毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 4周目(31-40)

1.ヘーゲル現代思想(寄川条路)

ヘーゲルと現代思想

ヘーゲルと現代思想

 

短い本だったけど面白かった。哲学のことをなにも知らなくても、何冊か読めば必ずヘーゲルの名前は出てくる。カントもそうだけど。もっと先代ならまだしも、時代がくだってもこんなにひろく影響しているといのは「影響」の仕方に関してだけでも本になるし知れば面白い。

 


2.社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた(スディール・ヴェンカテッシュ)

社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた

社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた

 

面白かったです!こういう調査型の社会学者を追っていなかったなあ、と思いました。大都市の地下がどうなっているか、その「文化のコード」の変遷とつながりの変容を書きあらわした本。しかしめっちゃ小説っぽい書き口です(最近こういうの多いのだろうか)。

ドラッグの売人の親玉とか売春婦を斡旋する人たちの協力を得て調査を進めるのですが、彼自身の話も勿論ここには書き表されていて非常に読み物として優れています。勿論論文などの実績も出されている方です(書き口が軽妙すぎて忘れそうになります)。

 

3.変態する世界(ウルリッヒ・ベック

変態する世界

変態する世界

 

 

概念論過ぎるし、語るには根拠がなさ過ぎる。完全なる印象操作によるものと言わざるを得ない。だったらもっと地道でミクロな社会学か、経済学か、はたまた公共哲学になるべきだった。さっき読んだヴェンカテッシュの「社会学者がニューヨークの〜」では、たしかに都市の紐帯の変容と文化の衝突にきちんと触れている。それがたしかに変わったのだと、記述できている。でもこれは違う。災害や気候変動を盾に、そのときどにでいいようにグローバリズムを持ち出したに過ぎない。たしかに電子化によって都市は変わりつつある、グローバリゼーションは資本主義による格差の助長を食い止められていない。でも正しい記述もしていないし正しい展望を述べているとも感じない。もっと現実に忠実な書籍は大量にある。ルーマンブルデューに言及するに及ばずだ。

・・・というけちょんけちょんな感想を残していますが、正直理解できなかっただけといわれればそうかもしれません。ただ再読する気にはなれない。

 

4.徴候・記憶・外傷(中井久夫

徴候・記憶・外傷

徴候・記憶・外傷

 

思ったより読みやすかったです。中井久夫氏の本は結構好き。最後の方に鷲田清一氏との対談がありましたね・・・

この方は精神科医で、長く診療に携わりながら恐らく教育分野でも哲学(思想)の分野でも秀でた方なのですが、患者さんの解釈がとてもやさしいんですよね。精神分析というとどうしても患者そのものをみないイメージがあって忌避的になりがちなんですが、こうやって物語に沿うように解釈されたらとても気持ちがいいだろうなあと思うんですよ。

 

5.ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造(カール・ハート)

ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

 

ずっと気になっていたのですがようやく手に取ることができました。昨日の「社会学者がニューヨークの〜」と、ある意味で見ている分野は同じだなあと感じますが、結構自分の薬物に対する見方の誤りに気づきましたね。それから、ハームリダクションについて概念や存在は知っていてもその運用方法は知らんかったなあと思います。今回のことでスポットライトがあてられたのは支持的な社会的紐帯の薄さについてですが、昨日読んだ本は新たなネットワークの技法にも触れています。なんというか、両方読んでみてちょうどいい感じがしますが、強いて言えば本書のほうがより真面目で、希望がありますね。どんなに世知辛くても。そして学びがある。人にどちらか一冊を勧めろと言われたら、私はこっちを勧めるかな。

 

6.質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学(岸政彦)

質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)

質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)

 

以前から読もうかとは思っていましたが、有斐閣フェアでも見かけたのでやはり一度読むべきやなと思って借りてきました。結論としては…うーむ、やっぱり自分はまだまだ社会学(とくに現代の社会問題のミクロな部分)には切り込めないなあという印象を受けました。それと同時に、診療科を精神科・内科・外科と分けたとき、多分それぞれ介入の方法などに違いはあれど、恐らくこういった生活史の聴き取りや生活の再編(慢性疾患領域ではよく扱う概念ですが)に携わっているなあと思うなどしました。臨床はいいフィールドだと思います。社会調査のなかでも、個人への聴き取りが必要な質的研究は相当難しいし骨が折れるという印象です。我々はその点、場所はすでに固定されますが、フィールドが既に与えられた状態なんですよね…。

 

