毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

さらにさらに深く潜る

感情を遡及していく。

 

 

 

自分の内側に湧出する感情に、そして感覚にどっぷり浸かる時間がないと、多分生きていけないだろうな、という実感は抑うつを経て手に入れたと思っていたのだが。ここ最近はそんな猶予も与えられず、気づけば消費するばかりになっていた。

少しはましになったとはいえやはり春は堪える。

冬が堪えるようになったらば、それは加齢だろうか。

 

 

 

深く悩んでいるなあと思う。最近。深く悩んでいることにすら自分でも気が付けなくなっている。様々な兆候が出てきている。

こういうときはいつも言語化することでなんとか少しずつ吐き出してきたのだけど、最近はそれすらも遠慮があってできなくなっていた。いったい誰への遠慮だというのか。

 

仕事がしんどいから仕事の話をする。普段ほとんどしない(疲れたとか労働時間しかつぶやかない)けど。

 

 

 

▼思いやりという言葉について

相変わらず私は思いやりという言葉が死ぬほど嫌いだ。怖気が走る。

ホスピタリティはサービス業でやればいい。我々は勿論ホスピタリティを伴うがそれは専門技術としてのホスピタリティでありホスピタリティそのものが売り物ではない。

という前提はともかくとして、一度なにか大きな出来事が起こるたびくよくよ悩むのはわりと昔からの癖である。原因を追求せねば気が済まないのだ。次には二度としたくないのだ。そう、二度と。この完璧主義っぷりが自分を追い詰めることになったとわかっていても、やめられないものはやめられないので、仕方なく腹を見せて受け入れることくらいしかできない。

 

その思いやりが私には最初から欠如しているので、学校に入る前からそもそも業界の理念との乖離は自覚していたのだが、こうも眼前に突き付けられるとさすがにげんなりする。勿論私の同胞も数多くいるのだけど、それでも建前上は「そう」なのだ。

自己を離れて他者に介在することができない以上、自分を通して相手を知覚することしかできない。だから、そのトランスデューサーとしての自分が変調を来すと知覚に関する感度が下がる。それがとても嫌だ。しごとの質が落ちる。

なので、1年間できるだけ楽をして過ごしてきた。いや、決して楽ではなかったけど、少なくとも自由でいられる時間は本当にしたいことしかしなかった。

 

ふつふつと湧き出るように他者への受容と愛に溢れている人は素晴らしいなと思う反面、自分には絶対にできないと思う。極限状態であっても任された時間、任されたひとを維持する、ということに関する誇りを守るためにやっていると言い換えることができてしまう。思いやりは、そこにはない。勿論自分も他人も欺いて、思いやりにしか見えない現象になっていればそれでよい。

 

 

 

とりあえず今はここまでしか書く気力がない。いつも言っていることの繰り返しになってしまったけどそれくらいしか書けないほどに疲れている