毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

才能のなさについて

ブログのネタを捻り出そうとしたら天からの声(フォロワーからのリプライ)が聞こえたので書く。

 

 

仕事のセンスがない話

特にお題を設けたわけでもないが、この春から私はまた臨床に戻った。臨床といっても病院勤務ではなく在宅…我々の臨床でいう「在宅」は在宅ワークではなく、「在宅看護」のことである。自分の家ではなくお宅訪問である。

 

結局向いてないとかそういうの

私の所属組織は新卒を採用していない(多分)。全員既卒で、数年〜長ければ数十年かの臨床経験のあとに門を叩く。

 

わかってはいるのだが、私は病院に所属していた頃からあまり「看護師」という職業に馴染みがない。疎外されているわけではないが、疎外感がある。いわゆる「企投」を頑張るわけだがーーつまりまあ、類似の概念として「コミットメント」とかいえばわかりやすいーーどうにも身動きが取りにくいというか、なんというか、まあ「向いていなさ」を感じるわけだ。

 

もちろん仕事が嫌なわけでもないし、手を抜いているわけでもない。嫌なわけではない、というのは、患者のもとに出向いて、ケアを施し、会話の中に自分の血肉を織り込むことが「嫌では」ないということだ。嫌ではないが、向いていないので、何かしらを繕わなければならない。

直裁にいえば、ド正論で薙ぎ倒したくなる(これは患者だろうが同業者だろうが構わない)場面で口をつぐみ、受容的にあるいは支持的に関わったりするときに、「きっと職業的には適切なのだろうが私ではないな」と感じる。

 

そうして様々な取り繕いが生じると、やっぱり「センス」みたいなもののなさが見えてくる。私がやってきたのは、学んだことの実践であって、自らの内側から自動的に湧くようなものではない。わざわざとってつけたものなので、職業のペルソナをつけている。それは対患者だけではなく、対同業者(もちろん上司にも後輩にも)で顕著かも知れない。

 

そして同業者に対してそうしているとき、私は「嘘をついて騙している」かのように感じる。後ろめたさもあるかもしれないし、理解され得ないことへの苦しみのようなものもあるかもしれない。

 

じゃあ何なら向いてるんだよ

おこがましい話だが、研究はある程度向いていた。どの程度かというと相当に低いレベルで、他の分野の院生や研究者とは比べ物にならない。私の領域の、実践に向いている人たちと比較した場合にだ。研究の領域だと「翻訳を介さずに言葉が通じる」と感じる。

もちろん私の所属研究室は看護だけが対象ではない(むしろ私が異色である)から、あらゆる前提知識を共有しているわけではないけど、「当たり前」が同じで、言葉の意味の認識が同じだから、他人とのコミュニケーションに割く脳のコストが少ないように思う。情報のロスも少ない。

 

まあ、相手に伝わらないように言う私が悪いのはそうなのだが。

 

とはいえ、年の功もあり私も実践領域の感覚的なところも多少はわかるようになった。わかるようになったが、ただそれだけであって、何か創造的に物事を進めるのはハードルが高い。

 

 

向いていない人が向いていない人のために

向いていない人間に役割ってあるのか?

あるのか?というか、役割を作るとしたらどうしたらいいのか?みたいなことを考えた。

考えた結果、私は実践領域の人が言語化せずにそのまま暗黙知から暗黙知へ伝授するエッセンスをわざわざ翻訳する術を身につけつつあるように思う。

別に難しいことではないのだが、忙しい実践者たちは初学者や別分野の人に自分たちのエッセンスをわざわざ言語化するコストを惜しむ傾向にある(ように思う、ときがある)。

 

向いていなさを突き詰めた結果、自分が技術として獲得したそれらを、方法論として記述することは確かに悪くないニッチのようだと思うに至った。

だからといって即座に何かできるかといわれるとそういうわけでもないが、「向いていなさ」は卓越した技術の持ち主がいる世界では意外と使える。なにせ初学者は山ほどいるし、向いていなさを上手く使ってニッチに切り込む人が相対的に少ないからだ。

相変わらず居心地は悪いかもしれないが、「居心地の悪さ」「向いてなさ」の摩擦によるエネルギーは使いようによっては役に立つ(と、思いたい)。

 

 

「向いてない」の逃げ道的用法

確かに、「向いていなかった」を「逃げ」ととらえる向きもある。というか、どちらかというとそういう負の側面から捉えられがちだ。私もわざわざ、たとえば面接なんかでそんなことを言う機会はない。それこそ臨床の人相手に面と向かって言ったことはない。

「仕事がでなくてすみませんねえ、ほんと、一生懸命やりますんで、えへへ」と言いながら実際それなりに一生懸命やればなんとかなってしまうからだ。自分にも負荷はかかるだろうが、それはペルソナに対してかかっているのであって、中の自分はただただ「向いてなさ」それ自体の軋轢のみを感じている。ゆえに、職業的適性とは関係なく、「やって」いさえすればなんとかなる。

生存者バイアスだ。捕まえろ!

 

 

育児とかもそうかも

私はおそらく乳幼児の育児もあまり向いていないと思う。見ているのは楽しいし、愛情も湧くが、親としてどうかと言われるとよくわからない。最終評価は将来子ども自身が下してくれるだろう。

一般的な育児、例えば発達段階に適切な遊びを考えたり、声の掛け方を選んだり、毎日の過ごし方を考えたり、そもそも0歳児のときから早々に預けて働いたりといったことのあらゆる面から「あんまり向いていない」感が滲み出ているのである。仕事と比べて超楽しいかと言われると、与えられた役割なので全うしているし、思ったよりかなり楽しいが、やはり「向いていなさ」を感じながら同業者(ママ)に対して「向いてなくてすみませんねえ」みたいな気持ちがある。すみませんねえ、ほんとに。

 

向いているかそうでないかではなくて

やるかやらないか、だ、という話を数年前(かなり前なのだが)に自分はしており、まあ今でもそう思う。逃げるかどうかを決めるのは自分だし、腹を括ってやる、やるなら何年間どのレベルまでやる、とかそういうリミットを決めるのも自分だ。ダラダラやるのももちろん自由だ。継続は力なりで、ダラダラと先を決めずに続けることで得られるものもそれなりにあると思う。思い切って「向いている」と思う方向に進んだからといって、向き不向きと「やっていける」環境が実際に一致するかは不確定だからだ。

たまに、「大学院に行って失敗した」のようなブログエントリなどを見かけるが、向いている・いないの問題もさることながら、「やりたくない」のにやっていくことはできないだろうと思うことがしばしばある。

 

センスのなさをカバーするには

  • どこまでやるかを決めておく
  • 何のスキルでセンスをカバーするか考える
  • 上記を準備・実行する
  • やる

以上だ。それで成功するとはひと言も言っていないが、センスのない人間はニッチでこうやって生きている。

最近思うところあるが、どんなに忙しくても、「向いているところ」にひとつでも軸足があれば「向いていないところ」との軋轢からくるストレスは意外にも分散される。たとえ「向いている」タスクを減らした方が時間的には助かるとしても、精神的に「向いていること」を削がれた状態というのはかなりのストレスがかかり、自己効力感も減り、その結果やっていけなくなる。

 

向いていないことをやっていくために、向いていることも細々やる。

時間がたっぷりある人は両方ガッツリ取り組めば良いが、時間も余裕もない人はコッソリ取り組み、種を蒔き、自分でそれを回収するしかない。

 

 

締まりがなくなってきたので、アダム・スミスの『道徳感情論』から好きな一節を借りて終わりたい。

 

聡明な人は、称賛されても自分がそれにふさわしくないとわかっていたらまず喜ばないけれども、称賛に値すると自分が思うことをしているときには、たとえ誰からも称賛されないとよく知っていても、しばしば大きな喜びを感じる。

是認されるべきでないことに世間の是認を得るのは、聡明な人にとってはけっして重要な目標とはなり得ない。現に是認される価値があることに是認を得るのは、ときに小さな目標にはなるかもしれない。

一方、是認に値するものになることは、つねに最も重要な目標となるはずである。

 

 

そんなに高尚な目標ではないのだが、「向いていること」が(広くいえば)世にとって是認に値するものになることは未だに拙い野望である。

100冊読破 7周目(71-80)

1.踊る物理学者たち(ゲーリー・ズーカフ)

「踊る」ってなんなんだ、と思っていたらdanceではなくてtaoの方だったみたいな話。

物理(学者)の歴史を紐解いていく本なので、学説が変わるときのエピソードなんかが好きな人は好きかもしれない。実験装置がどんな規模で何を測定していて、どういうノイズがあったのが何が原因で除去されて…という研究解説もたくさん入っているのでそういうのが好きな人は好きかもしれません。

ブラックホールを見つけた男』のドロドロしていない版という感じです(どういう表現なのか)。

 

 

2.漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う(高橋大輔

テレビ局のディレクターがあまりの鳥島への興味のために仕事辞めて鳥島調査に行く話。

後にも出てくるけど、鳥類学者でさえ無人島の生態系保全のためになかなか立ち入れない島がある中、一般人がここまでつてを作っていくのは本当に大変だったろうなと思う(大変だったという記載がある)。

 

この本の話、NHKでドキュメンタリーを組まれていたとのことで興味を持って買ったのだけど、「テレビ局で特集を組まれる」というのがそもそも著者の本望でもあったのでそこはある種の達成なのかなあとか思いました。ネタバレを言ってしまうと、調査困難となり途中終了となってしまうのですが、それでもこの無人島の歴史学的なところを繙いたのはこの人の功績ではないでしょうか。

私は僻地や無人島、無人村(廃村)の歴史が好きなので燃えました。

 

3.沈黙の春レイチェル・カーソン

かの有名な、除草剤の害を糾弾した著書。中学生の英語の教科書かなんかに載っていたのが最初だと思います(概要ですが)。

環境活動家のようなことをしていたのかとてっきり勘違いをしていましたが、彼女はあくまで化学物質の使用と生態系の変化、人体への害を淡々と指摘したに過ぎないというのがよくわかる著作です。

あと、この本を読むまでまったく知らなかったのですが、この方詩人なんですよね。科学者と詩人ってなんとなく相性が悪そうなんですが両立可能なのか、とちょっと面白く感じました。『センスオブワンダー』以外にも有名な著作があるそうです。読んでない。

 

4.喘息百話(久保祐)

この本の中に地味に私の元主治医(というほどでもないですが診療を受けたことがあります)が出てきてびっくりしました。

昔の喘息治療、吸入ステロイドやβアゴニストの併用が主流になるまでは本当に大発作でたくさん人が亡くなるような疾患だったのですが、本書の著者もそういった中で成長され、そして医師になられたあとに発刊されたものです。

喘息の歴史と共に個人史が知れて、ある種の患者体験記でもある良い本でした。喘息に興味のある方は是非(?)

