毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 5周目(11-20)

1.時間の非実在性(ジョン・エリス・マクタガート

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

 

時間論「のみ」をあまり読んだことがないのですが、時間論結構面白いなあと思いました。ちなみに私が好きなベルクソンの「時間とは、空間的なものである」っていう考え方はあんまり取り扱ってもらえていなかった。A系列、つまり固有の時間の点において起こった出来事の後に任意の次の出来事が起こり、それらは不可逆で順序も変えることができずまた一回性のものであるという素朴な考え方における矛盾を明らかにすることによって「時間」の観念を解体するのが目的ですが、自我についての話もちょっと面白かったです。永井均の解説はむしろわかりにくいです(永井氏の文章が苦手なのもある)

ベルクソンの「意識に直接与えられているものについての試論」は、時間論でもあるんですけどどちらかというと覚醒している自我の認識の方に寄っている感じがするんですよね。

 

2.5.老い(上・下)(シモーヌ・ド・ボーヴォワール

もし教養が一度覚えたらそれっきりでやがて忘れられてしまうような無力な知識ではなく、実践的で生きた教養であるならば、そしてこの教養によって個人が自己の環境への把握の手段をもち、この把握をつうじて行なう活動が年月の推移のあいだに成就し更新されてゆくならば、彼はあらゆる年齢において活動的(現役)で有用な市民でありつづけるだろう。ーシモーヌ・ド・ボーヴォワール老い

上巻は老いの生理学的変化、人類学的系譜、当時の先端社会における高齢化とそれに伴う制度・施設における老年期の人びとの扱いについて書かれています。

下巻は、文化における高齢期、高齢期の性、高齢期の芸術的活動や学術的活動の賛否など具体的ケースをあげています。

下巻の前半部分については実存主義的・また心理学的な記述が続くので現在では結構知識が新しくなっている部分もありますが、当時において「老いること」を精密に調査した記録はあまりないのではないでしょうか。現在においても上巻の知識などは有用だといえるでしょう。

また下巻の後半~終章にかけては高齢化社会を迎えるにあたって制度の改革が必要であることを指摘しており、現在の医療の「老年医療化」を支えている自分としては身につまされるものがありました。

 

3.対人恐怖の心理―羞恥と日本人(内沼幸雄)

対人恐怖の心理―羞恥と日本人 (講談社学術文庫)

対人恐怖の心理―羞恥と日本人 (講談社学術文庫)

 

著者が精神科臨床の医師であったのですが、哲学(とくに時代的にニーチェ-サルトルの系譜)引用が多くて自分はうーんとなりました。心理というとこういうものが想像される、その最たるものといいますか。まあ本書がそもそもベネディクトの「恥」と「罪」の概念への反論として立脚しているからでもあるからでしょうけれども。贈与の観念、「あいだ」の恐怖についてはまあさんざ他の本でも論じられているので、という。

関係性の概念は今ではもう使えないものになっています。良くも悪くも今は既にこれよりずっと恥の意識も罪の意識も「他人と交換可能」になりました。これについて考えるにはもう少し言語に触れる必要があると思います。ただ論じているのは「対人恐怖の」なので、その限りにおいて有効な部分もあるかと。

 

4.心の仕組み 下(スティーブン・ピンカー

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

 

 最後まで読んでわかりましたが、ピンカーの「暴力の人類史」、ドーキンス利己的な遺伝子」、ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」を読んでデネット「解明される意識」「解明される宗教」を読んでいたら、ほぼこの本は読む必要がありません。優れているのは、各巻末にそれぞれの事象についてのタイトルがついており、参考文献がそこに1つまたは複数ついていること。この本を文章で読む必要がなさそうだと感じたら、こうやってたぐるとよいと思う。意識のイージープロブレムについてはもっと計算機科学・認知哲学寄りの解釈も欲しいので、まあなんや文化人類学進化心理学とわずかに経済学から(認知心理でも扱うけど)の理論を展開するとそういう結論になりますねという感じ。「暴力の人類史」の方が個人的にはオススメです

 

6.7.行動の構造(上・下)(モーリス・メルロ=ポンティ

行動の構造 上 (始まりの本)
 
行動の構造 下 (始まりの本)

行動の構造 下 (始まりの本)

 

「知覚の現象学」と同年に発刊された著書である。こちらのほうがより行動心理、認知心理っぽいといえばそう。知覚の現象学は比較するとすれば神経科学的にみえる(勿論それらはゆるやかにすべて接続していて領域も曖昧なのだが、見方として

知覚の現象学で提出されたのは意識の変容と部分的な意識の取り扱いであったと感じるけれども、行動の構造では当時かなり発展していた発達心理学精神分析といった「心を外から観察する」「心の志向性を分析する」シンプルな行為への前向きな批判にも思えた。ここでみられる議論は現象学というより、行動の観察と分析・還元という経過で奪取された主体性の確保であり、むしろ間主観的ながらも「実存」の存在の尊重や経験による知覚の再編をみていたメルロ=ポンティ独自のものであるように思う(これを語るに私は現象学について無知である)。ハイデガー存在と時間」、ヘーゲル精神現象学」にそろそろ近づいてきたのを感じる。ベルクソンにも多く言及されていたのだけど、「精神のエネルギー」「思考と動くもの」あたりを読んでみないとなんともわからないものかもしれない。フッサールは全然違うなと思う。

