毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

100冊読破 4周目(1-10)

1.京都の平熱―哲学者の都市案内(鷲田清一

鷲田教授、京都の都市解説ときけば読まざるを得ない。

京都市バス206号系統(東大路を北上、ぐるりと4大大路をまわって京都駅に戻るバス)に沿って「まちあるき」をする。特別な、拝観料のいるような観光地ははぶく。お茶の家元、花街文化、大学(これだけは禁をやぶっていたけれど)・・・には触れない。

 

京都に就職して実際に住むことになったあの3.30のことを思い出しました。町のもつ違和感について。それは様々な箇所で、次元で蓄積されていまも楽しませてくれる。京都は、歴史が深いからよいのではないー というの、得心がいく。そして何人かの京都人を思い出した。なるほど。

新しいもん好き、ちょっと人との距離があって、「間合い」をとてもじょうずに使う。それは決してきれいなものばかりではなく、汚い、ばっちいところもたくさんある。そういう京都。「こわい」京都じゃなくて、「素っ気ない」さっぱりした裏の京都について。

 

中高年による「昔は良かった」にはなんの価値もないけど、ここには昔の良さの上に今の良さ、どう乗せていこうね、という問いがあってよい。いや、基本的には皮肉と諧謔で彩られているのだけども、それすらも徹底していればなるほどそれは芸かとすらおもう(九鬼周造に弱すぎでは?

 

2.自由論(ジョン・スチュアート・ミル

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

 

とうとう読めました。ベンサムがここまで個人の幸福と法と経済のもとに持ちうる自由について言及していたかどうかわからないんだけど、確かに異色だった。先にバーリンの自由論を読んでいて、バーリンがその論の多くをミルに負っていた理由がよくわかる。経済が(今なら既に)解き明かした多くのことについて、まだ説明されていないときに、公的教育を一切受けていない彼が公教育の重要性を説いたのは特筆すべき点やなあと思います。サンクションが個人に負わせる責任の限界についてもはっきり書いている。

信仰は、精神の外部にとどまって、人間性の大事な部分を外部の影響から防ぐべく、精神を厚い壁で覆い、精神を硬直させる。現代社会では、こういうありさまがかなり一般化し、日常化している。信仰は、新しくて生き生きとした確信が入り込むのを許さないことで、その力を示す。しかし、信仰そのものは頭や心に何ももたらさない。信仰は、頭や心が空っぽのままであるように見張りをつとめるにすぎない。ージョン・スチュアート・ミル「自由論」p100

 

現代人が自分に問いかけるのは、つぎのようなことである。すなわち、自分の地位には何がふさわしいのか。自分と同じ身分、同じ収入のひとびとは、何をするのがふつうだろうか。(あるいはもっと下品な問いだが)自分よりも身分も高く、収入も多いひとびとは、なにをするのがふつうだろうか。私がここで言いたいのは、現代人は自分の好みよりも世間の慣習のほうを大事にするということではない。現代人は、世間の慣習になっているもの以外には、好みの対象が思い浮かばなくなっているのである。ージョン・スチュアート・ミル「自由論」p148-149

 

ふたつめの引用は身につまされるものがあります。マクルーハンの『メディア論』みたいですね。

 

3.4.社会システム理論 上・下(ニクラス・ルーマン

社会システム理論〈上〉

社会システム理論〈上〉

 

  

社会システム理論〈下〉

社会システム理論〈下〉

 

知覚とコミュニケーションのこのように素早く具体的な連携は、狭い空間においてしか生じえない。いうまでもなく、そうした連携は、知覚可能なものの範囲内でしかおこなわれない。

 

時間は矛盾の効果を強化する装置である。しかし同時にやはり時間は矛盾を緩和させるように作用したり、矛盾を解消させたりしている。

 

ルーマンのいうダブル・コンティンジェンシーとハッチその他が述べるシンボリック相互作用の違いは、おそらく前者は必ず「相手」という対象を求めるのに対し後者はむしろ作用の起こる「場」、つまり間主観性を求めるところにあるのではないかと思ったりした。完全に感想だけど。・・・というのを最初は考えたんですが、社会システムのもつ「自己再生産性(オートポイエーシス)」を特徴づけるものは決してそういう様態を指すわけではないんですよね。うーんなんというかまだまだ理解が足りないので、注釈本とか読みたいです。

システムに意味が賦与されていることに関しては完全に同意。賦与された意味によってシステムが持ちうるエネルギーというか作用はまったく異なる。「システム」と大きく括ってしまうのでものすごくわかりにくいのだけど、社会で作用をなしているすべてのことを「構造と機能をもつもの」として捉えたら近いだろうか。いやー誤読である可能性は否めないけど。つまり社会におけるダイナミクスみたいなものですかね。

というかこれを読んでいてつよく思うのは、現在いわれている社会学って構造的解釈というより心理学に寄りすぎちゃう?ということ。なかで動く人間に注目しすぎて、構成の部分にあまり着目されていないというか。随分その辺りは変わりつつあるし、是非やってほしいのだけど…見つけてないだけか

 

