毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

パート主婦半年経過の疲れた記

苦しいことについてあえて書こうと思った。

何より自分のためにだが、自分が苦しみ抜くことで誰かの支えとなればこれに勝る幸いはない。

 

以前に、こんな記事を書いた。

streptococcus.hatenablog.com

 

ここからさらに3か月が経って、自分の状況ではなく、抱えている心象について記録しておきたいと思う。どうせこんな苦しみも喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうことが目に見えている。

 

先のことが不透明である苦しみ

自分の将来を自分で決められないのは、つらく苦しいことである。

 

冷静に整理すればするほどばかばかしいことかもしれない。

自分は既に以前の仕事を退いており、また進学するとて場所を問わない方法を選択している。

この選択について、ストレスも葛藤も非常に大きかった。そしてそれは、時間が経ったからといって去ることがなかった。

 

自分の住む場所も満足に自分で選択することができない。仕事も当然制約を受けており、なおかつ条件をようやっと呑んだあとで当たり前のように家庭の事情が変更される。先の記事にもあるが、自分は適応が非常に遅い。ころころと条件を変えられるたびに慌てふためかなければならない(必ずしもその用がないとしても)。

 

鬱屈して何度も何度も家族に確認してしまう、事前に説明するなり予測するなりどうにかならなかったのかとせっついてしまう。

そうしたところでなんの解決も得られないことがわかっているので、さらに言語化することを厭うようになる。精神状態は悪化の一途を辿った。いや、言語化を拒否したので、悪化を自覚することもままならないでいる。

長年精神を患っていると、変えられない自分の気質や認知の歪み(直すべきものかと言われればそうでもないので、歪みと称するのが適切かどうかはわからないが)を手に取るようにはっきりと感じることがある。今がそれだ。

 

だからあえて書き記したいと思っている。

 

まるでできていないことについて

前回の記事には、できていること、進行している具体的なことばかり書いた。

まるで自分を鼓舞するように。いまは残念ながら、そんな気力は微塵も残っていない。

だから、保てなくて苦しいことやできなくなってしまったことも並べておきたい。

 

家事ができない

それなりに満足にできていた家事ができなくなった。もともと調子のいい日だけ、という前提で動いていたが、慢性的な不調によりそれもできなくなった。

だからといって家族に責められたり、何か指摘されたりすることはまったくない。これは前職であったときにも同じである。

しかし、3か月前にできていたことがじわじわとできなくなるのは、正直こたえる。

まして以前には過酷な労働の対価として少しばかり家事が犠牲になることはままあることであり、それには自分をなにか肯定するような要素もあった。仕事があるから仕方ない、とありとあらゆることを外注したり、好きなように家を飛び出て本を読み耽ったりすることで心を癒すことそのものが自分への寛容として機能していた。実際に癒えていたというほどかどうかは今でもよくわからないが、少なくとも苦しすぎる現実から少しばかり目を逸らすことができた。

 

今ではしっかりと、毎日のように目に入る。

 

食事、睡眠が不調になる

自分の場合はこれがもっともわかりやすい不調の合図である。

食べていないわけではないし眠っていないわけでもない。

眠くはなるし、お腹も空く。でも十分ではない。

ではどこを妥協点とするかは、少し考えたい。基本となる体調にも左右されると思う。

 

どこか罪悪感のようなものがあって、調子が悪くなればなるほど、気晴らしに外へ出るということができなくなる。たとえ出たとしても、集中できないとか楽しくないとかいった理由ですぐ家に帰ってきてしまう。悪いことではないのだが、以前はできたことができなくなることのひとつだ。

 

4月から数えて、体重の10%程度が減った。

元に戻そうと思うが、なかなか戻らないものだ。

 

あらゆることに過敏になる、疲れてできなくなることが増える

物音、ちょっとした外の喧騒、家族の振る舞い、等々、調子のいいときには気にもならないようなことが気にかかる。

せめて気がまぎれればいいが、それも集中力が続かない。

読書も、勉強も、その他もっていた趣味も、うまく楽しめなくなっていた。

 

これは疲れているときの話で、時が経てばまた解決する。

疲労を解消し、自己治癒的な耐久力が戻れば自力で解決可能である。反対をとれば、この問題の解決は自分にしかできない。

 

長年自分自身と付き合ってきたので、自覚するとせざるとにかかわらずこういう状態を実感している人は自分以外にも少なからずいるのではないだろうかという気がする。

 

 

 

解決について

 

落ち込んでいるときに書いたので、今見直してもとても調子が悪そうだ。

 

そんなときもある。

もちろん今の疲れもいつかは終わる。

 

だが、いつまでも小さな薄いしみが消えないように、憂鬱の影も自分が弱るたびにやってくる。それがとてもとても疲れてしまうときがある、という話。

2018年映画あれこれ

1.シューマンズ・バー・ブック


伝説のバーマンが原点を探す旅に/映画『シューマンズ バー ブック』予告編

撮り方がめちゃきれいです。

予告の通り、著名なバーテンダーであり各国にバーをもつオーナーでもあるシューマン氏のドキュメンタリー。

鮮やかなスーツの似合うとても大柄な氏が街を歩き、バーを訪ねる様がいちいちかっこいいです。

 

2.ピアソラ 永遠のリベルタンゴ


映画『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』予告編

世界的に有名なバンドネオン奏者、ピアソラについてのドキュメンタリー。

「タンゴではない」と貶められた過去から、ニューヨークでデビューするまでも収録されています。タンゴかっこいい。

 

3.ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命


映画『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』予告編

かつての下町らしい風景を打ち壊し、幹線道路を通し、貧困層向け住宅の区画を作ろうとしたロバート・モーゼスに対抗したジャーナリストのドキュメンタリーです。

アカデミックな素養はなく、主観による記述も多くみられるものの、彼女の活動は目を瞠るものがあります。そして実際に、都市計画に大規模な変更あるいは中止をもたらしたのでした。

下の本をずっと読もうと思っていたのですが、直前に映画を観終わってしまいました(本もよかったですが、分厚いのでなかなか手に取りにくいと思います)。

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 

 

4.サファリ

youtu.be

観光産業・娯楽としての狩猟と、それを支える現地人。

管理された区域で、密漁ではなく正規のハンターとしての活動を追います。

動物愛護や環境倫理について、両面から考えることができると思います。

 

5.ザ・スクエア 思いやりの領域


映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』予告編

シュール...ただただシュール...

現代美術館のキュレーターについての話なんですが、人間の善意をことごとく裏切ります。かっこつけてばかりはいられない。

 

6.ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書


メリル・ストリープ、トム・ハンクスが初共演 映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」予告編

これはよかったです...

かつての栄光は消え、今や小さな新聞社にすぎなかったワシントン・ポストの女性社長が”新聞”の大義を背負って奮闘する話です。

自分ではうまく言い表せないのとネタバレになるのとで言及が少なくなってしまうのですが、おすすめです。

 

7.シェイプ・オブ・ウォーター


『シェイプ・オブ・ウォーター』日本版予告編

飲み屋のおじさんから「この映画の女優に(雰囲気が)似てる」と言われて観にいきました...。出来は可もなく不可もなく(自分にとっては)。

あと途中で出てくる緑色のケーキ、当時のスターバックスのタルトにそっくりで「スタバはオマージュなのかな...」と思ったりしました(そんなことはないと思う

 

8.ウイスキーと2人の花嫁


映画『ウイスキーと2人の花嫁』予告編

第一次世界大戦中、アイルランドでの実話を元にした映画です。ウイスキー好きなので見るべしと思って観に行きました...

