毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

無駄に洗練された無駄のない無駄な動き

ニコニコ動画が全盛期だったころ、このタグなかなか秀逸だったと思います。

 

 

▼身体表現としての仕事

 

仕事をする人の体捌きが相当好きだと気が付きました。

正確には見られることを意識した体の動きと言いますか。

舞踊なんかは身体表現としてのツールであることが大前提なので好きになるのも当たり前ですが、バーテンダーバリスタのそれも見られることを前提としていますよね。そして美味しいものを作る過程として見目の美しさも含ませている。

 


H24年度ベストバーテンダー受賞 - YouTube


バーテンダー - YouTube

 

身体感覚というか、自分の体を十全に使うことができている感覚であったり或いは十全に操っている様を見るのが大好きです。自分が使うのも好きです。

 

以前、仕事が好きだという理由に(ここにも皮膚-自我の紹介をしたときに書いたかもしれませんが)人間との皮膚の接触が好きだから、ということを挙げましたが、もしかしたらこの身体感覚を研ぎ澄ます感じも入るかも知れません。

私は仕事について何かを語れるほど長く働いているわけでもありませんし、それについてアートだなんだとほざくつもりは毛頭ございません。しかしながら皮膚の接触や視覚的コミュニケーションが多分に含まれる職であることは誰が見ても否定しえない事実です。それが専門的に磨かれた技術であればあるほど、体捌きは真価を発揮するように思うのです。

 

バリスタの動画は残念ながらいいものを発掘できませんでしたが、今日訪れた純喫茶の方は本当に体の動きに無駄がなくて、いや無駄というかあそびはあるのですがそのあそびの動きも含めて美しい方でした。珈琲を淹れるための道具に囲まれてその道具を自分の体の延長のように扱っている様も素晴らしかった。またいきたいもんです。実は今回2度目だったと思うのですが、前回はカウンター席に座らなかったものであの技術を目の当たりにする機会がなかったのですよ。

 

っていうかなんでも仕事に還元しすぎでしょ、自分。