毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

万物は流転する -3年目にっき

とうとう社会人3年目に乗り出した。いや別にふつうに過ごしていればなんら不思議のないことであってどうにも腑に落ちないが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は相変わらず激務です。いやしらんけど。

年度が終わるごとに書いている日記と、はじまってから数か月で書いている所感のようなものがあって、今回は3年目がやっと軌道に乗ってきたので所感を残しておこうと思います。

 

streptococcus.hatenablog.com

2年目の終わりにこんなことを書いていました。

ちなみにこの日記のなかに、1年目の終わりに書いた記事へのリンクが芋づる式に出てきますご注意あそばせ。

 

身体は臨床にいて心も一応臨床のことを考えているはずなのだけれど、考え出すとそのさきの色々に及んでいってひとつところにとどまることができない。

その「とどまりのなさ」は、上の記事のように私に1年で様々な分野の本を読ませたし、今なお突き動かし続けている。もはや自分の意志でないといってもいいのではないかというくらい、なにかを考え続けている。

勿論仕事に関係することを学ぶ手を止めるつもりはないけれど、それだけだとどうにも自分は息が詰まってしまうらしい。

 

自分は過去の自分の発言に多く裏付けられていると感じるけど、同時に心もとなさも常に感じている。足場が着実になればなるほど、その足場をすぐに次の一手につなげてしまうのはいささか浅慮であるとさえ思う。

この2年間で、臨床ではいくつもの慢性疾患のすえの死を看取ってきた。だからといってそれが基礎研究であるとか、死生学に至るであろうというのはわたし自身にとっては早計に思えて仕方がないのだ(勿論それが、他人からの助言という些細な影響に過ぎないとしても)。

そもそも元来自分はものすごく他人の影響を受けやすいくせに、最終決定は結局自分の超自我にしたがうしかないという非常にめんどうくさい特性をもっていて(みんなそうかもしれないが)、人の話はよく聞いて喜ぶくせになんら決定には関与していなかったりする。まあ他人の言なんてそんなものかもしれないが。

大体人のいうことを聞くやつなんて研究には向いていないのだ。

 

 

 

そういえば、1年生の教育に関わっている。

あれはとても大変で面倒くさい。面倒くさいしか言っていない。

何から言えばいいかわからないしどこまでいっていいかもわからない。でも1年生から私が学ぶことはとても多そうだから、今年1年かけて興味深く見守ろうと思う。なにせ今まで下はほとんどいなかったので。