毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 3周目(91-100)

1.ひとはなぜ服を着るのか(鷲田清一

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

 

相変わらず好きで一気に読みきりました。こういう本をこの人は何冊も書いているのだが、これいちばん読みやすいのではないだろうか。わからん、私が他に本を読み過ぎてしまったせいかもしれませんが。

ひとが皮膚と外界のあわいにもつものが、衣類。衣類は皮膚の延長であり、また自我や感覚の延長でもある。本書の中ではロラン・バルトによくよく触れられており、自我への探求というよりは(それももちろんあるけど)ソーシャルなものとしての人間を読み解く。それは自分が出会った中では、ジャック・デリダの『差延』の概念を、またジャン=リュック・ナンシーの人工物と生命の関係を思わせるものでもありました。そういえばじぶんはICUという場に生まれて初めて立ち入った時、ひとがかくも機械に囲まれながらも『生きている』ことにとても驚いたのでした。ああいう、「延長」の概念を衣類というものはよく表しているようにおもいます。

 

2.からだの意識(サイモン・フィッシャー)

からだの意識

からだの意識

 

ボディイメージに関する試論。哲学というよりは、心理学に近い印象であるけど、しかし本が古いのもあってまあこの本でなくてもよいのでは、という感ある。

本屋でファッションとかボディイメージの哲学を集めたところにありました。

 

3.みっともない人体(バーナード・ルドフスキー) 

みっともない人体

みっともない人体

 

ボディイメージをかたどった先ほどの『からだの意識』とうってかわって、こちらは衣類-行動までを広く網羅している。こっちのが好きとかそういう問題ではないが、こちらの方が参考にはなるのではないだろうか。(わたしにとって。

衣類の社会学、身体の社会学という感じですね。

 

4.省察 情念論(ルネ・デカルト

省察・情念論 (中公クラシックス)

省察・情念論 (中公クラシックス)

 

省察の読書会に参加することになり、慌てて電子書籍を購入しました。

情念論に関しては生理的な部分が現在で言うところの自律神経系と密接に関係しているのが面白かったです 驚愕が悪であるとするのもおそらくここからくると思う。発達心理学とかで子どもの最初の感情分化は『興奮』から『不快』、わずかに遅れて『快』となるのを思い出した。驚愕を『緊張』と読み替えると、過緊張はそらよくはないわなという結論になったのですがまあうまく読めているかどうかは…。あと松果腺というのは現在でいうところの松果体とはまったく別物なんですが、近くにある上丘が視覚の伝導路であるのと一部説明は一致していたのが面白かったです。ガレノスのいう黄胆汁とか黒胆汁の概念はいまいちまだよくわかっていないのですが、情念で扱うところの、とくにこう瞋恚にも似た『はらわたの煮え繰り返る感じ』とかはまあ確かにお腹の感覚として捉えていてもおかしくはないのかなと思います

77 最も驚きやすい者は、最も愚かな者でも最も賢い者でもない
なおまた、生まれつき驚きに向かう性質をまったくもたぬ者は、鈍く愚かな者よりほかにないが、だからといって、最も知力に富んだ者が、必ずしも最も驚きやすい者だとはいえない。最も驚きやすい者は、主として、相当な良識をそなえながらも、自分の精神能力に十分な自信をもたない人々なのである。

 

48 私が、意志それみずからの武器とよぶものは、意志がそれに従ってみずからの生の行動を決心しているところの、善と悪との認識についての、しっかりした決然たる判断、である。ールネ・デカルト『情念論』より

 

5.ことばの認知プロセスー教養としての認知言語学入門(安原和也)

ことばの認知プロセスー教養としての認知言語学入門ー

ことばの認知プロセスー教養としての認知言語学入門ー

 

物語から戻ってくるにあたりリハビリがしたかったのですが、薄い本でありながらたいへんに充実した問いをもたらしてくれました なぜ哲学の本が読みづらいのかもよくわかります。文法規則が『理解できる』ことと文脈を『理解できる』ことはまったくの別もんです。

 

6.フィールドワーク―書を持って街へ出よう(佐藤郁哉

フィールドワーク―書を持って街へ出よう (ワードマップ)

フィールドワーク―書を持って街へ出よう (ワードマップ)

 

来期に心理学研究法とか心理実験をやるのでなんというか実際的な調査に関する本を読んでみたくて読みました。本書は社会学における質的調査に関する入門書のような本なのですが、教科書的な側面もあれば読み物として楽しめる部分もあります。まあでも社会学に興味のある人が読む本、か。

サブタイトルである「書を持って〜」が効いてくる文章でした 自分はどうしても場所柄というか思考の技法上調査屋さんになりがちなのだけど仕事で携わるのは介入観察であるのだし、なんというか両輪回す必要があるのだなあと身につまされる思いです(いつも身につまされている

 

7.教えてデュベ先生、社会学はいったい何の役に立つのですか?(フランソワ・デュベ)

教えてデュベ先生、社会学はいったい何の役に立つのですか?

