毒素感傷文

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任意団体Nursing academia における性暴力被害についての個人的見解

ここ数日で、ある任意団体での性暴力があったことが明らかになりました。

自分はこれまでこの事態を静観してきましたが、高等教育機関に身を置こうとしながらこの問題についてこれ以上沈黙をすることは難しいと感じ、記事を書くことにしました。

看護・保健分野と無縁の方、看護領域ではあってもこの事件に関心のなかった方にも読んでいただけるよう、自分の知り得る範囲でことの概略に触れながらお話しします。一個人の手記で、被害者の支援と自分の立場の表明のために書くものですので、些か簡素すぎることについてお許しください。また、事実と異なる部分があれば、都度訂正したいと思います。コメント欄またはTwitter上でご指摘いただけましたら幸いです。

 

 

ことの次第

看護師が高度教育にアクセスすることを支援すると標榜する任意団体、nursing academiaというものがあります。この団体は1年以上前から活動しており、海外の大学院や公衆衛生大学院等の比較的難関とされる大学院受験を目指す看護職をサポートするチームとして出発しました。この団体は、アカデミアへの所属・非所属を問わず論文抄読会を開き、進学サポートのための情報提供として座談会なども設けていました。

そして最近、運営側から参加者への性的暴力があったことが公になりました。

以下、それぞれの立場がわかりづらいため、凡例を

  • Nursing academiaを「団体」
  • 参加者(被害者)を「被害者A」
  • 運営メンバー(加害者)を「加害者B」
  • 団体代表を「代表C」
  • 団体運営メンバーから相談を受け、かつ被害者Aに聞き取りをした方を「D」

とします。

現在はツイートが削除されているため直接確認をすることができませんが、加害者B氏が「被害者Aが自分(B)に対してあらぬ嫌疑をかけ非難している、名誉棄損として弁護士に相談し本人(被害者A)に通知書を送っている。皆さん信用しないように(大意)」というツイートをしました。被害者A氏のアカウント名を含んだ文書でした。

これに対して、被害者A氏に聞き取りをしていたD氏が下記文面を公表しました。

事件そのものの概要はほとんど上記文面に含まれています。

 

これを受けて、代表C氏は団体としての声明を下記のように公表しました。(なお、団体Webサイトは12/23 18時現在アクセス不能です。運営側はサーバートラブルと説明しています)

加害者B氏は問題となったツイートを削除して以降、Twitter上では沈黙しています。

なお、団体運営メンバーから個人的に謝罪の文章なども出されていますが、今回は省略します。

以上が現時点でのことのあらましです。

 

この件の問題点

そもそも立場を悪用した性暴力という点で既に許されるものではありませんが、そこは当然のこととして上記D氏も指摘しているため割愛します。

そして私は、代表の声明とその他のツイートに基づいて、少なくともA・B・C全員が(認識に齟齬があることを加味したとしても)組織を悪用した行為があったことを認識していると判断したうえで下記に私見をまとめます。

 

1.教育者が被教育者に対する加害者となったこと

被害者A氏をはじめ多くの方がツイートで指摘していますが、これは教育組織の信用を失墜させる行為です。

また、「同意があったから」が言い訳にならないのは、教育という力の不均等が起こる場において否定の意思を表明できない、またはできたとしても自由意志が抑圧されている可能性があるからです。

指摘されている方もいらっしゃいますが、教育者から被教育者に対して個人的に接触をとることは「完全に教育的な関与から解放されてから」しか許容される余地はありません。それでさえ、アカデミアのもつ性格上、両者が近い場で活動する可能性を考えれば慎重になる必要がありました。

 

2.組織の行動が遅きに失しており、また代表の言動が不適切であったこと

代表C氏の発表後にD氏も指摘していますが、トラブルの存在を確認していながら対応が後手に回っています。また、内容の聞き取りに際して代表C氏が二次加害を行っていることをC氏自身が認めています。nursing academiaは任意団体ゆえ、そもそもなんらかのトラブルがあった場合の報告先は運営メンバー、そして代表以外にない状態だったと思われます。その結果、本来この被害者A氏は参加者であったにも関わらず、団体対個人という構図で孤立無援となりました。