 

 

 

5.「サイレントスプリング」再訪(G.J.マルコ)

沈黙の春関係がもうひとつあったので読んでみました。10年くらい後の、『沈黙の春』の社会での受け止めとその変容を書いた話。あとは科学的な部分の検証とかですね。

 

 

 

6.連合赤軍あさま山荘」事件(佐々淳行

突然のあさま山荘事件

wikipediaには結構詳しく事件の経緯(とそれまでの逃避行や仲間内の殺人事件など)がまとまっているのですが、警察内部の話は少ないので、この手記は主観ながら「当時の警察組織」の内容がわかって面白かったです。

てかキャリア官僚ってこんな前線に出てたんだな(異例だとは思いますが)。

 

 

 

7.世界屠畜紀行(内澤旬子

この本はとてもよかったです。

先に書いておくと、この本はあくまで主観による観察であって研究ではありません。

ゆえに、著者の意見やそのときの感情、それに伴う感想など主観的情報がとても多いです。私が普段読む本からすると相当な雑音であり、結構読むのが大変でした。でも今回はそこも含めて良かったと思います。

著者が手ずから集めた資料、インタビュー、どれもとても貴重なものだし、もしかすると研究という関わり方ではインフォーマントに嫌厭されてしまって得られなかった情報もたくさんあるかもしれないと思わされる記述です。それくらい仔細でした。

この本1冊刊行するのに一体何千時間使ったんだろうというくらい中身が濃いです。屠畜に関する文化と、そこに対する差別感情(差別がない場合はその仕事に対する受け止め方)の調査だけども屠畜に関する制度や、作業場がどこに置かれるのか、伝統的な方法と現代的な方法にどこまで差があるかなど複数の国の文化について触れられています。あと絵が細かい。

すげーのひとことです。

 

8.鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。(川上和人)

こっちも面白かったです!先に挙げた『漂流の島』とは異なりこちらはプロ(?)の鳥類学者によるもの。

「研究者とはいかなる生態か」みたいな話も含まれているので、研究に馴染みのない方にこそ読み甲斐のある本だと思います。いわゆる一般向け学術本のさらにライトなやつです。種類としては前野ウルド浩太郎氏の『バッタを倒しにアフリカへ』がかなり近い部類です。

 

本書は鳥の生態保全から島嶼の鳥の分布の歴史などから調査方法、著者のスケジューリングまで様々な「研究活動」全般に目を向けたものなのですが、一般人向けなのもあって?とにかく書き口が軽妙です。調査出かけたくねえとか耳に蛾が入ってサイアクとか調査結果発表し忘れてたら別のグループに発表されてしまったとか(これは軽妙ではない…)。

今回の100冊のうち10選に入れられる気がします。

 

9.死体格差 解剖台の上の「声なき声」より(西尾元)

法医学教室の教授の手記。

私も記憶に残っているのですが、高齢の母と2人暮らしの娘(といっても中年)が車に轢かれ骨盤骨折したあとも自宅で寝たきりで過ごし、失血で亡くなったという事例が出てきます。結果として背景にあったのは本人のアルコール依存であり、轢かれたのは禁止されている酒を買いに行くための外出だったから、というなんとも後味の悪い話なのですが。

 

上記のようなケースを含め、背景に貧困や複雑な家族背景を有する事例があることを訴えたくて書かれた本なのだそうです。

病理解剖は盛んですが、司法解剖となるとなかなか扱っている教室も少ないので貴重な手記だと思います。

 

 

10.医者 井戸を掘るーアフガン旱魃との闘い(中村哲

アメリカによるアフガニスタンへの報復戦争の裏側で医療支援を行っていた医師の記録。ちなみにこの方、本当に八面六臂のご活躍をされていますが、2019年に過激派の凶弾で斃れられています。なんとも苦しい結末です。

 

アフガニスタンでの医療を行うにあたり、そもそも清潔な水の供給どころか農業用水生活用水あらゆるものが枯渇する旱魃に見舞われることが予想され、それどころではないと水源確保に奔走された記録です。

短い感想しか書けませんが、一読の価値があります。

 

 

10冊読了記

今回の10冊を読むのに5ヶ月。約半年近く要したと思うと「随分時間がなくなったなあ」と感慨深いものがありました。

育児に加えて転職し、さらに研究活動をぬるっと再開したからというのもありますが、いい本に出会えたと思います。

またぼちぼち読んでいきたいですが、年度内に700冊には至らない気がします。無念。

授乳。この摩訶不思議な営み

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2週間ほど前、1歳6ヶ月にして息子の授乳(母乳育児)を終了した。とはいえ、純粋な栄養または水分としての母乳は、1歳を過ぎたころくらいからあまり必要ではなかったように思う。

 

以前電動搾乳機についてあまりにも熱すぎるレビューを書いたことがあることからもわかるように、私は母乳栄養というものを経験して、その営為に強く興味を持つようになった。思ったよりも奥が深いなと感じたし、それ自体が固有の人間にとって不思議な生物学的現象であり、また相互交流やアタッチメントといった発達心理学的な要素を超えた「空間」を形成するようななにか曖昧な(主観的でもあり間主観的でもあるような)ものであり、そして日々議論の紛糾する社会的な現象でもあると感じた。

 

私と私の子どもは、母乳栄養がかなりスムーズだったケースだ。だから、恨みつらみのようなものが少ない。かといって、ミルクより幸せ!母乳栄養サイコー!ともなっていない。ミルクを凄い勢いで吸い込む我が子もそれはそれで可愛かったし、混合栄養で母乳に足すミルクの量に悩んだりしたこともあるからだ。授乳の時間が世界で一番幸せだとも思っていない。むしろ非常に動物的だと感じたし、まるで豚や犬(彼らに対して私は悪意をもっていない)のようにごろんと横になったところに我が子がせっせと寄ってくるのが少し面白かった。現実は、耐えられない会陰縫合の痛みや腰椎ヘルニアの痛み、或いは寝不足から、体を起こしていられなかっただけなのだが。

 

そして母乳栄養に興味をもつに至った経緯と、それらを構成する要素について、現状における医学その他諸々の科学的知見と、個別具体のエッセイ的エピソードを交えて書いてみたい。

それらは分たれた状態で我々に提供されることの多い情報だからだ。私はそのどちらに自分の認識を分類することも好ましくない(適切でない)と思う。

 

できたら、この記事は「あまり母乳栄養について詳しくない人」のもとに届いて欲しいと思う。そのために書いているので。

 

 

 

出産前の私の知識

出産前、産むことに決めた産院では、バースプラン(産前産後や分娩に際して積極的に妊婦や家族が参画できるよう希望を表明するようなもの)の提出を求められる。その内容に基づいて、助産師によるヒアリングが行われていた。

 

曰く、立ち合い分娩を希望するか(そもそもCOVID-19蔓延期であったため、希望したところでできなかったが)や分娩した際に出生児とどんなことをしたいか(カンガルーケアなど)など。そんな中に、「母乳」「(母乳とミルクの)混合」「ミルク」という栄養方法の選択肢があった。

よくわからなかったが、とりあえず、「母乳が出るなら飲んでくれれば良いし、哺乳瓶からミルクも飲んでくれれば保育園に行けるだろう」という楽天的な考えから「混合」を選んだ。

 

その頃の私でも、母乳栄養によるメリットーーたとえば、新生児の腸炎のリスク減少や初乳を通した抗体移行などについては既知であったうえに、COVID-19蔓延期においてワクチンによる抗体ももちろん移行するとの由を期待していた。

 

その他のメリットやデメリットはあまり考えていなかったが、まあ、「夜中にミルクを作るにしてもどうせ手間はかかるのだから…」という気持ちがあった。なお、乳児や母体の睡眠と母乳-ミルクの関係については諸説あるようで、科学的に統一された(少なくともメタアナリシスに到達できるレベルの)見解はないようである。私の知識不足かもしれないが。

 

あとは、私が出産前から電動搾乳機を買い求めていたように、「何やら搾乳とは大変なことなのだ」「うまくやらないと乳腺炎になる」「乳頭トラブルになると痛くて辛い」などといった、いわばマイナス面の知識はある程度身構えていた。

 

さていよいよ出産である。

 

 

産直後〜退院、新生児期の終了まで

授乳婦と児の基本的なスケジュール

母乳栄養というのは子と一体になって営まれるものである。そのスケジュールも、時間も、その中での過ごし方もすべて固有のものであるらしい。

子の欲しがるタイミング、1回に吸う時間、それに対して分泌される母乳の量、次に乳腺が張ってくる(張るまでに飲んでも出てこない)のはいつか、張りすぎて耐えられなくなるまでは何時間か、などが母児によって少しずつ異なり、母乳育児の確立を左右する。教科書にいくら書いていても、実際に行うと「聞いていたのと違う」となるのはこのためである。

 

①1日の中での授乳回数

「授乳回数」というカウントの仕方は、まず「左右(どちらかだけで寝てしまうこともあるが)を数分~数十分かけて吸わせる」ことが1回である。チューッと1~2分で吸ってくれるわけではない。

母乳が出るのには時間がかかるので、子が吸い付いてから何回か吸啜する。すると、射乳反射が起きて、「吸ったタイミングに合わせて」いくらか出てくる。子はそれを嚥下し、また口と舌を動かして吸啜すると、それに合わせて次が出てくる。この繰り返しを、新生児は片側10分前後ずつ行う。母乳が出るようになるまでは、5分ごとに抱き替えてみて、2往復くらい行う。トータル20分だ。これが終了したら今度は実際の空腹を補うためにミルクを与える。数分かけてミルクを飲む。これで「授乳1回」である。数十分かかる。

私の場合は、退院後から生後1か月になるくらいまで1日に10回以上授乳をしていた日もあった。多分ほとんど眠っていない。たまに連続睡眠時間が5-6時間になることもあるが、そうなってくると今度は自分の乳腺が張って限界になるのである。よくできたシステムだ。

 

②授乳間隔

教科書的には、新生児くらいだと3時間に1回母乳を飲む。しかし、先の「授乳回数」でのスケジュールでみたように、「1回の授乳」には数十分かかる。「授乳間隔」というのは、実は直近の授乳の「終了時間」から、次の授乳の「開始時間」までの間のことではない。直近の授乳の「開始時間」から次の授乳の「開始時間」なのだ。

