毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 4周目(11-20)

1.人にやさしい医療の経済学 ―医療を市場メカニズムにゆだねてよいか(森宏一朗)

人にやさしい医療の経済学 ―医療を市場メカニズムにゆだねてよいか (現代選書24)

人にやさしい医療の経済学 ―医療を市場メカニズムにゆだねてよいか (現代選書24)

 

ええと、勉強がてらになってはしまいますがこういう本も読み深めていかねばならないので(将来的にこのあたりも専門になりますかね)読みました。

著者による結論からいうと、副題の「医療を市場メカニズムにゆだねてよいか」は「基本的にダメ」で、「慎重な倫理の審査により一部混合診療というかたちでokされる」というものです。

ちなみに著者は「(とくに)生命倫理方面には明るくないので」と前置きしていながらも、市場経済システムが医療システムに合致していないことをかなりわかりやすく指摘しています。良書だと思います。臨床の人こそこういう本を読んでおくべきだと思う。決して冷淡な答えではないですし、今まさにもう後退できないほど医療費が逼迫しているので・・・

 

2.あなたはなぜチェックリストを使わないのか?(アトゥール・ガワンデ)

アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】

アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】

 

外科医かつ安全管理のプロフェッショナルでもあるガワンデ氏の著書。ビジネスマンほいほいみたいなちゃんちゃらおかしいタイトルがつけられていますが、真面目な本です。

人は間違えるしうっかりミスもする、なおかつ自分を過信する。リスクマネジメントについて実際に具体的な手法を、航空・建設・調理の業界からも集めた本。外科のことなので具体例はかなり身につまされる臨床の話がゴロゴロ出てきます。そして大事なことですが、アサーションスキルについても触れられていました。なかなかやりにくいですよねアレ。ちなみにチェックリスト作成については実際の方法論にも触れられていて、結構難しそうです。シンプル、場に適切なこと、毎回実施できることって難しいものです。

 

3.共同体の基礎理論(大塚久雄

共同体の基礎理論 (岩波現代文庫―学術)

共同体の基礎理論 (岩波現代文庫―学術)

 

共同体、分業と土地で区切られた小経済区域っていうのめちゃくちゃ単純でいい。共同体について考えることは社会学の基礎でもあるし公共の哲学でも外せない領域であると思います。なぜなら、そもそも「共同体」の定義が時代によって変遷するから。ぺらっちい本なのですが、明朗な文章で書かれていてなんともよいです。

 

4.人間についてシモーヌ・ド・ボーヴォワール

人間について (新潮文庫)

人間について (新潮文庫)

 

(前略)世界は人手に不足しているのです。青年はこうした空席の一つの中に滑り込むことができます。ところが、自分にうってつけに作られた空席など一つだってないのです。青年は、人々が待っているようなあの新しい人間たちの一人になることができます。

(中略)ところが、人々が待っていた新しい人間は、"彼"ではなかったのです。どうせ他の男でけっこう間に合ったことでしょうから。各人が占めている座席は、つねに無縁の座席なのです。自分の食べているパンは、つねに他人のパンなのです。

映画「ヴィオレット ある作家の肖像」を観てからボーヴォワールにつよく惹かれたので、取り敢えず最初の一冊として読みました。彼女は哲学とか社会学という側面はありましょうが、これを読む限りは「ものすごく頭脳明晰なエッセイスト」という感じです。つまりは文学の人。心の動きに、とくに人の心の動きに聡いひとなのではないかと思わせる文章でした。サルトルの引用が多いのも、彼女の心を少し覗くような気分がして(まあ覗くことはできないわけですが)少し楽しい。「老い」とか「第二の性」も読んでみたいものです。

 

5.自己言及性について(ニクラス・ルーマン

自己言及性について (ちくま学芸文庫)

自己言及性について (ちくま学芸文庫)

 

社会システム理論がかなり分厚くて読みづらかったのもあって、さっくり書かれた本はないかなあと思っていた時に見つけた文庫本。ちくま学芸文庫講談社学術文庫にはかなりお世話になっている気がします。基本的には社会システム理論の収拾をつけるような感じです。オートポイエーシスについておさらいするのと、構造主義とシステム理論が袂を分かつ理由、それからシンボリック相互作用との違いについても指摘されているので、概観だけ理解できるのであれば「社会システム理論」読まんでもええんちゃうかという気がします(とっつきにくさはありますが)。

