毒素感傷文

大学生活とか、読書の感想とかその他とか

向いていない(と思う)仕事をすること -ある看護師の一例

壮大な自己満足にお付き合いいただきたい。

 

私は看護師である。

先日、4年間務めた病院を退職した。体力的な限界も精神的な限界も、仕事の楽しさも苦しさも感じながら。家庭の事情があり、遠からず今の職場を辞する時期がくることは明白だったので、あとは自分の決断がいつになるかというだけのことだった。遠からずというのはたった1年ほどのことで、無理を重ねたとて、キャリアにも自身の健康にもその無理に見合うほどペイしないように思われた。したがって、健康と生活の安定を優先した。

 

4年間それなりに楽しく勤めたものの、やはり「あの環境」の「あの業務」は自分には必ずしも適していなかったと思う。

ではなにが激務を耐えさせたのか、そこで得たものはなんだったのか、何を展望として職場を去ることができるのか。

できたら、この仕事について「自分には向いていない」思う、入職間もない方々に。そして、葛藤を抱えつつこの職を目指そうとしている方に向けてお伝えしたい。そして、これから「向いていない」かもしれないことを生業にしようとしている人の力になれたら、これに勝る幸いはない。

 

 

 

 

私について

前もって、私自身の説明をさせていただきたい。

 

私は高校在学時、抑うつを呈する気分障害に陥った。そのため高校卒業後もすぐには進学せず、2年の間療養をしており、その2年目の最後に専門学校を受験した。

入学してからも上記の精神疾患をひきずっていたので、(看護学生の皆さまご存知の)過酷な実習に耐えられなくなったことがあり、自ら望んで1年の留年をして休養期間を設けている。このため、勤務開始時には24歳だった。

 

働きだしてからもほぼ常時の服薬と通院を要したが、勤務自体は(3年目に少し体調不良を自覚したのもあって2週間ほどの病休を取得した以外は)続けることができた。

 

そのほか、勤務外の個人的な興味として、臨床3年目に放送大学(心理・教育コース)の3年次に編入学し、卒業している。

 

なぜ看護師を職として選んだか 

端的にいうとやりたいことがなく、金もなく、リスクを負っていたからだ。

 

やりたいことは「なかった」のではなく、正確には「それを職につなげるまでの道のりがあまりにも遠く、間接的で、今の自分から手の届くものに思えなかった」ということだ。自分が生まれた時期はすでにバブル崩壊後で、中高生を育った時期はリーマンショックのあおりを受けて全国的に不況であった。就職後の労働環境もよくないことは大体知っていたし、日銭を稼ぐためにやりたいかどうかわからない仕事を星の数ほどある(実際にはそこまで多くない)学部学科や、企業の中から選ぶということができなかった。偏差値で行きたい学校を決めるよりも先に、その次にある就職活動というものがどうしても脳裏をよぎった。*1

 

そして結局は高校在学中に精神疾患を発症したため、就職は余計に難しくなった。

まして就学資金も余裕がなく(一家の大黒柱は定年退職したうえ病気で再雇用も困難になった)、自分への健康に不安をかかえた状態で勉学に刻苦して1年や2年浪人するなども考えにくかった。なぜならその先に、上記のような不安と不確定要素に対する忌避があったからだ。*2

 

なぜこの仕事に向いていないと判断したか

  1. そもそもすでにうつを経験している
  2. 組織行動が苦手
  3. 興味・志向が周囲の看護学生・看護師とたいていは大きく異なる
  4. 感情表出が得意ではない
  5. 一緒に働く人の意図が読めない

1.すでにうつを経験している

「看護師(または看護学生)」「うつ(あるいは抑うつ)」などで検索をかけると、一般の記事(つまり、いち看護学生の怨嗟の声)や学術記事(査読の有無にかかわらず看護学生の無力感に対する危機感がみてとれる検索結果が出てくる)が大量にヒットする。つまり就学そのものにも、医療や看護の独特の価値観にコミットできない人間が大量に出てくるリスクはある。