つまり、「3時間ごと」の授乳は決して「3時間休憩できる」ではない。数十分かけて授乳をし、退院後であれば追加のミルクの作成と冷まし、投与、片付けまで全部かけて1時間近くかかる。授乳間隔がきっちり3時間だったとしても、休憩時間はあと2時間しかない。さらに、実際には授乳の間はずっと寝ているわけではない。排泄もするし、起きて泣き続け、もっと欲しがることもある。ミルクを一度にたくさん飲んでしまうと吐いてしまうかもしれないので、1度に20ml、まだ足りなければ次は20ml、と足す。そうこうしている間に次の授乳間隔がすぐやってきてしまうのだ。

 

③授乳量

先に述べたように、新生児のあいだは日ごとに飲む量が増える。貪欲な我が子はどんどん飲むし、母乳だけでは足りないようで、母乳をさんざっぱら飲んだあとにミルクをぐびぐび飲んでいた。こんなに飲ませて大丈夫か、と思うくらい飲んだ。

母乳育児というのは、乳児用のメーターで測るか搾乳をしない限りは分泌量がわからない。また、搾乳よりか直接飲ませるほうが効率が良いらしく、乳腺炎の予防のためにも直接吸わせて満遍なく角度を変えるほうが良いようだ。

というわけで、乳児用のメーターを持っていなかった私は自分がどれくらいの量を子に飲ませているのかよくわからなかった。新生児はいちいち「お腹空いた」や「これでもういい」とは言ってくれないので、足りているのかどうかがわからず、不安になる人もいるらしい。私自身は不安になるほどではなかったが、とにかく泣くし追加のミルクもよく飲むので「じゃあ必要量は結局どれくらいなんだ」と疑問に思っていた。もちろん昼夜問わずに追加のミルクも作らなければならないので、私自身の毎日の睡眠時間も新生児同様に非常に細切れだった。

 

 

吸啜刺激とホルモン分泌

産直後は母乳育児の開始において恐らくもっとも重要な時期である。出生後24時間以内に児の吸啜刺激が加わることでぐんとその後の出が良くなるようだ。

 

なお、一般的な知識だと、吸啜刺激は射乳反射を起こすオキシトシンなるホルモンを分泌する。このオキシトシンは下垂体後葉から分泌されており、射乳と同時に子宮収縮を促す。つまり産直後に児の吸啜刺激が加わることは子宮復古の観点からも重要なのである。

医療系でなければあまりご存知ない方もいらっしゃるかと思うが、分娩そのものに数百ml(個人差はかなり大きく、私は1000ml以上の多量出血となった)の出血を伴う。さらにその後も、胎盤という血流豊富な臓器を引き剥がした子宮からは1ヶ月ほどかけて出血が続く。この子宮復古がなんらかの理由でうまくいかないと、弛緩出血といってこれまたとんでもない量(〜数千mlに及ぶこともあるようだ)の出血を引き起こすこともある。医療に携わっていても、救急でもないのにここまでの多量出血を扱うのが日常茶飯事なのは産科が筆頭だと思う。

 

閑話休題

乳汁産生に必要なプロラクチンなるホルモンは構造上ドーパミンと似ており、プロラクチンの分泌によりドーパミンが抑制されてしまい、なんとも形容し難い不快感(不快性射乳反射、D-MER; dysphoric milk ejection reflex と呼ぶらしい)や気分の落ち込みなどを生じさせることがあるらしい。この現象も母乳育児を難しくさせるひとつの理由だろう。あまりメジャーには知られていないのか、私は産後に初めてこの現象を耳にしたような気がする。いや産前から知っていたかな。少なくとも個人のエピソードレベルでしか知らなかった。

 

幸運なことに私にはそれが起こらなかったし、様々な理由で出生後短期間GCU(growth care unit; NICUに入るほど重篤ではないが常時観察が必要な新生児〜乳児をケアする場所)にいる我が子に会いにいく理由は授乳がメインとなった。とりあえず我が子のコットの側に座り、抱かせてもらい(初日は点滴をしたりしていたのでひとりでは抱き上げることも難しかった)、左右5分ほど吸わせてみる。初日はなんにも出ない。なんにも出ないただの乳首を、新生児は一生懸命吸う。やれやれとお互い諦めたところで、ミルクをもらう。10mlか20mlくらいだったと思うが、それを飲ませるとごくごく飲む。以上で授乳は終わりだ。

産後すぐの体で、3時間ごとに訪れる授乳スケジュールのうち通えるタイミングは昼夜問わずGCUに歩いて行った。

その他産直後の不快な身体症状で眠ることもままならなかったので、じゃあまあ、世話でもするかという気持ちだったのを覚えている。

 

産後2、3日経つと、5mlとか10mlとか、まあそれくらいの母乳が出始める。もっともこれはよく出ている方らしかった。あまりにも私が眠らないので、助産師に勧められて搾乳機を使った。搾乳機を使うと実際の母乳の量がわかるが、そうでない場合は授乳前後の新生児を秤に載せる。10gや20gなんてほとんど誤差なんではないかと思うが、測れているらしい。産後数日はこれを頼りに、直接の母乳を授乳したあとのミルクをどれくらい足すかなどを決める。10mlとか20mlとか飲ませていたような気がする。大体1回量は、出生後1週間くらいまで日数×10mlくらいだったか。もう忘れてしまった。我が子はかなりぐびぐびと飲む方だった。

 

児の特性について

母乳栄養は受益者側(?)である児の意向や特性が非常に大きく影響する。この周辺も、個人差があるようだということはある程度事前知識があったものの、実際にどうなるのかはよくわかっていなかった。

 

母乳がどれくらい出るかを決めるのは子がどれくらい頑張って飲もうとするかである。吸啜という行為は、産まれたばかりの赤ちゃんにとってかなり疲れそうに見える。顎の筋肉をずっと動かしている。途中で疲れて寝てしまったりもする。「あまり飲んでくれない」などというのは、決して母親の甘えなどではなく、単に「疲れたから眠い」「もっと簡単に出てきてお腹がいっぱいになるミルクが欲しい」などの様々な理由により母乳が退けられることによるものでもあるらしい。

 

我が子は幸いにして非常に貪欲で、とにかく口に入るものならなんでも良かったし、飲み終わって満足したのがわかりやすい子どもだった。追加をたくさん欲しがるので、「もう出んからミルク飲んでくれや」となるシーンは何度もあったが。

 

子どもの吸いたいままに任せると、母乳というのはどんどん作られていく。それに伴い乳腺も非常にダイナミックに発達する。いわゆる「胸が石みたいに硬くなる」のはこのタイミングで、実際に私も経験した。乳汁来潮というのが正式名称のようだ。

入院中、「頻回授乳」という言葉を助産師の方からよく言われた。欲しがるときに欲しがるだけ与えるという方法で、その子に固有の授乳タイミング・量に母体が呼応できるようになるらしい。

なお、「空腹になったらその分だけ与える」という方法はミルクを規定量与えるよりも母乳栄養の方がやりやすい、というのは事実のようだ。

やや香ばしいタイトルだが、こちらの書籍が部分的に参考になった。

 

 

授乳にまつわる不快なできごと

退院する頃、つまり産後4-5日には左右セットで20ml/回くらい搾れていたような気がする。ちなみにこのくらいの時期から、産後数ヶ月(人によって差がある)くらいは「片方吸われていると吸啜刺激でもう片方も分泌して服がドボドボに濡れる」とか、「最早誰も乳を構っていないのに過剰に産生された分がドバドバ出てしまい気づいたら服が生臭くなる」などの現象が起きる。これはそこそこ困らされた。乳汁というのは結構生臭くて、時間が経つと牛乳を吸わせたボロ雑巾のような臭いになる。産後の乳腺の張りというのは凄まじいものがあって、最早授乳用に購入したゆるい下着ですら締めつけによる痛みを感じるので、タオルなどを当てて過ごした。そうするとそのタオルがものの2-3時間で上記のような臭いボロ雑巾になる。昼夜問わずよくわからない理由で泣き喚く乳児の授乳やオムツ交換や沐浴をしながら、こんなボロ雑巾に構わないといけないというのはまあそこそこの苦痛ではあった。無論、睡眠不足や産後の諸々の痛みを加味すると、「最悪。思い出したくもないわ」くらいの感想になるのだが、母乳栄養に限って言えばそこまで物凄い苦痛というわけではない。我が子は吸啜そのものもかなり上手だったようで、軟膏によるケアは必要だったがものの、乳頭の皮膚トラブルなどもあまり起こらなかった。

 

こうして、最初の1ヶ月ほどのあいだに母体と子どもは母乳栄養の基礎を確立するらしい。このころは、1-3時間ごとに授乳し、直接吸わせたあとにまだお腹を空かせているようであれば時々20-40ml程度追加でミルクを飲ませていた。つまり哺乳瓶との併用であり、いわゆる「混合」である。哺乳瓶と実際の乳首はやはり吸啜の方法が少し異なるようで、これに違和感を覚えてどちらかを拒否する子どもも多いようだ。これが第2だか3だかくらいの壁である。もちろん貪欲な我が子は飲めるものならなんでもよかったので、飲んだ。

 

1ヶ月前後〜離乳食開始まで; 「完母」とその後の「哺乳瓶拒否」

その後は、若干思っていなかった方向に進んだ。

母乳分泌が完全に追いついたので、もうミルクがほとんど必要なくなった。いわゆる「完母(完全母乳の略)」である。

1回の授乳で子は100ml~時に200ml前後も飲む。それを1日に6~9回くらい繰り返していただろうか、時期によりやや違いはあるがそんな日が続いた。

 

ときに私は生後3か月くらいに、産前まで勤務していた非常勤先への復帰を考えだした。体は本調子ではなかったが、公募があったので大体9か月になる頃くらいに復帰できる頃合いに合うと踏んで応募した。

ら、予想外に生後3か月の終わりくらいから週に1回だけの出勤が降ってきた。つまり保育園だ。直接授乳ではなく、急に哺乳瓶から飲んでもらわなければならなくなった。

そのころ、哺乳瓶はほとんどまったく使っていなかった。哺乳瓶の感覚を忘れてもらわないためには、搾乳して哺乳瓶から投与すればいいだけなのだが、こちらとしてもとにかく乳腺の張りとの勝負である。直接授乳に勝る時間的量的効率はなかった。

