毒素感傷文

大学生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 6周目(1-10)

1.メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える(佐藤岳詩)

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

 

出たときからずっと読みたいなとは思っていましたがやっとここまでたどり着きました。哲学は興味がありましたが、いわゆる倫理のまわりというのは自分自身の倫理観が未熟なこともあって意外と最近になるまで深く触れることができずにきました。いい本に出会えたなと思います。こういうところからも始めたい。

そもそもなぜよいことをしなければならないか?よいこととはなにか?よいことをすることは信念から動機づけられるか? という問いは自分は存在論から両論見つつやったことはなかったなと思いました。こと私的な場や仕事のような道具的思考に陥りがちな場所ではこういう考えは持ちにくいです。本書で特に推せることは、カントやデカルトスピノザアリストテレスといった古代から近代までの哲学者による倫理をおさらいはするけれども必須の知識とはしないことです。必ず解説が入りますから、安心して読めます。

入門・医療倫理のなかにメタ倫理に関する関連箇所があるようなので、折角やしもうちょっと具体的な問題とその見方と解決方法を見てみてもいいかなと思いました。あと自分自身の読書があまり倫理関連の理論は追えていないことを痛感しました、繰り返しになりますが本書は言葉がやさしいので(註もかなりいい)、おすすめです。

 

2.バッタを倒しにアフリカへ(前野ウルド浩太郎)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

熱量がすごい。とにかくすごい。

著者は、蝗害に苦しむモーリタニアに博士課程以降単身で乗り込んだ昆虫研究者です。新書で出ていますから手に取りやすいうえに、書きくちが非常に軽妙です。しかしながら研究者としてぶち当たる壁や言語・文化の壁など折々に異邦人としての要素もあって、緩急はない(ただただジェットコースターのように)くらい畳み掛けてきます。面白いです。おすすめです。

 

特に似ているなあと思った本はカルロス・マグダレナ「植物たちの救世主」です。彼も実践者でありながら研究をしていますが、この本も研究から実践(蝗害の観測と対処まで)が場合によってはひとりの人間、組織によって説明されます。

 

と、固いことを書いてしまいましたが、「目の前にいる大量のバッタは全部わたしのものだ」「バッタが蹂躙されるシーンも喉から手が出るほど見てみたい」「怯えるバッタも愛おしい」などのパワーワードが次々と飛び出す冒険譚です、是非お手にとっていただければ幸いです(新書なので安いですし)

 

3.数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する(岡崎裕史)

数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する (光文社新書)

数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する (光文社新書)

 

勁草書房から出ている「ダメな統計学(アレックス・ラインハート著)」をもっと基礎から、そもそもデータを集めるとはどういうことか?なんのために集めるのか?というところから始めるような本です。「文系」出身でデータが苦手な社会人向けといえばそう。ところどころネタが仕込まれていて面白いです(リア充の行動を暴くくだりは…いいのか…?)新書で読みやすい。Twitterのフォロイー氏から情報を得て読みました。

 

4.辞書を編む(飯間浩明

辞書を編む (光文社新書)

辞書を編む (光文社新書)

 

こちらもフォロイー氏おすすめを経て手に取りました。

三浦しをんの小説「舟を編む」のパロディタイトルですね。こちらは小説ではなく、本物の辞書編纂者(三省堂第6版)による本です。

編纂者の地道な作業については、私は少しだけ耳にしたことがあったのですが、この本の中にたっぷり書かれています。新しい用法をもつ語が新しい辞書に載るべきか、載らざるべきか、載るならばいかなる記述によって説明されるべきか。

自分は小学生以降ずっと国語が好きで、辞書もよくお世話になったのですが、そういえば「小・中学生向け」の辞書は使ったことがありません。この熱意をみていると、実際こういう辞書とほかの辞書の見比べができても楽しいかなあと思うなどしました。新書ですから読みやすいです。

 

5.ヴィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか(入不二基義

このシリーズは毎回とても面白く読めるので、言語哲学方面ということでヴィトゲンシュタインを手に取りました。とはいえ(例の)難解な論理の集合から発展させた「論理哲学論考」のみならず、その著作と人物を、ヴィトゲンシュタインの提示する独我論に沿って説明します。

「論考」を光文社古典新訳で読んで以降、どうにも難しく感じていたのですが、こういう紐解きかたがあることに感銘を受けましたしほ その他の著作にもやっと重い腰を上げる気になりました。あと、もしかしたら論考に関していえば野矢茂樹訳(岩波)を読むべきだったかもしれません。

 

6.デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか(森本浩一)

デイヴィドソン  ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

デイヴィドソン ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

 

シリーズ・哲学のエッセンス 連続です。

言語哲学や知覚の哲学を読んでいるとなにかと出てくる分析哲学の大家・デイヴィドソンについて知りたくて読んでみました。ほぼ言語哲学の観点からのみの考察となりますから、片手落ちではあるのかもしれません。もっとも、このシリーズには概してそういうところがありますが、それも含んでも導入を簡単にすることのほうが大事というコンセプトなので間違ってはいません。

 

表題にもなっている「言語」というのは、それに表現されるような共通のコミュニケーション手段ー発話、文字、記号といったものですが、そんな概念が共通のものとして存在するかどうかといった問いに帰着します。そして答えはNOで、共通のものは存在せず、ばらばらにあるコミュニケーションが言語を定義しているに過ぎないというものでした。

その他の重要な業績については私はほとんど知らないんですが、分析哲学を理解するうえで確実に避けては通れない人であろうことが予想されるので追い追い読んでいきたいです。

 

