毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

読書感想文『この宇宙の片隅に』『オンラインデートで学ぶ経済学』

読書感想文というよりは「読書をきっかけに繋がる思考」についての文章です。

 

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

 

本日読了したこちらの感想をば少し。著者のショーン・キャロル氏は物理学者です。

本文の展開は「宇宙」のとらえ方を様々な角度から検討します。熱力学、哲学、数学(統計、特にベイズ推定の説明は見事でした。本書の中にこの考え方は多用されます)、そしてその宇宙で起こっている現象であるところの生物や人間の意識についての神経科学も非常にわかりやすく紹介されています。

本書が私に推される理由は、これらが「わかりやすい言葉で」「的確に」「1冊の本に」まとまっていることです。そして何よりその志向性が「前向き」であることです。本書はゴリゴリの理系分野の説明本ですが、説明がとてもわかりやすいです。少なくとも高校生くらいで数学や物理で挫折している(進路選択に入れなかった)わたしでも読める程度です。

こんなこといっているとポジティブ・シンキング撲滅派の方々に怒られてしまいそうですが私は絶賛抗うつ薬を内服して人生が楽しいです。果たしてこれをポジティブ・シンキングかといわれると甚だ疑問です。

 

さて、本書は宇宙における「適宜自然主義」についての説明にかなり力を割いています。その内容の解説については本そのものに委ねましょう。

そして下記のような疑問(ないし問い)をもつ方に、本書はその周縁の知識を楽しく紹介してくれます。とはいえ、この本の中に関連(引用)書籍として紹介されていたものではないものもいくつか含みます。私がこの本を読むまでに読んでいてよかった、この本と繋がりがあると思うものも幾つか挙げておきます。

Q1)なぜ意識は生まれるのかークリストフ・コッホ『意識をめぐる冒険』

Q2)宇宙のはじまりと終わり、観測可能な宇宙とはなにかーマックス・テグマーク『数学的な宇宙』デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』

Q3)思考する機械は意識と同じといえるか、個体としての意識の限界はどこにあるのかーダニエル・デネット『解明される意識』『思考の技法』ジョン・サール『MiND』アントニオ・ダマシオ『自己が心にやってくる』ポール・チャーチランド『物質と意識』

Q4)人のふるまいは自由といえるか、またどのように決定されるかーダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』ダン・アリエリー『不合理だからうまくいく』

Q5)生物はどのような試行によって生まれるのか、また行動決定するかーニック・レーン『生命、エネルギー、進化』リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子

 

それから、哲学から多く援用しているために下記をあげておきます。

デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』

もちろんサールやデネットも哲学に含まれるのですが、ヒュームの『人間本性論』やデカルトの『省察』(とそれに対するとある貴族の婦女子との往復書簡)あたりは読んでおくと前提知識が不要になるので楽に読むことができます。

 

実存の肯定と、他者との出会いについて

「この宇宙の片隅に」は、人間のいち個体という生命の意義を「遺伝子の乗り物」とも、「思考する機械」とも断言しません(検討はします)。生命に意味はあるかー否、というのもまた然りとは思いますが、そこで本書はきちんと読者を誘導します。より「主観的な生」を肯定するほうへと。限りある人生を楽しむほうへと。

 

さて、話をかえましょう。我々は意識をもち、選択をすることが可能です。配偶者でさえ「選択」して決定します。しかしそれは何を基準に?何を目的として?どのような手段で?

 

ーここでその答えを、上段に列挙した書籍の中に求めることは可能です。が、それは人類(というか現象)に共通のものの記述でしかなく、選択による「個人の幸福」とはなにかを考えるものではありません。どちらかというと、身近な問題からほど遠く、投げ出されたような気持ちになることも多いでしょう。

そこで、人の営みであるところのカップリングについて、身近なお話であるところの「デート」から考えてみます。

 

さくっと感想:『オンラインデートで学ぶ経済学』

オンラインデートで学ぶ経済学

オンラインデートで学ぶ経済学

 

折角なので『個の生きる意味』を虚無に抱かれないで済む方法を考えてみようと思います。まず、経済学という学問体系そのものが「資本の取引」や「労働の価値化」にまつわるものである以上、社会的な関係をなにか数字で表せるものに転換可能にする様式をよくとることを前提にします。そうでないと、「この宇宙の片隅に」とうまく接続することができません。

本書はさらに、それを「オンラインデートで学ぶ」と書いていますが、私は経済学に関しては門前の小僧的存在であるために、「オンラインデート」で起こる現象に経済という社会の現象を擬人化して仮託します。

 

本書をもう読んだことがあるならばおわかりかと思いますが、非常に読みやすく、また「オンラインデート」の体験(またはそれに似たものへの知識)があれば愉快な本です。

 

