毒素感傷文

大学生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 4周目(51-60)

1.ジンメル社会学を学ぶ人のために(早川洋行、菅野仁) 

ジンメル社会学を学ぶ人のために

ジンメル社会学を学ぶ人のために

 

ジンメルその人についてあまり知らなかったので読みました。社会学者でありながら、社会学以外の分野の学者と親交が深かったようです(ベルクソンやジャンケレヴィッチといった哲学の影響を受けているよう)。

ニクラス・ルーマンジグムント・バウマンアンソニー・ギデンズ、アーヴィング・ゴッフマンなど、計量のみによらない機能重視の社会学に影響を与えたとされております エスノメソドロジーにまだそれほど手法が確立していなかった時代のこと。ジンメルの著書読んだことないので読んでみたいものです ケアワーカー向けでもあるかもしれません。

 

2.ライプニッツを学ぶ人のために(酒井潔)

ライプニッツを学ぶ人のために

ライプニッツを学ぶ人のために

 

ライプニッツ、なんの文脈で自分が引っ掛けたのかはわかりませんがラッセルの哲学入門やグリックの「インフォメーションの人類史」できっとはやくから見かけていたと思います。数学に興味が出てきたおかげでようやっと重い腰をあげてライプニッツ入門みたいな本はないかと探していたところまんまと学ぶ人のためにシリーズに引っかかってしまいました。たいへんよかったです

前半は本人のもっていた人脈と思想の解説で、後半(というか最後の方)にこれからもっと読みたいという人向け、研究者向けに書籍の紹介と主要概念の概説がなされています。自分は同時代の人だとデカルトスピノザくらいしか認識できていないのですが、デカルトはいまいちしっくりこずスピノザは挫折するという惨憺たる有様です。が、ライプニッツ形而上学とそれに至る数学の方法論は非常に好きです。たしかに事物の処理の仕方が情報学っぽい感じがあるんですよね。意識の認識とかもデカルトよりよほどしっくりきます。あとライプニッツの時代に中国の思想についての興味がさかんだったということや、バロック音楽・美術の時代背景(ヘンデル、バッハ、パーセルパッヘルベル)を絡めてくれていたのも有り難かったです あの頃の芸術は数学の発展ときっても切り離せないものがあります

 

3.9.介入 Ⅰ・Ⅱ 〔社会科学と政治行動1961-2001〕(ピエール・ブルデュー

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

 

 

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

 

これのⅠを読んで書いたのが以前の記事です。

これらはブルデューの死後に、雑誌への寄稿や出された声明文、インタビューをまとめたもの。教育社会学を含め、晩年の政治への参加に焦点を当てたもの。Ⅱは、前巻が教育をとりまく環境に焦点を当てていたのに対してこちらは経済、というか貧困に相対する人たちの社会運動を支援することについて、という感じです。晩年のブルデューは色んな社会運動を支援しており、成功したものもあればほぼほぼまるっと失敗に終わったものもあり、周囲というかメディアから随分とこき下ろされたりもしたようです。知識人が地に堕ちたなんて言われて。日本でも思い当たる人は何人かいますが

時代背景に深い理解があるわけではないのでなんとも言い難い節もいくつかありましたし、そもそも内容理解が半分も及ばない状態で読んでしまったんですが、今日本にある問題がいくつか。既に20-30年前に指摘されている点について(しかもその時期既にあった問題ではなく、この指摘があったあとに改革がなされて問題が生み出されてしまった)ことについては言い訳のしようもないなと思うなど。政策方面はぶっちゃけ自分が疎いので全然ダメなんですけど、こういう風に系統的に集められたものを読むと、批判的視点と「どこを問題とするか」っていう問いは常に自分の中にもっておかないといかんなあと思います。あとやっぱり人文学的な知識と見地は捨ててはいけない。


4.苦悩する人間(ヴィクトール・E.フランクル

苦悩する人間 (フランクル・コレクション)

苦悩する人間 (フランクル・コレクション)

 

人間には、ペースメーカーが必要です。そして、ペースメーカーが必要であるがるゆえに、ペースメーカーを追い越しえないだけの距離が必要なのです。ペースメーカーに追いつくなら、そのとたんにペースメーカーは必要でなくなるでしょう。現存在は、あるものとあるべきものとの間の緊張関係として存在しています。というのは、人間が現に存在するのは、存在するためではなく、生成するためだからです。

 

創造価値の実現によって運命を形成できない人、できなくなってしまった人は、それでも運命を克服することができます。別の仕方で克服することができるのです。それは、まさに態度価値を実現することによってです。つまり、正しく苦悩すること、運命的なものに対して正しい態度をとることによってです。それには、苦悩能力を獲得しているということが前提となります。ここから、この内面的克服は、外面的形成を断念するにしても、結局はやはり形成、つまり自己形成なのだということがわかります。というのは、苦悩能力の獲得は、自己形成の行為であるからです。

