毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

100冊読破 4周目(21-30)

 1.隷従への道ー全体主義と自由(フリードリヒ・ハイエク

隷従への道―全体主義と自由

隷従への道―全体主義と自由

 

ハイエクの政治思想―市場秩序にひそむ人間の苦境(山中優)

ハイエクの経済思想: 自由な社会の未来像(吉野 裕介)

いずれも勁草書房から出版の上記2冊を読んだあと初めてハイエク氏本人の本を読んだのですが、まあタイトルの通りというか時代的に経済の本というよりは全体主義によって焼き尽くされた自由を再考するといった風合いです。風合いとかいうまでもなく名の知れた名著なので読んでおかねばと思い読みました。経済学的見地ではハイエクケインズと深い対立構造を築いていたとののとですが、哲学的姿勢(つまり全体主義への批判的姿勢)においてはハイエクの思想をケインズが全面的に支援する書簡を送っているとのこと。1944年3月初刊ですが、日本で初めて訳本が出たのは1954年。時代のことを考えれば致し方のないことかと思いますが、ミルの自由論に少し追うところはあるものの全体主義へ至る道についての話なんかは確かにひじょうに社会学的です。アーレントの「全体主義の起源」などに先立ってこれを発表したとなると、ほんとうにタイムリーな著作です。

ハイエクの政治的思想として、経済に対してどちらかといえば介入を最小限にする手段を選んでいます。そして労働者の権利の確保に関していくつか(この著書ではない別の本で)述べており、そういうところがどこか厚生経済学的な側面をもつのかなあと思ったりしますが、経済史全体をまだまだ俯瞰できていないようにも思えます。名著読破、とりあえずできてよかったです。

 

2.文化的再生産の社会学ブルデュー理論からの展開〕(宮島喬

〈増補新版〉文化的再生産の社会学  〔ブルデュー理論からの展開〕

〈増補新版〉文化的再生産の社会学 〔ブルデュー理論からの展開〕

 

以前読んだ「差異と欲望」のように、ブルデューを読解して日本社会に適用していくというもの。本人の著書、「介入」とか「ディスタンクシオン」をそろそろ読んでみようかと思っているのですが、もし本体があまりに難しかったらやはりこっちだけでもかなり正確にブルデューの理論を追えるような気がします。

 

3.アマルティア・センー経済学と倫理学(鈴村興太郎)

アマルティア・セン―経済学と倫理学

アマルティア・セン―経済学と倫理学

 

タイトルだけで調べていたら目的と違う本を借りてしまった(私が読みたかったのは2013年ちくま学芸文庫の講義録のほう)のですが、これもいい本だったので普通に全部読みました。前半がセンの経済学的な功績についての説明と考え方についての展開、後半が倫理における応用といった感じです。数式(記号?)が前半に出てきまくるので心が折れそうになるのですが、ひとつひとつその式が何を表しているかについても説明書きが足されているのでドロップアウトせずに済みました。厚生経済学における「効用」の捉え方、結構面白いなあと思います 学ぶところが多いです

曰く福祉における効用は受けとり手によって効果が違うので個体の数だけ、考えうる条件だけ多くのパターンが存在すると。この辺りは医療の考え方ではお馴染みですが、確かに(特にマクロの)経済学ではおざなりにされてきた見方だと思います まあケインズとかざっと読んだ感想ですけども。ヌスバウムと共同で研究していたこともあるくらい哲学には近いセンですが、ノーベル賞受賞の理由は経済学における功績に対してであったりします なかなか私にはついていききれないところもありましたが・・・

アダム・スミス、カント、ノージックロールズなどの論じる共同体の倫理に触れるとともに、ベンサムやミル、バーリンの提示する「個人の自由」を検討しているのが大変嬉しいところです。

 

4.徳について〈2〉徳と愛1(ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ)

徳について〈2〉徳と愛1

徳について〈2〉徳と愛1

 

1巻「意向の真剣さ」を読む前に読んでしまいました。

不幸のどん底に触れる者は、そのことによって、もはやなにも失うものはない。というのは、どん底より深く落ちることはないからだ。そして、絶頂は、凋落の不安定な始まりであり、絶望の極みは、また、再生の始まりでもありうる。暁は、もっとも暗い夜に準備され、春は、冬のもっとも長い夜に準備されるのではないだろうか。

徳に関しては結構宗教的要素が入るので理解しづらいのですが、「真摯さ」について述べているときの決定木みたいな割り振り方は結構好きです。モチーフに音楽が用いられることが多いのは彼自身がピアニストでもあったからのようですけれど、論理学的な側面は実は音楽の(特に楽譜の)中にも多分にあります。しかしジャンケレヴィッチから徳を学ぶのは私には早すぎたような気がします。

 

5.アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障(アマルティア・セン

アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障 (ちくま学芸文庫)

アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障 (ちくま学芸文庫)

 

 

飢餓は、悪魔と同じく、最後尾にいるものをつかまえます。

グローバリズムは別に人間を貧困にしないし格差を必ず拡大するとは限らんよ、っていうセン教授の東大での講義録です。今の日本の窮状をみるにいささか持ち上げられすぎている感はありますが、果たして文明の衝突を乗り越えてグローバリゼーションは人間を豊かにするか?という問いに答えます。しかし答えというよりは、グローバリゼーションはなにも今にはじまったことではなくかねてよりあったことだと続く。問題はそれがどのように為されるかにかかっているという観点で話は進みます。こないだ私が「エシカルコーヒー」にブーたれていた件にも触れられていました。薄いです。読める。読めるぞぉ