7.インターカルチュラル・コミュニケーションの理論と実践(三牧陽子 村岡貴子 他)

インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践

インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践

 

とてもおすすめなんですけど、内容の充実度とともに値段が高いので安易なおすすめがしづらくてつらい。

談話分析を含めてさまざまな異文化間コミュニケーション分析を行っている本です、博論の焼き直しがしばしば紛れています(紛れるっていうな)というか各々の博論のまとめに近いです。自分が日々気にしているコミュニケーションのバックグラウンドについて、いろんなパターンが示されていて面白かったです。留学生-日本人の間(日本語ベースのケースと外国語ベースで日本人が留学生の例もあった)のコミュニケーションの非流暢なパターンにはじまり、夫婦間の問題解決に対する意識の差がコミュニケーションにおけるインポライトネスをもたらす(ゴフマンのface理論を背景に)場面の分析とかもありました… なんだこれ耳が痛すぎる(そういう問題ではない

 

自分は多分コミュニケーションを今後の研究課題としていくであろうと思うのですが、哲学者アルフォンソ・リンギスの言を思い出します。

コミュニケーションとは、メッセージを、バックグラウンド・ノイズとそのメッセージに内在するノイズから、引き出すことを意味する。コミュニケーションとは、干渉と混乱に対する闘いである。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』

 

8.言語心理学入門(芳賀純)

言語心理学入門 (有斐閣双書)

言語心理学入門 (有斐閣双書)

 

言語と心理の両方に跨っているといえる本はこれでようやく3冊めだと思う。古い本ですけど、文章心理学や国語教育からの発展の歴史を知れるという意味でも面白いなと思えました。

安原和也「ことばの認知プロセス」トレヴァー・ハーレイ「心理言語学を語る」に続きです。ピアジェチョムスキーの操作と変換の類似性とかちょっと面白い。あと研究内容が日本人対象なのもよい。コミュニケーションの前提になる、ものごとに対する直観の問題とか文脈の問題は今後ますます(異言語の間だけでなく、同じ母語話者においても所属する社会集団や年代によって)生じてくるように思われるのでもっと色々読みたい分野のひとつです。

 

9.言語はなぜ哲学の問題になるのか(イアン・ハッキング

言語はなぜ哲学の問題になるのか

言語はなぜ哲学の問題になるのか

 

これ面白かったです!いや内容わかるかって言われたら8割わからんかった気がします、けど知ってる2割が心から楽しめるように書かれていてびっくりしました。世界思想社言語哲学を学ぶ人のために」とかちょっと読んだことがあるのですけど、「言語哲学に至る道のり」を追ったことはそういえばなかったなと思いました(触れた本はちらほらある

観念、意味、文の全盛期(ちょっと行為論入る)の順に言語哲学がどのように捉えられたり発展したりしていたのを書くんですけど、バークリ・ヒューム・カントで「知識」/悟性と説明されてきたものがラッセル(の一部)とフレーゲで意味の体系に置き換えられることの説明があったのが個人的には一番の収穫でした。哲学の全体の流れをやったことがないとこういうのわからなくてそれぞれの人の言うことをそれぞれに聞いてなるほどわからんわとなるので。いや解説本読んでもなるほどわからんのですけど。

 

で、「なぜ言語は哲学の問題になるのか」に対する著者の答えは「一貫しない」。一貫しないのは、それぞれ主張や語の定義が異なるというような些細な違いではなくて、時代の変遷と共に言語によって捉えられる現象や観察される内容が次々に変わってきて、その度に哲学もアップデートされてきた(アップデートを要求されてきた)から、というもの。結論はシンプルなんですけど。

最近になって、素人が哲学の(解説本ではなく)原著者の訳本をシコシコ読むことが必ずしもいいことだとは思えなくなってきてなんかあまり楽しくないというか他のもっと形而下のことに注力すべきみたいな考えになっていたんですけど、ぼちぼちこれを読んでいてやっぱり考えを改めました、元の本を読むのも必要だなと。読んだことのある著者の概念は「あーそうか、『純理』になんとなく通底しているものか」みたいな受け止め方ができるのに、読んでいない本についてはその著者の基本的なスタイルからしてそもそも覚えてないし何もわからない、通約不可能性にぶち当たりましたかね状態になる。何度も感じてはきたわけですが。

勿論学問としてやるなら訳本どころか原著読んで当たり前なんですけど、お楽しみで哲学を理解してみたいとか考えについて知りたいという欲求に対して、「哲学用語図鑑」とか「教養としての哲学」みたいなのではあまり面白くないというか。単語や概念の解説では、なんで議論がそこに至ったのかよくわからないんですよね。なんの前提も共有していないド素人が読んでわかるものでもないんですけど概略本と解説本と訳本を行ったり来たりするのは楽しいし、ただの用語図鑑として教養としての哲学(知ってるだけ)をある程度解釈したいなら訳本くらいまではいるなと思った次第です。

 

10.言語と認知ー心的実在としての言語(ノーム・チョムスキー

言語と認知―心的実在としての言語

言語と認知―心的実在としての言語

 

世界思想社生成文法を学ぶ人のために」が方法論であるとしたら、こちらはその生成文法を必要とする心理的構造についての話です。生成文法の仕組みについては他の本をあたらないとほぼ書いていません。

無限に文章を構成したり、文法的誤りを検知できる能力は発達の過程で獲得され、それを獲得する装置はもともと人に備わっているというのがチョムスキーの理論なのでその前後の議論について解説が加えられます。講義録なので言葉は平易ですが、相変わらず着想に至るまでが難しいのでもう少し統語論全体の知識が必要である気がします…読めたとは言えません。