毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

mixiから:食べる(20141212)

食べることと眠ること。あとこれにもし性欲を付け足せば人間の三大欲求になるけど、私食べることと寝ることに致命的なダメージを負って以来そこに瘢痕形成してしまい、元には戻らなくなった。





あぁすこぶる調子はいいです ってこんな時間に書いてるとめちゃくちゃ不健康っぽいですけど
なんかね、少しの反動で思い出すんですよ、昔のことを。
それをそのままにしておくと、ダメージだけが蓄積されるから、都度、都度、吐き出していきたくてね。
見せられる側はたまったもんじゃないと思いますけど、たまったもんじゃなかったらそのままスルーしてくださいね。面白い話でもなんでもないので。

インスタントのうどん、というキーワードで、高校卒業直前くらいから専門入る前までの時期のことをね、思い出したんですよ。珍しいんです、このときのことを思い出すのが。

食べることに関する話を前にも書いたことがあるかも知れない。
一番つらい時期のことはよく書きますが、峠を越えて社会復帰を待つ時期というのもまた暗くて先が見えず長かったなと思います。終わってみればたった2年ですが、当時は本気で永遠に続くと思っていましたし、長く、悲しかったな。

インスタントのうどんを母がよく買ってきてくれたときがありました。
2年間、何してたかって、バイトしてるかさもなければ寝ているかさもなければネトゲ仲間とスカイプしていたような気がします。
なんかその時期は本当に社会的にも不安定だったし、情緒も長い落ち込みからは回復していたけれど小康状態か落ち込んでいるかをうろうろしていて、なかなか何か行動するのは勇気がいる状態だったんですよね。

夜中眠れなくて、その眠れないのも多分、昼間みんな働いたりすべきことをしているのに自分は何もできないことへの罪悪感があったりするから夜中起きるのが楽っていうのもあったんですよね。まぁ昼間も眠れなかったりして結局つらかったりもしたけど。

高校の間とか長く胃を悪くしていて、かなり少食にもなってしまいましたし、本当に「食べたいものだけ食べる」生活をしました。今でもその習性は尾をひいていて、実習みたいに高ストレスの環境になるとすぐ食欲はなくなりますし、そうなることがわかっているので食べやすいものだけを食べて凌ぎます。

なんだろう、思い出すというよりは、感覚をぽとっと手のひらに落とされる感じですかね。

ほら、お前これもってただろ昔、って感じに。しかもそれ、渡されるまですっかり忘れている感覚なんですよ。みんな寝静まった夜中にひとり起きてて、ぼーっとしてて眠れず、めちゃくちゃ寒い自室なので足先なんかも凍えて感覚なくて、温かいものを食べたいなぁ、なんて思って。ごそごそ起きてきて小さいカップ麺を食べるのです。温かかったなぁ。



やっぱり、元気になった今では、自分のことのように思えません。あの時の自分が自分であったようにはとても思えないのです。毎日をやり過ごすことすらできなかったことが、あれが自分の過去であるとは到底思えない。でも記憶がある。なんでだろう。

忘れちゃいけないような気がするのに忘れてしまうんです。忘れたら、またやってくる気がして、怖いんですけどね。でも忘れちゃうんです。そして上ばかり見だすんです。思い出そう。





今ではもうスティグマにも慣れて、自分の経歴を問われた時の対応もできるようになってきました。むしろなんで今までうまくできなかったのかと思うくらい。
縁遠く、付き合いの浅い人にはフリーターをしていたということ。これはもう、確定事項になりました。何かの縁で話す場合があれば、昔うつだったんで、くらいのことは気負いなく言えるようになったかな。

この感覚が伝わるかどうかわからないけど、でも、それを気負い無く言えるなんて有り得ないことだと思っています。

そんなちゃちな2文字にこめられるような経験ではないのです。うるせぇもっと辛いことが他にあんだよと誰から何を言われようと、あの生き地獄は経験した人としていない人とでは雲泥の差があると思っています。そしてそれを忘れそうになっている自分を戒めたいとも思ってしまいます。いや、普段は忘れててもいいのかも知れないけれど、必要なときに必要なだけ呼び出せたらいいな。

なんかもういかに物事を大仰に語ろうかと躍起になっているみたいで嫌になってきた。

今ではもう少なくなったけど、時々、このことについて押し黙っていると発狂しそうになります。
今健康な私の謎の留年と謎の2年の空白が、それがなんのためだったのかと健康な自分が自分に問うと、もう覚えていない頭のどこかの記憶がとても疼くように感じます。答えを出せるほどに覚えていないのに、何かあった、何かあったはずなのに出してこれないもどかしさのような。そして結局何もなかったのであればその時間何をしていたんだと。何かできたのではないかと、自分を責める声が聞こえるんです。ああ幻聴ではないですよ笑

何ができたっていうんです。あの時期に。何もできるはずないでしょう、死ぬほどつらかったじゃないですか。休まなくてはならなかったんですよ。たかが2年社会から離れて休んだだけでは健康といえるまでは回復してはいなかった、だけど何もしないままでは余計につらくなるから何かしようと思って専門に来たんでした。つらくて当たり前です。だって別に完全な回復ではなかったのだから。普通の人間でさえ音を上げる人がわんさかいる場所にきて、1年休んだくらいで卒業できるなんて快挙じゃないですか。もっと喜んでいいはずだ。



なんかどうしても、逆立ちしても(しないけど)、自分のそういう努力って認められないんですよ。
それこそ血反吐を吐くような努力であったと思います。でもそんなの自分でいうのみっともないから言いません。絶対に。さも最初からそうであったかのようにそこにいるのが好きだから。気を遣われたくないから。腫れ物を扱うように扱われたくないから。

