毒素感傷文

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死について: 死と関わることはそれまでの生と関わるということである

一人称の死、二人称の死、三人称の死について。

過去のツイートなどを引用、一部改変したため少し考えが拙い(専門職者として適切なグリーフケアができていない・倫理的議論が未熟である)などの問題はありますが、ここでは個人として、少し考えをまとめておきます。

 

死は生に意味を与える無意味である。ーヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ『死』より

 

三人称の死

倫理の話は好きだが、生命倫理にそれほど執心できないのは、多分議論の争点が患者や患者家族や、自分や同胞たちのこころとときに一致しないからだと思う。

私は働き始めてから今までに、1ヶ月あたり1名以上の死を体験し続けている。実にシビアで、若い人も亡くなる。ベストサポーティブケアも、さらに前景にあるアドバンストケアプランニングもうまく介入しにくい分野である(この点については現状の診療報酬制度や地域医療の問題が絡むので深くは触れないでおく)。

 

数週間前まで元気に歩いていた人が、寝たきりになる。寝たきりどころか、ときには人工呼吸器と昇圧剤でやっと命を繋ぐ状態になる。人が死ぬときには、いや死に行く人が死ぬまでの生を生きるには、周囲の多大なるエネルギーを必要とする。自分たちの手は、声や体は、最早本人のためだけでなく、本人を労わりたくとも手の触れ方もわからない家族のためにある。それは『死んでいくのだ』という受け入れ期間のためでもある。

そしてその間にも、我々は医療機器の管理とその他医学的管理をし、体に直接触る。弱っていく人間のケアから逃げることはない。24時間を見つめているし、呼ばれれば行く。呼ばれなくても行く。けれどまだ、それは死の準備のためでもないし、ましていつ亡くなるかは本人も医療者自身も明確にはわからない(こともある)。

 

そして、「痛い」とか「つらい」とか「苦しい」とか、「そばにいて欲しい」とか「手を握ってくれ」とか「足をさすって欲しい」とか、ほんとうは、そんなことだけではなにも解決しないねがいのために、ただ隣にいることしかできない時間に対する諦念が、その人が亡くなった少し後にどっしりと疲れを伴ってやってくる。勿論使えるものはなんでも使って対応してもこうなる(ときもある)。ケアにあたっているその瞬間は、必死なので疲れを感じることはあまりない。あの人かわいそうだね、とかなんとかしてあげられないかな、とか周囲と認識を揃えて(もちろんそれが仕事なので)やるんだけども、ケアをするひとの喪の作業はあとからひとりでこっそり行われるのだなあと働き始めて知った。

 

生命倫理の問題が自分に馴染みないのは、それが『死』という点でしか語られないからかも知れない。死ぬということは、その瞬間まで生きているということだし、死ぬということは、死んだ後にそれを受け止める周囲の人間がいるということだ。それがすっぽ抜けているというか、語られないままだとムズムズする。わかって欲しいなどとは思わないが、助かる見込みのない人をどれだけ私たちが丁重に扱っているかは、実際に見ないとわからないと思う。そして同時に悲しみに暮れてもいる。家族ほどではないにせよ、毎日歩いて会話をしていて昼も夜も見守っていた人が目の前で死んでいくのだ。悲しくないわけがない。しかし、仕事なので、生きている人間を目の前にしている間に弱音は吐かない。

 

そういうジレンマを、生命倫理がひとつの項で論じて解決できるとは決して思わない。倫理が現場をわかっていないなどと腑抜けたことをいうつもりはないが、人の死(そしてそれまでの生)は時系列で、そしてもっと多角的に、EBMとNBMを駆使して語られるものであって欲しいと思ってしまう。まあこれは個人のジレンマでありただの希望なのでなにかの俎上に載せられるような代物ではない。たまに苦しくてたまらなくなるけど、でも毎日働くことはできる。不思議だ。

 

 

二人称の死

身近な人の「死」を、未だに自分はきちんと処理できる自信がない。

患者を失うというのは自分にとってひとつの仕事の「終わり」であり、ふつうの退院にしろ死亡退院にしろそれはさして変化あることではない。違うのは「死」という厳然たる関わりの終わりであることだ。

 

父方の祖父は15年前に亡くなって、もう声も話し方も思い出せない。ただ、笑い方と体の「感じ」は覚えている。歩き方も。つまり視覚情報や動的情報、触覚は失われないのに、声の情報だけがぽっかりと抜けるのだ。
だから患者と関わったとき、声だけは忘れないようにしている。
それもいつか忘れてしまうかもしれないけど、それはそれでいい。生きていても忘れたりはする。むしろ名前なんてしょっちゅう忘れている。

 

身近な人に戻ろう。

 

「死」というものが比較的突然もたらされるものではない場合、存在はひっそりと隠遁するようになり、次第に活力を失い、家族のエネルギーによって生きるようになる(対象が生命である場合はこれは医療福祉職の手からも成る)。これが死へと向かっていながらも未だに死んではいないときの生である。この生の時間に、おそらく整理をつけ、しかしながら疲弊するため、「死」の訪れによってその重荷をおろすことになる。これは身近な人でも仕事でも大差あることではなかったりする。
その人の人生を背負っていたのを、永遠に休むのである。
自分の中のその人の記憶が更新されることがなくなる、これが便宜上の(生物学的な)死であると思っている。

 

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」を思い出すと、そこでは、強制収容所で働く男たちが家族について夢想している。絶望の中でわずかながら身近な人を想うとき、その「現在の」「実際の」生には言及されていない。家族も強制収容所にいるかもしれず、感染症の高いリスクと飢餓や低体温のリスクにさらされている。それでも「存在」が、彼らの心の中でわずかに希望を持たせるのである。

 

死と関わることはすなわちそれまでの生と関わるということである。


身近な人間だとこれを一瞬忘れてしまうが、この点に関しては三人称であろうが二人称であろうが変わらない点である。一人称のときにはこれが適用できないため、考えを変える必要があるだろう。

 

最後に少し、好きな引用をしておきたい。

 

人が出かけていくのは、そこに行くように駆り立てられるからだ。人は、他者が、彼または彼女が、ひとりきりで死んでいくことのないように出かけていくのである。敏感さとやさしさと共に動かされる人の手の動きのすべてが、他者を感受する力によって、その人に向けられた命令を感知する。人は、他者のために、そして他者と共に、苦しまずにはいられない。他者が連れ去られてしまったときに感じる悲しみ、いかなる薬も慰めも効かなくなったときに感じる悲しみは、人は悲しまずにはいられないということを知っている悲しみなのである。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より