毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 5周目(21-30)

1.2.科学的発見の論理(カール・ポパー

科学的発見の論理 上

科学的発見の論理 上

 
科学的発見の論理 下

科学的発見の論理 下

 

科学は確実な、あるいは十分に確定された言明の体系ではない。究極の状態に向って絶えず前進していく体系でもない。われわれの科学は真知(エピステーメ)ではない。それは、真理に、あるいは確率といったそれの代替物にさえ、到達したとは決して主張することができない。

科学の前進は、時とともにますます多くの知覚的経験が累積するという事実によるものではない。また、われわれが諸感覚を絶えずよりよく利用しているという事実によるものでもない。いかにわれわれが精をだして集め整理したとしても生のままの感覚経験から科学を蒸留することはできない。大胆な着想、正当化されざる予期、および思弁的思考こそが、自然を解明するためのわれわれの唯一の道具なのである。そして、〔科学のゲームの〕賞を獲得させるために、われわれはそれらを危険にさらさなければならない。自分たちの着想を反駁の危険にさらそうとしない人たちは、科学のゲームには参加しないのである。ーカール・ポパー「科学的発見の論理」より10章験証 85.科学の行路

ポパーによる経験主義から反証可能性についての転換。記号論理学やりたいのでちょっと参考になるかなと思って読んでみたのですがまあ難しいこと(ボルツマンの熱力学とか高校にちらっと名前聴いて以来では)、物理と数学と情報科学の大まかな流れをしっていないと大変厳しいです。読んでいたら付箋がはってあって(図書館のものなので)、「わからない、しね」と書いてあり気持ちがよく伝わってきましたね...

 

3.韓非子(韓非)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

 

マキャヴェリズムとはかくあらんというばかりの君主論ですが、そもそも古代中国全部君主制やしなあとか思うんですよね 西洋との違いは法治国家になるのが比較的遅い点かと思います(法というより儒の教えの方が普及している)。韓非子が評価されるのは戦乱の世に法治の重要性を説いたことなんですね。世界史の授業でだいたい出てくるんですけど、信賞必罰と内憂を制することについて事例を引っ張ってくるというのが多い中、ひとつ、「臣下が注進するにどんな言い方をしてもよく思われないから言いづらい」みたいなのがあって、なんやこれ現代か…と思って笑いましたね

難言

臣非、言ふを難(はばか)るに非ざるなり。
言ふを難る所以の者、言、順比滑沢(じゅんひかつたく)、洋洋纚纚(ようようさいさい)然(た)れば、則ち華にして実ならずと以為(おも)はらる。敦祗恭厚(とんしきょうこう)、鯁固慎完(こうこしんかん)なれば、則ち拙にして倫ならずと以為はらる。多言繁称、類を連ね物を比ぶれば、則ち虚にして用無しと以為はらる。総微説約、径省にして飾らずんば、則ち劌(けい)にして弁ならずと以為はらる。意を激(もと)めて親近、人情を探知すれば、則ち譛(こ)へて譲らずと以為はらる。閎大広博、妙遠にして測られずんば、則ち夸(こ)にして用無しと以為はらる。纖計小談、以て数を言へば、則ち陋(ろう)と以為はらる。言ひて世に近く、辞、悖逆せずんば、則ち生を貪りて上に諛ふと以為はらる。言ひて俗に遠く、人間(じんかん)に詭譟(きそう)すれば、則ち誕と以為はらる。捷敏弁給、文采に繁ければ、則ち史と以為はらる。文学を殊釈(しゅせき)し、質信を以て言へば、則ち鄙(ひ)と以為はらる。時に詩書を称し、往古を道法すれば、則ち誦(しょう)と以為はらる。此れ臣非の言ふを難(はばか)りて重く患(うれ)ふる所以なり。

故に度量正しと雖も、未だ必ずしも聴かれず、義理全しと雖も、未だ必ずしも用ひられず。大王、若し此を以て信ぜずんば、則ち小は以て毀訾誹謗(きしひぼう)を為し、大は患禍災害、死亡其の身に及ばむ。(中略)此数十人は、皆、世の仁賢忠良、道術有るの士なり。不幸にして悖乱闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者、何ぞや。則ち愚者説き難きなり。

故に君子、言ふを難るなり。且つ至言、耳に忤(さから)ひて心に倒す。賢聖に非ずんば能く聴くこと莫し。

願くは大王之を熟察せよ。

ー韓非

 

引用元:韓非子集中講義 「3. 難言」 https://kanpishi.jimdofree.com/%E9%9F%93%E9%9D%9E%E5%AD%90-%E5%85%A8%E8%A8%B3/3-%E9%9B%A3%E8%A8%80/

 

 

まあ要するに優秀な部下の話は聞きなさいってことなんですけど、声に出して読みたいくらい韻をよく踏んでいますね

 

4.5.ディスタンクシオン 社会的判断力批判ピエール・ブルデュー

文化とは、あらゆる社会的闘争目標〔賭金〕がそうであるように、人がゲーム〔賭け〕に参加してそのゲームに夢中になることを前提とし、かつそうなるように強いる闘争目標のひとつである。そして競走、競合、競争といったものは文化にたいする関心なしではありえないが、こうした関心はまたそれが生み出す競走や競争それ自体によって生み出されるのだ。ーピエール・ブルデュー

