毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

終わりの始まり

社会人(あえてこの言葉を使う)生活になってから、年度ごとに記事を書いてきた。でも、何故だか先が見えなくなってしまったのと、やる気がないのと、高校卒業から10年の区切りなのとで(それ自体にも意味はないが)、今回は違う記事を書こうと思った。

 

 

10年前のこと

自分は10年前は高校3年生だった。詳細は省くが、その1年前からうつ状態になり、ほとんど学校には行っていなかった。センター試験の入金だけはしたけど、体調が悪く受験はできなかった。毎日布団に横になって泣いていて、少し元気がある日には考え事をして泣いていた。とにかく、先が見えなかった。

 

そんな過去の話がしたいわけではないのだけど、10年後のいま、仕事があって伴侶がいることをどう捉えていいかわからなくなるときがある。因みにうつ自体はある程度コントロール可能になったものの、疲れやすく気分は不安定で、今も服薬を必要とする。

 

何かってなんだよ

10年前にそんなだった。少し体調が上向いてきたころ、家族に「何か資格をとったら」と言われた。なんでもよかったのだとは思う。高卒以外になにも資格がないと(そりゃ、英検や漢検くらいはあったかも知れないが)就職にも困るものだ。きっかけを作りたくての発言だったのだと思うが、「何かってなんだよ」と自分は思っていた。体調が変動するリスクを抱えて、少しアルバイトをするにも苦労していたから、継続して就労できるとは思っていなかった。精神科の通院と薬代が申し訳ないから、自立支援を受けようとしていた。

 

 

「なにか」のあと、それから

結局それから自分は看護師になり、4年間働いて、そしていま職を辞そうとしている。

勿論学生時代にも、就職してからも困難はたくさんあった。敢えてここに書く必要はない。

 

フルタイムで働きながら、病気や資金繰りを気にして行けなかった大学に編入学して、もうすぐ卒業となる。

寝たきりだったころから比べると、まあ人並みには頑張ったしふつうの人生に戻ってきたのじゃないかと思う。

 

求めていた「人並み」とはなんだったのか

なんだったのだろう。

学生の頃にも、いまも、人並みになにかできることに私は非常に執心してきた。それが曖昧な概念であることも頭では理解していたし、どちらかといえばその人並みを要求しているのは世間ではなく自分自身であることをよくわかっていた。

 

そして、この10年で人並みの人生は大体取り戻したかなと思った。特別なことはなにもしていないから、単なる自覚の問題かもしれない。

この数年間は「人並み以上」と思える人の背中ばかりを追ってきたので、あまり人並みに興味が無くなったといえばそれもそうだ。

 

いま、先は見えにくいが、目標を見失うことはそんなにない。「人並み」は、常に今より今後をよくするための手段ではあったけど、目標そのものではなかったらしい。その証拠に、人並みにはなったかと認める今でもあまり自分に満足することができない。

 

 

1年間に経験したこと

今年度はとても私人としての自分を優先して生きなければならなかった年で、結婚が決まったことにはじまり、その手続きと儀式の準備と生活への適応に追われた。継続し得なかった妊娠も経験した。

 

毎年年度の終わりに日記を書いてきたと言ったけど、大体は仕事のことを少しまとめて、次の年の展望をまとめていた。

 

残念ながら、ここから先は、1年ごとの展望は具体的にはない。でも、3年や5年の長さにすれば、素描することくらいはできる。

 

ひとりでしていたことがひとりではできなくなるけども、それもまた自分という人間に課せられたる面白い困難なのだと思う。他の人がどんな風にクリアしていたとしても、自分の困難とその解決は自分自身のものだ。参考にはなったとて、体験そのものではない。

 

ここから数年が、ひっそりと目標をクリアし続ける年月になればよいなと思う。