気付けば保育園に預けるまでに1か月から2か月ほど哺乳瓶をほとんどまったく使わない日が続いていた。そうすると今度は哺乳瓶からまったく飲まなくなってしまっていた。困った。

 

あとからわかったのだが、このころは新生児向けの哺乳瓶からの哺乳ではまったく出がよくなかったようで、「なんだこの辛気臭い授乳は!」といったことで哺乳瓶を拒否していたらしい。お腹を空かせて泣く我が子の口に無理やり哺乳瓶を突っ込み、抵抗を諦めて5mlや10ml飲んでくれれば儲けものだが、あとは泣く泣く冷凍の搾母乳を捨てるというしち面倒くさい手順を踏む期間が2-3週間続いたと思う。

あまりなんの拒否もなくスムーズに哺乳瓶も母乳も受け入れていた我が子だったので、ああ母乳拒否や哺乳瓶拒否で悩む親というのはこういう気持ちなのだなあとしみじみ思った。

そして、試行錯誤の結果3か月児用のMサイズ哺乳瓶乳首を購入するとすべてが驚くほどきれいに解決した。そこまでやってやっと先述の原因であることが判明したのである。頼むから口で言ってほしい、「こんな辛気くせーメシやってられっか、デカいのを寄こせ」と。

 

 

保育園と仕事、搾乳と乳腺炎

上述のトラブルを乗り越えて息子はスムーズに保育園に行きだした。

私はというと、週1-2ながらも出勤の日はほぼ12時間近く家を空けて我が子と離れる。我が子は哺乳瓶のミルクか搾母乳さえあれば気楽に過ごしているが、こうなると今度は私の乳腺が乳腺炎の危機に陥る。

生後4か月からこの苦闘がはじまるが、大体生後1年近くくらいになるまでは、授乳間隔が6時間も空くとかなり限界に近くなる。乳腺炎のリスクがひたひたと忍び寄ってくるのを感じる。授乳をしたことのない人には、たとえ同性であってもなかなか伝わらないと思う。

 

乳腺炎に至るまでに、主に乳房の緊満感(カチカチになってひどいときは下着の形にあわせて固まる)、特に腫脹のひどい乳腺のしこりが常に残り、熱感ももつ。これが続くと、うっ滞性乳腺炎と呼ばれる状態を引き起こす。40℃前後の熱が出る人もいる。乳腺というのは外部に開口部をもつ外分泌器官であるため、皮膚の常在菌を常に巻き込んでおり、乳汁が出せない状態が続くと今度は化膿性乳腺炎に移行する。こうなると抗生剤の内服や点滴のみならず、ときに外科的に切開して排出する必要に駆られることもある。

当時の私は最終授乳から4時間くらいで張りを感じ、6時間程度が限界で、8時間ほどになると上述の乳腺炎待ったなしの状態であった。

なので、子がいないときに搾乳機を持っていない=乳腺炎、が確定していた。勤務日は6~7時までに授乳をし、子は保育園に行き私は職場へ。職場で12時過ぎくらいから20分ほどかけて搾乳をして、保育園に迎えに行くのは18時くらいだった。

こうしてなんとか勤務と母乳栄養を両立させていたが、生後8~9か月くらいに1度乳腺炎を起こしてしまった。幸い対応は早くてなんとかなったが、37℃後半くらいの発熱と悪寒を感じた時点で「あ、だめだ」と職場にジャンピング土下座して中抜けし、保育園に手動搾乳機(息子)を迎えに行き、そのままで出産した病院の母乳外来に駆け込んだのは懐かしい。助産師さんの神がかりの手技により膿みかけた乳汁を吹き飛ばして、その後は抗生剤を内服しつつ頻繁に授乳をすることで事なきを得た。

 

なお、搾乳機を持ち歩いて冷凍搾母乳を大量生産するようになる話は先の「熱すぎる搾乳機レビュー」記事に詳しく書いたが、誰も得しない。

 

さて、こうした複雑なトラブルがあるので、母乳栄養をしている母親が乳児と離れてフルタイムの仕事をするのはかなり大変である。

それらを避けるために、0歳児をもちながら仕事復帰をする人のなかには、薬の内服で完全に母乳分泌をストップする、いわゆる「完ミ」を選択する方も多いと思われる。

 

私自身が乳児を育てるにあたって、そもそも栄養方法をこんなふうに選択し、また子のリズムと自分の体のリズムをすり合わせる必要があることは産前はまったくよくわかっていなかったと思う。し、失礼な話だが、男性の場合は「産後になってもよくわからない」人が多いのが現実であると思う。是非この記事で興味をもたれたら、母乳育児に関する科学的な知見を得たりしてみてほしい。なかなか面白い世界であるので。

 

 

 

長きにわたった授乳、そして卒乳

あまりに記事が長くなってきたので、さっさと卒乳の話をしたい。

卒乳、そう、このために私はこの記事を書いたのである。

 

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母親と児の最適な卒乳タイミングとは?

以前の育児本では、1歳になるまでには卒乳とか、いろんなことが言われていたらしい。現在は卒乳(母乳もミルクも)について厳格な定義はない。母乳栄養を続けている間の妊娠しづらさ(しないわけではない)などの背景もあるが、WHOは2歳になるまでの母乳栄養を推奨している。もっとも、これには途上国の水事情(ミルクを作るための衛生的な水がないので、母乳の方がよい)なども背景にはあると思われるが、とにかくこれまでの育児法よりも現在の社会的母乳事情は長期の授乳に寛容である。

 

とはいえ、「授乳の開始」に個別のストーリーと固有のリズムがあるのと同様、「卒乳」もやはり個別的なものである。

他人の卒乳関連エピソードやエッセイなどを読んでいると、すごく苦労しているものもあるし、「自然に欲しがらなくなった(0歳のあいだに!)」などのエピソードもあった。

私はといえば、0歳のあいだは好きに飲めばいいし、1歳のあいだもまあダメではないという姿勢だった。が、2歳になるまでには夜間授乳は辞めてほしい(哺乳瓶齲歯という特徴的な門歯のリスクが明確に上がるから)と考えており、離乳食が完了する時期からは母乳の栄養はメインのものではなくてあくまで「お楽しみ程度」というやつだと思っていた。

それは事実だったのだが、0歳の終了くらいから、如実に我が子の精神依存が強くなっていった。「与えられるので飲む」というより、精神の安寧のために母乳を欲しがるのである。これは起床時と帰宅後に特に強かった。夜間も母乳でないと納得しないことが多く、牛乳で置き換えようとしても拒否されることがしばしばあった。

そのうえ、私自身は上述の通り母乳の出がよかったので、当然乳腺炎リスクも高く、「じゃあいつ授乳をしなくてもよくなるのか?」というのが母子ともに見えてこない時期が半年近く続いた。

この間、授乳回数は2~4回/日とかなり減ってきていたし、私の乳腺も8時間間隔や12時間間隔にも耐えられるようになっていたが、最後の2回がゼロにならないという時期が数か月あった。我が子は随分と自我もサインも発達してきたし、母乳が欲しい、またはもらえるタイミングになるとわざわざ抱きかかえられる際に授乳しやすいポジションに座ろうとするし、椅子に私を座らせようとして椅子を叩き、「さあ早く」と催促することもあった。

 

そして迎えた卒乳の日

1年半を過ぎたころ、さすがにこれを終わりにしたいと思い、何度か授乳を誤魔化すようになった。些かの抵抗を受けたが、夜中に起きても牛乳を渡されるということが何度か続くと、子どもは少しずつ「夜は授乳をしてもらえないことが多い」と受け入れるようになった。実は、最後まで催促をしていたのは「帰宅直後の授乳」だった。保育園に行き、遊んで帰ったあとは親に甘えたい、安心したいという気持ちが強かったのかもしれない。習慣の力は大きい。

 

かくして、朝夕のいずれも授乳なしで過ごせることを確認してから、通院してもらっていた断乳用の内服薬を飲んだ。カバサール(カベルゴリン)という、ホルモン分泌抑制薬である。2.5mgを4錠、1度飲むとそれで終わりだ。なんとも不思議なものである。

 

長らく授乳をしていたので多少の乳腺トラブルを覚悟していたが、内服から4日ほど経ったタイミングで1度すっきりするまで搾乳をしたあとはもうまったく困らなかった。

これにて晴れて母子ともに卒乳である。

 

あまりに卒乳できず、どこかでタイトルだけ知っていた『おっぱい ばいばい』なる絵本を購入したりもしたが、何回読んであげて「ばいばい」のジェスチャーをしてみても、多分我が子はそんなに「ばいばい」を意識していなかったのではないかと思う。結局は言い聞かせたり納得したりよりも、習慣の変化の力の方が大きかった。我が子の場合は、だが。

 

現在は卒乳して2週間以上経ち、少なくとも椅子を叩いたり夜中に起きて母乳を欲しがることはほぼまったく無くなった。まれに、椅子に座って正面抱きをすると、胸元を覗き込んで「あれ?」という顔をしている。が、断られて寂しそうな顔をしたり泣いたりすることもないので、まあ本人なりに納得しているのだろうというところだ。

 

私たちの卒乳はあまり感動的なものではなかった。保育園の登園前に授乳をしたら、その日に風邪を引いて熱を出し、たまたま保育園を休むことになってしまった。私も仕事を休まざるを得なかったので、1日一緒に過ごし、夕方の授乳をせずに寝かせることができた。今しかないな、と思い内服して眠り、その朝の授乳が最後になった。

このころには、片乳あたり2-3分も飲めば満足するので、トータル5分あるかないかの最終授乳だった。しかも、私はもうやれやれと思いながら授乳をしていたので、別にわざわざ子の顔をじっくり見たりしないし、記念の写真も動画もなんにも残していない。

1年半も続けたわりにはなんの感慨もない卒乳である。

 

けれど、母乳育児そのものに苦労した人や、卒乳が子との絆を断たれるように感じるほどつらい人もいる。

私はそのすべてに「ものすごくたくさん」は困らなかった。だからこそ、当事者のわりには第三者のような目で自分自身の経験を振り返ることができるのかもしれない。

 

 

特に何の役にも立たないが、母乳栄養をはじめる人、終えた人、なにもしらない人、興味のある人たちにしょうもない読み物としてこの卒乳記録をお届けしたい。

 

卒乳おめでとう。お互いお疲れさまでした。

映画感想『子宮に沈める』(2013年)

緒方貴臣監督2013年最新作『子宮に沈める』映画公式サイト

 

