリーズも。

 

8.ミシェル・フーコー、経験としての哲学:方法と主体の問いをめぐって(安部崇)

フーコー全然知らないなあと思って手に取ってみたのですが知らない人間が手に取れるような代物ではなかった(博士課程の学位論文に加筆修正)

心理学に相対するフーコーの叙述の分析からはじまりますが、フーコーがおよそ「哲学」というより時代の諸相の批評に徹していたことがうかがえます。where is foucault? という表紙にもあるように、彼の論評が一体どこからどこまでをカバーしていてどんな知見を後にもたらしたかをつぶさに書かれています。フーコー本人の本を読んでから読むべきでした、反省。

 

9.例外状態(ジョルジョ・アガンベン

例外状態

例外状態

 

何も命令せず、何も禁止せず、ただ自らのことを言うだけの、非拘束的な言葉には、目的との関連をもたずに自らを示すだけの純粋手段としての活動が対応するだろう。そして、両者の間には、失われてしまった原初の状態ではなく、法と神話の潜勢力が例外状態のなかにあって捉えようと努めてきた人間的な使用と実践だけが存在するのである。ージョルジョ・アガンベン「例外状態」

律法の「動態」を観察する(過去の内容を理解する、状態を記述する)思考。分野としては政治哲学かもしれないが、ことアガンベンの中では法哲学に近いのではないかと思います。タイトルが、非常事態を許容するものとしての例外状態であることからもわかりますが。中ほどに「ある法が定まるとその制約の中で人はあそびはじめる」みたいな記述があり、これはなんとなく納得できるもののそもそも法学からきしなので法の観点から政府の状態を類推するとか、非常事態についての法が定まると左右される決定について(多くは武力行使ですが)とか難しいです

 

10.人間本性論2 情念について(デイヴィッド・ヒューム

人間本性論 第2巻: 情念について

人間本性論 第2巻: 情念について

 

 

 生き生きした情念が、生き生きした想像力に通常伴うことは注目すべきである。他と同じくこの点でも、情念の勢いは、〔情念を抱く〕人の気性に依存するのと同じくらい対象の本性や位置に依存しているのである。

…信念とは現前する印象に関係する生き生きとした観念にほかならない。この〔信念の持つ〕生気は、穏やかな情念であれ激しい情念であれ、われわれのすべての情念をかき立てるのに不可欠な条件である。想像力の単なる虚構では、どちらの情念にも大した影響を与えることはできない。虚構は〔生気の点で〕弱すぎて、精神を掴むことができず、情動が伴うこともないのである。ーデイヴィッド・ヒューム「人間本性論 2 情念について」

人間本性論の2。

誇りと卑下についてから解説が始まるあたりは感情についてというか徳倫理学と感覚が近いように思いました。知性についてで感じた、あの鋭い知覚に関する見解は得られなかったようにも思います。

読書感想文『この宇宙の片隅に』『オンラインデートで学ぶ経済学』

読書感想文というよりは「読書をきっかけに繋がる思考」についての文章です。

 

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

 

本日読了したこちらの感想をば少し。著者のショーン・キャロル氏は物理学者です。

本文の展開は「宇宙」のとらえ方を様々な角度から検討します。熱力学、哲学、数学(統計、特にベイズ推定の説明は見事でした。本書の中にこの考え方は多用されます)、そしてその宇宙で起こっている現象であるところの生物や人間の意識についての神経科学も非常にわかりやすく紹介されています。

本書が私に推される理由は、これらが「わかりやすい言葉で」「的確に」「1冊の本に」まとまっていることです。そして何よりその志向性が「前向き」であることです。本書はゴリゴリの理系分野の説明本ですが、説明がとてもわかりやすいです。少なくとも高校生くらいで数学や物理で挫折している(進路選択に入れなかった)わたしでも読める程度です。

こんなこといっているとポジティブ・シンキング撲滅派の方々に怒られてしまいそうですが私は絶賛抗うつ薬を内服して人生が楽しいです。果たしてこれをポジティブ・シンキングかといわれると甚だ疑問です。

 

