毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 3周目(11-20)

1.精神について―ハイデッガーと問い(ジャック・デリダ

精神について―ハイデッガーと問い

精神について―ハイデッガーと問い

 

討論を、たとえもうすでにとても遅くなっているとしても、中断させなければ十分です。眠ることのない精神は、帰り来て常に残っていることをするでしょう。炎や灰を通して。しかし全く別のものとして。避けようもなく。ージャック・デリダ『精神について』

ハイデガー読んでなくて『存在と時間』も当然未読なのによんでもうた。最初の方に書かれていた、「なにかが語られることによって語られないことが克明に浮かび上がる」みたいなくだりが好きでした。なんというかハイデガーの講演自体が、時代背景なくして語られえぬものなので理解は難しい感じした。ハイデガー読まねばな。

 

2.差異について(ジル・ドゥルーズ

差異について

差異について

 

ベルクソンは事前に『意識に最初から与えられているものについての試論』『物質と記憶』『笑い』を読んでいたのだがなんとなくドゥルーズの傾向はメルロ=ポンティよりもより弁証学的で知覚(主体)というよりは論理(客体)に近いものを感じる。

千のプラトー』『スピノザ』『差異と反復』とあれこれ読んでみたもののまだなにもわかっていないなあ

 

3.かくれた次元(エドワード・T・ホール)

かくれた次元

かくれた次元

 

じっと一目見つめるだけで、罰することも、励ますことも、優位を確立することもできる。ひとみの大きさで好きかきらいかを示すことができる。ーエドワード・ホール『かくれた次元』

 

われわれが文化の研究から学んだのは、知覚世界の型どりというものが文化の函数であるばかりでなく、関係、活動性、ならびに情緒の函数でもあるということである。

 

ウェストエンドの人たちが悲しんだのは、環境そのものではなく、一つのまとまった生活様式としての建物、道路、そして人間という複合された関係だったのである。

 

文化の次元はその大部分がかくれていて眼に見えない。問題は、人間がいつまで彼自身の次元に意識的に目をつぶっていられるかである。

なにといえばいいのか困るが、公共空間の知覚に関するはなし。

臨床のひとというよりかは、むしろ建築のひとたちに読んでいただきたい。

 

4.抄訳 古代哲学者墨子―その学派と教義(ミハイル・レオンティエーヴィッチチタレンコ)

抄訳 古代哲学者墨子―その学派と教義

抄訳 古代哲学者墨子―その学派と教義

  • 作者: ミハイル・レオンティエーヴィッチチタレンコ,飯塚利男
  • 出版社/メーカー: MBC21
  • 発売日: 1997/10
  • メディア: 単行本
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墨子の兼愛思想好きなので読んだのだがこれを初墨子本にするのは明らかに間違っている気がする。一応昔『墨攻』は読んだことがあるけどそういうレベルじゃないこれは完全に教科書というか研究書のたぐいだ。しかもロシア人が書いたやつ 正直ちんぷんかんぷんだった、が、そもそも文化大革命によりかなり失われてしまった貴重な資料の多くがロシアに流れていてそのまま保管されておりロシアには古代中国哲学研究の素地があるという文化的背景が面白かった。墨子自体についてはなんというか法哲学社会学的な側面が大きくて所謂隣人愛とかというより功利主義的面が見えた。

というより中国思想史自体が全体的に、哲学寄りなのかもしれない。

 

5.『荘子』―鶏となって時を告げよ(中島隆博

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

 

コミュニケーションとは、メッセージを、バックグラウンド・ノイズとそのメッセージに内在するノイズから、引き出すことを意味する。コミュニケーションとは、干渉と混乱に対する闘いである。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より

墨子社会学法哲学という感じだったけど荘子は公共の哲学という感じである。

結構他我の境界が曖昧な論理が多いというか、あまり個体としての肉体を意識していないのが面白かったです 荘子もうちょっと読みたい。

 

6.『孫子』―解答のない兵法(平田昌司

『一曰度、二曰量、三曰數、四曰稱、五曰勝、地生度、度生量、量生數、数生稱、稱生勝、故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰』ってやつが好きだった。何かものことを考えるにあたり、その地形や概観を把握して投入すべきリソースを考えるというのはほぼマネジメントの考え方。確かに経営者が持て囃す理由もわからなくはないが、物事のとらえ方の整理であって実際に経営に使えるかといえばそうではないと思う。なぜビジネスマンはすぐに孫子を読もうとするのか。

 

7.不確実性の時代(ジョン・K・ガルブレイス

不確実性の時代 (1978年)