医療・臨床心理・介護福祉に関わる職種の中にも、(ほかの業種と同様に)メンタル系疾患を抱えた人が一定数いる。中には、自らの経験をもとにして医療やケアに携わりたいと志した人も、そのほかの要因(不況で賃金の確証のある仕事が少ないなど)を抱える人もいると思う。

でも、結果的には、医療従事者や医療機関にも精神疾患患者への根強いスティグマがあり、就職への途は厳しい。就学の途上も、上記のような理由で実習などに体力的・精神的な困難を抱える可能性はあったし、その後の就業においても不安はあった。

 

2.組織行動が苦手

これは書くまでもないと思うが、看護師はチームプレーを要求される。昨今、病院の理念としても看護教育の理念としても、また地域医療全体の理念としても、他職種との協働が叫ばれる。それ以上に、病棟という単位で病床の患者の維持・管理を行うにあたり看護師同士のコミュニケーションが前提となる。

対して自分は、小学校低学年のころから「集団行動が苦手なようです」と通信欄に書かれるほど組織での行動が苦手だった。

女性に生まれた以上、思春期がくると学校社会特有の感情的ななれ合いのようなものがあり、自分のように「目的志向の組織」にしか所属できない人間には、「その場にいるから仲良くする」という場の調停者的役割を担うことができなかった。*3

 

3.興味・志向について周囲の看護学生・看護師と差異がある

高校生以前から、文学・歴史・哲学・芸術(音楽・デザイン)に興味があった。

看護学生のころには各種看護理論の本は最低でも1冊くらいは通読していたが、1クラス40人の看護学校でそういう理論的な部分に興味をもつ人はほとんどいなかった。

 

その興味は抑うつを経て多少変化があったものの、むしろより広域になり、より深化した。特に、在職2年目からは「100冊読破」という計画をひとりで立ててひとりでやり始め、他分野の初学者向けの学術書や一般向けにそれを紐解いたものを読み始めた。

その類は、おおむね哲学(倫理も含むが分析哲学現象学等の細分化した分野も含まれる)・社会学(おもに都市社会学と教育社会学に興味をもった)・認知科学(とっつきやすく、門戸も広かったので認知心理を中心に)・心理学(統計に馴染みをもつためにやった)・経営(上記のように組織行動が苦手だったので、かえって人的資源のマネジメントに興味をもった)を中心としてその関連文献を読み漁った。*4

 

病棟勤務をはじめてからも、こういう興味の持ち方をしてそれを楽しむ人はあまりいなかったように思う。だから、休憩室で取り交わされる会話についても(テレビ番組、芸能人、他愛のないニュース)まったくついていけなかった。*5

 

4.感情表出が不得意

感情のコントロールに不安があったので、就職してすぐに近所のカウンセリングルームに駆け込んだ。ちなみに、それまでは精神科のフォローアップのみで、カウンセリングを受けたことはない(保険がきかず比較的高額であり、実家に経済的に依存した状態では遠慮があったため)。

そこで受けたMMPI(Minnesota Multiphasic Personality Inventory; ミネソタ多面人格目録)で臨床心理士の方から受けた解釈には見出しの件が含まれていた。

抑圧した感情をうまくガス抜きできない(そしてこれが性格的なものであり、大きな変更はおそらく難しい)ということは、これからも高いストレスに晒されたときには抑うつを悪化させるリスクがあるということだと理解した。*6

 

5.一緒に働く人の意図が読めない

どうにも自分には言語とか感情の解釈に少し人と違いがあるようだということを、就職してからより強く意識するようになった。どの程度他の人とずれがあるのかということについては客観的な尺度を用いていないのでなんともいえないが、指示された事物や求められる答えの方向性を具体的に導き出せないことがよくあった。

もっとも、これは「看護学生・新人看護師あるある」の話でもあると思うので、私だけが非常に強い不適合を示す理由にはならないと思う。

 