基本的に使われている音楽が民族音楽調なので、ケルト音楽好きな人は好きかも。

 

9.修道士は沈黙する


映画『修道士は沈黙する』予告編

雰囲気映画です。よくわからんけど景色はきれいです

 

10.娼年


松坂桃李が妥協のない性描写に挑戦!『娼年』予告編

10年以上前に石田衣良の原作を読みました。この話が好きで好きで、映画化ときいてがっかりするかもしれんなあと構えてから行ったのですが、悪くはなかったと思います。

あと途中でちょっと笑うシーンがあります(映画館で噴き出している人がいた)

2019年映画あれこれ

1.蹴る


『蹴る』予告編| KICK - Trailer HD

予想よりずっと興味深かった映画です。

医療従事者であればこの映画に描かれていることがどれほど難しいことかよくわかると思います、ぜひ観てほしいと思いました。

神経疾患は進行性のものも多く、そういった場合に治療は対症的であり、じわじわと容赦なく体の自由が奪われていきます。医療的に必要なケアが多くなり、当然本人の負担も命に関わるものとなります。それでもスポーツをやりたい、戦いたいという気持ちはまぎれもなく選手のそれです。

それぞれの生活にも密着しますので、ADLの違いによる生活の違いやヘルパーとの関係もよくわかるかと思います。この関係は非常に複雑で、健常者(便宜上こう表現します)との関係も難しいです。詳しくは本編に出てきますのでここで述べることは避けますが、そういった微妙な心のやり取りがよく撮られています。

関連書籍として、「身体をめぐるレッスン4 交錯する身体」と「知の生態学的転回」という本を良書として挙げておきます。

身体をめぐるレッスン〈4〉 交錯する身体

身体をめぐるレッスン〈4〉 交錯する身体

 

 

 

 

知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境

知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境

 

 

 

 

 

2.ブラック・クランズマン


映画『ブラック・クランズマン』特報

(色々と)激しい映画でした...笑えるシーンばっかりなんですけど、厳しい人種差別とそれに抵抗する人たちの実話なので重たいテーマです。

 

3.北の果ての小さな村で


映画『北の果ての小さな村で』予告編

人類学とか興味ある人に是非観ていただきたいです...!

自分はなにかの折にこうした土地のことを調べたことがあるんですが、産業らしい産業がないので、経済面と教育・福祉をほとんど国の援助に頼っています。

しかしこれを観ると、土着の文化を理解せずして援助は為しえないことと、「経済的援助」という表面の傲慢さを痛感します。それから、非常に映像が美しいです。

いろんな場面がはしょられているので、いつのまに村人と仲良くなったのかわからない部分があったりしますが...いつ仲良くなったの....。 

 

4.僕の帰る場所


映画『僕の帰る場所』予告編

ベトナムから日本に移住している家族のドキュメンタリーです。

こちらも、集団の間の文化の差異と経済その他の支援とは何かを迫られる作品です。あと予告でもわかると思うのですが、子供の泣き声や怒る声もそのままに入っているので、苦手な方は飛ばし飛ばし観るほうがよいのかもしれません。

ベトナムの町の雰囲気、景色も音もありのままに入っていて美しいなと思いました。お母さんお父さんの葛藤が実に苦しいです...

 

5.ガール

youtu.be

緊張感が絶えない映画でした。重い。つらい。踊っているシーンは本当にきれいなんですけどね...

ビクトール・ポルスターとても美しいです...

 

 

6.ビューティフル・ボーイ


映画『ビューティフル・ボーイ』海外版ロング予告編

観終わるまで実話と知りませんでした。

薬物依存をテーマにした映画はいくつか観てきましたが(レクイエム・フォー・ドリームとか太陽の目覚めとか)これがいちばんリアリティも希望もあったかなぁと思います。『君の名前で僕を呼んで』は結局観ないままになってしまっているのですが、同じ役者さんで非常に美しい(顔が)。

 

7.ブラインド・スポッティング

youtu.be

全体的にノリがめっちゃいいです。気づいたらラップになってるし。

白人と黒人のアイデンティティのなかで、オークランドは黒人のコミュニティの中に白人が受け入れられるかのように同居しているようにみえます。スラングなんかもそう、でもその中には現状の文化より先に根強い差別の歴史があることを感じます。町の独特さは全然わからないんですけどね....

これも緊張感が抜けずに観られる映画です。若干流血シーンが多めなので痛いのが苦手な方はご注意ください。

 

8.ヒンディーミディアム


『ヒンディー・ミディアム』予告編

インド映画です。

貧富だけでなく、それに伴う言語や暮らし、教育の格差をテーマにしていて、テーマそのものは重いのですが、総じて明るい調子で進みます。あとインド映画なので、多少ながら歌って踊ります(偏見)(あながち間違いではない)音楽もポップスばかりではなくて大変よい。

久々に、手放しの王道ハッピーエンドでよかったなあと思えた映画でした...

 

9.新聞記者


松坂桃李&シム・ウンギョンW主演! 前代未聞のサスペンス・エンタテインメント/映画『新聞記者』予告編

全体的に低予算で作られている印象のある映画でした(コレッ

シム・ウンギョン演技うまい...松坂はこの映画においては爽やかすぎる気がしました(もっと陰気な人にやってほしかった)

 

10.エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館


『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』予告編

3時間半に及ぶ長大なドキュメンタリーですが、自分は全然飽きずに観れました。

リチャード・ドーキンスの講演から始まる、ほとんど全編を通してBGMのない映画です。日本では高い能力を有しながら待遇のよくないことで知られる図書館司書の多岐にわたる仕事、図書館という巨大な組織で絶えず更新される図書館としての機能には驚かされます。

分館では教育を十分に受けられない市民へのネット利用に関する支援や小児の指導(しかも手厚い)まで、“公共”の名を冠するにふさわしい工夫がそこかしこにみえます。

たびたび会議が開かれるのですが、そこで議題に挙がる内容についても、公的組織でなくとも参考になる(というか耳が痛い)内容が多いのではないでしょうか。

 

長いんですけどイチオシです....この10作の中で、『蹴る』と1、2を争うオススメ具合です...

 

100冊読破6周目(21-30)

1.コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか(旦部幸博)

ずっと積読していたのですが、とうとう読むことができました。

著者はもともと遺伝学・分子生物学を研究されている教授です。コーヒー好きが嵩じて、コーヒーの豆(と言われているもの)の構造、成育地の環境、果ては焙煎のメカニズムから「香り」の仕組み等、コーヒーのふしぎをどんどん暴いて(?)いきます。

自分は普段はチェーン店のコーヒーしか飲まないのですけれど、この本を読みますと久々に純喫茶に行きたくなります...(日本のコーヒー文化も独特のものだそうです)。

 

2.データ・ドリブン・エコノミー デジタルがすべての企業・産業・社会を変革する(森川博之)

データ・ドリブン・エコノミー  デジタルがすべての企業・産業・社会を変革する

データ・ドリブン・エコノミー デジタルがすべての企業・産業・社会を変革する

 

こういう本あるある夢見がちナントカカントカ5.0かなぁと思って手に取ったのですが思ったよりは地盤の堅い本でした。農業または人口減少と都市の関係に関しては特に必要な見通しだと思いました(実際に本書に書かれている実装ができるかどうかはともかく)。

オススメするというほどでもなかったんですが...。今時感は否めないです...

