夏は本ばっかり読んでいました。詳しい数字は見ていないのでわかりませんが、試験が終わってからの2か月で30~40冊くらい。仕事はもちろんずっとしていますが、精神の夏休みでした。遊びに行ったりも少しできましたし。
下半期やること(やれそうなこと)と動機とその展望について
1.放送大学1年目2学期(編入なので3年生後期にあたります)
後半にきました。とった授業がなんだったのかも忘れましたが、
心理学概論(’12)
人格心理学(’15)
社会統計学入門(’12)
心理学研究法(’14)
交通心理学(’17)
産業とデザイン(’12)
情報社会のユニバーサルデザイン(’14)
色と形を探究する(’17)
音を追究する(’16)
心理学実験3(面接授業)
でした。面接授業に関しては、まる2日間学習センターに出向きます(そのために仕事休みとりました)。
授業の内訳としては、
心理学概論(’12)人格心理学(’15)
心理と教育コースの導入科目(専門コースの基盤となる知識を身に着ける段階)。
なぜか前期では概論を受けていなかったので、認定心理士が欲しければこれを履修しなければならないようです・・・。この2科目に関しては受ける前から、本だけ読んで受ける気満々です(すみません)。
心理学研究法(’14)交通心理学(’17)
この2科目は心理と教育コースの専門科目です。心理学研究法も認定心理士取得したい場合は必修。交通心理学は認知心理学的観点から面白いかなあと思ってとりました。
社会統計学入門(’12)
社会と産業コースの導入科目。導入といえど恐らく今回の自分の最難関。社会数学・社会探究を将来的にとりたいのでいれました。あと、たしか認定心理士の認定単位に換算することが可能です(1単位としてですが)。このあたりは認定心理士の要綱と絡むので説明が大変ですから、ちょいと端折ります。
産業とデザイン(’12)情報社会のユニバーサルデザイン(’14)
産業とデザインは社会と産業コースの専門科目(かつ、後述の「人にやさしいメディアデザイン」の選択必修科目)、情報社会のユニバーサルデザインは情報コースの専門科目(かつ、「人にやさしいメディアデザイン」の必修科目)です。もともとデザインの視認性に興味があったので。あと、受けたい授業のうち試験日程があっていたからという悲しい社会人の性も影響しております。
色と形を探究する(’17)音を追究する(’16)
いずれも統合分野。つまり色んな授業を受けてからのほうがよいのですが、これも試験日程的にry
あと、認定心理士取得要件を満たしながら「心理と教育コース」を卒業するにあたって来期でほとんど要件を満たすことになります(面接授業以外は)。
なので、認知心理学+経済学(の中でもより厚生・行動・ミクロ・医療に近い分野)/社会学(貧困問題)、哲学、メディアデザイン・ICTに近い分野をやりたい身としては自分のコースだけでなく他コースの授業を取ろうともともと思っていました。
現在放送大学には10年ほど前から科目群履修認証制度(エキスパートプラン)なるものがあるので、そちらを利用しますと、既習や「心理と教育コース」で受講する予定のものに加えて以下の授業(自分がとりたいものを選びましたが)を選択することで体系的に学ぶことができそうです。仕事の都合で、順序は結構まちまちになってしまうんですが・・・
「人にやさしいメディアデザイン」
ユーザ調査法 ('16)
CG と画像合成の基礎 ('16)or日常生活のデジタルメディア ('14)
身近な統計 ('12)
情報のセキュリティと倫理 ('14)or情報社会の法と倫理 ('14)
「社会探究」
社会調査の基礎 ('15)
都市社会の社会学 ('12)
経済学入門 ('13)
移動と定住の社会学 ('16)
現代経済学 ('13)
社会学入門 ('16)
このあたりをやると、既習単位・取得予定単位に加えて卒業要件である62単位がほぼ埋まります(概算ですが)。
あと自分のやりたい分野に進もうと思うと「社会数学」プランもかなりの単位が既習になるのですが、「入門微積」「入門線形代数」が必須なので、下記のTOEICがある程度の水準に達して安心できるようになってから選択科目履修でまったりじっくりやりたいと思います。文化人類学や哲学、記号論理学の授業もいずれ取りたいですがいつになることやら。
2.語学学校入学しました
まだ入学するのかという声がどこかから聞こえてきそうですが、前期の授業を受けてみて教科書を読んでまとめるスタイルで適応できそうだったので、負荷をかけてみることにしました。というか、いつやり始めるかなあと思ってぶらぶら語学学校をいくつか見学していたら、もう入ることになりました(騙されやすい)。
いえ、まあもうすでに始めていないと遅いくらいなので構わないのですが。
