毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

100冊読破 3周目(71-80)

1.僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

 

覚えているのは山中教授と山極総長の話くらいだったのですが、ああ、そうか是枝監督のも覚えているな、いや全部覚えているな。

誰かが読んでいたきがして自分も読みたくなったのです。彼らの来歴を知りたいと思って。

いちばん面白かったのは総長のくだりなのですが、マイナー(とされてきた) 分野の研究を続けることってたいへんやなあと思うのです。そして動物を相手に心理的なかかわりをすることの特殊性も、いま人間を相手に働いたり学んだりしているからこそ余計に差が面白い。

 

2.アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書(山岡道男)

アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書

アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書

 

またつまらぬ本を読んでしまった。・・・別に現代社会の教科書でいいと思います

これの、資産運用のほうが読みたかったのでついでに買ったのです。

 

3.生命、エネルギー、進化(ニック・レーン)

生命、エネルギー、進化

生命、エネルギー、進化

 

ずーっと読みたかったのですが満を持して読むことができました!

かつて100冊読破をはじめたときの最初がドーキンスの『利己的な遺伝子』であり、273冊目が『生命、エネルギー、進化』であることをとても嬉しく思います。先の本は進化生物学のうえに経済学的というか行動経済学における意思決定時の選好をのっけたようなものですが、後者は完全に「物理的生物学」のような感じです。分子レベルでの物理的な試行が細胞に膜を与える場面とかめっちゃ面白かった。

それからこの本に出てくる古細菌アーキア、ないしアーゾケア)の概念、知ってはいたけど実際どういう位置にいるのか知らなかったので細菌とどう違うかとか面白かったです。病原性がないと研究が遅れるというのはなんとも人間らしいです

 

4.慈悲(中村元

慈悲 (講談社学術文庫)

慈悲 (講談社学術文庫)

 

修行者の理想は『自他平等』であり、『他人を自己のうにに転廻せしめること』をめざさなければならないという。かれの言をまつまでもなく、自他互融ということは大乗仏教の実践理想であった。

 

慈悲が、感性的なものをも肯定し得るが故に、感性的なものに溺れている人にとっては、慈悲を修してはならぬ場合があるということが説かれている。すなわち、慈悲の観法は、心に瞋恚の高ぶっているひとにとっては必要であるが、貪愛の強い人にとっては不適当であるというのである。

結構上の引用、認知行動療法的じゃないですか?

仏教の社会的側面も色々書かれていてよかったです 教典を解読するのは専門家に任せて、その実践と歴史を知りたい感じがある。宗教は実践してなんぼや。

 

5.ジャンケレヴィッチ―境界のラプソディー(合田正人

ジャンケレヴィッチ―境界のラプソディー

ジャンケレヴィッチ―境界のラプソディー

 

徳を徳たらしめている『意図』『真摯さ』は、教えたり学んだりすることのできないものだから、このような『循環的因果性』によって、徳を汲み尽くすことはできない。

ジャンセニズムにとって、功績のいかなる蓄積も救済につながらないのと同様だが、学ぶことのできない『意図』『真摯さ』は、しかし、というか、だからこそ、この私が意欲するしかないものである。しかも、『意図』に先立つものが『意図』しかないのと同じく、『意欲しうる』ためには、『意欲することを意欲する』しかない。『始めることから始めねばならない』とも言われているが、このように『意欲することへの意志』こそ、ジャンケレヴィッチのいう『勇気』なのである。

 

ジャンケレヴィッチという稀有な哲学者について書かれた本。

音楽の独特の解釈が相変わらず好き。『徳について』『疚しい意識』などを読めたい

 

6.知覚の哲学入門(ウィリアム・フィッシュ)

知覚の哲学入門

知覚の哲学入門

 

これの読書会をしようといってくださった方がいたので手に取りました。

途中から怒濤の読み切りをしてしまった(普通に楽しかった)。なんでむしろ最終章から書いてくれないんだ!!と思うくらい形而下に落とし込まれたほうがわかりやすい本だった 教科書というか放送大学の教科書にそっくりの形式で進んでいくのでなんだか読みやすい。メルロ=ポンティとかフッサールとか三木清を読んだ後でデネットとかポール・チャーチランドを少し読み、そのあとこれを読んだのだけど現代の認識に関する哲学の全貌を知らないので参考書みたいな位置付けになりそう

どうしても臨床にいたり認知心理学とか認知科学の本を読んでいると実際の経験が多いもので、論理的な部分というか形而上の話がうまく理解できていないと思う けど副詞説のくだりはまさにクオリアの問題なのでそういうアプローチもありかよ!と思ってたいへん楽しかったです 後半になると失認とかの話が出てくるので臨床の人も読めると思います(むしろ哲学畑の人にはこの感覚わかりにくいのではないだろうか)

 

7.中動態の世界 意志と責任の考古学(國分功一郎

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
 

認識論的な話に帰結するのであるけれども、何かを論ずるにあたって誰かの思考を借り、その変遷を時代とともに追っていく楽しさが本の中にありありとあった。旅をしているみたいな感覚だった。なによりこの本が、医学書院の、『ケアをひらく』シリーズからでているということに私はとても嬉しさを感じる。つまり、医療や福祉に携わる人々の目にとまるべくして書かれている。これは、自由意志を簡単に論じ、断罪してしまうこんにちだからこそ是非読まれて欲しい。倫理的諸問題に向き合うとき、自己決定というものはどこから生ずるかを考える必要がある。それを、たとえば知識のなさや教育の欠如、貧困などの切り口から入りこむこともできるし、制度や政治と法律の問題に置き換えることもできる。でも、『ことば』と概念に向き合うのもまた楽しい。言語で知覚を制約する、方向付けることは可能である。これはちょうど先に読んでいた『知覚の哲学入門』の副詞説でもでてきていたのだけれど、ことばにおいても『生命、エネルギー、進化』で論ぜられたような、文法構造による概念の発生があるのだなあと思って。

あと、余談やけど最後の方に章題が『これでカツアゲを説明できる!』とあって笑ってしまった。

 

8.受肉―「肉」の哲学(ミシェル・アンリ)

受肉―「肉」の哲学 (叢書・ウニベルシタス)

受肉―「肉」の哲学 (叢書・ウニベルシタス)

 

肉の概念についてはキリスト教的世界観の理解が必要ということはよーくわかった。それとは別に、ちょっと考えていたことがある。

 

パトスとロゴスについて。5年くらい前にも同じようなことを考えたことがある。じぶんは、感性と感受性について、感受性は『ただ受け取ること、感じ入ること』の能力であって『それを表現すること』とはまた別物だと思っている。それは今も変わらない。それに対して感性とは、何かを表現しうるという可能性を携えたものだと思っている。感受性と比較するのであれば、感受性は受動的なものであり感性とは強い情念に裏打ちされた表現力のようなものだと思っている。そして私は感性を尊重する。この感性をパトスによる力だとするならば、その表現においてときに表出の仕方がロゴスの力を借るものでなければならないときがあると思う。パトスはそれだけでは余人と共有しうるものではないので、ロゴスにより共有可能な形式になる。パトスがもとより弱い(少ない)ひとの心の裡にもそれを巻き起こしうるのは、ロゴスによるものであるとも思う。理論、モデルといった形式や定性のもつ美しさという世界もある。それはそれでひとつの芸術であるとも感じる。じぶんはどうも昔から感受性しかない人間だったのだけども

