毒素感傷文

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未完成の構造と営為―臨床の知覚から

100冊読破を進めるうち、自分が結構なキャパシティを『知覚(あるいは認知)』、と都市論・建築デザインに割いているのだなあと思ったのでここらで一考まとめておきたいなと思います。なぜ看護師である自分が建築や公共性のデザインに興味をもったか、それは日常にどのように反映されているかということについて。それから、そのふたつでどうしても拭い去れない主体的な営為の問題について。

 

 

 

臨床の知覚とはなにか―環境の理解?

私は既に患者ではなく医療者なので、そちらが主の視座になります。

1年目であった去年、入職して徐々に仕事に慣れていく中で、こと『臨床』という大枠について考えることが何度もありました。それは臨床の環境について。

 

かのナイチンゲールが原点である看護理論については人間/環境/健康/看護が主眼になって展開されますが、基礎ではあれどあれが最後ではないと自分は思っています。かといってロイ、トラベルビー、レイニンガーなどがすべての解決策かというとまったくそうでもない。ましてヘンダーソンやゴードンに関しては、完全に実務型(問題発見⇒解決型)であると言わざるを得ません。便利ですが、便利ゆえにそれだけに頼りたくなるので注意が要るなあと思わされるのです。ではそういう小さい話題を逸れて本題へ。

環境とはなにか

人的環境、物的環境、その動力学、自分たちの身体というデバイスが知覚にもたらす影響、時間軸・・・などなど。

①人的環境

臨床に来て思ったのは、人的環境に(自分が)慣れるのってとても大変だなあ、ということでした。学生実習もかなり長期にわたって行っていましたが、アウェーであるかホームであるかの違いはかなり大きいです。今から現場にいらっしゃる方にはぜひここを熱くお伝えしておきたい。

では人的環境とはなにか?平たくいえば、その「場」にいる人間のキャラクター、職種ということにでもしておきましょうか。

現場、自分のいる場所では刻一刻と状況が多変数的に変わっていきます。そのときにどの人間がどういう動きを「すべきか」はともかく、「してしまうか(パーソナリティの問題)」その時どういう振る舞いであるか、どういった結末を招くか、などは結構自分にとって重要な情報でした。

例1)緊急事態には強いが日々の仕事がちょっと杜撰

例2)残業してでもきっちり記録を書くけど、イレギュラーな事態に弱い

例3)ちょっとした報告や依頼を伝えづらい他職種(よくある)

など。勿論これだけではありませんし、自分の働きやすさと勘案してどうかということは今は問題にはしません。

自分が病棟という環境で働いていると、その時々の「スタッフの顔ぶれ(総合的な力量)」は結構見えてくるような気がします。勿論他職種も含めてです。そしてこの結果は、最終的に患者の利益に影響します。

 

②物的環境

これに関しては光・気温などでよいのですが、こと臨床においてはモノの配置が結構ものをいいます。一瞬で次の場所へ正しいものをつかんで飛んでいかなければならないし、モノの配置・建物の構造なんかはいちいち自分の行動に影響します。臨床でも口にする人は多いです。

 

③動力学(人とモノのふるまい、ダイナミクス

我々は忙しく立ち回り、動いています。人間ひとりひとりが全員そうしているので、①に従って今誰が何をしているだろう?という想像力や事実の確認はかなり訓練された気がします。というか、それができないと今私は働き続けられていないような気がします(これが認知できない人がドロップアウトしやすいな、となんとなく思います)

 

④身体というデバイスが知覚に及ぼす影響

当たり前ですが、自分たちは人間なので、自分の身体を通してしか情報を手に入れることができません。残りのことは、脳内で想像のすえに処理されています。

目の前で点滴を作っていれば清潔準備室という環境に身を置いていてその場所に最も詳しいし、ベッドサイドにいればその時間その場所には最も詳しいわけです。このあたりはあとで詳しくいきましょう。

 

⑤構造の解体と時間軸

システムのダイナミクスとしてはこれが1番臨床にいて楽しいことではないでしょうか。組織の一部として活動すること。

自分の一部を解体したり、要素化して他人の要素とすり合わせること。ここでいう他人とは、対象ではなく同業者のことです。

自己知覚が鋭くできている人間は、肉体をもって個体の区別を成して他者との境界を明白にしています。それをわざと要素にして分解する。そして他者の持ち物と馴染ませる。

そういうことの繰り返しで自分は臨床に慣れていったような気がします。勿論、他者を見ていて要素化したところで自分と持ち物が違うこともあります。というか多々あります。ので、そういうときはすんなりと諦めて、場当たり的に技術の真似をする。パターン化するので必ず持ち主本人より優れたものは出来上がらないけれど、持たないよりずっとましだ。

そうやって自分の特異性を崩していく。

 

なんで時間軸が大切になるかというと、焦るからです。焦らされるとどうしても人間、本性が出ます。そのむき出しになった本性を内省して、解き明かして、という行為を延々と繰り返す。正直しんどいしあまりやりたくはない。けれど、リアルタイムだからこそ表に露出しやすいものというのはあるんです。それ故に臨床は楽しくてとてもつらい。

 

実はここまでの記事はかなり以前に書いたもので、つまり最初と最後が全然かみ合わないんです。

こっから都市論と建築デザインにつなげるなんて到底無理でした。

というわけで、『営為』の前提としてこの記事をあげておき、あとは全部つぶやきに流そうと思います。