前回に引き続き思うことがあったので、もうひとつSNSについて記事を書きます
今回はmixiからの転載ではありません。
▼「友人」の境界
Facebook、mixi、Twitter、まぁなんでも良いのですが
それぞれ友達・マイミク・フォロワーといって数が他人に見えますよね。
携帯のアドレス帳でも良いのですが。
それの数が多いほど持て囃される傾向にあったり、数の少ない者を友人の少ない者と看做す風潮があるように思います。
ちょっとまって下さい。
それ、本当に「友人」ですか?
上記ですとTwitterのみフォローとフォロワー数がありますので形式的に異なるのですが、mixiやFacebookは必然的に相互フォローという形です。
その数を増やすことに拘った結果、「友人」ではない人を「友人」であると勘違いしている人が増えてきたように感じられるのです。
ともだち と辞書で引くと、気のおけない間柄であること・立場が対等であることなどが説明されています。
▼「ブログ」の黎明期からこれまでに
視点を変えますと、個人サイト作成支援ツール(今のような携帯サイトの走りも含めて)やブログが流行りはじめた当初、そこには「タイムライン」が存在しませんでした。
それぞれは「自分の城」で、覗きに来ようと思わなければ人は来ず、覗きに行こうと思わなければ城は孤立し続けることもできました。
それでどうしたかというと、「相互リンク」なるローカルルールやらウェブリングなるツールを使って似た者同士がお互いの行き来をはじめました。
お互いのページに行き、掲示板に書き込んだりして交流し、納得できればお互いにリンクしたり。
それらの面倒くさい手順を全部省略したものがSNSなのだなぁと、今更のように思うのです。
個人サイト・ブログとSNSの隔たりは、情報に価値があること。
マニアックな情報や専門的な情報を求めて、謂わば「人」より「情報」が重視された時代から、そこに「人」としての繋がりも求めるようになったともいえます。
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挨拶し交流するという面倒くさい手順を省いた結果、繋がっている「人」と自分はどんな関係にあるかということより「どんなすごいやつと繋がっているか」「どれくらいたくさんに人間と繋がっているか」に終始してしまい、その関係の内容の吟味はされなくなってきてしまったように思います。
お互いにどう思っているのか言葉を交わしたこともないのに、タイムラインの投稿を見て「いいね!」をつける。リツイートする。
そんなことに何の意味があるのか、よく考えた方がいいんじゃないか?と思う人をちょくちょく見かけます。
▼対等でなくとも、SNSでの関係をもつことに意味はある
けれどSNSでの交流は便利です。
興味のある分野での専門家・サークル活動に気軽に関わることができ、遠い場所の人間と友人になることができ、関係性を保持することができます。
SNSのなかった時代ならば、広大なネットの海をさ迷い自力で発掘しなければならなかった「おもしろい人」を、タイムラインに流れてくるリツイートで発見することだってできます。
必要なことは、SNSをどう使いたいのかということ。
SNSに「使われる」と、最終的に人間関係に振り回されたり、SNS疲れをしてしまったり。
幸いなことにSNSは①どういう目的で ②どういう時に ③どんな人と関わりたいのかを選択できるツールです。
各々違うとは思いますが、それを自分の中で明確に定義しておかねば無限に疲労し無限に時間を奪われることになります。
もちろん定義が人によって異なることも把握する必要があります。
そして大切なことは、SNSで交流がある=「ともだち」ではないと関係者の双方が自覚していること。
もちろんSNSで、顔が見えないなりの友人関係を築くことだって不可能ではありません。でもそれは、繋がった瞬間にともだちに「なる」のではなく、そこからお互いに歩み寄ってはじめて友人に「なり得る」のです。友人になるかどうかはその後のコミュニケーション次第でしょう。
(終)
▼おまけ:私の場合
①現在使っているコミュニケーション媒体:
PC、携帯
②現在使っているSNS:
Line、Twitter、mixi、Facebook、Skype
③これまでに使っていたウェブツール:
個人サイト(通算6年ほど)、オンラインゲーム(通算3年ほど)
④使い分け
Line:実習でのグループ連絡用
Twitter:知人/友人/家族との交流用・興味のある分野の情報収集用(発信はしません)
mixi:ごく私的で個人的な関わりのため
Facebook:上記SNSで繋がりはないが、動向を知っておきたい友人のため
Skype:知人・友人との無料音声通話用
▼おまけ2:蛇足
友人マネジメントという言葉が過去、mixiにおいて登場しました。
私はそれに対して嫌悪感を抱いたのですが、それは恐らくmixiでの友人と相互関係の状態(辞書でいう「友人」)に近い関係であったからです。
Twitterでフォローをやめることになんの違和感も抱きませんし、自分自身がフォローを外されても「面白くなかったなら仕方ないな」くらいにしか思いませんが。
SNS疲れを起こさないために、友人マネジメントをせざるを得ない時代になってしまったのかも知れませんね。