その感性の弱さや知性の貧相さを嘆くよりは、知性の懐広さと豊かさに慄くほうがよほど楽しいと思うようになった。その『愉悦』の感覚はまさしく感受性、弱いパトスのようなものがもたらしてくれたものであるし、弱いパトスが豊かなロゴスをくれ、豊かなロゴスは以前より大きなパトスをくれる。論理を構築する意味や言葉を尽くす意味はこういうところにあるのではないかな、とたまに思う。ジャンケレヴィッチが『えもいわれぬもの』と表現したように。

 

9.触覚、―ジャン=リュック・ナンシーに触れる(ジャック・デリダ

触覚、―ジャン=リュック・ナンシーに触れる

触覚、―ジャン=リュック・ナンシーに触れる

 

こうして触れることは隣接したものであり続け、自らが触れないものに触れる。それは、自らが触れるものに触れず、触れることを禁欲する。またそれは、欲望と欲求の只中で自らを抑制する禁欲のなかで、実はその欲望を形作っている抑制のなかで、自らの糧となるものを食べずに食べる。自らを耕し、育て、教育し、訓練するようになったものに触れずに触れつつ。

 

もちろん彼に教えたり知らせたりすることは何もない。そのそばではつねに黙って耳を傾ける方がよい思想家の一人に考えさせたり、考えさせようとすることが、どうしてできようか。それゆえ私は、彼に何も言わずに、せめて彼に触れたかったのだ。とは言っても、気配りを欠かさずに、節度ある距離をおいて。

しかし、気配りをもって。彼の心を揺さぶることなく彼に触れること。要するに、彼に何も言わずに、あるいは誰が話しているか告げずに、彼に知らせること。彼に知らせること、しかし触れることの問題について彼と何も共有さずに、彼であればこの知らせのなかで彼に触れる何かについて語るであろうように。私の感嘆を示す友愛の証しによって、彼を邪魔したり、うんざりさせたりせずに。ほとんど感じ取れないくらいに、触知できないくらいに。

ナンシーについては『共同-体』しか読めていないのでなにを理解したというわけでもないのですが、とにかくデリダの文章が読みたかったという気持ちが強い。実際いい文章でした。

 

10.人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計(メグ・ジェイ)

人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

これもたしかTwitterの方に教えられて読んだのだと思うけれど、なんというかこの人の『対個人性』と『臨床性』がつよく前に出てしまって結構忌避感強かった。回避性のあるパーソナリティとかにはええんかもしれません。なによりまず、『子どものいる家庭がハッピーエンド』だと決めてしまっている時点でこの人の価値観を強く疑う。それは相手がだめだったからうまくいかなかったとかではなく、単純に人の社会的価値を測りすぎとちゃうか、と思うの。本を出すにあたってはもっと慎重になるべきだと思ってしまった。もちろん、将来『なんとなく』結婚したいとか、子を設けたいとか、いい仕事に就きたいと思っているだけでなんの行動もできない人間にはよく効く薬だと思う。けど私のような読者には向かない。

 

まあ確かに、20代で決まるとは思うのです。でも、それを絶対視する理由もなければ上記の理由でそれがハッピーだとも限らない。私たちは不確実性の時代に生きているので、だからこそ、それ以降も変わり続ける必要はあると思うのです。

 

ああ、そうだ、この1年のはなし。

ただ働くだけなのが不安でなにかはじめたいけど勉強もはかどらず、本を読み始めたのですが、本を読むだけで「なにかがトレーニングされるわけではない」ことは、100冊読破が1度終わったときに書いたような気がします。意識高い系または虚無感に包まれている系の矛盾はそこにある。なにかをトレーニングせずして武器にすることは叶わないのです。私も得物が欲しい(物騒だなあ)。

 

100冊読破 3周目(61-70)

1.<ひと>の現象学鷲田清一

 

<ひと>の現象学

<ひと>の現象学

 

 みなが貧しかった時代には、家族や地域に、柳田國男のいう「共同防貧」のしくみがあった。その家族や地域の閾が鬱陶しくて、それを経由しないで他者とじかに接触するというのは、それによって生じる傷もまたじぶんで引き受けなければならないということだ。それが「自己責任」の論理である。

社会構造の知覚、身体の可処分性などなど鷲田教授のいつもの抜群な言葉選びで綴られています。とても読みやすいですし、内容としても理解したければ高度なところまで含まれていて実に充実しています。なにかについて、考えるきっかけになる一冊です。とてもおすすめ。相変わらず臨床屋さん向けではありますが、今回は上記のように社会学的な側面も顔を覗かせます。

 

2.〈こころ〉はどこから来て,どこへ行くのか(河合俊雄)

〈こころ〉はどこから来て,どこへ行くのか

〈こころ〉はどこから来て,どこへ行くのか

 

うーんこれ自体を読んでどう・・・というものでもなかったかしら。

言説をそれぞれ読み進めるのは楽しいですが、これを読んだから何かがわかるという類の本ではないし、それぞれの研究領域をおさえていたら内容が楽しめるかな、という本です。まあもともと対談本自体がほとんどそういう「なにかを説明する」類のものではないのですが。

 

3.Hatch組織論 -3つのパースペクティブ(Mary Jo Hatch)

Hatch組織論 -3つのパースペクティブ―

Hatch組織論 -3つのパースペクティブ―

 

これのために、前の記事で書きました。

streptococcus.hatenablog.com

ハッチの組織論は実にいろんな角度から「組織」そのものの構造とその内容を記していて、好きなところを読んでもいいようにできた本だと思います。

マネジメントに興味がある方なら是非読んでみていただきたい本です(私からこの本の魅力はどうにも伝えきれない気がするので)。

 

4.哲学的な何か、あと科学とか(飲茶)

哲学的な何か、あと科学とか

哲学的な何か、あと科学とか

 

誕生日におすすめ本を募ったときに人に教えてもらった本です。とにかく読みやすいというかとっつきやすい。これを読んだからって哲学がわかるといったら各方面から助走をつけて殴られますが、楽しく読むにはこういう「考えることを楽しんでいる」人のものがいちばんである気がします。

シュレディンガーの猫とかゲーデル不完全性定理とかを哲学の命題と絡めながら展開していきます。

後世に名を遺す哲学者の多くは(すべてか?)哲学以外の学問にもかならず習熟しているので(そもそも哲学という学問領域は他の学術領域の延長にいつもあるように思われるので)数学的概念の理解ができたらもっと楽しいだろうなあと思うのです。でも私は哲学的ゾンビの話はあんまりおもしろいと思えない(なぜなのだろう)。

様相実在論を唱えたディヴィッド・ルイスの『世界の複数性について』を今読んだら面白い気がする。

 