逆に言ってしまえば、そんな思いをしてまで手に入れた自分ってこんなもんでしかないんですよ。しょぼ。しょぼい、しょぼすぎる。もっと大物かと思いきや、こんな対価を支払ってこんなクズしか手に入らなかったんですよ。対価大きすぎるでしょ、と思うけど、でもそもそも人生において対価を支払ってリターンがあっただけでも良しとするべきなのかも知れませんね。

そしてそのしょぼい自分を、何があったかも知らずに、お世辞であってもすごいねーとかそんな風になりたいなーとか言われると腸煮えくり返るんです。相手に、というよりは自分にかも知れないけど。
この怒りをどう言葉にしていいかわからない。
きっと言葉にならない要素が幾重にも絡まってその怒りになるのでしょうけれど。

ストレス、圧力という意味でのストレスの塊になっていくのを感じる。
健康な自分(意志)がひたすら勉強したい勉強したいってうるさいけど、脳みそはやっぱりほどよく疲れているので休みたがっている。休むのを阻止してまで意志は働きたがる。

この名誉欲みたいなの、どうにかならんのかね。
ビッグになりたい欲みたいなの。しょぼいから。しょぼいっつってんのに聞きやしねぇ。



そういや病院行き始めてからまる7年ですね。長いもんです。
ちょうどこの忙しい年の瀬の時期に行き始めたのです。全て諦めた時期だ。やれやれ。
そこで諦めていなかったらどうなっていたか、なんて絵空事はさすがに考えるのをやめましたが、何も起こっていなかったらとは少し思いますね。でもきっと今よりもっとつまんない人間になっていただろう。





で、今気付いたけどこれで3000字くらいだ。今までやったことないけどこれ、下手すると1万字書こうと思えば書けるんじゃないかな。いや多分余裕だろうな。なんか書こうかな。
なんかってこの流れでは暗いのしかないけどね。

思い出しかけてしまったことだし思い出すことは片っ端からげろっていこうかな。

さっきつらいことがどうのこうのうんたらかんたら延々と言っていたけど、結局私が腹が立つことのひとつに、どれだけ言葉を尽くしたところであの感覚は人に伝わったりしないってことですよ。
黒い犬の動画を以前日記に貼ったりしたのもそういった理由です。
私はあの感覚を一瞬でもいいからみんなに味わってもらって、そして戻ってきて欲しいと思う。うつ病患者がどっぷり嵌って血を吐く思いをして帰ってくるその先にいる社会の人たちがみんなそのつらさをわかっていたら、何をしてもいいか、しない方がよいか、してはいけないか、きっとわかると思うから。そしてそれを理由に差別を加えたり、しなくなる気がするんですよ。それは期待しすぎかな。まぁ起こらないことなんで別に良いんですけど。
それは別に私のためだけじゃない。今生きづらくて、ほっておいたら病気になってしまうかもしれない人と、そして社会に帰ってきたいのに普通のハードルがあまり高くて帰ってこれずにいる人のためにもです。少なくともその2点において私はなんにも効果的な援助を受けることができなかった。病気という診断をとりあえずもらって、教室に行くことを免除されて、とりあえずの卒業で追い出されたけどどこにも行く場所はなかったし、親戚にバイトしに来いって言われて行ったけど正直しんどい以外の何物でもなかったし(ためにはなった)、つらいつらいってずっと思いながらただ生きてただけで時間をやり過ごして、看護学校って選択肢も自分で見つけてきた。PSWの仕事はそういうためにあるんだろって思うけど、結局頼り方もよくわかんなかった。まぁ自立支援とか障害者手帳とか、取ろうと思えば多分取れたんだと思います。んで就労支援Bくらいで適当にカフェで働くとか事務作業とか適当に往なして、もしかしたら自立していたのかも知れないし結婚とかしてたかもね。

でも違った。実際にはこの死に物狂いで得た経験を何かに使いたくて仕方なくて、今ならいけるんじゃないかと思って看護学校に何の期待もせずにきたら案の定酷いところで、でも少なくとも部屋で死んでるよりはずっと楽しくて有意義だったよ。元・病気の人間が普通の社会の人間に触れてリハビリをするにはちょっと過酷な場所ではあったけどね。

そうそうもうすぐ卒業するんだった忘れてた。23?もうすぐ24なんですけど、数字だけ見たら死にたいですね。幾つだよ。大学院卒業できるじゃないか。うちの母子ども2人産んでるじゃないか。私がやったことって留年して看護学校卒業しただけだよ。何にも誇らしくもなんともないよ。



▼話が逸れた

正直やっぱり動画見せるくらいでは伝わらないし、多分味わったことのある人ならあの動画見たら感覚が共有できると思うんですけど、味わったことのない人があれ見てどう思うかってのは私にはもうわからないんですよね。

だったらもう体験させたいですよ。手っ取り早く。
なんでそう思うのかわからないけど。

いやあれだよ、私になりたいとかふざけたことを言う人がいるからですよ、真面目に言ってるなら問題だしふざけて言ってるならもっと問題だ。精神的に殺してやろうか。死ぬで、ほんまに。ほんまに。

まぁでも私がうつだうつだっつってるのも「私の」経験したうつでしかないので他の人のうつはやっぱり違う形をしているし、それと較べて誰かが重いとか軽いとかないんです。
ストレスに耐えにくい人にはちょっとしたストレスが千にも万にも感じられて、耐えられる人には痛くも痒くもなかったりするんです。これも腹立たしい話ですな。私はストレスにめっちゃ弱いです。いや実際に弱いのかどうかはわからない。弱くなってしまっただけかも知れないし元から弱かったのかも知れない。
どっちかはわかりませんがとにかく弱い。それも腹が立つ。

えっちょっまだギリギリ5000字に満たないじゃないか、さすがに眠いぞ無理、おやすみなさい(あっさり)。