さて、本書は宇宙における「適宜自然主義」についての説明にかなり力を割いています。その内容の解説については本そのものに委ねましょう。

そして下記のような疑問(ないし問い)をもつ方に、本書はその周縁の知識を楽しく紹介してくれます。とはいえ、この本の中に関連(引用)書籍として紹介されていたものではないものもいくつか含みます。私がこの本を読むまでに読んでいてよかった、この本と繋がりがあると思うものも幾つか挙げておきます。

Q1)なぜ意識は生まれるのかークリストフ・コッホ『意識をめぐる冒険』

Q2)宇宙のはじまりと終わり、観測可能な宇宙とはなにかーマックス・テグマーク『数学的な宇宙』デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』

Q3)思考する機械は意識と同じといえるか、個体としての意識の限界はどこにあるのかーダニエル・デネット『解明される意識』『思考の技法』ジョン・サール『MiND』アントニオ・ダマシオ『自己が心にやってくる』ポール・チャーチランド『物質と意識』

Q4)人のふるまいは自由といえるか、またどのように決定されるかーダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』ダン・アリエリー『不合理だからうまくいく』

Q5)生物はどのような試行によって生まれるのか、また行動決定するかーニック・レーン『生命、エネルギー、進化』リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子

 

それから、哲学から多く援用しているために下記をあげておきます。

デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』

もちろんサールやデネットも哲学に含まれるのですが、ヒュームの『人間本性論』やデカルトの『省察』(とそれに対するとある貴族の婦女子との往復書簡)あたりは読んでおくと前提知識が不要になるので楽に読むことができます。

 

実存の肯定と、他者との出会いについて

「この宇宙の片隅に」は、人間のいち個体という生命の意義を「遺伝子の乗り物」とも、「思考する機械」とも断言しません(検討はします)。生命に意味はあるかー否、というのもまた然りとは思いますが、そこで本書はきちんと読者を誘導します。より「主観的な生」を肯定するほうへと。限りある人生を楽しむほうへと。

 

さて、話をかえましょう。我々は意識をもち、選択をすることが可能です。配偶者でさえ「選択」して決定します。しかしそれは何を基準に?何を目的として?どのような手段で?

 

ーここでその答えを、上段に列挙した書籍の中に求めることは可能です。が、それは人類(というか現象)に共通のものの記述でしかなく、選択による「個人の幸福」とはなにかを考えるものではありません。どちらかというと、身近な問題からほど遠く、投げ出されたような気持ちになることも多いでしょう。

そこで、人の営みであるところのカップリングについて、身近なお話であるところの「デート」から考えてみます。

 

さくっと感想:『オンラインデートで学ぶ経済学』

オンラインデートで学ぶ経済学

オンラインデートで学ぶ経済学

 

折角なので『個の生きる意味』を虚無に抱かれないで済む方法を考えてみようと思います。まず、経済学という学問体系そのものが「資本の取引」や「労働の価値化」にまつわるものである以上、社会的な関係をなにか数字で表せるものに転換可能にする様式をよくとることを前提にします。そうでないと、「この宇宙の片隅に」とうまく接続することができません。

本書はさらに、それを「オンラインデートで学ぶ」と書いていますが、私は経済学に関しては門前の小僧的存在であるために、「オンラインデート」で起こる現象に経済という社会の現象を擬人化して仮託します。

 

本書をもう読んだことがあるならばおわかりかと思いますが、非常に読みやすく、また「オンラインデート」の体験(またはそれに似たものへの知識)があれば愉快な本です。

 

「人間と出会う」ことに関して、「この世界の片隅に」は有限である試行回数のうちで個体同士がであった偶然を喜び言祝ぎます。これに対して「オンラインデートの経済学」は逆説的です。人間社会の様相が複雑化して以来、「試行回数」を限りなく増やすことができ、また自分の一部(社会的立場、年収、容姿、年齢...)を共通の記号であらわすことにより取引可能な存在にすることで「選択の自由」がもたらした現在の状況について経済学の概念を用いて説明します(書籍としての目的は逆で、オンラインデートで起こるような現象を用いて経済学の概念を説明します)。

 

 

 

