1.僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう
覚えているのは山中教授と山極総長の話くらいだったのですが、ああ、そうか是枝監督のも覚えているな、いや全部覚えているな。
誰かが読んでいたきがして自分も読みたくなったのです。彼らの来歴を知りたいと思って。
いちばん面白かったのは総長のくだりなのですが、マイナー(とされてきた) 分野の研究を続けることってたいへんやなあと思うのです。そして動物を相手に心理的なかかわりをすることの特殊性も、いま人間を相手に働いたり学んだりしているからこそ余計に差が面白い。
2.アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書(山岡道男)
またつまらぬ本を読んでしまった。・・・別に現代社会の教科書でいいと思います
これの、資産運用のほうが読みたかったのでついでに買ったのです。
3.生命、エネルギー、進化(ニック・レーン)
ずーっと読みたかったのですが満を持して読むことができました!
かつて100冊読破をはじめたときの最初がドーキンスの『利己的な遺伝子』であり、273冊目が『生命、エネルギー、進化』であることをとても嬉しく思います。先の本は進化生物学のうえに経済学的というか行動経済学における意思決定時の選好をのっけたようなものですが、後者は完全に「物理的生物学」のような感じです。分子レベルでの物理的な試行が細胞に膜を与える場面とかめっちゃ面白かった。
それからこの本に出てくる古細菌(アーキア、ないしアーゾケア)の概念、知ってはいたけど実際どういう位置にいるのか知らなかったので細菌とどう違うかとか面白かったです。病原性がないと研究が遅れるというのはなんとも人間らしいです
4.慈悲(中村元)
修行者の理想は『自他平等』であり、『他人を自己のうにに転廻せしめること』をめざさなければならないという。かれの言をまつまでもなく、自他互融ということは大乗仏教の実践理想であった。
慈悲が、感性的なものをも肯定し得るが故に、感性的なものに溺れている人にとっては、慈悲を修してはならぬ場合があるということが説かれている。すなわち、慈悲の観法は、心に瞋恚の高ぶっているひとにとっては必要であるが、貪愛の強い人にとっては不適当であるというのである。
結構上の引用、認知行動療法的じゃないですか?
仏教の社会的側面も色々書かれていてよかったです 教典を解読するのは専門家に任せて、その実践と歴史を知りたい感じがある。宗教は実践してなんぼや。
5.ジャンケレヴィッチ―境界のラプソディー(合田正人)
徳を徳たらしめている『意図』『真摯さ』は、教えたり学んだりすることのできないものだから、このような『循環的因果性』によって、徳を汲み尽くすことはできない。
ジャンセニズムにとって、功績のいかなる蓄積も救済につながらないのと同様だが、学ぶことのできない『意図』『真摯さ』は、しかし、というか、だからこそ、この私が意欲するしかないものである。しかも、『意図』に先立つものが『意図』しかないのと同じく、『意欲しうる』ためには、『意欲することを意欲する』しかない。『始めることから始めねばならない』とも言われているが、このように『意欲することへの意志』こそ、ジャンケレヴィッチのいう『勇気』なのである。
ジャンケレヴィッチという稀有な哲学者について書かれた本。
音楽の独特の解釈が相変わらず好き。『徳について』『疚しい意識』などを読めたい
6.知覚の哲学入門(ウィリアム・フィッシュ)
- 作者: ウィリアムフィッシュ,William Fish,源河亨,國領佳樹,新川拓哉,山田圭一
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2014/08/31
- メディア: 単行本
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これの読書会をしようといってくださった方がいたので手に取りました。
途中から怒濤の読み切りをしてしまった(普通に楽しかった)。なんでむしろ最終章から書いてくれないんだ!!と思うくらい形而下に落とし込まれたほうがわかりやすい本だった 教科書というか放送大学の教科書にそっくりの形式で進んでいくのでなんだか読みやすい。メルロ=ポンティとかフッサールとか三木清を読んだ後でデネットとかポール・チャーチランドを少し読み、そのあとこれを読んだのだけど現代の認識に関する哲学の全貌を知らないので参考書みたいな位置付けになりそう
どうしても臨床にいたり認知心理学とか認知科学の本を読んでいると実際の経験が多いもので、論理的な部分というか形而上の話がうまく理解できていないと思う けど副詞説のくだりはまさにクオリアの問題なのでそういうアプローチもありかよ!と思ってたいへん楽しかったです 後半になると失認とかの話が出てくるので臨床の人も読めると思います(むしろ哲学畑の人にはこの感覚わかりにくいのではないだろうか)
7.中動態の世界 意志と責任の考古学(國分功一郎)
中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 國分功一郎
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2017/03/27
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認識論的な話に帰結するのであるけれども、何かを論ずるにあたって誰かの思考を借り、その変遷を時代とともに追っていく楽しさが本の中にありありとあった。旅をしているみたいな感覚だった。なによりこの本が、医学書院の、『ケアをひらく』シリーズからでているということに私はとても嬉しさを感じる。つまり、医療や福祉に携わる人々の目にとまるべくして書かれている。これは、自由意志を簡単に論じ、断罪してしまうこんにちだからこそ是非読まれて欲しい。倫理的諸問題に向き合うとき、自己決定というものはどこから生ずるかを考える必要がある。それを、たとえば知識のなさや教育の欠如、貧困などの切り口から入りこむこともできるし、制度や政治と法律の問題に置き換えることもできる。でも、『ことば』と概念に向き合うのもまた楽しい。言語で知覚を制約する、方向付けることは可能である。これはちょうど先に読んでいた『知覚の哲学入門』の副詞説でもでてきていたのだけれど、ことばにおいても『生命、エネルギー、進化』で論ぜられたような、文法構造による概念の発生があるのだなあと思って。