5.狂気の社会史―狂人たちの物語(ロイ・ポーター)

狂気の社会史―狂人たちの物語 (叢書・ウニベルシタス)

狂気の社会史―狂人たちの物語 (叢書・ウニベルシタス)

 

古の健康なギリシア人と我が身を対照しみよ、と言ってニーチェは倦むことなく彼の時代を苛んだ。彼らギリシア人は自由な精神をもち、健全で、身心ともに健康な人間の代表であった。「彼らは人生の生き方を知っていた。」

こういう書き口の本を読むのは得意でなくて、とても時間をかけて読みました。ただ、ニジンスキー(バレエダンサー)やシューマン(音楽家)、ニーチェ(哲学者)など私でもさっと作品が出てくるような人たちのその生命の痕跡が病跡として残されているのは大変にありがたいことですし、興味深いことでもあると思います。この本を下さったのはかさっぱさんなんですが、私も同様に、芸術家や学者といった後世に名を残す人間たちの『軌跡』『知覚』について知るのが好きなのです。

中世~近代の精神疾患(あるいは精神病質)の扱いの歴史、無残なのですが読んでおいて損はないといいますか、そういう歴史はやはり知っておくべきものなのだろうと思ったりします。

 

6.反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体(森本あんり)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

昨今のアンチワクチンとかそういう系かな?って思ったら意外と合衆国成立の宗教的背景とかの話でした でも先住民のジェントリファイとかはやっぱり日本にはなかった文化なのでなんというか面白いというか皮肉なもんだなと思います。良くも悪くもさっくり読めます

 

7.エスノメソドロジーを学ぶ人のために(串田秀也

エスノメソドロジーを学ぶ人のために

エスノメソドロジーを学ぶ人のために

 

このシリーズ『◯◯を学ぶ人のために』、めっちゃいい。放送大学の教科書と章立てがにているから読みやすかったのもあるかもしれないけど、前回の宗教社会学〜もほんとよかったんですよ。

計量社会学的なことは大変意義があると思うけど、要素化しきれない、比較しきれない部分を抽出するにはエピソードの解析手法が問われる。量的分析はそれこそ経済学とかでよく目にみえるけど、固有の文脈やコードの内容の解析はやってみんとわからんなという感じがある。

色々のことを考える。仕事のうえだと、私たちは固有の言葉や文化をもっていて、それは対患者だけではなくこと医療者間、さらには同業種間で用いられる。ちょうど今は新人が育つ時期なので、彼らがこの独特のコードを獲得することについて考えたりする。あるいは、病気という固有の文脈に限れば、こと病歴が半生よりも長いひとを相手にすることも多い自分に関してはこういうコードの理解は実に大切で、また暗黙知から言語に転換される必要性も感じる。現場にいてさえ、これが明確に言語化されているところをあまり見ない)。ところで、ふつうの、普段のコミュニケーションについても考える。会話の噛み合わなさ、'次元の違い'、あるいは文脈の違い。相手が文脈の違いに気がついていれば崩壊したコミュニケーションは修復や副え木することが可能だが、できなければそのまま諦めるしかない。

ふと、東京に遊びにいった時にすごく面白かったのを思い出した。二人の会話がまるでテンプレートをなぞっているようで、台本の棒読みのようで面白かったのだ。『そこになんの齟齬もないようにみえる』ことが、こんなにおかしく感じられることだと思わなかった。コードは個人やバックグラウンドによって異なって当然なので、会話が噛み合わなさそうだと思ったら、互いの諒解のために沈黙や訂正や聞き直しが必要になることはあって当然だと思う。それがまったくないことは、むしろ打ち合わせられたドラマみたいに思えた。果たして彼らは本当に共有できたのかと。

まあそんな与太話はよして、これはふつうに面白かったです 診療場面の解析なんかもとても面白かった(エコーをお腹にあてながら説明するとか、術前の説明とか)。我々は自分のコードを翻訳して相手に伝えるとともに、相手の無意識のコードを解釈して自分たち用に処理しているのだろうなと思う

 

8.ブルデュー 闘う知識人(加藤晴久

ブルデュー 闘う知識人 (講談社選書メチエ)

ブルデュー 闘う知識人 (講談社選書メチエ)

 

フランスの社会学ピエール・ブルデューの本の翻訳・通訳をされていた方が書かれた本。

ブルデューそのひとについての本を読んでみて思うことは、この本の中にもあったけど「社会学をはじめ歴史学、美学、芸術学、政治、哲学、文学、人類学を学ぶにあたってブルデューを解釈することは極めて重要である」ということと同時に、自分の中に基準となる学術領域があることは面白いということ。それは私の場合は仕事のことでもあるのだけど、それ以上にもっとずっと昔から音楽とは親しんでいて、時代を解釈するときにそのとき営まれていた音楽と音楽教育、音楽の集会(聴者のものであり奏者のものでもある)の形態を理解することが役立ってきたなあということ。音楽を理解することは社会の大衆の営みと貴族文化の営みの双方を理解することであったし、宗教の有り様を理解することでもあった。だからそういう風にして、基準となる学術領域からの視点で時代を俯瞰するとともに「その時代の視座に立つ」必要もあるであろうと思われるのです。

ブルデューとジョルジョ・カンギレムの関係も、多分この本を読まなければ知らなかったのであろうと思われます。自分が拠って立つにしろそうでないにしろ、何か学問を深く学びたいときに「その体系」を時系列に整理したり、交錯していた年代を理解することも面白いです。

 

9.社会哲学を学ぶ人のために(加茂直樹)

社会哲学を学ぶ人のために

社会哲学を学ぶ人のために

 

これあれだ、『いま、世界の哲学者が考えていること』の、まじめ版といってもいいかもしれない。まあその本はわりと一般人向けに書かれているので情報分野とかはとくによく書かれているのだけど、あれ読んで面白かった人はこれ読めると思う。語彙も平易な入門書といえそう

対して公共の哲学の難しさは、なんというか空間やコスモポリタニズムと政治の扱いにあるのではないかなという気がする。公共哲学とはなんだろう、という本も読んだことがあるけど、こっちの方が概念理解がスムーズなのだ

イメージとしては、社会哲学を学ぶ人のために>エスノメソドロジーを学ぶ人のために>公共哲学とはなんだろう、を読むと概念理解はどんどん形而下から形而上に進んでいける。ただ扱う規模に関してはエスノメソドロジーが一番小規模でわかりやすいね

 

10.言語ゲームと社会理論―ヴィトゲンシュタイン ハート・ルーマン橋爪大三郎

ヴィトゲンシュタインの思考にちょっとでも触れたくて読んでみたのですが、読了後書いたものがルーマンに詳しいらしいひとからつっこみを受けました。

すみません、ハートにしろルーマンにしろ私はそのときはじめて聞いたようなド素人です。

本文内容とは別に、あとがきがものすごくきれいな文章だったのでちょいと引用させてください。

本文を書き了えたいま、あとがきに書くべきことが思いあたりません。と言っても、会心の出来といういみではないのです。これはまずった、しくじったというところばかり。手を入れればきりがないし、いまさら言訳けは見苦しいし。大きな口をたたいたわりには大した仕事もできていない自分を愧じる気持で一杯です。つぎの書物で挽回するしかありません。

