毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

リップヴァンヴィンクルの花嫁

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まだこれについてしゃべるには、口が、重い。

相変わらずネタバレはしないというか本編には触れない自分語りになりますが、映画の重要なテーマに触れている可能性があるのでお気をつけて。

 

 

▼映画そのものについて

①時間

結構長いです。3時間ありました、わりとびっくり。

冗長ではありませんが、映画の情景そのものを楽しむ集中力のある人でないと『意味不明』な雰囲気映画になると思います。私は好きでした。嫌って欲しくないから、最初からそういう前書きをしておきたい。長いよ、大丈夫?と。

 

②音楽

最高です。最高以外の何物でもありません。いや、自分だけかも知れない。そう思ったのは。

重要なところでバッハの「G線上のアリア」が出てきます。

あの曲、通奏低音(チェロ・コントラバス)の音程わりと難しいんですよ。ずっと練習したんです。高校生のころ。バッハは調性に厳しいというか外すとすごく目立ちます。曲の雰囲気が台無しになるから、本当にずっと練習した覚えがあった。そしてあの映画自体が、そのころの多感であまりにも傷つきやすかった自分の剥き出しの部分を抉ってくる話だったので、とーってもしんどかったです。個人的な感傷ですがね。

 

③キャスト、演出、監督

Cocco見たさに見たのは私だけですか。そうですか。

 

勿論岩井俊二監督だから観たのもあります(リリィシュシュの全てはあまりにも有名だし、中学生のときに観たし、花とアリスも観ました)。

黒木華嬢のことは存じ上げませんでしたが、綾野剛のクサくて人間らしい演技も結構好きだったので期待もまあまあありましたし。

 

 

 

▼要素別

①ベタ(闘魚)のシーン

ベタをね、ワイングラスに2匹それぞれ入れるシーンがあるじゃないですか。

ご存知の方はいらっしゃると思うんですが、ベタって2匹一緒に入れると凄まじい勢いで喧嘩するんですよ。相手を殺すまで続くこともしばしば。

それで、中間部でワイングラスを傾けるシーンがあるでしょう。で、ラストシーンでもまたベタが出てくる。

中間部でどうなったか、ラストシーンがどうだったかは観ていただいた方にならわかると思うんですが、とても象徴的でしたよね。

 

②うそとほんとうのおかしさについて

ある時から、『真実』を求めることの愚かしさについて考えることが増えました。

この映画もそうだったと思う。虚構が真実を嗤うはなし。虚構は現実かも知れないし、真実は夢想かも知れない。そういうはなし。

あまりにもやさしい虚構と、あまりにもむごい真実があったら、どちらを選ぶかはさじ加減のように思うのですよね。

真実はどこまで有効なのだろう?真実の効能とは?

 

「ネットと現実」なんて、facebookなんか見ていればすぐわかるんじゃないでしょうか。実名登録で、ほとんどupしている写真が旅行のものだったりして、まあそれも嘘ではないんですが「仮初」あるいは「建て前」に過ぎないと思いませんか。そして、その建て前や見栄は、あってはいかんものなのでしょうか。

 

嘘は絶対にいついかなる時も『悪』でしょうか。

「結婚」という儀式は、善で、真実なんでしょうか?

 

③儀式と悼みについて

終盤のシーンに触れてしまうことになるんですが、ひとは、「自分の基準に反するから泣けない」「泣く場面じゃないから悲しめない」ということがあるなあと思います。

 

このブログやTwitterをときどき読んでいただけていたらご存知の方は多いと思うのですが、私自身は医療職です。人の生死によく携わります。

ですけれどそれは実に医療的・治療的で、儀式的側面や感情的・霊的側面は無視されがちです。いえ、家族や本人のものは勿論尊重するのですよ?我々のはなしです。

悲しいときに、私たちはあまり泣きません。人の死をわざわざ悼んで、通夜を執り行ったりすることはありません。「生きている瞬間」から「生きていた瞬間」への移行を目の当たりにするのみです。よりよい生であったようにとすべてを整える作業をしているだけです。それが毎日の、或いは喪の作業であるのかも知れませんが。

 

韓国の「泣き女」という文化を思い出しました。

今もあるのかはわかりませんが、泣き女を雇って出棺の際に大泣きしてもらおうというもの。心が凝ってしまって泣きたいのに泣くことすらできないとき、涙を流せる環境をつくるというのはある意味それも喪の作業なのかもしれません。

はんたいに通夜というのは、ショックの時期を超えて死を実感する、或いは親族で集まって共有する、或いはその間だけ体裁を整えなければならないことで社会生活を維持するという機能もあります。喪の作業ではありますが、時間経過とともに必要なものは変わってきますから、それもそれで必要なのかもしれません。

 

結婚式は時代とともに滑稽になっていくけど、喪の作業は、いつまでもあるだろうなあとたまに思うのです。我々のように科学の徒であっても悲しむことからは逃れられませんから。そういうときのために祈りがあるんです。なので私は祈りが大好きです。どんな宗教でもいいけれど、なにかひとつ信仰をもっておくと、その宗教をバックグラウンドにして地盤をもつこともできますし、喪の作業にも付き合ってもらえるんです。ひとりにならずに済みますから。

 

 

▼せいかつ

色んな『生活』の話でした。

不登校の少女がときどきいう、「せんせい、今どこにいるの・・・」というセリフ。

それぞれ、その時々に違う生活があって、それを定点観測している人もまたいる。

綾野演じる安室もまたそうでしたね。

ちょっと書きかけなんですが気力がなくなってきたので終わります。ではまた。