あとスピノザのエチカもいい加減ひどい積ん読なので読みたさある。メルロ=ポンティは知覚の哲学というより志向性の哲学であるようにも思えてきた、知覚主体があれば知覚の哲学に還元可能だけど主知主義についてはかなり批判的だ(それが今に至る知覚の哲学のありようかもしれないが

 

8.9.アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症(上・下)(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 
アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 

この2名の手による共著を読むのは千のプラトーを読んでから1年半になる。

ジル・ドゥルーズは、どうにも精神分析との相性はそんなによくなかったのではないかと思うことがある。彼が見ているのは構造の中に生じている「意味」である(今回は欲望機械について焦点があてられている)。文化や経済の流れというものはほとんど目に見えないものであるが、ニクラス・ルーマン社会学にも似たような「システムがシステムそのものを再生産する」ような意味を受け取っていたように見える。

また、人類学の知見に衝撃を受けていたことも「アンチ・オイディプス」というタイトルと論ぜられる内容からわかるように思う。高度に文化的存在であるかれらがオイディプス王の物語とエディプス・コンプレックスという概念から享けていた思考の種をひっくり返すように、先住民の調査報告が舞い込んでいたころと思う。しかしドゥルーズ自身は実際に出向いて、性と欲望について調査をしていたんだろうか...とも思う。資本主義と精神分析はたしかに時代に翻弄されていた人間であれば目にとまる要素であるように思うけど、この著書が「千のプラトー」を超えるように自分には思えなかった。

 

10.科学と表象―「病原菌」の歴史―(田中祐理子) 

科学と表象―「病原菌」の歴史―

科学と表象―「病原菌」の歴史―

 

ポール・ド・クライフ「微生物の狩人」、ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」をうけてこれを読むと面白いです(実際本書の中でも冒頭にその2冊には触れられている)。ド・クライフの「微生物の狩人」がひとりひとりの人生とその功績をめぐる本だったとするならば、この本は「微生物学」が成るまでの彼らの「手法」と「発見された内容が後世に与えた影響」の2点に着目しているようにも思えます。カンギレムの科学史にもよく触れられています。学術が一個の筋道として出来上がるとき、むしろ出来上がった時点から理論に基づいてそれを既に発見していた人物が過去にさかのぼって洗い出されることはよくあります。本書は「如何様にして」ある学問分野が成立したのかを追っていく本です。「微生物の狩人」を面白いと感じた方ならば楽しんで読めるのではないでしょうか。

100冊読破 5周目(1-10)

1.不道徳な見えざる手(ジョージ・アカロフ

不道徳な見えざる手

不道徳な見えざる手

 

訳者が自分がわりと気に入っている人なので読みましたが、今回は経済学「のみ」というより金融取引、資産運用が絡んでくるので取引関係に疎い自分にはつらかったです。心理的な部分も一部ですしね。原題は造語で、「愚か者釣り」みたいな意味です。バイアスの一言で片付けることもできますが、企業ないし政府、銀行の策がどのように「不理解」であるとこのようなことが起こるか?の解説のような本です。ちなみに私は原理を理解していないので結構読みづらく感じました。なお、経済学の徒にはこのあたりは了解済みのことと思われます。ので、基本的に仕向けるのはやはりビジネスマンですかね。資産運用を実際にしている人たちが、過去に起こった国際的な金融危機の仕組みなどを面白おかしく知りたい時にいいかなと思います。結構ニッチな本ですね、これ。

 

2.不合理だからうまくいく: 行動経済学で「人を動かす」(ダン・アリエリー)

カーネマンの「ファスト&スロー」が意思決定にまつわるゲームのような感覚で読める本だとしたら、これはヒューマンドラマを読みながら(実際アリエリー教授の若年時代に負った全身の熱傷との闘いが説明に多く用いられます)行動経済学を学ぶことができる本です。

特に情緒と意思決定の関係について書かれた点については昨今の医療者必読と言いたいくらいですが、必読というと言いすぎですと怒られそうなのでやめておきます。信頼と怒りが意思決定に影響することや、感情的に決めた(利点もあれば欠点もある)ルールが長期に行動に影響する点など面白いです。医療者なので、アリエリー教授が若くしてひどい火傷を負ってそれから立ち直るまでの苦痛とそれの対価として得た経験知に気がいってしまいますが、人間の知覚を永続的に変化させる痛みの経験についても積極的に検討しておられ大変読んでいて面白くありました。

タイトルはちょっとトボけていますが、トボけて手に取るとまあまあいい本です 行動経済学に興味あるけど難しい本は手が出しにくいワ〜という方に是非。

 

3.倫理学案内―理論と課題(小松光 他)

倫理学案内―理論と課題

倫理学案内―理論と課題

 

面白かったです。これは教科書になるよう書かれている本ですが、まさにビジネスマン向けでもなくかといって学生のみに門戸を開いているものでもない。人生のどの時期に読んでもいい本だと思います。前提の知識も必要はない(義務教育程度)まさに万人に「勧められる」といえましょう。

倫理とはなにかという問い(理性とはなにか?)がメタ倫理学に少し行きかけるので始めを読むのはもしかしたら倫理の初学者にとってハードルが高いかもしれませんが、以降は恐らく面白いです。法(正義の)哲学、政治哲学、ポストモダンの諸相、環境倫理、情報倫理など。戦争の倫理、経済の倫理もあります。もちろん動物の倫理も含まれます。生命倫理も、科学技術の倫理もあります。教科書として十二分だといえましょう。それでこの読みやすさ、価格、薄さ。最高におススメです。

