毒素感傷文

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春を患うキャベツの讃歌

春はひとつの病いである。

花が咲き、空気はぬるみ、春霞、命はひらき全てのひとが春を言祝ぐ。

だから私は春がとても苦手だ。途轍もなく苦手だ。

春が厳然として立ちはだかるのを呆然として眺めている。いつも。そして新緑の初夏が訪れるまでを、気が狂ったように何かしようとして何も手につかず終わる。もっとも何も手につかないのはいつものことなのだが。

 

春は新しいことを始めるのに適した季節だ。

そう、春から何かはじめたい。

具体的には、着付けとかはじめたい。

京都は和装をして練り歩くには適した場所だ。隠れることができる。特に誰も注目しないし、いちゃもんもつけられないだろう。

ひとは社会に所属しなければ生きてはいけないのだし。職場以外にもコミュニティを持っていないと、たまに疲弊して息が詰まる。

 

先日久々にチェロのレッスンに赴いたが、先生の家は実に居心地がいい。海外の土産が雑多にあり、物置と化したZimmermanのグランドピアノの上には譜面がここぞとばかりにおいてある。先生は、そして、楽譜をすぐに失くす。レッスンのはじまりはまず楽譜探しからだ。その一連の作業は、最早儀式のようですらある。

 

うつになってから長らく、楽器を弾くことができなかった。

2年くらい、ほとんど弾かなかった。毎日床に伏していたから。楽器を弾くというのは結構能動的かつ消耗する作業なのだと気が付いたのは、患ってからだった。

練習というのは自分と向き合う作業だから、向き合う体力も気力もないときに弾くことは難しい。それも、弾くこと自体が結構トラウマになってしまっていた。いろんなしがらみから離れられずにしっかり休めなかったとき、いちばんネックになったのは弾くことだった。休んだら、弾くこともできなくなる。社会的な所属を奪われるのが何より怖かったのだ。

今、自由に弾くことができるようになると、所属しない自由というのは寂しいけれども同時にとても気楽なものである。今回のレッスンでも改めてそれを思ったのだが、それを殊更強調するエピソードがあった。

 

『お経みたいに無伴奏を練習するのもいいんじゃないかしら。最初はお経でいいのよ』

 

無伴奏というのは、バッハ作(厳密にはバッハの妻が書いたともいわれているが、まあいい)の『無伴奏チェロ組曲』のことである。1番から6番までで構成されており、さらにそれぞれの番号の中でも6つのセクションにわかれている。

番号が進むほどに難易度はいや増し、6番はそもそも古楽器のために作られたものだったかで、シルバートーンの連続である。

2番と5番のみが短調であり、残りは長調曲。

私はその第一番のプレリュードだけを、だいたい7年くらい、ずっと弾き続けている。お経のように。

何せ新しい譜面をさらうだけの気力がない時期が7年くらい続いたので、とにかくプレリュードの連続するアルペジオをずっと弾き続けてきた。最初の2年は弾いていたとはいえなかったが。

 

今年度になり漸く、プレリュードの次のアルマンド、そしてクーラントサラバンド、そしてメヌエット(これだけは高校生のときに練習曲として弾いたことがあったが)、ジーグの譜読みをはじめた。お経のように。そして、サイレントチェロに慣れ切っただらしのない調子で、先生の前でたどたどしくアルマンドを弾き終えた。

個人の曲として、能動的に選んだものを先生の前で弾くのは5年ぶりくらいだったろうか。

 

それは、私の祈りだった。祈りだったということを、先生が教えてくれたように思う。

うつになったとき、それでも何かに携わることをやめたくなく、繋がりを保ちたく、苦し紛れに芸大への進学を考えたことがあった。勿論荒唐無稽な決断であり、その計画性のなさゆえに断念せざるを得なかったのだけど、そんな時期も先生はずっと付き合ってくれたんである。

私が病みはじめ、病いの中に溶けてしまい、そして病み抜くまでを定点観測していた人はごく少ない。家族でさえかくやと思う。

 

正信偈を覚えていない私のお経は無伴奏だった。

これからもお経のように、祈るように弾き続けられたらよいな、と思う。

 

 

 

丁寧に、春は心をへし折ってくる。

調子を崩すのはいつも春だ。高校三年生のときは自殺未遂までして今のところ人生最初で最後の入院生活を強いられたし、入職した時には同時に当時の恋人と別れたし、今もまあまあショッキングな出来事に直面している。整理がつかないのでまだここに書くには至らないが。そもそも書くに至るほど大したことでもないのかも知れない。

 

春が来ると、その生命の力強さに本当に心が折れる

冷えた部屋で、何度窓の外を見て涙を流したかわからない。とにかく悲しいのだ。自分がまだ何もできない不健康の主であることが。そうして自分を責めて、何年も泣き暮らしていたから、春は今でも怖くて仕方がない。

 

ただ今年の春だけは少し違った。待ち遠しかったわけではない。が、来てしまった春がそこまで悲しくなくなっていることに気が付いた。

 

春キャベツである。

 

春は野菜が美味しい。そして安くなる。野菜の旬であり、魚の旬も巡る。

去年京都に越してきて生活を始めたときには既に春だったから、そんなことは当たり前のこととして享受してきたのだが。

冬の根菜しかない時期を迎え、少しずつ水菜が安くなる。あれ?茄子の旬は夏じゃないか?と思いながらも、スーパーに並び始めた夏野菜を眺める日が続く。

新玉ねぎが、春キャベツが、店頭に並ぶ。

 

あ?あれ、そうだ、春が。春が来たんじゃないのか。

私は絶句する。春を喜んでしまったのだ。あんなに悲しく、つらく、来てほしくなかった春が、今ここで嬉しいことに気が付いてしまった。

 

こんなにも待ち遠しかったのだ。春が、空気がぬるむのが、夜勤明けに朝日が早く昇るのを患者の病室から眺めるのが。5時にまだ暗かった外界が、6時になると、病室のスクリーンごしに夜明けを迎える。日勤で朝早く病棟に来ると、朝日が目を貫く。やわらかな光が半袖から伸びた腕を温める。

 

生きていてよかったな、と、思う。