 

最後に、苦悩する人間でなく、苦労する隣人、共に苦悩する人間について一言しておきましょう。苦悩することが意味に満ちているのと同じように、苦悩を共に遂行すること、共に苦悩することも意味に満ちています。それは、同じように意味に満ちていると共に、また同じように無言なのです。

 

「メタ臨床講義」を「制約されざる人間」として出版したのちの、補遺のような本。精神分析的、精神病理的な観点を抜け出して意味を見出すための本…だけど、わかりやすさとしては「虚無感について」の方をお勧めします。ロゴセラピーはずいぶんもう定着した概念だと自分は思っているんですが、あれは他人が誰かに施すものではないです。誰かが自らに対してあれこれ当てはめて解決に導くその道筋を支持してはじめて意味のあるようなものであり、作ることができるのはきっかけだけです。あとは本人の力に任されている。もちろん本人をエンパワメントすることもできます。でも、やり遂げるのはあくまで本人なのだと思う。自分もそうしてきたなあと思いますし、他人がそれに取り組むのを見ることもありますけど、あるメソドロジーに則ったりするようなものではなくて、個人がもともと持っている法則に従うのだろうと。

 

5.哲学的な何か、あと数学とか(飲茶)

哲学的な何か、あと数学とか

哲学的な何か、あと数学とか

 

フェルマーの最終定理をめぐる数学者たちの物語。面白すぎて一気に読みましたが、私は肝心の中身の高次の部分は全然知らないので、十分に楽しめたとはいえないかもしれません(途中に非ユークリッド幾何とかへの道も開かれています)。ただ、論理式をこの1年で結構いろんな本で見かけてきて思っていたことがちゃんと言葉になっていたのでとても嬉しかったです。まさに「哲学的ななにか、あと数学とか」です。

数学者の闘いなかなか面白い。わりとよく絶望しています。

 

6.ハイデガー存在と時間』を学ぶ人のために(宮原勇)

ハイデガー『存在と時間』を学ぶ人のために

ハイデガー『存在と時間』を学ぶ人のために

 

誰もが他者であり、誰も自分自身ではない ーマルティン・ハイデガー

ハイデガーの『存在と時間』は、難解なことで有名な現象学(かな)の哲学です。絶対読めないだろうと思ってこのシリーズの力を借りることにしました。

フッサールの「内的時間意識の現象学」も「現象学の理念」もわからんなーと思いながら読んだのですが、ハイデガーはどちらかといえばカントやベルクソンの流れを汲んでいるのでより具体的といえば具体的かなあと思います。あと存在論に関する注釈が好きです。あれはデザイン原論に近い。世界内存在ってやつがいまいちわからずにいたのですが、ある人間が知覚する世界の感覚については「ある道具にはその中に使用用途などの要素が含まれる」、道具がアフォードしていることについて具体的に述べられているようです。時間についても結構ベルクソンの「物質と記憶」に近い解釈かなあと思います。

 

7.知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用(源河亨)

知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用

知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用

 

認知科学と知覚の哲学についてわかりやすく書かれているので入門書としていいんじゃないかと思います。自分はデネットとかホフスタッターを心折れながら何冊か読んだクチなのですが、『心の哲学』に関しては結構自分は科学寄り(というか計算機寄り)の暫定解をもっているのでゾンビがどうこうとかには正直全然興味ないんですが、知覚の哲学はかなり興味があったのでフィッシュの『知覚の哲学入門』で序盤のセンスデータとか副詞説が難しかったのが心残りだったんですよね。臨床哲学とかは結構昔からある分野ですけど自分はフロイトラカンみたいな精神分析的な流れがめっちゃ嫌いで、かといって知覚の哲学についてはメルロ=ポンティで止まってしまうわけにもいかず、その後はどうにもお気持ち臨床哲学・お気持ち現象学になるので(芸術論とか身体論とかも)お気持ちを許すな!!なぜ知覚はもっと分析できないのか!!いやいける!いけ!というやっていきを思い起こさせてくれるような本でした。

心理学の授業も進んできたところなので面白かったです。自分は科学に色々を求める人間になってしまっているので、厳密性とか測定方法とかそういうことに感激することが多いのですが、どのようにしてそれが認知されるかとかどこに問題があるかを探すのは哲学が大いに手腕を揮うところであるなあと思うなどしました。