そしてここからは、自分の考えていたことです。

「出会い」というものは無数の組み合わせが存在しますが、対面で会話をし、時間を共にするに至るまでにはそれまでの(恋愛に限らない)経験から培われた「好み」により選定が行われます。が、オンラインにしろオフラインにしろ人間が配偶するに至るまでの関数は可視化することができても、最適化することはかなりの困難が伴います。我々は「条件」で勿論相手を検索するわけですが、ここに「社会的要素」「地理的要素」「精神的要素」「身体的(生物的)要素」などが含まれています。

社会的要素というもののなかには実は法的な枠組みも存在しており、そもそも「結婚したり子を儲けることがメリットになる」という共通了解や社会通念、周りからのプレッシャーが存在します。「自分にとっての幸福とはなにか」を希求するときにややもすると邪魔になるものでもありますし、反対にメリトクラティックな要素を賦与することで「相対的幸福」を感じるきっかけにもなることです。

地理的要素は実は重要で、好きな人(?)のために転居・転職・住み慣れた土地をどこまで離れられるのか...など、社会的要素も含みます。他の要素と別離可能ではありません。反対に、この要素は「自由恋愛」がもてはやされていなかった時代にはあまりなかった問題だと思われます。

精神的要素としたものは趣味や価値観、生活スタイルなどです。これも社会的要素や地理的要素に影響を受けています。「文化的要因」と言い換えてもよいかもしれません。自分に置き換えた場合、話していて楽しい人が(恋愛感情を抜きにしても)大好きですが、価値観と一言で言い表されるもののなかに数値化できない要素が多く含まれていることをとみに感じます。「オンラインデート」でリアリティショックを受けるのもこのあたりかもしれません。

身体的(生物的)要素は字義どおりです。挙児希望がある場合の相手の年齢や、性的魅力を感じる対象としての生物学的要因。

 

それぞれの要因に対してかかるエネルギーがどんなものなのか、自分にすべてを説明したり考えたりすることは困難そうです。うーんむ。

 

いくつかの思考の導入

さて、物理的な「組み合わせ」の問題でもなく経済的な「自由市場」における取引でも説明できない「互恵的な関係の構築」というものを、自分はどう取沙汰しようとしていたのか書いているすっかり忘れてしまいました。ここで少し過去に読んだ本を参照してみましょう。

民族の危機、都市の危機、そして教育の危機は、すべて互いに関連しあっている。包括的に見るならば、この三つはさらに大きな危機の異なる局面と見ることができる。その大きな危機とは、人間が文化の次元という新しい次元を発達させたことの自然的な産物である。文化の次元はその大部分がかくれていて眼に見えない。問題は、人間がいつまで彼自身の次元に意識的に目をつぶっていられるかである。エドワード・ホール『かくれた次元』

 

われわれが文化の研究から学んだのは、知覚世界の型どりというものが文化の函数であるばかりでなく、関係、活動性、ならびに情緒の函数でもあるということである。ーエドワード・ホール

 

世界は人手に不足しているのです。青年はこうした空席の一つの中に滑り込むことができます。ところが、自分にうってつけに作られた空席など一つだってないのです。青年は、人々が待っているようなあの新しい人間たちの一人になることができます。ところが、人々が待っていた新しい人間は、"彼"ではなかったのです。どうせ他の男でけっこう間に合ったことでしょうから。各人が占めている座席は、つねに無縁の座席なのです。自分の食べているパンは、つねに他人のパンなのです。シモーヌ・ド・ボーヴォワール人間について

 

私がここで言いたいのは、現代人は自分の好みよりも世間の慣習のほうを大事にするということではない。現代人は、世間の慣習になっているもの以外には、好みの対象が思い浮かばなくなっているのである。ージョン・スチュアート・ミル「自由論」

 

 

選択の自由といわれるとどうしても「自由意志」の問題に還元しがちで、そこに本当の自由はあるのか?という問いと、条件つきの選択をしていけば幸福が獲得できるはずだという功利主義的価値観が頭をもたげます。しかしどちらかといえば、「自由の選択」と「意志の自由」が我々に幸福という実感をもたらしてくれるように思います。

 

汝の隣人を愛せよ。

すべての考えに特に意味はないです。疲れたので終わります。

 

せっかくなので、最後にもっと参考になる書評をこちらに。

rmaruy.hatenablog.com

 

『オンラインデートで学ぶ経済学』解説:「もっとモテたい!」という切実な悩みから経済学を学ぼう|Webnttpub.