 

4.資本主義の終焉――資本の17の矛盾とグローバル経済の未来(デヴィッド・ハーヴェイ

資本主義の終焉――資本の17 の矛盾とグローバル経済の未来

資本主義の終焉――資本の17 の矛盾とグローバル経済の未来

 

三部構成。第1部で「資本」がもっている矛盾の構造(労働者の生活と矛盾する理由、ケインジアンがいう需要と供給のバランスが時間経過とともに矛盾する理由、マクロ経済的に空売りによる釣りがいつか暴落する理由など)を明かしたうえで、第2部ではその矛盾の実際にどのようなクライシス(倫理的、理論的、環境的な破綻)が過去に起こったかふりかえる。第3部でやっとセンやロールズの理論をだしながら、福祉や環境政策、グローバルな公平への可能性や金融機関の介入の在り方について論ずる。経済の視点から世界を鳥瞰できる良書です。扱う用語・概念はハードですが、本の構成が読みやすく、脚注がそのページにつけられているのでありがたいです。教科書として読み進められると思います。ブルデューの「文化的再生産」についてや、リベラリズムリバタリアニズムとの相性の悪さ(つまりノージックロールズの論)に触れているとより理解が深まるのではないでしょうか。個人的には膝を強く打って死亡しそうになる場面もたくさんあり、「なぜそういう価値の構造があるのか」「矛盾の破綻する末端にいる人を救うにはどうすればよいか」「どういうインセンティブが必要か」を考えるにあたってこの本わりと何度も読みたい。2800円とお安いです。

サミュエル・ボウルズ「モラルエコノミー」ポール・メイソン「ポストキャピタリズム」の復習としても読めるし、むしろあの2冊を各論としても読めますね。因みに著者は地理経済学の人なのですが、この「地理を知っていること」、開発経済学とか公共政策を知るうえで大変重要やと思います。

 

5.うたかたの日々(ボリス・ヴィアン

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

 

とある人が、この本をお好きだと言っていたので読みました。

20世紀初頭フランスを短く生き抜いた著者の作品。日本で言う純文学のような要素が強いです。あと、小川洋子ととても雰囲気が似ている。

なるほど…サルトルの引用や、「ジャン=ソール・パルトル」がよく出てくるなあと思ったらそういう理由だったのか、という感じです。ひしひしと時代の香りがする本。「ヴィオレット」という映画を思い出しました。

労働と実存は相性が悪い。

 

6.心の仕組み(スティーブン・ピンカー

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

 

心に関する進化生物学-神経科学-認知科学-計算機科学を俯瞰できる本。なお、前半350ページは私はもうどこかの本で大体読んだなあという内容でした。

集団の心理における認知的ニッチの話は面白かったです、下巻の展開を待っています。

 

7.人間本性論<第1巻>知性について(ディヴィッド・ヒューム)

人間本性論〈第1巻〉知性について

人間本性論〈第1巻〉知性について

 

前半は図形の知覚、数学的概念の分解と構成について。ここを拡げて、知覚の哲学と論理的解釈、対象と知覚の話になっていく。なるほど、デカルトとかカントを読んでいた時よりずっと具体的でわかりやすい。時々抽象度を落とすからではあると思うけど。

カントもデカルトも直観的解釈に帰しがちだったものを何で構成されているのかを分解するの、視覚科学における「デーモン」の存在は結構前から証明されていたのだなあとわかって面白いです。本書の中身はそんな内容だけでは勿論ないのですが、分析哲学・現代形而上学の先駆けやなあと思ったりしました。

 

8.「新しい働き方」の経済学: アダム・スミス国富論』を読み直す(井上義朗)

面白かったので一気に読み終わってしまいました。国富論を貧困の構造を理解するための本として読むというもの。読みやすいのでわりとおすすめである。NPOとかの福祉と産業の合間を埋めるような事業に興味ある人向けですかね。読んだことのあるもののなかでは「日本のシビック・エコノミー」と「コミュニケーションデザイン」が読書案内に入っていました。

 

9.信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム(ニクラス・ルーマン

信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム

信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム

 

システム理論、システム理論入門(講義録)と読んでこれにきたけど、構造主義にもシンボリックにも馴染めない人にはこれを勧めたい気がする。結構面白いし今だからこそ読める(リスク社会の考え方とか)節がたくさんあります。特にマスコミュニケーションと個人の関係について論じている項では現在浮かび上がっている問題も多くみられますし、「メディア論」とか「孤独な群衆」「反知性主義」などではとらえられてこなかった関係性への価値の賦与が描写されているので、参考書としてよいかなと思います。

 

10.都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史(吉見俊哉

都市のドラマトゥルギー―東京・盛り場の社会史

都市のドラマトゥルギー―東京・盛り場の社会史

 

予想通り「京都と近代」の東京バージョンみたいな本だった。1年近く前に人に教えてもらって、読みたいと思っていたのだ。「戦後東京と闇市」を読んだときにも東京という町の面白さを感じたものだけれども、本書では浅草と銀座を照らし合わせながら明治初期~昭和半ばまでの「まちの毛色」について土地の歴史とともに描きます。京都と近代のような建築・都市計画メインというよりは人間の文化がメインです。

社会人生活記 -さんねんめ編

3月が終われば、社会人生活もまる3年が終わったことになる。勿論次からは4年目で、随分「後輩」にあたる人が増えてきた。ちなみに「年上の後輩」というのはいない。正確には、いたのだが、みなドロップアウトしていった。闇である。