5.社会学の考え方(ジグムント・バウマン

社会学の考え方〔第2版〕 (ちくま学芸文庫)

社会学の考え方〔第2版〕 (ちくま学芸文庫)

 

 これめっちゃおすすめできます!社会学の真面目な本でどれ読んだらいいか訊かれたら(ジャンルを細かく指定されなければ)これをまず推してもいいくらいだと思います 少なくとも本を読み慣れているひとになら安心してお勧めできる。

社会学の系譜も追いつつ、社会学が隣接する学問領域からどのように思想を譲り受けてきたか(ex.ハイエクミルグラムデリダフーコー…)基本的には1900年代以降に絞っているのも的がわかりやすくてありがたい。

 

6.行動経済学の逆襲(リチャード・セイラー)

行動経済学の逆襲

行動経済学の逆襲

 

ダニエル・カーネマン、エイモス・トヴェルスキーと共同研究していた経済学者による行動経済学略歴のような本。1970年代の合理的意思決定モデルからの転換を面白く書き出しています。認知心理学に興味があって、かつ投資に興味があればさらに楽しめるはず。わたしは資産運用とか個人の株売買にあまり興味がないし知識も浅いんで、この本の20-28章あたりはかなり難しかったです。が、29.30あたりのドラフトの余剰価値とかは結構野球好きな人とか面白いんちゃうかと思いました…!

そしてそして終章に書かれている、「行動マクロ経済学を待ち望む」の言はまさに先見の明やなあと思います。貧困の経済学、社会学、教育や福祉に携わるにあたり人間の非合理的な行動を熟知していることと、それをリバタリアニズム的なパターナリズムによって損失を最小限にとどめることは急務やと。そうそう、アノマリーを観察することが行動経済学では大事ですよ!っていうのもとても面白いなと思いました(ちなみに心理学では今も昔も、観察が基本の基本だと思う)

あとはノーマンの「誰のためのデザイン?」にも触れられていたのでやっぱりあの本も名著中の名著なんやなと思うなどしました。アトゥール・ガワンデ「なぜあなたはチェックリストを使わないのか?」なんかもありましたね(こちらは未読です)。

 

7.あなたへの社会構成主義(ケネス・ガーゲン)

あなたへの社会構成主義

あなたへの社会構成主義

 

 思ったよりずっとずっと面白かったです!

むかしむかしに構造主義構成主義の違いについてさる人に問うたことがあるのですが、結局そのときはまだなんにもしらなくて一年半以上経ったいまようやく知るところとなった。構成主義の主要要素は個人を「自己」からなるものではなく「関係性をもつもの」として捉えることからはじまると思うのですが、ガーゲン自身も述べているようにシミュラークルではなく実践によってそれはありありと姿のたちあらわれるものであるというもの。以前、「社会構成主義の理論と実践」を読んだのですがめっちゃ難しくてついていけなかったのです。なるほど、ドラマツルギー現象学と理念が近いわけだな、と思います。理念が「ただしい」とかいうものではなく、これはなにかを実践する際の道具みたいなものであると思います。姿勢といってもいいですが。

 

8.データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則(矢野和男)

確かに人間の行動によるデータを出力したり、人間関係や会話量と実績の相関関係を出すのはいいと思うんですが原因と結果を逆転させたマネジメントに繋がりそうな本だったので、完全に読み物程度。これ、認知心理学とか認知神経科学分野からぶったたかれそうな本ですけど、どうなんでしょ。

 

9.気になるガウディ(磯崎新

気になるガウディ (とんぼの本)

気になるガウディ (とんぼの本)

 

ガウディが気になったので読みました。

写真集が3冊くらいあったのですが、磯崎氏が解説ということで嬉しくなってこれにしました。ちなみに一番気に入ったサグラダファミリアの内部天井の写真はなしです(観たければ別のを買うかネットで探すしかない・・・!)

Twitterのひとがスペイン旅行中にガウディの建築を何枚か撮られていて、それまであまり興味なかったのに内部構造めちゃくちゃ素晴らしいじゃないか・・・!と気になったのです。実際に本を読むと、釣鐘式(逆さづりのシミュレーション)をして重力に耐えられるの構造を分析したりと先進的なことをやっているんですよね。家のリノベーションとかも面白かったです。

 

10.電子メディア論―身体のメディア的変容(大澤真幸

電子メディア論―身体のメディア的変容 (メディア叢書)

電子メディア論―身体のメディア的変容 (メディア叢書)

 

さきほどの「データの見えざる手」もそうでしたが、名著をもじったタイトルが多くて面白いですね。電子メディア論、はマクルーハンのメディア論のもじり。データの見えざる手、はアダム・スミスの「神の見えざる手」(あれは著書ではなく概念ですが)のもじり。

なんというか、メディアの敷衍によるコミュニケーションの様相の変化を追う感じですね。表象文化論に近いものがあるかもしれませんが、どちらかというともっと心理学的・社会学的だと思います。うしろの方に付記として「オタク」について語るところが面白かった。私は東浩紀の「網状原論」とかよりよほどこちらのほうが面白いと思う。