毒素感傷文

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真珠のボタン

streptococcus.hatenablog.com

 

光のノスタルジア、そして真珠のボタンを観終わりました。

前回見た時点で出ていなかった答えが補われた気持ちがするので、もうひとつ記事にしてみようかなと。光のノスタルジアを観た前提で書いているので、真珠のボタン1作分の感想はちょっとはみ出してしまいますが、前回言葉にならず歯がゆい思いをしましたのでその分をぶちまけていきます。

 

 

▼銃・病原菌・鉄を思い出した

発達した文明と発達しなかった文明の話について、見出しの本を思い出しました。ジャレド・ダイアモンド著。

侵略の是非と共存ないし共生の是非について。光のノスタルジア、真珠のボタン、ともにかつてあった虐殺の内省もするお話しですが後者の方が圧倒的に観ていて苦しかったです。なんでかはちょっとわからない。

 

 

 

映画を見てから少し時間が経ってしまったのですが、音響効果は2作とも素晴らしかった。氷山の氷が割れる音、中でこつこつと響く音。

ノンフィクションで演出というものをどこまでいれるものなのかはわかりませんが、光のノスタルジアが視覚的効果に重きをおいていたように思うのに対して、真珠のボタンは音響が素晴らしかった。映画館で観たのですが、これは映画館で観た方がよりよい気がします。

 

あと、母語ってなんであんなに物事を語るのに適切なんでしょう。

言語について考える機会が最近多くて、自分の母語は日本語でありイントネーションは関西弁なんだけど、他人とコミュニケーションをとるためなら標準語に近くなることもあるし片言でよければ英語だって喋るわけで。だけど本意というか気持ちそのものは母語が一番語りやすいわけですよ。

物語の中でもカウェスカル族の言葉が出てくるのですけれど、スペイン語を喋っているときよりずっと聞き取りやすいんですよね。私はスペイン語に精通しているわけではないのだけれど、スペインの映画を見ていて役者がスペイン語を喋っているのと比べるとやっぱりとても一語一語が聞き取りにくいわけです。それが、カウェスカル語をしゃべりだすと流暢でなんだかとても耳なじみがよい。何をいっているかは字幕を読まないとさっぱりわからないんですけれど。

 

 

 

個人的には、光のノスタルジアは倫理と哲学の話で、真珠のボタンはそこから掘り進めた文化人類学の話のように感じられました。いやいずれも遠からずあるものなのですが、真珠のボタンはより社会批判的であるなあと思ったのです。光のノスタルジアでチリという土地や社会状況の辺縁に触れながら天文学の魅力そのものに触れて、真珠のボタンで現代史を絡めながら掘り下げていく感じ。どちらもよかったです。