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毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

わたしが医師でも薬剤師でもなく看護師だったのは単なる偶然からである

タイトルの通りの日記をちょいと書いておく。

 

 

 

私の経歴、というかこの職を選ぶに至った理由はバックナンバーにあるから、それを参照していただきたい。

結構適当な理由だし、けれど深刻に悩みもしつつ慎重に足を踏み入れた。

そして勉学するなかでよく言われたことがある。

「なんで頭いいのに医師にならなかったの?」と。

その質問はいつもひどく私のアイデンティティを揺るがしたし、苦しめもした。

けれど今快適に仕事をするにあたって、ようやくきちんと100%の答えを返すことができつつある。

 

 

 

準備がなかったからというのは言い訳に過ぎない

言い訳に過ぎない、というのは別に言い訳であっても構わない。

ただ答えとしては50%~80%の確信しか持てていない状態である。自分に嘘をついている。

なので、自分にも嘘をつかなくてよくなった段階である今、きちんと答えを用意しよう。

 

「準備がなかった」のは、体力的・気力的な元手の減退である。高校生のころに目指さなかったのはそもそも医学に興味を持っていなかったからだし、数学・化学(特に無機)ないし物理といった医学部の受験に必要な科目があまり得意でなかったからだ。

そんなことをしゃべる余裕もないあいだに高校生の半分を私は床に臥せったまま過ごしたので、そもそも論外だ。医学を学ぶというのは最低限健康でなければかなり苦労する(それは今自分がいる分野でも勿論そうなのだが)。

多少社会に復帰してからも、受験勉強に加えて6年間の医学部生活という学生身分に耐えるだけの心の余裕はなかった。社会的・経済的に自立することが自分のなかでの健康への一歩だったから、あまり魅力がなかったのである。何よりその先の生活を考えたとき、果たして自分はその分野において適切な人間であれるだろうか。健康を維持できるかどうかもままならない状態で、過酷な勤務に耐えられるだろうか。あまりそうは思えなかった。6年間の学部生活を終えたあとの2年の研修生活があることも当時は既に知っていたが、どう考えても耐えられるとは思えなかった(やってもみないでこういうことを言うのがよくないのはわかっているが、選ばなかった道なのでこういう言い方しかできない)。

 

適当にもぐりこんだのが専門学校だった。もぐりこんだ、という表現がまさしく適切である。何せ学費が安かった。そうして1年の留年(というかほぼ休学に近かった)を経て卒業して働きはじめて、思うことがある。

 

 

 

共に働くパートナーとして思うこと

この記事を読んで思ったことがある。

私は最初から、医師を上司だとか思ったことはない。たとえどんなに経験があって年も階級も上の医師であっても、私たちの職種が職種全体として瑣末に扱われたことがないからかも知れない。

完全に別世界の住人といえばまあそうだし、違う視点で患者を診ている協同職者として捉えている。

 

勿論最初は(私も妙な科に属していることもあって)診断の過程、治療のプロトコールを理解するのに四苦八苦したし、それを理解できていないまま指示を受けることにとても抵抗があった。意見を求められるのもとてもつらかった(わかっていない人間には頼むから何も訊かないで、と思っていた)。

 

今も勿論わかっているわけではない。だからこそ、自分の理解の範疇を示すことに少しずつ抵抗がなくなってきたし、こちらの専門性が尊重されることに関しても安心することができる。タイムリーに仕事をしていればこその楽しさもまたある。勿論苦労がないわけではない。

学生でいたころにはまだ経験していなかったために抵抗できなかった、「なんで医師にならなかったの」という質問に対して今やっと、こういう形で応えることができるのはとても嬉しい。私は医師そのものではなく、専門のよき隣人として働きたいだけなんだと。患者とそれを取り巻く医療の現場をつぶさに見つめるのが楽しいから、そういう心の余裕をもったままで働ける仕事がよかったのだと、ようやく言える。

 

まだまだ言いたいことはきっとこれから出てくるのだろうけど、これはこれでまとめておいてもよいかと思う。