日本は、あるいみでは、厳しい土地柄です。まっとうな学問的努力、創造的営為をまっしぐらに持続しようとするとてきめんに、いろいろ理不尽な障碍にぶつかるらしいのです。皆さんもご存知でしょう。しかしそうした困難も、また、それをわが糧としないようではなんの創造的営為と申せましょう。

ものを書く。考える。……これすべて無償の営為であることは、言うまでもありません。自足せる栄光であります。それなのに、わずかとはいえ印税なるものまで手にできるとは、これぞよいしるし、商品世界の有難さに思わず感謝せずにはおれません。もしもその上、この書が読者の喜びーーお支払いいただいた代価の苦痛を上回る喜びーーともなるなら、これを仕合わせと言わずして何としましょう。そうあれかしと祈るばかりです。

さいごにやはりこのことだけは。畏友落合仁司氏の口ぞえこそあれ、無名の私に執筆のチャンスを下さり、周到な編集者の配慮をもって終始根気よくおつきあいくだはった富岡勝氏に、どう感謝すればいいのか。氏の(口車とは言いません)適切なおすすめがなかったら、本書をまとめる気はおきませんでした。とにかく心からお礼を申します。

著者識
一九八五年二月

 

ハッチの組織論を読む

組織論については結構いろんな本を通して考えてきたような気がするけれども、この本がいちばんいろんな角度から検討されていてなおかつ実用的であったと思います。ほとんど教科書みたいな本なので(というか教科書なのでしょう)、読みたいところだけ読んでも面白いと思います。今までマネジメントを専門にする本は数冊読んでみたのですが。

Hatch組織論 -3つのパースペクティブ―

Hatch組織論 -3つのパースペクティブ―

 

 他の本だと、とりあえず知っておくべきかとおもってドラッカーのマネジメントとか、スティーヴン・ロビンスの『組織行動のマネジメント』を読んでみました。

【新版】組織行動のマネジメント―入門から実践へ

【新版】組織行動のマネジメント―入門から実践へ

 

このあたりも確かに面白くはあるのですが、動的システムについての話や中で動く人間のソフト的部分についての話がメインになってくるのでどうしても「経営」っぽくなってきます。

 

較べてハッチの組織論は、組織の成り立ちとその解釈、職種というか階層による組織構造の比較と時代の変遷、実際に組織が生まれる場所についての検討などハード面の解釈からはじまります。

モダン―シンボリック―ポストモダン、という言葉に慣れない方は大体その時代の観念的なものとして流してしまっていいような気がします。

 

 

 

▼組織の知覚について

ここからは自分なりの組織解釈の話になるのですが、1年目のときに「病院」という組織やそのうえの組織、あるいは「部門」「病棟」といった単位の組織がどのようにマネジメントされているかにひじょうに注意を払った覚えがあります。1年目のツイートを掘り返すとそんなのばっかりです。「組織とはなにか?」「組織の一部として機能するとはどういうことか?」みたいなことで悩んでいたようです。

我々はどうあっても、チームで動く以上いやでも組織の一員なので、それからはぐれるようなことがあってはならないのです。むしろ組織的な行動が苦手であればあるほど、組織のふるまいというのに注意する必要があることはわかっていたのだと思います。

 

組織の暗黙知はこと技術職については多くみられる傾向で、またプロジェクトが横並びでない(=その場所で経時的に行われているひとつの大きな目的のための行動)場合、場所の理解というのはとにかくはやく明らかにしていかなければならなかった。

 

1年目のブログにこんなことを書いておりました。

 ▼1 能力の分配と集団のパフォーマンスの向上について

これは新人になって1か月くらいのときからずっと思っていたことなんですが、学生のときにはほとんどまったく気が付かなかった視点でした。

いや、実際には学生もその中に組み込まれており、時にスタッフからある程度信頼して役割を与えてもらえることに喜びを感じたりもしていたのですが、やはり今ほど実感してはいなかったような気がします。

自分がぺーぺーの新人であることに自覚的である必要に迫られます。今の自分にどれくらいの能力があってどこからは人の手を借りなければならないか、なんていう話を経時的にしていかなければならないわけで。

 

そんな中で、ごく自然になされているのが実は『スタッフ間の能力調整』だと思います。みんなはっきり言わないので実にわかりにくいです。私みたいな言葉にしないと理解しえない人間に雰囲気で理解させるのほんとやめて欲しい。

つまりスタッフのパーソナリティを理解してその仕事の密度・精度をある程度お互い共有しておかなければならないようです。得意・不得意をなんとなく理解していないと、本人のもてる最大の能力は発揮できないでしょうから。

別に私の職に限った話ではなくどの組織でもそうだと思うのですが、あまりはっきり明示されている例を見ません。そういうことは『当たり前』の『常識』として扱われるのでしょうか。だとしたらとんだ常識ですね。

この『常識』についてはこの1年とちょっとで色々方法論を手に入れたのですが、そうでなくてはやっていかれなかったと思います。そのくらい、暗黙のコードになってしまったシステムの文化とは扱いづらいものなのです。

 

 

あと病院の空間知覚に関しては気力がないので今度にする。

100冊読破 3周目(51-60)

1.現代社会の存立構造(真木悠介

現代社会の存立構造

現代社会の存立構造

 

 2014年に、この本を解読する本が発刊されているようである。社会学と大きくはいうものの、括りとしては資本主義経済と労働と個人の関係性を説明しているように感じる。そしてすごく腑に落ちた部分があるのだけど引用すると長くなるので簡単にまとめると、社会学の記述の手法として、マルクスもそうしたように昨今の複雑化した社会について説明するにあたり『謎』を解くところから入るのではなく、その問題を構成する社会の様相を『解析する』『吟味する』『再構成する』ことはむしろ先行するものだということ。なるほど、と思ったのです。最近でもいっていますが自然科学は謎そのものに関してそれを研究する知識と実践する手法が整っていればすぐにでも取りかかれるかもしれないけれど、社会科学をしたいのであれば様相を読み解く必要はあるだろうなと。まあ他の本にもそんなことは書いてあるのですが。

 

2.内的時間意識の現象学エドムント・フッサール

内的時間意識の現象学

内的時間意識の現象学

 

最近ちくま学芸文庫から文庫本が出ているのですが、以前『現象学の理念』を読んだ時と同じ訳者の方のものが読みたいのもあってこちらにしました。『現象学の理念』を読んだ頃は多分まだ100冊読破は始めていなかったか、始めていても全然哲学は読んでいなかったときでした。認知心理学あるいは神経科学の本をあれこれ読んでからこれを読むと、意識作用と呼ばれるものはほとんど知覚における作動記憶であるように思えるのですが、感情を生起させる現象と意識作用をはっきりと明確にわけた点が(それまでは同時に扱われることもあったために)わかりやすいなあと感じました