 

3.ケアの実践とは何か: 現象学からの質的研究アプローチ(西村ユミ 榊原哲也)

ケアの実践とは何か: 現象学からの質的研究アプローチ

ケアの実践とは何か: 現象学からの質的研究アプローチ

 

現象学から遠ざかってなんなら苦手意識が生じてきたような気がするのでリハビリを、と思い読みました。

移植医療の際の母親の葛藤についてなど、臨床ではあることかもしれないけれどなかなか深く立ち入ったりそれを他の人が広く知るようになったりということがない出来事について、看護者の立場から振り返るものです。死産、移植後の臓器不全など、臨床にいてもタッチしづらいというか心苦しいものを記述することは骨の折れる作業であったろうと思います...。

自分が研究やるかどうかではなく、こういう研究をやる人(またはインタビューを受ける人)がもっと尊重されればいいなあと他人事のように思ってしまいますが、他人事ではないので支援します...はい...(助力になるかどうかはともかく)

 

4.ヘーゲルを学ぶ人のために(加藤尚武 他)

ヘーゲルを学ぶ人のために

ヘーゲルを学ぶ人のために

 

精神現象学を読みたいなと思っていたので手を出しました。

ヘーゲルというと法哲学の印象が強かったのですが、この解説の中ではヘーゲルの書く文章に対する注釈が非常に多かったです。大論理学とか弟子がいっぱいつけ足していて本文はそんなに多くないで!!!!みたいなくだりが何度も出てきます。

精神現象学が若かりし日に書かれたことも自分はこれで初めて知ったのですが、内容の一部を解釈したところを読むに、ハイデガーはこの思想をよく汲んだのではないかという印象がありました。ハイデガー読んだことないのでそんなことは言えないのですが、放送大前期の科目でとった『現代の危機と哲学』、『現代フランス哲学に学ぶ』のいずれにもハイデガーは顔をだしますし、その中での実存に関する記述に似たようなものを見出しました。ちなみに認識論のくだりはさっぱりわかりませんでした(ここがわからないからといって他がわかるわけではない)。『純粋理性批判』をよくわからないまま読んだ余波がこんなところに出てしまったという無念でいっぱいです。

が、これでなんとなく心のハードルは少し下がったので、モリモリ読んでいくしかないなとも思いました...

 

5.心理学の7つの大罪ーー真の科学であるために私たちがすべきこと(クリス・チェインバーズ)

心理学の7つの大罪――真の科学であるために私たちがすべきこと

心理学の7つの大罪――真の科学であるために私たちがすべきこと

 

とても面白かったです。『心理学の』と表題にはありますが、決して心理学のみの問題ではたりません(著者が認知心理分野の研究者だから様相に詳しいというだけのこと)。学術分野の人には非常に耳が痛く、また頷ける(または忌避感が出る?)話であろうし、一般の人でも読めると思います。研究手法や、査読の過程の独特の用語や文化は少しわかりづらいですが。

少なくとも査読がどういうものかとか、研究デザインの組み方がどういうものかはふんわりわかるかと思われます。この本は不正の起こりやすさを指摘するものなのですが、不正が『発覚する』というのはある種の健全性の証でもあります(もちろんそこにも問題は山積していて、本書の中にも書かれています)。

S●AP細胞とか反ワクチン論文で散々叩かれたのが一体何かを少し垣間見ることができます。

 

6.「自由」のすきま(鷲田清一

「自由」のすきま (単行本)

「自由」のすきま (単行本)

 

相変わらずの寄稿集なんですけど、いつもわりかし説教くさいのに、たまに「あれ?これこの考え方ありなのでは?」って批判先をじっと観察している様子が伺えます(どんな感想文よ

なんとなくいつもより説教くさいです。寄稿先の問題か、要求されたテーマの問題か。

 

7.反乱する都市ー資本のアーバナイゼーションと都市の再創造(デヴィッド・ハーヴェイ

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

 

産業の変動、都市と郊外の資本の動き、不動産価格の変動、金融危機… 経済学ではおなじみの理論が都市でどのように人を動かし(いや、反対に都市の人びとがどのように経済を動かし?)、変化に影響を与えていたかを説明するのが第1部。経済予測がうまくいかない理由と、そのうしろにあった政治的な取引等々。

第2部では、実際に起こった都市のジェントリフィケーション(中産階級化・スラムの阻害)や今起こりつつある街並みの変動と住民の運動を説明します。ハーヴェイの本を2冊ほど読んで思うことですが、人間を対象とする場合の解説の規模は群衆または民族的・社会階層的特徴をもつ集団に集中しているように思われます。『資本主義の終焉』はそれなりによかったんですが。

都市社会学と経済学の視点では常に架け橋になってくれるように思いますが(前者はエスニシティに寄り過ぎ、後者は個人や集団を合理的存在だとみなし過ぎているように感じられることがあるので)、繋いですぐに得られるものがあるかと言われるとこの点においては難しかったように思います。社会学の関連書籍を読んでいるから思うことかも知れませんが。

 

8.パラレルな知性(鷲田清一

パラレルな知性 (犀の教室)

パラレルな知性 (犀の教室)

 

数冊前の『「自由」のすきま』と比較して、鋭さのあるいいテーマが選ばれていたように感じます。

こちらは東日本大震災の数ヶ月後からあちこちに寄稿された文章なので、科学コミュニケーションの重要性がそここに要求されています。専門家のみに努力を望むものではなく、ただ口をあけて知識を待つ市民に対してもリテラシーの求めている節が多かったです。

軽く読めますし、擬似科学に手を焼く人も擬似科学と科学の区別がつかない人も読んでほしい…

 

9.系統樹曼荼羅ーチェイン・ツリー・ネットワーク(三中信宏 杉山久仁彦)

系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク

系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク

 

名前と表紙のインパクトが強すぎて、数年前に心の積ん読にした本です。リンネ以前にも以降にも、生物学以外にも観念としての系統樹が存在したことを解説してくれます。

人間はマインドマップを作るのが好きで、それによって概念を整理することができるのだ...と。家系図、学問の系統樹、はてはマンガのキャラクターの分類まで...。

 

10.身体をめぐるレッスン<4> 交錯する身体(市野川容孝 他)

身体をめぐるレッスン〈4〉 交錯する身体

身体をめぐるレッスン〈4〉 交錯する身体

 

自分の既読の中では『知の生態学的転回』のシリーズがまことによかったのでなんとも言えない気持ちになったりならなかったりするのですが...。

序盤には、家庭内暴力の構造とその緩和のための方策について。

中盤に、昨今とくに目立ってきている重度身体障碍者支援の溝の部分にあたるところのお話がありました。障碍者支援の、無償ボランティアー有償ボランティア、障碍者の自立を妨げる要因とスティグマについて。対談形式になる章が多いので、読みやすさと理解のしやすさでいえば高評価であると思います。ただ、自分はなんとなく現場が思い浮かぶので了解可能な部分が多かったものの、実情をそこまで知らない人はどうなんだろうと少し思います。

個人的にとてもよかったのは、生殖補助医療による自分のルーツ探しの動機とその実態、それから(死体・生体両方)臓器移植の同意・非同意の実際。特に後者は絆の破綻した家族とそうでない家族の差が見えて、読んでいてつらいものがありました。特に生体移植においては、子がレシピエントとなる場合に母親がドナーとなる場合が比較的多いようで、なんともいえない気持ちになります。自分もそういう場面に出くわしたことがあります。傷のない体にリスクを負うことに前向きになれればもちろんそれに越したことはないのですが、複雑な家庭環境を背景として無言の圧力がかかるケースも多いと。そしてその葛藤を解消するために割ける時間は多くない。以前著書を読んだことがある春木繁一先生(精神科医・透析当事者)の回診の様子が書かれていました。

HIVの予防と啓発のための教育・広報の話もまあ巷間よく言われている話なので(知らなければためにはなるけれど)あえて自分から指摘することもないかなと思います。

 

雑記

前回から10日前後で10冊を読んだようです。

軽い本が多かったとはいえ、試験からの解放感が大きかったです...。

2019年度前期授業評・結果と院試準備

授業評と結果

今期の目玉は情報系科目が多かったことです。前年度中に登録しましたので、まだ前職に在職するつもりだったのもあり、ゆとりのある科目編成にできませんでした。

 