100冊読破 5周目(11-20)

1.時間の非実在性(ジョン・エリス・マクタガート

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

 

時間論「のみ」をあまり読んだことがないのですが、時間論結構面白いなあと思いました。ちなみに私が好きなベルクソンの「時間とは、空間的なものである」っていう考え方はあんまり取り扱ってもらえていなかった。A系列、つまり固有の時間の点において起こった出来事の後に任意の次の出来事が起こり、それらは不可逆で順序も変えることができずまた一回性のものであるという素朴な考え方における矛盾を明らかにすることによって「時間」の観念を解体するのが目的ですが、自我についての話もちょっと面白かったです。永井均の解説はむしろわかりにくいです(永井氏の文章が苦手なのもある)

ベルクソンの「意識に直接与えられているものについての試論」は、時間論でもあるんですけどどちらかというと覚醒している自我の認識の方に寄っている感じがするんですよね。

 

2.5.老い(上・下)(シモーヌ・ド・ボーヴォワール

もし教養が一度覚えたらそれっきりでやがて忘れられてしまうような無力な知識ではなく、実践的で生きた教養であるならば、そしてこの教養によって個人が自己の環境への把握の手段をもち、この把握をつうじて行なう活動が年月の推移のあいだに成就し更新されてゆくならば、彼はあらゆる年齢において活動的(現役)で有用な市民でありつづけるだろう。ーシモーヌ・ド・ボーヴォワール老い

上巻は老いの生理学的変化、人類学的系譜、当時の先端社会における高齢化とそれに伴う制度・施設における老年期の人びとの扱いについて書かれています。

下巻は、文化における高齢期、高齢期の性、高齢期の芸術的活動や学術的活動の賛否など具体的ケースをあげています。

下巻の前半部分については実存主義的・また心理学的な記述が続くので現在では結構知識が新しくなっている部分もありますが、当時において「老いること」を精密に調査した記録はあまりないのではないでしょうか。現在においても上巻の知識などは有用だといえるでしょう。

また下巻の後半~終章にかけては高齢化社会を迎えるにあたって制度の改革が必要であることを指摘しており、現在の医療の「老年医療化」を支えている自分としては身につまされるものがありました。

 

3.対人恐怖の心理―羞恥と日本人(内沼幸雄)

対人恐怖の心理―羞恥と日本人 (講談社学術文庫)

対人恐怖の心理―羞恥と日本人 (講談社学術文庫)

 

著者が精神科臨床の医師であったのですが、哲学(とくに時代的にニーチェ-サルトルの系譜)引用が多くて自分はうーんとなりました。心理というとこういうものが想像される、その最たるものといいますか。まあ本書がそもそもベネディクトの「恥」と「罪」の概念への反論として立脚しているからでもあるからでしょうけれども。贈与の観念、「あいだ」の恐怖についてはまあさんざ他の本でも論じられているので、という。

関係性の概念は今ではもう使えないものになっています。良くも悪くも今は既にこれよりずっと恥の意識も罪の意識も「他人と交換可能」になりました。これについて考えるにはもう少し言語に触れる必要があると思います。ただ論じているのは「対人恐怖の」なので、その限りにおいて有効な部分もあるかと。

 

4.心の仕組み 下(スティーブン・ピンカー

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

 

 最後まで読んでわかりましたが、ピンカーの「暴力の人類史」、ドーキンス利己的な遺伝子」、ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」を読んでデネット「解明される意識」「解明される宗教」を読んでいたら、ほぼこの本は読む必要がありません。優れているのは、各巻末にそれぞれの事象についてのタイトルがついており、参考文献がそこに1つまたは複数ついていること。この本を文章で読む必要がなさそうだと感じたら、こうやってたぐるとよいと思う。意識のイージープロブレムについてはもっと計算機科学・認知哲学寄りの解釈も欲しいので、まあなんや文化人類学進化心理学とわずかに経済学から(認知心理でも扱うけど)の理論を展開するとそういう結論になりますねという感じ。「暴力の人類史」の方が個人的にはオススメです