哲学は哲学それだけを知ることができないものですが、こうやって経験や他の学問に置き換えると概念が面白いのでやっぱり哲学は読んで損しないというか、充実しているなあと思うのです。『知覚の現象学』の時間の知覚バージョンという感じがしたといったら失礼なんでしょうかね。

 

3.自由論(アイザィア・バーリン

自由論

自由論

 

われわれの知性は不完全である。…この「人間の状態」は数えきれないほど多くの諸要因の複雑な相互作用の所産であり、その諸要因のうちの少数しか知られておらず、そのうちのさらに少数はコントロール可能であるが、大部分はほとんどまったく認識されてはいないのである。それゆえ、われわれのなしうることはわずかに、しかるべき謙虚さをもってわれわれの状態を承認することである。われわれはみなひとしく暗闇の中にあり、その中で他よりもより大きな目的にめぐりあうというようなとのはほとんどないのであるから、われわれは理解につとめ仁慈を施すのでなければならない。

最初の方で、20世紀の哲学について、病気やある特性のことを治癒しなければならないものとしてとらえてしまう、結果抑圧してしまうというくだりがあり、その問題は21世紀でもひとびとの頭を悩ませているなあと思いました。20世紀には想像がつかなかった情報通信技術の発達により、それまで大して問題が明らかになっていなかった認知や発達の傾向が如実に現代社会への適応・不適応として現れたのがその証と思っています。けれど幸いなことに、我々はそれを観測する技術も同時にもっている。それを自体を幸か不幸かを論じるのはあまり適切なこととは言えないかも知れませんが、冷笑的にみることはどうしてもできないので、斯様に知覚へのアプローチが可能になった現代であえてこの本を読めることについてはたいへん幸せに思います。

 

非常に優れた書物だと感じたことは先にも書いたけど、後半のJ.S.ミルに関する文章はなんというか前半とまた違ってひじょうに躍動的だった。本人のことを本人よりも知っているのじゃないかと思うくらいだ

バーリンがすごいのかミルがすごいのかわからなくなってくる。政治哲学という分野にありながら科学への姿勢もすごく同意できる 合理的なことが一元的にすべての言説を支配しかねないことへの警鐘もあってとてもいい。

 

4.眼と精神(モーリス・メルロ=ポンティ

眼と精神

眼と精神

 

最初の自我は、このように自分というものについて何も知らないし、それだけ自分の限界もわかっていないわけですが、それに反して成人の自我は、自分自身の限界を知っておりながら、同時に本当の意味の共感によってそこを超え出る能力をも合わせ持った自我になっていきます。…当初の共感は、〈他人知覚〉よりはむしろ〈自分に対する無知〉にもとづいていたわけですが、成人の共感のほうは「他者」と「他者」との間に起こるものであって、自己と他人との相違が消滅することを前提に成り立つようなものではないからです。ーメルロ=ポンティ『眼と精神』より「幼児の対人関係」

表題である眼と精神そのものについては60頁あまりにまとめられたものであり、わたしは先に『見えるものと見えざるもの』を読んでしまったためにそこから得るものは多くはなかった気がする。ただむしろ、他の講演録がめっちゃよかった。フッサールの解説とか素晴らしい。

 哲学者とは、目ざめそして話す人間のことであり、そして人間はみな暗黙裡に哲学のパラドクスを含んでいます。なぜなら、完全に人間となるためには、人間は、人間より少し以上のものであり、また人間より少し以下のものでなければならないからです。ーメルロ=ポンティ『眼と精神』より、哲学をたたえて

 

5.はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内(野矢茂樹

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
 

現代版『ソフィーの世界』という感じだ 哲学版『数学ガール』でもいいか。これ読むと、なんというか、ヴィトゲンシュタインの論考を読み直さなければならないような気持ちになる。哲学の本読みたいけどどう読んでいいかわからない人向けでもあり、哲学の基本に立ち返りたいとき向けでもあり。

「やっぱり言葉を書かないと抽象的なことについて考えることは無理じゃない?」みたいな言説が出てくるのはわたしは大変嬉しかったのです。言葉を書くことは世界を読むことです。

 

6.ゲンロン0 観光客の哲学(東浩紀

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

 

ストレンジャーの偶然性と『常識』の複数性、という感じがした。あと社会的紐帯についてはこのひとのいう『家族』の概念は完全に私ももっている。それゆえにとてもしんどい。この家族というのはコスモポリタニズム的なものではなくて、もっとゆるい紐帯のことを指しているといっていいと思う。

余談だがわたし奈良で育って京都にいるので、土着の人とストレンジャーとその間、について考える機会は多かった。それが今の都市論や公共性の哲学への興味の源泉にもなっているのだけども。

 

7.世の初めから隠されていること(ルネ・ジラール

読むのめっちゃ大変やった。対談形式なのでまだ読めるといえば読めるが果たして読む意味はあるのかと思うような苦行になってしまった。が、読んでいけばまあ納得できる部分もありそうでない部分もありといった感想。

第1部では宗教的な暴力(このあたりは同著者『暴力と聖なるもの』に詳しいのだと思うが読む気力はない)に対する構造主義的分類を批判するところ。暴力を象徴的に扱うよりもある固有の文脈において解釈する必要があるであろうという。

第2部は新旧の聖書における暴力性の解釈について。第1部の文化人類学的な解釈を抽象化して模倣対象に仕立て上げてしまったのが聖書における種々の不可解な暴力でないか?という提起。第3部は当時名を馳せたフロイトラカンを批判する。

つまり、文化人類学的・宗教哲学的観念をもって精神分析を疑い、病跡学的にしてしまうことへの警鐘を鳴らすわけなのだけど、まあいずれにしても原著はいまから70年くらい前の本で、本人は当時の精神科医かつ文芸批評に卓越したひとなので言うてることがまあわからん。

 

8.勉強の哲学 来たるべきバカのために(千葉雅也)

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 面白くて一気に読みきってしまった。ドゥルーズ&ガタリが好きなので用語の簡単な解説も兼ねてくれていてなんというかありがたい。『千のプラトー』『差異と反復』の復習みたいな気持ちも込めて読みました

何がいいかというと本の読み方が書いてあること。本を100%理解することは(真面目な本になればなるほど)できない。前半は、「勉強」をどのように進めていったらいいかわからない人向けで、後半はやっていきが出てきた人のための章という感じ。

 

9.世界のエリートが学んでいる教養としての哲学(小川仁志

実際にこの本読んでるビジネスマン見たら恥ずかしくて顔から火が出る。

エリート「だから」つまみ読みをするのではなくて、本を大量に読んで処理できるような頭があるからエリートになるというそれだけのことである。ブルデューディスタンクシオンでも読んでろ、という感じである

 

10.何も共有していない者たちの共同体(アルフォンソ・リンギス)

何も共有していない者たちの共同体

何も共有していない者たちの共同体

 

この本好きすぎて引用ばかりしてしまう。

苦しみから逃れることができない他者の介抱をする際に、そして、死を待つ他者と共に苦しむために傍に寄り添うときに、人は、世界の時間とは切り離された時間を耐え忍ぶ。死ぬには時間がかかる。