情報コースー計算科学関連科目

計算の科学と手引き('19)ーB

エキスパートプラン『計算機科学の基礎』を意識して選択した科目です。必修です。

導入科目なのですが結構なボリュームですし、試験もほどほどに難しいです(私にとっては)。あと持ち込み禁止。前年度までの「計算事始め('13)」の後継科目です。新しい年度で出題傾向がわからない可能性はありましたが、教科書の内容がほぼ同じであろうことから過去問も計算事始めのものを使ってぼちぼち対策しました。実際よく似ていたかなという印象があります。

 

授業概要はシラバス通りですが、アルゴリズムとプログラミングの基礎になる部分を履修します。自分が受けた中では、「デジタル情報と符号理論('13)」(現在は「情報理論とデジタル表現('19)」が後継科目です)にもっとも近かったです。符号理論よりももっと「数」と「計算」の性質に寄せた感じです。教科書としてよくできているなあという印象でした。ちょうどPythonをやり始めたところでしたので、双方に理解が深まりました。

 

コンピュータの動作と管理('17)ーC

これもエキスパートプラン『計算機科学の基礎』の必修科目です。が、この科目にかける時間はあまりありませんでした(入門微積自然言語処理、計算の科学に吸われた)

これは!!わたしには難しかったです!!!

あと試験会場で今期試験を受けていたのは私ひとりでした…孤独…衝撃のひとり…

コンピュータに関する信号について物理またはハード面から学ぶ科目です。

仮想OSとか、繁忙待機とか今までどうなっているかわからなかったものの「なんかメリットはあるんだろうな…」と思っていた諸々の中身がわかる科目でしたがいかんせんまったく慣れ親しんだことのない知識なので、勉強に苦労しました。情報コースの専門科目で、持ち込みは禁止です。

 

自然言語処理('19)ーB

最初は『計算機科学の基礎』の選択科目のために取ろうとしたのですが、もともと言語学やプログラミングに興味があったこともありこの科目は力を入れたいと思ってとりました。

 

試験は結構エグかったです(もちろんやりこめばいくらでも対策はできます)。もちろん持ち込み禁止でしたし、19年度に刷新された科目なので特に参考にするものもありませんでした(15年度の過去問は意識しましたが)。また、言語学の基礎を理解できていればまだしも、自主的に本を何冊か読んで輪郭を独学した以外は放送大の科目『新しい言語学』くらいしか頼りになる授業がありませんでした。徒手空拳のようなものでしたが、これも時間を割いて勉強したこともありなんとか単位は取れました…

 

これとは別に趣味の範囲でオライリーの『入門自然言語処理』を使ってPythonで遊び始めていたので、『計算の科学と手引き』同様に相補的な学びとなりました。

それから、自然言語処理を本格的に学ぶにあたりこの教科書はかなりいい参考本になるとのコメントをいただきました(他大学の自主ゼミで使われていたようです)。敷居は高いですがやる意義は大きいと思います。

 

人文コース科目

新しい言語学('18)ーA◯

今回2科目しかなかった持ち込み可能科目です…!

特に目的があったわけではなく、気になる科目が試験日程に合致していたのでとりました。結果論ではありますが、自然言語処理の素地になる勉強をたくさんできてよかったです。

言語学といっても心理言語(認知言語)的な側面も多く、非常にバランスのとれた教科書であったと思います。

 

現代フランス哲学に学ぶ('17)ーB

持ち込み可、その②です。哲学は完全に趣味でとっています。

特に、以前よりベルクソンメルロ=ポンティにもともと深い興味があったのでいい勉強になりました。現代の思想をベルクソンとの対比によって説明していくのですが、自分がドゥルーズデリダフッサールメルロ=ポンティに少し触れたときに感じた「ベルクソンが源流では?」という疑問に合致していてとても学びやすかった印象があります。あとハイデガーをもう少しやるべきという気持ちになりました。

また、日本の哲学には詳しくないのですが、西田幾多郎との対比もありました。単位をとったとて何を理解したとも言えませんが楽しいです。

 

現代の危機と哲学('18)ーB

個人的には結構クセが強いなと感じた教科書でしたが、ニーチェフッサールで問題提起をしたあとにハイデガーアーレントを出して近現代の学問の社会的状況も考察しつつ、それぞれの思想を説明します。それぞれの哲学者の時代ごとの思想的背景もよく学べるので、とっつきにくいなあと思う部分にこそよい教科書と言えましょう。

いきなり東日本大震災の話から始まるのはちょっとだけ面食らいますが、教科書としてのまとまりはよいと思います。

 

生活と福祉コース

看護管理と医療安全('18)ーA◯

さすがにこれは目を瞑っても解けるレベルでないと困る。

学位の取得のため、最低1科目は看護領域から取らないといけなかったので取りました…

 

社会保険のしくみと改革課題('16)ーC

昨年不勉強で落としてしまったのの続きです!今回は大丈夫でした。

これも看護の学位のためにとりましたが、福祉関係は(落としてしまったことからもわかるように)かなり弱いのでやり直しをできてよかったです。

 

自然と環境コース

入門微分積分('16)ーB

きいてください!!!!とりました!!!今期はとりました!!!!!!

今回の試験の中でもっとも時間をかけて(おそらくほかのすべての科目に費やした時間を上回る)勉強しました…全然わからなかったので…前の職場にいたら確実に通らないままだったと思います。試験前の1か月は少ないときで0時間、多いときで4-5時間/日くらい勉強していました。平均するとたぶん1時間くらいになると思うんですけどね...

自分は高校のとき数学でほとんど微分積分をやっていない(というか白目を剥いていたから覚えていない)ので、大学初年次程度までの数学となると逆立ちしてもできないのです。『数学ガールの秘密ノート』の『微分』と『積分』を読んで、心的ハードルを下げて臨みました…。放送授業を聞けばよかったのですが、生活が一変したのもあって気ぜわしく、結局そんな時間を取れませんでした(不勉強め)。

教科書をある程度読んで(わからないところにそこまでこだわらず)、演習問題のAと場合によってはBの一部くらいまで解けるように教科書であったり公式を使う練習をしていきました。なので、試験も持ち込みたいなと思うくらいでした...いや理解がないからそういうことを言ってしまうのですが...。

 

あと勉強にあたってはWeb上の公式集とかもめちゃくちゃお世話になりました。

mathtrain.jp

自分は三角比とか三角関数、指数関数対数関数から思い出さなければならなかったのでもっと基礎の基礎のサイトも参照しましたが、ここにも載っているので、あれこれ悩んでしまいそうであればここだけでよいと思います(難易度も書いてありますし)。

 

 

社会と産業コース

マーケティング論('17)ーD(不合格・再試験)

ほかの科目にかまけて見事に落としました。難易度としては特に難しくはいと思います(じゃあ落とすなよという話ですが...)エキスパートプラン『データサイエンス』の必須科目のためにとったので、当然来期も続けます。

 産業系なぜか苦手だな(『産業とデザイン('12)』も落としたことがあります)

法学入門('18)ーE(不合格・再試験)

これも興味本位で取った科目なんですが、完全に学習が後手に回ってしまいました。「入門」なので、法の持つ「性格」のようなものを題材にしています。慣習法、国際法、法の導入のなりゆき、等々...章のはじめのほうがイスラム法とか古い中国法(法家とかから始まる)のでウワッと思われるかもしれませんが私のように不勉強でなければ特に問題ない科目かと思われます。

 

来期の科目

情報系科目

数値の処理と数値解析('14)・データの分析と知識発見('16)

この2つはエキスパートプラン『計算機科学の基礎』と『データサイエンス』のためのものです。いずれも持ち込み可なので、ぼちぼち取り組もうと思います。試験問題をざっと見た感じも面白そうです。

