毒素感傷文

大学生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 5周目 (51-60)

1.経営組織論(鈴木竜太)

経営組織論 (はじめての経営学)

経営組織論 (はじめての経営学)

 

 

トップバッターなのに全然記憶にない。前回お出しした「人的資源管理」の方がよいと思うし、網羅的教科書としてはハッチの組織論のほうがずっと優れているので読み物としての価値くらいかなと思います…

 

2.3.エチカ上・下(バールーフ・デ・スピノザ

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

 
エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

 

私はここに誤謬とは何であるかを示す手始めとして、次のことを注意したい。それは、精神の表象はそれ自体において見れば何の誤謬も含んでいないということ、言いかえれば精神は物を表象するからといってただちに誤りを犯しているのではなく、ただ精神が自己に現在するものとして表象する事物についてその存在を排除する観念を欠いていると見られる限りにおいてのみ誤りを犯しているのであるということである。

 

観念とは、精神が思惟する物であるがゆえに形成する精神の概念のことと解する。

【説明】私は知覚というよりもむしろ概念という。その理由は知覚という言葉は精神が対象から働きを受けることを示すように見えるが、概念はこれに反して精神の能動を表現するように見えるからである。

 

人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れているのは、物の認識に基づくよりも偏見に基づいていることがわかる。ーバールーフ・デ・スピノザ「エチカ」第4部 人間の隷属あるいは感情の力について

 

2年間ずっと積んでいたがようやく読み終えた。2年前といえば初めての読書会のためにこの本を購入し、そして日程があわないまま読書会自体も絶えてしまい、自分は聴講でさえ1度しかやらないままこの本を読めずにいたのだった。ごく僅かの理解と、そして少しの比較ができる。デカルトを読んでいたときにも思ったことだが、ここで言われる「神」は「真理」と置き換えるとほぼ正当な意味として受け取ることができる、いまいち神という語彙がしっくりこない。もともとの宗教観を時代背景とともに共有していないので、正しくはなかろうが真理として捉えたほうがうまくいく。(特に第1部は神の解体に焦点がある)

 

エチカはその名の通り倫理学なのだが、感情のシステムに言及する第3部は第3部そのものにおいてはデカルトの情念論と似たものを感じる。けれども第4部について意識の座なるデカルトの「松果腺」に対して、スピノザは一元論的立場をとる。感情に善悪の判断を与えるのは、神に物理的のみならず道徳的完全性を賦与するために読めてしまうんだがスピノザのいう神ちょっとよくわかりません(それはこの本のすべてを理解できなかったというのと同義である)。が、知性そのものに道徳的に善という属性を与えたのは功績なんだろう…という。ラッセルの「幸福論」読んだときにも思ったことですが、道徳の議論にあれこれ持ち込みすぎなようにも思うし道徳のあらゆるパターンを考えるのはほぼ不可能に近いと思うのでこういうタイプの倫理全体的によくわからん、もっと先代の倫理にあたるべきか。

 

4.新編 普通をだれも教えてくれない(鷲田清一

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

 

新聞や雑誌への寄稿集。些か穿ちすぎではないかといくらか思う文脈もあるところが鷲田氏らしいが、もっともっともっと肩に力の入った文章の方が私は好きだ。言いっ放しはきらいだ。

高校(より前か?)の頃から読んできたのでこの人のエッセイは読み慣れない。せめて評論に値する形式にしてほしい。多分価値観が剥き出しなのが肌に合わんのだな。エッセイですね。エチカがしんどかったので肩の力を抜こうとしたら抜き過ぎました。

 

5.ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

 

「リハビリの夜(未読)」の著者である熊谷氏の対談本。絶対この方どこかで…と思ったら、佐々木正人著「知の生態学的転回2: 技術」の中にこの方の「依存の分散」や「介助される身体の応答」の記述がありました。著者ご本人が脳性まひでありながら小児科医をされている。当事者としても研究者としても、身体と自我の関係性・自己の身体と他者の関係性・自我と社会の関係性など自分にとって示唆に富んだ文章を残してくれています。書籍としては「知の生態学的転回」の方がよくできているかなと思いますし内容も一部かぶるので、2冊とも読む必要はないかなと思いますがこちらの本の方がとっかかりとしては楽です。

 

6.医療につける薬:内田樹鷲田清一に聞く(岩田健太郎

息抜きその2。絶対気にくわないだろうなと思って読んだんけど意外といい本だった(と思ってしまった)。別に自分そのものにとってありがたい話も新規に必要な話もなかったのだけど、このタイトルでこの3名であることで、非医療職の人が手にとってくれないかなあとかいう邪な考えが脳裏を過った。

 

7.ケアの宛先(鷲田清一 徳永進

ケアの宛先

ケアの宛先

 

今度はわりと鷲田氏が聴く会でござった。医学書院の「しにゆく患者と、どう話すか」はがんに絞っていましたが、こちらは在宅医療でそんなに的を絞りません。あと対談なので議論が緻密ではない。ゆるゆるです。息抜き第3弾(どれだけ息抜きしたいのか)。