 

6.7.行動の構造(上・下)(モーリス・メルロ=ポンティ

行動の構造 上 (始まりの本)
 
行動の構造 下 (始まりの本)

行動の構造 下 (始まりの本)

 

「知覚の現象学」と同年に発刊された著書である。こちらのほうがより行動心理、認知心理っぽいといえばそう。知覚の現象学は比較するとすれば神経科学的にみえる(勿論それらはゆるやかにすべて接続していて領域も曖昧なのだが、見方として

知覚の現象学で提出されたのは意識の変容と部分的な意識の取り扱いであったと感じるけれども、行動の構造では当時かなり発展していた発達心理学精神分析といった「心を外から観察する」「心の志向性を分析する」シンプルな行為への前向きな批判にも思えた。ここでみられる議論は現象学というより、行動の観察と分析・還元という経過で奪取された主体性の確保であり、むしろ間主観的ながらも「実存」の存在の尊重や経験による知覚の再編をみていたメルロ=ポンティ独自のものであるように思う(これを語るに私は現象学について無知である)。ハイデガー存在と時間」、ヘーゲル精神現象学」にそろそろ近づいてきたのを感じる。ベルクソンにも多く言及されていたのだけど、「精神のエネルギー」「思考と動くもの」あたりを読んでみないとなんともわからないものかもしれない。フッサールは全然違うなと思う。

あとスピノザのエチカもいい加減ひどい積ん読なので読みたさある。メルロ=ポンティは知覚の哲学というより志向性の哲学であるようにも思えてきた、知覚主体があれば知覚の哲学に還元可能だけど主知主義についてはかなり批判的だ(それが今に至る知覚の哲学のありようかもしれないが

 

8.9.アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症(上・下)(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 
アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 

この2名の手による共著を読むのは千のプラトーを読んでから1年半になる。

ジル・ドゥルーズは、どうにも精神分析との相性はそんなによくなかったのではないかと思うことがある。彼が見ているのは構造の中に生じている「意味」である(今回は欲望機械について焦点があてられている)。文化や経済の流れというものはほとんど目に見えないものであるが、ニクラス・ルーマン社会学にも似たような「システムがシステムそのものを再生産する」ような意味を受け取っていたように見える。

また、人類学の知見に衝撃を受けていたことも「アンチ・オイディプス」というタイトルと論ぜられる内容からわかるように思う。高度に文化的存在であるかれらがオイディプス王の物語とエディプス・コンプレックスという概念から享けていた思考の種をひっくり返すように、先住民の調査報告が舞い込んでいたころと思う。しかしドゥルーズ自身は実際に出向いて、性と欲望について調査をしていたんだろうか...とも思う。資本主義と精神分析はたしかに時代に翻弄されていた人間であれば目にとまる要素であるように思うけど、この著書が「千のプラトー」を超えるように自分には思えなかった。

 

10.科学と表象―「病原菌」の歴史―(田中祐理子) 

科学と表象―「病原菌」の歴史―

科学と表象―「病原菌」の歴史―

 

ポール・ド・クライフ「微生物の狩人」、ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」をうけてこれを読むと面白いです(実際本書の中でも冒頭にその2冊には触れられている)。ド・クライフの「微生物の狩人」がひとりひとりの人生とその功績をめぐる本だったとするならば、この本は「微生物学」が成るまでの彼らの「手法」と「発見された内容が後世に与えた影響」の2点に着目しているようにも思えます。カンギレムの科学史にもよく触れられています。学術が一個の筋道として出来上がるとき、むしろ出来上がった時点から理論に基づいてそれを既に発見していた人物が過去にさかのぼって洗い出されることはよくあります。本書は「如何様にして」ある学問分野が成立したのかを追っていく本です。「微生物の狩人」を面白いと感じた方ならば楽しんで読めるのではないでしょうか。

100冊読破 5周目(1-10)