『計算機科学の基礎』は上記2科目に加えて下記の『入門線形代数('19)』が通れば取得です。

『データサイエンス』に関しても、上記2科目に加えて落としてしまったマーケティング論が通れば残りは必修の『データベース('17)』のみです。今回は『入門線形代数('19)』とかぶってしまうので見送りました。

 

自然科学系科目

入門線形代数('19)

『入門微分積分('16)』と並んで、エキスパートプラン『社会数学』の必修科目です。しかしながら、『社会数学』はあの微積をできないととれないなんて数弱にとっては鬼畜やな...と思います(数学って書いてあるやろが)

線形代数微積も、プログラミングでデータ解析やりたいナ~という御仁には必修科目であることが自分の周囲のありとあらゆる人の口から発せられていたので、エキスパートプランのカリキュラムってよくできているのだろうなあと思う次第です。

 

試験問題を見ているとそこまで難しくはなさそうでしたが、試験スケジュールをカツカツにしなくてもよくなったので存分に準備して取り組みます。

あとこれのために未読の数学ガールの秘密ノートシリーズが『ベクトル』『数列』『行列(未購入)』と控えています。遊んでいこう。

 

人文系科目

経験論から言語哲学へ('16)

哲学は趣味です(真顔)。現代フランス哲学と現代の危機と哲学(ドイツ哲学系)が終わったので、イギリス経験論から英米分析哲学に至る道のりを歩もうと思います。

余談ですが、ここ2年ほどをかけて有志の『知覚の哲学入門』(ウィリアム・フィッシュ著)を読む会に参加しています。

分析哲学の理解を深める意味でも、この科目は楽しみにしていました。持ち込み可。

 

福祉系科目

社会福祉と法('16)

これで看護の学位のための科目は終了です。福祉系科目と法についてはある程度興味があったので、関連科目の中でもマシなものをと思って探しました。

試験は持ち込み可っぽいのでまったり準備をします。

 

産業・社会系科目

教育社会学概論('19)・経営情報学入門('19)

いずれも新規科目です。特に何のためということもなく、興味本位でとります。

再試験:法学入門('18)・マーケティング論('17)

ノーコメント(頑張りましょうね...)

 

面接授業

心理学実験2

昨年度取ろうとしていたのですが、私事で忙しく都合が合わなかったのでやっと取り直しです...

 

所感:前年度までの状況と較べて

病棟看護師としてフルタイム・夜勤ありの仕事をしながら教養学部全科履修生を2年かけて卒業しました。家庭と自分の都合で年度末で離職し、今年度からはクリニック・パート勤務というなんとも気の抜けた(といってはいけませんが)環境になっております。

そのため、昨年度まで謳っていた「フルタイムワーカー・放送大編入チャレンジ」は終わってしまいました。

けれど、お陰で高校のときの記憶がほとんどないような微積もとれましたし、楽しみにしていた計算機系の知らない分野にも飛び込むことができています。自分の中では大学生活も含めて相当に満足いく結果となったといえますが、仕事が楽になった分「うまくやらなければ...」というプレッシャーも相当のものでした。

それから、後述しますが、大学院全科履修生の出願用紙を本日提出してまいりました。受かっても落ちても、その様子はまた記事にしたいと思っています。

 

来期以降の見通しについて

学位・資格関連

看護(学士)・来期で条件を満たす

前年度で科目を取りきれたらよかったのですが、試験時間かぶったり単位落としたりすったもんだあったお陰で長引いてしまいました。ようやく来期で科目を取り終えます。

学位授与機構から資料を取り寄せねばならないのですが、これで学修成果のレポートを提出すると学位審査に臨めることになります。院試・大学院生活を優先する予定なのでぼちぼちですが、放送大学で準備できる要件は満たすことになりそうです。

認定心理士・来期で条件を満たす

面接授業以外の必要科目は去年のこの時期までに取り終えていたのですが、面接授業のこり1つだけがなかなか受けられずここまできてしまいました。

あとは面接を受けて、提出書式の様式を埋めて提出するだけですかね...

 

放送大学エキスパート

社会数学(最短で来期)

めっちゃうれしいことに今期微分積分その他の科目が通ったので、来期の『入門線形代数('19)』が終われば申請可能です。

計算機科学の基礎(最短で来期)

こちらも来期がうまくいけばコンプリートです。『入門線形代数('19)』、『数値の処理と数値解析('14)』『データの分析と知識発見('16)』と科目が多いし数学ちょっとありますが、後ろ2科目は持ちこみできるしガチ数学ではないしなんとかなるやろと高を括っております(泣きを見るぞ)。

データサイエンス(最短で来々期)

『数値の処理と数値解析('14)』『データの分析と知識発見('16)』再試『マーケティング論('17)』がそれぞれ必修科目なので、来期がんばります。

これでもまだ試験スケジュール上『データベース('17)』を受けられていないので、来年度も科目履修生で在籍が必要ですね。

 

学部で取りたい残り科目

上記スケジュール以外で残っているものは『記号論理学('14)』ですね...。

社会福祉と法('17)』、『看護管理と医療安全('18)』などと試験日程がかぶってしまいずっと取れずにいますが、1年前くらいからとりたいと思っていました。プログラミングやるにあたってちょっと理解を深めたいというのと、単純にもともと唯一掛け値なしに好きな数学系(数学か?)科目なので。どうせ来年度も半年は在籍する予定なので、履修するつもりです。

あとは『情報・メディアと法('18)』とか『メディア論('18)』も悩みどころですが今回は外しました。

 

大学院進学について

通学の看護系大学院(CNSコースとか)にしようかと思ったりはしていたのですが、一人暮らしからがらっと環境も見通しも変わってしまいました。結局、放送大学での進学がいちばん適切であろうということになりました。

コースをまたぐ研究内容なのでちょっと悩みはあったのですが、指導教員を恃みとして生活健康科学に願書を出しています。

 

院試の英語対策について

試験内容は論述メインで、辞書の持ち込み可能ながら英文の長文読解があります。が、過去問をみるに、特に難解というほどでもないです。

というわけで今期は少しだけアカデミックな英文に慣れたい気持ちがあって、4月から6月にかけてはほとんど英語と微分積分だけをやっていました。というか英語でした。

テーマ別英単語 ACADEMIC [初級]

テーマ別英単語 ACADEMIC [初級]

 
テーマ別英単語 ACADEMIC [中級] 01人文・社会科学編

テーマ別英単語 ACADEMIC [中級] 01人文・社会科学編

 

使っていたのはこれです。なんとなくやろうかなと思って、シリーズ全5冊を数年前に購入しておったのです...レベルとしてはおそらく難関私立だの国公立二次試験レベルなんですが、高校生が読むには、英文そのものよりも「内容」が結構ハードだったかなあと思います(楽しいですが)。人文・社会科学のほうになると、ラッセルとフロイトの往復書簡やらマルクスの解説やら読まされます。

このシリーズのテーマにもありますが、幅広い分野の国際的な動向を知り教養を身に着けることを目指すものなので、これといって対策という対策でもないかもしれません。自分はとにかく、あらゆる苦手意識に対して「心のハードルを下げる」を第一義としているのでその一環ともいえます。ただ、本を読むのがよほど好きな人でないとこの教材が「心のハードルを下げる」ことにつながるとは思えません。もう既にある程度すらすら読める方なら、おまけ程度に読むのはいいかもしれません。リスニングCDもついています。

ちなみに私はこの教材と英単語アプリだけをやって、TOEICで惨敗しました。

院試には語学試験の結果は必要でないので本当に景気づけ程度ではあったんですけど...英語...