重い腰をあげて、何年ぶりかわからないが映画の感想を書く。

 

毎度のことながらどこまでがネタバレなのかよくわからないので、ネタバレを踏みたくない人は読まないでほしい。

 

ただ、ネタバレ、といってもこの映画は多分ある一定の方向でとても有名だ。実話を元にしたフィクションである。

ふたつの虐待死事件を参照したものだ。

 

ひとつは2010年の『大阪二児虐待死事件』、もうひとつは2007年の『苫小牧幼児死体遺棄事件』のようである。メインのストーリーは前者にインスピレーションを受けたような印象だが、後者のエピソードがいくつか演出の中に盛り込まれている。

前者については、事件の概要がわかるwikipedia記事があるので適宜参照いただきたい。後者についてはリンク切れのニュース記事と、それを元手に書かれた個人ブログなどが出てくるばかりである。

 

いずれの事件にも共通なのは、「実母のネグレクト(数十日にわたる置き去り)」「幼児の餓死」「2人の幼児」という点だろうか。なお、苫小牧の事件では、長男(5歳)が冬の北海道にて1ヶ月以上の長期間を、食事のない空間で生き抜いている。当時のことをよく知るわけでもニュースを事細かに調べたわけでもないのでごく素朴な感想しか出てこないのだが、幼い弟の遺体のそばで過ごした1ヶ月というものを想像すると失神しそうになる。

 

ここで本編の概要はほぼネタバレなので、もう実在の事件に譲ってしまおう。

 

実在の事件と異なるのは、水商売をするまでの母親(主人公)が非常に「よき母」であることである。90分ほどの映画のうち、1/3ほどの時間はこの小さな幸福の時間を写している。

そしてこの幸福の時間が輝いて見えるからこそ、残りの時間がただただ沈痛で視聴者を苦しめるのだと思う。よくできた映画である。

 

ちなみに実在の事件がそうではなかったとは言えないが、母親自身が被虐待児や強姦被害者であるなどの特殊な事情があるようだ。ここは恐らく映画化するには難しいものがあるし、何より実在の事件をそのまま映像化することに監督の本意があるわけではなさそうだから、スキップするとしよう。

 

 

 

誰が、何を、「子宮に沈め」たのか

そもそも映画のタイトルには少し謎がある。本編を観終わったあとも不思議だった。

映像を観ただけの素朴な理解だと、主人公である母親が、我が子たちを(物理的に)沈めたのだと思ってしまう。

 

しかしなぜ「子宮に」なのだろう?

 

これも考察され尽くしているけれども、映画の全編がある室内「のみ」を撮影している。母親がひとりで守っている、安全な空間(≒子宮)という理解でよいのだろう。そしてこの場合、「沈められ」たのは、子どもたちだけではないようにも思われる。映画本編では母親本人もそこに沈んでしまっている。では「沈めた」のは誰なのか?という問いは、母親と直接間接に関わりを持った人に向けられ、そして「もしかすると観ているお前も"沈める側"になりうるぞ」という迂遠な警告メッセージのようにも思える。あるいは、「社会」という茫漠とした対象とすることで、視聴者がそれを批判するきっかけとして与えられた主体かもしれない。

 

…とかいう寝言を書けるほど、この映画を観るにあたりって私はあえて事前情報を摂取しまくった。稀代の胸糞映画として有名だったからである。

今でなら「ごく表面的な」感想だと言うかもしれないが、利己的な母親の放埒の果てに幼児が死んだという理解をしている人もたくさんいるようだ。それはそれで間違いではないかもしれない。「これは社会への警告メッセージだ」と言うのもなんだか大層な正義感だなと思ってしまうので。

 

以前(多分数年前)、この映画がなんらかの配信サービスで無料配信されていたのに、内容を知るのが怖くて飛ばし飛ばしにしか観られなかった。最後の10分、15分くらいしかしっかり観ていない(そしてそれも飛ばしながら観た)。

そのときには、私も上述の2種類の感想の間で揺れ動いていた。

が、自分自身が出産や育児を経験してみると身につまされるものがある。そして、「身につまされる」で済まない変化も実感した。恐らくこれは映画のみの描写で独特のシーンだ。

 

観た人には、「かぎ針」でご理解いただけると思うが、その行為と環境のおぞましさではなくて、「悲しさ」が先に立った。

ダイニングで、2人の子どもを寄り添わせて、自分が編んだ大切なマフラーを巻いて、それを編んだ道具でまた殺す。そこで初めて、体の痛みもさることながら、耐え難い心の痛みと罪の重さに悲鳴をあげる。実際には悲鳴すらあげることができず、声を殺し、耐えて泣く。

そしてそのすべてが、「安全な」場所であるはずの「子宮」でおこなわれている。

 

多分この感覚は、全編通して観て、そして自分自身に出産や育児の経験がなければ(少なくとも私の場合は)持ちえなかった感情のように思う。

社会が母親を孤立させた結果、「社会が」「母親ごと」子宮に沈める、というメッセージがあるのだという解釈(というか監督の主意のようだ)もあるが、そもそも社会は子宮(母親が守っているもの)についてよくわかっておらず、その「解釈の余地」のようなものが映画の解釈を方々に許して(委ねて)いるような気がする。

万人に一意に解釈される動機も状況も存在しないとでもいうように、定点カメラの演出はただ出来事だけを淡々と報告する。

母親の心の中はその「子宮」の環境そのものとして描かれている。不安定で、小さな幸せに満ちており、そして押し潰されそうで、そのうち捨てられてしまう。母親の心が母親自身に捨てられているうえに、母親が理解をやめたものを他の誰も救いようがない。

 

 

『誰も知らない』と近いが、違う

似たような題材を扱った有名な映画で、『誰も知らない』がある。柳楽優弥を不動の役者とした、是枝監督の作品である。

こちらも実在の事件を扱った作品で、母親が失踪するとか、子どもがさらに幼い子どもの面倒をみるといった共通の描写がある。

が、『誰も知らない』では少年が外の世界との接点をもっていた(それがゆえにあの結末になった)のに対して、『子宮に沈める』はほんとうに誰も覚知し得ない、文字通り子宮の中ではじまって終わった話である。

母親の心情が凍えて死んでいき、子どもを遺棄し、そして帰宅した際の行動に幾らかの(あるいは最大の)罪悪感があり、その解釈のバリエーションが上から下まで様々なのがその証左であるように思う。母親自身でさえ、「なか」のことはよくわからない。片付けて、自分(と他人)を傷つけてみて初めて、ようやく自分の中に言語化されてこなかった「償い」の気持ちの大きさに気づき、そしてそのまま押し潰されてしまったように見える。

 

その一連の事象を、「社会への警告メッセージ」と受け取るには、個人的はそれ自体もなんだか表層的だと感じる。もちろんこの出来事が身近でなかった人にとっては、問題に気がつくきっかけになり、多大なる不快な感情と共に記憶に焼きつくのだと思う。それも製作者の狙いではあるだろう。

 

しかしそれを越えて、名実共に主人公に近い存在になってから観終えると、ただ不気味で恐怖でしかなかったあのシーンが彼女に残された人間らしい気持ちというか、何にもスポイルされない「贖罪」と「愛情」に見える。恐ろしいことだが主観という色眼鏡はこうも観る映画の性質を変えてしまうのかと自分でも驚いた。

そして情景に対するこの感情は、「共感」を許されていない。共感している状態かどうかを示唆する要素も、映画には描写されていないからだ。自分でも「共感」しているわけではないと思う。これは勝手な解釈であって、勝手な解釈の文脈上での勝手な同調、振り回されのような感覚である。

 

いずれにしても、観るのもつらい映画であることに変わりはないが、その後も映画の演出をいくつか再確認したくて都合3回ほど(通して観る暇はないので途切れ途切れに)観た。

たくさんの秀逸な映画レビューがあるのでそうした解釈は他に委ねたい。私が言及したかったのは、ほんの数秒のシーンの印象が「自分の子宮」の変化によって90°くらい変わったことだけである。

このことだけは、どうやら『子宮に沈める』の部屋の中のように、観察によってしか解釈も記述もできない出来事のようだ。理解も言語化もあまり許されておらず、記事を書いたくせに説明するのが難しい。

 

というわけで、そもそも書くことそれ自体が「撮影」であるという、定点カメラの報告であるところの感想記事を終える。

100冊読破7周目(61-70)

1.FACTFULNESS(Hans Rosling, Ola Rosling)

めちゃくちゃ珍しく(初めて?)原著を読みました。邦訳が出たとき少し有名になったのでご存じの方もおられるかと思います。

先進国で教育を受けた人たちの貧困に対する先入観、誤読ってめちゃ多いよね?ちゃんと見よ?という話。章ごとにまとめもあってとても読みやすいです。なんというか、入試に使われそうな文章でした(失礼)。

 

しかし、「最貧困国の衛生状況は19世紀後半の先進国と同じくらい」とかそういうの、「現代なんだからさあ…」みたいな気持ちにはなりますね。物差しをたくさん持つことは大切だと思うんですが、みんな現代に生きているので…と感じる箇所がありました。

 

 

2.村上春樹河合隼雄に会いにいく(村上春樹河合隼雄

なかなか面白かったです。対談録ですが、お互いの考えていることが上下に注釈で書かれていて、そのときどんなつもりで言ったのかとか、会話の流れで詳細は端折ったけどどんな背景があったかとか書かれています。

個人的には、村上春樹がつけていた注釈の「夫婦とは補い合うものではなくて鏡のようなもので、自分の欠点が見えること。相手が補ってくれるのではなく自分で向き合って埋めていかなければならない」みたい部分がすごく納得できて、好きでした。

 

 

3.アリストテレス入門(山口義久

アリストテレスの「◯◯主義者」と言われがちなところ実際どうなん?みたいなところを検証しつつ、各代表書籍と概念を紹介していく本。珍しく(?)「入門」と名のつく本の中でその名に相応しい内容だと思います。

図書館で借りたのですが、著者が寄贈された本だったようで、ご本人直筆のメッセージがあって衝撃を受けました。

 

4.櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。(村上龍

「俺に若者を語らせんなよ」というスタイルなのに若者の話を書いてくれる村上龍、わりと好き。

 