1.不道徳な見えざる手(ジョージ・アカロフ

不道徳な見えざる手

不道徳な見えざる手

 

訳者が自分がわりと気に入っている人なので読みましたが、今回は経済学「のみ」というより金融取引、資産運用が絡んでくるので取引関係に疎い自分にはつらかったです。心理的な部分も一部ですしね。原題は造語で、「愚か者釣り」みたいな意味です。バイアスの一言で片付けることもできますが、企業ないし政府、銀行の策がどのように「不理解」であるとこのようなことが起こるか?の解説のような本です。ちなみに私は原理を理解していないので結構読みづらく感じました。なお、経済学の徒にはこのあたりは了解済みのことと思われます。ので、基本的に仕向けるのはやはりビジネスマンですかね。資産運用を実際にしている人たちが、過去に起こった国際的な金融危機の仕組みなどを面白おかしく知りたい時にいいかなと思います。結構ニッチな本ですね、これ。

 

2.不合理だからうまくいく: 行動経済学で「人を動かす」(ダン・アリエリー)

カーネマンの「ファスト&スロー」が意思決定にまつわるゲームのような感覚で読める本だとしたら、これはヒューマンドラマを読みながら(実際アリエリー教授の若年時代に負った全身の熱傷との闘いが説明に多く用いられます)行動経済学を学ぶことができる本です。

特に情緒と意思決定の関係について書かれた点については昨今の医療者必読と言いたいくらいですが、必読というと言いすぎですと怒られそうなのでやめておきます。信頼と怒りが意思決定に影響することや、感情的に決めた(利点もあれば欠点もある)ルールが長期に行動に影響する点など面白いです。医療者なので、アリエリー教授が若くしてひどい火傷を負ってそれから立ち直るまでの苦痛とそれの対価として得た経験知に気がいってしまいますが、人間の知覚を永続的に変化させる痛みの経験についても積極的に検討しておられ大変読んでいて面白くありました。

タイトルはちょっとトボけていますが、トボけて手に取るとまあまあいい本です 行動経済学に興味あるけど難しい本は手が出しにくいワ〜という方に是非。

 

3.倫理学案内―理論と課題(小松光 他)

倫理学案内―理論と課題

倫理学案内―理論と課題

 

面白かったです。これは教科書になるよう書かれている本ですが、まさにビジネスマン向けでもなくかといって学生のみに門戸を開いているものでもない。人生のどの時期に読んでもいい本だと思います。前提の知識も必要はない(義務教育程度)まさに万人に「勧められる」といえましょう。

倫理とはなにかという問い(理性とはなにか?)がメタ倫理学に少し行きかけるので始めを読むのはもしかしたら倫理の初学者にとってハードルが高いかもしれませんが、以降は恐らく面白いです。法(正義の)哲学、政治哲学、ポストモダンの諸相、環境倫理、情報倫理など。戦争の倫理、経済の倫理もあります。もちろん動物の倫理も含まれます。生命倫理も、科学技術の倫理もあります。教科書として十二分だといえましょう。それでこの読みやすさ、価格、薄さ。最高におススメです。

 

4.資本主義の終焉――資本の17の矛盾とグローバル経済の未来(デヴィッド・ハーヴェイ

資本主義の終焉――資本の17 の矛盾とグローバル経済の未来

資本主義の終焉――資本の17 の矛盾とグローバル経済の未来

 

三部構成。第1部で「資本」がもっている矛盾の構造(労働者の生活と矛盾する理由、ケインジアンがいう需要と供給のバランスが時間経過とともに矛盾する理由、マクロ経済的に空売りによる釣りがいつか暴落する理由など)を明かしたうえで、第2部ではその矛盾の実際にどのようなクライシス(倫理的、理論的、環境的な破綻)が過去に起こったかふりかえる。第3部でやっとセンやロールズの理論をだしながら、福祉や環境政策、グローバルな公平への可能性や金融機関の介入の在り方について論ずる。経済の視点から世界を鳥瞰できる良書です。扱う用語・概念はハードですが、本の構成が読みやすく、脚注がそのページにつけられているのでありがたいです。教科書として読み進められると思います。ブルデューの「文化的再生産」についてや、リベラリズムリバタリアニズムとの相性の悪さ(つまりノージックロールズの論)に触れているとより理解が深まるのではないでしょうか。個人的には膝を強く打って死亡しそうになる場面もたくさんあり、「なぜそういう価値の構造があるのか」「矛盾の破綻する末端にいる人を救うにはどうすればよいか」「どういうインセンティブが必要か」を考えるにあたってこの本わりと何度も読みたい。2800円とお安いです。