 

志望理由書・研究計画書・院試

ぶっちゃけ英語なんておまけのようなものなので、願書提出時に出すタイトル通りの「志望理由書・研究計画書」のほうが200倍くらい大事だと思います。この辺りは普通の大学院と一緒ですね。

研究室を選ぶように指導教員を選択することはできません(希望はできますが)。

なので、専任教員のうち自分がやりたい研究内容の範囲をカバーしていそうな方を指名するようなかたちになります。希望した教員に指導いただけるとも限りませんし、客員教員になることもあるようです。ちなみにネット検索すると、客員教員からほとんど研究を放置されてしまったような悲惨な結果も見ました(こわい)

 

詳細を書くほどでもないのですが、自分は自然言語処理に興味があるので看護分野に対して応用がききそうな内容分析をするつもりでおります。

筆記試験が10月(これは地方ごとに1つ会場あったかな)、それをクリアすれば11月に放送大本部で面接を受けることができます。

 

院試ガイダンス

行けるものは行っておこう、ということで6月中旬くらいに行ってまいりました。事前登録が必要ですが、なしでも行けたかも知れません(資料の数とか聞きたい内容が申し込めるくらい?)

残念ながら生活健康科学の専任教員の話は聞けませんでしたが、大まかな雰囲気はつかめます。

臨床心理学プログラムだけは完全に臨床心理士取得のためのコースなので、詳しい説明があります(倍率もめちゃくちゃ高いし、学修スケジュールも超ハードです...)それでも社会人卒業生がいるのは素直にすごいなあと思いました。

ガイダンスでいわれるのは、募集要項に書いてある内容+一般的なことばかりなので、必要なければ行かなくてもいいかなという印象ではありました。

「研究計画書だいじだよ!!」はここで言われたことですが。

 

研究生活に向けて

そういうわけで、これまでもやんわりと統計科目や社会調査・心理学研究等の科目をぼちぼちとってきたのですが、本格的にやりたいことに向けて動く必要がでてきました。

こういうことはフルタイムワーク・学部科目の履修と並行して進めるのはかなり厳しい印象があります。前職を辞することで心理的な負担は相当にありましたが、労働環境がめちゃくちゃよくなったので体調を気にすることなく好きなことに励めるのはまことにありがたいことです。

 

院生生活は正直送ってみないとわからない(そしてなにより合格しないといけない)ので、確定したことがあればまとめて記事にしようと思っています。

 

では、2019年度1学期試験お疲れさまでした。2学期もよろしくお願いします。

100冊読破 6周目(11-20)

1.そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学(ブレイディみかこ 松尾匡 北田暁大

イデオロギー的には右派のケインズ的な国家による公共への投資がひいては左派の経済のやり方じゃん?っていうのはよくわかるんですけどアベ憎し過ぎでしょっていう印象を持ちました。中盤までの言葉の解説は松尾氏が一番というかこの人しかまともな人おらんやんと思ってたのに結局その人も政治的正答を求めて現政権批判に落ちているので、議題と構成はいいのに中身が熟していない感じがあります。

あと対談形式は基本となる用語がわかっていないと読みにくいもんやと思うんですけど、「ニーズとサンクション」って言われた時にはホェ?となりました。それ並ぶような言葉じゃないと自分は思っているんですけどどういうことなんですかね…市民のニーズとサンクションって…(これは社会学の人のほう

 

2.実践の倫理(ピーター・シンガー

実践の倫理

実践の倫理

 

ヴィーガニズムについていくらかの断片的な知識を得て思うことですが、言うは易し行うは難しということもまたあるのです。というわけでよく参照されている本書を読みました。

論理的な解が正しければ倫理の実践が可能か、人口に膾炙することが可能か、などはやはり難しく、多少の歪みが加わるであろうと思います。誰もが平等に理解するというのは、非現実的であろうと。まあここでヴィーガニズムを例えに出しましたが、中身はなんでもよいのです。最近よく考えてみて、社会の様相との乖離をみて「難しいですなあ」と思ったことの一例というだけ。その考えが間違いだとは私は思いません(というか、言うことはできない)。

本書の中にでてくるいくつかの思考実験についてもいささか妥当性に疑問があります。思考実験が哲学の道具として妥当かどうかというのもそもそも最近取り上げられている話題ではあると思いますが、前提が杜撰だなという印象をもった点がいくつかありました(特に生命倫理と効用の定義)。いわゆる'Plants tho'として彼らが反論しているものではなく、彼らが「何を」「どのように」守るべきで、そのために「誰を」「どのように」批判するのかという点においてです。極端な例で、映画「サファリ」のように現地人と金持ちの遊興を対比させて書くことはできるでしょうが、それですら貧困に喘ぐ現地人が調査された地域において管理可能な範囲において彼らの稼得のために行っていることであり、一絡げに解決できるようなことでもないし、そのための方向転換をして間接的な犠牲と費用はどれほど発生するのだろうかと思うのです。この辺りはもう少し、倫理ではなく国際間の厚生経済学を勉強する必要があるかなと思いました(効率の観点からではなく倫理の尊重の観点のために)。

 

動物倫理は配慮の平等なので、人間の苦痛に対して人間が最大限に配慮しているのと同等に苦痛を感じる能力のある動物にも(その苦痛をもたせないような)配慮をせよというのがあったと思うんですが、それ自体が(つまり意識の介在という階層化に対する)種差別ではないのか?という考えに至ってしまう。さきほどの'Plants tho'の方向へ、つまりより低次(または意識とは呼ぶことのできない)神経回路をもつほうへ注意を傾けるわけではなく、人間に向けてです。人間の社会における権利はさらに複雑で、動物の権利は苦痛を免れる権利だけでなく「(人間の)社会で」生きるにあたり不遇を受けない権利とは別の権利だと思っている。動物がありとあらゆる権利をもたないとはあまり思っていない。福祉はもちろん必要だと思っています。余計な苦痛を与えない(つまり動物福祉)、無益な再生産を行わない(苦痛を産生しながら環境と動物の生命を浪費的に扱わない)という環境への配慮は、こと先進国にあたって課題だとは思っています。が、発展途上国における狩猟は認容されている。これはこれで不思議なことです。先進国の要請により途上国がこれを目指しているのは確かですが、「魚の釣り方を教える」というのが開発経済学における途上国支援の基礎です。自国の産業構造をある程度自立して行えない地域において、他国への依存を比較的少なくすることは容易ではないように思われます。人間と動物における権利の階層性は否定しながら、人間と人間の権利の階層性は否定しないことは(シンガーの倫理を考慮すると)できません。途上国においては必要悪は認められるようです。無論先進国の浪費と環境汚染、途上国の経済や環境への影響は多大なる不利益であり、そこには責任が生ずるし途上国の人々を非難する理由にはなりませんが。

本書に書かれているわけではありませんが、菜食に基づいた農業による経済効果は動物食に比べて運転費用が少ないため、先進国においては経済効果が非常に大きいという試算もあります。が、その点についても途上国においてはその効果が微々たるものである由を説明する結果もあるようです(さらにその著書自体がピア・レビューに基づくものではないので批判の的になっている)。そしてそれらを正確に予測することは難しく、副次的作用まで含めるとさらに測定は困難になるでしょう。これらの(むしろ環境倫理に対する)漸進的な態度というのは批判されるべきなのでしょうか。私が動物の倫理の議題そのものに全面的に了解できていない(その問題だけを当該の課題とすることができない)ことにも問題はありそうです。そして他の倫理をもって動物倫理の代替とすることは、たぶんしてはならないと思われます(問題のすり替え)。

もうちょっと色々勉強すべきなのでしょう。保留事項がたくさんあります。

 

3.厚生経済学と経済政策論の対話: 福祉と権利、競争と規制、制度の設計と選択(鈴村興太郎)