 

6.デリダ 脱構築と正義(高橋哲哉

デリダ 脱構築と正義 (講談社学術文庫)

デリダ 脱構築と正義 (講談社学術文庫)

 

デリダ難しいなあと思いながら何冊か読んで(「プシュケー 他なるものの発明」「精神について ハイデッガーと問い」「触覚、 ジャン=リュック・ナンシーにふれる」)きたのですが、デリダについての本を読んだことがないなあと思って読んでみました。真面目な本で驚きましたです。アルジェリア生まれのユダヤ人という不思議な生育歴と「不良少年」としての過去など気になる部分がありますが、実はアルジェリアを調査したことのある社会学ピエール・ブルデューから激烈に批判されていたような気がします。確かにデリダには文学的側面があるにはある。

今西洋哲学を手当たり次第に読んでいて思うのは、「思惟すること」についてあまりにも自己の殻(身体、もっといえば脳)を超えないなあと思うことです。デリダはそれにきちんと答えを出しているようです(「エクリチュールと差異」は未読ですが)。曰く、ソクラテス(著者は勿論プラトンですが)を読んでパロール(言語活動)がエクリチュールに先立つ理由について、エクリチュールのもつ「正当でなさ」を持ち出してこれを論じるようです。言語活動がもつコミュニケーションについての説明がこれまた私はとても好きで、レヴィナス(他者の倫理性について論じたフランスの哲学者)を引き合いに出しながら、「パロール(≒コミュニケーション)に応じる時点で既にそこにはウィ(フランス語の「はい」、肯定)が存在する」と述べるのです。コミュニケーションは始まった時点で既にコミュニケーションに対する了解がある。

続いて、彼は言語というものの暴力性(暴力というか、権力のありか)についても語るようです。「どこに」強制力があるかというと、特殊なコミュニケーションの形態によってでなく、言語そのものに既にある程度それがあるのだと…まあこれは構造主義に対する批判なので、私にはちょっと難しかったです。彼が述べる主要概念、「脱構築(deconstruation)」というものについては、彼自身が「適切な用語がみあたらない」としているようです。確かに構造主義に対する批判のようにもみえますが、「なんとか対立構造を作ろうとすることからの脱却」…のように解釈しました。そうして言葉をひとつひとつ捉えていくと、まったく文学的ではないし、象徴に任せきりというよりはむしろ言語に対する誠実さ、言語の認識に対する再検討を丁寧に加えているように思えます。それはまさに哲学といえるように私には思える。

あとがきで、著者の高橋氏はこの解説書について「政治的な捉え方をしているとの批判もある」と仰っていますが、なんのことはなく、時代背景なしに彼の思考が生み出されなかったことを考慮すれば仕方のないことなのだと思いました。そしていつも思う、「なぜ何度も後の時代に前時代の哲学者を繙かねばならないのか?」という問いについての答えがここにあります。その時代の様相(常識、社会情勢、科学が立証してきたこと)を加味してもう一度読み直すことは、ひとえに今生きる人にとって再び意味をもたらすのだと思う。

 

7.生成文法の企て(ノーム・チョムスキー

生成文法の企て (岩波現代文庫)

生成文法の企て (岩波現代文庫)

 

ぶっちゃけチョムスキーの理論を何も知らずにこれを読んでしまい完全に後悔しております いや中身はチョムスキー氏へのインタビュー形式で話が展開されるので日本語が読めないという事態にはならないのですが、かれの理論を体系的に学ばずして中身を十全に愉しむことはできない本です。言語学の本、といえるようなものは「ソシュール 一般言語学講義―コンスタンタンのノートから」を読んで以来、「ことばの認知プロセス」までずっと読んでいなかったと思っていました、が、言葉というものから人間が逃れることができない以上彼の理念にはそこかしこで触れていたようです。

