毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

社会人生活記 -にねんめ編

臨床で働きだして2年目が終わろうとしている。

正直、2年前の春は気分はどん底・お先まっくらの状態で(仲良しだった恋人と破局したところだったのだ)、じぶんはこのさきいったいどうやって生きていくのかと絶望している状況だったしひとりで生きていく自信がまったくなかった。でも、1年やり通して、そして2年目も終わろうとしている。他人には当たり前のことだろうが、人生が停滞しまくっている自分にとってはひじょうに貴重な実績・自信の源になっている。ありがたいことだ。

streptococcus.hatenablog.com

 

1年目の終わりに書いた記事がこちら。

ああだこうだ書いているが、正直1年目を耐え抜けたら(自分は)2年目はさらに最適化・構造化を進めるのみだと思っている。1年目で体得した技術やフローはもっと速度をあげて効率化させ、他のことを詰め込めるスペースを作ること。

 

1.臨床において2年目で新しくはじまったこと

うちの場合は、長期入院者(つまり状態が悪かったり退院時にはなんらかのサポートが必要な人間の退院調整を含む)のプライマリを務めることだったのだが、これがもう自分にはめちゃくちゃハードだった。なにせ、1年で受け持った主要な(長期入院の)患者は皆さん、亡くなられたのだ。

勿論個人情報にあたるので詳細は伏せるが、病棟の特性上、老いも若きも転がり落ちるように病状の悪くなる科である。彼らはときに最期まで積極的治療の対象となり、緩和ケアの介入のタイミングに難渋する。家族との時間も満足にとれず、それまでの人生において(病に侵されているために)達成できたことも少なく、実存の苦痛と身体の苦痛の両方に苛まれながら亡くなっていく。看ているこちらとしても、たまらなくつらかった。それが、今年度の上半期だった。臨床2年目、1年働いただけではなにも身についていない状態ではなにも解決には導けなかったし、解決などないことを思い知らされた。詳細を伏せた状態で誰かに話してみたところで心は軽くならず、結局年末くらいまでそのしんどさは引きずることになった。勿論プライマリを務めた患者以外にも病棟では多い時で週に2名くらい亡くなられたりと、情緒的にもおそらく激務であったろうことがわかる。

 

2.死とは何か

人間の死とはなにか、1年目から(1年目もやはり亡くなる方は多かったので)色々考えていた。ケアする人々の心に突き刺さるものがどうしてこんなに鋭く痛むのかも、なんとなくわかるようになった。

時間を共にすること、とよく人はいうが、私たちはどの次元であれニーズを満たすために存在している。自律の段階をニーズとするひともいれば、生理的欲求を満たせない人もいる。いずれもその時間に必ず場を共有し、肉体がふれあい、互いに互いを五感で認知している。それが失われていくこと、弱っていくこと(勿論反対もあるが今はそこには注目しないでおこう)、を文字通り「肌で」感じることが、つらさの源であろうと自分はいまなんとなく思う。

カルテ上に反映される画像・検査データも勿論重要な情報ではあるけれども、その状況を元手に臨床症状としての痛み・不快感・虚弱・食欲不振・不眠etc...ときになにをもってしても「なおす」ことのできない症状に出会うとき、その症状に侵されている個体・肉体・実存と対峙するとき、自分はえもいわれぬ無力を噛み締める。1年目でなにかできるようになるというのはどだい間違っている、と1年目の終わりに書いたが、2年目にはより『無力さ』の正体が明らかになってきたような感じがある。

今まで噛んでいた砂の味を自覚するようなものだ。実にまずい。

 

そして終止符としての死が訪れる時、自分はようやくそれまでの自分たちの営為がどんなものであったかを「過去のものとして」振り返ることができる。それ以上先が存在しないからだ。あったとしても、別の人間に活かされるという実に前向きな名目で行うことができる。現存する生命を目の前に対峙するとき、そこにたましいの(自分も他人も)休息はない。生きることは実に厳しいことであるな、とこの1年でひしひしと思った。それはいわゆる、臨床にいない人がいうような「金のかかる無駄な延命」のようなものではない。凄絶な闘いの末に亡くなるからこそ、それに付き添った家族にも勿論本人にも、いわれようのない敬意が自然と表される。自分にできるかといわれればまったく自信はない。自分たちが仕事として行えることも、そんなに多くはない。本人がもともと持っているポテンシャルをうまくいくように調整するだけのことだ。うまくいかないときに、できることはそう多くはない(こういうと方々からおしかりを受けそうだが)。