この本のほんのわずかでも理解できたか怪しいです...。

このような感想から始まるのは憚られるのですが、ある種、著者の業績(というより仕事)を辿るような本でもありました。勿論教科書レベルよりずっと専門的で浩瀚な知識を要する(少なくとも厚生経済学の原理と変遷は知っておかないと議題についていけない感じだった)叙述ですが、対談を挟むこともあり著者の誠実な人柄と秘めたる熱情、静かで強い好奇心が伺える文章です。正直小説を読んでいてもこのような単語や表現はあまり出てこないのではないかという場面がいくつかありました。

そんな背景はさておき、本はポール・サミュエルソン教授との対話から始まります。厚生経済学の歴史、その提示内容、功利主義の目指すところを確認します。この辺りはかろうじて授業やら他の本でも触れたことがあります。第Ⅱ部は「競争と規制」という名前を戴いていますが、原理の説明のみならず昭和以降、日本が選択した経済政策に対してミクロの経済がどのように反応したか、という点を中心に検討します。もちろん政策の背景には国際経済の反映があります。鈴村氏によると、経済理論に関する文献は多々あれど「実際の経済現象を説明する文献はそう多くない」とのことでした。

それから、全編を通してケネス・アローの社会選択理論の対比も行われます。功利主義的な価値観を脱却すべく(それを目的としてではありませんが)構築された理論に対して、その成立の不可能性を指摘しています。ピグー・ヒックス以降の厚生経済の困難であるように思われました(しかしピグー、ヒックスの理論が現在も妥当性あるものであるいくつかの提示もあります)。厚生経済における「競争の必要性」と、「競争とはなにか」の論議を経て、9節冒頭にもある「血の通った厚生経済学を求めて」に至り、合理性と自由な選択の両立(というより双方を保障する)を図る理論について検討します。このあたりの数式はかろうじてベイズの定理が読める程度であとは全然無理でした。

それから第Ⅲ部途中、氏自身が科研費の選考者であり、またその世話にもなっていたとの由がありました(アカデミアに身を置くならばそれはそうですね)。これは希望であるが、と述べたうえで、特に時間のかかる文系学問には短期間での成果を求めるのではなく長期的視点で資金を投入する必要があるだろう、とのことでした。さもありなん。

分厚いしとっつきにくいと思うし分野外の人間が読んでもなんもわからんと思うんですけど、対談の形式がとられている(もちろん対談でない部分で註と追加はあります)ことでキーポイントの説明や時系列の変化を何度も辿りますから、教科書とはまた違う形式で耳目を(目だけやん)惹きます。現代経済学の講義以来経済の話から(特に理論からは)かなり足が遠のいていたと思います。これを機にちょっと戻りたい....

 

4.中東世界の音楽文化 ~うまれかわる伝統(西尾哲夫 他)

中東世界の音楽文化 〜うまれかわる伝統

中東世界の音楽文化 〜うまれかわる伝統

  • 作者: 西尾哲夫,水野信男,飯野りさ,小田淳一,斎藤完,酒井絵美,谷正人,椿原敦子,樋口美治,堀内正樹,松田嘉子
  • 出版社/メーカー: スタイルノー
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

この本を購入してから多分まる3年くらい経つのだけど、なんとなくジャケ買いしたにもかかわらず、当時の興味は今の自分の興味をちゃんと反映しているなと思えて嬉しくなりました。音楽の話をするのに本を読むなんて変わっているな、と友人に言われたのを思い出します。

音楽「文化」と書くだけあって、民族の歴史のみならず土地の歴史も宗教の影響もそれぞれ書かれいます。音楽に対しては特に、教義そのものが是としていないこともあり歌い手も器楽奏者も土地を離れざるをえなかったり、作曲の様式を外から取り入れているときもあったとの由。これを書いている方々(章ごとにそれぞれの研究者が書いておられます)は中東の音楽や民族文化に関する調査をしていて、「アラブ」と一括りにせずにトルコ/シリア正教/イスラム文化とそれぞれに違いがあることを主張していました。たしかに知らなかったし、区別がついていませんでした。

本以外の情報を挟みますと、2年くらい前に『歌声に乗った小年』という映画を観ました。パレスチナガザ地区から『アラブ・アイドル』という歌番組(いわゆる素人一攫千金系の)に出る、という話。映画はそれ自体でとても重みのあるいい映画だったけど、この中にコーランを朗唱するシーンがあります。浅学にしてコーランの朗唱を聴いたことがなかったのだけど、その教義に反して非常に音楽性の高いものです。教義で禁じられているのは享楽的なものだけだとはいえ、時期によってはイランでは音楽全般が禁じられたと。本書の中でも、朗唱と音楽の身体性について述べられている部分があります。


محمد عساف - على الكوفية | Arab Idol

 

また、面白かったのは、西洋音楽との融合の過程です。西洋の音階や楽器はなかなか受け入れられなかったものの、ヴァイオリンは比較的早期に受け入れられたとのこと。中東の文化圏には、微分音が存在します。この微妙さを表現できるのは、弾き方によっては区切られた音階の存在しないヴァイオリン属でした。開放弦の調弦を下からG-D-G-H(やったかな)とし、弛ませることで穏やかな音色にしていたと。弓の毛も全部は使わず、指板寄りを弾くそうです。自分も末席を汚しながら弦楽器をたしなむ身なので、この話は非常に面白く読みました。

西洋のブームを反映したポップスやロックに親しむ若者もいるようですが、それはそれで海外との競争力において欠ける点があるために難しい面もあるとのこと。

ちなみに、『アラブ・アイドル』で優勝したムハンマド・アッサーフ氏はその後国連パレスチナ難民救済事業機関青年大使としても活動しながら音楽活動をしているようです。ポップスながら、音階も楽器も西洋とは異なるので純粋に面白いです。


#محمد_عساف - يا حلالي يا مالي | Mohammed Assaf - Ya Halali Ya Mali

 

 5.アメリカの高校生が読んでいる資産運用の教科書(山岡道男 浅野忠克)

アメリカの高校生が読んでいる資産運用の教科書

アメリカの高校生が読んでいる資産運用の教科書

 

これも3年前の月1万円本購入キャンペーン(自分の)のときに買ったものですね。あまり意味を見出せなくて放置していましたが、家庭をもったらそれなりに面白いかと思ってやっと読みました。複式簿記が読めると家計簿が読める...

サブプライムローンのシステムとか、その崩壊とか詳しく書かれているので結構面白いです。が、『資産運用の教科書』としてどうかはちょっとよくわかりませんね...読み物としては悪くないです、お金に興味を持ち始めたらという程度。

 

6.神話・寓意・徴候(カルロ・ギンズブルグ)

神話・寓意・徴候

神話・寓意・徴候

 

ずいぶん前に人からいただいた本。カルロ・ギンズブルグの本は『チーズとうじ虫』を以前読んだのですが、あちらが物語形式で書かれているのに対して、こちらは評論形式です。しかしある意味目指すところは同じだなと思いました。序文にも書いてあるけども、"合理主義と非合理主義の溝"を埋めるべくして書かれた本だそうな。

自分はこういう形式に慣れていないし、科学認識論といっても既にあるべき土台を科学によって提供されてしまっています。歴史を繙くにあたり、7つの題材を用いて宗教上のイコン・美術の解釈・精神分析・歴史の中の政治…等々持ち出しそれぞれの道理と科学を突き合わせていく構成です。あと余談なんですがデカルトはやっぱり神学の影響を無視できなかったらしいです。あの往復書簡どうも臭いなみたいなことをかつてやっていた読書会で言っていたような気がするのですが、無神論者の謗りを免れるために省察の内容にちらほら神が説明なしで使われるんですよね…魔女と悪魔の契約の話とかから入るのでちょっと面食らいますが、当時の医学・人類学まわりの構造主義であったり実証性を求めるようになる道筋で非科学が説明されるの自体は楽しいです。

自分はところどころしかついて行けなかったと思います...