去年の記事はこちら。入れ子構造になっているので、去年の記事の中から一昨年の記事も辿ることができます。

streptococcus.hatenablog.com

 

相変わらずとめどなくつらつらと書こうと思う。

 

仕事と生活について

3年目になって新しく始まったこと

は、あまり面白いことがなかったのでそんなに書く気がない。2年目の仕事をブラッシュアップするだけのことである。2年目では時間が足りなかったり余裕がなくてできなかったことを、他の仕事を効率化することでじっくり考える時間を増やしたりした。

具体的には本当にこれはつまらないことで、病棟を委員会の長をおっかぶされたりしたのだが、のらりくらりしながら続けた。あと1年生の教育も幾らかは(他の病棟スタッフと同じように)責があって、向いていないながらもやった。怒るとか怖がらせることのないように、必要な学習が行き届くように、毎日彼らが健康に来られるようにと思ったが実際に言動に出せるほど私の発言力は強くない。

 

3年目になって初めて起こったこと

こちらが今回の記事の本題である。

この記事を好んで読まれるような方はご存知のことと思うが、自分は10年来気分障害を患っており、仕事を始める前からも仕事を始めてからもずっと情緒の不安定性や悲観は続いていた。悲しいことがあれば長く長く落ち込み、ものがのどを通らなくなることもしばしばあった。

 

今年の冬は寒かった。

「だから」というわけではまったくないが、この因果関係のない前置きをするのが好きなのでお許しいただきたい。今年の冬は寒かったのだ。まあ、とにかく、1年間の多忙やら働き始めてからの苦しさが堆積してしまったのか、1週間と少しの病気休暇をとった。働き始めてから、数日にわたって休んだのは初めてのことである。

 

何も特別なことではないと思う。

「何が」特別なことではないのか、「何が」特別なことなのかを下記に続けることをお許しいただきたい。

 

社会人にとって「特別ではない」憂鬱な気分と、短い休みについて

ここでひとつ、「プロ」としてではなく、当事者として、かつ当事者としての自分からお知らせしたいことがある。

 

人は誰でも抑うつ状態になりうる。それも簡単に。そのうち多くは一過性の抑うつとして回復を期待できるが、中には長い間抑うつ状態におかれた結果、何らかの心身症を発症してしまうことはある。

新生活になるときは誰でもストレスフルな状態である。

「ストレス」と本人が知覚していない場合でも、そうだ。第一志望の企業に就職して都内に出る。結婚して転居する。そんなときでも、知れずに負荷はかかっている。

こうしたとき、3日と言わず1週間くらい休みがあればよいが、そうでない場合がほとんどである。普通の生活を営みながら、新しいことをはじめなければならない。特別な休みはなにもない。

 

対人関係でセンシティブな傾向にあればあるほど、こうした摩擦による疲労はあるものと思っておいたほうがよいと思う。それから、日常生活において注意散漫になりがちで、何かひとつのことを実行するのに並々ならぬ注意力を要する人についてもそうである。「注意」というものはリソースを食うものだ。

「集中できない」状態はひとつのサインかもしれない。よく休もう。

 

わたしにとって「特別なこと」について

上の方にも書いたように、自分はたびたび抑うつ状態を長引かせてまごついた人生を送っている。具体的には、高校卒業後2年間の休養を要したし、専門学校に入学してからも実習を休んだために1年留年している。なので、このコースを歩む一般の人からは3年も長い無為を経験してきた。

若い人間にとってそれは多大なる挫折である。特に、ちっぽけな自尊心をせいぜい成績くらいでしか買うことのできない人間にとってはこれは高い鼻をめきめきとへし折られる行為に等しい。私の高い鼻(物理)は今も健在だが、社会的な高い鼻などないに等しい。最早削ぎ落してどこかに置いてきた。

 

社会人3年目にしてとうとう体を少し壊してしまい、1週間強ほど休んだが、無事に復調している。これは快挙である。

 

自分には後ろ盾がなにもない、という感覚がいつもあった。

人生がこうももたついているため、高校を卒業してから復帰のためにあれこれと手を付けては失敗し、そのたびにもう死んでやろうと思うほど絶望した。今でこそこうして文字にしても痛くもかゆくもないが、絶望するたびに自分は食事を断ち、自分で自分の身体を傷つけてきた。そうでもしないと世界に存在してはいけないような気がしていた。

将来は暗く、このように人に厳しい世の中ではきっと自分は地を這うようにしか生きてはいけないだろうと思っていた。だから、生きていても仕方なく、いつか死のうと思っていた。

それが、少し診断書をもらい、服薬するだけである程度元に戻り、仕事を継続できているのである。今までにこんな安定した気分を経験したことはない。いや、気分は安定しないが、社会的な安定を得たことはほとんどない。この上ない人生の喜びだと思う。

 

うつで仕事を休んでこんなに喜んでいるのは自分くらいのものかもしれないが、うつ状態の経験者にとっては「治療を続けながら以前と同様の社会生活を継続することができる」のはほんとうに快挙である。

 

「休めば治る」を自覚するのは難しい。「休んでも根本は治らない(かもしれない)」ときの自覚はもっと難しい

上記に書いた「短い休み」は、実はかなり高度な「だらけスキル」だと思ってほしい。通常の勤勉な人は、勤勉であればあるほど、こういった休み方はしづらいと思う。学校生活や勤労において、この程度で復調できるほど短時間で生活を整えるのも、内服を調節するのも慣れた人間でないと難しいと思う。