 

6.構造と実践―ブルデュー自身によるブルデューピエール・ブルデュー

構造と実践―ブルデュー自身によるブルデュー (ブルデューライブラリー)

構造と実践―ブルデュー自身によるブルデュー (ブルデューライブラリー)

 

なるほど、シミュレーション・モデルが、それで可能な作用様態を想像することが可能になるという、発見的機能を持つこともあるでしょう。しかし、そうしたモデルを構築する者たちは、すでにカントが数学者たちの悪弊として告発していた、現実というもののモデルからモデルの現実性にとび移ってしまうという教理的誘惑に、しばしば負けてしまうのです。

ブルデューは結構手厳しく分類に固執することを批判しています。これはブルデュー自身がそこで現れている構造よりもその構造をもたらす志向性と内在する実践に着目していたからであろうと思うのだけど、フッサールハイデガーメルロ=ポンティには影響を受けたといっていてなるほど感あります。

 

7.ヘーゲル初期論文集成()

ヘーゲル初期論文集成

ヘーゲル初期論文集成

 

直観はたしかに理性によって要請されるものではあるが、制限されたものとしてではなく、反省の作品の一面性を補完するために要請される。つまり、直観と反省はたがいに対立したままではなく、〈ひとつ〉になることが要請されているのである。

こうして自我=自我は思弁からは見棄てられ、反省にゆだねられてしまう。純粋意識はもはや絶対的同一性としては登場せず、どうがんばっても経験的意識に対立する。

 

徳が律法への服従の補完であるように、愛は徳の補完である、徳のあらゆる一面性、あらゆる排他性、あらゆる限界は愛によって廃棄されている。もはや有徳の罪、罪深い徳はない。というのも、愛はありとしあらゆるものの生きいきとした関係だからである。

ヘーゲルの文章というものをはじめて読みました(勿論訳本ですが)。

精神現象学、法の哲学、宗教哲学講義など西洋哲学の中ではカントやハイデガーと並んで重要な位置をしめていますが、この本に関しては法の哲学・宗教哲学としての要素が色濃くでているように思います。

 

7.悲鳴をあげる身体(鷲田清一

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

 

わかりやすい丁寧な文章で現代社会と人間の身体知覚の関係、自己肯定と社会性の保持をどう織り成しているかというのを新旧問わず哲学・文学の引用とともに説明するものです。短いし読みやすいですしなによりやはり得心がいく。

鷲田氏は臨床哲学だけでなくファッション…から皮膚までの身体知覚や空間の知覚、はてはコミュニケーションの場の状態を詳細に書き表して説明することに関しては他に類を見ないくらい簡潔です(私が慣れているだけかも知れませんが)哲学というと野矢先生とか出てきがちですが、臨床にいる人には、とくにケアワーカーには私は間違いなく鷲田清一氏を先に読んでいただきたいと思ってしまいます。その、考えることが難しいことではないということを知ってもらうために。いつでもあなたがたの手は、皮膚は、感覚は考えているのだとわかってもらいたいので。

 

9.開かれ―人間と動物(ジョルジョ・アガンベン

開かれ―人間と動物 (平凡社ライブラリー)

開かれ―人間と動物 (平凡社ライブラリー)

 

アガンベンは「裸性」を読んだ時にいいなって思って、主要概念の解説書である「ホモ・サケル」を読んだのでした。今回は政治哲学を巡る個人の話というよりは、人間と動物を分かつものはなにかとかそれが意思決定に作用できるかという話だったように思います ハイデガーの概念の応用が多いので難しい。結構ポストモダンかぶいたひとたちからの引用が多いし言葉の使い方も難解なんですが、この主要概念めっちゃ好きなんですよね。なぜかっていうと政治における主体の単位を個人の、特に肉体の主権に着目しているから。それはわりと攻殻機動隊の世界観に似ていると思う

 

10.赦すこと: 赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの(ジャック・デリダ

薄い本、というか持ち帰るのに軽い本というだけの理由で借りてしまったのだが中身はなんとジャンケレヴィッチに関する話題でござった。ジャンケレヴィッチとデリダ、なんとなく相性が悪く感じたのだが。というのもデリダはあくまで書字に拘り、ジャンケレヴィッチは概念の整理に拘っているように見える。「徳と愛」でジャンケレヴィッチの説明した「誠実さ」に関する分析はまさに書字(文法)というよりは論理的・記号的なものであり、意思決定のツリーのような分類法だったので。ジャンケレヴィッチのほうがデリダよりずっと難解で掴み所なく感じるし、デリダに言語化されると意味がわからん。

まあ意味わからんで終わってしまったらそれまでなのでそんなことで諦めるわけにはいかないのだが、本書は恩赦(恩寵)や人が人を裁くときの「赦さぬ」とはどういうことかについて論じている。和解、妥結、といった止揚の概念にやや近いものを持ち出した上で。「赦」と「許」の違いは、後者が比較的個人的・法的なものであるのに対して前者は超法規的・宗教的要素があることかなと思う(辞書的にもそうだけど)。恩赦というのも不思議な概念だけど。ハームリダクションが必要とされて以来、罪の与え方は変わっただろうけど、当時の贖罪の変遷はどうなっていたんだろうか。