 

 7.薬価の経済学(小黒和正 菅原琢磨他)

薬価の経済学

薬価の経済学

 

家にあったので読みました。

お堅いばかりの本かと最初は勘ぐっていましたが、思ったよりずっと面白かったです。最初からコラムの話をするのも気が引けますが、ところどころに挟まれるコラムで話の全貌もわかりやすくなります。このコラムニストは元証券会社のアナリストらしく、なるほど行政批判も製薬・卸業も俯瞰できるわけです。報道も大手から専門誌まで均しく較べることができて臨床からも遠い、実にバランスのとれた観察者だと思いました。

製薬会社が定めた薬価が卸業者を通して医療機関へ売却される過程の価格の鬩ぎあいとかまったく知らない話でしたし、医療費にかかわる政策全般の詳説も最初の方でなされるので門外漢でもある程度ついていけると思います。

後発医薬品とか高額医薬品と高額医療費制度あたりはまあ大体知ってる話なんですけど、投与継続期間でいうと抗リウマチ薬が総額(患者数×投与期間×投与頻度×薬価)でいえば結構な上位にランクインすることがわかりました。自分は免疫内科勤務でしたので、生物製剤を打つスパンとその種類の豊富さ、適応の幅広さには正直びっくりすることが多かったです。まあ高いよな…わかる…バイオシミラーの話も出てきていましたね。

後発医薬品については、薬剤師による薬局での変更が処方箋からのオプトアウトによってなされていたものがオプトイン方式になって促進されたっていうの、好きです(ハードウェアの変更で意思決定を誘導するやつ)。創薬に関してはインセンティブが何%になれば有効にはたらくかみたいな試算もちゃんとされていることを知れました。いや面白いというか当たり前なんですけど、本当に新しく知る話ばっかりなので「よくできているなあ」という印象があります。

 

それから、業界の独占性・閉鎖性に関しても説明の章があります。医療系ベンチャーの話にについては、客観的に構造を一部しか見ていないのにそれでも渋いなあと感じることがままあります。産業構造に依存していそうというのと、広くは社会保険だの経済・福祉政策の構造に依存していそうという感じがあり、実際にそのようでした。

医療福祉のIT化はともかくとして地域社会の構造変換とかは正直(展望なので)あまり現実的ではなかったんですが、総合して勉強になる本でした。

 

8.命の価値: 規制国家に人間味を(キャス・サンスティーン)

命の価値: 規制国家に人間味を

命の価値: 規制国家に人間味を

 

序盤の情報規制問題局における意思決定のくだり、サスペンスっぽくて面白かった(といってはいかんが)です。

費用便益分析の話がメインなのですが、ちょうどこの本の前に読んだ『薬価の経済学』(というか医療の経済学全般)が費用便益分析を用いているので、その詳細といったふうに読むことができました。

費用便益分析という金の話を持ち出すと一様に人は嫌がるというのは日本でもそうでなくてもあるようで、こうした考えが強い反対に遭うことはままあるようです。が、費用便益分析の中には定量化しづらいもの(例えば人の幸福は個人によって差があるとか)なので、広義では功利主義とも少し異なる立場といえましょう(即、人間に量的に適応するものではないという意味において)。

 

9.10.数学ガールの秘密ノート 微分を追いかけて / 積分を見つめて(結城浩

ベクトルと数列が未読なんですが、放送大学科目『入門微分積分』の教科書が自分にはあまりに難しかったので入門編(放送大のは入門って書いているが『大学数学』としての入門)として購入しました。が、これの問題が解けるようになっても放送大の教科にはまるで歯が立たないです...いちばん嬉しかったのは、積分のほうの最後に級数が出てくるおかげで教科書のわからなさがだいぶほぐれたことでしょうか。

文系用の数学という感じで心のハードルをとっても下げてくれますが、受験数学が最低限出来る人にはまったく必要ないと思います。

 

 

続きを読む

食い逃げ

じっとテーブルを見ていた。

アイスコーヒーの中の氷が、まだ僅かな茶色に浸かっている。

 

視界の端には伝票がある。

書かれているのは620円と540円。これはマンデリンとカフェ・モカの対価で、僕たちがここにいた時間は30分と少し。

それから540円分の小銭と、汗をかいた空のグラス。こっちは彼女がここを去った痕跡。

ビンタされなかっただけ、よしとしよう。

 

ここはさる施設の併設カフェで、古き良き昭和の香りを漂わせる軽食とデザートのメニューを張り出している。各階、事務所への配達も請け負っているようだ。入り口は施設内部と大通りに開かれており、経営としては悪くなさそうな人の入りだ。

程よい喧騒の中で、さきほどの会話を思い出す。憂鬱がじわじわと背中を這っている。仕方なかったのだ。そう言い聞かせるしかなかった。

 

しばらく腕組みをしてどこへともなく視線を彷徨わせていると、コーヒーに速やかに反応した僕の膀胱がトイレに行ってくれないかと請う。逆らう理由もないので、当然手洗いを探した。

どうやら店の外、施設の共用部分に行かなければならないようだ。

 

用を済ませて、内側の入り口から入りなおす。僕の席は入り口にいちばん近くて、とても薄暗かった。気分にぴったりだ。やり直せない時間に対する恋慕が黒々と心の中に居場所をつくる。僕には帰る場所さえなくなったのに。

 

3年半いっしょに住んだ家を、きょう、抜け出した。

荷物はもう運んであって、あとはもう僕の体と心が部屋を出るだけ。荷物の帰る場所はある。

僕が今から帰りたい場所がないだけだ。

 

 

 

かといっていつまでもここにいるわけにもいかない。席を立って、携帯を尻ポケットに突っ込んだ。次、座るときに忘れず取り出さないと、この前みたいに粉砕してしまう。

 

どこにも行きたいところはないのに、新緑と鋭い日差しの中にずるずると這い出た。

 

涙も出なかった。

 

誰も悪くないのに、僕は居場所を失い、彼女は信じた未来を失った。彼女はちょっとだけ泣いた。ここに来るまでにたくさん泣いていて、涸れてしまったのかもしれない。それでも涙は渾々と瞳の表面を潤していた。長い睫毛に雫を作るのが、きれいだなと思った。

 

 

駅に向かって歩いて、はたと気付く。

僕は会計を済ませるのを忘れてしまったかもしれない。

慌てて戻ろうとしたが、そもそも僕が店を出るのに誰も声をかけなかった。不思議だ。出口があちこちにあるから、見逃してしまったのかもしれない。

 

緑の覆いを作られた頭上で、羽化するタイミングを間違えた蝉が、一匹だけ鳴いていた。

今鳴いても誰にも出会えないのに。

 

 

暫く立ち止まって蝉の声を聴いていたが、ひとりの客も、店員も出てこなかった。

ただ噴水だけがしゃばしゃばと音を立てて活動していて、他は時が止まったかのような静けさである。

 

彼女といたら、会計なんて忘れることはなかったのにな。

 

少しだけ自棄になって、駅とは反対側に歩き出した。

偶然とはいえ、これは食い逃げだ。もし見咎められて怒られたら、完全に忘れていたといって謝ろう。実際にそうなのだから。

 

 

 

僕が食い逃げしたのは、コーヒーと、彼女の時間と、あと2人分のこころだ。そのとき、やっと涙が出た。新しく帰る場所なんていらないから、居心地が悪くていいから、僕のものがなにひとつないあの部屋に帰りたい。

 

蝉が鳴き続けていて、できるだけ長く生きていてくれますようにと願う。踵を返して、駅に向かった。