教えてデュベ先生、社会学はいったい何の役に立つのですか?

 

社会学者による社会学の系譜、内省、展望を易しく解説した本。なによりよいのは、決してこの本が皮肉ではなく、社会批判でもなく、社会の曲解や厭世主義や冷笑主義に傾いていないことにある。「役に立つ」ことにとかく我々は敏感である。言葉それ自身がアイロニカルに使われているのはともかく、文学にしろ哲学にしろ、この澪標のない現代社会にとってはむしろより重要な縁になってもよいような気がするもんだけど。

以下、社会学を学ぼうとしている学生に向けたことばからの引用ですが、どの学生にもいえることだと思います。学生でないひとにも。

学生たちはいろいろな教育コースに出入りできるべきだと思うし、あまり時間をかけすぎる前に方向転換したり、大学を移って、よそを見にいったりするようなことが可能であるべきなのだ。

…おそらくより合理的なのは、本当の意味での奨学金を与え、学生たちが移動して空気を変えるように、うながすことなのだろう。なぜなら、若いときというのは人生の不安定な時期であって、自らの努力によって、また他者からの影響によって、自己形成がなされる時期だからである。だから、最もめぐまれた者、最も忍耐力のある者、最も強い者しか生き残れないような障害走のコースをつくり出すよりは、若者たちがこの段階を乗り越えるのを手助けしたほうがよほどよいのだ。

…知的好奇心は学問をする上での主要な原動力だ。ただ、そうした人々には是非、他の専門分野についても学んだり、「職」を探してみたり、旅をしたりといったことも、やってみてほしい。

…でも、無為な時間を過ごしてはいけない。…他に、社会学とはいっさい関わらなくなだていく諸君もあるだろうけれど、その場合でも、みずからの学びが、その人をつくり、変化させていくことには変わりがない。こうした理由によってもまた、社会学というのは役に立つものなのである。

 

8.現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ(田口茂)

現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ (筑摩選書)

現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ (筑摩選書)

 

 デカルト読書会第一夜を終えたあとでこれを読むと味わい深い。自明なもの、いや自明ですらなくなったものを問い直す「省察」について語彙がその文脈において意味するものを丹念に追う作業をしていると、この自明なものをつき崩すことだなと思う

フッサール苦手であまり読んでこなかったのですが、フッサールの概念をイデーン現象学の理念を紐解きながら著者の解釈を加えたもの。まあこれがフッサール本かというとまったくそうではないと思います ダニエル・デネットの「思考の技法」をちょっと思い出しました。

デカルトの名前は一切出てこないにもかかわらずデカルトみを感じさせたので改めてフッサールを調べるとデカルトの影響は受けており、フッサールもっと気軽に読んでもいいのかなという気がしました(小並感

 

9.触れることのモダニティ ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミンメルロ=ポンティ(高村峰生)

うーん。デリダの「触覚、」とかディディエ・アンジュー「皮膚-自我」を超えるものは得られなかった… メルロ=ポンティの「知覚の現象学」「見えるものと見えざるもの」の対比はよかったんだが(というかそれ以外の人物について知らないのでお察し)。現代のメディアや工業の変容で知覚もまた変容しているというのはよかったのと、あとは視覚優先主義からそれ以外への変遷という見方で哲学の潮流をみる、というのは面白いといえば面白かったか。

 

10.官僚の世界史 ─腐敗の構造(塩原俊彦)

官僚の世界史 ─腐敗の構造

官僚の世界史 ─腐敗の構造

 

珍しく人からお借りした本です。「腐敗の構造」と書かれているように、体制側の権力の崩壊と経済構造の崩壊について書かれた本。歴史を紐解いていくので、世界史の知識があるとより楽しいです。宗教ベースで文化の違い(なにに権力を認め、何を悪とするか?)という提示がよかったです。

結論が今でいうところの「世界市民(コスモポリタニズム)」、「分人民主主義」「伝播式貨幣通貨」的な概念に結び付くので、結論に関しては読みたい人は読んでくれという感じです。私はもちろんこれが好きなのですが、しかしこの本の展開でそれに結び付けてしまっていいか?というモヤモヤした気持ちも残りました。