…切迫しているものは、絶対的に手の届かないところにあり、理解不能で、否定することも、相対することも、延期することもできない。切迫しているものは、未知のものであり、不可能なもの、すなわち無としてすら感受することができない。

…死が差し迫ることによって、人は、可能性にたいして自分の力を結集させることによってしか再現したり保持したりできない過去から、切り離されてしまう。人は、最期の瞬間が待っている遠い場所へと歩を進めていくのではない。人は、漂う時間の中に、どこにもたどり着くことなく進みつづけるよう強制されている時間のなかに、自分が宙吊りになっていることに気づく。死は、絶対的に、個人の歴史や人格間関係の歴史の時間の外にあって、無限に、そして遠い昔からやってくる。それは、どこから来るのでもなく、どこに行くのでもない、時間の合間で起こるのだ。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より「死の共同体」

またねえこれ最後の文章がいいんですよ・・・

人が出かけていくのは、そこに行くように駆り立てられるからだ。人は、他者が、彼または彼女が、ひとりきりで死んでいくことのないように出かけていくのである。敏感さとやさしさと共に動かされる人の手の動きのすべてが、他者を感受する力によって、その人に向けられた命令を感知する。人は、他者のために、そして他者と共に、苦しまずにはいられない。他者が連れ去られてしまったときに感じる悲しみ、いくのでかる薬も慰めも効かなくなったときに感じる悲しみは、人は悲しまずにはいられないということを知っている悲しみなのである。ーアルフォンソ・リンギス

 

なにとはいわないが、臨床の人にはほんとうにお勧めしたい1冊であります。 

100冊読破 3周目(41-50)

1.ハイエクの政治思想―市場秩序にひそむ人間の苦境(山中優)

ハイエクの政治思想―市場秩序にひそむ人間の苦境

ハイエクの政治思想―市場秩序にひそむ人間の苦境

 

 『市場原理か、隷従か』というのはまさしく現代の様相だなあとおもう。消費活動をし、雇用により稼得をもつようになったもの。ハイエクの本を読んでいると、経済学者というより社会学者的であるというか、今で言うなら公共の哲学に近い概念をもって論じていたんだろうなと思ったりする。「ハイエクの経済思想」を以前に読んで、こっちも読みたかったので読んだのですが。

後から学ぶにハイエクは経済学の中でもかなりリベラリズムよりのひとなのでもう少し読んでおきたいです

 

2.聖なる怠け者の冒険(森見登美彦

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

 

 久々の小説です。東京小旅行中に暇になったので買いました。なぜか、伊坂幸太郎の『SOSの猿』を思い出した。なんか外れ値っぽい作品なのに、じんわりと思い出すことが多い。なんというか、時代の変遷を感じます。この話は「大学生」ではないのです。

私はわりと好き。

 

3.猫なんて!(角田光代

これも旅行中暇にあかして読んだ本。錚々たる面々の本だったので、旅の合間に暇ができたら読んでいたのだけど、特に心動かなくて寂しかった。沼田まほかるの『猫鳴り』が良かったからやろうか。あえて猫をテーマにすると難しいもんですね。

 

4.アブダクション―仮説と発見の論理(米盛裕二)

アブダクション―仮説と発見の論理

アブダクション―仮説と発見の論理

 

Twitterでとある人が遠くからオススメをしてくださったので読みました。

記号論理学者のパースが提唱した理念について、科学における論理学的適用を検討した本 という感じ。カール・ポパーを読んだこともなければジョン・スチュアート・ミルを読んだこともないので比較しての話に入る後半は大変厳しいのだけども記号論理学としては我々には馴染み深い入り口だったのでは。なにせ私が今まで論理学らしい本で読んだものといえばヴィトゲンシュタインの『論考』やらホフスタッターの『ゲーデルエッシャー、バッハ』だったもので記号論理学というものに忌避的になるのも仕方なかろう 意思決定理論に出てくる記号はかろうじてついていけるという程度。しかし哲学というよりは科学だ なんといっても科学的思考というか研究の仮説とかがどんなふうに組み立っていくのかとか、帰納的ではない共通項の発見とかを直観ではなく論理によって説明したものって今まであまり見なかった気がする 人間のアブダクションと機械のアブダクションを知りたくなる。もっとも機械にアブダクション…はないのかもしれないけど、パターン認識の精度の向上と複雑性の容認によってある程度『人間のアブダクション』に近い推論はできるようにならないかとついなんかわくわくしてしまったりするな

 

5.共同‐体(コルプス)(ジャン=リュック・ナンシー)

共同‐体(コルプス)

共同‐体(コルプス)

 

これは真に私の体である"がもしも何かを言うとすれば、それは言葉の外部においてであり、それは言われはしない、それは外部に刻印されるー我が身を省みずに(身体を失いながら)。

 

私はエクリチュールと琴線に触れるようなセンチメンタルな代物との区別はつく。とはいえ、私の知る限り、触れないようなエクリチュールはない。

本屋においてあって気になっていたのですが、共同体概念というより『個』と『共同』の境目について問う話に近かったです。なんというかこういう感じの本(ジャック・ランシエールとかデリダとか)難しくないですか。とても難しい。消化不良です

 

6.死と愛―実存分析入門(V.E.フランクル

死と愛――実存分析入門

死と愛――実存分析入門

 

苦悩は人間を無感動に対して、即ち心理的凝固に対して、護ってくれるのである。われわれが苦悩する限り、われわれは心理的に生き生きとしているのである。また更にわれわれは苦悩において成熟し、苦悩において成長するのであり、苦悩はわれわれをより豊かに且つより強固にしてくれるのである。

『愛について』の章で、イブニングドレスの喩えに悶えました。ドレスが美しかったりドレスを着ていてたまたま映えるのではなく、「その人がドレスを着ている」という事実にうつくしさを感じたり魅力を感じるのだと書かれていたり。

あとついつい笑ったのが、「初めての人になりたがる人間は嫉妬深いが、最後の人になりたがる人もまた多くを求める人間である」みたいなくだり。まあ確かに強欲ではありますよね。「あなたの最後になりたい」だなんてね。誰も確かなことは言えはしないしね。「愛とは誠実であることを含むが、誠実は己に対して誓うものであり他人に要求するものではない」というくだりもうなずきすぎて首がもげるかと思いました。そして他人に要求した結果、「自らその人を第三者のもとに差し出すことになる」とも。

フロムの『愛するということ』は、自分から万人に対する愛のようで、agape的であるのですが、フランクルのそれは本当に愛しい人生の伴侶に対しての、またそのときその場所に隣にいてくれる人への感謝というか深い愛情を思い起こさせてくれるのです。そして類型分類(性格や病質などの)に当てはめて心的状態を自ら知覚したり統御することの放棄を『放棄』と書くあたり、本当に手厳しいなと思います。ときに類型に逃げることで安心することもあると思うのですが・・・

 

7.リベラルな徳―公共哲学としてのリベラリズムへ(スティーヴン・マシード)