だから、休みは少なくとも1か月から数か月単位で取るものと思ってもらうとよい。

これは働き始めたときの同期、1年下、2年下の「年上の同期・後輩」たちがドロップアウトした経過をみていて思うことである。かれらには情緒の後ろ盾があまりない。私にそれが可能であるとは思えなかったので途中からは諦めてしまったが、「心が壊れている」と初回の自覚をするほどであるとき、それはもはや数日単位の休養で元に戻る段階ではない。

 

また、これらの抑うつ状態が「何によってもたらされたか」は先を生きるにあたって重要な観点だとも思う。

たとえば自分は憂鬱な気分を常にもっており、怒りを抑圧する性格上、おそらく生涯この憂鬱とは向き合い続けなければならない。時々短い休養を挟むことも必要となることだろう。「自分自身」を引き受けるのは本当に骨が折れる。こんな自分は投げ捨ててやりたい、と何度思ったかわからない。しかし、自分の知覚をもって自分自身を生きることができるのはやはり自分しかいないのである。

こういうことはいくらでも書けてしまい、書くと余計に長くなるので、少し中途半端になるがここまでにさせていただきたい。

 

知識(知性)と労働について

労働と生活、労働のコントロール、余暇の楽しみと付加価値について

労働に慣れてきたあたりで、今年度は大学生をはじめた。認知心理学をやりたいと思い、放送大学でとれるような科目は大体履修した。

5年働いたらCNS(専門看護師)の資格を得るべく2年間の休職(または退職してアルバイト生活兼業で)大学院進学を考えていたが、これは諸事情により保留されることになった(恐らくいつかこの2年間を経ることになるとは思う)。

学生時代~初期の教育制度、労働の裁量権などについて考えるにつれ、我々には単なるスキル向上以外にも多様性をもたらすことができると気が付きつつある。数年上の先輩の中には語学習得のためにワーキングホリデーなどで海外で息抜きをする先輩もいる(ほんとうに事情はそれぞれであると思われるので、内容については差し控える)。

家庭を持つ人もいる。が、家庭を持つことは何かを諦めることとまったく同義ではないこともまた証明できると思う。多くは自分自身のキャパシティと相談しながらになると思うので、これも他人についてあれこれいうべきことはなにもない。

 

さいごに

後輩をみていると、全体的に知識の枠組みが狭い。いや、これは幾らかの先輩にも思うことなので、あまり考えないようにはしているが、振り返るとまさにそうである。

ただ、長年この特殊な職場で継続して働いてきた以上、知識の堆積は確実にある。知識というよりはそれはすでに潜在的なものとなっており、彼らの「常識」を理解するには時間がかかる。彼ら自身がそれを言語化することをしてくれないためである。私は後輩と接するとき、この身体知の翻訳に努めるようにしている。これは4年目になっても恐らく変わらないことであると思う。私は余計な話しかしない嫌なやつでありたい。

 

以上これらの話にまったく脈絡はないものの、そもそも日記に章立てをしないと書けず、既に原稿用紙10枚分の文字を綴っていることを思うと四方山話もそこまでにしておけという感がある。

まったく推敲していないいつもの文章を投げてしまうが、反省はしていない。

もっと気になる人のためのおすすめ10選(301-400の中から)

お待たせしました。今回はちょっと題名を変えて、「もっと気になる」あなたへのおすすめ。どんなジャンルなのか、どんな方におすすめなのかも書いていきます。あまりにも読みづらい本は基本的にいれていません。どれもこれも、読んで考えるのはどちゃくそ楽しいゆえにおすすめとなりました。哲学・思想多め。

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100冊読破 4周目(91-100)

1.2.ニクラス・ルーマン講義録:システム理論入門<1>社会理論入門<2>(ディルク・ベッカー)

システム理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈1〉 (ニクラス・ルーマン講義録 1)

システム理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈1〉 (ニクラス・ルーマン講義録 1)

 

 

社会理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈2〉 (ニクラス・ルーマン講義録 2)

社会理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈2〉 (ニクラス・ルーマン講義録 2)

 

わたしが望んでおりますのは、この激動の時代にあって、みなさんが数々の世界的重大事件から少しばかり身を引き離すことができるようなプライベートな孤島を確保しうることです。ただしそれは世界へ参与していくことを排するわけではありません。

公共の哲学から社会学社会心理学)への架け橋を作ったのがルーマンのように見えてくる本です。いやブルデュー からはあまりこういう気配を感じないというだけですが。コミュニケーションのオートポイエーシス(自己生産)に何度も着目して過去の言説に耳を傾けつつもジラールのような文化的な方面からも力を借りつつ考えるの、講義録形式で読めるのよかったです。『社会システム理論』はなにもついていけなかったので。

社会の意味論として発展した年代である理由、やはりコミュニケーションの複雑性とメタ性が明らかになったときだからなのだろうという気がひしひしとします。わたしがシンボリックにあまり親和性をもてなかった理由もなんとなくみえてきた。理論社会学の分類は大まかに分けて構造系と意味系に分けることができてしまうのですが、こと意味系に分類されるシンボリックはたとえばコミュニケーションにおいてその全体構造の解釈があまり書かれていないとか、いてもそれ以上の言及が少なかったりするように感じます。もっとも、ルーマンの理論がわかりづらい点もこのあたりにある。そもそも、今にして公共の哲学と呼ばれる分野ととても親和性が高いのです。つまり社会学がそれまで論じてこなかった部分に多く言及し、また概念を取り入れて注釈をつけるからややこしい。