不適合をカバーするために行ったこと、自然とカバーできるようになったこと

毎年、年度末になるとその年の所感を書いている。委細は下記記事に記載されているが、重要な箇所はさして多くないので、一部引用という形をとりたい。

なお、2年目と3年目の記事には前年の記事を入れ子構造にして記載してあるので、元記事を読んでくださる方は迷路に入ってしまわないようご留意いただきたい。

 

1年目。組織で働くということ

社会人生活記 -いちねんめ編 - 毒素感傷文

過密で不規則なスケジュールや人間同士の煩雑なコミュニケーションについていけずにドロップアウトする人が後を絶たない。それをドロップアウト、と呼ぶかどうかは別の話だ。臨床にいることだけが全てではないし、今の臨床にそぐわなかったら専門職失格かといえばまったくそうでもない。

 

 

おしごとこわい - 毒素感傷文

自分がぺーぺーの新人であることに自覚的である必要に迫られます。今の自分にどれくらいの能力があってどこからは人の手を借りなければならないか、なんていう話を経時的にしていかなければならないわけで。

 

そんな中で、ごく自然になされているのが実は『スタッフ間の能力調整』だと思います。みんなはっきり言わないので実にわかりにくいです。私みたいな言葉にしないと理解しえない人間に雰囲気で理解させるのほんとやめて欲しい。

つまりスタッフのパーソナリティを理解してその仕事の密度・精度をある程度お互い共有しておかなければならないようです。得意・不得意をなんとなく理解していないと、本人のもてる最大の能力は発揮できないでしょうから。

別に私の職に限った話ではなくどの組織でもそうだと思うのですが、あまりはっきり明示されている例を見ません。そういうことは『当たり前』の『常識』として扱われるのでしょうか。だとしたらとんだ常識ですね。

これが1年目の記事で、今回自分が述べた内容に最も適した部分の抜粋である。

年度の途中には看護の組織論や臨床における自己の育て方についても考えていたらしい。この頃に、フランスの哲学者モーリスメルロ=ポンティ著「知覚の現象学」や奥川幸子「身体知と言語」を読み、認知全般に関わる哲学や科学等の一般人向け学術書を読み始めた(本のチョイスがまだうまくなかったので、この頃は哲学でよく挫折した)。

常に悩んだり行き詰ったりしていますし常にそういった類の本を1冊は読み止しにしています。

本来この職種の定型的な新人は『いま、まさに』必要とされる知識に常に飢えていなければならないはずで、私も勿論ある程度はそうです。けれどそこより先に逃れ得ぬ不安というか根源的な問題への疑問があり、それに応えてくれるのはいつも理論とか哲学の本でした。実際的な知識はもちろん明日役に立つかも知れないけど、10年先の自分を育てているのは確実にそれだけではないのですよね。(中略)

でも、ただ毎日積み重ねるだけでも志向性のない茫漠とした経験を積むだけになるので、それはいやだなあと思ってね。

どうやら自分はこの頃から、看護で臨床をするにあたって臨床の実用的知識だけでは自分は生きてはいけない(仕事をし続けるのはつらい)というのを肌身で感じていたらしく、看護を取り巻く環境に対する知識や他の視点を求めていたらしい。そうしてメタ的な視点に自らをおくことで、日々の慣れない仕事に少しずつ適応しようとしていた。

 

一応転職についても検討自体は常にしていた

考えることがなくなり暇になると、他の職業について思いを巡らせた。もちろん同じ業種での転職も考えた。それは、実際に手をつけるというよりは「可能性を考える」ことであった。自分の方向性を常に確認する必要があった、なぜなら自分の臨床の規範となる人はいれど、キャリア全般の指標となる人はいなかったからである。*7

先の「おしごと怖い」にその内容が少し書かれている。長めの引用になるがご容赦いただきたい。

『臨床(それもたったひとつの病院、病棟の中の)』にこだわり続けることに何ほどの意味があるのかと疑問に思うこともよくあります。(中略)

私は転職がそれほどいいことだとも悪いことだとも思っていません。ケースバイケースという安易な言葉に逃げてもよいのであれば、その通りだと感じます。

 

看護において転職は2パターンあります。*8

①そもそも職業・働き方を変えてしまう(つまり臨床を離れる)

②病院を変える(今回は施設・訪看勤務なども含める)

の2つですが、意外と私にとって②の方がハードルが高いように感じます。

 

自分が本当に逃げたかったものからは逃げられるか?