リベラルな徳―公共哲学としてのリベラリズムへ

リベラルな徳―公共哲学としてのリベラリズムへ

 

かゆいところに手が届く本。個人と政治の関係になるとリチャード・ローティとかランシエールとか、あとジョルジョ・アガンベンとかなんかちょっぴり言葉回しが難しい理論が出てくるのにこの本は翻訳者の努力もあってものすごく簡潔にいいたいことが伝わってくる

リベラリズムコミュニタリアニズムの共和の方向性の模索について、功利主義と社会契約的道徳の関係性について、教育と市民的な徳の重要性について。司法の部分はやや難しいけどそこを除いて読んだって多分公共哲学としてはかなり良書の部類だと思う。言葉は平易だが概念は難しい、難しいけど必要。サンデルとロールズを引き合いに出してくれたこともとてもよかったと思います あの二人についてはなんというか立ち位置や使う言葉が常に明白なので比較されたときにあ、あれのことかってすぐ思い出せる。

 

8.自由の倫理学リバタリアニズムの理論体系(マリー・ロスバード)

自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系

自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系

 

著者は10年ほどまえに亡くなられた経済学者なのですが、これ読んでみたらわかりますがなんというか個人主義も行き過ぎやろ状態です。アナーキズムとは・・・という気持ちにさせられました

 

9.数学ガールの秘密ノート/やさしい統計(結城浩

数学ガールのいいところはあくまで「数学」に忠実であるところだ。途中から数学であることを忘れて、統計そのものにのめりこんでいたので期待値の計算がややこしくなってきたところで微妙に音を上げたのですが概念上の理解に戻るのはとても楽しい。数学本当に苦手意識があるというか、高校でやっていた教科の中でもできない方だったのでわかっている/いないというところに非常に不安があるのです。『原因と結果の経済学』とかは「どう読むか」「その結果が何をもたらすか」にわりと目がいきがちなので、こういう真面目で初歩的な本から入るのもいい

別に驚くべきことでもなんでもないのかも知れませんが、1年近く前に買って熟成させてあるこのシリーズの『ベクトルの真実』がいま自分が興味のあることの近くに位置していて、読まねばなぁと思えたのがとても嬉しいことです。放送大学の授業「ソーシャルシティ」の中でコサイン類似度が出てくるのです。

 

10.沈黙のことば―文化・行動・思考(エドワード T.ホール)

沈黙のことば―文化・行動・思考

沈黙のことば―文化・行動・思考

 

発行されたのが50年前なのですが今でもまったく通用する本です。びっくりします。『かくれた次元』を読んでこれも読もうと思ったのですが、このひとは本当になんというか「他者の倫理」に詳しいです。文化人類学のひとなのですが。

今でも比較社会学なんかで恐らく議題になるであろうことが、ここにもこれでもかというくらい盛り込まれていて、なんというか多様性が重視される今だからこそ是非読んで欲しい本でもあります。医療職の人にお勧めできると思います。

放送大学の通信指導(中間考査...のようなもの)を提出する

えーと提出してから気づいたのですがわたくし大きな盲点がございました。

これ、1問でも正解していれば合格なのだそうです・・・。

在学してるんやから知っておけや!という話ですが、仕事があまりにも忙しくてほとんど授業は聴けないほどなので、そもそも必要最低限の情報にしか目を通していないのです。

いや、だからといって1問正解でもいいかといえばそうでもないと思うので(単位を取るためだけに勉強してきたわけではないので)、私の今回の1か月半の学習方法(というかほとんど勉強していない)とその結果をなんとなく開陳すべくブログを書いております。

 

0.前提条件

わたしは現在看護師として就労していますので、看護師国家試験レベルのことは知っています。心理・教育コースに編入学したのは、完全に興味本位・目標なしで大学入学するよりもちょっとだけ目標が欲しかったからです。今回取得した単位に関係することで少し知っていることといえば、小児に関する授業(ピアジェなど発達心理)・生涯発達に関する分野(エリクソン・ハヴィガーストなど)、それから神経科学に関すること(解剖・生理学における神経細胞の構造と機能や記憶・知覚に関する網羅的な内容)でしょうか。あとはまあこの1年と少しで読んだ莫大な本からちょっぴり覚えた知識くらいです。

 

専門学校卒なので、高度専門士だったか専門士だったか忘れましたがそんな感じの学位を持っています。ですから、普通の大学だと既習の単位を利用しますと大学の3年生に編入できます。ちなみに放送大学においては看護学の学位を取得するためだけであれば、1年間在学し31単位を修得するだけでも専門分野の学位はもらえるのですが、私は看護学そのものにそこまで学位のメリットは感じていなかったので、最低2年在学して看護と教養の学位を取得し、教育・心理のコースで認定心理士の資格を取得するためにある程度必要単位を履修したうえで、残りは興味のある経済・経営・哲学分野の単位に集中しようかなあと思っております。

 

1.今回とった授業の内容とその理由、それぞれの特徴

心理学の中でも、わたしの興味は認知心理系です。自分の本来の専門分野としては臨床心理に興味をもつべきなのかもしれませんが、あれはあれでプロの業なので別物だと思っています。苦手分野は行動心理学とか学習心理学ですね。いまいち覚えられません(昔卒論のために全般に学習はしました)ではそれぞれの科目概説へ。

1.発達心理学概論(向田久美子)

認定心理士の必修単位なのでとりました。授業は第一回放送を聴いて(そしてほとんどを聞き逃し)、心が折れたので教科書を通読しただけです。小児から老年にかけての発達における心理学で、小児科の知識はまあまあ活きるなあと思いました。

 

2.教育心理学概論(三宅芳雄・三宅なほみ)

これも必修。この教科だけ授業6回分くらいをご飯作りながら聞きました(つまり真面目に聴いてない)。人がどう賢くなるかの学習システムについて。でも行動心理学とか学習心理学というより、認知心理学に近いです。

教育学は一応専門学校で既習(概論程度ですが)だったのですが、教育史学っぽい側面もあったので新たに学ぶ気持ちで読みました。なお三宅なほみ先生に関してはすでに故人だそうです。優しいお人柄の滲む楽しい授業だったので無念です。

三宅なほみ教授は専門はどちらかといえば認知心理学とのこと。教科書を読んでいても楽しかったです。

 

3.認知心理学高野陽太郎

認定心理士の必修単位にできる。この本だけ教科書めっちゃ分厚いです。授業は聴かなかった・・・ような気がします。

カーネマン&トヴェルスキーの本を何冊か読んだのと、ノーマンの本は読んでいてよかったような気がする。でも今回点数1番低かったです(試験がんばらにゃ)

認知心理に関する全般的な内容を含むので範囲がめっちゃ広い。

 

4.認知神経科学(道又爾、岡田隆

認定心理士選択科目。いずれも現在上智大所属の先生のようです。実験心理学・生理心理学分野。

神経細胞の仕組みとかはたらきは大体学生のころに習っている内容ですが、さらにそれが認知にどう作用するかといったお話にちかい。

ちなみにかのモジャモジャ・・・おっとすみません、お騒がせな脳科学者氏についても昔はこの分野ですぐれた著書を書かれていました。著作を読んだことがありますが当時の神経生理学的には非常に先取的で、現在の基盤になるようなことが書かれていたのを記憶しております。