ルーマンが論じているのは構造の中のダイナミクスで、いま組織論や経営理論でよく指摘されている部分(の冒頭の一翼)を担っていると感じます。この本を読むにも、恐らくあの分厚い『社会システム理論』上下巻が必要だったのでしょうがあいにくわたしは返してしまっていたのでした…ハーバーマスとの間に生じた論争をわたしはあまり知らんのですが、おそらくハーバーマスはこのダイナミズムに関してはあまり言及していないからでは、という気がします。まあハーバーマスも大昔に読んだ『公共性の構造転換』くらいしか知らないのですが。この辺りの議論についてはミード、ジンメル、デュルケム、あとはスペンサー=ブラウン、ハーバーマスあたりと相互参照する必要があると思いますが、わたしは専門家ではないので割愛させていただきたい…さすがに荷が勝ちます。

あと面白かったのは言語システムの意味論でちゃんとデリダに言及していたことです!言語の意味に関する執着(執着て)はデリダに勝るものはいまのところ自分の中には存在しないのです。言語学のなかに勿論もっと厳密なものは存在しますが、コミュニケーションに与える影響を吟味することにおいてはデリダを外すことはできないでしょう。とくにマス=コミュニケーションや電子メディアの台頭の場面で、コミュニケーションに応ずるか否かに関する検討の節ではきちんと参照されていました。けど時間概念の理解などに関してはベルクソンの考察の域を出ていないようにも思います。読み込めてはいないのでちょっと疑問符の残る結末ですみません。

 

3.MiNDー心の哲学ジョン・サール

マインド―心の哲学

マインド―心の哲学

 

 サールの本は『行為と合理性』以降読んでいませんでしたがこの方は心の哲学読んでいると必ずと言っていいほど名前がでてくるのでいつか入門的な本を読みたいと思っていました。本書がそれです。わたしは心の哲学の諸問題をポール・チャーチランドダニエル・デネット、アントニオ・ダマシオ辺りから入ったのでどちらかといえば神経哲学寄りと言えるのですが、本書はそういう認知科学寄りの流れと哲学界におけるデカルトからの流れをひとつひとつ紹介して打破していく構成になっております。こういう本は何を何回読んでもいいと思います 少なくとも自分はそう思っているだけなのですが、論理的結論と実際の認識がズレている場合はこういう本を何度も読んで自分がどのパターンの誤謬で躓いているかを考えるのです。考えたからと言って我が言葉で結論が出るとは限りませんが。ウィリアム・フィッシュの知覚の哲学入門を読書会でゆっくり進めているのですが、最初の方のセンスデータ説がいかにして否定されるかはこの本でも読み返せるのでよくなされる議論はおさらいできるなあと思います。

 

4.それをお金で買いますかー市場主義の限界(マイケル・サンデル

それをお金で買いますか――市場主義の限界

それをお金で買いますか――市場主義の限界

 

原題はwhat money can't buy(何がお金で買えないか)。たとえばリスク商品への投資。他人の保険を買い取ることによって余命を(つまり期待される寿命が短ければ短いほど利益が出る)見積もることになる、マネーゲームを利用してスポーツチームの財源を確保すること。他人の体を広告にすること。保険に関しては個人情報が個人の裁量範囲を出るからだめ、というのでブロックできるとは思いますが、なるほど『そんなものを売りたがる人がいるのか』というのは日本にもありますね。JKリフレとか…。あと生命保険の考え方は基本的にわたしの中で経済学というより法や政策の範囲なのでサンクコストとして考えられており、転じて余命を売る行為になるシステムは完全に『なるほど』でした。ただ副題にもあるthe moral limits of marketsはサミュエル・ボウルズの『モラル・エコノミー』の方が解説として優秀だと思います。「それをお金で~」、実はその成立としてはサンデル氏の有名な著書である『これからの「正義」の話をしよう』よりも古いとのことですが、モラルやインセンティブといった思考はむしろ『正義』の方が成熟しているようにも感じます。強いて利点を挙げるとすればやはり読みやすいことです。大事ですね。

 

5.愛する人を所有するということ(浅見克彦) 

愛する人を所有するということ (青弓社ライブラリー)

愛する人を所有するということ (青弓社ライブラリー)

 

著者は思想史の方のようです。2001年出版。近現代の小説から具体的引用を、哲学からはその抽象を借りて話題を進めていきます。近代の思想ではロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』、ジャン=ポール・サルトル存在と無』、エーリッヒ・フロム、ヴィクトール・E・フランクルから。遠くはプラトン『饗宴』、アリストテレス『二コマコス倫理学』も。デカルト省察・情念論』もありましたね。ディヴィッド・ヒュームからも。つまり大体私は了解済みの話でした。ただ、そう、むすび近くで浜崎あゆみの初期〜中期の曲の歌詞が多く引用されていたのはよかったです。あの人の表現する『愛』というもの、時代の象徴だと自分は思っている。もっとも、私より年代は少し上なのですが…。基本的に徳によるもの(博愛)ではなく恋愛によるもの(性愛)を中心に扱うために、これを読んだら面白いと思う人は若い人にはほどほどにいらっしゃると思うのです。

 

6.ネガティブな感情が成功を呼ぶ(ロバート・ビスワス=ディーナー、トッド・カシュダン)