また、運営メンバーの総意でないにも関わらず代表が個人的にそのような対応を行ったことで、本件を知らないメンバーがいる時点で組織の名を冠して不適切な対応を行ったこととなります。これは団体参加者・非参加者のみならず、運営メンバーに対しても礼を欠いた対応であったように見えます。

 

3.団体のもつ性格ゆえに、社会的影響が大きいこと

自分は、団体や代表の理念・方針すべてに賛同しているわけではありません。

が、標榜されている理念や活動の活発さ、質の高さを恃みに様々な有志が集っていたことも、高く評価されていたことも、篤い信頼を寄せられていたことも存じております。公益性が高く、参加者のニーズを満たすに余りある成果を出していたと思っています。

いわば専門職の筆頭として旗を振っていた人間が学習者に対してこのような態度をとったことは、団体参加者含め我々看護職だけでなく、その学生、ひいてはこういった任意の教育的役割をもつ団体や他分野のアカデミアにとっても損失ですし、脅威であると感じます。

 

自分がいま団体に対して思うこと、また内省すること

この件は既に看護職、とくに看護のアカデミアに近い人間に知れ渡っており、その多くから批判されています。自分はこれまで性暴力やアカハラのような問題に対して、興味関心はあれども表立った批判や行動をしたことがありません。しかしながら今後も看護師として活動し、また高等教育の恩恵に浴しようとしている身として、今回の件を看過するわけにはいきませんでした。

また、ただ批判するだけでなく、これが誰にでも(加害者としても被害者としても)起こり得る問題として留意すべきだと感じています。完全なる部外者として本件を非難することはできません。非アカデミアの看護職や他分野のアカデミアの方々に対して、このようなことをする看護教員・団体運営者がいることを非常に情けなく、また申し訳なく思います。現時点で自分がとれる行動はこうして記事を書く程度ですが、少なくともこの姿勢を保ちます。

 

本来のnursing academiaの理念である「より多くの看護職が良質な高等教育を受けること」に関しては自分も大賛成です。

よって本件への関与の有無にかかわらず、高等教育へのアクセスを望んでいた看護職が失望し、その意欲が阻害されかねない今の状況に対して強い懸念があります。直接の問題が解決されるのは勿論のこと、被害者A氏を含め、本来もつことができたはずの学習機会の損失が最小限にとどまることを望みます。同じ団体や代表でなくとも、ピア・サポートの学習機会を作ることは可能ですから。

 

本件のような任意団体における立場を悪用した暴力について、自分ひとりでは今後未然に防ぐ策を考案することは難しいですが、少なくとも本件以来、こうしたことが起こり得ることや適切な対処が必要であることを深く知るところとなりました。問題の構造を理解しないままでは、知らずして加害者に加担する可能性もあったと思います。被害者A氏も繰り返し述べておられますが、こうした件に出会ってしまったときに為すべきことは、ただ自分が立っていない立場を手厳しく非難することではありません。こうした問題を引き起こす、見えない構造上の欠陥に目を向け、理解に努めることです。

具体的な行動をする立ち位置になく、自分にできることはこの程度ですが、問題を看過しないというだけでも行動になるとも思っています。

 

また、末尾にはなりましたが、被害者A氏が現在渦中にあるにも関わらず衆目に晒されてしまっていることを無念に思います。

自分はさるきっかけから、数か月前よりA氏の動向を一部存じあげておりました。A氏は心身に多大な負担を抱えながらも、性暴力被害についての正確な知識を広めようと尽力されています。ご自身の経験についても、あくまで公益のために資しようとする姿勢には敬服するほかにありません。直接的な援助をする機会はないかもしれませんが、彼女の意に賛同し、記事を終わりとします。