あと、余談やけど最後の方に章題が『これでカツアゲを説明できる!』とあって笑ってしまった。
8.受肉―「肉」の哲学(ミシェル・アンリ)
肉の概念についてはキリスト教的世界観の理解が必要ということはよーくわかった。それとは別に、ちょっと考えていたことがある。
パトスとロゴスについて。5年くらい前にも同じようなことを考えたことがある。じぶんは、感性と感受性について、感受性は『ただ受け取ること、感じ入ること』の能力であって『それを表現すること』とはまた別物だと思っている。それは今も変わらない。それに対して感性とは、何かを表現しうるという可能性を携えたものだと思っている。感受性と比較するのであれば、感受性は受動的なものであり感性とは強い情念に裏打ちされた表現力のようなものだと思っている。そして私は感性を尊重する。この感性をパトスによる力だとするならば、その表現においてときに表出の仕方がロゴスの力を借るものでなければならないときがあると思う。パトスはそれだけでは余人と共有しうるものではないので、ロゴスにより共有可能な形式になる。パトスがもとより弱い(少ない)ひとの心の裡にもそれを巻き起こしうるのは、ロゴスによるものであるとも思う。理論、モデルといった形式や定性のもつ美しさという世界もある。それはそれでひとつの芸術であるとも感じる。じぶんはどうも昔から感受性しかない人間だったのだけども
その感性の弱さや知性の貧相さを嘆くよりは、知性の懐広さと豊かさに慄くほうがよほど楽しいと思うようになった。その『愉悦』の感覚はまさしく感受性、弱いパトスのようなものがもたらしてくれたものであるし、弱いパトスが豊かなロゴスをくれ、豊かなロゴスは以前より大きなパトスをくれる。論理を構築する意味や言葉を尽くす意味はこういうところにあるのではないかな、とたまに思う。ジャンケレヴィッチが『えもいわれぬもの』と表現したように。
9.触覚、―ジャン=リュック・ナンシーに触れる(ジャック・デリダ)
- 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,松葉祥一,加國尚志,榊原達哉
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2006/03
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こうして触れることは隣接したものであり続け、自らが触れないものに触れる。それは、自らが触れるものに触れず、触れることを禁欲する。またそれは、欲望と欲求の只中で自らを抑制する禁欲のなかで、実はその欲望を形作っている抑制のなかで、自らの糧となるものを食べずに食べる。自らを耕し、育て、教育し、訓練するようになったものに触れずに触れつつ。
もちろん彼に教えたり知らせたりすることは何もない。そのそばではつねに黙って耳を傾ける方がよい思想家の一人に考えさせたり、考えさせようとすることが、どうしてできようか。それゆえ私は、彼に何も言わずに、せめて彼に触れたかったのだ。とは言っても、気配りを欠かさずに、節度ある距離をおいて。
しかし、気配りをもって。彼の心を揺さぶることなく彼に触れること。要するに、彼に何も言わずに、あるいは誰が話しているか告げずに、彼に知らせること。彼に知らせること、しかし触れることの問題について彼と何も共有さずに、彼であればこの知らせのなかで彼に触れる何かについて語るであろうように。私の感嘆を示す友愛の証しによって、彼を邪魔したり、うんざりさせたりせずに。ほとんど感じ取れないくらいに、触知できないくらいに。
ナンシーについては『共同-体』しか読めていないのでなにを理解したというわけでもないのですが、とにかくデリダの文章が読みたかったという気持ちが強い。実際いい文章でした。
10.人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計(メグ・ジェイ)
人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: メグ・ジェイ,小西敦子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/04/07
- メディア: 文庫
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これもたしかTwitterの方に教えられて読んだのだと思うけれど、なんというかこの人の『対個人性』と『臨床性』がつよく前に出てしまって結構忌避感強かった。回避性のあるパーソナリティとかにはええんかもしれません。なによりまず、『子どものいる家庭がハッピーエンド』だと決めてしまっている時点でこの人の価値観を強く疑う。それは相手がだめだったからうまくいかなかったとかではなく、単純に人の社会的価値を測りすぎとちゃうか、と思うの。本を出すにあたってはもっと慎重になるべきだと思ってしまった。もちろん、将来『なんとなく』結婚したいとか、子を設けたいとか、いい仕事に就きたいと思っているだけでなんの行動もできない人間にはよく効く薬だと思う。けど私のような読者には向かない。
まあ確かに、20代で決まるとは思うのです。でも、それを絶対視する理由もなければ上記の理由でそれがハッピーだとも限らない。私たちは不確実性の時代に生きているので、だからこそ、それ以降も変わり続ける必要はあると思うのです。
ああ、そうだ、この1年のはなし。
ただ働くだけなのが不安でなにかはじめたいけど勉強もはかどらず、本を読み始めたのですが、本を読むだけで「なにかがトレーニングされるわけではない」ことは、100冊読破が1度終わったときに書いたような気がします。意識高い系または虚無感に包まれている系の矛盾はそこにある。なにかをトレーニングせずして武器にすることは叶わないのです。私も得物が欲しい(物騒だなあ)。