ネガティブな感情が成功を呼ぶ

ネガティブな感情が成功を呼ぶ

  • 作者: ロバート・ビスワス=ディーナー,トッド・カシュダン,高橋由紀子
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2015/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『共感の罠』みたいな感じで面白いですねこういうの。ポジティブシンキングやマインドフルネスの注意すべき点を指摘した上で、『全体性(ホールネス)』に着目します。わかりやすいメンタルヘルスのコントロール方法でもあると思います。この本、『幸福を希求する人ほど幸福度は低い』とか色々結果出していて面白かったです。所属する文化による幸福に対する考え方の違いも有意差出ていましたしね。

 

7.ライプニッツーなぜ私は世界にひとりしかいないのか(山内志朗

このシリーズ、本が小さくまとまっていて読みやすい。おすすめかも知れません、全16冊だそう。フッサール、カント、クリプキドゥルーズ、ディヴィッドソンあたりが名を連ねておりました。このシリーズで他のも読みたいぞ。基本的にはモナドの概念をひもとくために用意されており、モナドを「他でもないわたし」に置き換えて解釈をすすめていきます。前読んだ世界思想社の『学ぶ人のために』シリーズのライプニッツとはまた異なる、というかかなり噛み砕いて書かれています。私はわりと好きです。

ライプニッツを中心として心の哲学現象学を考えていくのが結構楽しいので、こういう入門書を使って理解を深めていきたいと思ったりします

 

8.オンラインデートで学ぶ経済学(ポール・オイヤー)

オンラインデートで学ぶ経済学

オンラインデートで学ぶ経済学

 

これはハチャメチャに面白かったので別記事書こうと思います。

★離婚協議は早く終わらせよう。
★異性にお金を持っていることをアピールしたければ、目の前で札束に火をつけよう。

★デートサイトで長期間にわたって恋人を探している人は避けるのが賢明だ。

 

9.幸福はなぜ哲学の問題になるのか(青山拓央) 

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

 

本書は時間論を専門にする著者が手掛けられたもの。幸福とは何か?幸福になるにはどうしたらよいか?は基本的な命題としつつ、「幸福とは求めるべきものなのか?」まで踏み込んだ面白い本です。アランやラッセルの「幸福論」に踏み込みつつも、アリストテレスの二コマコス倫理学まで遡ったりします。結構前後に読んだ本と内容もかぶっていて面白かったです、「哲学的なものの考え方」の練習として「幸福とはなにか?」という先の問いは、大きなテーマですしいろんな人が論じているので取っ組み合って面白がれます。

 

10.宗教哲学論考ーヴィトゲンシュタイン脳科学・シュッツ(星川啓慈)

宗教哲学論考――ウィトゲンシュタイン・脳科学・シュッツ

宗教哲学論考――ウィトゲンシュタイン・脳科学・シュッツ

 

意外な本でした。若年期のヴィトゲンシュタインライフヒストリーと論考の内容を照らし合わせた本に、彼の宗教観とそれを取り巻く宗教の行為性についてという感じですね。デネットの「解明される宗教」のような感じではまったくないです。否定神学による祈りの肯定。「ヴィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者」という本を以前読みましたが、あちらよりもさらにヴィトゲンシュタインの戦時期に感じた感性を『論考』と比較考察したような本ですね。

放送大学2017年度後期授業評

毎回やっている(やることにした)放送大学の科目履修の感想と、来期以降の履修計画です。個人のメモ書き程度。

講師陣は敬称略でご紹介しています、すみません。

心理系科目

1.心理学概論(’12)講師:星 薫・森 津太子

今頃になって概論を受けたですが結果はBでした。おさらい程度にしか勉強をしなかったので。次年度からは授業が改訂されるのですが、概論科目なのでそう目新しいことはないかなと思います。臨床系・古典的な素朴心理学も解説されています。

2.人格心理学(’15)講師:大山 泰宏

こちらも古典的な人格心理、臨床心理です。結果はBでした(相変わらずやる気がでなかった)最後の方になると神秘主義などにも言及しておりそれはどうなんだと思う教科書だったんですが、試験には出していなかったので...知識程度に。

3.心理学研究法(’14)講師:大野木 裕明・渡辺 直登

持ち込み許可の試験で、むしろ心理統計法を持ち込み可にしたらどうなんだ...!と思う内容でした。A〇とれたのは今回この科目だけです。心理学には倫理を問われる場合も多いので、研究デザインをするときの倫理的配慮についても記述されていたのがちょっと印象深かったです。

4.交通心理学(’17)講師:蓮花 一己・向井 希宏

面白い教科ですね。産業心理学に端を発して古典的人格心理学をなぞりつつ、注意やバイアスといった認知心理学との融合を果たしている科目だと思います。あんまり集中できなかったけど結果はAでした。

5.心理統計法(’17)講師:豊田 秀樹

前回勉強が全然間に合わなかったのと、へまやらかしてそもそも受験ができず再試験になったので雪辱を晴らすかたちとなりました。結果はBだったと思います。

ベイジアンに関して厳密性を求めるのであればやっぱりデータを扱うときのデザインをあらかじめ練っておく必要があるなあと思うんですが、後半にいくにつれどんどん日本語の説明が端折られていってわかりづらい節があったのでちゃんと放送観ながら生のデータいじらないかんなあと思うなどしました。せっかくRもダウンロードしてきたので、自前のデータ使って遊んでみたいです。色々心残りはあります。

面接授業:心理実験3(ストループ課題、速度見越し測定 など)