例えばダニエル・デネット「思考の技法 直観ポンプと77の思考術」とかもそうです。ヴィトゲンシュタインについては言語学というよりは論理学の先駆けだと思っているので、確かに参考にはなるでしょうが同じとはまったくいえません。チョムスキーのなんたるかについて知る必要がありそうです。

拙い知識をかき集めてみると彼はかなり早期から言語学の文法構成や歴史・音韻などから離れてその要素や認知の様式に着目しており、ここから生まれた理論がいわゆる今の認知言語学、もっと広くするなら認知科学の前提としても扱われているようです。分析哲学を知る上でも外せないでしょう。ポパーについては本書の中で彼は「少し一般化しすぎてしまっている」と訴えています。読まねばなあと思っているパースの記号論に肯定的に触れられていました。いっぽうで、レヴィ=ストロースヴェイユにも触れています。中身をきちんと知らねばここから先はうまく理解はできんでしょうけれども、チョムスキーから影響を受けたという先述のデネットの「思考の技法」を思い返すと、要素の抽出や分析ではなく先に構造を決定して、パターンを明らかにせねば結局メタ認知にしろ認知にしろそのプロセスについて論ずることができないからではないのかなあと思ったりしました。

 

8.なるほど! 心理学研究法(三浦麻子)

なるほど! 心理学研究法 (心理学ベーシック 第 1巻)

なるほど! 心理学研究法 (心理学ベーシック 第 1巻)

 

来期心理実験の面接授業があるのと、心理学研究法をとるので不安になっていたところに「超やさしい」「でも真面目な」入門書があったので借りてきました。でも研究そのものについては後半からなので、前半は心理学の概説です。知っている人にはつまらないかも。「よくわかる心理統計」が途中でとまっていて、放送大学の「心理統計法」は難しく、数学ガールの「やさしい統計」だけなんとか読み切った勢としては有り難かったです が、これ読んで統計の知識が深まるわけではない…研究の手法概説といった感じですかね。あと、最後に2章分の大幅なスペースを使って研究の倫理について書かれていたのがよかったです。

 

9.「いき」の構造(九鬼周造

「いき」の構造 (講談社学術文庫)

「いき」の構造 (講談社学術文庫)

 

…渋味が「いき」の様態化であることを認めている訳である。そうしてまた、この直線的関係について「いき」が甘味へ逆戻りをする場合も考えうる。すなわち「いき」のうちの「意気地」や「諦め」が存在を失って、砂糖のような甘ったるい甘味のみが「甘口」な人間の特徴として残るのである。

薄いから購入したシリーズ第三段。これがパリで書かれたというの、よくわかる気がします。言葉、建築、衣食に内包されるその質の違いはむしろ異色の場所に来てはじめてはっきりと自覚されるような気がする。私が奈良から京都に移り住んだだけでも感じて、東京に遊びにいくと思うことでもありますが。いきの内包について。鷲田清一は著書で「とある就活生がただのリクルートスーツに見える上着を着るが、実はギャルソンのスーツで裏地が…」みたいな話をする。あれの中にあるような、「本人の意識状態がもたらすもの」というのはいきに対して大いなる影響があり、また本質でもあると思う。「においの違うところ」にくると、われわれがなんとなく「これぞいや良し」としていたものがなんなのかはっきりと立ち現れてくることになる。むしろ日本国外において日本文化がもつ特殊性に気がつき、それを洗練させる機会が与えられるのは至極真っ当であるように感じる。

 

10.社会学社会学ピエール・ブルデュー

社会学の社会学 (ブルデューライブラリー)

社会学の社会学 (ブルデューライブラリー)

 

私が思うに、政治にとっても学問にとっても重要なことは、社会的世界の表象を生産している二つの競争する生産様式が平等に市民権をもつということであり、しかも学問が政治を前にして、とにかく短絡的な純粋主義をテロリズムによって増幅するようなかたちで譲歩してしまわないということです。

ブルデューに対談形式で問う本書、意外とブルデュー氏へのあたりがきつい(そしてブルデュー本人もしっかりと答えている)のでびっくりしました。

ちょうど上記の引用が、いまの学問領域全体に対する日本政府のありかたに対する批判のようでよかったです(後半に関しては温度差がありますが)。