英語の試験なんていうものは多分最後に受けたのが専門学校の入学くらいで、それも簡単な英語だったので、本気で英語を「学習」していたといえるのは高校生が最後です。得意科目というわけでもなかったので、高校1年生くらいのときにとった英検準2級が自分の持っている唯一の語学関係の資格です。
10年経って抜き打ちで語学学校入学時のレベル判定を受けたら、TOEIC400程度、英検でいうと準2-2級レベルと出たので(少なくとも下がってはいなくて)安心するとともに、自分は本当に医療の臨床以外なにもできないのだなあと悔しく思いました。
なにも自分の目的に対して資格対策が必要なわけではないのですが、今後を見据えたときに「論文(文献)が少なくとも英語で読めること(それも的確に、かなり速く)」と「英語で専門分野のコミュニケーションがとれること(可能であればディスカッションのレベルで)」が必要とされるので、資格も含めてとっておいて損はないだろうという理由です。それに関しては本当はTOEICよりもTOEFLのほうが適切なのですが、長期留学(向こうでの学位取得)などを目標としていないことから、TOEICの点数を挙げながら対話は基礎固めをした方が楽しそうだなあということでTOEIC対策基礎みたいなコースに入ることになりました。なお私のようなシフト労働者にやさしいシステムを採用している学校を選んでおります。
いま考えていることのうちいくつか
1.いま必要とされている、(受動的な)教育はなにか?
今の時点で体系的に学ぶ必要性を感じているひと、自ら学ぶ人にはあまり必要のない分野のことだとは思いますが、メディアリテラシーや貧困の回避について考えれば考えるほど中等教育の必要性を痛感します。
勿論誰かが施してくれるのではなく、自らが親世代になった気持ちとして今の子どもに何を学んでほしいか、何をおさえておけば後々の学びが楽に・楽しくなるかを考えていることが多いです。
「世界市民」なる言説が哲学・現代思想やその他の分野でも徐々に芽生えつつありますが、それに至るには深い知見と洞察、それから他者(異文化・異業種・他言語とそれに基づくコミュニケーションのずれ)に対する寛容性が求められます。それに至るための知識というのは、どうにも学校教育や家庭・地域の教育では不十分であるように思えてなりません。勿論それらを欠くべきだとも思いませんが。
現行の教育制度を利用するのであれば、より教育に投資できる財を持っているほうが有利にその情報にアクセスできてしまうことを憂慮します。格差を縮めたいというわけではなく、情報にアクセスできないがために必要な支援を受けられずに社会からドロップアウトしていく(させられてしまう)個人をなんとか支援にアクセスさせたいのです。
2.現代社会はほんとうにユーザビリティ特化しているといえるか?
待ち合わせにスマホがないとできないとか、学生に論文が書けないとか、現代の(とくに若年層)を差して指摘する言説は数多くあります。自分は自分自身が社会で生活している中で一度不適応を起こしたことがあるのでなんとなくそのあたりには寛容にならざるを得なくなったのですが、それらは適切な指摘といえるかどうかは今なお議論の残るところであると思います。賛成とか反対とかいう二元論ではなく、検討すべき要素が足りないのではないかという疑念もあります。
実際に生身を伴い都市で生活するには多くの労苦が必要です。何より適切な注意の選択と、持続的な集中力を必要とすることが大きな課題であると思います。発達障害の診断基準をみていても境界域に該当する人はまさにそうだと思うことがある。それほど、現代社会に「適応」できる人は限定されているようにも思うし、それでもなんとかぎりぎりのところで(稼得を十分に得るまでにいかないにせよ)生活している人の多さも実感します。
そういう人の足切りをするためではなく、むしろすくいあげるために、1.のような受動的教育があってもよいのではないかと考えることが増えました。勿論教育の臨床というものには私は携わったことがないのですが、十分な学校教育を受けていてもそうでなくても倫理的な素養を持ち合わせている人もいればそうでない人も互いにたくさんいるのです。もちろん、それを自分の中で明確な言語として表現できるかどうかという問題はありますが。このあたりの考えを一体どこから引っ張ってきたのかと思いめぐらすと、社会学者ピエール・ブルデューの「ハビトゥス」という概念、それからアマルティア・センの「潜在能力」などからですね。勿論他にも影響を受けた言説はあると思いますが。
なにごとも言語化できたほうが有利ですし、稼得に繋がる場合も多くあるとは思います。ただ、「うまくやっていけなくても苦しくはない、どちらかといえば楽しい」状態で生きていけるというのもゴールのひとつかな、とよく思います。
ところで放送大学の荷物がまだ届きません。