インタビューされているそれぞれの階層の人々の暮らしや価値観を細部までうがっていて面白かった。特に若い看護師の項(看護師は技術専門職などの中等クラス、文化的洗練度は差があったりなかったりと扱われる)は面白かったです。あと教育社会学の分野については特にそうだと思うのですが、統計的なデータをとっても「中の質を知らなければ意味がない」とは、まったく別の方の言でも見ましたし、本書の中でもブルデュー自身が述べていました。

 

6.神経経済学入門―不確実な状況下で脳はどう意思決定するのか(ポール・W・グリムシャー)

神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか

神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか

 

前半が結構なじみのない分野(計算論的神経科学が苦手で今まで結構避けてきた)の古典~近代の説明で始まるので読むのに苦労しました。行動科学というのは観察された事象の計測と推論なので、心理学は後者にあたるんですよね。前者は決定論的立場から、なにを志向しているのかを明らかにする。おなじみのベイズが出てきてからは話が早いのですが、感覚と運動の結合組織としての学習の話は教科書(「比較認知科学」「認知神経科学(今年から「生理心理学」になりますが)」)の延長で読めるので面白いです。行動経済学認知心理学の前夜をみている気持ちになります。もうちょっと関連書籍を読まないとわからない部分がたくさんあります

 

7.熱のない人間:治癒せざるものの治療のために(クレール・マラン)

熱のない人間: 治癒せざるものの治療のために (叢書・ウニベルシタス)

熱のない人間: 治癒せざるものの治療のために (叢書・ウニベルシタス)

 

治療は時に、治癒を断念し、それでもなお継続して、苦しむ人に寄り添い、その苦しみを和らげようとする勇気を必要とする。その時には、死の経験を受け入れ、〔人生の〕再開ではなく、その終わりを見すえながら治療しなければならない。

病者は一人ひとりが個別の人間であり、その人の病いも苦しみも、それぞれに固有の歩調で発展し、消失していく。文字通り生きている現象としての苦痛は、個別のリズムをもち、それは時計で計ることができない。苦しみの楽譜はアレグロで演奏することができないものである。

ジョルジュ・カンギレム「正常と病理」に基づいて書かれた本。ディディエ・アンジューやジャン・リュック=ナンシー、リクールやフーコー(後者2名については自分は本人の手による著作を読んだことがないが)の示してきた「治療」の侵襲性について過不足なく書かれていると思います。こうした記述は実は看護関連書籍にはよく書かれていますが、それが個人のナラティブに終わることが多く、それ以上の広がりを他者に与えることが少ないです。「身体知と言語」などがよい関連書籍として挙げられるでしょうか。あとは「知の生態学的転回」シリーズも。

 

8.ミシェル・フーコー、経験としての哲学:方法と主体の問いをめぐって(安部崇)

フーコー全然知らないなあと思って手に取ってみたのですが知らない人間が手に取れるような代物ではなかった(博士課程の学位論文に加筆修正)

心理学に相対するフーコーの叙述の分析からはじまりますが、フーコーがおよそ「哲学」というより時代の諸相の批評に徹していたことがうかがえます。where is foucault? という表紙にもあるように、彼の論評が一体どこからどこまでをカバーしていてどんな知見を後にもたらしたかをつぶさに書かれています。フーコー本人の本を読んでから読むべきでした、反省。

 

9.例外状態(ジョルジョ・アガンベン

例外状態

例外状態

 

何も命令せず、何も禁止せず、ただ自らのことを言うだけの、非拘束的な言葉には、目的との関連をもたずに自らを示すだけの純粋手段としての活動が対応するだろう。そして、両者の間には、失われてしまった原初の状態ではなく、法と神話の潜勢力が例外状態のなかにあって捉えようと努めてきた人間的な使用と実践だけが存在するのである。ージョルジョ・アガンベン「例外状態」

律法の「動態」を観察する(過去の内容を理解する、状態を記述する)思考。分野としては政治哲学かもしれないが、ことアガンベンの中では法哲学に近いのではないかと思います。タイトルが、非常事態を許容するものとしての例外状態であることからもわかりますが。中ほどに「ある法が定まるとその制約の中で人はあそびはじめる」みたいな記述があり、これはなんとなく納得できるもののそもそも法学からきしなので法の観点から政府の状態を類推するとか、非常事態についての法が定まると左右される決定について(多くは武力行使ですが)とか難しいです

 

10.人間本性論2 情念について(デイヴィッド・ヒューム

人間本性論 第2巻: 情念について

人間本性論 第2巻: 情念について

 

 

 生き生きした情念が、生き生きした想像力に通常伴うことは注目すべきである。他と同じくこの点でも、情念の勢いは、〔情念を抱く〕人の気性に依存するのと同じくらい対象の本性や位置に依存しているのである。

…信念とは現前する印象に関係する生き生きとした観念にほかならない。この〔信念の持つ〕生気は、穏やかな情念であれ激しい情念であれ、われわれのすべての情念をかき立てるのに不可欠な条件である。想像力の単なる虚構では、どちらの情念にも大した影響を与えることはできない。虚構は〔生気の点で〕弱すぎて、精神を掴むことができず、情動が伴うこともないのである。ーデイヴィッド・ヒューム「人間本性論 2 情念について」

人間本性論の2。

誇りと卑下についてから解説が始まるあたりは感情についてというか徳倫理学と感覚が近いように思いました。知性についてで感じた、あの鋭い知覚に関する見解は得られなかったようにも思います。