5.忘れられた日本人(宮本常一

この本をとある人が紹介していた数日後(翌日だったかも)、図書館で出会ったのですぐさま借りました。

農村・漁村の人びとの暮らしぶりやソーシャルネットワークについて詳らかに書かれていてとてもよかったです。

個人的には、村の決め事をするときに直接民主制が採用されているのに驚きました。なんでもない話に脱線したりしつつ、なんとか上手く納まるまでに数日を要することもしばしばだとか。現代ではとてもできないことですが、「田舎」の良し悪しでなくこうした文化を知ることは土地のルーツを知る意味で重要なプロセスだと感じます。何よりそうした寄り合いに参加できる宮本氏の根気強さ、人びとへの丁寧さがなければできなかった調査だと思いますし、ただただ敬服するばかりです。

 

6.誤植読本(高橋輝次

とんでもねえ誤植をした人たちの阿鼻叫喚の話。今と違って文字組みをしないといけない時代のものもあるので、大変だったろうなと…。あと個人的にすごいなと思ったのは、専門的知識のない印刷所の人がフランス語の綴りの間違いを指摘したという話です。職人の勘というやつでお気づきになったそうですが、そんなふうに働くか…と人間の脳の可能性に思いを馳せました。

 

7.すごい言い訳!二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石(中川越)

酔ってウザ絡みしてた中原中也が自分のことを「ひとりでカーニバルをやってた男」と表現していてめちゃくちゃウケてしまった。

 

8.医療再生は可能か(川渕孝一)

経済学側から見た話なので、医療者としては既知の話が多い。あと2000年代発刊なので情報が古いです。日本の医療制度のねじれの概観を知るには軽くて良いかも。

 

9.しんがりの思想 ー反リーダーシップ論ー(鷲田清一

ちょうど先に挙げた宮本常一の本を読んだところだったので、「先導する人」ではなく「結論を引き出す人」の重要性も浮かび上がったところでした。その能力のことを「リーダーシップ」と呼ぶ人は少ないですよね。

 

10.捏造される歴史(ロナルド・フリッツェ)

調査するのめちゃくちゃ面倒だっただろうな…と思うほどきっちりした本でした。

疑似科学批判の本は最近よく見るようになりましたが、擬似歴史を批判するのはかなり難しい。完全なるインチキではなく、まともそうな議論をチェリーピッキングしやすいからだとは思うのですが、話を広めた人の生い立ちや思想まで追っていて本当に執念の調査でした。著者本人が、「このテーマで書こうとしたことを後悔した」みたいなことを書いていて少し笑ってしまいました。

 

 

 

おわりに

10冊読むのにかなり時間がかかったのは、最初の1冊が原著だったからでした。リーディングの練習にちょうど良い題材、ボリューム、難易度でした。院試受ける人とか良いのではないでしょうか。

 

そして読書期間はまる4ヶ月くらいかかっていました。この間、私は転職をしたりしていたのですが、だんだん読書の時間を取るのが難しくなってきて切ないものがあります。それから、図書館の都合上あまりお硬い本を置いていないのですが、なんだかんだで自分は学術書の入門くらいのものが好きなのだなあとしみじみ思っています。学問に誠実かといわれるとそこまでではないのが痛いところではありますが、自宅の積読もひどいので適宜進めていこうと思っています。

幸福の内実に関して知らん: 社会人生活はちねんめ日記

とかなんとかいうタイトルつけておいて、ただのメンタル疾患もち看護師のらくらキャリア録。需要があるかどうかは知らん。

 

ちなみに元ネタはマルティン・ゼールの『幸福の形式に関する試論: 倫理学研究』です。

熱い風評被害ですみません、内容は関係ありません。

が、ちょっとだけ引用させてください。

ある人が善き生を生きた〔と言える〕のは、その人が意欲したもののいくつかを為すことができて、その人の願望が実現された場合だけでない——それは不幸で荒廃した生にも言うことができる——。

それだけでなく、その人に出来たものまた出来なかったもの、その人にとって実現したものまた思い通りにいかなかったものにおいて、それにもかかわらず(多くの抵抗またはその欠如に対抗して)自分自身のイメージに従って生きられた生の針路を保持することができた場合、さらに、その人が生の過程のうちにその人の生の本質的価値を見て取ることができ、その過程の中で、固有な種類の悦びではないとしてもあらゆる(エピソード的で一時的な)悦びや苦痛の他に、自己信頼と世界信頼を保持できた場合にも、その人は善き生を生きたと言えるのである。—マルティン・ゼール

 

 

 

なぜこの記事を書こうと思ったか

急に思い出したかのように1年ごとのまとめを再開(?)しました。

実は常勤をしているあいだは年度が終わるごとに所感を書いておりまして、今でも見返すと(稚拙な部分も含めて)味わいがあります。

常勤を辞めてからは仕事に関して特段面白いことをしてきたわけではなかったのと、大学院の記事を書けばおおよそその年度ごとの説明ができたのが大きいです。

しかし過去を振り返ってみると自分は常に「ロールモデル」を求めており、臨床1本ではない生き方の人が、まして自分のように看護以外の分野への興味が高じた人間がどうやってそれを仕事に落とし込んでいくのかを求めてきました。

さらに加えて私はかれこれ15年、半生近くを精神疾患の患者として生きる人間でもあるので、ある患者(という属性をもつ医療従事者)として何か希望になることを目指しております。

この記事が直接誰かのためになるとは思えませんが、こういう生き方をしている人間もあるのだと参考程度に扱っていただければこれに勝る幸いはありません。

 

 

 

略歴

わたしの略歴やそれについての所感は私事の方面からと仕事(学業、研究)の方面からとで大体補填されるので過去記事を載せておきます。

記事がそれぞれ長いのでいつもの通り私の紆余曲折しかない経歴をまとめると、

  1. 高卒後2年ニートないしフリーター(療養のため)
  2. 3年制専門学校を1年留年しながら卒業
  3. 病棟で働きながら大学編入、卒業
  4. 退職後に非常勤で働きながら院進と不妊治療
  5. 妊娠出産しながら2年で修士修了
  6. 1年間育児しながら非常勤←今ココ

です。非常勤なので産休育休といったものはなかったのですが、現在いわゆる「育休」が終わる時期(多くの人が復職する産後1年ほどの時期)に差し掛かっております。

 

詳細については、各観点から書いたものがございますので、ご興味や類似点などにあわせてご参照ください。それぞれ長いです。

人間を作るということ2: 仕事・院生生活とのバランスについて - 毒素感傷文

不妊治療〜出産の点から見たのはこの記事。

 

【最終回まとめ】放送大学大学院修士全科生生活Vol.12 - 毒素感傷文

院生としての視点から書いたのはこちらの記事。

 

向いていない(と思う)仕事をすること -ある看護師の一例 - 毒素感傷文

病棟を辞めたときの。

 

非常勤は4年の間に3つ食い繋いでおりまして(それぞれ乗り換えるようにして転職しているので被り方がひどい)、最後の1つが現在も続いている教職です。そのうち辞めます(決意)。

暫く兼務が続く都合上、次の職も序盤は非常勤になる予定ですが、今の非常勤と同様に細く長く続けつつも先に繋がりそうです。これもまた何かの参考になればと思いこの記事に書き留めます。

 

 

臨床継続ルートor一時中断ルートしかない?

以上大変に長い序の口となりましたが、今回下記のような記事を発見しました。この記事を読んだのが、久々に自分の仕事についての記事を書きたいと思ったきっかけです。平たくいうと男性研究者(大学教員)による子育てと仕事の両立がいかに困難かというエッセイです。

研究者でなくとも、男性でなくとも読みごたえがある話です。未読の方は是非ご覧ください。

 

男性育休・育児のロング・アンド・ワインディング・ロード<研究者、生活を語る on the web> | 研究者、生活を語る on the web | web岩波

 

ここで出てくるのは研究者の子育てですが、私がしているのは看護師の子育て(という範疇になる)でしょう。

一般的にいう臨床のひとの産休育休、復帰のルートや結婚・妊娠を機にした退職→子育てが落ち着いてからの復職を辿らなかったので、私の例が誰かの参考にでもなればと思い書いています。

 

先ず、先に挙げたごく一般的な二大ルートの特徴を説明しますと、産休育休→子どもが小さい間は時短またはフルタイム日勤で復帰、というのが非常によくあるパターンです。夜勤がないため給与は減りますが、看護師というものは本当に(少し前の)現代女性の人生を反映した制度設計になっておりまして、小さい子どもを「基本的に自分ひとりで」世話をする前提で働けるシステムになっています。

 

ここで「父親は何をしているんだ?」と疑問が生じるわけですがそこは各ご家庭事情で、父親が子育てにどれくらい参加しようとも「最低限ひとりで」やりくりできるラインがあります。昨今言われる共働きの苦悩は「比較的」発生しにくいシステムでもあるのです。これはある種の負の遺産でもありますが、看護師という職業が9割がた女性で構成されている以上「産休育休・時短勤務を許容・推奨しないと成立しない」組織であることに起因します。

 

そして2つめのルートは、多忙な臨床の常勤から一旦完全に退いてしまうという方法です。結婚・妊娠・出産などを機に離職する人間は看護師問わず多数おられることと思いますが、体力仕事である看護師に関してはこの葛藤が大きくなりがちです。

そして私自身も傍目にはこちらに見えると思います。

結婚を機に(というわけではないのですが)退職し、院進しながら妊娠・出産したという流れです。このあたりからが「傍目に見ると」大変に馬力と強い意思のある人間に見える由縁かと思われます。実際は軟弱者です。

 

 

一時中断ルート、に見せかけてキャリアアップする

というわけで前述の一時中断ですが、挫折と同時に仕込みをしました。

 

  1. 臨床非常勤の間に院進する
  2. 院進の間に非常勤で教職歴をつける
  3. 院進の間に妊娠・出産する(???)
  4. 院の科目の取り方

 

の4本立てです。

 

1.臨床非常勤の間に院進する

この文字列だけ考慮しますと、対照的に常勤のまま院進される猛者がもおられることがまず頭に浮かびます。医療系修士課程は臨床の常勤を前提にしたカリキュラムを組んでいる大学院も多いです。

 

が、自分の場合は研究テーマ・研究室が非臨床寄りだったのもあり、準備が必要でした。常勤の間に院進・修了される方ももちろんおられるのですが、テーマや手法・データ・研究室選びによっては規定年限で修了できなくなる可能性があります。看護は仕事しながら院進・修了する方の多い分野ですから、規定年限通りに修了しないことは大して問題ないのですが、そうすると今度は中だるみしてしまってやる気を失ってしまうリスクがあります。

 

また、後述するように妊娠や出産といったライフイベントが差し込まれる可能性も高い年代で、かつ女性である以上は否が応にも身体的負担が大きくなります。そして院生生活は必然的に後回しになり、さらに修了が難しくなるのです。