新天地は自分にとって前回よりもそれが改善されているか?

学ぶべきことは本当に学び終わっていたか?

などなど、悩むことが尽きないからです。 とくに3つめ、学ぶべきことが本当に学び終わっていたかどうかにはとかく執着があります。

 

臨床がだめだった、向いていなかった、といって①に思いきれる人は、ある意味大胆で他の生き方・仕事に自信が持てる、あるいはそれを達成するに十分な能力を有しておられる方だと思います。尊敬します。逃げの結果であったとしても、少なくとも臨床よりはほかの選択肢の方がマシだと思えるその決断力に敬服します。

私には今のところ、今の病院にしがみついてなんとか新人教育を乗り越えるくらいの余力しかありません。それは少なくとも最低限’現状の教育システムで育っていけるだけの能力を有していた’というだけに過ぎず、適正があるとかないとかいう話ではないのです。ただ、『可能だったのでやっている』というそれだけで。

そんな思考のもとに日々を過ごしているので、同期や友人や先輩を見ていると、何年自分は臨床で学び続けるだろうかと思うのです。

 

2年目。看取ることへのエネルギー

そして2年目に、自分は人の死を多く経験することになった。安らかでなく、どちらかといえば悔いの残るケアの経験ばかりが重なって、随分消耗したらしい。

社会人生活記 -にねんめ編 - 毒素感傷文

ときになにをもってしても「なおす」ことのできない症状に出会うとき、その症状に侵されている個体・肉体・実存と対峙するとき、自分はえもいわれぬ無力を噛み締める。1年目でなにかできるようになるというのはどだい間違っている、と1年目の終わりに書いたが、2年目にはより『無力さ』の正体が明らかになってきたような感じがある。

今まで噛んでいた砂の味を自覚するようなものだ。実にまずい。

人の死という現象を理解するため、かどうかはわからないが、1年目にも増してたくさん本を読んだ。金銭的に余裕ができたのもあり、当初は「1ヶ月に1万円分までならなんでも(当時は雑誌や看護の専門書など)購入してもよい」という決まりを自分に与えていた。とはいえ、大量の本を読むようになったので、結果的にはほとんどが図書館からの借り物になった。

 

職場では、プライマリナース(1人の患者を最初から最後まで担当するスタッフ)を務めることになり、責任は重くなった。裁量権は大きくなったものの、まだ半人前のまま仕事をするのは負担だった。なにより、人がたくさん亡くなるということはそこまでの生命に向き合うということであったため、感情的な消耗が激しかった。行きつけの飲み屋で、客が誰もいなくなった夜更けに泣いたこともあった(同僚に泣きつくわけではないところがいかにもぼっちらしい所業だ)。

 

3年目。小さく折れること、撓むこと

社会人生活記 -さんねんめ編 - 毒素感傷文

うつで仕事を休んでこんなに喜んでいるのは自分くらいのものかもしれないが、うつ状態の経験者にとっては「治療を続けながら以前と同様の社会生活を継続することができる」のはほんとうに快挙である。

 

「休めば治る」を自覚するのは難しい。「休んでも根本は治らない(かもしれない)」ときの自覚はもっと難しい。
上記に書いた「短い休み」は、実はかなり高度な「だらけスキル」だと思ってほしい。通常の勤勉な人は、勤勉であればあるほど、こういった休み方はしづらいと思う。学校生活や勤労において、この程度で復調できるほど短時間で生活を整えるのも、内服を調節するのも慣れた人間でないと難しいと思う。

 

だから、休みは少なくとも1か月から数か月単位で取るものと思ってもらうとよい。

 

「自分自身」を引き受けるのは本当に骨が折れる。こんな自分は投げ捨ててやりたい、と何度思ったかわからない。しかし、自分の知覚をもって自分自身を生きることができるのはやはり自分しかいないのである。