サミュエル・ボウルズ「モラルエコノミー」ポール・メイソン「ポストキャピタリズム」の復習としても読めるし、むしろあの2冊を各論としても読めますね。因みに著者は地理経済学の人なのですが、この「地理を知っていること」、開発経済学とか公共政策を知るうえで大変重要やと思います。

 

5.うたかたの日々(ボリス・ヴィアン

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

 

とある人が、この本をお好きだと言っていたので読みました。

20世紀初頭フランスを短く生き抜いた著者の作品。日本で言う純文学のような要素が強いです。あと、小川洋子ととても雰囲気が似ている。

なるほど…サルトルの引用や、「ジャン=ソール・パルトル」がよく出てくるなあと思ったらそういう理由だったのか、という感じです。ひしひしと時代の香りがする本。「ヴィオレット」という映画を思い出しました。

労働と実存は相性が悪い。

 

6.心の仕組み(スティーブン・ピンカー

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

 

心に関する進化生物学-神経科学-認知科学-計算機科学を俯瞰できる本。なお、前半350ページは私はもうどこかの本で大体読んだなあという内容でした。

集団の心理における認知的ニッチの話は面白かったです、下巻の展開を待っています。

 

7.人間本性論<第1巻>知性について(ディヴィッド・ヒューム)

人間本性論〈第1巻〉知性について

人間本性論〈第1巻〉知性について

 

前半は図形の知覚、数学的概念の分解と構成について。ここを拡げて、知覚の哲学と論理的解釈、対象と知覚の話になっていく。なるほど、デカルトとかカントを読んでいた時よりずっと具体的でわかりやすい。時々抽象度を落とすからではあると思うけど。

カントもデカルトも直観的解釈に帰しがちだったものを何で構成されているのかを分解するの、視覚科学における「デーモン」の存在は結構前から証明されていたのだなあとわかって面白いです。本書の中身はそんな内容だけでは勿論ないのですが、分析哲学・現代形而上学の先駆けやなあと思ったりしました。

 

8.「新しい働き方」の経済学: アダム・スミス国富論』を読み直す(井上義朗)

面白かったので一気に読み終わってしまいました。国富論を貧困の構造を理解するための本として読むというもの。読みやすいのでわりとおすすめである。NPOとかの福祉と産業の合間を埋めるような事業に興味ある人向けですかね。読んだことのあるもののなかでは「日本のシビック・エコノミー」と「コミュニケーションデザイン」が読書案内に入っていました。

 

9.信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム(ニクラス・ルーマン

信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム

信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム

 

システム理論、システム理論入門(講義録)と読んでこれにきたけど、構造主義にもシンボリックにも馴染めない人にはこれを勧めたい気がする。結構面白いし今だからこそ読める(リスク社会の考え方とか)節がたくさんあります。特にマスコミュニケーションと個人の関係について論じている項では現在浮かび上がっている問題も多くみられますし、「メディア論」とか「孤独な群衆」「反知性主義」などではとらえられてこなかった関係性への価値の賦与が描写されているので、参考書としてよいかなと思います。

 

10.都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史(吉見俊哉

都市のドラマトゥルギー―東京・盛り場の社会史

都市のドラマトゥルギー―東京・盛り場の社会史

 

予想通り「京都と近代」の東京バージョンみたいな本だった。1年近く前に人に教えてもらって、読みたいと思っていたのだ。「戦後東京と闇市」を読んだときにも東京という町の面白さを感じたものだけれども、本書では浅草と銀座を照らし合わせながら明治初期~昭和半ばまでの「まちの毛色」について土地の歴史とともに描きます。京都と近代のような建築・都市計画メインというよりは人間の文化がメインです。