知覚系の研究をされている視覚認知の専門の先生の出前授業を受けるというもの。

これは統計処理したものの分析をしながらレポートを書いておしまいという授業です。2日間(日程はそれぞれですが)出向いて授業をするのですが、Exel久々に使うのでああ・・・となりました。他の学生さんも難渋しておられましたが、私は結構本で読んでいた錯覚の実験をできて楽しかったです。

 

知覚・社会学・デザイン系科目

6.社会統計学入門(’12)講師:林 拓也

落としました(D) 持ち込み可だったのに統計科目のなかで心理統計ばっかりして、古典的統計がおろそかになっていたなあとちょい反省。問題としてもよいものが多かったように思うので、もうちょっとしっかと勉強して次回試験だけを受けに行きます。

放送大学のシステムの話になるのですが、この科目自体は18年度に更新されます。が、落としたり受けられなかった学生は再試というかたちで改めて授業を取り直すことなく受講することが可能です。

7.情報社会のユニバーサルデザイン('14)講師:広瀬 洋子・関根 千佳

A〇でした。持ち込みは不可だったと思うのですが、住環境から都市環境、UI系の科目で面白いです。福祉の観点も盛り込まれていますがUDの名に遜色ない科目です。

8.産業とデザイン(’12)講師:仙田 満・若山 滋

教科書自体はそれなりに面白かったのですが、ふつうに事前の勉強不足で落ちました(しょんぼり)。試験問題にロジェ・カイヨワがどうこうと出されてもさすがに...。

自分の専門分野じゃないと教科書読むだけ試験は結構厳しいんかなとは思いますが、この科目も18年度には改訂となって授業そのものがなくなります。後続の授業は「住まいの環境デザイン」というもので、そっちの方がむしろ楽しそうだなあと。試験の日程があっていたので来期も試験だけを受けます。

9.色と形を探究する(’17) 講師:佐藤 仁美・二河 成男

色・形態知覚に関する総合科目。総合科目の名の通り、光の物理的特性の解説もあり、その視覚的処理経路の神経学的特徴の解説もあり、色や模様の文化的な側面まで幅広く1冊の教科書にまとまっています。この教科書を入り口にして色んな科目に下るのもあり、この教科書で知識のまとめをするのもありです。自分としては前者かなあと思ったりします。文化と物理は自分になじみのない話も多くて、結果はBでした。

10.音を追究する(’16)講師:大橋 理枝・佐藤 仁美

9に続いてこちらも知覚にまつわる総合科目。9に較べて物理学的要素が結構前面にでていて面白いです。こちらも結果はB。上記記述以外にも色んな講師の方がこられているので、音楽好きな方だけでなく「音」「聴覚」全般に興味のある方にお楽しみいただけるかと思います。

 

総評と来期への所感

期間中、よく「興味のない科目がつらい」「勉強に身が入らなくてつらい」とつぶやいていたのですが実際にその通りで、心理系の専門科目をとりまくっていた前期に比べてなかなかやる気を維持しづらかったのが個人的な感想です。

もちろんこれは自分の授業日程の都合からやむを得ずこういう取り方になったのですが。

今期に「心理と教育」コースを卒業するにあたって、また認定心理士に必要な科目をほとんど取り終えたかったので、急ぎ足にしたところこういうスケジュールになりました。

なので、特に学習意欲全般が落ちてしまったわけではないです。相変わらずの多忙に加えての勉強でしたが、前期よりはやり方が慣れたのもあってそれなりに進捗は生まれました。ちょっと落とした科目もありますが...

 

1.認定心理士について

ほとんど今期で授業を取り終えました。あとは再履修のかかった社会統計入門と、統計にまつわるプラスαの数科目(【ユーザ調査法】、【身近な統計】あたり)、専門科目で【錯覚の科学】)と、面接授業を規定科目数達成したら終わりですね。心理と教育コースもこれで卒業要件を満たします。

 

2.エキスパートプラン「人にやさしいメディアデザイン」

今期でもうひとつ取りたかったのは、エキスパートプランにおける「人にやさしいメディアデザイン」です。ちょっとニッチなコースなのですが、今ある単位に加えていくつか修得すると他のプランに繋がりそうな分野だったので、とってみました。来期の授業と、来々期取得予定の【身近な統計】の履修でとれる予定です。再試験に受かればですが

 

ちなみに来期以降ですが、

3.エキスパートプラン「社会探究」

の習得に向けてほとんどが「社会と産業コース」の授業科目です。あとは情報科目。

来期の授業を受けることで、時間がかぶってしまって受けられない【現代経済学】以外のすべての科目を履修したことになります。

 

4.来々期以降について

認定心理士の取得要件を満たし次第一度卒業しようとは思っています。

が、上記1-3の授業を受けることで、エキスパートプランにおける「社会数学」「計算機科学の基礎」と呼ばれる情報数学寄りの科目がいくつか見えてきます。ので、来々期以降にはそちらの履修を考えています。恐らく難易度が跳ね上がるので、こちらのプランを履修する場合にはその科目を詰め込むよというよりは、看護の学位取得に向けて福祉政策系の科目をいくつかとることになるであろうと思われます(前提知識があるので履修が容易)。

 

というわけで簡単な授業計画でした。来期も頑張りましょう(もう履修案は提出済み)。

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半年近くかけて、今回の100冊を読み終えました。恒例の万人に向けてオススメしたい10選と読後日記、記事を変えて「ヘンなのが好きな人のための」オススメ10選を書きます。

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