「人間と出会う」ことに関して、「この世界の片隅に」は有限である試行回数のうちで個体同士がであった偶然を喜び言祝ぎます。これに対して「オンラインデートの経済学」は逆説的です。人間社会の様相が複雑化して以来、「試行回数」を限りなく増やすことができ、また自分の一部(社会的立場、年収、容姿、年齢...)を共通の記号であらわすことにより取引可能な存在にすることで「選択の自由」がもたらした現在の状況について経済学の概念を用いて説明します(書籍としての目的は逆で、オンラインデートで起こるような現象を用いて経済学の概念を説明します)。

 

 

 

そしてここからは、自分の考えていたことです。

「出会い」というものは無数の組み合わせが存在しますが、対面で会話をし、時間を共にするに至るまでにはそれまでの(恋愛に限らない)経験から培われた「好み」により選定が行われます。が、オンラインにしろオフラインにしろ人間が配偶するに至るまでの関数は可視化することができても、最適化することはかなりの困難が伴います。我々は「条件」で勿論相手を検索するわけですが、ここに「社会的要素」「地理的要素」「精神的要素」「身体的(生物的)要素」などが含まれています。

社会的要素というもののなかには実は法的な枠組みも存在しており、そもそも「結婚したり子を儲けることがメリットになる」という共通了解や社会通念、周りからのプレッシャーが存在します。「自分にとっての幸福とはなにか」を希求するときにややもすると邪魔になるものでもありますし、反対にメリトクラティックな要素を賦与することで「相対的幸福」を感じるきっかけにもなることです。

地理的要素は実は重要で、好きな人(?)のために転居・転職・住み慣れた土地をどこまで離れられるのか...など、社会的要素も含みます。他の要素と別離可能ではありません。反対に、この要素は「自由恋愛」がもてはやされていなかった時代にはあまりなかった問題だと思われます。

精神的要素としたものは趣味や価値観、生活スタイルなどです。これも社会的要素や地理的要素に影響を受けています。「文化的要因」と言い換えてもよいかもしれません。自分に置き換えた場合、話していて楽しい人が(恋愛感情を抜きにしても)大好きですが、価値観と一言で言い表されるもののなかに数値化できない要素が多く含まれていることをとみに感じます。「オンラインデート」でリアリティショックを受けるのもこのあたりかもしれません。

身体的(生物的)要素は字義どおりです。挙児希望がある場合の相手の年齢や、性的魅力を感じる対象としての生物学的要因。

 

それぞれの要因に対してかかるエネルギーがどんなものなのか、自分にすべてを説明したり考えたりすることは困難そうです。うーんむ。

 

いくつかの思考の導入

さて、物理的な「組み合わせ」の問題でもなく経済的な「自由市場」における取引でも説明できない「互恵的な関係の構築」というものを、自分はどう取沙汰しようとしていたのか書いているすっかり忘れてしまいました。ここで少し過去に読んだ本を参照してみましょう。

民族の危機、都市の危機、そして教育の危機は、すべて互いに関連しあっている。包括的に見るならば、この三つはさらに大きな危機の異なる局面と見ることができる。その大きな危機とは、人間が文化の次元という新しい次元を発達させたことの自然的な産物である。文化の次元はその大部分がかくれていて眼に見えない。問題は、人間がいつまで彼自身の次元に意識的に目をつぶっていられるかである。エドワード・ホール『かくれた次元』

 

われわれが文化の研究から学んだのは、知覚世界の型どりというものが文化の函数であるばかりでなく、関係、活動性、ならびに情緒の函数でもあるということである。ーエドワード・ホール

 

世界は人手に不足しているのです。青年はこうした空席の一つの中に滑り込むことができます。ところが、自分にうってつけに作られた空席など一つだってないのです。青年は、人々が待っているようなあの新しい人間たちの一人になることができます。ところが、人々が待っていた新しい人間は、"彼"ではなかったのです。どうせ他の男でけっこう間に合ったことでしょうから。各人が占めている座席は、つねに無縁の座席なのです。自分の食べているパンは、つねに他人のパンなのです。シモーヌ・ド・ボーヴォワール人間について

 

私がここで言いたいのは、現代人は自分の好みよりも世間の慣習のほうを大事にするということではない。現代人は、世間の慣習になっているもの以外には、好みの対象が思い浮かばなくなっているのである。ージョン・スチュアート・ミル「自由論」

 

 

選択の自由といわれるとどうしても「自由意志」の問題に還元しがちで、そこに本当の自由はあるのか?という問いと、条件つきの選択をしていけば幸福が獲得できるはずだという功利主義的価値観が頭をもたげます。しかしどちらかといえば、「自由の選択」と「意志の自由」が我々に幸福という実感をもたらしてくれるように思います。

 

汝の隣人を愛せよ。

すべての考えに特に意味はないです。疲れたので終わります。

 

せっかくなので、最後にもっと参考になる書評をこちらに。

rmaruy.hatenablog.com

 

『オンラインデートで学ぶ経済学』解説:「もっとモテたい!」という切実な悩みから経済学を学ぼう|Webnttpub.