 

臨床だけでももちろんキャリアや金銭的には問題がない(なんなら院進も生涯賃金を高めるとは限らない)ため、モチベーションを維持しづらいのは負の特徴かもしれません。

しかし常勤を辞めるのであればもちろん臨床のキャリアは一旦途絶しますし、そのため給与収入も減少します。そういった事象を避けるのであれば常勤のまま院進される選択があるのもよくわかりますね。

 

2.院進の間に非常勤で教職歴をつける

これも後付けですが、院生+臨床非常勤のかたわら、いわゆるTA(Teaching Assist)というものをしておりました。この職を見つけたのは完全なる偶然からですが、看護に限らず他の分野であっても院生がアカデミア関連のバイトをするのはごく一般的なことです。他分野と違うのは、看護の場合はTAをやるにあたり実務経験が必要なことでしょうか。

このTA、教育の現場の空気に教員サイドから触れるだけでなく、履歴書にも書けて場合によりアカデミアのコネクションを作れたり実情を訊けたりするので自分としては非常に助かりました。

それから、これは看護TAあるあるの特殊ケースのような気がしますが、野生のプロ紛れています。他の方の事情なので詳細は伏せるとして、私のような単なる院生ではなくて他大学で講師をしていた(る)人の転勤までのつなぎであったり、キャリアに疲れた人(臨床歴何十年、講師歴あり引退後)の息抜きであったり、様々なポジションの方とざっくばらんに話せたのがある種常勤の先生方との会話よりも得るものが大きかったかもしれません。

 

こういう話は対面での学会や看護系の研究室に所属するだけで達成できるような気もしますが、折しも私が院生になったタイミングでCOVID-19が国内で流行しはじめたので、非常勤ながら仕事上で情報が得られるのは貴重な機会でした。

また、詳細は後述しますが教職常勤の話も頂けたので、働く場所によっては「インターンに行く」ような気持ちでいられるのも魅力かもしれません。

 

3.院進の間に妊娠・出産する

たまたまこのタイミングになっただけですが、M2で妊娠し、修論の口頭発表後に出産しました。つわりなども重なったため、最早修論が早いか出産が早いかという人生をかけたチキンレースをする羽目になりましたが、結果としては修了が確定してから出産することができました。これは計画して計画通りに運ぶようなものではありませんので、たとえば修士課程のデータ収集中に妊娠出産などがかぶった場合は必然的に在学延長になっていたと思います。

 

ライフイベントに関しては狙えるものではないのですが、「通信制の大学院を選ぶ」ことのメリットはここにもあると思います。特に放送大は、看護に限らずあらゆる年代のあらゆる社会状況の学生に対応してきた実績があるので、研究室もそういったことに寛容(というかそれが当たり前という雰囲気)です。

 

修士課程に関しては他の大学院を見たわけでもないので、選べばもちろん他の大学にもそうした制度はあると思います。問題は「それを見越して選択するかどうか」ですので、「2年で絶対出る、人生計画はまだストップしておく」とかもありだと思います。

私の場合は、「絶対に2年で出る(出られるものを揃えておく)」、「場合によっては大きな人生計画の変更を受け入れる」というスタイルで院進しました。

 

 

 

4.院の科目の取り方

放送大の大学院についてはさまざまな記事を書いてきましたので割愛しますが、大学院の履修必須科目の中には生活健康科学の範囲のものが含まれています。

その中で、看護師にとってやや特殊なスキルとなる「特定行為」なるシステムの基礎部分となる科目があり、放送大はこの基礎部分を提供しています。

私の場合は研究のかたわらになるので結局6科目中4科目しか履修していませんが、「看護学研究科」のない放送大でも臨床に近い(臨床のキャリアアップに繋がる)座学はありますよ、という話です。

 

看護師の行う特定行為についてはこちら。要するに「今までは医師が行ってきた医行為のうちシステマティックかつルーチンになりつつある一部分だけを、研修を受けた看護師に移譲する」という感じです。

認定看護師を持っていると有利とか有利でないとか(特定行為の一部は認定看護師を持っていないと履修できない?)色々あるようなんですが、私は認定看護師は持っていない(し、取る気もない)のでちょっとよくわかりません。すみません。

看護師の特定行為研修制度ポータルサイト

 

これは余談ですが、「看護師がよくやるもの」第一位(?)であろう「静脈注射(点滴ルート確保)」がきちんと法制化されたのは2002年です。

実際にはやらねば業務が回らないのでそれまで暗黙のうちに行われていたのですが、基本的に看護師は侵襲行為(医行為)を行うことができません。それをタスクシフトのため明示した最初が、2002年だったわけですね。結構最近じゃないですか?

資料 新たな看護のあり方に関する検討会中間まとめ

 

できなかったこと

まるでなんでもやってきたかのような書き方をしておりますが、それは当然後から振り返って書いているからで、その時々の壁にぶち当たってできなかったことはいくつもありました。わかりやすい例を挙げますと、

 

1.ストレート博士課程院進

これはタイミングの点で不可能でした。修士を出ることはできる予定で、研究室を変えて院進する予定をしておりましたが、つわりの中修論書きつつ院試を受けて産後すぐ院進というのがどうしてもできませんでした。産後の経過が思ったより良くなかったのもありますし、自分の周囲(家族含め)から産後の支援が得られる見込みがなかったのも大きいです。

 

無理をして院進しようとしたのは単に行きたい研究室の教授がこの年度の入学でないと退官されてしまうからという理由に他ならなかったのですが、まあできなかったらそれはそれでと今は開き直っています。というか、開き直るしかないのです。

これに関しては特に絶望感は持っていなくて、私は研究をし続けられればそれで構わないので、生き残れる場所を探してまたうろつくだけです。

 

2.教職常勤

こちらも昨年度に声をかけてもらいましたが、やはり家族の支援などの都合上乳幼児の育児とのバランスが取れずお断りすることになりました。

院進・教職ともに、私と同じ(乳児の月齢と看護師としてのキャリア)条件で選び取る方はおられると思うのですが、そこに加わる変数として

  1. 伴侶の協力
  2. 実家・義実家の協力(近さ)
  3. 時間(フレックスや時短)・距離(通勤や保育園)

の条件が非常に効いてくるなあと実感しました。他の条件が同じでも、こうした周囲の条件によって制約がかかることは多いにあります。話には聞いてきましたが、なるほど、という感想です。

 

以上をふまえて転職活動してみた

というわけで、常勤歴と非常勤歴がイーブンになりつつある中転職活動に勤しむため転職エージェントに登録してみました。

というか、家庭の事情に対して気分が萎えた結果嫌気が差して求人を覗いていたところ面白そうなものがあったので打診しようとしたらミスって転職サイトに繋がってしまったという経緯だったのですが、結果として満足のいく求人を持ってきていただけました。

 

学歴と職歴を重ねつつ転職サイトを何回か利用しての感想ですが、やはり「学部卒」「病棟常勤」くらいの経歴の間はあまり突飛な(面白い)求人はもらえませんでした。基本的に臨床で、病棟ですか?在宅(訪看)ですか?施設ですか?クリニックですか?くらいの選択肢しかありません。

 

院卒して教職歴がつくと多少の説得力があるのか、転職エージェントも何かしらの反応を返します。が、院卒に関しては臨床系でない以上正直言って「根性がある」くらいの証明にしかならないような気がします。

あと、大学の教職の求人は基本的に公募としてしか出てこないので転職エージェントはもちろん関係ありません。私もたまたま見つけました。毎回行き当たりばったりで職を選んでいることがよくわかりますね。

 

また、今回の臨床系の転職に思いの外効いたのが、先述4「特定行為」の基礎(共通)科目でした。採用それ自体にも影響を与えたとは思いますが、まあ為にはなるかなくらいの軽い気持ちで取っていた科目が実際の資格取得を推奨されるレベルにまで影響を及ぼすとは考えていませんでした。いや考えていなくはなかったからこそ科目を取ってはいたんですが、実際に使う時が来ると思っていませんでした。

 

他の求人として「医療職以外の専門学校での講師」なる面白案件ももらい、内定をいただきましたがこちらは残念ながら辞退することとなりました。こちらに関しても院卒や教職歴がなければ恐らく紹介自体がなかったかと思いますので、「人に何かを説明する」とか「レディネスに合わせた教え方をする」みたいな特技(?)や好みがある方にはこうした分野もあるよ、と言えるくらいでしょうか。

 

 

 

常勤以外でやったこと

基本的に病棟で常勤をしていると、「特定分野の常勤」としてのスキルが加算され、年数相当の信用が得られますよね。◯年看護師として働くことができて、病棟のチームで働けるだけの裁量があって、気力体力がある(ここ重要)と。

あとは臨床系の資格は様々ありますが、こちらは私より紹介に優れたサイトがあるでしょうから割愛します。何より私はひとつも取りませんでしたので。

 

その代わりに私がこれまでに取得した資格その他を取得順に列挙すると、

  1. 学士(教養)
  2. 認定心理士
  3. 学士(看護)
  4. 修士(学術)
  5. 診療情報管理士

でした。臨床スキルを何ひとつ説明しない。

また、認定心理士は日本心理学会認定資格、診療情報管理士は日本病院会認定資格であり、それぞれ国家資格ではありません。

 

のらくら生きるための幸福の定義

常勤を辞めてからは試行錯誤の連続でしたが、常勤の最中からも自分は常に「自分自身の効用を最大化すること」に執心してきました。自分が健康に活用できていることそれ自体が自分の快であり満足であり幸福の一部です。

それは自分の人生に履歴書以上に大きな空白と停滞があることで「何かを取り戻さなければ」と思うネガティブな気持ちからであり、裏を返せば、社会において「他の誰かではなく自分自身が」やって意義のあることをやりたいという思いからでした。

 

そして実際にそれに(辺縁からでも)取り組むようになるとさらに仕事以外の私生活が否が応でも絡むようになり、「最適なバランス」を常に求められるようになりました。「今後なにがしたいか」の布石のために、常に一歩一歩を探りながら進まなければならない状態です。が、結局はその時その時で先の方向を考えながら選んできたものにストーリーが着いてこればなんとかなるのかな、というところまで来ています。

 

大したことのない石を置くときにでも、何か理由を考えておいた方が道を見失わずに済むように思います。というか、道に迷っていたとしても、「他人から見て道に迷っていないように見える」のが大事なのかもしれません。多分、就活でよく言われるやつですね。

 

