毒素感傷文

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ヌードモデルをやる。

まだ2回だけど、クロッキーの裸婦のモデルをやっています。珍しいんじゃないかな、と思って所感を書いてみました。

 

 

人の前で服を脱ぐということ

モデルをする、というと聞こえのいいものだと思います。少なくとも、今の世の中では。承認欲求という言葉がスラングのように垂れ流され、誰もがこぞって自分の媚態や醜態、或いは社会的地位を誇示するような画像をネット上に流す世の中です。

『被写体やってます』なんて文言も見慣れました。10年くらい前から見かけるようになった気がしますが、それはただ単に自分がネット社会に馴染んだだけかも知れない。

 

服を着ているモデルは、写真でよく見ます。しかし絵の、それも裸婦は、なかなか世に見ない。

 

というわけで、やってみたのです。自分と向き合うためなんて高尚な理由などではなく、単純に興味本位から。

 

 

動機は大したものではない

動機1。昔から友人のモデルをやってきたから。

自分の随一の親友は美術系の高校を経て美大へ進んだ変わり者でした。中学生だか高校生の頃にはパンツが見えそうなよくわからない白いシャツワンピを着せられて、落ち葉の降る公園に寝かされて写真を撮られたりしていました。

 

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画質悪いですが当時のもの。確か10年位前のものです。

彼女の課題には度々協力しまして、実際の完成品を見ることができたものからできなかったものまで、いくつか頼まれてははいはいと応えました。そうして誰かの表現に寄与できることが楽しかったですし、単純に自分のことを抉り出してくれるその慧眼を誇らしく思っていたからでもあります。

 

 

動機2。人間の身体、皮膚や筋骨格に愛着があるから。

昨年、生まれて初めて写真でもヌードに挑戦しました。それは、女性の裸体を被写体として写真を撮りたいという趣味の方と需給の一致をみたためだったのですが、それはそれは楽しみました。ものをつくる、それも一緒につくるという楽しみはそこでやっと垣間見ることができたように思います。

 

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撮影@picca009

 

仕事でも人間の体を相手にしていますが、人の体というのは実にうつくしくできています。左右対称だからとか、痩せていて肌がきれいだからとか、そういうものではありません。生命活動をするすべての個体をそれぞれに愛しているのです。というと、ちょっと気持ちが悪いですが、実際に病んだり老いたりした皮膚や筋骨格を慈しむ気持ちはほとんど愛情としか言いようのないものです。彼らが生きていて目の前で動くとき、絶えずこちらも影響を受け続けています。

それは恐らく、この文章を目にするであろう(どんな方々がこれを読んでくださるのかはわかりませんが)ひとびとの想像を絶するほどの深い傷であっても、それが排膿していても、やがて腐り落ちていく運命にあってもです。その奥にまだ息づくやわらかい肉芽がある限り、私はそれを愛おしく思う気持ちから逃れることができないのです。

 

…とまあ前置きは長いのですが、そういうわけで並々ならぬ人体への興味が嵩じて美術の世界になんとかこの興味を反映できぬかと目論んだ結果のひとつが、裸婦モデルだったわけです。安全にできる活動であれば、本当はなんでもよかったのです。

 

 

 

実際にやってみた

そんなわけで、この前初めてクロッキー会に行ってきました。会には、若くて中学生の女の子が、年老いて60代の男性がいらっしゃいました。男女の数は半々で、10人に満たない程度。

10分のポーズを1回、8分を2回して休憩。

6分のポーズを5回続けて休憩。

そこから4分を5回して休憩、3分を10回と2分を2回…だったかな、あまり詳しくは覚えていないのですがそんなものです。計25ポーズくらい。

 

はっきりいいますと、恥ずかしいとかどうこうより疲れます。とても疲れます。ある姿勢を維持する、それも描き手が描きたくなるようにちょっと不自然な姿勢をとるわけですから当然なのですが、複数の目が真剣に自分の体の細部を描くというのは不思議な感覚です。

どちらかというと、向こうの熱意に応えるのに必死になる感じに近いです。

 

休憩時間には、女子中高生ならではの(それも画塾にくらいだから結構はぐれものの)トークがあって、社会人になろうとしたりなったりした芸大・美大生たちの会話があって、まあそんな素養のない私はじっと耳を傾けていたわけなんですけど。

楽しくて、よかったなあと思いました。

そして自分の学生時代にも、こうして他の世代のひとたちとフランクに関わるガス抜きの場所があったらよかったなあ、なんて思ったりもしたわけです。

 

当面は面白おかしくモデル活動を行えそうです。ではでは。