 

かくて自分はこの1年も本当に多くの死と向き合った。

そのせいか、死に向かうひとの要望にはなんとなく敏感になり、またひとりのケアワーカーとしても最低限の居場所を確保できて自分の要望も職場に通しやすくなったのでちょっとだけ自主性のあることができるようになった。最期の外出、最期の入浴、最期の...、結果的に『最期』になってしまっただけなのだが、その偶然が本人や家族の些細な思い出になったことをよそから聞かされて驚いたことが何度かあった。常に無知と無力感に苛まれているけれども、そういう行為にいちおう意味はあるのだと(自分は本当にそんなに深く考えないでやっているので)とらえることができるようになった。

 

このままいくと、ブラックジャック系というよりキリコ系の臨床者になりそうな感じはある。

 

3.私生活ではじめたこと

1年目と大きく、これだけは変わった(変えた)といえることがある。このブログかTwitter、いずれかを追っていただければわかることではあるが、勿論読書である。

もともと自分はそれほど読書家というわけでもなく、実家の人間がよく本を読むのでまあつられて自分も、という程度だった。多くは小説だった。

それが大きく変わったのは今年1年のことだ。あまりにも本を読めていないことに焦りというかいらだち・欲求不満のようなものがあり、「そうだ、1か月に1万円分だけ好きなだけ自分のための本を買おう」と思った。最初は専門書でも雑誌でもよいつもりだった。これがいけなかった。

 

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結局は100冊、8か月足らずで読み終えたのだった。

そしてその後2か月強でもう100冊を読み切った。

年度末までまだ少しあるけれど、今読み終えた本は218冊。数で測るものではないけれど、そこそこ読んだのだなあという実感がある。

臨床にいて上記の知覚に耐え兼ね、自分は本の世界に逃げ込んだのだけど、小説という「空想」ではなく学問という「他の視座」だった。

 

まるでカメラを様々な角度から構えるように、臨床という場を諸々の視点から切り取ることがだんだん趣味のようになってきた感じである。

 

4.読書とは何か

自分にとって読書とはこの1年、なんだったのか。

実にいろんな本を興味の赴くままに読んだけど、1年目の終わりに書いたことに少しだけ答えがあった。

 組織やシステムを変えたいのならばその前に、その構造を知ることは大切なこと。

SNSで見かける意識が高いだけの学生にできていなところは、そこかなあ、と思う。反対に、意識が高いだけの職業人にできていないところは、システムに既に組み込まれてしまっているから既存のシステムに対する根本的な解決策を想像できないこと。思い浮かびもしないことを、実行することはできない。だから別に学生が偉いとか職業人が偉いとかそんなことを言いたいわけではなくて、結局想像力の欠如が停滞を招くといいたいだけ。

自分がやりたかったのは想像する力の涵養だったのだろうか、という気がした。様々な角度からものごとを見るだけの視座の獲得。

 

実は2年目のなかばに、通信大学に入学しようとして、書類不備というアホみたいなミスで半年先に延びることになった(今現在書類を探し回っているので半年間で何も学んでいない阿呆である)。一応心理コースをとろうと思っているのだけど臨床心理とかに興味があるわけではなかった。どちらかといえば「知覚の探求」をしていきたいのである。

それにあたって自分が知りたいのは結局なんなのか、何をどう変えたいのか知りたいがための時間が、ミスって延長した半年の期間であったように思える。

 

100冊の次の100冊があまりに早かったのは目的が明確だったからかもしれない。いや、冬が寒かっただけだ。多分そうだ。寒すぎて引っ越しした。

 

 

それもつかの間、冬は終わり、暦の上では春が来た。3度目の春になる。

これからなにをしようかな。