 

5.比較認知科学(藤田和生)

動物心理学がご専門だそうです。動物と人間の違い、人間と霊長類の違い、または共有部分について。結構今回の教科の中では適当にとってしまったのですが面白かったです。そして適当にとったわりには必修単位に含められるようで助かった。

 

6.危機の心理学(森津太子、星薫)

中高年の心理と迷ってこっちにしました。危機といっても、なんというかエリクソン的な危機ではなくて危険の認知とかに関するものですね。なのでノーマンの名前とかめっちゃ出てきます。わりと行動経済学的な話が出てきます。必修単位かどうかは忘れました。あ入ってました。

7.社会心理学(森津太子)

これだけ教科書がちょっと別物。8冊の本を紹介する形式で書かれています。初回がミルグラムの『服従の心理』でちょっとワクワクしてしまいました。

社会学的というよりは心理学的な読み物としても教科書が楽しかったです。社会心理学ちょっと眉唾すぎんか、とよく思うので存在意義の見直しとしても授業を受けてよかったです。

 

8.ソーシャルシティ(川原康弘 斎藤参郎)

これだけ『産業と社会』コースの授業です。都市・建築の話が好きなのでとりました!消費者経済に対する情報通信技術の参入についての授業です。おもしろいです。

 

2.実際とった点数(1回通読→見直し提出)

1.発達心理学概論(60%→100%)

さすがに小児科の知識だけではこの程度でした(見直し前)

2.教育心理学概論(70%→90%)

好きなので教科書通読するときにもよく読んでいたのでこんな感じ

3.認知心理学(70%→70%)

見直してもわからないって端的にマズイので試験ちゃんと勉強しようと思いました。

4.認知神経科学(40%→90%)

 

基礎は学習したはずなのに通読しただけではさっぱりぽんな感じがひどいです。

あとこの科目だけ、今回受ける中では記述なのでしっかりしなきゃなあという感じがあります・・・多分持ち込みは可能ですけど。

5.比較認知科学(40%→90%)

こっちも専門外で難しかったのですがやり直ししたらちゃんと解けているので試験までに頑張ろうという感じです。

 

6.危機の心理学(40%→90%)

なんで初回こんなに間違ったかというくらいケアレスミスも多かったです。

7.社会心理学(63%→88%)

問題が8問だったのでこうなりました。

 

8.ソーシャルシティ(90%→100%)

 

ちゃんと書き写せているかわからないけどこんな感じ。

 

ちなみに心理統計の授業がまだなのですが、そこに『単位が取れていてもそれは大学において”授業には一応出ていた”程度の意味しかなく、実際に教科書の内容を説明したりできる程度にならなければ実務や研究には使えない』と書かれておりましてな。勿論その通りなのですが、点数はともかくとして(前提ではありますが)きちんとそれぞれの教科の知識を深めていかなければなあと思うのでした。

 

3.1か月半勉強してみて思うこと

正直、仕事しながら勉強するのは普通の社会人だと結構きついなあ、という印象です。私の場合、もともと興味のあった分野で去年1年間にたくさん本を読んで前提知識を身に着けていたというのと、それから門外漢ではなかった(心理は看護の分野にもひじょうによく使われる概念なので)のが大きかったかなと思います。

これがたとえば、わたしが比較的苦手とする数学で大学レベルからはじめよう!なんていうことになったら挫折すること請け合いです。

 

ちなみに私のこの半年の勤務ですが、夜勤がとっても多かったので勉強する時間はほとんどありませんでした。夜勤の前の日は朝から晩までの12時間(休憩時間除く)、ほとんど立って働くような勤務なので、体も頭もヘトヘトになります。他の仕事に就いたことがないのでなんともいえませんが、医療職が激務と呼ばれる所以はそのあたりにあるでしょう。拘束時間中はイレギュラーに常に対応し続けなければならないので、自分のペースでは何もできないといっても過言ではないのです(状況をコントロールすることはできますが)。

 

そんな中で現実逃避もかねて始めた勉強ですが、効果としてはまあ悪くないかな、という感想です。仕事に直接役立つかというと微妙です(なので、仕事関係の勉強も合間にしていました)。

が、下手なビジネス本を読んで自己投資したと思うくらいであればこちらをお勧めします。結構科目をたくさんとったので上半期の学費が10万円くらいしましたが、同じ期間を語学学校にでも通うと思えばまあこの程度でしょうか。

 

というわけで残り2か月弱もせっせと勉強してフル単位を目指します。大学生イェーイ。

万物は流転する -3年目にっき

とうとう社会人3年目に乗り出した。いや別にふつうに過ごしていればなんら不思議のないことであってどうにも腑に落ちないが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は相変わらず激務です。いやしらんけど。

年度が終わるごとに書いている日記と、はじまってから数か月で書いている所感のようなものがあって、今回は3年目がやっと軌道に乗ってきたので所感を残しておこうと思います。

 

streptococcus.hatenablog.com

2年目の終わりにこんなことを書いていました。

ちなみにこの日記のなかに、1年目の終わりに書いた記事へのリンクが芋づる式に出てきますご注意あそばせ。

 

身体は臨床にいて心も一応臨床のことを考えているはずなのだけれど、考え出すとそのさきの色々に及んでいってひとつところにとどまることができない。

その「とどまりのなさ」は、上の記事のように私に1年で様々な分野の本を読ませたし、今なお突き動かし続けている。もはや自分の意志でないといってもいいのではないかというくらい、なにかを考え続けている。

勿論仕事に関係することを学ぶ手を止めるつもりはないけれど、それだけだとどうにも自分は息が詰まってしまうらしい。

 

自分は過去の自分の発言に多く裏付けられていると感じるけど、同時に心もとなさも常に感じている。足場が着実になればなるほど、その足場をすぐに次の一手につなげてしまうのはいささか浅慮であるとさえ思う。

この2年間で、臨床ではいくつもの慢性疾患のすえの死を看取ってきた。だからといってそれが基礎研究であるとか、死生学に至るであろうというのはわたし自身にとっては早計に思えて仕方がないのだ(勿論それが、他人からの助言という些細な影響に過ぎないとしても)。

そもそも元来自分はものすごく他人の影響を受けやすいくせに、最終決定は結局自分の超自我にしたがうしかないという非常にめんどうくさい特性をもっていて(みんなそうかもしれないが)、人の話はよく聞いて喜ぶくせになんら決定には関与していなかったりする。まあ他人の言なんてそんなものかもしれないが。

大体人のいうことを聞くやつなんて研究には向いていないのだ。

 

 

 

そういえば、1年生の教育に関わっている。

あれはとても大変で面倒くさい。面倒くさいしか言っていない。

何から言えばいいかわからないしどこまでいっていいかもわからない。でも1年生から私が学ぶことはとても多そうだから、今年1年かけて興味深く見守ろうと思う。なにせ今まで下はほとんどいなかったので。