不確実性の時代 (1978年)

 

ヴィトゲンシュタインの『論考』を読んだからだろうか、ちょっと面白いなと思った。私は大抵本を選ぶとき、本屋・図書館のどの棚にあるか/どの著者のものであるか/どんなタイトル・副題であるかに結構左右されている。『不確実性の時代』は、経済学の中でもエスノメソドロジーに近いところにあった。なおかつ、ガルブレイスの手によるものでなければ私の目には止まらなかったと思う。経済学に疎く、一般の高校生くらいの知識しかない自分にとって(マルクスを除いて)初めての本がガルブレイスの『現代経済入門』だった。非常に読みやすかったので、この本にも期待したのだけど、正解だった。

でもガルブレイスにまつわるこのような経験がなければ、少なくとも高校の教科書にはガルブレイスの名前はなかったはずだし(もしかしたら資料集とかにはあったのかも知れないけど)、自分は多分この本を手に取ることができなかったろうということだ。『現代経済入門』も、たまたま古本屋で見つけた。というわけで本書は経済学から見た近代世界史の解釈、というか経済史のような本であったわけなのだけど、近-現代社会って政治的な解釈をするよりも経済的な解釈が補助にあったほうが随分わかりやすいのだなあと思った。高校のときにも思ったことだけど、経済ってあまり高校で教えてもらえない。1978年の訳だけども非常に読みやすいし(訳者の業かどうかはわからんけど)、2009年版のが講談社から出ているので、私のような門外漢にはありがたい本。

 

8.社会理論の現代像―デュルケム、ウェーバー、解釈学、エスノメソドロジーアンソニー・ギデンズ

社会理論の現代像―デュルケム、ウェーバー、解釈学、エスノメソドロジー

社会理論の現代像―デュルケム、ウェーバー、解釈学、エスノメソドロジー

 

 人間の自由は、行為の結果を知ることばかりでなく、その知識を行動の反省的合理化のコンテクストのなかに適用することにもあるからである。ー『社会理論の現代像』アントニー・ギデンズ

副題を知らずに読んだ。図書館はカバー外されているのでこういうことがよく起こる。適当にジャケ借りというかタイトルに惹かれて手にとってあわや挫折するかと思うくらい大変な本だったのだが、この本自体が目指していたものがなにかが見えて来ると途端に価値あるものになるので不思議なものである。

マルクスについてはいろんな人がいろんな角度から解釈を与えている 前に読んだガルブレイスの本にもあったし避けては通れん道なのだが、社会哲学というか社会科学と公共哲学が分かれる前の哲学というか方法論的な経済学と解釈してよいような気がしてきた。あいにくデュルケムもウェーバーも読んでいないので話の委細ははっきりいってさっぱりわからんといってもいいくらいなのだが、哲学がまだ社会哲学としては唯物論的史観しか持っていなかった頃からの観念の転回を援けたのが本書なのではという気がする。しかしユルゲン・ハーバーマス、公共哲学においてはかなり重要なポジションっぽいので『公共性の構造転換』だけでも読んでおいてよかったーという気になっている 社会学という大枠についていけないからこそ法哲学とか経済学に区切って考えているのだよ

 

10.エスノメソドロジー社会学的思考の解体(ハロルド・ガーフィンケル

エスノメソドロジー―社会学的思考の解体

エスノメソドロジー―社会学的思考の解体

 

 私たちがすでに確証したことは、規則を決め、状況を定義することも、当の行動を記述することも、物語の語り手の特権であるということだ。...私たち(読み手/聞き手)は、もとの実際の行動をこのような記述的カテゴリーに変形するコード化手続きの適切さを信用しなければならない。

これに関して、東日本大震災の折の混乱を思い出してコメントを下さった方がいたので少しつけたしを。コード化について、たとえば一定のメソッドにしたがっていればそれに倣って誰かの語り口を塞いでよいかといえばまったくそうではなく、反対にナラティヴなものについて、質的・量的にひとつの視座から簡単に評定していいものではない、ということです。

あとは『受刑者コード』の章が面白かった。会社とか部署とか、教室やラボみたいな狭いコミュニティにおける文法に苦労したことがある人は結構いると思うんですけど、自分はそこから落伍するひととなんとかコミットする人の差やそこのムードが良かったり悪かったりする理由がとてもきになるのです。社会心理学みたいな分野はあれどそれだけでは説明がつかないだろうし、勿論そこでのローカルルールや個人の社会的要素も反映されると思う。ミニマムな公共哲学みたいな感じですかね。アノミーについて深めていきたい所存。