 

8.経済学の歴史(根井 雅弘)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

 

ケネーにはじまり、アダム・スミスリカード、J.S.ミル、マルクスメンガーワルラス、マーシャル、ケインズシュンペーター、スラッファ、ガルブレイスを辿って経済学の諸概念と学者個人の来歴・理念、重要概念と著作について説明してくれる本。経済学を概観する本が読みたいといったらフォロワー氏が教えてくださいました。これと放送大学「経済学入門」を行ったり来たりすると楽しい気がする。ビジネスマン向けの経済学の棚に行くとどうしても今やはりのマネタリスト向けっぽいやつが多いんですが、自分は福祉の経済とかミクロの経済もやりたいので色々読む必要があるのです。しかしまあ細かい理論的なとこほんまわからんちんなので現代経済学に徒手空拳で突っ込むことのないようにという程度です。社会科学的価値に関するコメントが各説に設けられているのは個人的にめっちゃありがたかったです。経済史はいいな。世界史には傍流も伏流もたくさんある。

 

9.知覚のなかの行為(アルヴァ・ノエ)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

 

ものを見ることは絵を描くことに似ているーアルヴァ・ノエ「知覚のなかの行為」

メルロ=ポンティの知覚の現象学を伝承したような身体性と知覚の関連を示す本、認知哲学というより認知心理学よりであまり認知神経科学唯物論には与しない。ただしクオリアのような心の哲学よりかなり実践的で、かつ特殊ケースには言及しない。これが感覚-運動的知識の成立を可能にしていると思う。本書でつよく打ち立てられるのは「エナクティブ・アプローチ」、ギブソン生態学的知覚論や先述のメルロ=ポンティを引き継いで人間の触覚-知覚関係を明らかにすることで知覚する世界の成立を提示する。因みに途中、センスデータ説は勿論きちんと潰していく。

とりあえず世界の成立が環境の安定と経験からのトップダウン処理と感覚のボトムアップで常に動態的にできているよっていうのはうれしい説明であると思うのですが自分は結局科学も哲学も理解はしていないので本書が心の哲学にどう参与できるかとかは考えてもよわよわです。

 

10.外国人看護・介護人材とサスティナビリティー持続可能な移民社会と言語政策(宮崎里司 他)

 

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

 

放送大の授業「移動と定住の社会学」が面白かったのでなんとなく手に取った本やったんですが予想以上に面白かった。

EPA経済連携協定)により看護師・介護士等ケアワーカーとしての資格取得を目的としたビザが発行されるようになり10年。外国人ケアワーカーに求められる日本語能力の困難さとそれぞれの事情や制度を取り巻いて起こる問題等。

中の人として思うことですが、医療・福祉の現場では言語的コミュニケーションが必要となる場合が非常に多いです。ケアの対象とのコミュニケーションはさることながら、協働者との打ち合わせ・申し送り・報告など短時間で意思疎通し決定まで導かなければならないなど言語的能力は高いものを求められます。

外国人として就労するだけでもかなりの困難があることは、「移動と定住の社会学」からも読み取れます(外国人技能実習制度等、単純労働を禁じていても結局受け入れ側が個人の時間当たりの労働力が欲しいだけの場合の軋轢など)。そこに加えて日本語で国家試験を受けることの困難さが加わります。資格を取ろうが取るまいが言語の壁は容赦なくありますが、そうした問題提起にとどまらず本書では個別のケースを比較してどの要素がプル・プッシュ要因となったか質的記述がみられます。また個人的に面白かったのは看護師の役割(日勤・リーダー・フリー)による言語的コミュニケーションの質の違いです。対象、内容、喋っている時間に振り分けてコミュニケーションの質を分析しますが、これはむしろ外国人労働者の受け入れにあたりというより本国の看護教育に還元できると思います。それほどまでに現場のコミュニケーションは煩雑ですしエラーの元になりやすいです。10年で受け入れ者は5000人に満たず、さまざまな事情から国内にケアワーカーとして止まるケースも少ない中、労働者として今後移民を受け入れざるを得ない場合の対応は確実にこちらも柔軟さを求められています。そして彼らを受け入れる準備ができるということは、ある程度組織の冗長性確保につながります。

政策の是非はともかく、世界で有数の長寿社会になったからにはどうあがいても国自体が介護のモデルケースとして(いい意味であろうと悪い意味であろうと)扱われていることは本書の中でも触れられています。この辺りは今後授業でぼちぼちとっていくつもりなんですが。あと個人的に「やらんかったんかいもったいない」と思ったのはEPA内での交換留学ですかね。日本がそもそもケアワーカー養成のための高等教育を整備しきれていないこともありますが、手探りだからこそ他国で学んだ人を自国に返すの大事だと思うんですけど…学生のうちにできることやって欲しいですし。

 

10.