先に書いたように、自分は2週間ほど仕事を休んで服薬の調整をした。不眠や食欲の減退など自分の不調の指標となる症状が出たとき、もう通常の休養では戻らない可能性がある・このまま仕事を続けるのが難しいと判断するのは自分自身でも困難である。無理をすることもできたのかもしれないが、得策ではないように思えたので、上司と相談して少し休みをもらった。

引用にもあるように、こういう調整は「人生の挫折」を味わったことのない人には難しいような気がする。依然として精神疾患へのスティグマはあるし、なによりも内面化された精神的な負担への恐怖や実際に休んだのちの復帰などを考えると、足踏みしてしまう人が多いのも頷ける。

 

これからのこと

ここまでで、「組織行動への注力」「興味・志向への注力」「うつのコントロールの(ある程度の)達成」を書いてきた。

そして、退職のときは思ったより早くやってきた。それも、自分が特に望んではいなかったかたちで。

 

ライフステージの進行というのは、常にこれら仕事への葛藤と隣り合わせである。苦労してこの葛藤を解決してきた身としては手放しに退職を喜べなかった部分がある(だからこそこうしてめちゃくちゃ長い記事を書いているのだが)。

 

これからのことはTwitterに小出しにしているので、ここまで読んでくださった方にはまことに恐縮であるが、省きたい。有言実行は今の世の中では評価されることかもしれないが、自分はまだまとまりをもって志向性をもつことができないアイデアを「なまのまま」の形で出すのがとても苦手だ。今現在進行していることにはそれなりに意味があるけれども。

 

最後になるけれども、自分が4年間を働きとおしたのも、その間に自分の興味により深くのめりこむきっかけになったのも、TwitterでフォローしていたりRTで回ってきたブログを読んだりして得た発奮によるものが非常に大きい。ぼっちの自分が「仕事がつらい!」といえば近所のツイッタラーが実際に会って構ってくれたり(これにはもちろんリスクがあるので必ずしも推奨はされないが、昔と違って現実と紐づく情報が多くなったのでずいぶんハードルもリスクも下がったと思う)、あれに興味があるといえば近い分野や的確な成書のおすすめを教えてくれたりした。

 

向いていない仕事をやるということは、「そもそもやる必要があるかどうか」「健康状態がそれに見合うかどうか」という要素と天秤にかけたうえで、「やりたければやれる」。

私はいまもむかしも、精神疾患をもちながら看護師として生きていることを基準にしている。こんな自分でも人様の役に立てることがあるとすれば、このようにその方法を公開するくらいのことである。

 

これまでお付き合いいただいた方々も、これから出会う方々も、どうかよろしくお願いします。

*1:※なぜ企業就職が前提であったかというと、実家の都合で学部卒就職が前提だったからだ。自分の興味や能力の偏りの都合で「文系」所属であったことも影響しているが。

*2:看護学校(専門学校)は公立であると地方自治体から助成金が出ていることが多く、そのため学費は非常に安い。

*3:働いてみてから感じたが、現職看護師は意外と「組織行動が得意」というわけでもない人が散見される。今ではむしろ、そういう人も含めて組織行動にまとめあげてしまうのが病棟という看護単位であるのだと思っている。

*4:この記事を書いている現在では、この100冊読破は6周目に突入しており、511冊を数えている。

*5:もしかしたらこういうことに興味をもっていた人はいたのかもしれないが、たぶんそういう人はのちに修士課程に進んだりしていたのだろう。

*6:その後臨床心理士さんからはソマティック・サイコセラピーを勧められたが、結局は仕事が忙しくその後足が遠のいてしまった。もしかしたら、仕事上の苦悩を聞いてもらうだけでもよかったのかもしれないが、当時の自分はその苦悩を自覚することでさえ負担になるほど職務へのプレッシャーを感じていた

*7:どの本・ブログだったか忘れたが、「キャリアの師をもて」みたいな記載があった。いかにも経営っぽい。

*8:比較的早い年月での転職の場合を考慮しての分類です