好きだったのは音楽とか美術に関する5-6章にかけてでしょうか。興味深かったのは、「音の不在」に関する認識のくだりです。科学もなかなか踏み入ることが難しく、哲学も説明をしにくい領域であると思うのですが、科学の理論を援用しながらその「しくみ」を紐解くかんじです 言葉は比較的平易ですが学ぶところは多い本でした。

ダニエル・デネットがモデルとしてよく用いている『デーモン』、低次の次元でもともとだいたいの人間に備わっているものと、訓練(ないし個体における脳機能の特殊性)によって高次・メタな次元に持ち上げられるものがあると思っています。線の認知とかは認知科学の分野で既に明らかですが、空間認知とか音楽の形態認識(和音進行・旋律の聴き分けなど)に関してはかなり複雑ないくつかの次元で同時に処理が行われている感じがある 意識下に浮上させるか否かはともかく、演奏者にしろ作曲家にしろ編曲者にしろこういうのありそうで。今まで鷲田教授とかそのほかの身体論で納得がいっていなかった部分かもしれません。芸術方面の方からの言及も読んだことがありますが、まだ納得いっていなかった。もうちょっと深められそう。

 

8.カントを学ぶ人のために(有福孝岳)

カントを学ぶ人のために

カントを学ぶ人のために

 

カントは3大批判のうち純粋理性批判実践理性批判熊野純彦氏の訳で読んだだけだったのですが、判断力批判読んでみたくなりました。前者ふたつが『理性と悟性』=知覚される世界、『倫理と道徳』=人間の内面世界という大きなテーマが与えられているとしたら、判断力批判は『美学』=人間の共通感覚について、という感じのようです。これは上記の本を読んで自分が享けた印象であり、掴みあぐねているかもしれませんが。

『カントを学ぶ人のために』には最初の方に、心の哲学の問題を考えるにあたっても『純粋理性批判』にあるア・プリオリな直観の概念を検討することで前に進めることがある、というようなくだりがあって嬉しかったです。カントによる認識論の転回やこの『批判』が後の思想に多大なる影響を与えたことはいうまでもありません。本書は3大批判とその他の書籍について、近現代の思想にどのように援用されているかが詳しく書かれていてたいへんよいです。『カントを学ぶ人』というより『カントに学ぶ人のために』という感じ。『判断力批判』、ハンナ・アーレントが政治哲学に共通する要素を多く見出しているそうで、そちらも是非読んでみたいなあと思いました。

 

ここから先は自分が読みながら考えていたことなんですが、じぶんはなぜ個別の学問領域を最初から実践的にとりくまずいったん『哲学』の俎上にあげてから個別に分化したがるのか、1冊の本をしっかりと読みこまない(こめない)のか、その理由がぼんやりわかったような気がします。自分はなにか人が『考える』『感じる』『経験する』こととその結果もたらされた事実とその経緯に興味があり、また科学にしろ哲学にしろ、人文にしろ芸術にしろその表現や『問い』が生まれる過程と、その過程で解き明かされることのなかった「あいだ」の問題に興味があるのです。もちろん「あいだ」でさえ、問いの俎上にあげれば問題になり、そしてその「あいだ」もまた何かとの「あいだ」を持っています。1冊の本を、『文脈』を読んだり『書籍』を読んだりすることだけでは自分はその「あいだ」を発見することができない。ありとあらゆる人間の思考をいったりきたりしたい。特に、分岐点までさかのぼって「あいだ」の問いに肉薄しようとすると、必然もういない人の思考にアクセスしなければならなくなる。その簡便な手段として本が未だ他の追随を許さぬ優れたツールなのだろうなと改めて思うなどしました。ひとつひとつ論文を丁寧に読むことも勿論大切なことですし、実践のフィールドを持ち続けることも大事なことですが、同時に自分の中の思考のマップを作るのにやっぱり哲学は便利なんですよね。私は哲学を目的としているわけではないので、そのあたりはたくさん本を読む方が性に合います。観念論や思考の技法も含めるとマインドマップというモデルでは説明がつかなくなる気がします。哲学だけではなく、形而下の諸科学にも文学にも、それを説明する様式が備わっているので。

 

10.科学哲学入門―知の形而上学(中山康雄)

科学哲学入門―知の形而上学

科学哲学入門―知の形而上学

 

ポパーとか読んでみたいけどとっつきにくいなあと思って入門してみました。社会構成主義の流れに第2部全体を割いていたのが意外。哲学史と数学の歩みを絡めつつヴィトゲンシュタインを起点としてクーンまでを説明して、第2部に入る感じの導入が非常にスムーズですが、前提となる知識が結構必要になる気がします。

社会学をするのにエスノグラフィーみたいな文化的・質的なものだけを使うのに非常に抵抗があったので分析哲学ガンガン使って欲しい感じはあります