7.侵入者―いま〈生命〉はどこに?(ジャン=リュック・ナンシー

なんというか興味深い本でした。さらりと書かれているのに免疫抑制と易感染性の関係などに触れているし、ことさら先に現代の医学をかじるとこういう視点は新鮮です。あと文章がうつくしい。これはデリダのときにも思いました。

ナンシーは50歳のとき(1991年)に心臓移植を受けています。そのことをデリダが「触覚、」で考察しているのですが、本書はナンシー自身の移植にまつわる身体知覚の変容について書かれています。勿論移植に限らず、病の体験というのは人になにか語らせる力があります。それでも、病を得る前から書いたり読んだり、考えたりする訓練をじゅうぶん受けてきた人の体験というものは他の人のそれとやや異なるなと思うことがあります。勿論はじめから、ほとんど障害を病とともに過ごす人もいるわけですが。

 

8.意識をめぐる冒険(クリストフ・コッホ)

意識をめぐる冒険

意識をめぐる冒険

 

われわれは日々臨床のなかで「知覚」としての意識にも、覚醒状態としての意識にも触れることができる。恒常性の破綻とも、その回復とも、永遠に失われる過程も見ることができる。だから意識状態の変容には(知識の有無は別にしても)客観する体験として知っているんだが。そうじゃない人にはどうなんだろうか、と思う。私たちが意識のない人間を丁重にケアするのは、家族のようになにかを期待しているからだけではない。倫理的観点や職業意識からだけでもない。昏睡状態における最小意識について少し知識があるからというだけでもない。難しいなこれは

 

アントニオ・ダマシオの「自己が心にやってくる」、スタニスラス・ドゥアンヌの「意識と脳」もとてと面白かったのですが、この本は格別だと思います。真の意味で科学哲学に挑んだ本かなあと思う。あと、物理学とか心理学の基礎的な知識があればもっと理解が深まって楽しいと思います。

 

9.カンギレムと経験の統一性: 判断することと行動すること 1926–1939年(グザヴィエ・ロート)

生とは単に環境に従属するだけでなく、自らに固有の環境を設定するのである。ージョルジュ・カンギレム

カンギレムはそこで、生き物の特性とは環境を甘受することにあるのではなく、「自分の環境をつくること、自分の環境を構成すること」なのだと再度主張する。(グザヴィエ・ロート)

 

人間とは、世界のうちに存在するのではなく、世界に対立して存在するージョルジュ・カンギレム

 

カンギレム本人の位置づけがイマイチよくわかっていなかったのでカンギレム本を読みたいなあと思って探していたところ、『正常と病理』に至るまでの著作についてそれぞれ概念の解説と誰の思想の影響を受けたか、という注釈のついた本があったので読んでみました。かのピエール・ブルデューに影響を与えた、大陸における科学哲学(分析哲学のようなものではなく、「具体的・具象的」な現代における大陸哲学)の草分け的存在のように感じます。ベルクソンの潮流からドゥルーズに至るまでに橋渡しができたような感じです。勿論それだけではないのですが。ごめんなさいブルデュー社会学者なんですけど、1930年代を理解するうえでカンギレムの位置づけってめちゃくちゃ大事なんやなあという感じです もうちょっとカンギレム読めたいです。あとラニョーとかアランを全然知らないので前後関係がまったくわかりません。

 

10.「誤読」の哲学 ドゥルーズフーコーから中世哲学へ(山内志朗

これ面白かったです。いやほとんどおすすめはできないんですけど、でもとても面白かった。本の構成が何よりいい。とっつきにくい中世の哲学への扉をこじ開けてくれる。著者自身のおはなしがところどころに出てくるのですが、最初はジル・ドゥルーズミシェル・フーコーが使っている用語の定義や概念について「これ誤解やんけ」みたいなツッコミを繰り返してしまうことから、どんどん概念を遡る旅をしていきます。カンギレムが科学史であるとしたらこの本は観念史みたいな感じですね。カント、もっとうえ、デカルト、もっとうえ!オッカム、スコトゥス、アウレオリ…と。彼らがどのように「読みを間違え」ることで観念を先に進めてきたかが書かれています、が、内容はめっちゃ専門的で難しい

しかしなにより言葉がうつくしい。著者は章末でよく「線香をあげて」います。神学的解釈を詳細に書いたあとで、この「線香をあげ」るの、めっちゃ面白いなと思いました。なんというか、読ませる文章ですね。「中動態の世界」のあの書き方が好きな人なら、きっと読めるのではないでしょうか。ただし扱っているものが具体的でない以上、あれより読むのはずっと難しいと思ってよいと思います。中世の哲学に食らいつきたいけどかじりどころがわからない自分にはとても面白く感じられました。