生の持続の中でできる限り豊かな願望実現として理解された全体的な幸福は、個人的な生構想Lebens-konzeptionenの立案を共に含んでいる。というのも、生の経過の中で多少とも実現されるのは個別の願望ではなくて、願望の組み合わせだからである。

合理的に相互一致でき、そのうえ非-幻想的な性格を持つ願望だけが善き生の時間を導きうる。こうして目的論的な考察から、善き生は一定数の目標の達成を目指してそれらの目標を追求することのうちに見出される、と結論づけられる。

善き生は、願望実現の途上で有意味な生構想のうちに予示されるような仕方で演じられるのである。—マルティン・ゼール『幸福の形式に関する試論』

 

ここ数年は年度替わりに何かが変わることが大してなかったのですが、長く書いてみると、8年もかけて単にまた入り口に立っただけのような気もします。

 

とはいえ退屈はしないので私の幸福としてはこれで良いのかもしれません。退屈することが何より苦痛なので。

100冊読破7周目(51-60)

1.母親になって後悔してる(オルナ・ドーナト)

streptococcus.hatenablog.com

他のブログ記事にも書きましたが、センセーショナルなタイトル(とそれについて回る複雑な書評)に釣られてほしいものリストに入れました。ありがたいことにご恵贈いただいたので手に取った次第です。

内容は別記事に書き記したので割愛するとして、「おすすめ10選」に入れるかどうか悩むところです。なかなか万人におすすめとはいかないのかもしれません。

 

2.3.〆切本

 

様々な文豪その他が独白し、自己嫌悪に陥り、「こうなったら書けるのにィ…」みたいな話をしています。昭和の文壇が多くの対象になっているので、当時の娯楽が雑誌・新聞であったことがよくわかる内容でもあります。現在はテレビやYoutube、ネットに取って代わられたような娯楽を背負っている側面もあったわけです。それに反発する「純文学」もありますが、そうした純文学は一朝一夕にはできないのであくまで大衆文学として「売文屋」に身を落とす...という構図があるのがわかって興味深いですね。

編集の待機に怯える。言い訳の電話をする。言い訳がきかなくなる。さらにはホテルに缶詰めになる。缶詰めにされたホテルから逃げる。

本業のみならずTLのオタクたちの同人活動とかにも多大に刺さるものがありそう(刺すな)。

昭和だけの話でもないので、途中に現在東大教授の松尾先生のお遊び研究『なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか』も〆切本2の方に掲載されています。pdfでも無料で読めるので是非お楽しみください。真面目な形式なのかと思いきや中身が完全にネタなので、論文という形式に慣れない方にもお楽しみいただけるかと思います。ちなみに私はこの数式を検証する能力がないので、妥当かどうかどなたか教えてください。


なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか(松尾豊)

http://ymatsuo.com/papers/neru.pdf

 

以下サマリーです。

研究者はいつも締め切りに追われている。余裕をもって早くやらないといけないのは分かっている。毎回反省するのに、今回もまたぎりぎりになる。なぜできないのか?我々はあほなのだろうか?本論文では、研究者の創造的なタスクにとって、締め切りが重要な要素となっていることを、リソース配分のモデルを使って説明する。まず、効率的なタスク遂行と精神的なゆとりのために必要なネルー値を提案した後、リソース配分のモデルの説明を行なう。評価実験について説明し、今後の課題を述べる。

 

 

 

4.禁書三昧(城一郎)

「発禁本≠猥雑本」なので、政治思想を含んだために「危険」と判断されて回収されたなどの理由の本がたくさんでてきます。代表的なものが小林多喜二の『蟹工船』などでしょうか。

この本自体が読もうと思ってもなかなか手に入らないので、『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』とかが類似かなと思います。Amazonだと取り扱いがないので書影が出ませんが、この本の装丁、和紙に凹印刷なうえに本人のサインがありました。どうやら表紙の和紙の色も統一ではないようです。すげえ。

後から古書検索などしましたところ、そもそも200冊程度しか発刊されなかったもののようです。稀覯本かい。

著者が蒐集した発禁本が10年ほど前に大学で展示されたことがあるようで、コンセプトや概要、資料的価値などについてこちらで知ることができます。

http://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition/gallery/44/44_pdf/pamph_44.pdf

 

あと面白かったのは、「電話で『本を譲ってください』とか『卒論に使いたいのですが』みたいな相談が安易にくるので勘弁して欲しい、自分で集めろ」みたいなくだりでした。40年前でも今と同じような問題があるんですね。

 

 

 

5.猟銃・闘牛(井上靖

井上靖初めて読みました。国語の教科書に載っているような純文学を読むのはいつ以来なんだ…

実はこの本が目にとまったのは、つい先日まで読んでいた『〆切本』の中で著者の井上靖が〆切破りの常習犯だと編集者から名指しされていたからなんです。因果すぎる。ちなみに当の井上靖本人の手になる〆切の話もありましたが、本人は全然悪びれてなくてめちゃくちゃ笑いました。いや俺は早く書けないしそういうタイプの人間じゃないしさあ…みたいな。

そして本編に入りますが『猟銃』、『闘牛』、『比良のシャクナゲ』どれも良かったです。『闘牛』が芥川賞受賞作とのことだったのですが、ごく個人的な感想としては『猟銃』が良かったです。いずれにしてもぐいぐい読ませる文章でした。主人公の男ども、みんなわりと後悔してなさそうだし、してたとしても自己愛っぽそう〜というのが皮肉った感想です。

自己愛が悪いとかではなくて、後悔や反省の様式が最初からそうというか、良くも悪くも「他人に入れ込む」みたいなのが存在しなくて、「何が悪かったんや?」みたいなのを考えたところで多分「いや、これしかしようがなかったんだ」と結論づけそうというか。『比良の〜』については絶対反省しない。こういう人時々いますよね。

読んだことのある人にとってはこの3篇に「反省」や「後悔」なんて言葉は似合わなくない?と思われそうなんですが、客観的には明らかにまあ反省とか後悔とかちょっとくらいしそうな状況なんですよね。でも多分しない、そこがいいみたいな。反省も後悔もしないタイプの自己憐憫

 

 

 

6.大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル(森博嗣

大学教員としての森博嗣全然知らなかったけど面白いなと思いました。この人にまつわるエピソード本当に超人っぽくて面白く、しかも職業作家になろうと思ってなったというのも知らなくてびっくりしました。助教でずっとやっていけたら面白かったのに...という諦念がそこかしこに見受けられます。

内容に対しての意見が是か非かはともかく、大学に携わる人間であれば読んでみて面白いと思います。

また、本人が高等教育に対して持っているモチベーションが個人的には非常に共感できるものでした。

教育というのは、先生が生徒に力を見せるものなんです。人間は、歳をとれば衰えます。子供たちは、衰えた力が見たいのではないのです。第一線で活躍している力が見たいのです。また、コミュニケーションの成立条件としても、やはり、学生と教員の年齢は近い方が有利だと思います。

或る意味これは近年の「実務家教員」などといって天下り先になることを阻止する手段でもあると思います。50代で教授になってそこから教えるというんではもう遅いというわけです。なかなかにパンチの効いた言説で、特に私のような実践領域に身をおく人間としても身につまされるものがありました。説得力が違うんですよねえ...。

 

 

 

7.メディア・コントロール―—正義なき民主主義と国際社会(ノーム・チョムスキー

チョムスキーってそんな骨のある人だったのか...(今の今まで知らなかった)

メディアにも露出が多くて、過去の計算機科学と言語哲学の双方に多大なる貢献のある人だというくらいのことしか存じ上げないのですが、「私が何かものをいっても市民から批判がやってくるくらいで済むのは言論統制とは言わない」みたいな強硬姿勢めっちゃかっこいいですね。いや身の危険あると思うんですけどね......。

 

 

 

8.反〈絆〉論(中島義道

これも面白かったです。

現代社会の煩雑な互恵性に対して、主にカントを中心に「思いやり」の煩わしさと矛盾を説いた本。「街がうるさい」とか「眩しい」が「思いやり」による所産だとかは考えたことのなかった視点なのですが、確かに「行きすぎたサービス(による保身)」が本来の「思いやり」のもつ倫理的態度からしてどうなのみたいな観点がありますよね。意外と考えたことなかったな、と思います。「差別」がなぜいけないのかを語ることすら許さない昨今の風潮のなか読むと味わいのある一冊かもしれません。

 

 

 

9.赤ちゃんポストの真実(森本修代)

赤ちゃんポストの法的根拠と歴史、その運用についてのルポタージュ。ひとりの記者がこれほど長く密着して取材された例は他にないのではないでしょうか。

なお、私は「記者」という立ち位置がどうあるべきなのかよくわかりませんが、本書の著者は「ポスト批判派」です。「無条件(無責任)の推進ではない」というくらいのニュアンスもあれば、いち私立病院が本来役割を負うべきでないといった明白な否定のニュアンスを伴うときもあります。筆者の主観が全編に漂っていることをご承知のうえで読んだ方がいいかもしれません。

 

「命を救う」のひとり歩き(歩かされ?)と、「子の幸せ」のバックラッシュがどのように織りなされているかがよくわかります。先程、本書はやや偏った意見だと述べましたが、そこかしこに著者の反省も書かれています。そういう意味では、ルポタージュというよりエッセイの色合いが強いのかもしれません。著者の疑問ももっともで、そもそもひとり歩きそれ自体がメディアによってもたらされたもの、すなわち「身から出た鯖」であることも本人が認めています。

感動ポルノに仕立て上げられないようにするのは難しいです。

 

内密出産も赤ちゃんポストも報道では大きく出ますが、その背景にあるのは母子支援の拡充のと手段の多様化の必要性であり、妊娠出産と育児の責任を「母親」のみに負わせてきた社会の偏見であると改めて思わされた一冊でした。

 

 

 

10.たまひよ離乳食大百科—たまひよ大百科シリーズ(ベネッセコーポレーション

突然出てきた離乳食百科。

古めの本ですがバランスよく書かれていて良かったかなあと思います。ネットでいくらでも情報は出てくるんですが視認性がやや悪いのでまとまったものを読みたくて手に取りました。今は新しい版が出ていますのでそちらで良いと思います。

 

 

 

さいごに

この10冊はかなりスピーディに読みました。多くの本をちょっと変わった図書館で借りているのですが、いつも子どもを連れて訪れるので、司書の方から「いつ読んでるんですか?」と尋ねられます。いつ読んでるんでしょうね。自分でもよくわかりません。